スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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36話 もしもの話

 

 クリスマス休暇が終われば、また日常が始まる。

 

 教科書が詰まった重たい鞄を提げ、教室から教室へと移動する日々。その合間を縫って図書室や大広間へと足を運ぶ。

 だが、その日常に変化が訪れていた。

 

 

「もう、セレネ。あんたさ、もう少し髪をしっかり梳かしなさいよ」

 

 

 朝食をとるため大広間へ向かう途中、1人の少女が少し怒ったような口調で櫛を手渡してきた。

 セレネはその櫛を受け取ると、小さく息を吐いた。

 

 

「寝癖は直っていますし、これでも問題ないのでは?」

「日々のブラッシングが大切なのよ。あんたはさ、素材がいいんだから気を配りなさい」

 

 

 少女――ミリセント・ブルストロードは腰に手を当てながら、むすっと言い返した。

 

 

 クリスマスの日にドレスに対して意見をしてから、彼女との距離が変わった。

 具体的に言えば、クリスマス休暇が終わった初日の出来事。

 彼女は朝食もそこそこに、ハッフルパフのテーブルへ赴き、ジャスティンに

 

 

『セレネ・ゴーントのドレスは、どこのブランドなの?』

 

 

 と尋ねたのである。

 訂正。尋ねたというよりも、あれは脅迫に近かった。ブルストロードは狼人間も逃げ出すような不機嫌極まるオーラを纏い、苦虫を噛みつぶしたような顔でジャスティンに迫っていた。これには、ジャスティンは肝を冷やしたのだろう。彼は半分泣きそうな顔になりながら教えていた。教える口調は微かに震えていたのは、きっと悪くない。

 

 

『勘違いしないで。あたしは素敵なドレスが欲しいだけ。たまたまマグルが、それを作っていたってだけよ』

 

 

 ブルストロードはそう言いながら、スリザリンのテーブルへ戻って来た。

 

 

『見てなさい、ゴーント。次にパーティーがあったら、あんたを絶対に招待するから。美しく着飾ったあたしを見て、後悔しても遅いんだからね』

 

 

 なにを後悔するのだか、とセレネは思ったが、彼女が嬉しそうなので放っておくことにした。

 

 それ以後、なにかある度に構ってくる。

 主に身だしなみ関係で口を出してくるのだ。

 

 

「まったく。いいこと、セレネ。あんたは、あたしの服装にケチをつけたのよ? ということは、あたしより身だしなみがなってないってことは許されないの」

「そういうものでしょうか?」

「そういうものなの! それに、女ってのは綺麗にしてなんぼのものよ。ねぇ、ダフネもそう思うわよね?」

「まぁ……たしかに、綺麗にした方がいいってことは否定できないかな」

 

 

 ブルストロードの問いかけに、ダフネは曖昧に笑った。

 

 

「でも意外。ミリセントってマグルのことを毛嫌いしていなかった?」

「あら失礼ね。あたしはマグルは嫌いよ。ただ、素晴らしいドレスを作る職人だけは別。セレネの言葉を借りるなら『有能な者であれば、マグルも登用する』よ。マグルには、とびっきり素敵なドレスを作らせるの。それを、あたしがマグルより着こなせば何も問題は起きないわ」

 

 

 ブルストロードは胸を張りながら答えた。

 このように、彼女の純血主義は少し寛容的になった。派閥もフリント側からセレネ側へと移り、大広間や授業の移動時間はセレネ・ダフネ・ブルストロードの三人で行動することが増えた。

 

 

 

 結果良ければすべてよし。

 

 

 ミリセント・ブルストロードは代々純血の一族のみ名を連ねることが許される「聖28族」の末裔だ。生粋の家系が派閥に入ったこともあり、危惧されていた派閥の離散は解消された。しかも、彼女がマグルの有用性を認めている。おかげで、親衛隊の中でマグルを悪く言う生徒は減少し、少なくとも自分にとって有効であるかどうかを確かめるようになった。

 

 彼女が派閥に加入したおかげで、良いことづくめである。

 

 

