晴空の彼方   作:Hydrangea

9 / 10
二話同時投稿(1/2)


epⅨ. 空に自由を 地には夢を

 右も左も天も地も 何も見えない分からない

 そんな暗闇の中を、少女は漂っていた。

 

 果たして、どれくらいの間そうしていたのだろうか。やがて破られた静寂の後に広がっていたのは、いかにも前時代的な古ぼけた映像――とある人間の視点から綴られる、人生という名の物語。

 

 ああ、きっとこれが走馬灯のように というものなのだろう。

 ぼんやりとした感覚のまま、何とはなしにそう思う少女。「直前の出来事から」してもそれが自然なる流れであり、なればこそ、どれだけ目を瞑ろうと叶わないのも道理。

 

 そうして、ただ一人の為に用意された劇場の幕が上がる。

 それは、現在の少女という存在を成す根幹にして、同時にそれを崩しうる唯一無二なるもの。その頭脳を以てしても解く事のできなかった――否、「解こうとしなかった」命題。心の奥底へしまい込んでいた筈のそれが今、記憶の再生と共に氷解されてゆく。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 物語の始まりはただ劇的に。聞き手の事などまるで気に留めない、過剰なまでの刺激の濁流。

 本来であれば無意識の内にこそ認識されるだけの演出(それ)はしかし、生まれたその時より()()()()()少女には捉えられてしまっていた。

 

 故に壊される 目を 耳を その心さえも

 

 

 

 暴力的なまでのプロローグの後に続くのは、先程までの展開が嘘のように落ち着いた、まさに順風満帆と言うべき展開。

 だが、秘境の如きその絶景も、ほんの少し見方を変えるだけで、まるで騙し絵の様に一瞬でその姿を変えてしまう。暗く汚い、魑魅魍魎の跋扈する吹き溜まりへと。

 

 神童と謳われていた幼少の頃から、既に彼女の心は打算で薄汚く塗れていた。

 

 子どもの頃というのは、例えそれが些細なことであっても、少し優秀さを見せさえすれば、周囲の大人達は何かと注目してくれるものである。まして、彼女程の能力であれば尚更の事。庇護してくれる大人の関心を惹く事は、力の無い幼子にとっては非常に重要な生存戦略の一つであり、それ自体はごく自然な、何ら罪あるものではない。

 

 だが、それを加味しても尚、彼女のソレはあまりにも悪意で満ちていた。

 無知故の、幼さ故の邪気無きものとは違う、計算と欲望とに満ちた姦計。その足跡を無為と断じ先人を乏しめ、自らの立場を上げる為、他者を踏み台とし蹴落としてゆく。わずか十にも満たぬ少女がそんな事をしていると、一体だれが想像できようか。

 

 その後に続く“偉業”の数々も、所詮はその延長でしかない。

 自然は大切なものだから。貧困や差別は良くない事だから。子ども達が死んでしまうのは可哀そうだから。それらが社会的な美徳(良い事)とされているからこそ解決した。ただそれだけ。心の底から湧きあがる衝動でそれらを成した事など、ただの一度たりともありはしない。

 

 全ては自身のエゴ。

 皆が自分に注目してくれるから 必要としてくれるから 皆の中心で在り続けられるから。

 ソウスレバモウステラレルコトナンテナイカラ

 そう考えた為でしかない。

 

 

 

 だが、世界はプログラムではない。現実はシステムなどではない。机上での計算通りに働きかけた所で、その通りに応えが返ってくる事などありはしない。

 

 時として己でも御しきれぬ感情で生きる人間は、確かに馬鹿なのかもしれない。だが、それは決して救いようのない愚かさでも、まして罪である筈も無い。何度も躓き、それでも前を見て歩き続ける事ができる、愛すべき愚者達。それこそが人間なのだ。

 そんな人間を、一切の不確定要素(かんじょう)を排した計算づくの行動だけで変えられるだろうか?

