スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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33話 かつてない危機

 その日の午後のことだ。

 

「ゴーント、こっちに来い」

 

 談話室に入った途端、怒りを抑えたような声が呼び止めてきた。

 セオドール・ノットだ。ノットは腕を組みながら、壁に寄りかかっていた。相当いらいらしているのか、指でリズムを刻むように腕を叩いている。

 

「どうかしましたか?」

「どうかしましたか、じゃない! お前な、穢れた血と付き合うのはやめろ」

 

 開口一番、世事は抜きで本題を切り込んできた。

 

「自分の立場、分かっているのか?」

「ええ、もちろん」

 

 セレネはそれとなく周りに視線を奔らせ、自分たちの他に人がいないことを確認する。

 

「スリザリンの継承者」

 

 セレネはそう言いながら、手近なソファーに腰を下ろした。

 自分が「本物の継承者」であることは、スリザリンでは周知の事実だ。否。半信半疑、という言葉の方がふさわしいのかもしれないが、直接尋ねてくる猛者はおらず、親衛隊に入るような熱狂的信奉者は「セレネ=継承者」だと本気で信じている。

 

「それが問題でも?」

「大ありだ、この馬鹿!」

 

 セレネが鞄から教科書をとり出そうとすると、ノットはそれを手で制した。

 

「自分の立場が分かっていながら、どうして、ハッフルパフの――しかも、よりにもよって、穢れた血とクリスマスパーティーに行く約束を口にした?」

「もちろん誘われたからですよ、他に予定が入っていませんでしたから」

 

 数日前、ジャスティンに図書室で誘われたことを思い出しながら答えた。

 

「イギリス上流階級のクリスマスパーティーなんて、この機会を逃したら一生行けそうにありませんでしたし」

「だからってな、スリザリンの末裔が穢れた血との約束を優先するなんて……」

 

 ノットの額に筋が浮かび上がった。だが、まだ怒りを抑えている。拳を硬く握りしめ、深呼吸を数回すると、低い声で忠告して来た。

 

「いまは俺が情報統制をしているから、親衛隊が離れていかないだけだ。『穢れた血』とクリスマスを過ごすほど仲が良いなんて、嘘八百だと。

 だがな、それは時間の問題だ。このままだと、早晩に崩れるぞ」

「随分と親衛隊を気にしているのですね」

「当たり前だ。オレが隊長だからな」

「意外でした。私、てっきり、いやいや隊長を務めていたのかと」

「嫌に決まってんだろ!」

 

 ついに、ノットの怒りが爆発した。

 勢いよくテーブルを叩いた。あまりに強く叩いたせいで、ガラスのテーブルに盛大な亀裂が入る。だが、そのことに彼は気づいていない。彼の目は忌々しそうに、セレネの涼し気な顔を睨み付けていた。

 

「父上の命令だ。父上の命令がなければ、お前なんかの下にはついていない! だがな!」

 

 ノットは、音を立てながらソファーに座った。

 

「お前が失墜すれば、俺まで被害を受ける。父上の名を出せばなんとかなるかもしれないが、残りの四年間、いや、卒業後も肩身の狭い思いをする羽目になるんだ。そんなの耐えられるか!」

「……私も同感ですよ」

 

 セレネは軽く腕を組んだ。

 

「親衛隊は不本意ですが、私、こう見えて負けず嫌いなんです」

 

 最初に襲いかかって来たスリザリン生を倒したあの夜から、目立ちたくないと口では言いつつも、優等生の自分に汚点をつけることは嫌で、他の誰かに負けるのは更に嫌、失墜など御免被る。セレネはローブから杖をとり出した。杖を一目見た瞬間、ノットの身体が強張るのがハッキリ分かった。

 

「そう簡単に欠点を出して、敵を喜ばせると思いますか?」

「……まさか、わざとか?」

「当たり前です」

 

 とんとんと、杖で掌を叩いた。

 

「これはすべて策ですよ」

 

 それに続けて、小さな声で作戦を口にした。話が進むにつれて、ノットは目はだんだん丸くなっていく。しまいには、口まで阿呆みたいに開けていた。

 

「おい……まさか、それ、本気で言っているのか?」

「この私が、嘘を言うと思いますか?」

 

