晴空の彼方   作:Hydrangea

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epⅧ. バカがヨロイで飛んでくる

「何よ……それ……」

 

 まるで心地よい夢から強引に目覚めさせられたかのように、少女の体中を駆け廻っていた高ぶりが急激に奪われてゆく。

 

 あれは何だ?

 あれ程の大きさの物が、それもほぼ完全なる人型が、たかが2本の細い足で大地に立っている?

 ヴァンが胸部へと収納された事からして有人兵器と思われるが、一体何を考えて「巨大な人型」なんてものを造る?

 いや、そもそもあれはどうやって現れた? 確かに次元連結ゲートは双方向性を有してはいるが、開いていた先にあるのは宇宙だけ。彼は通信できるような装置は一切持っていなかった。仮に体内に何かを仕込んでいたとしても、電波などはゲート備え付けの濾過装置に阻まれる筈……

 

 世の常識を超えた能力と自負とを持つ少女の頭脳を以てしても、眼下の大地に立つその巨人はあまりにも常識外れ。

 意図も目的も効率も理屈も、何もかもが彼女()の思考と理論からは遠くかけ離れていた。

 

『ダン……俺のヨロイだ。

 使えるものは何だって使っていい ってルールだったよな』

 

 そんな少女の心情に応えるかのように、白亜の巨人……ヴァンの言う「ヨロイ」から、良く通る声が返される。

 静かに、それでいて力強さに満ち溢れたその言葉は、先日まで含んでいた迷いや弱々しさがまるで嘘のようであった。

 

「そんな……そんなのがあるなんて、聞いてないわよ」

『聞かれなかったからな』

 

 余裕の笑みも消え、これまで幾度となく「逃げ口上」と切り捨ててきた言葉が、思わず自らの口から出る。それでも荒野に立つ男はどこ吹く風、欠片も悪びれる様子なくそう宣ってみせた。

 恐らくはそんな意図など微塵もない自然体(あるがまま)なのではあろうが、こと“最初のご挨拶”に関して言えば、間違いなく少女が一本取られた形となった。

 

 

 

 しかし、そうして少女が目に見えて動揺していたのも僅かばかりの事。

 すぐさま落ち着きを取り戻した彼女は、冷静に状況を分析し、その上で再び余裕の笑みを盾に、言葉の槍を構える。

 

「……まあ、いいわ。確かに、そういうルールでしたから。

 でも、そんなものを持ち出した所で貴方の勝利条件は変わらないわよ。

 大体、そんな大きさでどうやってタワーの中に入るつもり?」

 

 確かに、飛来時のインパクトには圧倒された。あの大きさで二足歩行を成せる程の技術力は、素直に驚愕すべき事ではあるのだろう。

 だが、あくまでも“それだけ”だ。上背が2mから20mとなっただけで、手に持つ得物は依然として原始的なるそれであり、己が手掛けし“難題”の数々と比較しても、その優劣は未だ覆らない。

 

 結局の所、たかが一個人が十倍程度に背伸びした所で、至高の叡智が結晶たるこの玉座との差が埋められる筈が無いのだ。むしろ、あの巨体では折角用意した蜘蛛の糸さえ使えなくなるばかり。

 仮にその剣で直接切り倒さんと臨む というのならば、それこそドン・キホーテもかくやのお笑い種。自らの城……今や世界の要石とも言えるそれに、招かれざる客への対応策が用意されていない訳がない。

 

「まさか、外壁をよじ登っていく なんて言わないでしょうね?

 いくら貴方でも、流石にそんな事は……」

 

 だから、その言葉にもさしたる意味など無かった。

 哀れみか嘲りか、失望か挑発か。少なくとも、彼女にとってはその程度のつもりでしかない()()()()()

 

 

 

 だが、世界は時として、ほんの些細な事で、何気ない一言や小さな所作の積み重ねなどで、いとも容易く盤をひっくり返してしまう。追い詰めていた筈の側が、一瞬の間に追い詰められている側へなり替わってしまう。

 まるで秋空の様な、乙女の心が如きその気まぐれさは、如何なる天才の慧眼を以てしても見通す事敵わぬもの。

 

 

『ああ、似たようなモンだ』

 

