「すみません」
トランクとトランクが激突し、互いによろけてしまった。
9月1日。9と4分の3番線。ホグワーツ全校生徒と保護者が、決して広いとは言えない駅のホームに集中する。私も人の流れに注意してトランクを担いでいた。しかし、少し余所見した時に、ぶつかってしまった。
「大丈夫だよ」
その子は、少し変わった感じの子だった。
濁り色のブロンドの髪をした子で、足元の何かを拾おうとしている。彼女の視線を辿ってみると、そこには1冊の雑誌が落ちていた。何人もの人に踏まれたらしく、靴の痕がいくつもついていて、あまり触れたくない雰囲気を醸し出している。
それでも少女は、表紙を軽くポンポンと叩いて、大切そうに抱えた。
「もしかして、私とぶつかった拍子に落としてしまいましたか?」
「そうだよ。でも、気にしないで。たぶんラックスパートにやられてたんだと思うから」
「ラックスパート?」
聞き覚えのない言葉に、首をかしげてしまう。ケルベロスという特定の魔法生物に関しての知識はあるが、その他の魔法生物についての知識はない。それでも、魔法生物と言うのはマグル世界の神話生物が多い。それにしても、ラックスパートと言う名は聞き覚えがなかった。
「ラックスパートはね、人の眼には見えないの。その辺りにふわふわって浮いていて、人の頭に入ってボンヤリさせちゃうんだ」
「そうですか」
さすが魔法界。不思議な生物がいるものだ。
私は納得すると、トランクを持ち直した。
「私、ルーナ・ラブグッド。今年入学するんだ。アンタも今年入学?」
ルーナ・ラブグッドは、スキップする様についてくる。どうやら、私も同期だと思われてしまったらしい。確かに、身長は伸び悩んでいた。スリザリンの同期の中では、私の背が1番低い。それは成績に繋がらないため、特に気にしないようにしている。
「私はセレネ・ゴーントと言います。スリザリンの2年生です」
「あっ、ごめん。てっきり1年生かと思った」
「謝る必要はありません。気にしていませんから」
ラブグッドより、一歩先を歩く。
ラブグッドは何か言いたげな顔をしていたが、気にしない。
私は汽車に入り込むと、空いている席を探す。
学年の指定はなく、最前列の車両以外は自由席だ。大半の席は生徒たちで埋まっていたが、中ほどの車両に1つ―――誰もいないコンパートメントが残っていた。
「良かった、空いてるところがあって!」
私が入った後から、ラブグッドも入り込んでくる。
「どうしているのです、ラブグッド?」
「どうしてって?」
どういうこと?と首をかしげる。文句の言葉が喉元まで上がって来たが、無理やり捻じ伏せる。私はスリザリンの優等生、セレネ・ゴーントだ。この程度で文句を言う人間ではない。
「いえ、なんでもありません」
「そう?―――あっ、パパだ!!」
ラブグッドは銀髪を輝かせながら、窓から体を乗り出した。
大きく手を振る先には、一際奇天烈な男性が立っていた。その人の周りだけ、人が寄りついていないようにも見える。三角と丸を合わせたような、不思議な首飾りを提げている。
「セレネのパパは?」
「私の義父さんは――あそこですね」
ホームを覗いてみると、小さくクイールの姿が視えた。
クイールも私の顔に気づいたのだろう。ニコッと微笑み、こちらに手を振る。だから、私も彼に手を振り返した。ちょうど、それに呼応するかのように汽笛が鳴り響く。小さいクイールの姿は豆の様に小さくなり、ついには消えてしまった。ホームは遠ざかり、ロンドンの町並みが流れていく。
「あっという間の夏期休暇、でした」
小さな呟きも、窓の外と共に流れていく。
宿題とマグルの勉強、そして錬金術の勉強をしている間に、いつの間にか夏期休暇が終わってしまった。2カ月は、あっという間だった。これから長いようで短いホグワーツでの生活、再び幕を開ける。
「――っん」
その時、途端に眠気が襲ってきた。
昨日遅くまで――いや、連日遅くまで読書やら勉強やらをしていたからだろうか。瞼が急激に重くなる。本を読もうとしていた指が重く、思うように動かない。
「寝てもいいよ。到着したら、起こすから」
ラブグッドは、雑誌から顔を上げないで言った。
同席相手がいる以上、寝てしまうのは失礼な気がする。しかし、これ以上――目を開けることは難しい。ここは、ラブグッドの好意に感謝することにしよう。
「ありがとうございます」
旅は長い。
これから夕暮れ時まで1人のんびり、午睡を貪るとしよう。
少しくらい――意識を手放しても許されるはずだ。そう思い目を閉じたが最後、私の意識は深く深く―――沈んでいった。
「■■――!」
小さな少女は、部屋に飛び込んだ。
成績のトップを示す通知を握りしめ、満面の笑みを浮かべている。傍から見ている私まで、表情が綻んでしまいそうだ。■■を喜ばせるため、誰にも負けないように努力し続けた結果だった。今の少女は、ちっぽけな公立学校の頂点ではなく、イングランドでも有数の成績を誇っていた。全ては、■■を喜ばせるため。たった1人の大切な人に笑ってもらうため。それだけのために、少女は成績のトップスコアを目指し続けていた。
目的が、ついに叶った。これで、ようやく―――夢が実現する。
「私だよ、■■!」
しかし、次の瞬間――少女の表情は固まってしまう。部屋の中には、誰もいなかった。
レースのカーテンが風に揺れ、黄色のリコリスが白い部屋に映えている。それ以外は、椅子とベッドしかない殺風景な部屋。ここの主は、何処へ行ったのだろう?
