「本当に大丈夫かい?イジメとか有ったらすぐに連絡をよこすんだぞ?
それから、男と2人っきりにならないこと。それから――」
「大丈夫ですよ、父さん」
心配そうに顔を歪めるクイールを、私は手で制した。
記憶にある養父は、ここまで心配性だっただろうか?と浮かび上がる疑問を一蹴し、私は静かに答えた。
「心配してくれてありがとうございます。私は大丈夫です。もう行かないと、今度は父さんの方が間にあいませんよ?」
今日はこれからロンドンで会議があるらしく、クイールはそれに出席しないといけないらしい。キングス・クロス駅までは送ってくれたが、今から車をとばさないと会議に間に合わないはずだ。だがしかし、クイールは一向に動こうとせず、心配そうな顔を崩さない。
まったく、そんなに私が頼りなく思えるのだろうか。
「分かってるか?いいか、男は狼なんだぞ?
特に発情期の男というのは、肥えた兎を見るとすぐさまとびかかるような連中ばかりで――」
「大丈夫ですって!!そんな奴らは撃退できますから」
大げさではなく、撃退できる。
運動神経はそこそこにある方だと自負しているし、今の私には『杖』がある。最悪――クイールは知らないが、退院してから、こっそり購入したナイフを懐に忍ばせてある。このナイフと『眼』を使えば、どんな怪物が来ても倒せる自信があった。
クイールは、しばらくブツブツと何か言っていたが、最後に大きなため息をついた。
「はぁ、そうだな。そこらの男よりセレネは強いからな。
でも、困ったことがあったらすぐにフクロウを使うんだぞ?それからセブルスに相談するように!!」
そう言うと、クイールは傍に停めた車へ向かった。何度も何度も振り返り、不安げにしていたクイールだったが、やっと車に乗り込み大通りへ消えていく。
「……さて」
私は彼が去ったのを見届けてから、少し重たいカートを押した。
「でも、問題はここからなんだよな」
優等生の皮を捨てた私は、大きくため息をついた。
下種な男共は、簡単に撃退できるが、この問題は撃退できそうにない。
誰かに聞くのが恥ずかしく、クイールにも相談できないまま終わってしまった切符に目を向ける。
「どこだよ、9と4分の3番線って」
改めて案内板を見上げるが、そんな場所があるわけない。
切符も入学案内も隅から隅まで読んでみたが、どこにも行き方なんて書いてなかった。
魔法使いの常識なのかもしれないが、私みたいなマグル出身者相手に不親切すぎるだろ? こういうことは、しっかりと書いておいてほしい。
とりあえず、9番線と10番線のあたりまでカートを押してみる。悲しきかな。やはり『4分の3番線』なんて、何処にも見当たらない。
「はぁ……あんまりやりたくないけど」
こうなったら、最終手段に出るしかない。
私はそっと、眼鏡を外してみる。
途端に浮かび上がってくる『線』『線』『線』。薄らと吐き気が込み上げてきた。だが、この程度の『線』なら問題ない。
ダンブルドア教授は、このうじゃうじゃと絡み合う『線』を、『死の線』だと教えてくれた。
それは、私にも何となく理解できる。この『線』斬れば――いや、なぞるだけで、きっと『線』は壊れて、その場所は死ぬ。それは、人にも無機物でも変わりない。
もし……9と4分の3番線が、魔法によって隠された場所なのだとしたら、その場所にも『線』が絡みついているはずだ。私は空間に目を凝らし、9番線と10番線の間をゆっくりと歩いた。
「あれかな?」
1柱だけ。
9番線と10番線の間の柱が……そう、ちょうど3本目の柱だけ、他の柱と比較して『線』がやたら多い。なるほど、だから9と4分の3番線なのか。納得しながら、眼鏡をかけなおす。私は3本目の柱に近づき、そっと手をかざしてみた。
「っ!?」
柱に手がめり込む。
だが、痛みはない。いや、魔法で隠された入口だとは予想はついていたが、これはこれで驚く。
私はカートを反転させて、ゆっくりと柱へ向けて進む。
柱の向こうに広がっていたのは、ローブの人影で溢れる「もう1つの駅」だった。
紅色の蒸気機関車が、乗客でごったがえすプラットホームに停車している。
ホームの上には『ホグワーツ特急11時発』と書いてあった。―――なんとか、無事に辿り着けたようだ。
「さてと――空いている席を探すか」
まだまだ時間はある。早く空いてる席を見つけて、のんびり本でも読んでいよう。