 故に、稀代の天才が絶対なる自信を持って築き上げた不動の玉座が、単なる流れ者の何気ない一言で揺り動かされてしまう事もまた、なんら可笑しな事ではないのだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その光景に、今度こそ完全に言葉を失った。

 

 あまりにも理不尽、あまりにも非常識……否、奇想天外。

 効率や合理性を突き詰めてきた彼女にとって、それはあまりにも規格外の行動であり、由々しき事態であるにも関わらず、真っ先に抱いたのは驚きでも焦りでもない「呆れ」一色。

 

 ヴァンの言葉と共に動き出した巨人――ダンは、その巨体からは想像もつかない程軽やかなステップで走り出すと、そのまま塔へ向かって跳躍。

 その全高を易々と超える跳躍力だけでも十分驚嘆に値するものであるのだが、そこから更に宙返り。剣を模した形へと姿を変え……あろう事か、そのまま真っすぐ頂上(うえ)を目指して飛び始めたのだ。ロケットもかくや という速度で だ。

 

 理由(わけ)の分からない人型機械、用途(いみ)の解らぬ変形機構。この上更に合体でもしていたのならば、間違いなく少女は頭を抱えていた事だろう。

 まるで古き時代の安物フィクションのような、夢であればまだ笑い飛ばせたその光景。しかし、それは空想の産物でも法螺話ではなく、今まさに迫りくる現実として、一直線に少女目掛けて飛んできているのだ。

 

 

 

「推測される加速度とタワーとの位置からして……チッ、なんでこうも都合よく……

 折角用意したSinとSenですら補足できないとか……バカじゃないの……」

 

 とはいえ、仮にこれが自分を欲しての事であれば、彼女とて両手を広げ歓迎していた事だろう。

 が、生憎と男が見据えているのは少女ではなくその更に上であり、彼女の立場は囚われのお姫様ではなく悪しき魔女。ままならぬ現実を受け入れすぐさま思考を切り替えた少女は、手元のコンソールより反撃の手札を探らんとし、しかし思わず舌打ちと悪態とを吐く事になった。

 はしたない事は重々承知。だが、思わずそうしたくなる程に少女の旗色は悪く、逆にヴァンの側は追い風がこれでもかとばかりに吹いているのだ。

 

 どういった計算の上か、はたまた偶然か。十分な距離を空けていたスタート位置からは大きく近づき、しかし()の表面は沿わず少しばかりの間を保つ形で飛び続けている彼我の間合いは、ヴァンにとっては何よりも快適な、少女にあってはこの上なくご都合の悪い最短距離(ショートカット)

 大気圏を離脱できるであろう速度を維持したまま、しかし絶妙な距離間を保ち続けられているが為に、彼女の有する手札……塔の本体や外縁へ配備した各種迎撃装置は、その有効範囲へ捉えるよりも前に網目をすり抜けられ、また確実性と齎される被害とを天秤に掛けてみても、「肉を切らせて骨を断つ」なんて無茶な運用は問題外。あまつさえ、ヴァンを最大限もてなす為に と無駄を承知で下層・中層にそれぞれ配備していた、その最大戦力たるAI兵器の2機さえ「知った事か」とばかりに土足で踏み越えられる始末。

 

 よもや意味不明な巨大人型兵器のみならず、あれだけのサイズにあれだけの機能を盛り込めるとは思ってもみなかっただけに、銃と剣とで切った張ったをする程度の文明レベル と内心高をくくっていたツケを、思わぬ形で払わされる事となってしまったのだ。

 

 

 

 ともあれ、今は悔しがっているその猶予すら惜しい。

 こうしている間にも、ヴァンは一切速度を緩める事なく上昇を続けているのだ。恐らくは本気でこのまま頂上まで一直線に飛んでゆくつもりであり、そしてあの巨人……ダンには、それを可能とするだけの性能がある。

 このまま悩み続けているのであれば、数分と経たずに少女の敗北が確定するだろう。

 

 なら、このまま諦めるのか? そんな自問は、テーブルにすら上げられず棄却された。

 それがどうした。手段が無い?それはあくまでも、小綺麗に何の労苦も無く勝利する という無意識下での前提(せいやく)があってこそ。多少のリスクに目を瞑れば、手段などいくらでも拓けるものであり、それだけの価値がヴァンにはある。

 何より、このままやられっぱなしでは己がプライド許さない。

 