 しかし、そう簡単に物事はうまくいかない。

 パンジー・パーキンソンとの距離感はさらに広がったように感じるし、ドラコ・マルフォイの純血至上主義が崩れるわけがない。相変わらず、純血仲間ばかりと固まり、ハーマイオニーのことを邪険にしている。

 

 別にそれでもかまわない。

 最悪、蒔いたタネが芽吹かなければ別の策を考えればいいだけだ。

 

 

 

「まったく、本当にホグワーツにはいい男がいないわね」

 

 

 ブルストロードは、嘆くように空を見上げた。

 

 

 

「あたしに声をかける男子が一人もいないなんて。ダフネはどう? いい男がホグワーツにいると思う?」

「うーん……ハッフルパフのセドリック・ディゴリーやレイブンクローのロジャー・デイビースとかかな? かっこいいと思うよ」

「……たしかに、そこはいい男ね。でも、あたしから声をかけるには勇気がいるかも……セレネはいい男知ってる?」

「いい男ですか?」

 

 

 セレネは軽く腕を組んだ。

 そんなこと、いままで一度も考えたことがなかった。数人の顔が浮かんだが、誰も彼も何かしらの欠陥を抱えている。セレネが知っている中で一番のいい男は、ジャスティンだ。気配りができるし、なにより話しやすい。顔だってそこまで悪くなく、それなりの金持ちである。しかしながら、彼女が少しばかりマグルに対して寛容になったとはいえ、ここでマグル生まれを推薦するのは時期尚早な気がした。

 セレネは口元に手を添えると、少し考えてから口を開いた。

 

 

 

「セオドール・ノットはどうでしょう? とても使い勝手のいい男ですよ」

「あのね、それを言うなら、あんたの『手下』でしょ? いい男の範疇に入らないわ」

「それでは……ネビル・ロングボトムはどうでしょう? 代々魔法使いの家系ですし、性格も悪くありません」

「駄目よ、まるっきり駄目だわ。スマートさが足りないの」

 

 

 ブルストロードは、呆れ果てたように首を横に振った。

 

 

「もう、セレネってばお子様ね。恋愛の基礎基本が分かっていないわー。こればかりは、私の方が勝ってるかも」

「……なんですって?」

 

 

 セレネは、鼻高々のミリセントに詰め寄った。

 

 

「もう一度、言ってみてください。なにが、私より勝ってると?」

「恋愛スキルよ。セレネは平均点以下ね」

「……平均点以下とは、ずいぶん言いますね」

 

 

 セレネの本心で言えば、恋愛なんてくだらない。

 正直、興味の欠片もないものだが、ブルストロードに負けるのは癪に障った。

 誰かに負けること自体、虫唾が奔るのに、同級生の女子に負けるのは問題外だ。たとえ、それがくだらない恋愛スキルであっても……

 

 

「ブルストロードも人のことは言えないのでは? 恋愛スキルとやらが高いのであれば、すでに彼氏の一人二人いてもおかしくないと思いますが」

「うぐっ……せ、セレネだっていないじゃない」

「私は……いないのではなくて、作らないだけです」

「あたしだってそうよ!……わかったわ! 勝負よ」

 

 

 ブルストロードはびしっとセレネの鼻に指を突き付けてきた。

 

 

「私たちのうち誰かが、来年のバレンタインまでに彼氏を作ること! 勝った方が負けた方になんでも1つ言うことを聞かせられるっていうのはどう?」

「面白いですね、受けて立ちましょう」

 

 

 セレネは不敵な笑みを浮かべた。

 ブルストロードが「今年のバレンタイン」ではなく、わざわざ「来年のバレンタイン」を指定したということは、それまでに彼氏ができる自信がなかったと推察される。

 この時点で勝ったも同然だ。あとは勉学と賢者の石研究に励みながら、その片手間に彼氏探しをすればいいだけである。

 

 

「あんたが負けたら楽しみね。ふふふ、継承者さんになにをしようかしら」

「もしもでもありえませんよ。私も楽しみにしていますね。あなたに何をしてもらおうか、考えておかないと」

 

 

 セレネが微笑んでいると、ダフネはどこか困ったような顔で話しかけてきた。

 

 

「あのさ……二人ともに質問なんだけど、引き分けの時はどうするの?」

「「そんなことありえない」」

 

 

