学校が始まり、私は図書館通いを再開させていた。
錬金術師パラケルススの本は、相変わらず少ない。図書館の中でも埃臭い奥の奥を探し歩いても、1週間で2冊しか発見できなかった。しかも、そのうちの1冊は既にダイアゴン横丁で購入したものだったので、実質1冊しか発見できていない。何故、錬金術関連の本が少ないのだろうか。それとも、パラケルススが異端なのだろうか。
「久し振りですね、セレネ」
囁き声で、私は顔を上げる。
前に座っていたのは、ジャスティンだった。ロックハートの本を広げ、にこやかに微笑んでいる。
「こちらこそ久し振りです、ジャスティン」
ダイアゴン横丁で行動を共にしたこともあり、少し仲良くなった。スリザリンとハッフルパフと所属寮が違うので会う機会は滅多にないが、偶にこうして図書館で会う。後に、ハーマイオニーも交えた3人で話す機会も増えるのだが―――それは、また別の話。
「セレネは、ロックハートの授業の噂――聞きましたか?」
ジャスティンは、司書のいる位置を確認してから――さらに小さい声で問うてきた。あの日――書店を騒がせていたギルデロイ・ロックハートは、今年から「闇の魔術に対する防衛術」の教師に就任した。彼の行う授業は、この昼休みの後――つまり、次の時間だった。本の記述と本人に対する印象から、そこまで期待できる授業が行われるかどうか疑問を感じてしまう。しかし、もし―――万が一、あの本通りの男であるならば、授業に期待出来る。本に記載されていない裏話が、聞けるかもしれないのだ。だから若干――本当に小匙一杯分くらいの淡い期待はしていた。
「あの男――いや、失礼。あの先生の授業で、何か起こったのですか?」
しかし、ジャスティンの反応を見る限り――その期待は消え失せそうだ。
「グリフィンドールの授業で起こった出来事らしいのですが―――教室に放ったピクシー妖精に為す術もなかったらしいんですよ」
「やっぱり、そうでしたか」
授業への期待は、あっけなく塵と化した。
自信満々に悪戯好きのピクシー妖精を放ち、逆に襲われ逃げ惑う姿が目の前に浮かんでくるようだ。そのような男の授業に出るだけ、時間の無駄に思えてしまう。このまま図書館に残って、パラケルススについて調べていたい。だが、授業に出ないと単位が貰えない。
私は、小さくため息をついた。
「やっぱり?」
「あの本は、まるで物語です。面白く纏められていますが――恐らく、あれはロックハート先生が体験したことではないと思います」
首をかしげるジャスティンに、私は囁き返した。
「本では、あんなに目の覚めるようなことをやっているではありませんか。
もしかしたら、噂も体験授業の一環かもしれませんし」
どうやら、ジャスティンはロックハートに疑問を覚えつつも、心酔しているらしい。
心酔する理由は、分かるような気もした。電話ボックスまで追い詰められても、土壇場の逆転劇を見せたり、荒れ狂う狼人間を、素手で叩きつけたりするなんて、華々しい活躍した人物の教えを乞う機会は、滅多にない。そのような人物は、自分から遠い世界の出来事であり、それが身近にいるとなったら――興奮するのが人というものだ。
「描写表現が、足りな過ぎます」
私は、本を閉じる。そろそろ始業10分前の鐘が鳴る時間だ。
私は貸出手続きの準備をしながら、話しを続ける。
「もし、実際に体験したことであるならば、もう少し臨場感の出る表現が出来るはずです。
しかし、全てが軽いタッチで描かれています。つまり――」
「誰かの体験談を、ロックハートがゴーストライターとして書いているということですか?」
ジャスティンが、どこか辛そうに呟いた。
楽しい夢から覚めてしまったような、どことなく陰のある苦い横顔だった。
「なんとなく――それは、僕も感じていました。実際に会ったロックハートは、目立ちたがり屋な方でしたし。この本に書いてあるような――勇気溢れる魔法使いなんて、滅多にいませんよね」
その声と共に、始業前を告げる鐘が鳴り響いた。
その瞬間、ジャスティンの表情は先程までの穏やかな表情(もの)へ戻っていた。机に出していた本を鞄に戻し、私達は立ち上がる。
貸出手続きを終えた私は、ジャスティンと別れ、まっすぐ前年度までクィレルが使っていた教室へと向かった。教室は様変わりしており、右を見ても、左を見てもロックハートの顔写真が微笑んでいる。スリザリンの同級生は、既に揃っていた。ダフネとブルストロードとパーキンソンの3人は、ロックハートについて、頬を染めて熱心に語っている。
反対に、ドラコ・マルフォイら男子生徒一同は興が醒めた様に退屈そうにしていた。
「みなさん、静粛に」
ロックハートは、マントを翻して現れた。
そして、ビンセント・クラッブの持っていた「トロールとのとろい旅」を取り上げる。ウィンクを続ける自分自身の写真のついた表紙を、得意げに高々と掲げた。
「私だ」
本人もウィンクをする。
前方の女子3人の間に、うっとりした様な甘い空気が漂った。
「ギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、『週刊魔女』5回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞。
もっとも、私はそんな話をするつもりではありませんよ。バンドンの泣き妖怪バンシーをスマイルで追い払ったわけじゃありませんしね!」
ロックハートは笑うのを待ったが、ごく数人が曖昧に笑っただけだった。
しかし、その反応を気にすることもなく、ロックハートは言葉をつづけた。
「全員が私の本を全巻そろえたようだね?今日は最初にちょっとミニテストをやろうと思います。心配無用―――君たちがどれくらい私の本を読んでいるか、どのくらい覚えているかをチェックするだけですからね」
テスト用紙が配られる。
基本的な内容は、頭の中に入っている。雪男の倒し方や鬼婆との出会いの瞬間、吸血鬼の対処法などは完璧だ。私は眼鏡を押し上げると、ペンを構える。
「制限時間は30分です。よーい、始め!」
私は、勢いよくページをめくった。
1.ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?