 

 否 断じて否。

 心が無ければ、心に伝わる事などあり得ない。心無きモノに、心を動かす事などできはしない。

 

 例えそれを妄言と切り捨てたとしても、冷静に考えれば解る事だ。

 少女はいつだって、俯瞰でしかものを視なかった。彼女の行動はいつだって、一方通行だった。

 形だけ取り繕った善意を一方的に押し付け、相手がそれを持て余せば勝手に怒り、あまつさえ「失望した」などと言う。全く以て笑えない。そうして見下し続けていていた世界(もの)を何よりも求めていたのは、他ならぬ少女自身だというのに。それらに依存しなければ、自分を保つ事すらできないのに。

 

――ああ ようやく理解できた――

 

――世界が冷たいのではない 人の心の温かさはまやかしなどではない――

 

――何よりも冷たかったのは 自分(わたし)の心だったのだ――

 

 

 ◇◇◇

 

 

「……ろよ、オイ。起きろってば」

 

 ここ数日ですっかり聞きなれた声。ぶっきらぼうで覇気の無い、けれどもどこか安心できる。そんな呼び声で、少女の意識は仄暗い海から引き上げられた。

 

「生き……てる……?」

「見りゃ分かんだろ」

 

 思わず零れ出たらしからぬ発言にも律儀に返したのは、計算も駆け引きもなく、良くも悪くも言葉通りの表情を浮かべたその男、ヴァン。

 年齢不相応に気力を欠いた顔は、ここ数日で何度も見てきたにも関わらず、随分と久しぶりなものに感じられた。

 

 周囲を見渡してみれば、整えられた庭には瓦礫が散乱し、椅子に備え付けられた電子機器類は過負荷で火花を吹いてはいるものの、火事だ爆発だの気配も無し。少女自身も、椅子ごとひっくり返った為かドレスが煤まみれにはなってしまったが、それ以外に怪我らしいものも見当たらず。

 一番目立つものといえば、天上から覗く巨人が遠慮なしに空けたであろう大穴ぐらいのものか。

 

 その衝撃で気絶してしまった少女が知る由も無いが、あの時振り下ろされたヴァンの最初で最後の一撃は、それ自体の切れ味は元より、何か超自然的な力でも働いたのか、はたまた直感さえ上回る信念の賜物か。障壁の構造上最も脆くなる瞬間と点とを寸分違わず貫き、絶対的なるその防御を一刀両断。理論上は数億分の一にも満たない確率を、天に祈って手繰り寄せるでもなく自らの力で強引に掴み取ったのである。

 

 しかし、彼がしたのはそこまで。振り下ろされた剣は天蓋を破るに止まり、その刃が少女を裁く事は無かった。

 そちらにまで気が回っていたかはさておき、外周へ緊急展開された防護障壁 なんてものは当然として彼の頭には無く、こうして二人揃って高高度の宙へ吸い出されるでもなく無事? 今に至るという訳である。

 

 

 

「……私の、負けね……」

 

 ともあれ、少女の敗北である事に変わりはない。

 当初想定していたものとは大分違うとはいえ、「少女の下に辿り着く」という勝利条件を、ヴァンはその予想を覆しながらも十二分に満たしたのだ。

 他でもない最後の一手を少女自ら選んだ時点で、それに意義を唱えるつもりも無し。

 

「……止めを刺したら?貴方だって、恨みやらなにやらあるでしょうに」

 

 故に、彼にはその権利が与えられる。

 生かしたまま辱めるもよし、じわりじわりと甚振りながら切り刻むもよし。

 敗者の命を、尊厳を、その全てを。弄び踏みにじる事が、勝利者たる彼には許される。これまで少女がそうしてきたように。

 

 

 

「あ? 何言ってんだ、お前。

 なんで俺がそんな事しなきゃならねぇんだよ」

 

 ――尤も、それはあくまでも「その気があれば」という前提に基づくものではあるが。

 

「わ、私は貴方を一度殺そうとしたのよ?

