スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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51話 卵の謎とリータ・スキーター

 

 深夜――セレネはベッドを抜け出すと、卵を抱えてある場所へ向かった。

 

 監督生用の風呂場である。

 

 水中人の声が卵の謎を解くヒントになるのだとしたら、水に卵を浸して頭を突っ込めばいい。だが、いまは12月。真冬である。セレネには、氷のように冷たい水に頭を突っ込む趣味はない。そんなことをしたら、風邪をひいてしまう。

 どうせなら、水ではなくてお湯、それも温かい風呂につかりながら考える方が遥かに健康的にも良いだろう。 

 

 そこで、さっそく親衛隊員の女監督生から監督生専用浴場の合言葉を聞き出すと、セレネはこうして人目を忍んでつかりに来たのであった。

 

「これは……なかなかいい所ね」

 

 セレネは蝋燭の灯ったシャンデリアを見上げながら呟いた。

 シャンデリアの灯りが白い大理石造りの浴室を柔らかく照らしていた。床に埋め込まれた長方形のプールのような浴槽も白い大理石である。浴槽の周囲に、百本ほどの金の蛇口があり、取っ手のところには宝石が埋め込まれていた。

 これを自由に使えるのだとすれば、監督生もなかなか捨てたものではない。

 セレネはそう思いながら、壁に向かって話しかけた。

 

『アルケミー、見張りはよろしくね』

 

 たいして大きな声を出していないのに、壁に当たって反響し浴室中に木霊していた。

 

『了解しました、継承者様。近づく人間は、私が殺せばいいのですね』

『いや、人が近づいてきたら教えてくれたらいいの。あとは、私が『目くらまし』で姿を消すから』

 

 セレネは苦笑いをしながら蛇口をひねった。

 一応、アルケミーに見張りはさせているが、こんな夜中に風呂に浸かりに来ないだろう。もし、スリザリン以外の監督生がやってきたら、目くらましで姿を消すか、言い訳をすればいい。たとえば、『代表選手の疲れを癒すため、先輩がここを教えてくれたんです』とかだ。

 セレネは服を脱いで隅に置いてあった籠に置くと、そっと爪先から湯に足をつけてみた。

 

「うぅー……」

  

 いままで感じたことのない感覚に、セレネの身体は強張った。爪先からびりびりと痺れ、胸まで苦しくなってくる。しかし、我慢してつかっていると、なんともいえない良い気持になってきた。肌を薄氷のように覆っていた緊張がじっくりと溶け、全身から力が抜けていくようだった。

 

「お風呂って良い文化かも」

 

 湯気でかすむ天井の模様を眺めながら、セレネは呟いた。

 東洋では毎日湯につかるらしい。この話を聞いた時は信じがたく思ったものだが、案外これはいける。自分が監督生になったら、毎日通いそうだ。この快感を知ると、もうシャワーのみの生活には戻れそうになかった。

 

「さてと、そろそろ卵の謎を解かないと」

 

 浴槽の端に置いておいた金色の卵を引き寄せてみる。

 そして、思いっきり沈めてみた。すると、もうあの金切り声は聞こえず、代わりにごぼごぼという泡と共に歌声が聞こえてきた。やはり、この状態では聞こえそうにない。セレネは眼鏡を外した。その途端、数えきれないほどの『線』が周囲を覆いつくしていく。頭が痛むのを歯を食いしばって堪えながら、セレネは大きく息を吸うと湯に潜った。

 すると、湯の中で卵から幻想的な声のコーラスが聞こえてきた。

 

 

『探しにおいで 声を頼りに 地上じゃ歌は 歌えない

 探しながらも 考えよう 我らが捕らえし 大切なもの

 探す時間は 1時間 取り返すべし 大切なもの

 1時間のその後は………もはや望みはありえない

 遅すぎたなら そのモノは もはや2度とは戻らない』

 

 

 セレネは水面から顔をだし、湯気で少し曇った眼鏡をつけた。ポタリポタリと髪から湯が滴り落ち、水面に波紋を作っていく。セレネは肩までつかりながら、先程聞いた不思議なコーラスを反芻した。

 

「大切なものを探す……1時間以内に、か。なんだ、本当にダンスパーティーは関係なかったのね」

 

 セレネはがっくりと首を倒した。

 

「水中人がいるのは湖。まさか……1時間も湖に潜るの?」

 

 温かな湯につかっているというのに、身体がぶるりと震えてしまった。

 この極寒の下、湖に潜るのは正気の沙汰ではない。早急に、防寒魔法を習得する必要がある。ホグズミード村辺りで、すでに防寒魔法がかかった水着を購入するのもいいかもしれない。

 

