「こちらです」
屋敷しもべ妖精は深々とお辞儀をすると、すぐに先導を始めた。
セレネはその後ろを歩く。しもべ妖精が歩くたびに、垂れ下がった耳が跳ねるように動いていた。
しもべ妖精を見たのは初めてだった。「幻の動物とその生息地」で概要を眺めたことはあったが、「大きな屋敷に仕える」ということくらいしかしらない。だから、実物を目にすると首を捻ってしまった。
あまりにも服装がみすぼらしすぎるのだ。
枕のカバーをくり貫いたような布だけを身に纏っている。雪がちらつく寒空の下だというのに、靴はもちろん、靴下すら履いていない。一応はシミひとつない清潔な布のようだったが、見ているこちらが寒くなってくる。
「しもべ」なんて言葉では生ぬるい。これでは、まるで「屋敷奴隷妖精」だ。
だから、セレネは思わず
「あなた、上着は持っていないのですか?」
と、尋ねてしまった。
すると、しもべ妖精はびっくりしたように跳ねた。そして、身体中を震え上がらせながら、怯えたようにこちらを見上げてくる。
「ミズリーはこれ以上の洋服を求めません!」
しもべ妖精は金切り声のようなキーキー声で叫んだ。
「ミズリーは由緒正しいマルフォイ家にお仕えするしもべ妖精です! ええそうですとも、服など必要ありません!」
「ですが、とても寒そうに見えますけど」
「お嬢様はお優しい御方です。しかしながら、ミズリーたちしもべ妖精のことを分かっておいでではありません。しもべ妖精に服を与えるということは、すなわち『解雇』ということなのですから!」
ミズリーと名乗る妖精は「解雇」という言葉を口にした瞬間、眩暈をしたように身体を揺らした。自分で口にすることが恐ろしくなるほど「解雇」されるのが嫌なのだろう。
「寒ければ、身体を温める魔法を使えばいいだけの話でございます。新しい服など滅相もございません!」
「……そうですか」
それっきり、セレネは何も尋ねなかった。
本人が満足しているなら、部外者が口を出すことではない。
「こちらでございます、ゴーント様」
しばらく進むと、玄関があった。
セレネの倍ほどの丈がある。オーク材の玄関には意匠を凝らした彫り物が施されていた。中央にはハグリットの頭でさえ、すっぽり入りそうなくらい大きいクリスマスリースが掲げられている。
これだけでも、ドラコ・マルフォイが「マルフォイ家のクリスマスパーティーの素晴らしさ」を自慢する理由が分かった気がした。
「ミズリーさん。案内、ありがとうございました」
「敬称など滅相もございません! また、帰宅の際にお呼びくださいませ。お送りいたします」
ミズリーは叫ぶように言うと、玄関を開けて早く中に入るように促した。
家の内装も贅の限りを尽くしたような素晴らしさだった。金銀輝く華やかな装いではなかったが、調度品の1つ1つが品よく収まっている。
ホールと思われる場所に近づくにつれ、笑い声や音楽、賑やかな話し声がだんだんと大きくなってきた。
「やあ、よく来たね!」
ホールに到着して早々、ドラコ・マルフォイは両手を広げながら現れた。
彼は黒いビロードの詰襟ローブを着ている。教会の牧師のようだったが、非常に良く似合っていた。
だがしかし、いつも引き連れている子分の姿がない。右隣には、パンジー・パーキンソン、そして左隣にはミリセント・ブルストロードが微笑んでいた。
両手に花である。
もっとも……悲しいことに、花たちのドレスはあまり似合っていなかった。
ブルストロードはせっかく大人っぽくてスタイルが良いのに、子どもっぽい可愛らしさを前面に出したフリフリピンク色のドレスを着ている。身長も高いので、アンバランスであることこの上ない。
少し小太りなパーキンソンも同じだ。フリルだらけの淡いピンク色をしたドレスは、彼女のふくよかさを強調してしまっている。
本人たちの趣味趣向の赴くままにドレス選びをしたのだと思うが、指摘した方がいいか?と考えてしまう。
「お招きありがとう、マルフォイ」
「待ちくたびれたよ、セレネ。この僕が直々に、由緒正しい魔法族のパーティーを案内してあげよう」
「んまぁ、ドラコ。ひどいわ。私という者がありながら」
「そうよそうよ。私たちも案内しなさいよ!」
マルフォイは少女二人に腕を絡めとられ、まんざらでもない笑みを浮かべていた。
セレネはパーティーに集った参列者に、ざっと目を通す。ほとんどが大人の魔法使いだ。男性陣はコスプレのようなローブを身に纏い、女性陣は華やかなドレスローブを纏って談笑している。