 それでなくとも、一歩間違えれば貴方の人生は滅茶苦茶だったのに……」

 

 仰る意味が分からない といった表情のヴァンだが、そんな顔をしたいのはむしろ少女の方。

 一方的に巻き込まれた側からしてみれば、一連の少女の行いは理不尽極まるものでしかない。勝手に連れ去り、無理を通して拘束し、あまつさえ身勝手な理由で殺されかける。幾ら世界が文明のレベルから異なるとはいえ、同じ人間として、そう簡単に流せる事でもないだろう。

 少なくとも少女には、彼が叩かれたのとは逆の頬を差し出すような聖人君子には到底見えないし、実際にそうではあろう。

 

「俺だってダンを使ったし、色々と面倒な事に巻き込まれるのはもう慣れてる。

 それに、そもそもこれは命の()り合いなんかじゃねぇだろ。

 今の俺の目的はただ、帰る事だけだ」

 

 その上でしかし、彼は慈悲でも温情でもなく、どこまでも身勝手なる自分の意思(わがまま)で押し通る。

 そも、始まり(スタート)目的地(ゴール)も、その尺度からして違うのだ。腹に一物二物抱え込んでいた少女とは異なり、最初から最後まで彼が抱くものはただ一つ。ヨロイを持ち出したのも防衛システムの悉くを破ったのも、その為の手段と過程が生み出した単なる足跡であり、それが一番手っ取り早いと思ったが為。そして、目的を達成した以上、もう剣を振る理由も無い。

 

「でも「あーもう! しつこい!」…」

「俺はそんな事したくない! そんな事させるな!

 ……それでいいだろ」

 

 なおも渋る少女を一蹴し、ヴァンは面倒くさそうにそう言いきる。

 何も難しい話ではない。要するに「嫌なものは嫌」ただそれだけ。彼が断わる理由など真実それくらいしかないのだから、隠す事も取り繕う事も無い。飾りも偽りもせず、ありのままを気持ちだけを少女へと伝えるのみ。

 

 

 

「それは……

 

 それでもまだ割り切れない様子の少女ではあったが、それ以上の言葉は続けられず。

 突如として激しくせき込んだ少女の口から代わりに出てきたのは、焼け焦げたかのようなどす黒い血。とっさに抑えた手からも零れ落ちる勢いは、只でさえ色白であったその顔をみるみるうちに青ざめさせ、起こしかけた身体もたちまちに崩れ落ちる。

 

 素人目に見ても分かる、明らかな異常事態。だが、反射的に駆け寄ろうとしたヴァンを制したのはしかし、誰よりも冷静であった当時者たる少女自身。ひとしきり咳き込み終えるとそのまま口元を拭い、努めて普段通りの笑顔を浮かべた。

 だが、その虚ろな瞳、口の端から垂れる血、少しでも気を抜けばそのまま倒れてしまいそうな姿の、なんと弱々しい事か。

 

 

「大丈夫、よ。“コレ”は、()()感染症なんかじゃ……ないから、

 貴方に伝染す(うつ)る、心配は……無いわ。

 何なら、調べていく? まあ、病気なんか、とは……縁遠そう、みたいだけど……」

「いや、そんな事よりも自分の心配しろよ。

 よくわかんねぇけど、お前だったら何とかできるんじゃないのか?」

 

 彼の言い分は尤もであり、また事実の一端でもある。

 確かに、少女は自らが患っているモノが何なのかを仔細に至るまで把握してはいるし、実際に治す()()であれば、既にその手段も見つけてはいる。この世界における彼女の影響力を鑑みれば、「わかっているけれども実行ができない」なんて事はまず無く、それこそ一声かければ、例え無数の「些事」を踏み潰す結果になっても、必要なものは立ちどころに集められるだろう。

 

「いいのよ、これは……そうね。

 いうなれば、私にとっての寿命(タイムリミット)……みたいなもの、なのよ。

 治さないのは、単にそれが……嫌だから、したくないだけ。

 貴方が言うのと同じように ね」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 “それ”がこの世界を騒がせたのは、果たしてどれくらい前の事であっただろうか。

 