 即断即決。十分の一秒にも満たぬ思考速度で結論をはじき出した少女は、再びの攻勢へと臨む。

 滑らかな操作で新たに床下から呼びだしたそのコンソールは、先程まで扱っていた物よりも遥かに大きく、重厚で、それが真実“ただならぬもの”である事の証左。

 踊るような指先で十重二十重の安全機構(セーフティ)を解いてゆくリズムは止まらず、自身の選んだ会心の一手が導き出す未来を想像して、少女の口から思わず笑みが零れる。

 

 ――そうだ。まだ自分にはコレがある。何者にも負ける事の無い、とびきり強力な一手が。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「よし、決めた!」

 

 複雑な機器類はおろか、ハンドルやレバー、ペダルやスイッチといったおよそ想像しうるMMIが一切見当たらないその球体空間(コクピット)の中で、ヴァンは高々と宣言する。

 

「向こうに帰ったら、まずはお前の墓参りだ。そんでその次は……次は……

 ……そん時に考える!」

 

 当然、搭乗しているのは彼一人であり、また外部へ通信している訳でもない。

 それでも、男は確かに語りかけていた。決して目には見えぬ、そのヒトへ。

 

 言わずもがな、体調不良が祟りとうとう頭まで という事でもない。

 “調整”を済ませた今の彼は健康そのもの。持て余す程の元気さの為か、久しぶりに半身(ダン)へと搭乗した為か、或いは別の何か――()()の為か。今の彼は、この世界に訪れてから一番サイッコー! もとい最高の気分であった。それは、正しく天にも昇る心地と言えよう。

 

 虚勢でも、勘違いでもない。彼は今、確かに心の底から笑っていた。

 永遠の夜など無い。凍てついた大地にもやがて春が訪れるように、どれ程長く暗い刻が続こうとも、必ず終わりが訪れる。夜明け(はじまり)がやってくる。彼の、()()の旅路もまた、新たなる始まりを迎えるのだ。今日、ここから。

 

 だが、その道は決して平坦なものでは無いだろう。

 現に今も、その前にはとびきり高く、そして険しい壁が立ちはだかろうとしているのだから。

 

 

 

「プラネットリンクへアクセス、管理者権限に基づき限定解除……O-S01.Saudade起動。

 主砲レーザー、出力20%……対象を設定、収束開始」

 

「軌道エレベーター管制システムにアクセス、タワー防護用電磁障壁の出力最大。

 次元間連結ゲート用電源を分離、余剰出力を全て追加」

 

「bead、basin、coat、shell、branch、全フロアのセキュリティシステムを一時停止。

 余剰出力を全て電磁障壁に追加。」

 

「全システム安全装置解除。目標(ターゲット) 補足(ロックオン)

 

 まるで音楽を奏でるかのように、立体投影されたキーボードの上を指が舞い踊り、大小様々なスクリーンが現れては消えてゆく。

 これより少女が切らんとする手札は、彼女が保有する6つの最大戦力の中で最も強く、最も恐ろしい最強の鉾。その気になれば、小国一つ有無を言わさず灰燼と帰す事さえ可能な衛星兵器。少女という存在(いち個人)が、世界を相手にして尚余りある抑止力たる一振り。

 それを、あろう事か全世界にとっての要衝たる軌道エレベーターの間近で、それもたった一人の人間に対し用いようとしているのだ。

 

 無論、軌道エレベーターの倒壊を防ぐ為の手段を講じてはいる。それでさえ多少の被害は免れないが、逆に言えば「それだけ」で、通常の迎撃装置群はおろか、配備した2機のAI兵器でさえ捉えきれない相手を確実に墜とす事ができるのだ。

 例え重力の枷すら飛び越える速度であろうと、目的地が明確である以上待ち受ける事など造作も無い。それが、少女の下した判断。

 

 だが、それはあくまでも計算上の理屈、およそ一切の情を排した機械的な判断でしかない。

 例え血で血を洗う戦火の中であっても、越えてはならない一線がある。無抵抗の赤子へ大剣を振り下ろすにも等しいその行為は、人としての理性と感情があればおよそ戸惑いを抱くものであり、人が獣へ堕し戦いから尊厳を奪いかねない最後の一線。

 

 

 

