「石を渡してもらおうかの、セレネ」
ダンブルドアの出現により、私の脳内は今までにないくらいの速度で回転する。
このまま石を差し出すなんて、勿体無いことは出来ない。しかし、優等生のセレネ・ゴーントの行動を考えると、ダンブルドアに逆らうことなんてご法度だ。そもそも、ハリー・ポッターやクィレルの話によると、ダンブルドアは遠いロンドンまで出張していたはず。なのに、何故―――ここにいる?
「ロンドンに着いた時、ワシはいるべき場所を離れてしまったことに気がついたのじゃよ。そして、慌てて帰って来たというわけじゃ」
「そうですか」
戻ってくるタイミングが、遅すぎるような気もするが――今はそれどころではない。私にとって、なんて間の悪い帰還だろう。ひとまずは、この場を切り抜ける方法を模索する。しかし、ダンブルドアは
「さて、話を戻そう。その石を渡してもらおうかの、セレネ」
全てを見透かしたような瞳で、私を覗き込む。
私は内心、小さく舌打ちをした。何と言い繕ったとしても、嘘は全て見抜かれてしまうだろう。真実を言いたくない、しかし嘘をついたところで意味がない。石が欲しい。あの恐ろしい「死」から逃れる方法も、この「線」だらけの世界から逃れる方法も、全て手に入れたい。しかし、実現するためには目の前の強敵―ダンブルドア―を騙さなければならない。しかし、ダンブルドアに嘘をついても見破られてしまう。あの青い瞳の前に、嘘は通じない。
私が目覚めてから、初めて「欲しい」と思った物を手に入れ、ダンブルドアに嘘をつかず、どこまでも優等生らしく、どこまでもセレネ・ゴーントらしく振舞うためには―――
「私は、石を護ろうとしただけです」
青い眼をしたセレネは、まったく笑っていなかった。
開心術を使わなくても、嘘をついていることは分かっていた。以前、病室で出会った時のセレネ・ゴーントと今の彼女は何も変わっていないように思えた。あの時から、何も成長していない。「死」を怖がることしか出来ない、自己も持たない少女のままだ。
そんな少女が「賢者の石」を手に入れてしまったが最後、石を手放すとは思えなかった。
だからこそ、しばらく見張っていたわけだが―――どうやら、目論見はあたってしまったらしい。
「先程『複製魔法』をかけようとしていたみたいじゃが、何故かね?」
「石のレプリカを作ろうとしていました。錬金術の最高峰とまで謳われる「賢者の石」を調べようと思いまして」
セレネは、ローブの中から石を取り出した。
それは、本物の賢者の石だった。炎に照らされて、赤く輝く石を見間違えるはずがない。
しかし、あそこまで出し渋っていたセレネが素直に石を出すとは、思えない。何か裏があるはずだ。わしは「開心術」を使うことにした。セレネの眼を覗き込み、彼女の思考を探る。
「純粋に研究対象として、手に入れようとしたのじゃな?」
「はい」
セレネは、迷うことなく答えた。
わしは、戸惑ってしまった。
セレネは、嘘をついていない。研究対象としてではなく、永遠の命を手に入れるために欲していたはずだ。そう、先程までそこに漂っていたトム・リドルの様に。
「この石を、使おうと思わないのじゃな?」
「はい」
またしても、間髪入れずに答える。
そんなはずがない。明らかにセレネ・ゴーントは嘘をついている。
わしは心を読み取ろうとして、愕然とした。こんな状態、今までに見たことがない。
まさか――この年齢から、わしをも拒む「閉心術」を使いこなしているのかと思ったが、すぐに違うことに気づいてしまう。
セレネは、「閉心術」で心を閉ざしている状態ではなかった。
ただ純粋に、何も考えていなかった。今の彼女は、何も考えずに話している、ということになる。そんなことは、ありえない。
「それでは――君は、永遠の命に興味がないのじゃな?」
「興味はあります。非常に調べてみたいです」
人間は、必ず何かを考えている。
話す言葉ですら、無意識下において言葉を事前に反芻してから話しだす。
どれほど早く話すとしても、言葉を発するに至った考えの基盤が存在する。
しかし、今のセレネ・ゴーントにはそれがない。自己がなく、考えもない。そう、それはすなわち――何も考えていない。
「あくまで研究目的、ということかね?」
「はい」
いや、よく思考を読み取れば、考えている。
しかし、考えが出て言葉にするまでの間が、今まで見た誰よりも早いのだ。
誰よりも早く、優等生らしい言葉が飛び出してくる。
