スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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24話 勝者の条件

 

 トム・リドルは、勝利を確信していた。

 馬鹿なジニー・ウィーズリーとスリザリンの末裔を名乗る小娘を利用し、もうすぐ憎きハリー・ポッターを殺すことができる。リドルは、ポッターから奪った杖を手の中で回しながら笑った。

 手筈通り、そろそろセレネ・ゴーントがポッターを始末している頃だろう。奇妙な装丁の本を使い、新しい「秘密の部屋の怪物」を召喚する。

 その直後――本当の怪物、バジリスクがセレネ・ゴーントを殺すことになるとは知らずに。

 

 

「運が悪かったな、あの小娘」

 

 

 スリザリンの継承者は2人もいらない。

 いつ自分にとって代わる存在になるか、分からない不安要素は全て排除する。

 確かに、あの末裔を名乗る小娘は相当の実力を持っている。服従の呪文を解除できるほど意志が強く、狡賢な知恵もまわる。本来なら、喉から手が出るほど欲しい手札だろう。

 だが、それ故に排除しなくてはならない。

 

 

「スリザリンの継承者は、僕だけでいい」

 

 

 その時だ。

 背後に、しずしずと何かが現れる気配がした。もちろん、現れるモノといったら1つしか考えられない。リドルは、勝者の笑みを浮かべた。

 

 

「戻って来たか、バジリスク」

 

 

 忠実なる下僕の名前を、振り返ることなく口にする。

 ぴちゃりっという水音と共に、血にまみれた何かが放り出された。それは、獅子が刻まれたネクタイとスリザリンの紋章が縫い付けられたローブだった。どちらも、致死量と思われる血がこびりついている。

 バジリスクは、見事仕事を達成してきたらしい。当面の敵は殲滅され、あと恐るべきはダンブルドア――だが、彼も既にホグワーツから追い出され、何も手出し出来ないだろう。

 これから――再び自分の時代が幕を開ける。

 魔法界を統べる最強の魔法使い、ヴォルデモート卿の復活だ。

 

 

「っくっくっく――はっはっはっは!!

生き残った男の子は、運が良かっただけだったんだ!

スリザリンの継承者も、これで僕だけだ!!

これからは僕が――闇の帝王、ヴォルデモートが再び世界を支配する!!」

 

 

 希望を胸に、高笑いをする。秘密の部屋に、トム・リドルの笑い声が響き渡った直後のことだった。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 血の塊が、口から零れた。

 自分の命が、徐々に失われていく感じがする。

 自分の胸を見渡せば、そこには巨大な穴が開いていた。何が起こったのか、まったく理解できない。いや、本当は理解できていたのかもしれない。リドルは、ゆっくりと重たい頭を後ろに回した。

 

 

「き……さま…!」

 

 

 ハリー・ポッターが、バジリスクの牙で日記帳を貫いている。

 日記帳からは、インクが激流のようにほとばしり、ハリー・ポッターの手の上を流れている。

 

 

「これが最後だ!」

  

 ハリー・ポッターは、日記帳目がけて再び牙を振り下ろした。

 

 

「ヴォルデモート!」

 

 

 日記帳に牙が突き刺さった瞬間、トム・リドルの悲鳴が響き渡った。

 リドルは痛みと自分が消えうせる恐怖で悲鳴を上げながら、どうして計画が破綻したのか考える。  

 そして、ハリー・ポッターの後ろに佇む人影を見つけ――1つの結論に至った。

 

 

「この――小娘――がっ!!」

 

 

 血まみれになったセレネ・ゴーントは、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 リドルは、彼女を呪い殺そうと睨みつけようとした。しかし、セレネの目を見た途端、恐怖が全身を駆け抜けた。

 眼鏡を外したセレネは、蒼い瞳をこちらに向けて笑っている。禍々しいまでに蒼い瞳だ。その瞳に魅入られた瞬間、死への恐怖が倍増させる。リドルは声なき悲鳴を上げた。

 

 

 (あの瞳は、なんだ?

 あれは、人間なのか?

