カチャリカチャリ 食器の鳴らす音だけが、広い部屋へと響き渡る。
一人分しか無いにも関わらず、その音はいやに耳に障るものであった。
「……また、アイツは食わないのか」
その問いかけに、応えは無い。
傍らに控える給仕役は、音もなく言葉も無く、ただ与えられた
だが、かく言うヴァンもまた、やっている事はといえば目の前へ出された料理を口へ運ぶという“作業”の繰り返し。
意思も無く好みも無く、ただ本能に従い死なないようにエネルギーを摂取する。これでは、一体どちらが人間なのかも定かではないだろう。
「…………味気ねぇな……」
量も質も十二分。いつも通り、調味料も山ほど掛けてはいる。
だというのに、まるで土でも食んでいるかのように、その食事からは彩りが感じられなかった。
◇◇◇
そうして、そのまま一人食事を終えたヴァンはであったが、今日は立つ気さえ湧かないのか、腰を上げる事も無く脱力しきっていた。
なんとなく抜けない熱っぽさと気怠さ、加えて先日から続く“もやもや”はさながら枷か鎖。力ないその痩躯へ絡みつき、囚人よろしく椅子へと縛り付けている。
「……何をやってんだ、全く。
ただ一言「帰らせてくれ」って言えば、それで済む事じゃねぇか」
思わずごちるそれは、憤りというよりは自嘲。
その体質故、いずれはE.Iへ帰らなければならない というのは彼とて重々承知している。
そして、ならばその一歩を踏み出せていない理由がどこにあるのか と問われれば、それもまた彼自身にあるという事もまた、不本意ながら嫌という程理解しているのだ。
あの日以来、少女とはまともに会っていない。より正確に言えば、
先日のように探し回る事だってできるだろう。件の使者ならばいさ知らず、何かと気に入られているヴァンであれば、呼びかければどこからともなく現れるかもしれない。
それでも、少女から会いに来ない事を
「何時までだっても変われない人間」
勿論、
それでも、何の気なしに言ったものであったとしても、それは今尚ヴァンの心へと深く深く突き刺さっていた。
こうして改めて省みて、自分はどうなのだろうか。
かつての野良犬のように彷徨うだけであった頃に比べれば、大きすぎる程の力を得た。それを以て、湧き上がる激情のままに悲願も成した。
だが、後に残っているのは、なんとも言えない虚しさに似たものだけ。こうして壁にぶつかってみれば、また目を背けて及び腰になっている。そんな自分は、結局の所何も変わってはいない。
どれだけ見栄を張った所で、その
やはり自分は――――
かたり と小さな、本当に小さな音が鳴った。
息遣いさえ喧しく感じられる静寂だからこそ聞き取れる程度のそれはしかし、不思議とヴァンの耳を打つものであった。
椅子にもたれかかった姿勢のまま、首だけを動かし見やる。どうやら、棚の上へと置かれていた物が倒れたらしい。
あれは確か――
気づけば、半田で付けられていたかの如き重い腰が上がっていた。
そのままゆっくりと、しかし確実に、まるで引き寄せられるかのように歩み寄る。
そうして手に取ったのは、一枚の写真。仕舞ったままでは勿体ない という少女の然も無い一言で、なんとなく立てかけていたもの。
感傷に浸るタイプなどではない。それでも、その写真……旅の終盤、図らずも最初で最後となった集合写真を見ると、随分と昔の事のように思えていた旅の軌跡も、まるで昨日の事のように思い出されてゆく。
快活 という言葉が似つかわしいあの少女は、今も子ども達と元気にやっているのだろうか。
きっとそうだろう。
あの老人達は……別に、心配せずとも大丈夫だろう。
色々と面倒な事ばかり引き起こしていたが、あの意気は嫌いではなかった。
何かあっても、孫娘とやらが上手く纏めている事だろう。
情報屋の彼女に関しては、別の意味で心配など要らないだろう。
転んでもただでは起きない彼女の事だ、そう易々とくたばりはしない。
そういえば、始めはただうざったいだけであったあの少年にも、色々と世話になったものだ。
似ても似つかぬその兄……一つを除けばとことん馬の合わなかったあの男も、その最期は随分と見事なものであったと聞く。今頃は、きっとお嫁さんと仲良くやっている事だろうか。
ああ、花嫁と言えば、あの少女も最初はそんな事を言っていた気がする。その癖、彼女自身はそれがどんなものかてんで知らない と来たが。
結局、彼女はそれが何なのか解ったのだろうか。
出会ったばかりの頃に比べれば見違える程に逞しくはなったが、その辺りについては何も触れてこなかった。当然、自分だって何も言ってはいないし、そのつもりもない。そういったものは、誰かに教えられるような事ではなく、自然と学んでゆくものだろう。
何より、自分が態々教えてやる道理も無いのだ。
今も昔もこの先も、自分にとっての“お嫁さん”とは唯一人――――
「あ……」
思わず、空の左手を見やる。
そこには何も無く……否、思い返せば鮮明に蘇る、確かなる温もりが残っている。
そうだ。そも、何故自分は復讐などを望んだ?
