スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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賢者の石編
1話 壊れた世界


 目が覚めた時から、私の記憶は壊れていた。

 

 記憶喪失ではない。

 記憶は記録のように残っている。

 だけど、それが自分の物とは思えないだけ。

 

 こんな変な状況を治す術なんて、11歳の私には分からない。

 

 今の状況を例えるなら、機械に記憶を移植したような状態、といえば分かりやすいだろう。自分が自分ではないような、私が私ではないような薄気味悪さがある。そもそも、私が私なのかすら分からない。

 

 まるで、出来の悪いSF映画みたいだ、と自嘲する。いまの私はSF映画なんて見たことがないのに、単語だけ知っているのが、どこか滑稽で笑いそうだ。

 

 

 私は誰だろう?

 ここは、どこなのだろう?

 私は、なんでここにいるのだろう?

 

 

 考えれば考えるほど、泡のような思考が頭の中で溢れかえって混乱してしまう。まるで、鏡の中の迷路に迷い込んだみたい。

 

 

 だから、今の私にできることはただ一つ。

 私の物と思われる「壊れた記憶」をテープレコーダーのように視聴し続けるしかない。

 いや、視聴と呼ぶにはおこがましい。

 他人事のように「自分自身の壊れた記録」を眺めている。

 

 視界が塞がれている以上、自分の内側に潜っていくしかない。

 

 そう、今の私にできるのは、それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、落ち着いたかい?」

 

 

 扉が軋みながら開く音がする。

 部屋に入ってきた人物は、そんな言葉を投げかけてきた。

 声のした方向を向くが、当然何も見えない。包帯が両目を塞ぐように巻かれているのだから、見えるわけがなかった。

 でも、人のいる気配はしていた。どこか作り物のような優しい声。この声は知っている。昨日、自分の自傷行動を力尽くで止めた男だと直感する。

 あの後、まるで睡眠薬を盛られ、ぷつんと電源が落ちるように眠ってしまった。だから、あまり覚えていない。

 

 それでも、確信に近い思いを抱いて問いに答えた。

 

「よく分からない、です。……貴方は医者ですか?」

 

 昨日の周囲の様子。そして、今も鼻に入ってくる病院独特の消毒液の匂いから、ここが病院だということが分かった。

 おそらく、いま私の横にいる声が、いわゆる担当医と呼ばれる人間なのだろう。

 

 

「そうだね。君……セレネ・ゴーントさんを受け持っている医者です。セレネさんは知らないと思いますが、2年前に君が入院した時から、受け持っているんです」

「2年前?」

「そう、2年前です。2年前、君は交通事故でトラックと接触したんです。覚えていませんか?」

「……まぁ、一応は」

 

 

 覚えているといったら、それは嘘になる。

 先ほどまで視聴していた目覚める前の「最後の記憶」には「トラック」なんて映っていない。映っているのは、悪臭のする灰色の髪をした男が襲い掛かってくるところ。黒い服を着た少女は、必死でその男から逃げていた。そして、鋭い歯を持った男が、少女に触れようとしたとたん、急に遠くまで飛ばされていったということ。

 そして、どこからともなく放たれた赤い閃光に当たったところで、少女、すなわち、おそらく私自身、セレネ・ゴーントの記録が途絶えていた。

 

 

 次の映像は……正直、思い出したくない。

 あれを夢と呼ぶには、いささか強烈過ぎる。

 

「セレネ、大丈夫かい?」

 

 今度は、別の男の声がした。私は新たな声の方を見る。

 

「僕だよ?クイール・ホワイトだよ」

「……義父さん?」

 

 先程の記録を頼りに、答えれば、見えてなくても彼が喜んでいる様子が伝わってきた。

 

 

 

 彼の名前はクイール・ホワイト。セレネ・ゴーントの養父だ。

 

 本当の父親は、どうやら生まれて間もなく死んだらしい。

 そのあたりは曖昧でセレネの記憶に残されていなかったが、繋ぎ合わせた情報から察するに『殺人事件』だったようだ。家には鍵がかけられていたはずなのに、その日は何故か開いていた。だから警察は、殺人の線も疑った……けれども、父親には外傷がなく、だからといって病気の痕跡も見つからなかった。

