スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

12 / 111

前半、ハリー視点です。




12話 2つの顔

 

 

 僕は、愕然とした。

 

 セブルス・スネイプの魔の手から「賢者の石」を護るため、数々の罠を乗り越えてきた。

 ロンの機転とハーマイオニーの学年屈指の頭脳を借りて、ここまでやってきたのだ。

 

 今、僕の隣に2人はいない。

 ロンはチェスの間で犠牲になり、学年屈指の頭脳を誇るハーマイオニーも、先程別れなければならなくなってしまった。

 

 だから、僕は、2人の想いを背負ってここにいる。

 それなのに――……

 

「まさか……なんで」

 

 目の前にいたのは、クィレルだった。

 普段とは打って変わり冷静沈着なクィレルは、この場にヴォルデモートがいると話した。しかも、スネイプが僕のことを護っていた、と言い始めた。

 僕の頭は、混乱する。今まで考えていたことが否定され、新たな真実を立てられたのだ。

 しかも、クィレルは誰かと話すように独り言を呟き始めたのだ。

 ぞっとする。背筋が凍りそうだ。どうすればよいのか分からず、クィレルの奇行を眺めているしかない。

 

「……ポッター、ここに来い」

 

 クィレルが呼んだ。

 彼の後ろには、望みを映し出す「みぞの鏡」があった。

 

 僕は逆らいたかったが、彼の言葉には強制力があった。

 だから、逃げることも断ることもできず、鏡の前にたった。

 

 

 嘘をつかなくてはいけない。何が見えても嘘を言えばいい。必死で僕はそう考えた。青白く怯えた自分の姿が鏡に映る。

 以前、見たときは自分の死んだ両親が映った。きっと、今回も同じ光景が映るのだろう。

 そんなことを考えていると、次の瞬間、鏡の向こうの自分が僕に笑いかけてきた。鏡の中の僕はポケットに手を突っ込み、血の様に赤い石を取り出した。そしてウィンクをしてポケットに石を戻す。すると、そのとたんにポケットの中に何か重いモノが落ちるのを感じた。

 

 なぜか、信じられないけど、僕は『石』を手に入れてしまったのだ。

 

「どうだ?何が見える!!」

「ダ、ダンブルドアと握手してる!!僕のおかげで、グリフィンドールが優勝して――」

「嘘だ!!」

 

 クィレルが唇を動かしていないのに、どこからか声が響く。ここまで来るときに破った「悪魔の罠」が僕をその場に釘付けにしてしまったように、指一本すら動けなくなってしまった。

 

『俺様が直に話そう。そのくらいの力ならある』

「分かりました」

 

 クィレルが、ターバンをほどこうとしている。見たくない、その中にあるモノが恐ろしいモノだと直感した。でも、目を背けられない。

 するりっとターバンが落ちた。ターバンを巻いていないクィレルの頭はずっと小さく見えた。

 僕は悲鳴を上げそうになった。けれど、喉が詰まったように声が出なかった。

 クィレルの後頭部には、もう1つの顔があった。僕が、これまでに一度も見たことがないような恐ろしい顔だ。蝋の様に白い顔、獣のように血走った目、鼻孔は蛇のような裂け目になっていた。

 

「ハリー・ポッター。また会ったな」

 

 恐ろしい顔は、低い声で蛇の声のように囁いた。

 僕は後ずさりしたかったが、怖くて動けない。あの顔の正体が何者なのか、クィレルは口に出していなかったが、自然と名前が口から零れ落ちた。

 

「……お前は、ヴォルデモート……」

「そうだ。だが、この有様を見ろ。

 ただの霞と影にすぎない。誰かの身体を借りて初めて形になれる……この数週間はユニコーンの血が俺様を強くしてくれた……この忠実なクィレルが俺様のためにユニコーンの血を飲んでいるところを森でみたはずだ。だが、完全なものとは程遠い。そのためにも『石』が必要だ。命の水さえあれば、俺様自身の身体を創造することができるのだ。

 さて、ポッター、まずはお前からだ。ポケットにある『石』を渡してもらおう」

 

 

 ヴォルデモートは、何故か「石」を持っていることを知っていた。

 途端に、魔法が解けた様に肢の感覚が戻ってきた。よろよろと僕は後ろに後退する。

 どうやって守ればいい?