 それとも―――)

 

 

 

 死。

 偉大なるサラザール・スリザリンも、その血を引く母ですら回避することができなかった存在が、自分の前に佇んでいる。

 強大な死は、静かに微笑みを浮かべ――何かを呟いた。その口の動きを読み取り、理解した時―――ハリー・ポッターが握りしめた牙が、完全に日記を両断した。

 耳を貫く絶叫と共に、トム・リドルは世界から消え去ってしまった。

 

 

 

 そう、呆気ないくらい簡単に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、1年が過ぎた。

 ホグワーツ特急は、生徒たちを乗せてロンドンへ走る。

 セレネは、1人――車窓を眺めていた。流れゆく風景を、なんとなく目で追う。たった1年前振りだというのに、特別懐かしいとも思わない。ただ、見覚えがあるはずの景色を眺めながら、首元に軽く巻きつく蛇の鱗を撫でていた。

 

 

『これが――外の世界なんですね』

 

 

 耳元で、誰かが嬉しそうに囁いた。

 舌を出して囁く蛇は、バジリスクだった。本来であれば見上げるばかりの巨体の持ち主だが、縮小呪文の効果で普通の蛇と見た目は変わらない。脅威の塊ともいえる黄色の双眼も、今であれば覗き込んでも、死んだり石になってしまうこともない。セレネの魔眼同様、魔力を通すことで効果が発動する仕組みになっているのだった。しかも、バジリスクの方が直死の魔眼よりON/OFFの切り替えがしやすいらしく、特別製の眼鏡やコンタクトを発注する必要はなさそうだ。――もっとも、どこに発注すれば、セレネがかけてる眼鏡が手に入るか分からないが。

 

 唯一、他の蛇と異なる点を挙げるとしたら、牙が1本欠けているという事くらいだろう。2本の牙のうち、1本はハリー・ポッターに杖に代わる武器として渡してしまったが、いずれ生えてくるはずだ。

 

 

 

『私――ずっとホグワーツの中で生きてきましたから――外の世界は、素晴らしいですね』

 

 

 バジリスクは、どことなく幸せそうだった。

 そして、ふと思い出したかのように――バジリスクは口を開いた。

 

 

『そういえば、結局――あの変な装丁の本は何だったんですか?

継承者様は、ハリー・ポッターと合流した後、迷うことなく燃やしていましたが』

『あぁ、あの本は茶番の小道具だよ』

 

 

 どうせ、このコンパートメントには自分しかいない。

 セレネは指を立てると、静かに蛇語で真実を告げた。

 

 

『トム・リドルに取り入るための偽物の手土産。

 ただ、仲間になりたいと言っても、信じてくれないだろうから』

『なるほどですね――しかし、手土産が受け入れられなかった時はどうするつもりだったのです?』

『受け入れられるさ。

 なにせ、この世界には神話上の生き物……バジリスクやユニコーンが本当に存在する。クトゥルフ神話の怪物がいても不思議ではないって考えるはずだ』

 

 

 セレネは、車内販売のカボチャパイを齧った。

 ほのかに甘い味が、口の中に広がっていく。成功を噛みしめるように、パイを咀嚼する。

 

 

『クトゥルフ神話は神話に間違いない。

 それに、ルルイエ異本は漢文で呪文が書かれている。それだけで神秘的だ。

 未来の彼なら万が一と言う可能性もあっただろうけど、一介の学生に過ぎないリドルが漢文を読めるとは思えないし、それに―――

 

 

 マグルの作り話に過ぎないクトゥルフ神話を、純血主義のトム・リドルが知っているとは考えられないだろ?』

 

 

 ここが最も大事なところだ。

 トム・リドルがホグワーツに在籍していたのは、1938年から1945年の7年間。

 H.P.ラヴクラフトが、創り出したクトゥルフ神話が本格的に広まり始めたのは、ラヴクラフトの死後――つまり、1937年以降だ。1938年にホグワーツに入学してから、マグルの世界と半ば決別していたと考えられるヴォルデモートが――アメリカ発祥の、しかもマグルが書いた創作物を読むとは考えられない。

 適当に抜粋した東洋の文字を書き殴り、魔法と魔法薬を使って古びた書物のように変身させた。一見すると、太古の昔からある古書の完成だ。

 

 

『神話と言い張れば、あとは問題ない。

 私も――最初は、本当に昔からある神話だと思っていたから。

 ――まぁ、少し考えれば、遭遇しただけで正気を失う魔法生物が存在するわけないって、分かりそうなものだけど』

 

 

 バジリスクは、黙って話を聞いていた。

 しかし、上手くリドルを騙すことが出来たとはいえ、セレネの表情は物思いに沈んでいた。バジリスクは、首をかしげる。

 

 

『浮かない顔ですよ、継承者様。

聞きたいことが、聞きだせなかったのですか?』

『いや、聞き出せた』

 

 

