「…………暇、だな……」
E.Iとは異なる“異世界”へ招かれて早数日。
そこにあったのは、人の環境適応能力の体現、もしくは能天気と図々しさとがタキシードを纏ったかの如き男……ヴァンの、なんともだらけきった姿であった。
◇◇◇
一応は客分に当たる身のヴァンではあるが、さりとて特段何か役割や働きを求められた訳ではなく、しかしここまでの数日間に関して言えば、やれ少女の話し相手だ遊び相手だを務めている間に、自然と時間は過ぎ去っているものであった。
突然の出来事と慣れない環境とに警戒していたのも今は昔。その話術か雰囲気か、はたまたその他諸々に絆され尽くしたのか、いつしか無意識の内に張っていた気持ちもすっかり緩み切り、そうして冒頭へと至る訳である。
とはいえ、そんなある意味充実した時間も全ては少女の存在あってこそ。
今日はと言えば目を覚ましてより未だ見かけておらず、用意された部屋から始まって、ここ数日過ごした場所を一通り見て回るも空振り。
結局、最初に出会った庭園まで辿り着いた所で探索はあえなくリタイア。芝生の上へと設けられたベンチへどっかりと腰を下ろして、それっきりとなっていた。
「……昼寝でもするか」
既に背もたれへと全体重を預けてはいたのだが、遂には再び立つことさえ放棄したのかベンチへごろり。
「生憎と外へ出す事は難しい為、せめて不在時の暇つぶしにでも」と、少女からは携帯端末(数多くの雑誌やら何やらを、ヴァンにも読めるよう翻訳したデータが詰められたもの)も渡されてはいるのだが、何故か一番上にあげられていたブライダル特集とやらを一瞥した所で早々に投げ出し手持無沙汰。さりとてもう一度当てもなく探し回る気にもなれず、「女性の身だしなみには時間がかかるもの」と理由付け、そのままぼんやりと天蓋に映る風景を眺める事とした。
飾られた彫像や配されたベンチなどはもとより、草花や囀る小鳥に至るまで
元より、ヴァンにとってはこうも恵まれた環境で何事も無く過ごすというのは縁の無いものであり、かつ記憶に残る“前回”はと言えば、振り返ってみれば自分の内にある爪牙を抜かんとする敵方の罠であった。
とはいえ、今回はそんなものすら無い状態……より正確に言えば、此方へ来る直前には何やら燻っていた気もするのだが、何はともあれ火種が無ければ煙も立たぬもの。気づけばお客様気分全開で、その無為な一時に肩までどっぷりつかり切っていた。
「…………?」
果たして、そんな状態でどれくらい過ごしていたのだろうか。
ほぼ沈みかけていた船からヴァンを引き戻したのは、どこからともなく聞こえてきた電子音。
それ自体は小さな音ではあるのだが、別段耳が悪い訳でもなく、一面広がる天然物(その表現が真に適当であるかはさておき)の中に一つだけ人工物が混ざるというのは予想以上に目立つもの。
暫くは放置していたヴァンも、耳に障ったのかのそり起き上がってその出どころを探し始めた。
尤も、安眠妨害への抗議 というよりは、あまりにも手持無沙汰過ぎた というのが動機ではあったのだが。
「……あぁ、アイツが座ってたやつか」
程なくして見つかったその出所は、庭園中央・最初に出会ってより度々少女が座っていた玉座。
主不在のそれへ近づいてよく見てみれば、外観こそ調度の整えられた飾り椅子ながらしかし、手元には格納されたコンソール類がぎっしりと並び、移動用の車輪や件の金属玉と同じような作業腕らしきものの格納スペース等々兼ね備えた、小さな身に数多の才能を秘める持ち主さながらの多機能ツールであった。
何やら、ひじ掛け付近に埋め込まれた小さなディスプレイ横のランプが点灯しており、恐らくは何らかの呼び出し音なのだろう。
さてどうするか。
ここにきて男は(柄にも無く)少々悩む。
『ここにいる人間は一人だけ』という少女の言に依るならば、内線ではなく外部からの連絡という事になるのだろう が、生憎と主たる少女は不在であり、またこういう時に限ってその辺を転がっているモノの影も無し。
当然、応じなければまだ見ぬ相手にもその旨は伝えられない上に音も鳴りやまず……つまり、自分以外に出られる者はおらず、しかしそれは勝手に他所様の電話に出る という事に他ならない。
彼とてそれくらいの礼儀は弁えてはいる……のだが、しかし妙な所で真面目であったり抜けていたりする為、こうして変に悩む羽目になるのである。
「……まぁ、何とかなるか」
悩む事数秒。導き出した結論は、結局「とりあえず出てみる」というものであった。
どうやら点灯しているランプがそのままボタンになっている様子であり、やる事さえ分かっていれば、後は気持ちの問題。そう結論付けたのである。
眠気覚ましも兼ねて頬を叩き、イメージするのは(やった事もない)接客業、或いは執事。
客分としてできるだけ失礼にならないよう気合を入れ、今渾身の――
「初めましてこんにちは!