そんなことを考えつつ、私はカートを押しながら人の溢れるホームを歩き始めた。
「ここでいいかな」
席は案外、簡単に見つけられた。まだ、時間が早いからだろう。
コンパートメントに押しこんだトランクから、適当な本を取り出した。
ホグワーツに来るまでは、予習と復習漬けの日々を送っていたので、こういうのんびりとした時間は久しぶりだ。11歳までのマグルの勉強は、なんとか終わった。しかし、私の勉強は終わらない。このまま魔法界に身を埋めるなら、ホグワーツの勉強だけで問題ないだろう。だが、万が一――魔法界が肌に合わなかったら、マグルの世界に戻らなければならない。
イギリスにおける義務教育の年齢は16歳。
数学や語学、理科や社会。それらの科目は、当然のことながらホグワーツにない。マグルの世界で生きることも視野に入れるのであれば、もっと勉強しなければならないのだ。
「優等生のセレネ・ゴーントならば、両方勉強する」
マグルの教科書や参考書は、すでにトランクに入っている。
ペットのフクロウ……バーナードに頼み、クイールへ送付すれば採点してもらえるだろうから、何も問題ない。ページを開こうとしたが、少し思いとどまった。出発の時くらい、勉強しなくてもいいだろう。記憶の中の『セレネ』の価値基準に照らし合わせ、そう判断した『私』は、別の本をめくった。
そうしているうちに、時間が過ぎていたのだろう。突然、汽笛が鳴る音がホームに響き渡った。汽車が滑り出す。私は、本から顔を上げて外を眺めた。
母親や父親が、各々の子供に手を振る。赤毛の女の子が半べその泣き笑いで、汽車を追いかけてくる。だが、もちろん追いつけるわけもなく、途中で立ち止って手を振っていた。
「出発だ」
心なしか、うずうずしてきた。
汽車がカーブを曲がると駅が見えなくなる。家々が窓の外を飛ぶように過ぎていくのを、ぼんやりと眺めていた。肩肘をついて、ぼんやりロンドンの町並みに思いをはせる。
これから1年は、今までいた『日常』には戻れない。
この先には、新しい『日常』が待っている。『魔法』と名のつく『非日常』の世界が――。
「私……本当に、魔法使いなんだ」
ポケットから、新品の杖を取り出してみた。
オリバンダーと名乗る老人の所で購入した一品。
沙羅の木にセストラルの毛、29㎝の杖は、私を確かに選んだ。その時のことを思い返すたびに、オリバンダー老人が私の耳元で囁いた不審な言葉が、脳裏によみがえってくる。
『こちらの杖は、そちらの方の額に傷を残した魔法使いのモノになる予定だった杖なのです。
しかし、この『沙羅の木』から作られたということが気に入らなかったらしく、あの人はその杖ではなく、イチイの杖を選ばれました』
『そちらの方の額』というのは、ハリーの額にはしる稲妻型の傷のこと。
あの時は詳しく知らなかったけど、どうやら『ヴォルデモート』とか名乗るサイコパスがハリーを襲った時に受けた傷らしい。つまり、この杖はヴォルデモートの手に渡る予定だった、ということになる。
「まぁ、杖なんて誰が使っても同じのように思えるけど」
だけど……なんとなく嫌な感じ。
「私」が「サイコパス」と同じだと告げられたみたいで、嫌な気持ちになる。
確かに私は、曖昧な存在だ。私が誰なのか、いまだに分からない。ただ、『セレネ・ゴーント』という過去の記憶に従って動いているだけだ。それでも、大量殺人鬼と同じだと言われるのは胸糞悪い。思い出すだけで、腹が立ってきた。
「ここ空いてる? 他の所はどこもいっぱいなの」
ガラリっとコンパートメントが開いたので、私の思考は一旦中断する。
入ってきたのは、栗色の髪をした女の子だった。私は瞬時に『セレネ』の顔を作り上げる。
「別に構いませんよ」
「ありがとう。助かったわ」
少女はニッコリ笑って、私の前の座席に座る。
窓の外に流れていたロンドンの町並みは消え、代わりに牧草地帯が広がっていた。
「私は、ハーマイオニー・グレンジャー。あなたの名前は?」
「セレネ・ゴーントと言います。こっちはバーナード」
「フクロウを飼ってるのね、もしかして魔法界出身なの?」
「いいえ、私はマグル出身です。親は魔法使いらしいですが」
そう言うと、ハーマイオニー・グレンジャーの眼が益々輝いた。
がしりっと両手を捕まれ、眼を覗き込まれる。
「あなたもマグルで育ったのね! 私も同じなの! 仲良くしましょ!」