獣同然の生き方をしていた時もあったが、誰彼構わずに噛みつくような狂犬でも無し。
大きな比重を占めていたのは確かだが、既に燃え尽きた復讐だけが、自分という存在の全てであった訳ではない。
確かに、この写真に写る面々が集ったのは復讐の旅路であり、たった一枚のそこに、数えきれないものが詰まってはいる。
それでも、例え目には見えず形として残らずとも、今の自分の根幹を成す一番大切なものは確かに此処にある。何時だって傍にある。
「……そうだよな。もう、一人じゃないんだったよな。
悪いな、気付くのが遅くなっちまって」
そういえば、かつて今みたいに「変われない」と不貞腐れていた事があったが――思い返せばなんという事は無い。そんな自分のこの手を取ってくれる人がいて、握り返した自分は確かに変わっていた。ゆっくりでも、前へ歩み始めていた。ただ、それだけの事。
「っと……ちょっと興奮しすぎたか?」
思わず気が緩んだ所で、彼の長身がふらり揺れた。気の抜けきった時間を過ごしていた所為か、そろそろ“調整”が必要となる事すら忘れかけていたらしい。
或いはここで気づけなければ、このままこの世界で朽ち果てるまで立ち止まっていた未来もあり得たのかもしれない。
けれども、此方に来たからこそ、一度離れてみたからこそ、思い出せた事もあるのだろう。
そう考えれば、この寄り道にもきっと意味がある筈。
写真を懐へ納め、なんとはなしに襟を正す。
もう迷う事も、戸惑う事も無い。自分はただ、自分の道を歩むのみ。
今ならきっと、散々てこずったあのパズルも難なく解けるだろう。それぐらい、今のヴァンの気持ちは晴れやかであった。
「……そろそろ帰らせてもらうか。
丁度、大切な事も思い出せたしな」
◇◇◇
「……そろそろ、かしらね。
最初の話では、彼も帰りたがる頃合でしょうし」
初めて二人が出会った庭園の玉座。
照明を落とし、天蓋へ投影された星明りだけが照らす花園で一人静かに思い耽る少女の様は、まさに絵画の如きそれ。
秘めたる才覚や成し遂げた偉業といったものが無くとも、この瞬間だけを切り取ってみれば、およそ誰しもが見惚れる事だろう――その心の内を覗き込みさえしなければ。
「ねぇヴァン、貴方と過ごしたこの数日間……本当に、本当に楽しかったわ。
何もかもが新鮮で、刺激的で。貴方と過ごす一日一時間一分一秒が、まるで宝石のようだった。
……やっぱり私、貴方の事が好きになっちゃったみたい」
思い返すはこの数日。異世界より招きし来客と過ごした、僅か1週間にも満たない、しかし何十年分以上に輝かしく思える一時。
語る内容に偽りはない。
遊戯に興じれば見目年上として余裕を見せまいとしつつムキになり、何か話をしてみれば、理解できれば素直に頷き分からなければ右から左。出会った時より何も変わらない気だるげ雰囲気、覇気に欠けた表情。そして、瞳の奥に垣間見える、熱く激しい焔の残滓。
その存在を構成するおよそ全てがこの上無く魅力的であり、復讐に身を任せた流れ者 だという彼が、この世界の何処を探しても見つけられない程に高潔な存在に思えてならなかったのだ。
「だから、だからね……」
「もっと一緒にいましょう、ヴァン。
だがそれでも、決定的に異なる事がある。
彼女のそれは、飛びぬけた才覚故のずれ と許容できる範囲をあまりにも逸脱した、同じ世に生きるモノとして許容しかねる残酷さ。
少女にとって「好き」とは即ち「欲しい」であり、「欲しい」とは検討の段階ではなく、「手に入れる」という
そこに悩みは無く、あるのはより良い手段の選別のみ。そして、それも既に終えた。魅力を損なうことなく、更なる磨きをかけた上で、自ら首を垂れるようにする為の用意が。
無邪気に脚を揺らしながら空を仰ぎ見る瞳は底無しに深く、星々さえ飲み込んでしまいそうに暗い輝きを宿していた。
◇◇◇
「お」「あら」
そして、舞台はクライマックスへ。
二つの直線が交差する曲がり角、そこで男と女は出会う。
「良かった。丁度探していた所でしたの」
「奇遇だな、俺もだ」
共に得た答えを背負い、互いの道はその点で交わる。
その出会いもまた必然。歯車は依然、淀みなく回り続ける。
「まあ、立ち話もなんですし、詳しくは食事の時にでも話しましょう。
行き着く先は希望か はたまた絶望か
その答えは 神さえ預かり知らぬ事――