 まさに、ミステリーって奴。母親は死ぬのをまるで予期していたかのように、セレネを幼馴染のクイールに預けたそうだ。

 そして、彼はセレネを実の娘の様に育て、セレネも彼を実の父親の様に慕っている。

 

 

 勉強も運動も学年1番の神童で、誰よりも上に輝く「優等生」。

 それが私、セレネ・ゴーントらしい。

 

 

 とはいっても、実感が全然わかない。

 ついさっき――医者の言葉を借りれば、私の実感があるのは2年ぶりに目を覚ましてから、今に至るまでの一日分の記憶しかない。

 それ以前の記憶は、すっかり私から切り離されていた。思い出そうと努力すれば、記憶は記録のように浮かび上がってくる。

 ただ、それは『セレネ・ゴーント』という少女が歩んだ9年間の記録映画を視聴するみたいに、味気のなく遠く離れた世界の話に感じてしまうのだ。

 

 2年近く、昏睡状態だったからだろうか?

 ここにいる私は、産まれてから一日程度しか経過していない。

 

 少なくとも、セレネ・ゴーントの生きた9年間の記憶は、壊れてしまっていた。

 だから、優等生なんて言われても実感わかないし、目の前の義父を慕うこともできない。

 

「大丈夫かい、セレネ?」

 

 クイールの心配そうな声が耳に届いた。私は咄嗟に、

 

「はい、問題ありません。ただ、少し身体が硬いです」

 

 と、答えてしまう。

 半分だけ、嘘をついた。記録映画のセレネ・ゴーントは、クイールと名乗る養父に心配かけまいと動いていた。だから、今の私も同じように動いた方が色々都合良いと判断する。

 

「あと1週間もすれば目の包帯も取れるみたいだよ」

「目?」

 

 あぁ、そうだった。

 私は、包帯を巻かれた目に指を這わせた。

 そう、私は目の前に広がった『世界』に嫌気がさし、とっさに眼球を押し潰そうとした。

 未遂に終わったが、悲しいことに、回復してしまうらしい。

 

「そしたら外も見えるようになるね」

「外、ですか」

「嫌かい?」

「―――いえ、楽しみです」

 

 そう言って強張った顔の筋肉を動かし、笑ってみせると、ほんの少しだけ安心した雰囲気がクイールだけからでなく、医者からも伝わってきた。本音を言うと、外なんて見たくない。でも、そんなことを言うと、入院が長引くかもしれない。それが嫌だった。

 

「また来るからね」

 

 遠ざかっていく人の気配。私は、また枕に頭をつけた。

 

 それからの私は、当たり前のようにイイ子を装った。

 薄っぺらい味のする病院食を黙って食べたし、診察も無抵抗で受けた。早く退院したいと思っていたから。

 

 だが『退院して何をしたい?』と問われると答えに詰まる。特にしたいことは思いつかない。

 ……ただ無性に、明らかに非日常な空間から逃れたかった。

 かといって、日常に戻って何がしたいと言われても言葉に詰まってしまう。

 

 本音を言えば、きっと更に入院が長引くだろう。

 だって、言えるわけがない。

 

 この世界が、こんなにも怖くて脆く視えることを治したい、だなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのうちに、就寝時間が過ぎたのだろう。

 うるさかった外が静かになる。

 やることがなさ過ぎて寝すぎたせいで、夜はこうして頭が冴えている。無論、することは何もない。時折聞こえるのは看護師の巡回の足音を聞きながら、自分らしくなるための手がかりとしての記録を見返すだけ……のはずだった。

 

 

「ほう、起きてすぐに『球血膜下出血』に陥るほどの眼球圧迫とは」

 

 誰かいる。

 誰かが自分の横に立っている。面会時間でもないし、主治医でもない人物がいる。私は慌てて跳ね起きると、手探りでナースコールを押そうとした。

 

「ちょっとだけ待ってくれないかの。君は知りたいのではないかね?

 その目に映るようになった『死の線』について」

 

 ボタンを押そうとしていた指が、ぴたりと止まった。

 この人――今なんて言った?

 

「誰ですか?」

 

 私は慎重な声色で尋ねた。

 

 声の質から考えるに、横に立っているのは相当の歳を取っている男だ。

 当然、私の知っている医者でもないし、クイールでもない。看護師でもなさそうだ。こんな夜更けに一体何の用なのだろうか?

