「辛ぁ――い!!」
「まぁ、それだけスパイス類を掛けられれば……」
テーブル一面、所狭しと並べられた料理――であった極彩色のそれを頬張り絶叫する男と、コック卒倒の光景を見届けた末に、困惑と呆れその他の混ざった呟きを漏らす少女。
E.Iから遠く遠く離れた地へ物語が移って間もないというのに、彼がいる所こそ と言わんばかりに、そこにはおなじみの光景が広がっていた。
◇◇◇
遡る事十数分前。一歩を踏み出す間に周囲の世界が変わり、目の前に誰とも知れない――しかし事情は知っていそうな――少女が突如として現れた事に困惑していたヴァンではあったが、それでも所構わず鳴ってしまうのが空きっ腹というもの。正しく藁にも縋る思いで、いつものようにできるだけ謙虚に丁寧に(傍目には図々しく)食べる物を求めた。
すると少女は、怪訝そうな素振りすら見せず二つ返事で椅子から降り、笑みを湛えたまま奥の食堂へと案内。あれよあれよという間に手際よく食事の準備が成され、冒頭へと至ったのである。
流石に取り揃えた調味料を一瞥しただけで全て引っ掴み皿へぶちまけたのは少女にとって予想外であったようだが、当のヴァンにしてみればそれもまた平常運転というもの。
「それにしても、何というか……
随分と、良い食べっぷりですね」
「ああ……最後に、食べたのが……何か、わからんぐらいだった、からな」
「まぁ……それはそれは。
それでしたら、こちらも用意した甲斐があったというものです」
尤も、驚いていたのも最初だけ。本能のままにテーブルマナーそっちのけで次々と料理を平らげてゆくヴァンに対し嫌な顔一つせず、剰え純粋にその食べっぷりに感心する様は、果たしてどちらが年上の風格と言えよう。
「では、そのまま食べながらで結構ですので、お耳だけ貸していただけますでしょうか。
空腹が満たされても、尽きない疑問もある事でしょう」
「おう」
ともあれ、そのままでは話が進まないのもまた事実。
返事をしつつ馬鹿正直に手を止めない姿にさえ微笑を絶やすことなく、自分の方にあるグラスへ一口付けて、少女は実に丁寧に、簡潔に、およそ目の前の食事へ集中しているであろうヴァンであっても片手間で分かるよう説明を始めた。
その内容を搔い摘めば、以下の通りである。
まずこの場所についてだが、ヴァンの主観では急に周囲の風景が変わっただけのように捉えられているかもしれないが、実際の所は町や国、更には星という範疇すら超え、世界線として異なる位置……例えるなら、重なり合った二枚の地図、本来なら決して交わる事の無いそれらの間を跨いだ先 であり、“此方側”においては「地球」という名の星にある小さな国 との事。
では何故、今回ヴァンがそうした事態に遭遇したのかと言えば、少女の側で並行世界の観測と接続……先述の地図の例で言えば、「丁度重なり合う組み合わせ見つけ、その間の行き来を可能とする穴を空ける」実験を行っており、数度の試行を経た貴重な結果もとい成果として、彼が異なる二つの世界を跨ぐ事となった というが此度の顛末であるらしい。
「ふーん……あ、これおかわり」
異なる地図……並行世界の下りは兎も角として、要するにここは先程までの荒野どころかE.Iですらないのか。
数々の修羅場を潜り抜けてきたヴァンであっても流石にこの事態には開いた口が塞がらなかったのか、今尚せわしなく動き続けている。
「それで、まだ説明する事はあるのですが、その前に……
あの、貴方のお名前を、教えてもらってもよろしいでしょうか?
いつまでも“貴方”では呼び辛いですし」
「ヴァン だ。夜明けのヴァン」
「ヨアケ・ノ・ヴァン……ですか? それとも夜明けの晩?」
「どれでも無い…………ただのヴァンだ。
あ、あとミルクください」
見目幼いとはいえ万人が認めるであろう美しさと、細々とした礼儀作法に目を瞑れる寛容さを備えた女性との一対一の会食。世の男であれば自然と背筋と鼻の下とが伸びるシチュエーションではあろうが、その栄誉にあずかっている当人にとっては、どうやら食後のミルクの方がよほど重要であるらしい。
いっそ清々しくすら思えるそのぶれない姿勢に、少女は今日何度目かの苦笑を浮かべるばかりであった。
◇◇◇
「ごちそうさん。
……悪いな、いきなりなのに好き勝手頼んじまって」
「いえ、お構いなく。
元々勝手な都合で呼んだのは此方ですから、おもてなしくらいはさせていただかないと」
空きっ腹を満たし、思い切りミルクを呷ったところで漸く言葉を交わすだけの余裕も生まれたのか。一息ついた彼がまず尽くしたのは食事の礼であった。
いくら野良犬じみた扱いと生活とを送ってきたとはいえ(或いはだからこそ)、人として寝食の礼まで欠くつもりはない。不器用なりに伝えられる事だってあるのだ。
「それで、こっちも聞きたいんだが……
なんで俺なんだ? 研究とか実験とかなら、もっと他によさそうな奴がいると思うんだが」
して、一区切りをつけた後、今度はヴァンの方から質問を切り出した――即ち、何故彼がその
勿論、いきなり聞かされた並行世界云々の話の全てを理解できた訳ではない。が、それでも少女の丁寧な説明によって彼女が伝えんとしている事の凡そは掴めたし、それ故にどうして自分が と疑問に思うのもまた必然。
自慢できる事でもないが、ヴァン自身、およそ自分が社交性や学に秀でている訳ではないとの自覚はあり、荒事交じりの交渉ならば兎も角、交流や研究といった大役に相応しいとは微塵も考えていない(ならば他に誰が良いのか と聞かれても答えに窮する訳だが)。
