真名暴きの塔   作:氷の泥

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終 鳥、飛行機、大熊猫。

 四階へ続く道のりには、他の階と違いドアが設置されていなかった。今までの螺旋階段から一転して直線的になった階段は、登り続けて行くとある地点で途切れ、途切れた先が直接、やけに天井の高い部屋へと繋がっていたのだ。

 異常な速度で泳ぐ魚たちが狭苦しくならないほどの巨大極まる水槽が設置されていた三階より、さらにもっとずっと天井が高い部屋。高々度にあるはずの天井その物はもはや目視では認識出来ないものの、この場には太陽の光が皆無であることから、遥か上方にある「蓋」の存在を予感させられる。

 一方でその「四階の部屋」にはもう一つ、俺にとって非常に幸いな特徴があった。待ち望んでいたと言ってもいい特徴……それは、ここでは四方に壁が見えていることだ。つまり四階は念願の、無限ループとは無縁の地ということになる。

「おお、英雄シフよ。君が東へ西へと、許嫁であるニコを救うため奔走するのは、果たしてこれが何度目かな?」

 遥か上空より野太い男の声が降ってくる。それによって俺は、この部屋が上にばかり広い理由を察した。

 ここの番人、真名を言い当てるべき存在は、飛行しているのだ。

「ここは塔の最上階。この私が、君の倒すべき最後の敵だよ」

 頭上より現れし最後の敵、ニコを幽閉した事の元凶。その憎き相手の姿は……パンダであった。

 全長が二メートルを超えるどころか三メートル台にまで届きそうな巨大パンダが、重力を無視して空中を浮遊していた。そしてそいつは右手にフライパンを持っている。さらにそのフライパンの上には、どうやら大量の食パンが乗っているようだった。

「私の名前は見ての通り、フライパンダだ。どうぞよろしく」

「……なるほどな」

 自ら名乗ったということは、いかにもそれ以外あり得ないだろうと思えてならない「フライパンダ」という名前は、奴の真名ではないということになる。お邪魔しマンモスに対する阻む象のような偽名が、奴の場合はフライパンダなのだ。

 この塔の挑戦はこれまでも一筋縄では行かなかったが、敵は今回また新たなパターンで俺を試しに来たということになる。「いかにも」な姿と名前を先にアピールすることによって、逆にそれ以外の名前を発想させにくくするという姑息な手段で、この階層での真名当てゲームを難航させようという魂胆なのだろう。

 と、考えた俺のことを、パンダがまるで見透かしたかのように言った。

「ちなみにここ四階では、真名は何の意味も持たない。フライパンダという名前は私の真名だが、君がそれを口にしたところで、何も起こりはしないからね」

「なに?」

「君が今まで培ってきた経験を無に帰す。それがこの塔最後の仕掛けということだよ。……ついでに私の能力もお披露目しよう」

 浮かんだままのパンダはそう言って、食パンを一枚フライパンからつまみ上げる。

「パンはパンでも食べられないパンって、な~んだ?」

 次の瞬間には、パンダが持っていたはずの食パンは、二枚目のフライパンへと変化していた。

 奴は両手にフライパンを持ち、俺を見下ろして、その野太い声でグフフと笑う。それで俺もようやく事態を把握出来てきた。これまでの経験が役に立たないという、パンダが語った言葉の意味を理解する。

 今までの番人は、俺の行く手を阻むことに特化した存在となっていた。そのために奴らはバリアや無限ループといった、いわゆる異能力を持っていたわけだけれど、しかし今見たように「なぞなぞを現実にする能力」を持つパンダは、それらの前例と比べて異能力に秘められたポテンシャルが違いすぎる。

 この世に存在するなぞなぞの数は計り知れない。それを司る力となれば、バリアを貼ることだって出来るかもしれないし、同時に空間をループさせることだって出来るかもしれない。なおかつその上で、少なくともパンをフライパンに変えることは出来ると確定している。……まさか今のパフォーマンスが単なるハッタリで、奴に出来ることはパンをフライパンに変えることのみだとか、そんなことはさすがにないだろう。

 もちろんハッタリならそれに越したことはない。しかし相手が「敵」である以上、俺は現状を楽観主義的に捉えることなど出来ない。なぞなぞを現実にするという、今までの階層で見た「特化型能力」とは違った「万能型能力」とも呼ぶべき力を持つ存在が相手になるならば、もはやそこで起こる戦いの中に、今までのような平和主義が残ってくれているとは限らないわけだから。

 くだらないことを共通点とした「真名」や「問いと答え」を言い当てれば全てが解決すること……そんな法則から逸脱した相手が、この期に及んで「行く手を阻む以上の攻撃は仕掛けてこない」という法則だけは守ってくれると信じ込むことの方が無理がある。言うなれば四階の攻略条件は異能力者との真剣勝負、くだらないもクソもない、単なる戦闘であると考える方が妥当であるはずだ。