それは1年間――どこまでも優等生らしい立ち振る舞いを自らに強要した結果、なのだろうか。
「憐れじゃな」
言葉が零れ落ちてしまう。
わしは目を瞑ると、開心術を止めた。
まるで人形と対峙しているようで、心が痛くなる。大切な生徒が心を閉ざす以前に、これほどまでに悲惨な状態になっていようとは思わなかった。
自分の記憶を自分の物として遡ることが出来ない。その時点で既に少女は壊れていた。だが、そこから日々の積み重ねを通じることで、新しい自己を獲得して欲しいと――いや、獲得できると思い込んでいた。しかし、実際には違った。
目の前の少女は、壊れたままだった。
「憐れ、ですか?」
「いや、何でもない。セレネ――君がそこまで研究したいというなら、わしからニコラス・フラメルに教えを乞う機会を作ってもよい」
「本当ですか?」
目を輝かせることもなく、淡々に応える。
決められた手段に従う人形のように。なんとも憐れな光景だろうか。果たして、彼女は本当に人間なのか疑いたくなってしまう。
しかし―――
「だから、ひとまず石を返してくれないかの?」
一方で、不安要素も残る。
彼女は「意図的に」考えを放棄しているのではないか、と。
「分かりました、先生。その代わり、ニコラス・フラメルさんに会わせてくださいね。直接、錬金術について聞きたいことが山のようにあるのです」
覗き込むだけで気分の悪くなる青い眼を閉じ、通常の黒い瞳へと戻った。
セレネは、ゆっくりと石を渡す。わしは石を受け取ると、表情を緩めた。わしの掌に乗せられた石は、明らかに「賢者の石」だった。
「あぁ、もちろんじゃ――セレネ」
わしが姿を現す前の呟きが、脳内を反芻する。「勝った」と言う言葉は、明らかに優等生らしからぬ発言だ。――学生時代のトム・リドルを思い出してしまう。
誰が視ても品行方正な優等生で、問題を起こさない。しかし、トムは様々な事件の黒幕として暗躍していた。そして、ヴォルデモートへと成長してしまい、すっかり闇の世界に浸かってしまった。もう、彼は戻ってくることが出来ない。わしは、トム・リドルを正しい道へ導くことが出来なかった。このままセレネを帰してしまえば――トムと同じ道を辿る気がしてしまう。
「それでは、私はこれで帰らせていただきます」
セレネはローブを翻し、わしに背を向けた。
「覚えておるかの、セレネ。以前、病室で君に言った言葉を」
わしは、遠ざかる小さな背中に声をかけずにはいられなかった。
セレネは立ち止り、ゆっくりと振り返る。その横顔は、ハッとするくらいトム・リドルと瓜二つだった。
「死を避けることを考えてはいけない、でしたよね?」
「そうじゃ―――永遠の命とは、実に虚しいものじゃよ。
決して、追い求める価値がないことじゃと分かっておいて欲しい」
「――はい、分かりました。それではお休みなさい、ダンブルドア校長先生」
小さい背中。
わしはこの一年間、クィレルの手から「賢者の石」を護るために活動してきた。それが、ハリーを護ることにも繋がり、ヴォルデモートの復活を遅らせることにも繋がると信じて。
しかし、もう1つ大きなことを見逃してしまっていた。
直死の魔眼を持ち、死に怯える少女を正しく導くという重大な仕事を。
「セレネ、わしは君を信じておる」
セレネは、闇に落ちない。
こちら側に戻ってくることが出来る、と。
大広間に着いたときには、既に人で溢れていた。
広間は、緑の布地を銀で縁取ったスリザリンカラーで彩られている。蛇を描いた巨大な横断幕が、味気ない壁に色を添えていた。寮対抗杯を手にした祝いとして、スリザリンのテーブルは喜びの絶頂に達していた。
「セレネ!もっと喜びなよ!!」
ダフネ・グリーングラスのツインテールが、ウサギの様に飛び跳ねている。
どうやら黙々と本に目を落とす私が、喜んでいないと思ってしまったようだ。
事実、純粋に喜ぶことは出来ない。先日の敗退は、私の心に大きな影を落としていた。しかも、私を敗退に追い込んだ人物が同じ空間にいるのだ。優等生のセレネ・ゴーントの存在に傷をつけてしまった。いくら傷が小さくても、いくら傷を知る者が1人しかいなかったとしても、喜べるはずがない。
ただ、こうして借りてきた本を読み、現実を逃避する。
「優勝したことには、喜んでいますよ」
この世界は弱肉強食。
敗者は惨めに死ぬ。私の所属する寮は、他の寮に勝った。それは当然の結果であり、勝たなければならない。喜ぶまでもなく、当然の結果だ。