 セレネが、トム・リドルに尋ねたかったことは1つ――「何故、不死を求めるか」の一点だけだった。

 セレネ・ゴーントは、本当の自分が分からない。

 そもそも、自分は過去のセレネ・ゴーントと同一人物なのかすらあやふやで、確かな自分の気持ちが分からない。

 けれど――1つだけ、自分の気持ちだと断言できるくらい強い衝動があった。

 そう、それは――

 

 

「私は、死にたくない」

 

 

 死を恐怖する感情だ。

 優等生を演じる受動的な感情からは、産まれるはずもない「賢者の石」に対する執着心。

 それは、もしかしたら『』と接していた期間に出会った恐怖感からかもしれない。眼鏡を外すと浮かび上がってくる、あの線のせいかもしれない。

 いずれにしろ、自分の大半は「死」に対する恐怖で作られている。

 それが分かるだけで、セレネは少しだけ安心することが出来た。

 

 

 だから、セレネはトム・リドルの――いや、ヴォルデモート卿の思想に少なからず共感していた。死にたくない、私も石を手に入れ「死」を逃避したいと。

 しかし、盲目的に共感することは危険だ。そう直感したセレネは、いつでもリドルを裏切ることが出来る体制を整えてから、詳しく彼の思想を本人から聞き出して――文字通り、幻滅した。

 

 

 

 ヴォルデモートは、純血主義だ。

 死を拒否した後の思想が、マグルを殲滅するという思想に共感することができなかった。

 マグルの社会で生きてきたからかもしれない。他の理由があるのかもしれない。

 いずれにしろ、セレネはトム・リドルを切り捨てた。

 

 

 全ての罪をリドルに押しつけ、再び自分は陽の下を歩く。

 負けた方が「悪」であり、「死」が待っている。そして、何があろうと勝った方が「正義」で、物事を決める力を手に入れるのだ。

 適当に作った「ルルイエ異本」を「リドルが使っていた謎の魔道具」だと偽り、「今やっと効果を封じ込めたばかりだ」と言えばいい。証拠もハリーの前で燃やしてしまったので、跡形も残らなかった。

 バジリスクも失神呪文で気絶させた。バジリスクが死んだと勘違いしたハリーが、リドルの本体――つまり古びた日記帳――を仕留めに向かった後、「殺した」と偽って、こうして生かすことが出来た。

 秘密の部屋へ乗り込んだハリーや、その協力者のロン・ウィーズリーと一緒に「ホグワーツ功労賞」なる賞を受諾し、なおかつ夏休みを利用して、ニコラス・フラメルと正式に会う機会まで手に入れた。

 

 

 

 勝者のセレネは、全てが順調だった。

 

 

 

 ある1点の謎以外は。

 

 

(何故――リドル本体に、死の線が視えなかった)

 

 

 その理由だけが、分からない。

 眼鏡を外しても、リドルの身体に纏わりついているはずの「死の線」が視えなかった。誰にも、あの気持ち悪い線が纏わりついている。今まで、纏わりついていなかったのは、たった1つ。

 塵芥の霞同然なヴォルデモートだけだった。

 

 

(石が無くても、不死を完成させた――ということ?

 だけど、あの日記帳には線が纏わりついていた。

 ハリーに「杖に代わる武器」として渡したバジリスクの牙で壊すことが出来なかったとしても、私の眼を使って破壊することが出来た。

 リドルは――賢者の石を手に入れたら、最低限利用し砕くと断言していた。

 日記帳という有限の道具を砕かれたら死ぬとは、考えていなかったのだろうか。

 もしかして――日記帳に自分の記憶を封じ込める他にも、不死の方法を幾つか用意していた、ということ?

 

 あの日記は、捨て駒だったのか?)

 

 

 セレネは、首を横に振った。

 考えが纏まらない。

 あの日記帳が、ヴォルデモートの不死の理由だと考えられるけれども、断定はできない。ただ単に、若い時から自分はこんなに凄かったのだ、と鼓舞するためだけに作られたものかもしれない。いずれにしろ、情報が足りな過ぎる。

 

 

『まだまだ――やることがありそうですね、継承者様(あるじ)』

『そう――ね』

 

 

 静かに呟いたとき、誰かがドアを控えめに叩く音がした。

 セレネは、バジリスクに視線を向ける。バジリスクは意図を察したのか、黙ってトランクの中にもぐりこんだ。その尻尾が消えた時、セレネは

 

 

「どうぞ」

 

 

 入室を促す。

 ゆっくりとドアが開いた時、セレネは少し目を見開いてしまった。

 

 

「久し振りです、セレネ」

 

 

 そこにいたのは、ジャスティン・フレッチリー・フィンチだった。

 物静かなハッフルパフ寮の少年は、いつも通り控えめな笑顔を浮かべていた。

 何故、このタイミングで現れたのか。セレネには、理解できなかった。

 

 

「どうして、ここに?

