スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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38話 シリウス・ブラック

 

 セレネは開いた口が塞がらなかった。

 

 

 スネイプの後ろに浮かんでいるのは、確かにシリウス・ブラックだった。

 ハリーが待ち合わせ場所に来ることができなかったのは、おそらくシリウス・ブラックと絡んでいるのだろうが、そのようなことはどうでもよい。

 

 

 問題は、スネイプがブラックを捕まえていることである。

 スネイプは満足そうな表情でダンブルドアに経緯を語っていた。要約するに、ホグズミード村のはずれにある「叫びの屋敷」にシリウス・ブラックは潜伏していた。ハリーたちはブラックに錯乱呪文をかけられており、ブラックが無実だと信じて襲いかかって来た、と。

 

 

「では、こいつはどこに閉じ込めておきましょうか?」

「……そうじゃのう。ひとまずは、わしが八階のフリットウィック先生の執務室へ連れて行こう。あそこなら、早々に脱出はできまい。

 ……セブルス、すまぬがこの三人を保健室へ連れて行ってもらえないかの。コーネリウスには、わしの方から連絡しよう」

 

 

 ダンブルドアはそう言うと、杖を軽く一振りした。

 すると、杖先から銀色の不死鳥が現れ、悠々とどこかへ飛び去って行く。ダンブルドアはそれを見届けると、宙に浮いたままのブラックを連れて歩き始める。

 

 セレネも少し離れた場所から、ダンブルドアの背中を追いかけた。

 スネイプの方も気になったが、今はブラックが大事である。

 

 

 まだ、真夜中までには時間がある。

 ダンブルドアの隙をついて、ブラックが逃げ出さないとは限らない。 

 

 しかし、ブラックが反撃に出る様子もなく、気絶したままフリットウィックの執務室に運ばれていった。少し離れた場所から後をつけたためだろう。セレネも執務室に入ろうとしたが、鼻先で閉められてしまった。開けることは容易だが、「目くらましの呪文」をかけた意味がなくなる。

 セレネは黙って扉の傍に立ち、再び開くのを待った。

 

 

「――残念じゃよ、シリウス。君がもう少し、人間的に行動していれば――」

「いいえ、私が――」

 

 

 なにやら話声が聞こえてくる。

 だが、扉越しのせいで詳細な内容まで聞こえてこない。

 

 

「これでお別れじゃ、シリウス」

 

 

 音を立てて扉が開かれる。

 ダンブルドアの横顔を覗き込むと、不思議なことに少し寂しそうにも見えるし、嬉しそうにも見えた。大量殺人鬼と最後に何を語り合ったのか。セレネには分からないし、そこまで興味もなかった。

 

 ……閉まりゆく扉に身体を滑り込ませ、部屋の中に入った瞬間、ダンブルドアと目が合ったのは、おそらく気のせいだろう。

 

 ブラックは部屋の中で一人、空を見つめていた。

 汚れ切った髪を掻きむしりながら、なにかぶつぶつ呟いている。

 暗い落ちくぼんだ眼下の奥で目がギラギラしているのが見えなければ、まるで死体かゾンビかと思ったところだろう。血の気のない皮膚が顔の骨にピッタリ張り付き、まるで髑髏のようだ。

 

 

 恐ろしい顔立ちだが、二つ顔がある男に比べれば遥かに普通である。

 

 

 この機を逃すわけにはいかない。

 

 

 

「『フィニート‐終われ』」

 

 

 自分に向けて杖を振る。すると、さぁーっと熱い液体のようなものが身体の表面を流れた感じがした。ブラックが驚いて目を剥いたところを見るに、無事に「目くらまし」が解けたのだろう。

 本当なら「目くらまし」をかけたまま奇襲をかけるのが上策だ。けれど、まだそこまで技量が達していない。それに、無言で呪文をかけることがまだできない以上、魔法を放つ際には詠唱をする必要がある。それでは、目くらましをしている意味がなくなってしまう。

 

 どうせバレるなら正々堂々、バレた方がいい。

 

 

 セレネはにやりと口角を上げると、ブラックに杖をまっすぐ向けた。

 

 

「お前は……!?」

「こんばんは、殺人鬼さん」

 

 

 ブラックの目はセレネの杖に向かい、次にセレネのローブの胸に刻まれた「スリザリン」の紋章に向けられると、にやりと黄色い歯を剥き出しにするように笑った。

 

 

 

「お前は……スリザリン生か。スリザリンが何の用だ?」

「大した用件ではないの。ただ――悪いけど、死んでもらえないかしら?」

 