 とある島国の、何の変哲も無い一つの町から前触れも無く始まったその“流行り病”は、その原因も感染の経路も分からないまま、既存の如何なる対処法もまるで寄せ付けずたちまちに世を席捲。上は名家の子息女から下は名も無い浮浪者まで、白黒紅黄の区別なく只々人間()()を、まるで意思でもあるかのように喰らい続けていった。

 

 最終的には、汎発流行(パンデミック)を重く見た少女自ら手段を選ばず虱潰しにしてゆく事で事態は収束。

 そうなってしまえば……或いは少女が関わると決めたその時から、喉元過ぎればなんとやら。ただ幸運だっただけの人々(いきのこり)が「悲劇の歴史」として昨日へ捨て置き、最大の功労者たる少女への美辞麗句を並び立て「いつも通り」の日々へ戻ってゆく……中でしかし、ソレは最後の最期で人知れず牙を磨き続けていた。自らが感染す(いき)る術をかなぐり捨て、ただ一人を殺す為だけに己を変異させ(つくりかえ)、白くか細い喉元へ致命の一撃を突き立てるその瞬間まで息を潜め続け――遂に、その呪いじみた執念を花開かせた。

 

 無論、少女とて病魔風情に黙って好き勝手を許す筈も無し。

 例えそれが凶悪なまでの変質を遂げていようと、既にその肉体を末期状態にまで蝕んでいようとも、彼女を彼女たらしめるその頭脳が歩みを止める理由とはならないのだ。

 

 そうして、すぐさま一先ずの進行を抑える薬を開発し、また程なくしてその分析も完了。謹製のワクチンさえ効かなかったそれに対する完全なる「治療方法」へと至り――しかし、それが実行される事は無かった。

 研究に用いた資料や機材は全て処分され、彼女の頭の中を除き記録という記録は一切残らず、こうして今日に至るまで、劇薬同然の延命措置(そのばしのぎ)で穴だらけとなった寿命を限界まで薄く薄く引き伸ばし続けて……それでも、根本的な解決は成されなかった。成されてこなかった。

 

 それは何故か。

 先の通り答えはいたって単純、「やりたくなかった」ただそれだけ。少なくとも当時の少女は、一時の苦痛から逃れる為に永遠の地獄――治療の域を超えた、定命の枠組みを取り払う「改造」、有史以来人類が求めてきた理想の一つである「不老不死」――へと踏み込む蛮勇を持ち合わせてはいなかった。

 聡明ながらも/だからこそ、終わりなき旅路をたった一人で続ける事のおぞましさなど、考えたくも無かったのだ。

 

 或いはだからこそ、こうしておとぎ話のような同伴者(おうじさま)を求めたのかもしれない。

 もしこの勝負へ勝っていたのなら、そんな深淵へ身を投じていた未来もあったのかもしれない。

 かつてヴァンであった人形を傍らに、夢心地のままその叡智を溶かしていたかもしれない。

 

 だが、それらも全ては“もしも”の話。

 (たが)が緩んだ事もあってか、これまでは精神力一つで誤魔化し続けていた身体には立ち上がる余力すら残っておらず、しかし欲した物はその手をすり抜けていった。

 何より、この上無い屈辱を喫したというのに、心のどこかでは「これでよかった」なんてらしからぬ思いを抱いてしまっていた。汚れきったこの手に触れなかったからこそ、宝物はその輝きを損なわなかったのだと。自らの手で傷づけてしまわずに済んだと、過ち(まけ)を認めてしまっていた。

 

 ――ああ。本当に、らしくないなぁ――

 

 既に罅割れていた笑顔の仮面も剥がれ落ち、自嘲気味な笑みが血と共に零れ落ちる。

 それで多少なりとも毒気が抜けたのだろうか、少しばかりではあるが、その気分も軽くなった。

 

 ――まあ、もう遅すぎるのだけれどね――

 

 

 ◇◇◇

 

 

「……そうかい」

 

 弱々しくも真摯なる述懐を最後まで黙して聞き続けた男は、ただ一言そう呟くと、帽子を目深に被り直し踵を返した。

 