 僕は混乱した。赤子の頃に、ヴォルデモートを撃退したらしいが、どうやったのかは全く記憶にないし、再び勝てるとも限らない。しかも、クィレルという大人の魔法使いもいるのだ。

 僕は、ロンみたいに魔法界で生きてきたわけでもなく、ハーマイオニーのように学年屈指の頭脳の持ち主でもない。

 魔法を習って1年足らずの、ただのハリー・ポッターだ。

 

 一人で、勝てるわけがない。

 だけど、立ち向かわないといけない。

 勇気を振り絞って、勝利する算段を必死になって考え始めた時、ヴォルデモートは嘲笑うように口を開いた。

 

「そこの子鼠も、隠れていないで出てきたらどうだ?」

「「えっ?」」

 

 僕とクィレルの声が重なる。

 ヴォルデモートは鏡越しに一点を――僕の斜め後ろの柱を睨みつけていた。

 

「……さすが、今世紀最大の闇の魔法使いですね」

 

 聞き覚えのある凛とした声が、部屋の中に響き渡った。

 かつん、かつん、と軽快な音と共に颯爽と現れたのは、スリザリンの少女……

 

「セレネ?」

「魔法薬の試験以来ですね、ハリー・ポッター」

 

 セレネが口元に微笑を浮かべていた。

 彼女は同級生の中では背が低く、端正な容姿と儚げな印象を併せ持った秀才だ。ちらちら燃える炎の光が眼鏡に反射し、彼女の心情をうかがい知ることはできない。

 ただ、彼女は規則破りを嫌っているように見えた。

 ハーマイオニーと似たタイプで、勉学に勤しみ、知識の吸収に励んでいる。彼女が規則を破って減点された、なんて話は一度も聞いたことがない。

 

 だから、どうして、彼女がここにいるのか、僕には理解できなかった。

 

「どうしてセレネが、ここに……?」

「言わなくても分かりませんか?

 今日は試験の最終日で、どの先生も採点に忙しく、見回りに人手を割く余裕はありません。もし、『ニコラス・フラメル』なる人物が関係する『大切なモノ』を暴こうとする人間がいるのだとしたら――今日は絶好の日和でしょう。

 しかし……まさか、本当に『賢者の石』が隠されているとは、思いませんでした」

 

 少し驚きの色が滲んだ言葉を聞きながら、僕は記憶を辿った。

 ハーマイオニーがセレネに「『ニコラス・フラメル』を知っているか」と尋ねたことがあった。

 しかし、それは空振りに終わった。ハーマイオニーが少しがっかりしていたことをよく覚えている。

 

 もしかしたら、セレネは勉強の合間を縫って、独自にフラメルについて調べていたのかもしれない。

 僕はいくらか気が楽になった。

 セレネ・ゴーントが加勢に来てくれた。これで、一人ではない。

 

 僕達が対するのは「闇の魔術に対する防衛術」の先生とヴォルデモート。

 勝率は物凄く低いけど、1パーセントくらい上がった。

 一人より、二人で立ち向かう方が、ずっといい。

 

「ゴーントの末裔だったか……どうだ、俺様と手を組まないか?」

 

 ヴォルデモートがセレネに水を向けた。

 悪の誘惑だ。

 セレネは何も答えない。ゆっくりと階段を音を立てながら降りる。セレネは正体を現すように眼鏡を外しながら

 

「非常に興味深い話ですね」

 

 と、小さく、しかしハッキリと呟く。

 そして、ローブから優雅に杖を取り出した。

 僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。

 セレネは、僕の隣まで降りて来ていた。杖で左掌を叩く様子は、まるでヴォルデモートに対して拍手を送っているように見える。心なしか、言葉の端に敬意の念が籠っているような気もする。

 僕は後ずさりするように、セレネから一歩離れた。

 

「セ、セレネ!?アイツはヴォルデモートだ、騙されちゃいけないよ!!」

「ハリー・ポッター」

 

 鈴の音の様に美しい声が、地獄の底なし沼から響いてくるような印象を受けてしまう。セレネの眼が禍々しい青色に輝いていた。彼女の後ろに、何か強大な闇が控えているように幻視してしまう。

 

「セレネ!?」

「ハリー・ポッター。少しの間、動かないでくださいね」

 

 セレネは、僕に向き合うと杖を突きつけてきた。

 その様子を見て、ヴォルデモートが高笑いした。

 

「無様に裏切られたな、ポッター」

 