「■■?」
少女は、不思議そうに周りを見渡す。
誰も少女の声に、反応する人はいない。少女の言葉は、白い空間に吸い込まれていく。
次第に、少女は怖くなってきたのだろう。白い世界から逃れるように、廊下に飛び出た。そこで、背の高い人にぶつかってしまう。
「セレネ!!」
「ねぇ、義父さん。■■はどこ?」
クイールは、泣き出す一歩手前の表情を浮かべている。
だんだんと、少女も泣き出しそうになってきた。だけど、涙をこらえるように拳を握りしめる。ぐしゃり、と成績通知表に皺が寄った。
……。
「あっ、セレネ。目が覚めた?」
薄らと目を開ける。
心地の良い汽車の揺れ。温かい午後の日差し。
いつの間にか――前の席には、ハーマイオニー・グレンジャーと赤毛の少女が腰を掛けていた。
「ハーマイオニーと……そちらの方は?」
「ジニー・ウィーズリーだって。空いてる席探してるみたいだったから、誘ったんだ」
ラブグッドが代わりに応える。
相変わらず、先程の雑誌を読んでいる。表紙が違うので、バックナンバーだろう。一体彼女は雑誌を何冊持ってきているのだろうか。―――いや、それは置いておこう。
私は、ジニー・ウィーズリーに視線を戻すと、少し目を細めた。
「ウィーズリー?もしかして、ロン・ウィーズリーの妹さんでしょうか?」
ジニー・ウィーズリーは、私の問いかけに頷いた。
燃える様な赤い髪に、鳶色の瞳、そばかすは――どことなくウィーズリーを連想させた。
「初めまして、ジニー・ウィーズリー。私は、セレネ・ゴーントと言います」
ジニー・ウィーズリーと握手を交わす。ハーマイオニーは、意味ありげに微笑んだ。
「ね、スリザリン生だって悪い人ばかりじゃないのよ」
「悪い人ばかり?」
私が目を細めると、ハーマイオニーの表情は苦笑いへと変わる。
大方、ジニー・ウィーズリーは兄同様、スリザリン生について好印象を持っていなかったのだろう。この寮間の溝はどうならないものかと、つい考えてしまうが――それは、優等生のセレネが気にすることではない。
「そういえば、セレネはどんな夢を見ていたの?なんというか――うなされていたけど」
ハーマイオニーが、話題を変えてきた。
私は数分前まで視ていた夢に、想いを馳せる。どんな夢を見ていたかは、よく思い出せない。
小さなセレネ・ゴーントが、白い部屋に走り込んでいる夢。嬉しくてたまらなかった気持ちが、急激に萎んでいく感覚は、不思議と現実のように思えてしまう。しかし、セレネ・ゴーントの9年間の記憶に、あのような場面は残っていない。きっと、ただの夢だったのだろう。だが―――懐かしいような、悲しいような、胸が締め付けられる感じがした。
「問題ありません。大した夢ではありませんでした」
夢から、気持ちを切り替えよう。
私は、外を眺めた。のどかな農村風景が流れては消えていく。
劇的な変化もない風景は、私を一層、憂鬱な気持ちにさせた。ふと、気を緩めると考え込んでしまうのだ。
あの夢は、本当にあった出来事ではないか、と。