 それでも、少女の指使いは止まる所を知らず、あまつさえその鮮やかさを増してゆくばかり。

 

 大衆の作る「常識」に操られるのではない。その欲望を満たす為に、理性や感情を支配する。

 人としての尊厳などという御大層なものも、所詮は上に立つ者達が勝手に定めただけのもの。ならば、自分がそれに縛られる道理など無い。

 自らを律するのは自分ただ一人。他の誰でもない

 

「ああ、黙ってやっちゃうのも可哀そうよねぇ。

 ちょっと時間も余りそうだし……」

 

 思ったのが先か、行動したのが先か。

 少女は、既にかなりの高度にまで迫っていた、ただひたすら真っ直ぐに此方を目指す愚者の剣へと通信を飛ばす。

 

『おお、なんだ!?』

「はぁい、ご機嫌いかがかしら?」

 

 異世界の周波数事情など定かではないが、そこは数瞬で言語さえ調整してみせた少女。やや質は荒いものの無理やりに通信を繋げ、少女の手元には面食らった男の顔が、ダンのコクピット内には満面の笑みを浮かべた少女の顔が一面に映し出される。

 

「ちゃんと()()()にしたいんですもの。この目に焼き付けておこうと思ってね」

『ああ? 何言ってんのかwakar』

 

 それも僅か数秒。音が飛び、画像が乱れ、通信が途切れる。

 やや名残惜しくもあるが、やるべき事がある以上は仕方が無い。これが終われば、時間など幾らでも都合できるのだ。愉しいおしゃべりは、その時にでもゆっくりとすればいい。

 

 全ての準備を終えた静かなる殺戮者が、小さき主へ無言でトリガーを献上する。

 後はそれを引くだけ。そうすれば雷は放たれ、青い鳥は自らの手の中へと落ちてくる。そして、少女にそれを躊躇う理由も、必要も無い。

 

「大丈夫よ、ヴァン。もし死んじゃっても、ちゃんと生き返らせてあげるから。

 貴方が貴方である限り ね」

 

 

 

 何よりも早く“それ”に気が付いたのは、長年の経験により培われたヴァン自身の勘であった。

 漠然とではあるが、空の上から何か途轍もないモノが降ってくる。そんな予感がしたのだ。

 

 果たして数瞬の後、コクピット内に最大級のアラートが鳴り響く。ダンに搭載されたセンサーが、遥か上空にて爆発的に高まる熱量を感知した為である。

 まるでせっつくかのように、警告で真っ赤に染まってゆくコクピット。幾らダンがE.Iにおいて最強の7体――オリジナルセブン専用機の一つとはいえ、推定されるエネルギー量の攻撃をまともに受けて無事でいられる確率は極めて低い。

 

 だが、そんな危機的状況にも拘わらず、まるで曇り一つ無い鏡の様に、ヴァンの心中は波風一つ立ってはいない。

 彼には確信があった。例え天が割れ、大地が砕け、世界の終焉が訪れようと。胸に宿るこの絆だけは、誰にも壊せないという確信が。

 

「――大丈夫だ、エレナ。俺はもう迷わない。

 二人なら、お前が一緒なら――」

 

 纏わりつく赤をかき消し、その空間が白い輝きで塗り替えられてゆく。

 

 一人の男と一振りの剣。そして、男がその全てを賭けて愛を誓った一人の女とが、今一つになり――

 

「どんな壁だって……乗り越えてやるぜぇぇぇぇぇっっっ!!!!」

 

 その闇を、二人の未来を阻まんとする魔の手を、真正面から断ち切った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「……嘘でしょ……あり得ない…………

 いくら抑えたからって、一体どれ程の出力だと思って……」

 

 満面の笑みは、やがて驚愕へ。血走るほど目を剥いても、その光景は見間違いなどでは無い。

 

 放たれた雷……少女が放った会心の一手を受けて尚、その剣は未だ健在。勢い衰える様子もなく、胸へ抱いた熱情(おもい)を糧に、どこまでも愚直に素直に真っすぐ、頂を目指し続けている。

 これまでどんな存在であろうと等しく、そして一方的に蹂躙してきた、必勝にして必殺の一矢。軌道上の衛星より放たれる大出力レーザー砲……技術躍進著しい現代においても尚オーバーテクノロジーの塊とされる、文字通りの切り札。それを、あろう事か真正面から切り裂いてみせたのだ。