てっきり、ハッフルパフ寮の方々と一緒にいるとばかり」

「ええ、さっきまでアニーやハンナ達と一緒にいました。

だけど、1つ――セレネに、言い忘れていることがあったんです」

「言い忘れていること?」

 

 

 セレネが首をかしげると、ジャスティンは、どこか寂しそうに微笑み――ゆっくりと頭を下げる。

 

 

「ごめんなさい、クリスマスの約束を守れなくて」

 

 

 そう言われて、やっと――セレネは思い出した。

 彼が石になる前に、一緒に大英博物館へ行こうと約束したことを。

 たった半年前の約束なのに、大昔に起こった出来事のように思えた。遠い遠い昔の約束を思い返しながら

 

 

「あれは、トム・リドルのせいですから気にしないでください」

 

 

 と言う。

 約束を守れなかったのは、ジャスティンのせいではない。バジリスクにマグル生まれの生徒を襲わせていた、もっといえば、ハリー・ポッターに関わりの深いマグル生まれを襲わせていたトム・リドルのせいだ。バジリスクの視線を間接的に見て、石になってしまった彼は被害者といえよう。

 

 

「そうかもしれませんが――それでも、約束を破ってしまったことには変わりありません。

 あの、えっと、その……」

 

 

 ジャスティンは、何か言い淀んでいる。

 何を言い出すのだろうか、と黙って次の言葉を待つ。しかし、時は無限に与えられているわけではない。言い淀んでいる間に、車窓の風景は穏やかな農園から一変しビルが立ち並び始めていた。そろそろ、ロンドンに到着するというアナウンスが流れ始める。

 ジャスティンは、情けなく息を吐いた。

 

 

「……すみません、また今度」

 

 

 ジャスティンは淋しそうに別れを告げると、セレネに背を向ける。

 小さな背中を眼で追うセレネだったが、大きくため息をついて――気がつくと

 

 

「ダイアゴン横丁、一緒に行きません?」

 

 

 と言っていた。

 ジャスティンは、驚いたように振り返る。これ以上ないくらい目を丸くさせて、固まっていた。

 

 

「別に深い意味はありません。

 ただの埋め合わせ、ですよ。時間の都合上、大英博物館は無理そうですが」

 

 

 言葉通り、深い意味は無い。

 セレネは、1人で行動することが多い。むしろ、この2年間で1人に慣れてしまった。

 だが、偶には誰かと一緒に行動するのも悪くない。

 それに、あの言い淀んでいた反応からして、彼は、マグル出身の誰かとマグル社会の話をしたかっただけにちがいない。

 たまには、魔法界とは別のマグルの話をするのも良いだろう。今回、マグルの知識が役に立ったのだから、マグルも捨てたものではないのだ。

 マグルの情報を手に入れる人間と関係を築いておくことで、何か良いことがあるかもしれない。

 

 

「きっとですよ!今度こそ約束ですよ、セレネ!!」

 

 

 ジャスティンは嬉しそうな声を挙げ、大きく手を振りながら駆けて行った。

 セレネはしばらく彼の背中を見送っていたが、自分も降りる支度をしなくてはならない。そっと、コンパートメントに戻る。

 

 

『継承者様、先程より機嫌が良さそうですね』

 

 

 いつの間にか、トランクから顔を出していたバジリスクが教えてくれた。

 その指摘で、セレネは自分の頬が緩んでいることに気がつく。

 何故笑っているのか、セレネには分からなかった。

 

 

『そうか?

それよりも、大人しくトランクの中に入ってな。家に帰ったら、出してあげるから』

 

 

 再びバジリスクがトランクに入った時、ホグワーツ特急は動きを止めた。

 窓の外を眺めれば、沢山の魔法使いやマグルの服に身を包んだ保護者が群がっている。その中に紛れて、懐かしい義父の姿を発見する。クイールも、セレネの姿を見つけたのだろう。セレネに向けて、大きく手を振ってきた。

 

 

「今は、考えるのを止めようか」

 

 

 小さく呟くと、セレネはトランクを担ぐ。

 今日くらいは、しっかり休もう。明日から、再び目的に向けて活動を再開すればいい。

 

 

 セレネは、短い夏休みに向けて歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 




秘密の部屋編、これにて終了です。
次回から、アズカバンの囚人編に入ります。

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