スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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30話 守護霊よ来たれ

 

 ハロウィーンの朝、セレネは少し不快な気持ちになった。

 今日は、3年生が初めてホグズミード村へ行くことが許可される日だ。誰もが彼もが「村へ行ったら何をするか」という話題で盛り上がっている。

 しかし、別にそれはどうでも良い。朝食の席でも

 

「まずは、三本の箒に行きましょうよ!バタービールを飲んでみたかったのよねー!」

「俺達、ハニーデュークスに行く」

「お前らさ、部屋に食べきれないほどの菓子があるだろ」

「僕は叫びの屋敷だな。母上には絶対に行くな、と念を押されたけどね。なに、イギリスでもっとも怖い屋敷なんて嘘に決まってる」

「ねぇ、ドラコ。2人でマダム・パディフットの喫茶店に行きましょうよ。その取り巻き共は置いておいて」

 

 などと騒ぐマルフォイ達の会話を、気にも留めてなかった。

 普段通りに朝食を済ませると、誰かに話しかけられる前に席を立つ。しかし、大広間から出た瞬間に、つかまってしまった。ほとんど話したことも無いスリザリンの上級生が、セレネの前に立ち塞がったのだった。

 セレネは、またか……と、うんざりしながらも、それでも寮の外なので優等生の仮面をかぶった。

 

「何かご用でしょうか」

「はっ、これから俺はホグズミード村へ行くのですが、何か欲しいものはございますか?」

 

 この問いかけを、一体何度耳にしたことだろう。

 ホグズミード村へ行ける日程が掲示されてから、そろそろ1ヶ月。セレネは、これまで何人もの上級生から同じ質問をされていた。共通している点は、全員スリザリンの上級生であるということと、その全員が「スリザリンの継承者」の信奉者であるということだ。

 1年、2年と信奉者は増え続け、ノット曰く「セレネ・ゴーント親衛隊」なる組織がスリザリンに結成されているらしい。全20か条以上の令が定められているらしく、その事実をノットから知らされた時、何とも言えない複雑な気持ちになったのは忘れられない。どのくらい隊員がいるのかといえば、先日入院した際、見舞い客が絶え間なく訪れたほどだ。

 もっとも、マダム・ポンフリーが面会謝絶していたおかげで、その全員の訪問を受けずにすんだわけだが。

親衛隊員からの好意を受け入れるのは簡単だが、問題はその後だ。セレネの脳裏に浮かび上がるのは、去年の誕生日――11月30日の朝、目を覚ますとプレゼントの山が築かれていた光景だ。ひとつひとつ中身を確認することに1日を使ってしまい、思わず消失呪文を使いたくなってしまった。それから数日間、セレネの機嫌が悪かったこともあり、それ以後は親衛隊の条例に「継承者自身が望まぬ限り、貢物は可能な限り控えるべし」という一文が追加されたらしい。

 しかし、それは裏を返せば「望むものならば、貢物をしても構わない」ということであり、こうして親衛隊の生徒が何か欲しい物は無いのかと、尋ねてくることが度々あった。もちろん、何が欲しいのか言った瞬間、去年の誕生日の二の舞になってしまう。

 だからセレネは、好意を丁重に断り続けていた。

 

「ありがとう、気持ちだけ受け取っておきますね――ベイジー」

「えっ、俺の名前を知っているんですか?」

「――名前くらいは覚えていますよ」

 

 ノットがリストアップした親衛隊のリストは、一応目を通してある。

 親衛隊など興味ない。だが、いつか何かの役に立つかもしれないし、逆に問題を起こすかもしれない。だからこそ、しっかり目を通すようにしているのだ。

 

「それでは」

 

 なにやら感激した様に顔を赤らめるベイジーを置いて、さっさとその場を退散する。

 大理石の階段を登り、誰もいない廊下を歩く。

 

「セレネ!!」

 

 その時だ。

 後ろから自分を呼び止める声が聞こえた。セレネが振り返ると、廊下の向こう側からハリーが走ってくるところだった。セレネは立ち止り、ハリーが追いつくのを待つ。

 

「久し振り、セレネ。マクゴナガル先生から聞いたんだけど、セレネもホグズミードに行かないで、城に残るんだよね?」

「まぁ――そうですね」

 

 そう答えると、ハリーはたちまち嬉しそうな表情を浮かべた。

 

「ハリーも残るんですか?」

「あー、うん。実は、叔父さんからサインを貰うことが出来なくて」

 

 ハリーは力なく笑った。

 だけれども、それでも居残り仲間を見つけられたことが嬉しかったのだろう。すぐに表情を緩め、嬉しそうに尋ねてきた。

 

「セレネはこの後、何をするの?」

「吸魂鬼を追い払う方法を習いに行きます、先生と約束しているので」

 

 今後のためにも、習っておいた方が良い。

 学校に在籍している間は良いが、万が一――野生の吸魂鬼と出会うことがあって、対処できずに死んでしまうことは避けなければならない。だからこそ、セレネは先生に頼み込んだのだった。吸魂鬼を撃退する魔法は、標準魔法レベルを遥かに超える。故に、1日で教えることはできない。だからこうして、ホグズミード村に行けない日程を練習日に定め、教えてもらうことになったのだ。

 

「吸魂鬼の防衛術か――あの――もしよかったら、僕も連れて行ってもらえないかな?