 セレネはほくそ笑むと、杖先を亀裂に向ける。

 

「『レパロ―直れ』」

 

 杖先がなぞったところから亀裂は塞がり、瞬く間に傷はもちろん、曇り一つないガラスのテーブルに戻った。

 

「もっとも、あなたに強制はできません。賛同いただけなければ、降りてもかまいませんよ」

 

 セレネは一応、逃げ道を用意する。

 ノットはしばらく考え込むようにうつむいていたが、意を決したのだろう。大きく肩を落とすと、長い息を吐いた。

 

「……分かった。こうなれば一蓮托生だ。その策、乗ってやる」

「さすが、セオドール。物分かりがいいですね」

 

 セレネは口の端を上げた。

 だんだんと寮の入り口が騒がしくなり始める。他の生徒たちも戻ってきたのだろう。ちょうど区切りも良い。セレネは立ち上がると、ノットの肩を軽く叩いた。

 

「あとはお願いします」

「……ったく、オレに丸投げかよ」

「丸投げとはとんでもない。あなたを信頼しているからです」

「……最初は『蛇にしてやる』って脅してきたくせに」

「そうでしたっけ? 私、脅しとは無縁の優等生ですよ」

  

 わざとはぐらかすと、ノットは苦虫を潰したような表情を浮かべた。

 

「相変わらず、とんでもない優等生だな」

 

 セレネはにこやかな笑みを浮かべると、そのまま女子寮に向かった。

 方針は決まった。行く先も定まっている。あとは、前に進むだけだ。空のベッドに横たわり、そのまま窓に視線を向ける。ここからは、湖の底が見える。心を落ち着かせるような、静かで深い緑色の世界。

 

「クリスマスが待ち遠しい」

 

 セレネは笑みを浮かべ続けていた。

 クリスマスに起きるであろう出来事を想像するだけで、胸が弾み、本を読む気もうせてしまう。これほどまでに、12月を待ち焦がれたことがあっただろうか。

 水中人が大イカと戯れながら、湖を悠々自適に泳ぐ――その姿を、セレネはしばらく眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、待ち望んだクリスマス。

 セレネは服を整え、こなすことを頭に叩き込み、パーティーに乗り込んだ。

 出発前、セレネの世界最高峰――エベレストまでに昂った気分は、いまや最底辺まで落ちていた。気分はマリアナ海溝を突破し、なかば諦観の域に達している。

 到着して早々、セレネを待ち受けていたのは予想していなかった強大な敵であった。

 それはスリザリン内の派閥争いなどとは比べ物にならないくらい厄介で、ヴォルデモートより恐ろしく、ダンブルドアよりも逆らってはいけない雰囲気を醸し出している。

 

「最悪、こんなことになるなんて」

 

 セレネは廊下を足早に進みながら、悪態を吐いた。

 

 派閥争いなど、頭痛の種でしかない。

 ヴォルデモートは杖や「眼」で立ち向かえばいい。

 ダンブルドアも慎重にことを運べば、いずれ隙をつくことができる。

 

 ところが、セレネの目の前に立ち塞がる「今回の敵」は、頭痛そのものであり、物理的手段で攻撃することは不可能であり、精神的隙をつくことも短時間では困難を極める。 

 ある意味、今まで立ち向かったことのない種類の相手だ。

 だが、まだ心は折れていない。

 

「さて、どうすればいいの」

 

 セレネは迫りくる強敵から、いかにして、この場から逃げ出すかだけを考えていた。 

 ヒールで歩きにくい足を懸命に動かしながら、思考に鞭を討つ。

 しかし、いくら考えても逃げ出す術は思いつかない。

 ここは大通りに挟まれ、四方は高い塀と生垣で囲まれた要塞のような屋敷だ。少なくとも、一介の子供に過ぎないセレネ独力での脱出は困難を極めていた。

 

「誰かに助けを求めるのが一番なんだろうけど……」

 

 セレネは、まず親衛隊を思い浮かべた。「こういうときこそ、役に立て!」と思うが、生憎、彼らメンバーは誰一人としてパーティーに呼ばれていない。バジリスクのアルケミーは騒動の元になるので、ホグワーツで留守番中だ。