「随分と、薄情じゃない……。止めたりは、して…くれないの……?」

 

 そんな彼の背に、少女は冗談めかした様子で言葉を掛ける。

 薬で延命を続けているとはいえ、苦痛を感じていないという事もなく、またどれだけの付き合いであろうと免疫がつくものでもなし。まして、今度こそ本当の死に瀕し抗う力の欠片も残っていないとなれば猶更。

 それでもなお変わらぬ態度をとり続けるのは、敗北を受け入れた彼女なりの最期の強がりか。

 

「お前が自分で選んだ道なんだろ? なら、俺が言う事なんざ何もないさ」

 

 緩やかなる歩みを止めないまま、決して振り返る事はなくそう返す。向かうのは勿論留め置いてあるダンの下であり、目指すのは彼の故郷。

 ゲートが閉じられるまでの時間には十分過ぎる程の余裕はあり、交通手段も確保済み。健康面においても不安はゼロ。無いのはただ一つ、此処へと残る理由――帰らない理由のみ。

 

「そこは……「じゃあ一緒に来るか?」ぐらい……言っても、いいじゃない。

 こんなにも……薄幸の美少女を、放っておくだなんて……酷いヒト、ね……」

「悪いが、俺は童貞なんだ。お前の相手は務めてやれないよ」

「何、それ……。ふふ、変なの……」

 

 安い憐みもなければ容易く情に流される程軽くも無し。精一杯のか細い声さえ変わらぬ物言いで切り捨てるその姿に、死に体ながらも思わず呆れ笑いがこみ上げる。

 

 ――そう、自分にはこうして最期の瞬間まで、どこまでも傲慢に嘲笑(わら)う姿こそ相応しい。

 それこそが、世に君臨した万能の天才としてのあるべき姿、世界が求めた少女という存在の価値そのもの。それを、一時の情に流され末期を汚すなど以ての外。

 

 

 

 嗚呼、だというのに。遠のいてゆくその背を眺めている内に、今に思えば短くも掛け替えの無い夢のような日々(すうじつかん)が思い出される内に、その胸の奥底からはどうしようもない「寂しさ」が湧き上がってきた。

 

 

 

「今ならわかる……いいえ、ようやく向き合える というべきかしら。

 貴方に惹かれた本当の理由はきっと、その真っすぐな生き方を、

 何よりも私自身が一番欲していたからなんでしょうね」

 

 何時だって、自分は思うが儘に生きてきた。

 他者より優れた才を持つ自分は当然としてそれらの頂点に立ち、衆愚へと知恵を授け世の中をより良くする事が、この身へ与えられた務めにして唯一許される権利だと、そう信じて疑わずに振舞ってきた。そのつもりであった。

 

 でも違う。それはあくまでも「そうしなければ」という脅迫観念から来るまやかし。

 本当は何時だって、見下し与えて()()()()()筈の人達の視線に囚われ続けていた。興味を失い、或いは奇異の存在として捨てられてしまわないように、誰からも必要と求められるように。か弱い小動物のように怯えながら、上辺だけの善い行いで取り繕い続けていた。その怯えさえ「優れた自分」には要らないと蓋をし、自分の心さえ分からないまま、人間を理解し(しっ)たつもりになっていた。

 

 万能の天才など笑わせる。こんなものは道化ですらない。

 この身は所詮、人に憧れながらも馬鹿にすらなれない、

 繰り糸で雁字搦めになった只の人形でしかないのだから――

 

 

 

 

 

「――なら、そうなればいい」

「――え?」

 

 堰を切ってあふれ出るその重さで俯いていた顔が、弾かれたように上げられる。

 

「今からでもそうなればいいだろ、お前が言う馬鹿とやらに」

 

 聞き間違いなどではない。

 その歩む先に、見つめる方向に何ら変わりはなく、さりとてその言葉は、確かに後ろにいる少女へと充てられたもの。

 