その、僕も吸魂鬼は苦手だし」

「そうですね――私は構わないのですが――」

 

 セレネは、先生の顔を浮かべる。

 飛び入りでの参加を許容してもらえるとは、到底考えられなかった。だけれども、物は試しともいう。

 

「とりあえず、頼んでみますか?」

「頼むよ、セレネ! 一緒に行こう!!」

 

 セレネは、ハリーと一緒に廊下を歩きはじめる。

 しかし、歩き始めて数分もしないうちに、ハリーの表情が曇った。

 

「あの――セレネ、ルーピン先生の研究室は、この階じゃないよ?」

 

 何かを確認するかのように、ハリーが囁いてくる。

 ルーピンの研究室は、この階ではない。セレネは歩きながら、首をかしげる。

 

「それは知っていますよ。しかし――どうして急にルーピン先生の研究室が出てくるのですか?」

「いや、ほら――闇の魔術に対する防衛術の先生は、ルーピン先生じゃないか。

あっ、もしかして、ダンブルドアから直接習うとか? それにしても、校長室はここじゃ――」

「――ハリーは、何を勘違いしているのですか?」

 

 とある一室の前で、セレネは立ち止る。

 その頃になると、誰に習うつもりなのか理解したのだろう。ハリーの顔色は見るに堪えない程、青ざめていた。ハリーは震える指で、部屋の扉を指した。

 

「セレネ、その――まさかと思うけど、この部屋じゃないよね?」

「ここで間違いないと思いますよ」

「ここの部屋、あの――えっと、誰の部屋か分かってる?」

「もちろん。この部屋は、寮監で私の名付け親の―――」

 

 そこまでセレネが言った時だった。

 音を立てながら、扉が開く。開かれた扉の隙間から、長身の黒い男が姿を現した。まるで、イギリスが滅んでしまったかのような仏頂面をした男の名前は――

 

「スネイプに、吸魂鬼撃退法を教わるの!? セレネ、君は正気?」

「ゴーント――何故、ポッターもいるのかね?」

 

 スリザリンの寮監、セブルス・スネイプだった。

 スネイプもハリー同様、心底嫌そうな表情を浮かべている。

 

「先程、私が吸魂撃退法を習いに行くと言ったところ、ハリーも一緒に習いたいと――」

「いいえ!やっぱり、僕はやらなくていいです。頑張ってね、セレネ」

 

 それだけ言うと、ハリーは逃げるように去って行った。

 余程、スネイプのことが嫌いなのだろう。瞬く間に廊下の角を曲がり、ハリーの姿は視えなくなった。

 

「入りたまえ、ゴーント」

「はい、お邪魔します」

 

 部屋は薄暗く、壁に並んだ棚には何百というガラス瓶が置かれていた。ガラス瓶の中は、さまざまな色合いの魔法薬が並んでいる。いや、ガラス瓶だけではない。動植物の断片が浮かんでいるガラス瓶もあった。セレネは、理科実験室にでもいる気分になった。扉を閉め、魔法薬を眺めていると、スネイプは軽く咳払いをした。スネイプは、少し開けた明るい場所に移動していた。

 

「さて、ゴーント――我輩が君に教えようとしている呪文は、非常に高度な魔法だ。標準魔法レベルを遥かに超える――『守護霊の呪文』だ」

「守護霊、ですか?」

「さよう」

 

 そう言いながら、スネイプは軽く手招きをする。セレネは、棚にぶつからないように注意しながらスネイプのいる場所に移動した。

 

「呪文が上手く効けば、守護霊が出てくる。それが、吸魂鬼を払う盾となる」

 

 セレネの脳裏に、ホグワーツ特急で見た光景が浮かんでくる。

 恐らく、あの時目撃した銀色の光が守護霊なのだろう。スネイプは話し続けた。

 

「吸魂鬼は、希望、幸福、生きようとする意欲などを貪り喰らって生きる。しかし、守護霊は本物の人間なら感じる絶望というものを感じることが出来ない。だから、吸魂鬼は守護霊を傷つけることが出来ない」

 

 スネイプは杖を取り出した。

 そして、何もない空間に杖を向ける。

 

「何か一つ、幸福なことを思い浮かべる。その思い出を渾身の力で思いつめ、呪文を唱える。

――『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』!」

 

 杖先から銀色の光が飛び出した。目が眩む程の光は動物の形をとる。それは、一頭の牝鹿だった。牝鹿は、部屋の端から端までをゆっくり駆けた。優雅に駆けていく銀色の牝鹿が、やがて霞になって消えていくと、思わずセレネは

 