 だから俺は、空中にいるパンダへ銃口を向ける。

「一応聞くが、お前を撃ち殺せばニコが取り戻せる。それで間違いないな?」

「取り戻せるか……ね。それは少々答えづらい質問だな」

「なに?」

「君は私の能力をどんな物だと考える?」

「……なぞなぞを現実にする力じゃないのか」

「その答えでは五十点だ」

「…………」

 俺は引き金に指を置いたまま、語りの続きを待ってしまった。

 ……ニコが異形の存在に攫われることは、もう過去に何度もあったことだけれど、その度にこういったタイミングが訪れてしまうものだった。

 俺はきっと、さっさとあの飛行するパンダを撃ち殺すべきなのだろう。しかし「こういう時」になるといつも、この「最後」という瞬間に、脳裏をよぎる不安があるのだ。

 撃てば本当にそれでニコを救えるのだろうか? 単純な暴力による勝利が、本当に間違いなく正しい選択肢なのか? ……善悪の概念や精神的な話ではなく、元凶らしき存在を殺すことがトリガーとなり、取り返しがつかない何らかの罠にハマってしまうのではないかと、こういうタイミングでいつも考えてしまう。「お前を撃てば」の問いに「答えづらい」と言われてしまえばそれはなおさらのことだった。

「私の能力は、なぞなぞを作り、そしてそれを現実にする能力だ。……君がここへ来る前に、すでに彼女へその能力を使ったんだよ」

「なんだと?」

 突然、俺の正面の壁の一部分が四角形に切り抜かれた。細い溝で縦長の長方形に縁取られた壁の一部が自動ドアのように開いて、隠し部屋的な暗闇の空間へと繋がる。

 そしてその暗闇の中から出てきた人物が、ニコだった。

「彼女を攫い、そして閉じ込める前に、私は彼女へ魔法をかけた。……さてここでシフ君、君にクイズだ」

 ニコが自身の服の内側に手を伸ばす。俺が見たこともないような冷たい表情で。

 ……そんな彼女から呆然と視線を外せなくなった俺に、パンダの声はやけに反響して脳の隅々にまで響き渡ったような気がした。

「許嫁は許嫁でも、君のことを愛していない許嫁って、な~んだ?」

 ニコの取り出した拳銃が、その銃口が、躊躇いなく俺の方へと向けられる。

「私の能力は、私の死後も永遠だ。さてこの場合、私を撃てば許嫁を取り戻せると、答えてしまって良いものかな……?」

 気が付いた時には、俺は思わずパンダに向けた銃を下ろしてしまっていた。そして、もう何度目かという救出劇の終盤になって、俺はようやく自分の過ちを悟ったのだった。

 今この時まで俺は、たとえニコが何者に攫われたのだとしても、自分なら必ず彼女を救いだせるだろうと思い込んでいた。けれども、それは間違いだった。取り返しのつかない間違いだ。取り戻すという発想自体が、根本から間違っていた。

 ニコが攫われたその時点で、もうすでに事は取り返しがつかないところまで進んでいたのだった。俺がこの塔へ来た頃には、彼女はとっくにパンダの能力を受けていたのだから。手遅れどころの話ではない。誰かに攫われてしまった時点で、俺は彼女を守ることが出来なかったという、ただそれだけの話。

 考えてみれば当たり前のことだった。彼女が異形の存在にばかり攫われるものだから、異形の存在は彼女のことを理由はどうあれ尊ぶものだから、そんな構図が何度も続いたことで見失ってしまっていた。本当ならとっくに、「ニコが攫われる」という事態の発生を許した時点で「終わり」だった。それが人間の悪党による単なる誘拐事件だったなら、攫われてしまったその時点で、彼女が無事で済むわけがないのに。今まで相手にした異形の場合はそうでなかったから感覚が狂っていた。

 ……だからニコに撃たれて死ぬなら、それも仕方がないと思える。いくら相手が人智を超えた存在だったとしても、全ては誘拐を防いでやることが出来なかった俺の落ち度だ。彼女が酷い目に遭わされるよりはむしろ、この結末の方がずっと良かったとさえ言える。

「…………」

 どうしようもなく手遅れになっていた事実の前に膝をつく。すると乾いた銃声が数回、死を予感して研ぎ澄まされた鼓膜を震わせてきた。

 ……ああそうか、この塔の共通点は、諦めさせることだったんだ。行く手を阻み続けるにせよ、ニコの人格を変えてしまうにせよ、ニコの救出を諦めさせること。それが俺に対する攻撃の一貫性だったのだ。そのことに気がついた俺は、まんまと敗北を噛み締めながら死んでいく……。

 

 

 

 

 

 ……と、思ったのに。いつまで経っても俺は生きていた。体のどこにも痛みは感じず、重力に縛られた体は人並みに地に足ついている。なぜか何事もなかったかのように、俺はただその場に膝をついて座り込んでいる。確かに銃声は聞こえたのに。

 ……まさか全弾外れたのか。考えてみればニコは今日まで、俺の知る限り銃など握ったことの無い女性だった。いくら人格をいじられたところで、技術的に狙った的に弾を当てられなかったとしてもおかしくはない。