 

 奇しくもそれは、かつて同名のヨロイへ相対した時と同じ構図であった。

 ダンのモチーフである剣を模した大気圏突入形態を存分に――ヴァンにあっては半ば本能的に――生かし、更には刀身を包み込むような形で電磁シールドを展開。重粒子ビームを難なく払いのけたように、それを遥に上回る神の雷霆さえ両断し得たのだ

 

 一歩間違えれば、それでなくとも戦術とは呼び難い捨て身紛いの特攻。しかし、彼は現実にそれを会心の一手へと昇華せしめた。

 否、一人で成し遂げたのではない。

 それは、地球(マザー)の技術と新たなる可能性の融合。ヨロイと人の心との合体。彼ら()()の力が合わさってこその奇跡(ひつぜん)

 

 

 

「……っあ…………」

 

 思わず脱力し、首を振って力なくその現実を拒まんとする少女。だが、鳴り止まぬ警告音はそれを許してはくれない。

 

 一転、今度は少女の周囲が真っ赤に染まる。

 切り弾かれたレーザーの残照はその想定から大きく外れ、周辺施設や軌道エレベーター本体にまで、看過できぬだけの被害を齎していたのだ。今すぐには崩壊しないとはいえ、放置していればその傷はじわりじわり確実に広がってゆくだろう。

 

 だが、今の少女にそれらを気に掛ける余裕すら無かった。

 痙攣したかのように背筋を跳ね上げてコンソールにかじりつくも、乱暴にキーを叩いた所で状況は好転せず。初めから選択肢の外であった迎撃兵装群や二機のAI兵器は言わずもがな、今や軌道エレベーターそのものの維持にさえ赤信号。ダンの上昇速度から言っても、先の一射以上の攻撃力かつ倒壊を防ぐ為の策を同時に敷くには、時間もエネルギーも、何もかもが足りていない。

 

 元より、先の一射でさえ本来の運用から大きく外れた無茶を、綿密な計算で無理やり通す綱渡りであったのだ。少しどころではない計算違いの代償は、あまりにも大き過ぎた。

 

 

 

 そして、音を立てて崩れはじめたのはその玉座だけではない。

 希代の頭脳を以てしても計りしれない男の力と、脳裏にちらつきはじめた「敗北」のビジョン。揺らぎはじめたその精神(こころ)は、自然今まで見向きもしなかった負のイメージばかりを捉えてしまう。“可能性”という名の魔物に、少しずつ少しずつ首を絞められてゆく。

 

 ――もしかしたら、ヴァンはこのまま元の世界へ帰ってしまうのではないだろうか?――

 

 確かに、少女がヴァンへと提示した勝利条件は「自分の下へと辿り着く」となってはいる。しかし、それはあくまでも彼をE.Iへと送り届けられる術……例えば、自動操縦の個人用シャトル といったものを保有しているのが、この世界において彼女ただ一人である という前提があってこそのもの。

 彼がダンを呼び寄せられた事からも判る通り、次元連結ゲートはその構造上他システムからは独立しており、一度起動した時から常時開かれたままとなっている。再三の通りダンが単独で大気圏離脱が可能なのは間違いなく、ゲートへ辿り着けるかなど言わずもがな。

 

 つまり、その気になれば彼だけの力で……少女の力を借りずとも、ヴァンは帰る事が出来るのだ。出来てしまうのだ。

 

 

 

 

 視界が歪み、口腔が乾く。

 気づけば、自然とそのボタンへ手が伸びていた。

 

 万が一トラブルが発生した時の為に用意した、次元連結ゲートの緊急停止装置。誤作動を防ぐ為に厳重なロックが掛けられてはいるものの、少女の頭脳にしてみれば玩具の南京錠程度でしかないそれは、今この状況においてはさしたる抑止力足り得ない。残る壁と言えば、ボタンを覆う薄いガラス一枚ぐらいのもの。

 それを押しさえすれば、その瞬間にも全てのシステムは停止し、瞬く間にゲートは閉じられる。そうなれば、少女が何か行動を起こさない限り、少女が許さない限り、ヴァンは元の世界に帰る事が出来なくなる。彼女の下から離れられなくなる。