『……はて、どちら様かな?』
「あ? ……なんだ、こっちじゃないのかよ」
――挨拶はしかし、残念ながらというか予想通りというべきか、空振りと相成った。
恐らくは外部からの通信 という点は合っていたものの、その相手が表示されたのは、ひじ掛けの小さなディスプレイではなく何もない空間へと立体投影された映像。
結果、椅子をのぞき込みながら妙に気合の入れた表情をしている という、なんとも間抜けな横顔を晒す羽目になったのである。
当然、肩透かしと共に張っていた緊張の糸もぷつり切れ、先程までの決意もどこへやら、一世一代の
失態を取り繕う という発想は、どうやらこの自称代理人には欠片も無いらしい。
尤も、驚いたのは通信の向こう側にいる男性も同じ事。
彼にしてみれば、小柄な少女が出てくると思っていた所に草臥れた猫背の真っ黒な男、それも何処の誰とも知れぬ変な輩が妙な名乗りと共に出てきたのだ。困惑も当然と言えよう。
『……いや失礼。私とした事が、突然の事態に取り乱してしまい申し訳ない。
私は第108代■■■■合衆国大統領■■■■・■■■■の使いの者だ。
貴殿が如何なる人物かは存じ上げぬが、■■・■■■■■氏へ取り次いでもらえないだろうか』
それでも、先に立ち直ったのはその男性の方が先であった。
既に応対した事を半ば悔いはじめているヴァンが知る由も無いが、何を隠そうこの人物、この世界において双璧を成す大国が片翼においてトップ直属の大役を負う、いわばエリート中のエリートたる
当然、たとえ相手が妙な人物であろうと礼を尽くすのもまた仕事の内であり、一瞬でも見せた非礼を襟を正して謝罪。実に丁寧に忠実に、自らの職責を果たさんと言葉を選んでゆく。
「……いや、悪いが何言ってんのか全くわからん」
だが、彼がその生涯をかけて積み上げてキャリアと誇りとに比べても尚、世界を隔てる言語の壁は高かった。
そも、これまでさも当然のようにやりとりをし、何事もないかのように振舞えていたのも、偏に僅か数語の呟きから音節その他を“調整”してみせた、少女の異常とも言える頭脳あっての賜物。
いかに大本が同じとはいえ、言語とは即ち積み重ねられてきた文明の歴史そのもの。たった一つの分岐点を経ただけで、もはや別物と言っても過言ではないのだ。
無論、男性とて複数の言語を流暢に操るだけの能力を有してはいるが、あくまでも常識的な範囲内での優秀さ止まりでしかない彼だけでは、限りなく似ているようで決定的に異なるその橋渡しは、あまりにも荷が勝ちすぎると言えよう。
当然、ヴァンの側にそれを求めるべくもなし。
『……ううむ、いや失礼。もう少しかみ砕いて説明するとしよう。
そこの君。君の近くに、背の小さい、髪の毛が銀色の、女の人はいないかな?