 セレネの声とブルストロードの声がぴったりと重なった。

 それとほぼ同時に、大広間から飛び出してきた影に気付いた。ネビル・ロングボトムだ。寸でのところで躱したので、激突は避けられたが、謝る余裕もないらしい。赤い封筒を引っつかみながら、転げるように走り去っていく。気のせいだったのだろうか。赤い封筒からは、黒い煙が噴き出していたように見えた。

 

 

「いまの封筒って……」

「吼えメールよ、きっと」

 

 

 ダフネが疑問に答えてくれると、ほぼ同時に玄関ホールの方から爆発音が聞こえてきた。ネビルの祖母だと思われる声が魔法で百倍にも拡大され、

 

 

「なんたる恥さらし! 一族の恥!!」

 

 

 とガミガミ怒鳴っていた。

 

 

 一体、ネビルが何をしてしまったのか。

 

 この疑問に答えてくれたのは、ハーマイオニーだった。

 古代ルーン文字学の授業で、久しぶりに彼女とゆっくり話す時間が取れたのである。この授業をスリザリン生で受講しているのは、セレネの他、ノットとブレーズ・ザビニしかいない。ノットはザビニと一緒に行動しているので、他の授業よりも彼女と話しやすい時間だった。

 

 

「グリフィンドールの寮にシリウス・ブラックが侵入したことは知ってるでしょ?」

「それは知ってます。なんでも、ブラックにロン・ウィーズリーが襲われかけたとか」

 

 

 つい2日ほど前、深夜にブラックが侵入したと騒ぎになったのだ。

 グリフィンドールの寮がブラックに襲われるのは、これで2回目である。

 大方、狙いはハリー・ポッターで、今回もロン・ウィーズリーを彼と間違えたのだろうが――

 

 

「……それと、ネビル・ロングボトムがどう関係しているのですか?」

「うん、実はネビルが書き溜めていた『今週分の合言葉』をブラックが盗んでいたらしくて……」

「それを見て、侵入したと」

「そうなのよ……ネビル、可哀そう。今のグリフィンドールの合言葉って、すぐに覚えにくい言葉に変わっちゃうから書き溜めておいていたのに」

「ですが……妙ですね」

「妙? ネビルが?」

「いえ、ブラックが」

 

 

 大量殺人鬼のシリウス・ブラック。

 ヴォルデモートの腹心であり、人殺しに快楽を覚える変態が、ロン・ウィーズリーを殺せなかったのか。杖も持たずに眠りこけている相手など、たとえ目を覚まされたとしても対処できそうなものである。ましては、周りにいるのは訓練を2,3年しか受けておらず、そのうちの2年間はロクな『闇の魔術に対する防衛術』を習っていない素人魔法使いときたものだ。

 この状況で、逃走する意味が分からない。

 

 

「逃走するとなると、また潜伏しないといけませんし……警備は厳重になります。再度の侵入は困難です。となると、どうして彼は逃げたのでしょうか。確実にホグワーツに戻ってこれるという算段があったのか、それとも……」

 

 

 セレネは口元に指を当てて考え込んだ。

 シリウス・ブラックは恐らく『動物もどき』だ。だから容易に人の目をくらますことができる。このことを先生方に話した方が良いだろうか。しかし、話すとなると事情を最初から説明しなければならない。具体的に言えば、『秘密の部屋』のバジリスクがまだ生きていて、ペットにしている辺りから。

 

 

「あのね……セレネ、一つ相談があるの」

 

 

 ハーマイオニーが少し悩んだような顔で尋ねてきた。

 

 

 

「もしよ、もしだけど、この城の内部が分かる地図があったら……一人一人の動きから、ホグズミードにつながる秘密の抜け穴まで書き込まれている魔法の地図が、もし手に入ったら……どうする?」

「それはもちろん!」

 

 

 「自分で使う」と言いかけ、慌てて口を瞑んだ。

 これは、あまりにも優等生からかけ離れた発言である。すべての人の動きが把握できるなら、面倒ごとに巻き込まれるリスクを減らせる。こっそりホグワーツを抜け出し、新しい錬金術関係の書籍やバタービールを買うことも可能だ。