「ふん、こんな時まで優等生面とは――余裕だな、ゴーント」
両手に花――もとい、パンジー・パーキンソンとミリセント・ブルストロードを従えたマルフォイが、鼻で笑ってくる。パーキンソンもブルストロードも――特に、パーキンソンは恍惚とした表情を浮かべ、マルフォイの顔を見つめていた。
「それにしても、何を読んでいるんだ?試験は、とっくに終わっただろ。もしかして、ゴーントは補習の勉強か?」
「錬金術の本ですよ、マルフォイ」
私は「錬金術」に興味があるという設定になってしまっている。
日時は未定だが、ニコラス・フラメルと面会する機会を手に入れた以上、少しでも錬金術に関する知識を蓄積しなければならない。優等生セレネ・ゴーントの勉強は、まだまだ終わることを知らなかった。
「錬金術なんて、古臭い勉強してるな」
「知識はあればあるほど、役に立ちます」
それを聞いたマルフォイは、何か言おうと口を開く。
しかし――その言葉は、ダンブルドアの声に隠れてしまった。
「また、1年が過ぎた」
ダンブルドアの口調は、あの夜に話した時に似ている。どことなく朗らかで、落ち着き払っていた。
「さて、それでは寮対抗杯の表彰を行うことになっとる。点数は次の通りじゃ。
4位グリフィンドール312点。3位ハッフルパフ352点。2位レイブンクロー426点。1位スリザリン472点」
1位のスリザリンと、4位のグリフィンドールの間には160点も差があった。
ハリー達が以前150点を減らしたことが、160点も差を広げたのだろう。
しかし、結局のところ――、ハリー達が150点減点していなかったとしても、スリザリンは30点勝っている。結局は、スリザリンの優勝には変わりなかったのだ。
しかし、学校中からハリー達はイジメを受けていた。150点も寮の点数を減らした悪者として。
少しだけ、可哀そうに思えてしまう。一度でも罰則を受けて負けた者は、結果がどうであれ痛い目を見るのだ。やはり、負けてはいけない。
「よしよし、良くやったスリザリン」
スリザリンのテーブルは、嵐のような歓声と足を踏み鳴らす音で溢れかえっている。
誰もが、思い思いの方法で喜びを表していた。私も本を閉じ、手を叩く。周りの空気に当てられてだろうか、少し頬が緩んだ気がした。
「じゃが、最近の出来事も勘定に入れなければならん」
喧騒が嘘のように、大広間は静まり返った。スリザリン生から、少し笑みが消えた。なんだか、嫌な予感が胸を横切る。先生が咳払いをすると、口を開いた。
「駆け込みの点数をあたえよう。
まずは、ロナルド・ウィーズリー。
近年、稀にみる最高のチェスを披露してくれた。50点を与える」
グリフィンドールから、天井を吹き飛ばしそうな歓声が上がる。
ウィーズリーは、酷く日焼けしたように頬を紅く染めていた。どうやら、あのチェスの間を突破したらしい。だが、特別に興味はない。時間短縮のために「チェスの間」は「眼」を使い突破した。その難易度は、私に関係なかった。
「次に、ハーマイオニー・グレンジャー。
火に囲まれながら冷静な論理を用いて対処したことを称え、グリフィンドールに50点を与える」
ハーマイオニーは、腕に顔を埋めた。嬉し泣きをしているように視える。グリフィンドール生たちは我を忘れて、まるで自分たちが1位になったかのように狂喜していた。
その反対に、スリザリン生は声が出ないみたいだ。マルフォイもダフネも、他のスリザリン生も笑顔が凍り付いている。
「次にハリー・ポッター」
大広間は、水を打ったように静まり返った。
「その完璧な精神力と、並外れた勇気を称え、グリフィンドールに60点を与える」
耳をつんざくような大騒音だった。私は思わず耳をふさいだ。
それと同時に、脳が高速で回転する。グリフィンドールの点数は、160点加算された。つまり、スリザリンと同じだ。あと1点、そう、あと1点多く入ってしまえば――スリザリンは、負けてしまう――
「続いて、セレネ・ゴーント」
私は、立ち上がりそうになった。
そうだ、あの時――私はクィレルに呪文を浴びせた。1年しか魔法の勉強をしていないのにもかかわらず、大人を一時的に無力化させることに成功したのだ。これは、実際に石を護り抜いた上にクィレルを倒したハリーと同じ、は難しいかもしれない。しかし、少なくとも50点が貰える。いや、実際に罠を1人で潜り抜けてきたことも評価されると考えたら――それより多い可能性も期待できた。
私は、期待に胸を膨らませる。