できれば、彼女を呼んできて欲しいのだが』
それでも、その程度で白旗を上げるならば、男性も実質的な世界ナンバー2を務めてはいない。
画面向こうの男が主要な公用語の通じない(ついでに学も無さそうな)相手であると見て取ると、マイナーなものを含めた様々な言語や筆談、ボディランゲージその他を駆使し、なんとか意思疎通を図らんと試みた。
「だから、分かんねぇんだっての。
いつまで変な事やってんだ」
しかし残念。それで話が纏まるのであれば、そもこの男がこんな所にいる筈が無いのだ。
必死に振り回す手が当たりをひくことは無く、剰え「馬鹿代表」とまで言われた男に内心バカ扱い。言わずもがな、事態が進展する兆しはまるで無し。
「おはよう、ヴァン。
ごめんなさいね、今日は少し支度に時間が掛かっちゃって」
「あぁ、いや別にそりゃ構わないんだが……」
と、ここで漸く本命たる少女が姿を見せた。
どうやら本当に身支度へ時間をかけていた様子で、僅かではあるが昨日よりめかし込んでおり、心なしか声も弾んでいる。
そして勿論というかなんというか、その理由の一つであろう当人はというと、その少しばかりの大きな変化にまるで気づく様子も無い。
現状それどこではない というのもあるだろうが、そうでなくとも言われるまで気づいたかどうかは怪しい所だろう。
「むぅ、もうちょっと何か言う事……は……………」
鈍感か無関心か 不愛想か恥ずかしがりか
ともあれ、そんな彼の態度にさえ可愛らしく拗ねて見せた少女であった が、それもヴァンが何をしているか――より正確に言えば、自分達の間に何が混ざったのか――に気が付くまで。
途端、微笑みは驚愕へ、驚愕は怒りほか様々な激情を入り交えた数瞬を経て、一転不愛想となった彼女は、つかつかと歩み寄ると、有無を言わさず通信に割って入った。
「お久しぶり、そしてさようなら。
今話す事なんて無いわ」
『…………!』
「どうせ例の件についてでしょう?
それなら、催促なんてされなくとも此方で対処しておきますから」
『い、いえ。ですが、折角こうしてお話を……』
「図る便宜もあげるものもありません。
それは私が決める事であって、望み欲する事では無い筈よ」
言葉の応酬 という表現は適切ではないだろう。それは、天上から落とされる雷が如く。
恐らくはこの世界の言語で交わされてるやりとりの内容は、勿論ヴァンには分からない。
だが、例えその意味が分からなくとも、語勢や雰囲気から肌で感じ取る事はできる。自分なぞより遥に身形と礼儀とを整え、あくまでも頭を下げ続ける画面向こうの男性に対し、少女はここ数日の間では見た事の無い侮蔑や嫌悪の情を隠そうともせず、剰えその眼差しは、かつてE.Iで自身へ向けられてきたものに勝るとも劣らぬ、まるで地べたの虫けらを見ているかのようですらあった。
『し、しかし……』
「あら、
最低限でも必要な成果は得られた と伝えればいいじゃない」
『で、ですが……』
「それとも、そんなにアレが怖いの?
ふふ、そんなに怖がらなくてもいいじゃない。
日頃頭を下げてる相手も、私の前では芋虫みたいに地べたをはい回ってる程度の人間よ。
何なら見ていく? 人間が靴を舐める光景を」
『…………』
「それじゃあさようなら。もう二度と話はしたくないわ」
「……なぁ、大丈夫だったのか?