 だが、これらの行為は規則を破ることにも繋がる。優等生なら絶対にしない。

 セレネは自分を落ち着かせるように深呼吸をした。

 

 

「もちろん、寮監に報告します。シリウス・ブラックが近辺に潜伏している以上、安全面から考えても渡すべきかと」

「そう……よね。そうよね、やっぱりそうなのよね」

「……まさか、そのような地図を持っているのですか?」

「私は持っていないわ!」

「……私は、ですか」

 

 

 セレネは目を伏せた。

 私は、ということは、ハーマイオニー以外の誰かが地図を持っている。

 

 

「まぁ、最近……ホグズミードへ行く許可が出ている日に、ハリー・ポッターを見かけないので、どうしてなのかと思いましたが……その地図と関係があるのでしょうか?」

「ま、まさか。そんなことありえないわ」

 

 

 ハーマイオニーの目は泳いでいた。

 図星である。

 実に羨ましい話ではある。セレネは小さく息を吐いた。

 

 

「こんな時に城を抜け出すなんて、暢気なものですね」

 

 

 セレネは荷をまとめながら、ふと――ハーマイオニーの顔色に気がついた。

 

 

「そんなことよりも、あなたの目の下にくまができています。ほどほどに睡眠はとった方がいいですよ?」

「ありがとう、セレネ。でも、大丈夫よ」

 

 

 そう言いながら微笑む彼女だったが、はちきれんばかりの鞄を見る限り、大丈夫とは言い難かった。

 今日の古代ルーン文字学でも山のような宿題が出された。他の授業でも同じである。セレネでさえ、9科目しか受講していないのに、彼女はそれを上回る12科目も履修しているのだ。セレネとは異なり、マグルの勉強や錬金術の研究をしていないとはいえ、多過ぎである。そのうち、いくつかの授業が被っているとなれば、欠席した分の補習を自分でやらなければならず、試験にも響いてしまう。

 しかも、彼女の鞄の間からは『ヒッポグリフ裁判記録』『魔法生物に関する飼育条例』といった本が顔をのぞかせていた。

 

 これは、本気で自分より追い込まれた状況である。

 

 

「倒れてからでは遅いですよ。ハリーたちも心配します」

「……そうだといいんだけど。いま、ちょっと喧嘩中なの」

「喧嘩?」

「実はスキャバーズ……ロンの飼っているネズミを、私の猫が食べたんじゃないかって」

 

 

 ハーマイオニーは肩を落とすと、喧嘩の経緯を話してくれた。

 ウィーズリーのネズミがいなくなり、彼のベットの上には血とオレンジ色の猫の毛が残されていたのだという。

 

 

「……猫がネズミを襲うのは当たり前ですし、スキャバーズでしたっけ? それは檻にいれていなかったのですか?」

「入れてないわ。放し飼い」

「では、ハーマイオニーが文句を言われる筋合いはありませんよね」

 

 

 セレネはきっぱりと言い切った。これは、完全にウィーズリーの飼育ミスである。

 

 

「気に病むことはありません。管理不足による自業自得です」

「ありがとう、セレネ」

 

 

 ハーマイオニーは疲れたように笑った。

 

 

「それにしても、スキャバーズでしたっけ? それって、たしか……」

 

 

 セレネは一度だけ、スキャバーズと思われるネズミを見たことがあった。

 1年時のホグワーツ特急で、ネズミがゴイルの指に噛みついたところを目撃したのである。指が一本ないネズミであった。それなりに太っており、猫からしたら食べ応えがあるネズミであったことだろう。

 

 

「しかし、シーツの上に血ですか……」

 

 

 セレネの頭の中にモヤモヤが広がっていく。

 

 

「べっとりとついていたのですか?」

「いいえ、数滴。最初、ロンが鼻血でも垂らしたのかと思ったわ」

「……それって、本当に……」

「セレネ?」

「いいえ、なんでもありません」

 

 

 

 血があったのだから、そのネズミは死んだのだろう。

 しかし、どうしてこうも気になってしまうのか。

 

 

 たかが、飼い猫がネズミを食べたというだけの話なのに。

 

 もしも、生きていたとしても――特に変わったことなど起きないのに。

 

 

 

 


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