 

「はじめまして、セレネ。ワシはダンブルドア教授と言うものじゃ」

「教授?――それは、医者の類でしょうか?」

 

 でも、口にしてから、その考えは少し違っているかもしれない、と思った。

 もし、いつも昼間に現れる主治医が私の状態を調べるためによこした医者なのだとしたら、なんでこんな時間に現れるのだろうか?

 

 そもそも、面会時間もとっくに過ぎた時間にやってくるなど、まともではない。

 

 どうやら、私の記憶部分だけが壊れただけでなく、完全に頭が狂ってしまったのかもしれない。もしかしたら、これも恐ろしくて怖い夢の続きで、自分の妄想が生み出しているのかもしれない。

 そう考えると、薄ら笑いが浮かんでしまう。

 

 だけどその一方で、狂っていると思いたくない私もいた。

 だから、ダンブルドアと名乗る怪しげな老人に対して、警戒心を一層強めた。

 

「いやいや、ホグワーツという名の学校に勤めている教師じゃ。近い未来に君が入学する予定の学校じゃよ」

「私は近隣の公立学校に入学する予定だと、義父から聞いています。そんな名前の学校じゃないです。……なにを企んでいるんですか?」

 

 警戒心をむき出しにして話しかける。

 だが、彼の放つ雰囲気は穏やかなままだ。本当に何を考えているのか分からなくて、気味が悪くなってきた。

 セレネの記憶の自分は「優等生」らしく振る舞っていたが、こんなとき、正解が浮かんでこないことを考えると、果たして本当に「優等生」だったのかと自分を疑いたくなった。

 

「うむ……そうじゃのう。君の本当の両親の知り合いとでも言おうかの。そろそろ頃合いかと思い、会いに来たのじゃ」

「……本当の両親の知り合いですか?」

「知り合いじゃ。もっとも、言葉を交わしたことはないがのう」

 

 教師を名乗る男は、どこか愉しそうに話しだす。

 実に怪しい話だった。

 本当の両親の知り合いなのだろうか。話したこともないのに、知り合いだなんてナンセンス。

 そもそも、本当に知り合いだったと仮定しても、どうして人目を避けるような時間帯に尋ねてくるのだろうか。

 

「これでも仕事が忙しくてのう。残念なことに、この時間しか空けられなかったんじゃよ。『闇の魔術に対する防衛術』の先生の不始末に対する苦情の吼えメールで部屋が黒焦げになってしまってのう」

 

 私は少し、ぞっとした。

 今、もしかしてこの男は私の考えを読んだのだろうか?

 しかも、何て言った? 何メール? 闇の魔術? 学校というのは、オカルト的な学校なのか? やはり、これは私の頭が見せている妄想なのか? 疑問符ばかりが、泡末のように浮かんでくる。

 もちろん聞きたいことは、沢山ある。だから、その中でも最も分からない言葉の意味を尋ねることに決めた。

 

 

「最初に言った『死の線』ってなんですか?」

「それは君が一番よく分かっている事柄じゃ。君が視えてしまっておる線のことじゃよ」

 

 

 ダンブルドアと名乗った男は、穏やかな口調でそう言った。

 一番よく分かっている。当然だ。眼を開けた瞬間、この世界に広がった黒い線。脆そうで、触れれば世界が崩れ落ちてしまいそうな幻覚に陥る、恐ろしくて怖くてたまらない線。

 いや、幻覚ではない。

 私は幻覚ではなく、本当にあの線を切ったら世界が崩壊する、と確信していた。

 

 

「君は視たのじゃろう? この2年間『』を」

 

 ダンブルドアが手を差し伸べるように、言葉をかけてくる。

 この人は、本当に自分のことを分かっている。あの上っ面の言葉しかかけてこない主治医よりも、ずっと私の状態を見抜いている。

 

 そのことに、ぞっとしながら、ゆっくりと震える指で触れるように、この2年間見続けてきた悪夢の記憶に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 あそこは暗くて、底は昏かった。

 光も音もない海の中に浮かんでいる。そこに果てなんてなかった。いや、初めから堕ちてなどいなかったのかもしれない。

 何もない空間。光も闇もない。俗にいう「無」という言葉すらそれには当てはまらないだろう。形容することが無意味に思える『』の中において唯一の異物――それが私、セレネ・ゴーントだった。

 

 