おそらく、ホグワーツ在籍児はセレネたちだけだった。
「あなたが招待したのは、私たちだけですか?」
「もちろんそうさ。父上の許しを貰ってね」
マルフォイは、どうだとばかりに胸を張る。
完全に私的なパーティーのようだ。パーティーに誘ってきたときの様子から「私的なもの」だと予想を立ててはいたが、本当にスリザリン派閥争いも関係ないものだったらしい。
「すばらしいだろ、セレネ。マグルのパーティーと比べてどうだい?」
マルフォイは鼻を鳴らした。
なるほど、確かに悪くはない。
天井と壁はエメラルドグリーンと紅色の垂れ幕で優美に覆われている。天井の中央には花が咲いたようなシャンデリアが下がり、中には本物の妖精がそれぞれ金の粉をまぶしながら羽ばたいている。天井を貫きそうなほど巨大なツリーにかけられた銀のオーナメントの中にも、1匹ずつ妖精が入っていた。煌びやかな光を放ちながら、ぱたぱた飛び回っている様子は幻想的だ。
招待客の合間を縫うように、銀のお盆が歩いている。否、訂正しよう。銀のお盆を頭に乗せたしもべ妖精が歩いている。先ほどのミズリーと似たような服装をした妖精たちが、静かに料理やジュースを運んでいた。
「魔法界のパーティーもすばらしいですね。まさか、妖精が見られるとは思っていませんでした」
「そうだろう、そうだろう」
マルフォイはすっかり気分を良くしたようだ。しもべ妖精から白く泡立っている飲み物を受け取ると、上品そうに飲み干した。
「それにしても、セレネ。君の衣装はどこで手に入れたんだ?」
「そういえば、かなりいいドレスだけどマダム・マルキンのところ? それとも、トウィルフィット・アンド・タッティングの新作?」
「もしかして、グラドラグス魔法ファッション店? あんたはホグズミードに行けないのに、どうやって採寸したの?」
マルフォイの問いに対し、パーキンソンやブルストロードも被せて質問をしてくる。特に、パーキンソンやブルストロードは興味津々といった様子でドレスを見つめていた。
最初は「マグルの品なんて~」とからかうつもりかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「ブルストロードたちもこのドレスが気になるのですか?」
「ええ。だって、あんたに似合ってるんだもの。あたしに似合わない道理がないじゃない」
「眼鏡をとれば、もっと似合うのに。ゴーントって本当にお洒落のなんたるかが分かってないわね。ミリセントはどう思う?」
「ねー、パンジーもそう思うわよね。せっかくの可愛いドレスが眼鏡のせいで台無し。そのドレス、私が着たら、もっと着こなせるわ。というか、本当にどこのブランドなの?」
「隠さずにすべて白状しなさい」
パーキンソンたちは代わる代わるに言いながら、こちらに詰め寄って来た。
ご覧の通り、かなりドレスにご執心だ。
「そんなに気になります?」
「ええ、次のパーティーには絶対にそのドレスを着ていくわ」
「だから教えなさい。さあ、さあ!!」
「……実は私、よく知りません。これは、貰い物なのです」
セレネはドレスの裾を軽く持ち上げ、にこりと微笑んだ。
「フレッチリーのお母さまが見立ててくださったので、マグルの品ということは分かりますけど」
それを聞くと、パーキンソンとブルストロードは目を見開いた。パーティーということを忘れてしまったかのように、口をあんぐり開けて凝視してくる。
「それから……」
せっかくの機会だ。セレネは放心状態の2人に近づくと、こっそり耳元で囁いた。
「もっと、よく見られたいのでしたら、ドレスを考えるべきかと。
良いドレスなのでしょうけど、もう少し自分に合ったものを選ぶべきだと思います。
たとえば、ブルストロードはシックなドレスを格好良く着れば、大人の魅力が出ると思います。パーキンソンはもう少しピンク系ではなく暗色にした方が見栄えが良いですよ。フリルも少なめにした方が、よりすらっと見えるかと」
「あ、あんた。どこでそんな知識を……」
パーキンソンがようやく声を絞り出す。
セレネは微笑んだまま
「知識はいくらあっても悪い物ではありませんよ」
と言った。
本からの知識ではなく、ダフネ・グリーングラスとの雑談で得た知識だ。半分聞き流していたが、まさかここで役に立つとは思わなかった。