 僕は、その場から動けなかった。

 セレネの瞳に眼が引き付けられていた。青い瞳はたくさん見てきた。ロンやマルフォイ、ダンブルドアも目が青い。

 けれど、セレネの青は違う。彼女の青い瞳には、限りなく「死」の色が濃厚に滲み出ている。

 それは、両親が死んだ夜に眼にした、緑色の光と重なって見えた。

 

「セレネ、やめるんだ!!」

「『ペトリフィカス・トタルス-石になれ』!!」

 

 セレネが呪文を叫んだ。

 僕は、もう駄目だと歯を食いしばる。

 

 

 ところが、僕が全身金縛りで倒れることにはならなかった。

 呪文を唱える瞬間、セレネは杖を僕から離し、杖の方向を左へと向けたのだ。

 

 そう、油断し切っているクィレルの方へ。

 

「なっ!?」

 

 例えるなら、バスケットボールのパスを回す光景に似ていた。

 見ている方向も進行方向も確実に僕なのに、まったく別の安全な場所へボールをパスする。

 呪文と言うパスを受けたクィレルの両腕は身体の脇に貼り付き、両脚は閉じられてしまった。そして、大きな音を立てながら、前のめりに倒れ込んだ。

 

「……さてと、これで数分間は『例のあの人』を無効化できますね。今のうちに逃げますよ、ハリー」

 

 セレネは僕の腕をつかむと、来た道を走り出した。

 僕は後ろに振り返ることも出来ずに、セレネの背中を見つめ続ける。

 入口を塞いでいた黒い炎は、影も形も見当たらない。セレネは迷うことなく扉を開け、未だに鼾をかいているトロールを乗り越え、チェスの間に辿り着いたとき、ようやく足を止めた。ロンやハーマイオニーの姿は、何処にも見当たらない。もうダンブルドアを呼びに行ったのだろう。そう思うと、緊張していた心が解れる気がした。

 

「はぁ……はぁ……とりあえず、ここまで来たら、一安心ですね」

 

 セレネは荒い息を整えるように、ビジョップの残骸に寄りかかる。

 僕も糸の切れた人形のように、その場に座り込んだ。しばらく互いの息の音だけが聞こえた。

 

「僕……僕、てっきり、セレネがヴォルデモートの味方をするかと、思ったよ」

「まさか」

 

 セレネは、それこそありえないというように首を横に振るった。彼女の額から汗が流れ落ちている。そして、疲れた様に青い瞳を閉じた。

 

「この場合の勝利条件は、『賢者の石』を他の人に渡さない事です。

 それから……あんな無様な姿になってまで生き延びようとする敗者の手下になんて、なりたくありませんから」

 

 それは、優等生(セレネ)らしからぬ侮蔑の色を帯びた発言だった。

 さすがのセレネでも、ヴォルデモートの塵にも等しい無様な姿には嫌悪感を抱いたのだろう。

 

「しかし、そろそろ魔法が解ける頃でしょうから……作戦を考えましょう」

「作戦?」

 

 僕が問うと、セレネは目を開けた。

 やはり瞳は見慣れた黒ではなく、不気味なくらい蒼く輝いている。

 

「きっと、このまま走っても追いつかれてしまいます。少し『石』を見せてくれませんか?」

「あっ、うん」

 

 セレネが指し伸ばした手に、僕は「賢者の石」を乗せた。

 一見すると普通の石のようで、とてもではないが魔力を帯びているようには見えない。しかし、炎にかざして視ると、どことなく赤く輝いているようにも見えた。

 

「これが石、ですね」

 

 セレネは感慨深く呟くと、大切そうにローブの内側に仕舞いこむ。そして、代わりに杖を取り出した。炎に照らされた横顔は、どことなく覚悟を決めた色を放っている。

 

「ハリーは、石を持ったふりをして逃げてください。私は、ここで足止めをします」

「でも、セレネは……」

「心配しないでください、私は生きて帰りますよ」

 

 どことなくぎこちない笑みに、少し不安を覚えてしまう。でも、セレネ・ゴーントは僕より遥かに上を行く魔法を扱う。もうじきダンブルドアも来ると思うから、きっと……

 

「よくもやってくれたな、1年生風情が!!」

 

 クィレルの鋭い声が、宙を割いた。

 セレネは声に反応する間もなく、壁に吹き飛ばされてしまった。

 

「セレネ!!」

「小汚い小娘の処分は後回しだ。今は石をよこせ、ポッター!!」

 

 セレネの思惑通り、クィレルとヴォルデモートは僕が「石」を持っていると思い込んでいるみたいだ。クィレルは気を失った様に倒れ込む――現在「石」を隠し持つセレネには目もくれず、僕に襲い掛かってきた。