よく解らんが、アイツも大変そうみたいだったけど」
最後は言葉すら絞り出せなくなった男性を一瞥し、返答を待たず通信を切る少女。
捲し立てた事に疲れたのか、僅かであっても時間を割いた事それ自体にか。見目に釣り合わない大きなため息を一つ吐いた所で、ヴァンも漸く我に返る。
別段、碌に言葉も交わせなかった先の男性に何かある訳でもないのだが、思わず妙なフォローが出てしまったのも、偏にその空気の悪さ故の事。
「構わないわ。最低限の事はしてあげるもの」
「最低限って」
「あんな連中に、これ以上何を期待しろっていうのよ!」
当然、慣れない事をした所でそう上手くいくものでもない……のだが、この場合は何をした所で無駄だっただろう。
取り繕う余裕も無かったのか、不機嫌な様子のままヴァンにさえ声を荒げる少女。
彼女とて人間なのだから、感情の浮き沈みぐらいはあるだろう。とはいえ、ここ数日の微笑みを絶やさなかった姿からは想像もつかない事の連続、幼子の癇癪とも似て非なるそれには続く言葉も途切れ、そんなヴァンの様子で漸く我に返った少女が再び吐くため息は、まるで何十年も年を増したかのように感じられた。
「……ねぇ、ヴァン。
独り立ちって、そんなに難しい事なのかしら?」
再び向き直った少女の湛えていた笑顔はしかし、もう
そうして語られたのは、ここ数日間の明るく楽しい一時とは真逆。まるで避けるかのように触れてこなかった、彼女と「外」との関わり。
その才により多くの物を生み出し、しかし自分を満たす事はできなかった一人の人間の
「世の為になると思って、自分の
積み重なる問題を一つ一つ解決してゆけば、きっと皆幸せになれると、そう信じてきた」
「でも、そんな簡単な事じゃなかった。
いつも、何度でも。善意はひっくり返されてきた」
その規模を、数を、貴賤さえ問わず。ただそこに人々を困らせる何かが――環境汚染が、貧困が、紛争があれば。それだけを理由に、あらゆる場所へ手を伸ばしてきた。
その頭脳をしても決して少なくはない労苦をも厭わず、様々な術を尽くして
否、正確に言うのであれば、真に平和と呼べる状態が保たれる事は無かった。
過酷な環境を克服し漸く一面に満たされた筈の緑は、数年と経たず元の荒地へと姿を変えた。
不当な取り立てから解放された筈の被搾取階級は、いつの間にか搾取する側へと立っていた。
不眠の努力で治めた筈の平和は、たった一発の銃声であっけなく崩れ去った。
偶然ではない。不幸などではない。
そこには何時だって人間がいた。欲望で目を濁らせ、与えられる事に何の疑問も抱かず、それでいて隣人の幸福が我慢ならない、人間しかいなかった。
「それでもいつかは と信じて今も活動を続けてはいるけれど……
いいえ、ここまで来るとただの惰性ね。
どうにも、最近は最後に私がどうにかするのが当たり前になってきたせいか、
止め時が分からなくなってきちゃって……
国家レベルでの危機なんて、もう何度目かしらね」
確かに、諸事情を加味した上で、少女という
けれども、自分達に多大な恩恵を齎す革新的な技術の出所が
高く高く、蒼穹の果て成層圏さえ越え
上しか向かない灯が足元を照らす事は無く、剰えその影をより濃く深くしてゆくばかり。
それでも人々は気づかず、そして目を背け続けている。
前へ前へと進む歩みを肯定する事で、その足跡から、自分達が踏み躙ってきたものから目を背け続けているのだ。
その原動力さえ少女から齎された
結果、有史以来の技術革新に狂喜乱舞する世間とは裏腹に、少女の心は冷え切ってゆくばかり。
「ほんと、何をしても何時まで経っても変われない人間がほとほと嫌になるわ。
……私自身も含めて、ね」
「世の為人の為 なんて言いはしたけど、やってる事はと言えば所詮自己満足。
中途半端な責任感で善人ぶっている癖して、さっきみたいに癇癪を起しては
子どもみたいに当たり散らして……馬鹿みたいでしょう?
さっさと諦めて、引きこもってしまえば楽になれるのに」
「……ごめんなさいね。貴方にこんな事を言っても仕方ないのに」
一頻り語ったところで再びため息を吐く少女の顔色は、心なしか先程よりも青白いかった。
元より特段丈夫な訳ではない とは言っていたが、それでなくともこう心労が祟れば、それも無理ない事。
結局、その日はそこでお開き。
食事などは手配させておく と少女が部屋へ戻ってしまった事で、ヴァンは再びの暇人へ戻ってしまった……が、しかし心のどこかでは、そうなった事に
少女の語るこの世界の事情に衝撃を受けた という訳ではない。
元より外様の身であり、それでなくとも小難しい話には興味も無いのだ。どれ程衝撃的な話であったとしても、その場の感想以上の物など沸き起こりようがない。
ただ、少女が何とは無しに言った「何時までも変われない人間」という言葉が、まるで今の自分の事を指しているかのような気がして、胸が締め付けられたような感覚に囚われたが為の事。
「……何やってんだろうな、俺は」
一人呟いたそれは、果たして一体何に宛てられてのものだったか。