 唯一、助け舟を出してくれそうな義父は、仕事でここには来れない。

 杖は鞄に入っているので、最悪の事態が来たら抜くことになるだろう。だが、ここは学校外。17歳以下の子供は学校外で魔法を使うことを禁じられている。

 

「この状況、生命の危険……に匹敵すると言い張れば、魔法省も許してくれるか? いや、だけど――」

「見つけたわ、あそこよ!」

 

 廊下の角を曲がった瞬間、敵と鉢合わせてしまった。

 セレネの身体は、バジリスクに睨まれたかのように固まってしまう。

 

「さあ、セレネちゃん。観念しなさい」

 

 敵――三人の婦人が廊下を塞いでいた。

 すぐに来た道を引き返したいが、苦手なヒールに対し、相手は踵の低い靴だ。ホグワーツで鍛えた脚力があるので負けはしないだろうが、相手はこの場を熟知している。持久戦で負けるのは目に見えていた。

 よって、ここは穏便に断り、敵の戦意を喪失させ、徹底させるのが良策だろう。

 セレネは慎重に言葉を選びながら、彼女たちに話かけた。

 

「私は……観念もなにも、ただ申し訳なく思いまして……」

「申し訳ないなんて! そんなことないわよ。

 さあ、おとなしく綺麗になりましょう!」

 

 婦人はにこやかに宣言すると、いかにも高価な化粧道具を掲げた。

 

「そうそう、女の子はおめかししなくちゃ!」

「せっかくのクリスマスだもの!」

 

 彼女の後ろの婦人は、鮮やかなドレスを、その隣にいる婦人は煌びやかなアクセサリーを。

 セレネは自分の顔が引きつるのが分かった。ゆっくりと後ずさりしながら、彼女たちとの距離を取る。

 

 おしゃれをする? 冗談ではない。

 

「私はこのままで十分ですから」

 

 優等生らしく謙虚に振る舞う……というのは表向きの理由に過ぎない。

 本当は他人が勝手に自分の身体に触れ、玩具のようにあれこれ衣装を試されるのが、たまらなく嫌だからだ。己の人権も尊厳をも侵害され、まるで物のように扱われる――なんたる恥辱だろうか。セレネの身体はぞくりと震えた。

 

「そもそも、ジャスティンの誘いとはいえ、私は一般庶民に過ぎませんから」

「そんなことを言わずに、さあさあ!」

「いえ、だから、私は――」

「遠慮しないで、セレネさん」

 

 しかし、悲しきかな。

 後ろから、がっしりと腕をつかまれてしまう。

 ぎぎぎ、と音を立てながら首を後ろに回せば、そこにいたのはセレネ以上に腕が細く、身体も細い婦人だった。眩しいまでの無邪気な笑顔を浮かべ、セレネの脱走を拒む。

 

「じ、ジャスティンのお母さま?」

「せっかくのパーティーですもの。ちょっとくらい綺麗になったところで、文句は言われないわ。

 それにね――」

 

 彼女の言葉に、悪意の欠片もない。

 だが、セレネからしてみると悪魔だった。油断すれば、小さく悲鳴を上げそうになる。

 

「私、女の子を着飾らせるのが夢だったの」

 

 あれよあれよという間に近くの衣裳部屋に放り込まれ、苦痛と恥辱の時間が始まる。

 連れ込まれたら最後、抗うこともできず、うっとうしい化粧、めまぐるしく変わる衣装、触るのも恐れ多いようなアクセサリーをつけては外される。

 

 ああ、なんでパーティーの数時間前から会う約束をしてしまったのだろうか。

 せめて、パーティーが始まる数分前ならこんなことにはならなかったはずである。

 セレネが己の未熟さを悔いている間にも、婦人たちの楽し気な会話と服選びが途切れることはない。孤立無援とはまさにこのこと。脱出不可能、救援皆無、どこまでも孤独で絶望的な状況である。

 

 

「さあ、セレネちゃん。あなたはどんなドレスが似合うのかしら」

 

 それから二時間弱――セレネ・ゴーントはジャスティン・フィンチ・フレッチリ―の母親の着せ替え人形になった。

 

 

 

 

 

 


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