「あっ……はい」
彼女に押し切られるような形で、私は頷いた。
それから彼女は、物凄い勢いでしゃべり始めた。
自分がマグル生まれで、両親は魔法使いではないということ。手紙が届いたときは物凄く驚いたということ。でも、それと同時にとっても嬉しかったということ―――などなど。
私は相槌を打ちながら、彼女の話に耳を傾けていた。話を聞いて分かったことだが、彼女もセレネ同様『優等生』らしい。むしろ、中身がいい加減な『私』より『優等生』なのではないかと思う。小匙分ほどの親近感が芽生えた。
「ふぅ―――そろそろ着替える?」
ハーマイオニー・グレンジャーの話に区切りがついたのは、ちょうど昼ごろだった。
私達はいそいそと着替えて、ネクタイを整えた所でコンパートメントの扉が叩かれる。いぶかしみながら開けてみると、そこに立っていたのは、人のよさそうなオバサン魔女だった。
「嬢ちゃんたち、なにかいかが?」
「そうですね……」
私は、財布から銅貨を何枚か取り出しながらカートを覗き込んでみる。
一応、昼飯は持ってきてあるが、ここで売っているのは魔法界のモノだ。
みたこともない珍しいモノが、カートの中にあるのかもしれない。カートを覗き込むと、色とりどりの菓子が並んでいる。どれもこれも、見たことのないものばかりだ。 私はハーマイオニーと一緒にお勧めを聞きながら、いくつかの菓子を買うことにした。
「やっぱり、魔法界の絵ね! すごいわ、イラストが動いてる」
ハーマイオニーは、蛙チョコレートについてきた『マーリン』のカードをしげしげと眺める。花の魔法使いはカードの向こうで優しく微笑んでいた。だが、その微笑みは、どことなく胡散臭い花の魔法使いである。
「チョコにも魔法がかかってたし。
セレネは不思議に思わないの? 私と同じで、手紙が来るまで別の学校に進学する予定だったのでしょ?」
ハーマイオニーは不思議そうに、こちらに視線を向けてきた。
「そうですね」
私は、持ってきたサンドイッチの最後のひとかけらを口に押し込んだところだった。
しばらくモグモグと噛んで、飲み込んでから話し始める。
「魔法界ですし、絵が動くくらいありえない話ではないと思いますよ。
それよりも、車内販売で菓子以外のモノが売ってなかったのが気になりました」
「菓子以外のものが売ってない?」
「はい。昼時ですので車内販売で軽食が売っていても不思議ではありません。しかし、魔法の菓子しかありませんでした」
かぼちゃジュースと言う名の飲み物があったが、胸焼けするくらい甘ったるい。魔法使いは、虫歯率が高いのではないか?と邪推してしまう。いや、虫歯を魔法で治すから問題ない、のか?
「セレネって変なところに気がつくのね」
「そこまで変なところ、でしょうか?」
くすりと笑うハーマイオニーにムッとして、言い返そうと思ったが――大人げないので怒りの矛を収める。―――そんな時だった。
ガラリっと予告なしに、コンパートメントの戸が開かれる。丸顔の少年が立っていた。
「あの……ヒキガエル見なかった? 僕から逃げてばかりなんだ」
「ヒキガエル? みなかったけど、セレネは?」
「私も見ていません。もしかしたら、家に忘れてしまったのでは?」
「そんなことないよ!」
丸顔の少年は、肩をしゃくりあげながら反論してきた。
「汽車に乗る前もいなくなっちゃって……でも、それは婆ちゃんが見つけてくれたからよかったんだけど、乗ってからしばらくしたらいなくなっちゃったんだ」
「なら、探しましょ!」
「……そうですね、手伝いましょう」
ハーマイオニーが、そして、やや遅れて私が立ち上がる。すると、丸顔の少年がキョトンとした顔をした。
「ヒキガエルでいいのよね?」
「そうだけど、なんで手伝ってくれるの?」
おいおい。今まで、誰も手伝う連中がいなかったのか。
まぁ、仕方ないと言ったら仕方ないのかもしれないが。私自身、『優等生』である『セレネ』を演じていなかったら、面倒だと思って手伝わない。自分に一利もないことに労力を割いても、意味がないと思う。
――けれど、私は『セレネ』なのだから、手伝わなければならない。
もっとも、そんな本当の理由なんて言えず、私は黙り込んでしまった。
何も言わない私の代わりに、ハーマイオニーが口を開いた。
「困ってる人がいたら助けるのが当たり前でしょ?