「凄い」

 

 と呟いていた。

 これが、標準レベルを超えると言った理由に納得がいく。物質を消失させたり出現させたり、姿を変えたりする呪文とは一線を画していた。

 

「次は君の番だ、ゴーント。やってみたまえ」

「はい」

 

 セレネは杖を取り出して、何もない空間に真っ直ぐ向けた。

 

「幸福な思い出を浮かべろ、いいな」

「はい」

 

 返事をしたのは良いが、セレネは戸惑っていた。

 いざ、幸福な思い出を浮かべようとしてみたが、何も浮かんでこないのだ。セレネ・ゴーントの記憶は途切れている。ホグワーツに入学してから、そこまで幸福なことは無かった。その前の記憶を探れば幸福な思い出があるのかもしれないが、自分の物と感じられない。セレネは悩んだ末に、ヴォルデモートを出し抜いた時のことを浮かべた。

 1年生の時――初めて、賢者の石を手にした瞬間を。

 

「『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』!」

 

 杖の先から、何かが噴き出した。一筋の銀色の煙だ。しかし、それだけだった。煙は、形を帯びることなく消えて行った。セレネは、もう一度――賢者の石を手にした瞬間に神経を集中させる。しかし、集中させれば集中させるほど、その後に何が起きたのかまで思い出してしまう。その想いを振り払うように、セレネは杖を振るった。

 

「『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』!」

 

 杖から銀色の煙が出る。一瞬、形を帯びたかと思ったが、それはセレネの見間違いだった。形の無い煙のまま、空間に消えて行った。

 

「これでは――駄目ですよね」

「そうだな。最低でも有体守護霊――形のある守護霊を作り出せるようになる必要がある。

最悪、それでも身を護れなくはない。しかし、吸魂鬼と対峙した極限状態の中で作り出すとなると話が変わってくる。

――別の思い出を選んだ方が良いかもしれん。先程まで君が浮かべていた思い出は、十分な強さではなかったようだ」

「はい――分かりました」

 

 セレネは、眼を閉じた。

 ヴォルデモートを出し抜いた、賢者の石を手に入れた。あの歓喜に勝る幸福は、いくら考えてみても無かった。

 

「守護霊は、強い幸福な思いが作り出す。

思いつかないのであれば、幸福な場面を自分の中に作り出すことも1つの手だ」

「幸福な場面を作り出す」

「そうだ、幸福なことを思い浮かべろ」

 

 セレネは、ゆっくり目を開けた。

 幸福なこと。自分が幸福に思う事とは、何だろうか。セレネは必死で考えた。

 セレネが唯一自分の気持ちだと断言できることは、死を克服することだ。つまり、今製作しようとしている賢者の石を作り上げた瞬間、きっと自分は幸福に思うはずだ。悲願だった死を克服するのだから。

 

「いけるか?」

「はい」

 

 赤い石を思い浮かべる。

 赤い石が自分の手の中にある様子を、それを飲み干す様子を強く思い浮かべた。その瞬間、自分の腕に奔っていた「線」が消えていく。そして――

 

「『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』」

 

 杖先から、銀色の光が飛び出した。

 今度は、ボンヤリとした霞ではない。煙が何か巨大な物を形造っていく。しかし、それには足が無く、手も無かった。滑らかな身体を持つそれは、蛇に見えた。しかし、蛇にしては、あまりに巨大すぎる。決して狭い部屋ではないにもかかわらず、部屋が急に狭く息苦しくなった気がする。巨大な蛇はとぐろを巻くと、セレネの方に頭を向けてくる。その蛇の目は、固く閉じられていた。

 それを視た瞬間、セレネは気が付いた。

 

「大きな、蛇?」

 

 バジリスクによく似た守護霊に手を伸ばそうとすると、すっと霞になってしまった。

 しばらく呆然としていたが、スネイプが軽く拍手する音で我に返る。

 

「上出来だ、ゴーント。スリザリンに20点与えよう」

 

 スネイプの表情には、感心するような色が浮かんでいた。

 セレネは守護霊がいた場所を見つめながら、ポツリとつぶやく。

 

「今のが――私の守護霊ですか?」

「そうだな。守護霊には魔法使いの数だけ種類がある。

さて、ゴーント。今日はこれで終わりだ。我輩は、これから用事がある。寮に帰りたまえ」

 

 スネイプは、小瓶を握っていた。

 どうやら、その小瓶を誰かに届けに行くらしい。セレネは丁寧に頭を下げると、その場を辞した。

 図書館に向かいながら、セレネは守護霊がバジリスクの形をした理由を考えていた。それは、スリザリンの継承者だからバジリスクの姿になったのだろうか。それとも、まったく別の理由があるのだろうか。

 

 どこからか甘い香りが漂ってくる。

 厨房で、今日の夕食の準備が着実に進んでいるのだろう。

 カボチャの甘い香りを吸い込んだセレネは、誰もいない廊下を歩きだすのだった。

 

 

 

 


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