 そう感じて、ふと視線を上げると、……………………大きなパンダが頭から血を流して、ピクリとも動かずニコのすぐ側に横たわっていた。

「すみませんシフさん、お手数おかけしました」

「ニコ……?」

「経験が無いものですから、出来るだけ近付いて撃ちたくて。あのパンダに近付くには、シフさんを撃つフリをするのが一番確実かと思いまして。……物騒な真似をしてすみません」

 言って彼女は、用の済んだ拳銃を服の内に戻した。……敵意はない、ということだろうか? いや、それどころか、むしろ彼女は、

「ニコ、もしかして、あのパンダの力が効いてないのか」

「効いてますよ」

 俺の言葉を遮ったそれは、慈悲の欠片もないような声だった。当然彼女の口からそんな物を聞き取ったことなど今日の他にはない。

「私も馬鹿ではないので、何度も攫われていれば自衛手段くらいは考えます。……しかしですね、いざという時になると、毎度思ったのです。せっかく私を助けに来てくれたシフさんは、犯人を撃ち殺した私を見たら、どう思うのだろうと。……可愛くないじゃないですか? でもそれがどうでもよくなったんです。別にあなたに嫌われても、死ぬわけじゃあるまいし」

 すでに幾人もの相手を殺してきたような修羅の雰囲気を纏って、この塔の主を殺したことを何とも思っていないような余裕を身にまとって、彼女は俺とすれ違い、下りの階段へ向かっていく。

「さよなら。あなたの好きなニコは、もうどこにもいません」

「……待て。待てよ、ニコ!」

 彼女の背中を追い、その手を掴む。俺がよく知っている、華奢なニコの手だった。

「君を守れなかったのは悪かった。本当にすまなかった」

「え……? 私は、今まで助けてもらえたこと感謝していますよ。今日もです」

「じゃあなんでさよならなんだ」

「……えぇ? なら、逆に聞きますけど。シフさんは、「シフが好きなニコ」でなくても、欲しいと思うのですか?」

「当たり前だろう。ニコはニコだ」

 掴まれた手を振りほどきこそしなくても、彼女はその顔に明らかな困惑の様子を浮かべていた。……それだけ見透かされていたということになる。

 確かに俺は、俺のことが好きなニコが好きだった。彼女から見れば俺は、親から勝手に決められた相手でしかないはずなのに、その俺のことを愛してくれるニコのことが、はっきり言って俺は好きだった。

 だから、彼女からの俺へ対する好意は、何にも変えがたく尊い物だったのに、俺からの彼女へ対する好意は、ひどく醜い物だった。……そしてそれは、とっくに本人にもバレていたというわけだ。

「確かに俺は、俺のことを好きでいてくれる君のことが好きだった。けれどだからって、それ以外の君が嫌いなわけじゃない」

「そうなんですか?」

「そうだよ。俺は今さら、今さら君無しでは……」

「……へぇ、なるほど」

 俺が知ってるニコと同じ柔らかな笑みを、彼女は浮かべる。

「それはこちらとしても嬉しい限りです。今さら許嫁の関係を壊すのも、どうしようかなと考えていたところなんですよ」

 美しい淑女といたずらな少女がない混ぜになったような顔をして、俺が知っている通りの、俺にとって好ましい声で彼女が言う。

「それじゃあこれからもよろしくお願いしますね、シフさん? お互いのために仲良くしましょう」

 去っていく姿を引き止めたまま掴みっぱなしになっていた俺の手を、ニコは両手で包み込んで笑った。俺も微笑み返すほかに、出来ることは何もなかった。

 それから二人で塔の階段を下りて出口へ向かう。その道中で俺はふと、「弱いフリ」をしていたかつてのニコの心境が、少しだけ分かったような気がした。くだらない真名を求めてさまよった俺だけが懐かしさのような物を感じるような、番人を失った今となってはただ薄暗いだけの塔の景色の中に、その心境を見つけたような気がしたのだ。

 嫌われたくないから本当のことを隠す。それはきっと人間関係にありふれたことだろう。どんなに深い親愛の中にもきっとそれはある。ニコの場合は文字通り命をかけてまで、そういった隠し事を続けていたわけで、さすがにその気持ちと覚悟まではまだ今の俺には理解できないけれど……。しかしそれでも、「嫌われても構わないから隠すのをやめた」という感覚だけは、なんとなく分かるような気がする。

 俺はまだニコのことが好きだ。たとえ俺の知るかつての彼女が、本当に永遠に失われてしまったのだとしても、それでも好きだと思ってしまう。だから俺はまだ隠すことをやめられない。俺は本当は、くだらない洒落が好きなんだ……ということを、打ち明けようとは未だ思えない。きっとその隠し事は一生打ち明けずに、墓まで持っていくのだと思う。

 

 ……俺たちが二人揃って脱出した後、初めて日付が変わったタイミングで。塔は元々存在していなかったかのように、忽然とその姿を消したらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー ドはドーナツのド 死は肉体の死 ー

 

……塔最上階、天井に刻まれた文字より。

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