「そんなの……今更、遅すぎる。それに、私にはそんな資格なんて……」

「そんなのはどうだっていい。それこそ、他なんざ知ったこっちゃないだろ」

 

「確かに、俺もこれまで散々馬鹿扱いされてきた。

 利口でも無いし、マナーとかもからっきしだ。

 力任せの野良犬同然な生き方だって、全く気にならなかった訳じゃない。

 むかつく奴をぶん殴っても、こっちが虚しくなるだけの時もあった」

 

「でも、エレナに出会えてそれも変わった。

 相変わらず馬鹿で素直にもなれなかったけど、アイツはそんな俺でも好きになってくれた。

 ……こんな俺でも、本気で誰かを好きになれたんだ」

 

「好き勝手やってたのも、ダンに乗ったのも、エレナを好きになったのも。全部俺の意思だ。

 周りがどうだとか、資格とかじゃない。それだけは絶対に譲らない」

 

「……ああ、全く。何言ってんだか……」

 

「――まぁ兎に角、少なくともさっきのお前は自分を曲げなかったんだ。

 ……その分くらいは、何かいい事でもあるだろうさ」

 

 

 

 フォローかどうかも不明瞭な、たとたどしい言葉。慣れてない(らしくない)事をした自覚故か、深かった帽子を更に被りなおして顔を隠す。

 何故こうも饒舌になったかは本人にも分からず、悪い気もしないとはいえ二度とは無いだろう。

 

 けれども、それで充分。否、それこそが真に必要であったもの。

 

 最初から最後まで、この世界での事情を知り、その本性知り、そして敵対した末にこうして鍍金も剥がれ落ち――その言い回しを借りれば、愚かで哀れで惨めなる地金を曝け出した少女に、その言葉に。しかし男は耳を傾けた。万能の天才としてではない、生の感情を持つ一人の人間として向き合い、言葉を返した。

 

 勿論、彼にはそんな高尚な意図など無かったのかもしれない。きっとその方があり得るだろう。

 だが、単純なようで難しいそれは、不器用ながらも確かに少女へと届いた。

 

「……ありがとう」

 

 だからこそ、少女もまた人として礼を返す。

 心から首を垂れた事など、実に何十年ぶり、或いは生まれて初めてかもしれないが……それで、纏わりついていた“重さ”もようやく無くなった。

 

「別に、礼を言われるような事はしちゃいないさ」

「私が、そうしたいからそうしたの。これが、その最初よ」

「……どういたしまして」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ほどなくして、別れの挨拶らしいものも無く男は去っていった。

 随分とそっけなくも思えるが、それもまた彼らしさと言えよう。

 

 一人崩れた玉座に残る少女は、軽くなった気持ちのまま、見送りも兼ねて緊急用から通常用まで天蓋の一切を解放(パージ)。瓦礫の処理を気圧差に丸投げし、椅子に備え付けられた最後の個人防護壁一枚に隔てられた星の海を眺めていた。

 無論、このまま内蔵電源が切れれば彼女とて流れ星の仲間入りは避けられないが、どの道それよりも先に寿命が尽きるであろうし、何より今の彼女の心象にあっては、それらさえ些事と気にもならない。

 

 これまでは、煌びやかに重ね着をし、眩いもので着飾り、両手いっぱいに抱え込む事こそが正しいのだと思い、その通りにしてきた。

 けれども、こうして全て脱ぎ捨て、両手も楽にし、あまつさえ胸には失恋という名の風穴を空けられ――それでも、彼女の気持ちはこの上無く晴れやかであった。少し前までは孤独の代名詞と無意識に忌避していた一人の静けさすら心地よく、薄らいでゆく意識と五感さえ微睡のよう。

 

 

 

 ――そうして、希代の天才と生まれた一人の少女の人生は、その才覚や名声に反し、実に静かにあっけなくその幕を下ろした。

 彼女が最後に見たのは眩しいばかりの日の出であり、最後に思ったのは彼の人が名乗ったその二つ名。そして最後に聞いたのは――どこか遠い場所で鳴った、門出を告げる鐘の音であった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。