2.ギルデロイ・ロックハートの密かな大望は何?
3.現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、アナタは何が一番偉大だと思うか?
思わず、ペンを置きそうになった。
このテストで、本の内容をいかに理解しているのか、本当に図ることが出来るのだろうか。特に3問目は、テストではない。これは、雑誌の読者アンケートだ。本の内容を参考に自分の考えを書く問題なのかもしれないが、目の前に本人がいる以上――公正なテストとはいいがたい。
こんなことをしているならば、図書館に戻って錬金術の本を探していた方がましだ。しかし、進級するためには単位は必要だ。それに、セレネ・ゴーントは優等生だ。この程度で怒り、感情の赴くままに行動するなんて、ありえない。私は記憶の断片を頼りに、全力で回答する。
例え、虫唾が走るようなロックハートの授業であっても、セレネ・ゴーントは優等生であらねばならぬ。
「ちっちっち――皆さん、ちゃんと私の本を読んでいますか?」
30分後、ロックハートは答案を回収し、クラス全員の前で捲り始めた。
ちゃんと読んでいる?もちろん、私は読破した。しかし、このテストは本の内容とは一切関係ない。全てロックハートについて、どこまで知っているのか問うテストだった。
「『狼男との大いなる山歩き』を、もう少ししっかり読まないといけない子が多いですね。
第十二章ではっきりと書いてある様に、私の誕生日の理想的な贈り物は、魔法界と非魔法界のハーモニーですよ。それから、私の密かな大望は、この世界から悪を追い払い、ロックハート・ブランドの整髪剤を売り出すことです。みなさん、しっかり読んで来てくださいね」
読んだ。
だが、そのようなところまで目を通していなかった生徒は多いだろう。
ロックハートの悪戯っぽいウィンクに、私は内心ため息をついた。マルフォイなんて、呆れてものが言えない、という表情を浮かべていた。その後ろに座っていたセオドール・ノットとザビニ・ブレーズは、声を押し殺して笑っている。しかし、女子生徒3人はロックハートの話に、うっとりとした表情で聞き入っている。あの男のどこが魅力的なのだろうか。性別は同じでも、私には理解できなかった。
「情けないですね、グリフィンドールではミス・グレンジャーが満点を取ったというのに。
このクラスの最高得点は、ミス・ゴーントの50点です。嘆かわしいことに、4問も間違えてしまっています」
つい、拳を握りしめてしまった。
4問しか間違えなかった、ことが奇跡だ。クラスで1番を取ったというのに、何の達成感もない。むしろ、気怠さが増したようにすら思えてしまう。
「それでは、始めましょうか。『雪男とゆっくり1年』を開いて」
それからは、ロックハートが本を読み上げるだけの退屈な時間が過ぎていく。時折、誰かを指名し――本を朗読させる。退屈極まりない授業。ロックハートの自慢話に、欠伸が出そうになった。
この1年――無駄な時間をどう過ごそうか。
形だけ真面目に聞いているふりをしながら、そればかりを考えていた。
「おや、1時間とは早いモノですね。それでは、今日はこれまで」
待ちわびた鐘の音が、教室内に響き渡る。ロックハートは白い歯を見せながら、私達に手を振った。私はロックハートに背を向けると、さっさと廊下に出た。次の授業は、マクゴナガル先生の変身術だ。変身術は錬金術と同系列の学問だ。夏期休暇中の錬金術の自学習で疑問に思ったことを、尋ねてみようか。何かヒントになりそうな事柄を、手に入れられるかもしれない。そんなことを考えながら歩いていた時だ。
「おい、ゴーント」
振り返ってみると、そこには背の高いスリザリン生が立っていた。
セオドール・ノット。先学期は、ほとんど話したことがなかった同級生の1人だ。今頃になって、私に何か用だろうか。私は足を止めて、セレネらしい表情を浮かべた。
「何か用ですか?」
ノットは難しい表情を浮かべ、ポケットに手を入れている。
言おうか言わないか、迷っているようにも見えた。何も言わないノットに痺れを切らし、去ろうとした時――ようやく口を開いた。
「ゴーントは、何で蛇語を扱えるんだ?」
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