 

 無論、それが“良くない事”なのは十分承知している。しかし、虚ろな瞳はボタンを捉えて離さず、狭まる視界は他の選択肢を悉く閉ざしてゆく。

 

 大義も理由もある。誤解を与えるような行動をとったのも、提示した条件に基づく勝負を放棄するような素振りを見せたのも向こうが先だ。単純な彼を丸めこむ言葉など、いくらでも取り繕う事ができる。如何なるものであれ、使えるものを最大限利用するのがこの勝負の趣旨。自分の選択は、何ら間違ったものではない。間違ってなどいない。自分は正しいのだ。

 

 微かに震える腕を押さえつけながら、ボタンへと伸ばす。

 ひと押しさえすれば、決着は付く。全てが終わる。迷う事も、躊躇う必要も無い。 

 その手で

 勝利を

 掴みとれ――

 

 

 

 

 

 ――自分を曲げないお前には、ラッキーが来るかもな――

 

 

 

 

 

「あああああぁぁぁっっっ!!」

 

 鈍い音が、静まり返った部屋に響き渡る。

 展開されたゲートに依然変わりは無く、ディスプレイへ映るダンも順調に高度を上げ続けている。緊急停止用のボタンを覆うガラスは罅一つ無く、その蝶番には歪みさえない。ただ、そこへ叩きつけられた少女の白い手だけが、薄らと赤色を滲ませていた。

 

 彼女自身、もはや一体何が今の自分を突き動かしているのか判らなくなっていた。どうにもならなくなって自棄になったのか、それとも、理屈も道理をもひっくり返す程の“何か”の為か。

 だが、少なくともその選択だけは。それだけは()()()()間違いではないという確信があった。ただの偶然で拾っただけの流れ者を、決して自分に首を垂れ無い彼を、信じてみようと思ったのだ。

 

「まだ……まだ終わっていないわ。

 勝利条件は此処への到達。なら、それを防ぎさえすれば良いだけの事!」

 

 プライドも仮面も、文字通りベールさえかなぐり捨て、最後の反撃に臨まんとする少女。

 人形のような愛らしさも無くなったその貌はしかし、これまで数多の人間に向けていたどんなものよりも生気に満ち足りていた。

 

 そうして鬼気迫る表情で一心不乱にキーを叩いて呼び起こしたるは、彼女の城たる軌道エレベーター……より正確に言えば、その中でも最重要区画のみを守る事にのみ特化した最強の盾。使命を果たす為であれば、区画のみを切り離し塔本体の倒壊さえ厭わぬ無敵の守護者。

 ドーム状の外壁の縁から何本もの柱がせり出し、残されたありったけのエネルギー――次元連結ゲート維持の為の必要最低分を除いた、それこそあらゆる施設や設備を運用する為のもの全て――が投じられたその電磁障壁が、眩いばかりの光と共にその区画を包み込んでゆく。

 

 幾重にも重ねられた流動性()のエネルギーシールドは、如何なる衝撃や熱なども、それこそ達人の業が如く巧みに受け流し、分散させ、あるいはシールドそのものを爆ぜさせる衝撃を以て、降りかかる害悪を決して内部へと通しはしない。

 仮に正面から突破するのであれば、それこそ万物を打ち砕く程の圧倒的なパワーと、針の穴を通す精密さ。そして何より、コンマ1秒単位で変動を続ける“流れ”を全て読み切る程の計算力が必要となるだろう。

 こと「防衛」という土俵であれば、未だ世間では抑止力の名目で保有され続けている旧時代の悪しき遺産ですら、これの前では豆鉄砲同然でしかない。

 

 

 

「まかり間違っても、単なる力まかせでは押し通せなくってよ!」

「通してみせるさ!」

 

 勿論、それをこの男が知る筈も無い。よしんば知っていた所で、その仕組みが理解できるとも思えない。

 

 だが、そんな事など関係無いのだ。

 例え相手が聖人君子と称えられる存在であっても、気に食わなければ頭は下げない。土足で踏み入ってくるのであれば、容赦なく叩き返す。どれ程罵られようと、馬鹿にされようと、それが自らの意思であるのならば、決して曲げはしない。

 