パーキンソンはしばらく顔面蒼白だったが、徐々に顔に赤みが戻って来た。赤みなんてレベルを通り越して、真っ赤である。耳まで茹で上がったように赤く染め、セレネを睨み付けていた。
「ぱ、パンジー?」
「ドラコ、ごめんなさい。ちょっと席外すわ」
パーキンソンは放心状態のブルストロードを連れて、人ごみの中へと去って行った。
「……ちょっと言い過ぎてしまいましたか」
「君は2人に何を言ったんだ!?」
「いえ、ちょっとしたアドバイスを」
もっとも、こうなることは想定のうちだ。
むしろ、2人に席を外してもらうために指摘した助言である。
「マルフォイはどう思いました? マグルの品とは思わなかったでしょ?」
「ふ、ふん。こっちの店の方がずっと良い品もある。別にどうってことないね」
マルフォイはぷぃっと顔を背けた。
「セレネは『穢れた血』やマグル贔屓過ぎる。スリザリンの恥だぞ」
「あら、本当に恥でしょうか? 私、別に純血主義が悪いと言っているわけではないですけど」
セレネが驚いたように手で口を覆えば、マルフォイも不思議そうに瞬きをした。
「血を大事にすることは、別に悪いことではないと思いますけど」
「でも、セレネはマグルのドレスを着るし、今日だって『穢れた血』の誘いに乗ったんだろ? 僕より先に!」
「前にも言ったと思いますが、そちらの方が先約だったからです」
「だけど!」
「マルフォイ。純血主義を掲げたヴォル――例のあの人は、どうして負けたのだと思いますか?」
グラスのジュースを回しながら、静かに問いかける。
マルフォイは突然の問いかけに片方の眉を上げると、少し憎々しい声で答えた。
「それは……ハリー・ポッターの力が強力だったからか?」
「たしかに、それも一理あるでしょう」
ヴォルデモートは確かに強力だ。
あの日記に封じられていた16歳のトム・リドルですら、策を講じなければ勝てなかった。もし、リドルと正面から魔法勝負をしていたら勝てたかどうかも危うい。バジリスクの加勢があったとしても、勝利は難しいだろう。
16歳の時点で強敵なのだ。それが完全に力をつけた全盛期なら、どれほど強力な魔法使いが挑んでも勝てなかった理由が分かる気がする。
それに打ち勝った「生き残った男の子」は、ヴォルデモート以上に強力な力を秘めている――と考えても不思議ではない。
「ですが、それだけではないと思います」
「それだけではない? どういうことだ?」
「つまり今の風潮にあっていなかった、それだけです」
「ふう、ちょう?」
マルフォイは首を傾げる。
セレネはジュースを一口飲むと、静かに語った。
「中世であれば、なるほど。たしかに、あの人は魔法界の頂点に君臨できたでしょう。魔女狩りで親兄弟、子どもを亡くしたばかりであれば、例のあの人が掲げる純血主義に流れるのは道理です。
ですが、現在はどうでしょうか?」
現在、中世に流行った魔女狩りは行われていない。
むしろ、マグル界で魔法はファンタジーのものだと割り切られている。いまだイギリスでは迷信が根強く残っているが、都会に出るとそれも薄くなってきている。
つまり、マグルにとって魔法使いとは「そもそも存在しないもの」なのだ。
魔法使いはマグルの脅威ではなく攻撃対象になりえない。
少なくとも、いまは。
「現在はマグル生まれも多く、混血魔法使いも多い。マグルに対する危機感も拒絶感も薄い。そのような者たちが純血主義に流れる比率は少なく、例のあの人の信奉者になる率も少なかったと聞きます」
「それはそうだけど……」
「二つ目の質問です。現在の魔法世界のトップは、誰でしょうか」
魔法省大臣?いや、違う。
行政での頂点かもしれないが、実際に最も影響力の強い魔法使いは彼ではない。
「……ダンブルドア、か?」
「ええ。アルバス・ダンブルドア。
マグルやマグル生まれ、混血を差別せず、平等に接する賢人。そんな彼がトップに立っていて、それを多くの魔法使いが容認しています。つまり、それが世論です。この世論で再び純血主義の『例のあの人』が現れたら……間違いなく、あの人は敵側」
セレネは、ジュースの最後の一滴を飲み干す。
「あの人が掲げる純血主義も敵側になり、攻撃されるでしょうね」
「そ、そんなもの無視すればいいだろ」
マルフォイは怒ったように言った。
「あの人の味方になる、ならないはともかく! 純血主義が正しいのは当然なんだ!