 目を背けたくなるような毒毒しい色彩をした『』。

 ずっと、遠くを見ても――ずっと何かを待っていても何もない。そうだ――これが「死」なんだと思った。死者しか到達しえない世界で、たった1人の生者が私だった。意識を失っていた2年間ずっと「」を観測し続けていた。

 

 ああ、思い出したくもない。

 永遠と続く悪夢を観測し続けていたのだ。

 

 

 否。

 

 観測ではない。

 気が狂いそうになる中で、死という概念に触れていたということは、むしろ観測ではなく戦いの激しさに近かったのかもしれない。だから、目が覚めた途端、あの世界にひたすら近くなった異様な視界に気付き、怖さのあまり目を潰そうとした。

 

 この両目は、あのおぞましい世界につながっている。

 昏睡から目が覚めて初めて目にしたものは、線だった。人にも壁にも空気にも、禍々しくも清麗な線がついている。その線は常に動いていて一定していない。けれど、確実にそこにあって、今にもそこから「死」がしみ出しそうな強迫観念にとらわれた。あの線を斬ったら、そこからボロボロと崩れていくのが見えた気がした。

 

 

 もう、あんな世界に行きたくない。

 あんな、怖い世界に堕ちたくない。

 怖くて、気味の悪い思いはもうたくさんだ。

 

 だから、目を潰そうとしたのだ。主治医や看護師が全力で止めてきたから、失敗したけど。

 

 

「やはりそれは『直死の魔眼』じゃ」

「直死の、魔眼?」

 

 私は呆けたように聞き返しながら、さらにダンブルドアなる男に対する警戒心を引き上げた。

 こいつ、やっぱり人の心を読んでやがる。

 どんな手を使ってるのかは、知らないが。

 しかし、自分にない答えを持っている。私は警戒しながらも、慎重に耳を傾けた。

 

「非常に珍しいものじゃ。わしも昔からの友人から聞いたことがあるくらいじゃよ。その友人でさえ、見たことがないと言っておったのじゃからの。

 いや――実に、実に珍しいモノじゃ。あっ!これこれ、早まるでないわい。例えその眼を潰したところで、見えてしまうものは視えてしまうぞ?」

「そうですか。珍しいなら、手術でもなんでもして売りさばこうと思ったところだったんですよ。残念ですね」

 

 そう言って、眼に伸ばしかけた手を膝に戻す。

 気のせいか、手が震えている。寒くないのに、怖くて怖くてたまらなかった。目を取っても纏わりついてくる、この薄気味悪い世界とどう付き合っていけばいいのだろう?

 

「セレネ、いいかね?」

 

 穏やかな口調の中に真剣な色が混じっている。もしかしたら、ここからが本題なのかもしれない。

 

「わしは、その能力を避ける方法は知らない。だが、忠告を授けることは出来る」

「忠告、ですか?」

「いかにも。よいか、セレネ。

 『死』を恐れることは大事な事じゃ。じゃが、『死』を避けることを考えてはいかんぞ」

「私は――」

 

 あんな世界に堕ちたくない。死にたくない。あれを見てないから、そう言えるのだ。だから、私はもう死にたくない。

 男は、そんな私の想いを見透かしたように首を横に振るった。

 

「だが、それはおろかな事よ。特に、君は一歩間違えればより深い闇へと堕ちていく可能性が、他の誰よりも強いのじゃよ」

 

 それはどういうこと?と問う前に、男は立ち上がった。まるで、私の質問を遮るように話し始める。

 

「いかんいかん。そろそろ時間じゃ。続きの話はまた今度にしよう。では、また会おうセレネ。

 なにしろ、君が産まれたときから、ホグワーツに入学することが決まっていたのじゃからのう。それでは、学校で会おう」

 

 そう言うと、パチンっという音と共に、男の気配がまるでなくなってしまった。

 病室には、ふたたび静寂が訪れる。まるで、だれもいなかったように。

 

 いまのは、夢、だったのだろうか?

 いや、違う。夢じゃない。妄想でもない。いったい何者なのだろうか。

 

 私は、しばらくそれを考えていたが、いつの間にか浅い眠りへと堕ちていった。

 

 

 

 

 

 




はじめまして、寺町朱穂です。
リメイク前の作品とは違った味が出るよう、しっかりとした完結を目指して頑張りたいと思います。
以後、よろしくお願いします。


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