 まるで子どもの様に、純粋で、真っ直ぐで、馬鹿な男。

 そんな彼が「押し通す」と決めたのだ。小難しい理屈など物の数ではない。その程度では、彼の決意は微塵も揺らぎはしない。

 

 やがて、ダンが少女の居る高度へと辿り着き、そのまま通り過ぎてゆく。

 しかし、その瞬間が訪れても、少女の瞳に迷いは無く、またそんな彼女に応えるかの様に、ヴァンもまたE.Iへと続くゲートには目もくれていなかった。

 

 道は交差し ぶつかり合う 

 大きさも、長さも、進む先も。何もかもが異なる二本の線は、確かに重なり合っている。同じ場所に有る。

 

 賽は投げられた。立つのは二人、勝者は一人。

 ならば、どちらかが倒れなければならない。どちらか一方だけが、勝ち残らねばならない。

 

 いつしか止んでいた雨と天上の星々だけが見守るその宇宙(こうや)で今、(GUN)(×)(SWORD)とが相まみえる――

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その光景に 息を呑む事さえ躊躇われた

 

 静まり返った夜空を背に、巨大なヒトガタへと姿を変えたその剣は、手に持つ刀を高々と天へと掲げる。

 これから自分を打ち負かさんとしている相手であるにも拘わらず、その姿が、その眼差しが、とても格好良く見えてしまったのだから――

 

 

 

 その光景に 思わず心が震えた

 

 これから自らの手で打ち破らんとする相手であるにも関わらず、思わず見惚れてしまったのだ。美意識なんてものとは縁遠く、一歩間違えれば地獄のディナーショーでも門前払いを食らいかねないこの自分が だ。

 

 機能一辺倒であった塔の本体とは対照的に、眼下に広がる終着点(ゴール)……少女がいるのであろうその区画には、様々な彫刻などがいくつも施されており、光り輝く電磁シールドと相まって、まるで一つの芸術品のようですらあった。

 並び立つ磨き上げられた支柱に、その先端で輝くシールドの出力装置。純白の天蓋に細やかな装飾(デコレーション)が丹念に施されたそれはまるで――

 

「……ああ。そういや、結局できないままだったんだよな……」

 

 偶然にも、先日そんなものを目にしていた為だろうか。ヴァンは自然とソレを連想していた。

 少々突飛な発想ではあるが、もしかしたらこれも何かの縁なのかもしれない。もしそうであるならば、いるかも判らない(やつ)に感謝したところで、罰は当たらないだろう。

 そんな事を考えながら、思わず笑みが零れる。あの日成し遂げられなかった“続き”を、この新しい門出と共にするのも、案外悪くないかもしれない。

 

「丁度いい。随分遅くなっちまったが――――」

 

 掲げられた刀に、蒼い液状の物質――展開されたゲートを通じてE.I宙域より引き寄せられたG-ER流体が収束してゆき、やがて一振りの刃を形成してゆく。 

 一人では到底支えきれない巨大な刃。当然だ、それを支えているのは独りではないのだから。

 

 真紅に煌めく刃が振り下ろされんとしたその時、少女にははっきりと見えた。タキシードに身を包む男の傍らでその手をとる、美しき花嫁の姿を。

 

 

 

 

 もう二度と、彼は迷わないだろう。

 確かに、彼一人では何もできなかったのかもしれない。何も変われないのかもしれない。だが、彼はもう独りでは無いのだ。

 

 何もなかった自分に、何も出来なかった自分に、その手を差し伸べてくれた女性(ひと)がいた。

 暴力しか知らなかった自分の手を握ってくれた女性(ひと)がいた。

 何も知らずモノクロ(たんじゅん)だった自分の世界に、虹を描いてくれた女性(ひと)がいた。

 

 そんな彼女に男は誓い、そして女もまた、そんな彼に誓ってくれた。

 彼がその思いを忘れぬ限り、彼女もまた彼を想い続けてくれるだろう。

 その(ちかい)が永遠であるように、彼女は何時だって一緒に居てくれるのだから。

 

 

 

「ケーキ、入刀だあああぁぁぁっっっ!!」

 

 その日、その時。荒野に一つ、祝福の鐘の音が鳴った。

 聞く者はおらず、祝福する者ももういない。

 しかし、その音は確かに鳴り響いた。

 空へ 天へ その上にまで届くように 高らかと――――

 

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