 

 セレネは優等生の仮面をかぶったまま、にっこり微笑んだ。

 そして、まっすぐブラックの胸に狙いを定める。

 

 本来なら、ここで確実に相手を殺せる魔法「アバダ・ケダブラ」を使いたいところだが、まだ一度も試したことがない。

 なので、ここで大事になってくるのはブラックを戦闘不能にすることだ。

 吸魂鬼に引き渡せばキスが執行され事足りるが、そいつらがうじゃうじゃいるアズカバンから抜け出してきた男だ。執行ミスや取り逃がしも考えられる。

 

 

「アンタが生きていると、ちょっと困るかもしれないの」 

 

 

 なので、ここで確実に殺す。

 殺せなくても、せめて戦闘不能に陥れる。

 

 

 

「『フリペンド‐撃て』!」

 

 

 ありったけの魔力を込めて呪文を放つ。杖から放たれた閃光は、まっすぐブラックの胸に向かって宙を奔った。しかし、ブラックもただでは負けてくれない。閃光が届くか届かないかというところで床を蹴り、呪文を躱した。

 そのまま、セレネに接近してくる。一歩、一歩が大きく、すぐに距離を詰められそうだ。

 

 

「――ッ『ステューピファイ‐麻痺せよ』!」

 

 

 赤い閃光が奔るが、それも躱されてしまう。

 あっという間に差を詰められ、ブラックは目と鼻の先まで接近していた。セレネは次の呪文を唱えようとしたが、その前にブラックの手が右腕に伸びる。杖を握りしめる腕が拘束され、そのまま押し倒されてしまった。頭を強く打ったせいだろう。セレネの視界に銀砂が舞い、ぶつけた衝撃で眼鏡が飛んでしまった。

 

 

「あっ!」

 

 

 セレネは立ち上がって、すぐに眼鏡を取ろうとするが、ブラックは足でセレネの胴体を押さえつけてきた。左手でセレネの杖を奪い取ると、すぐ右腕に持ち替えて喉元に押し付けてくる。

 

 

「形勢逆転だな、お嬢さん」

「――ッ」

 

 

 セレネは起き上がろうと身体を反らしてみたが、ブラックが馬乗りになっているせいでビクともしない。

 セレネは舌打ちをした。 

 マグルの勉強も魔法も勉強し、規則の一つも破らない優等生で通ってきているが、所詮は少女に過ぎない。教室同士の移動はもちろん、頻繁に図書室や秘密の部屋に行くなどかなり城を歩き回り、足腰は鍛えられているとはいえ、それは少女の範疇である。

 

 

 鍛え抜かれた大の男の力には、到底及ばない。

 

 

 しかし――

 

 

「――ッ、さて、それはどうかしら?」

 

 

 セレネは、ここで負けを認めない。

 負けを認めたら最後、ブラックに殺される。ブラックほどの魔法使いならば、躊躇うことなく「アバダ・ケダブラ」を使うことができるだろう。ブラックは意気揚々と唱えるはずだ、セレネの杖を使って。

 このままでは、自分自身の杖に殺されるのである。

 

 そんな自殺めいた死に方は、絶対にごめんだ。

 

 

 セレネは瞬きをするとブラックを注視した。

 

 すると、ブラックの身体全体に黒い線が浮かび上がってくる。相変わらず、見ているだけで胸の奥から吐き気が込み上げてくるような不快な線である。それが自分の腕にも広がっているのだから、さらに反吐が出そうだった。

 

 

「お前……その目は……?」

 

 

 ブラックの瞳の奥に驚きの色が浮かび上がる。

 だが、その問いに答える暇はない。セレネは左手を掲げ上げる。そして、ブラックの右腕に奔る線を手刀でなぞった。

 

 黒い薄気味悪い線をなぞった場所から血が溢れ、果実を分けているかのように切れていく。

 

 

「ぐわあ――ッ!」

 

 

 ブラックは杖を握りしめたまま切断された右腕を押さえつける。

 あまりの痛みに顔をしかめており、押さえつける圧力も緩んだ。この隙をセレネは逃さなかった。自由になった右腕で隠していたナイフを取ると、身体を思いっきり起こす。その勢いでブラックの首に奔る線にナイフを伸ばすと、彼は慌てたように飛び退いた。

 

 

「お前……その眼は……一体?」

 

 

 ブラックは左腕で右腕の切り口を庇うように押さえつけながら、セレネを睨み付けてきた。

 セレネはナイフを手の中で回した。

 

 

「どうでもいいでしょ」

 

 