「授業や試験の範囲に限らず、ありとあらゆる分野に興味を示す、その尽きることのない探究心を称え、スリザリンに20点を与える」
「20点!?」
私の叫びは、スリザリンの歓声に飲まれてしまった。
私はクィレルを無力化し、先生たちの張った罠を潜り抜けた。ハリーやハーマイオニー達よりも、多く点数を貰えるはずだ。しかし、20点とは何故だろうか。
私が考えていると、ダンブルドアの口が再び開いた。
「勇気にも色々ある」
ダンブルドアの言葉は、私の思考とスリザリンの歓声を遮った。
「敵に立ち向かうよりも、味方に立ち向かう勇気の方が難しい。
よってわしは、ネビル・ロングボトムに20点を与えたい」
爆発的な歓声が、グリフィンドールから湧きあがった。いや、グリフィンドールだけではない。レイブンクローやハッフルパフからも大歓声が湧きあがった。少なくとも、スリザリンの単独優勝が防がれたことが嬉しいのだろう。狂ったような大歓声だった。
「グリフィンドールと、同一優勝だと?」
誰かが呟いた。
スリザリン生は、誰もが唖然としていた。
私の加点がなければ、王者から滑り落ちていたかもしれない。
単独優勝を維持できなかった、しかもグリフィンドールと同点ということは、スリザリンに耐えられない屈辱だった。悔し過ぎて泣いている上級生が、ちらほら見受けられた。
「なんで?」
ダンブルドアと、目が合う。
その瞬間、単独優勝の敗因を悟った。
「探究心――しか、評価されてない?」
あの時、咄嗟に口から出た言葉しか評価されていない。
あくまでダンブルドアは、「錬金術の探究のため賢者の石を必要とした」と評価しているのだ。他諸々を触れていないのは―――賢者の石を盗もうとした行為で減点されてしまっているから、公表したら傷つくと考えたのかもしれない。
記憶が正しければ、窃盗は40点の減点対象。人の物を盗むという非道徳的な行いは、夜歩きよりも罪が大きい。本来は、賢者の石を護り通せることに成功したことに対する60点。しかし、そこから40点の減点を―――私の評価のために、話さないでくれた。
「優等生」という仮面を奪われたら最後、私には何も残らない。セレネ・ゴーントという存在は死んでしまう。つまり、情けをかけられたということだ。
もちろん、加点という事実には変わらない。だから、「石を護り通せた」という評価の代わりに「探究心」という言葉を掲げたのだろう。
「さて、グリフィンドールも優勝したので、装飾を変えなければならんのう」
ダンブルドアが、大きく手を叩いた。
緑と銀で彩られていた大広間に、赤と黄金のグリフィンドールをイメージした装飾が加わっていく。
「なんか、残念だったね、セレ――ネ、どうしたの?眼が赤いよ?」
ハッと我に返る。
気を引き締め、ダンブルドアから目を逸らした。
眼が充血してしまうほど、屈辱を感じていたのだろうか――。優等生セレネ・ゴーントにあるまじき失態だ。
「赤い、ですか?」
「あ、うん―――さっきは赤く視えたんだけど、光の加減かな?気のせいだったみたい」
どうやら眼の色は、元に戻ったらしい。
それにしても――アルバス・ダンブルドアは恐ろしい魔法使いだ。
これは、もしかすると「石」を使おうとしたことに気づいているかもしれない。
つまり、思考を放棄しても心は読まれてしまう。それは、人生経験の差かもしれない。
「悔しいな」
ふいに、言葉が零れ落ちる。
何が悔しいのか、少し理解できない。だが――なんとなく、悔しさの要因は分かっていた。
私は料理に向かう前に、もう一度――校長席を視た。
青い瞳は、もう私を見ていない。朗らかな笑顔を浮かべた彼は、グリフィンドールを眺めている。
アルバス・ダンブルドア。
歴代最高だと称される魔法使い。
その頂は高く、私は足元にも及ばない。私は情けをかけられた敗者で、向こうは勝者。
優等生であるセレネ・ゴーントは、常に優等生でなければならない。
だから負けることはご法度であり、勝たなければならない。幸い、この負けはダンブルドア以外には知られていない。
死を克服する。
そしてダンブルドアに勝って、負けを帳消しにする。
これで、私はセレネ・ゴーントを取り戻すことが出来る。
完全な優等生であり、身体に奔る線に怯えることのない、セレネ・ゴーントに。
賢者の石編、終了です。
次回から、秘密の部屋編に入ります。
毎日は難しいですが、投稿する際は20時投稿を心がけていきたいと思います。
※3月22日:訂正