 

「石を渡せ、ポッター!!」

「やる……ものか!」

 

 額の傷が鈍く痛む。しかし、痛みに呻いている場合ではない。クィレルが、首を絞めようと僕に手を伸ばしてきた。僕は咄嗟に手を伸ばし、クィレルの顔をつかむ。

 

「あぁぁああ!!」

 

 

 クィレルは、転がる様に僕から離れた。

 クィレルの顔は、無残なまでに焼けただれていた。どうやら、クィレルは僕の皮膚に直接触れることは出来ないのだ。そうと分かってしまえば、話は早い。クィレルが痛みでうめいている間に、僕は飛び起きるとクィレルの腕を捕まえて、力の限りしがみついた。クィレルは悲鳴を上げて僕を振りほどこうとしたが、僕は放さない。そのうちに、額の痛みは益々ひどくなっていった。視界から色が消え、辺りが黒く染まっていく――。

 

「殺せ!殺せ!!」

 

 ヴォルデモートの恐ろしい声が、近く――いや、遠くから聞こえてくる。

 クィレルの悲鳴も、全て遠のいて―――意識が下へ下へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やった……やったぞ」

 

 

 私は、身体中の鈍い痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がった。

 ハリー・ポッターに宿る力により、クィレルは土塊へと変わり、ヴォルデモートは身体を無くして飛び去って行った。この場に立っているのは、私だけ……そう、「賢者の石」を手にした私だけだ。

 

「何もかも、計算通り。私が……勝ったんだ」

 

 私は拳を高く掲げたくなった。

 

 一人でここまで到達するのは、正直、少し難しかった。

 だが、難しかっただけで、できなかったわけではない。

 オルゴールでケルベロスを眠らせ、難しい罠は「眼」を使って突破した。いくつかの扉は開かなかったので、直死の魔眼で強引に突破する。

 

 最後の最後の「鏡の間」で、クィレル先生がいたことには驚いてしまった。しかし……先生が、ターバン越しのヴォルデモートと交わしていた会話から、ハリー・ポッターが「石」を手に入れる鍵を握っていることが分かれば、そのまま隠れているだけで良かった。

 ハリーからの信頼は、それなりに得ている。クィレルを一時的に無力化すれば、彼から石を受け取ることなんて朝飯前だ。

 

「ただ、飛ばされたのは痛かったな……まぁいい。さっさと帰るか」

 

 私は、そのまま杖を適当な駒へと向ける。

 練習した変身術で「賢者の石」のレプリカを作り上げ、ハリーを連れて帰還すれば全て解決だ。ハリーは幸い、命に係わる怪我をしてなさそうだ。レプリカは本物として再び保管され、無事に守り通せたと皆は安心する。そして、私は念願の「賢者の石」を手に入れることが出来る。

 

 賢者の石さえあれば、死を克服することができる。

 死を克服することが出来れば、こんな眼鏡がなくても、死の線が視えない生活が送れる。

 他者の線は視えてしまうかもしれないが、少なくとも、自分の身体に蔓延る線は消滅する。 

 もう、目覚めるたびに、自分が崩壊していく幻影を見なくて済む。

 

 この石があれば、自分の身体から死の概念は拭い去られ、自分の身体の死を見なくて済むのだ!!

 

 素晴らしいではないか!

 まさか、誰もセレネ・ゴーントが石を盗んだなど思うまい。規則破りは表面上行わず、学年でも高い順位をキープしている少女が、それも1年生が、クィレルやヴォルデモートの目をかいくぐって盗むとは思うまい。

 たとえ、石がレプリカだと気付かれても、シラを切り通せばいい。

 

 犯人は、消滅して行方知れずとなったクィレルへ向けられるのだから――。

 

「『ジェミ――」

「そろそろ帰る時間じゃ、セレネ」

 

 この場にいるはずのない声が、チェスの間に木霊する。

 突然のことで、呪文を唱える手を止めてしまった。

 心臓を鷲掴みにされたような感覚が、電気の様に身体を駆け抜けた。

 おそるおそる振り返ると、そこにはダンブルドア校長が立っていた。柔らかな笑みを浮かべ、私に手を伸ばしている。私は、呆気にとられて校長の掌を見つめた。

 

「しかし、その前に大事な石を返してくれないかの?」

 

 

 

 

 




次回、「賢者の石編」が終了です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。