それに、あの老いぼれダンブルドアの考えがいつまでも正しいって皆が思うとは限らない」
「ええ、確かにそうかもしれませんね。時を待つ。それも一つの手かもしれません」
ですが――、とセレネは言葉を続けた。
「ダンブルドアなら、ぬかりなく後継者を選び出します」
いくら偉大で絶大な力を持つダンブルドアにも寿命がある。彼なら寿命が来る前に、自分の影響力を他の誰かに受け渡すと考えても不思議ではない。それも、似たような考えを持つ者に。
それが、ハリー・ポッターなのか。はたまた、セレネの知らない誰かなのかは分からないが。
「純血主義が肩身の狭い思いをする世の中は、このままではいつまでも変わらないでしょう。あの人が復活しても、ダンブルドアが死んでからも」
「……」
「現在の風潮は、マグルを迫害せずに、マグル生まれを受け入れていこうというもの。
むしろ、マグル生まれが大多数を占める現在、ヴォルデモートの考え方は少数派です。……純血主義も」
セレネは空になったグラスを回す。
グラスは妖精の黄金の光を浴びて、きらきらと輝いていた。
「血を尊ぶのは否定しません。むしろ、血を誇りに思うことは素晴らしいと思います。そこは、羨ましいです」
ゴーントの血は、面倒ごとを背負い込んでくる。
セレネは自分の血を胸を張って誇ることができなかった。偉大なるサラザール・スリザリンの末裔だが、「だからなんだ?」と思うだけで、むしろ、大量殺人犯 クレイジー・サイコパスなヴォルデモートと血縁関係があると考えると虫唾が奔る。
だから、マルフォイのように誇りを持って「純血主義」を語ることができるのは素晴らしく、少し羨ましく思っていた。
「マルフォイ。マグルの中にも素晴らしい技術者がいます。混血の魔法使いやマグル生まれの魔法使いの中にも。仲良く交われとは言いませんが、最低限の付き合いはしていくべきだと考えますよ。
純血主義も寛容さを取り入れるべきだと」
ちょうど、しもべ妖精が見計らったかのように通りかかる。セレネはグラスを妖精に渡すと、口の端を上げた。
「パーティー、楽しかったです。それでは、ホグワーツで。もう少し話が聞きたければ、そのときに」
セレネは考え込むマルフォイに向かって一方的に別れを切り出すと、そのまま出口へと向かおうとする。
すると、三歩と進まないうちに、銀色の長髪を優雅に流した男性がセレネの進路に立ちふさがった。
「マルフォイのお父様ですね。本日はお招きいただきありがとうございました」
「……息子とはずいぶんと楽しそうな会話をしていたようだな」
どうやら、彼はマルフォイとの会話に耳を立てていたらしい。
「あのお方に似ていると思ったが、違うところもあるようだ」
「……それは、あの人のことですか?」
「さあ。……今後とも息子と仲良く頼む」
「ええ、私も仲良くお付き合いしたいと考えています」
二人は互いに微笑を浮かべ、それぞれ進むべき方へと去っていく。
セレネはマルフォイ氏が笑顔の下で何を考えていたのか――思いを馳せるのだった。
※
「と、いうのが私のクリスマスね」
スリザリン寮の談話室。
セレネはお気に入りのソファーに座ると、前に座る不機嫌な男子児童に話した。
「有意義なパーティーだったわ。これでマルフォイの純血主義が少し寛容になって、フリント卒業後も友好的な関係が築けるといいのだけど」
「お前なぁ……」
不機嫌な男子児童ことセオドール・ノットは疲れたように頭を抱えた。
「まあ、そんなに上手くいかないでしょうね。もう少し、マグルの技術力を見せつける工夫をした方が良かったかしら? いずれにしろあと、1つ2つ策を弄さないと……ノット?」
セレネは軽く首を傾げた。ノットの不機嫌度が明らかに上がっている。なにか問題のあることを言っただろうか、と考え込んでいると、ノットはこちらを睨み付けてきた。
「クリスマスだったんだよな? マグルにしろマルフォイにしろ、さぞ立派なクリスマスパーティーだったんだろ?」
「そうね。立派だったわ」
「はぁ……それなら……」
ノットはため息をつくと、呆れ果てた声色で嘆くのだった。
「お前さ、もう少し純粋にパーティーを楽しめよ」