先程まで和やかな雰囲気から随分と落差のある話にはなるが、遠回しな腹の探り合いは得意でも好きでもらしくもない。だからこその普段通りに、真っ向から直球勝負と意気込んだのである。
「いえ、別に貴方個人に対して何か特別な事情があった という訳ではありません。
偶々ゲートを繋げた先に貴方がいて、意思の疎通を図れるという条件を
満たせそうであった というだけの事。
この出会いも、いわば偶然の産物です」
「偶然かよ……ってか、誰でもよかったのか」
「ええ、極論この世界の住人でさえなければ」
しかし、現実とは時に予想の斜め下を滑ってゆくもの。意外過ぎる程に単純なるその理由に、心のどこかで無意識の内に警戒していたヴァンも、思わず拍子抜けしてしまう。
候補などそれこそ星の数はあろう中で、なんでまた自分なんかがその“偶然”に当たってしまったのか。残ったミルクをちびちびやりながら、心中で一人ごちる。
行く先々で諸々の騒動に巻き込まれているとはいえ、面倒事に慣れているのと好き好んで首をつっこみたがるのでは訳が違う。(立派かどうかは別として)彼も大人。そういった事に一々心躍らせるようなお年頃でも無い。
何より、少女の言うように此処がE.Iで無いのであれば、三度の食事よりも深刻な問題がこの先生ずる事にもなりかねない。
真っ当な人間とは言い難いその身はもう、独りきりでは生きてゆく事すらままならなくなっているのだから。
「なら、とっとと帰してくれ。悪いが、そういうのなら他を当たるんだな」
だから、ヴァンの言い分も彼にしてみれば至極真っ当なものでしかない。その筈であった。
幸いにして今はまだ十分猶予もあるとはいえ、時間制限と無縁になった訳ではない。どんなに図太い人間であっても、命綱の繋がっている先がどことも知れない というのはそれだけで気分が悪くなるもの。誰でも良いというのであれば、今度こそ余計な制約の無い健全でまともな人間を別に連れてくれば良いだけであり、食事の恩とて「迷惑料」として十二分。
「あら、何か急ぎの用でもお有りでしたか?
此方へと永住しろ などとは申しませんので……」
勿論、それはヴァンの側の事情であり、偶然とはいえ少女の側にも様々な都合と言い分もあるだろう。
断るのが正当であれば、理由を尋ねるのもまた自然。彼女とて何も難しい事を要求している訳でなく、ただありのままを正直に伝えれば良いだけの事。
「いや、それは、何と言うか……」
理由ならある。やましい事など何一つ無い。だというのに、そう問われたヴァンはただ一言の「No」が口から出せなかった。胸の内で燻る何かが、E.Iへ戻る事に――その先へ進む一歩目を踏みとどまらせていた。
「……その、健康上の理由 です」
「何か持病でもお有りで? もしよろしければ、ここで治療をする事もできますが。
一応、この世界における最高峰のものをご提供できるとの自負もありますので」
「いや、病気って訳じゃないんだが……」
「一月、などとは言いません。せめて一週間程度でも良いですので……」
止むを得ず仔細をぼかしのらりくらり切り抜けようともするが、計画的な回り道ができる人間ならいざ知らず、彼のようなタイプがそうやって後ろ向きな姿勢を見せた時点で既に悪手裏目。あくまでも善意を前面に出す少女へと押されるばかり。
「……そうですよね、いえ、すいません。
こちらの都合ばかり押し付けてしまって……」
「あ、オイ泣くなよ」
それでもなんとか粘り続けるヴァンであったが、あくまでも拒み続けるその態度に罪悪感が勝ったのか、はたまたこれ以上の交渉は難しいと悟った為か、少女は目に涙を滲ませ謝罪をし始めた。
こうなってしまえばどんな腕自慢でも叶わないもの。その涙はどんな暴力にも勝る抑止力。必死に考えていた言い訳もどこへやら、なんとかそれを鎮めまいと途端に右往左往するばかり。
「……わかったよ。少しでいいのなら付き合ってやr
「あら、本当ですか? どうもありがとうございます。
一先ずは交渉成立 という事でよろしいでしょうか」
……お、おう」
――尤も、価値をよく理解している者にとっては、それさえも立派な交渉の為の手札でしかないのだが。
とうとう根負けし、少しでいいなら と口にするが早いが、それまでの弱々しい雰囲気は何処へやら、食いついた魚を引き上げるが如く、実に良い笑顔で少女は臆面もなくそう言ってのけた。
どうやら儚げな印象とは見目ばかりで、その性根は中々に逞しくも強かであるらしい。
「……ま、まあ、約束は約束だからな」
「衣食住などは全て此方で提供させて頂きますから、どうか気楽にお過ごしください。
さ、デザートでもいかが?」
ともあれ、約束してしまったものは仕方がない。
冷静に考えれば、帰る為の手段は少女の側が握っているのだ。ここまでの様子からしてそう悪い扱いになる事は無いだろうし、脅迫まがいの事態に比べれば、しばしの食と寝床の代替わりとしてお子様の我儘へ付き合うだけ と思えば幾分気が楽なもの。
何より。E.Iに戻った所で今の自分に――
(……いや、今それを考えても仕方ない か……)
そう割り切る事としたヴァンは、半ば現実逃避気味にデザートへと取り掛かり始めた。
一難去ってまた一難。平穏か惰性かは判らないが、どちらにせよ彼の人生には縁が薄いらしい。これから先、一体どうなる事やら……
「甘ぁ――い!!」
……少なくとも、調味料の心配は必要無さそうではあるが。