 セレネは床を思いっきり蹴る。

 ブラックには杖がない。そのうえ、片腕を失った。腕を失った痛みのせいだろうか。先ほどよりも速度が落ちている。

 

 狙うは、シリウス・ブラックの首。

 

 

「これから、死ぬのだから」

 

 

 ブラックの顔からは、ますます血の気が失せていく。

 血が地面に滴り落ちる音を聞きながら、セレネは一気にブラックとの距離を詰め、そして――

 

 

 

 

 

 

『アロホモーラ‐開け!』

 

 

 

 唐突に、窓が開かれた。

 セレネは乱入者に気を取られ、思わず足が止まってしまう。ブラックも窓に目を向けると、固まった。

 

 

「ハリー!? ど――どうやって?」

 

 

 ブラックが窓の向こうの人影に、声にならない声で尋ねた。

 窓の向こうには、ハリーがいた。

 ハリーとハーマイオニーがヒッポグリフに乗っている。二人ともホグワーツに降り積もる雪よりも白い顔をしていた。

 

 

「シリウス、乗って! 時間がないんです」

 

 

 ハリーはヒッポグリフの滑らかな首の両脇をしっかり押さえつけ、その動きを安定させた。

 

 

「ここから出ないと吸魂鬼がやってきます。マクネアが呼びに行きました」

「待ちなさい、ハリー・ポッター。これは、どういうこと?」

 

 

 セレネはハリーの方へ歩み寄ると、思いっきり睨みつける。

 

 

 この際、どうして医務室で気絶している彼らがヒッポグリフに乗っているのかは気にしない。

 ただ、大切なのは予言である。

 

 

「あの予言を成就させないためにも、ブラックを逃がすわけにはいかないと約束しましたよね?」

「セレネ、ブラックじゃなかったんだ。ペティグリューのことだったんだよ!」

「ペティグリュー? それは、この男に殺されたのでは?」

 

 

 セレネはブラックの背にナイフを突きつける。

 

 

「詳しいことは後で話す。本当にシリウスは無実で、ペティグリューがヴォルデモートの配下だったんだ!」

「……本当に?」

「うん」

 

 

 ハリーの目には、嘘の色が見えなかった。

 

 

 

「……ペティグリューの特徴は?」

「太っていて少し禿げている男、ネズミに変身できるんだよ。スキャバーズ……えっと、ロンのネズミがペティグリューだったんだ!」

「……そのあたりの事実、あとでしっかり聞きますから」

 

 

 

 セレネはナイフを下ろした。

 確かに、12年前の新聞を読む限り――あの事件には不可解な点があった。

 

 巻き込まれたマグル12名の遺体は残っているのに、ペティグリューの遺体は指一本だったということだ。

 通りに大きなクレーターを生じさせるほどの爆発呪文だったにせよ、見つかったのが指一本で他の肉片や服の欠片すら残っていないのは不自然である。

 トカゲの尻尾きりのように、殺される直前に逃げ出したのだとしても、この12年間――ペティグリューが無実だった場合、姿を隠し続けた意味が分からない。

 

 ペティグリューは、何者かから隠れ続けないといけない身だった。

 

 

 それは――おそらく、ヴォルデモート。

 

 

「ヴォルデモートが復活したら、その男は確実に敵に回るのですから」

 

 

 

 セレネは杖を拾うと、ハリーたちに振り返ることなく部屋を出た。

 そして、壁に手を当てると早口で話し始めた。

 

 

『アルケミー。校庭にいる一本指がないネズミ、捕らえることはできる?』

『承知しました』

『朝まで探して見つからなければ、戻ってきて構わない』

 

 

 もう遅いかもしれない。

 完全に手遅れかもしれないが、打つべき手はすべて打っておいた方がいい。壁の向こうからアルケミーの気配が消えると、セレネはもう一度、「目くらまし」を自分にかけて寮へ急いだ。

 

 

 

「『闇の帝王は召使の手を借り、再び立ち上がるだろう』……か」

 

 

 セレネは口の中で呟いた。

 予言なんて不確かなものを信じたくない。 

 しかし、もし――本当に成就してしまったら?

 

 現にヴォルデモートの部下は12年の鎖から解き放たれ、逃げ去って行ってしまった。

 ヴォルデモートの復活が1年後なのか、2年後なのか―――はたまた、10年後なのか、それは分からない。だがしかし、事前に予防をすることはできる。 

 

 

「少し、対策を整えないと」

 

 

 セレネは暗い地下に続く道を降りながら、自分のやるべきことの多さに息を吐くのだった。

 

 

 

 

 


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