私は、ハーマイオニー・グレンジャー。この子はセレネ・ゴーント。アナタの名前は?」
「僕はネビル。ネビル・ロングボトムっていうんだ。
ありがとう、ハーマイオニーとセレネ!」
ネビル・ロングボトムは顔を真っ赤にして礼を口にした。いくらホグワーツに到着するまで時間があるとはいえ、もう昼を過ぎてしまっている。私達は、三手にわかれて探すことにした。
「先に制服に着替えておいてよかった」
ついつい呟きながら、窓の外に目を向ける。
窓から差し込んでくる光は、車両を蜜色に染める時間帯だった。
あと、少しでホグワーツへとたどり着くのだろう。それなのに、トレバーという名の蛙は全く見つからない。もう1時間は探している。
「やっぱり、ロングボトムが忘れてきたんじゃないか?」
だけど、手伝うと私は言ってしまった。
探さなければならない。内心ため息をつきながら、次に調べようとしたコンパートメントをノックしようとする。
そんな時だ。中から悲鳴が聞こえてきたのだ。咄嗟に、私は蹴破るように扉を開け放った。
「何かありましたか!? ――――ってハリーとドラコ・マルフォイ?」
コンパートメントのありさまに、私は思わず『素』に戻ってしまう。
菓子とその包み紙が床に散らばるコンパートメント。そこにいた5人の少年のうち、2人は見覚えのある少年だった。しかも、今にも取っ組み合いを始めそうな情けない姿をさらしている。
「「セレネ?」」
「……なにがあったのですか?」
急激に熱が冷めていった。
体格のいい少年は、血がにじんでる指をかばっていた。
口元に赤い何かを滴らせているネズミ。そのネズミを、赤毛の少年が抱いている。恐らく、赤毛の少年が持っているネズミが、あの体格のいい少年の指を噛んだのだろう。悲鳴の原因は、たぶんそれだ。
「なに。僕たちの所のお菓子がなくなったんで、貰おうとしたらゴイルの指にウィーズリーのネズミが噛みついたんだ」
マルフォイが、落ち着き払った感じで答えた。すると、ハリーがムッとした表情を浮かべ言い返す。
「僕たちのお菓子を、無理矢理取ろうとしたんだ」
どうやら、この2人は凄く仲が悪いらしい。火花が飛び散っていた。
首を突っ込むんじゃなかった。『後悔』の二文字が頭を横切り、心の中でため息をつく。
もう「あ、そう。喧嘩はするなよー」とだけ言って、帰りたい。だけど、私は『セレネ』なのだから、この場を優等生らしく円満に収めなければならない。
どうやったら、円満に済ませることが出来るだろうか。少し悩んだ結果、1つしか解決案が思い浮かばなかった。
「私は現場を見ていないので、詳しいことは分かりません。
ただ、そろそろ汽車がつく時間帯です。菓子ならホグワーツでも買えると思いますので、今は我慢したらいかがでしょうか?」
「なんだって、セレネ」
マルフォイの眉間に筋が立つ。
その奥にいる取り巻き達の拳が、わなわなと震えていた。
だけど、こうするしかないのだ。状況的に判断して、どちらが良いのか悪いのか、決めるのは不可能なのだから。もっとも、これだと一方的にマルフォイが悪かったみたいになってしまうので、ハリー達側にも一言――
「ハリー、貴方たちも気を付けた方がイイですよ?
沢山お菓子を持っていたのだから、1つや2つ分けてあげることが出来る『心のゆとり』を持つべきです。それから―――赤毛の貴方、ネズミの管理はしっかり行うこと。傷口から細菌が入る恐れがあります」
勝ち誇っていたハリーと赤毛の顔が歪んだ。
誰もが何か言いたそうだったが、これ以上巻き込まれるのは御免だ。私はさっさとコンパートメントから離れた。しばらくすると、また揉めあう音と本日2回目の悲鳴が聞こえてきたが、私は無視する。もう巻き込まれるのは、嫌だった。
「今、悲鳴聞こえなかった?」
ハーマイオニー・グレンジャーが前から走ってきた。
「聞こえました。でも、たいしたことじゃないから放って置いていいと思います」
私は正直に伝える。
ただの菓子の取り合いの延長戦だろう、たぶん。私の答えを聞き、少し悩んだハーマイオニーだったが
「でも、心配だから見てくるわ」
そう口にすると、ハリー達の居るコンパートメントの方に走っていった。
私はハーマイオニーの背中を見送ると、窓の外を眺める。
汽車がどんどん速度を落としている。窓の外の山や森が薄紫色の空の下に沈んでいた。
ホグワーツはもうすぐだ。
※3月3日:誤字訂正