 1時間潜るというのは、とりあえずなんとかなるだろう。

 泡頭呪文で新鮮な空気を確保すればいいだけである。マグルのダイビングセットをお小遣いで購入し、試合開始後に呼び寄せ呪文で取り寄せるという手もあるが、ダイビングのスーツを着るのに時間がかかるし、酸素ボンベなどの装着に戸惑っている間に、他の代表選手に先を越されてしまう。

 

 なのでここは、泡頭呪文となにかを併用して考えるべきだろう。

 

「でも……大切な物ってなんだろう?」

 

 一番大切なものは、自分の命だ。

 だが、これを水中人に奪われたが最後、課題に参加することはできない。

 

 次点は、セレネが大切なものは杖である。

 しかし、肌身離さず持っている杖を奪われるわけにはいかない。むしろ、杖がなかったら課題を解決することができないので、これもありえないだろう。

 となると、残りはお守り代わりに持っているフラメル夫人から貰った黒い石やゴーントの指輪だが、これも肌身離さず持ち歩いているので、そもそも奪うことができない。

 

 では、大切なものとは何か。

 

「……ま、細かいことは後で考えよう」 

 

 やるべきことは分かった。

 あとは、練習を重ね、実戦に備えるまでだ。それに、セレネには第二の課題の前に片付けなければならない問題があった。

 セレネは湯から上がると、白いタオルで身体を拭き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 卵の謎が解けてから、あっという間に時計の針は進んでいった。

 気がつけば、セレネが待ちに待った1月の週末――ホグズミード村行きの日になっていた。

 

 3年の時は行くことができなかったが、吸魂鬼がいなくなったので、めでたく今年から村へ行くことを許可されたのである。

 セレネたちは重い荷物を抱えながら雪でぬかるんだハイストリートを突き進むと、「三本の箒」に足を踏み入れた。このパブはいつも込み合っている。どのテーブルも込み合い、ホグワーツ生や魔法使いたちで賑わっていた。セレネは人の波を縫いながら、カウンターへ近づいていった。

 

「すみません、個室を予約したゴーントですけど」

 

 セレネはカウンターに辿りつくと、マダム・ロスメルタに話しかけた。

 

「ああ、ゴーントさんね。201号室をどうぞ。これが鍵よ」

「ありがとうございます」

 

 セレネは小さな鍵を受け取ると、人ごみを縫いながら二階に上がっていった。このパブの二階には個室が並んでいる。それなりの値段が張るが、秘密の話をするには都合の良い場所だ。セレネは201号室を開けると、荷物をほどき始める。何の変哲もないティーセットだ。まっさきに古代ルーン文字が刻まれたお気に入りのカップが割れていないことを確かめると、セレネは杖を振りながら楽しいお茶会の準備をし始めた。お茶会があまりにも楽しみなので、ついマグルの歌を口ずさんでしまう。

 

 

 

「あら、聞き覚えのない歌ざんすね」

 

 セレネがカップに湯を注いで温めていると、一人の女性が乱暴に扉を開けて入って来た。リータ・スキーターだ。バナナ色のローブを身に纏い、長い爪をショッキングピンクに染めている。

 

「ビートルズですよ」

「かぶとむし?」

「マグルの人気グループです。もうずいぶん前に解散してしまいましたが」

 

 セレネはそう言うと、リータ・スキーターに自分にできる最高級の微笑みを向けた。

 

「今日は来てくださってありがとうございます。ごめんなさい、人気記者で忙しいのに……」

「かまわないわよ。あたしは貴方に興味があるざんす。あなたが、ハリーのことをどう思っているのかとか、聞きたくてたまらないわぁ」

 

 彼女の目はまるで、捕食者のようだった。か弱い獲物をどう食するのか――そう考えている目だ。 

 

「ええ、ハリーのことについても語りたいと思います。きっと、リータさんが欲しい情報だと思いますから」

 

 彼女が欲しがっているのは、読者が喜ぶ記事だ。

 そのためなら、人の尊厳を傷つけたってかまわない。セレネがハリーのことが好きでたまらないと、でっちあげるのもその一つだ。

 おそらく、今日――もし、セレネがハリーについて正直に語ったら、思いっきり着色されるだろう。たとえば、課題でハリーを事故に見せかけて殺し、無理心中を図ろうと企んでいるヤンデレ女だとか――。

 

「リータさん、すみません。この個室をとるのでお小遣いが精いっぱいで……私の淹れるお茶で我慢してくださいませんか? それなりの茶葉を使っているので」

 

 セレネは申し訳ないと謝ってみせた。

 すると、リータはふんっと鼻を鳴らしながら、椅子に腰を掛けた。

 

「代表選手の淹れるお茶ざんしょ? とても楽しみだわねぇ!」 

「ありがとうございます!! リータさんに飲んでいただけるなんて、とても光栄ですよ!」

 

 どうせ、そのあとに思いっきりこき下ろし、新聞のネタにするのだろう。

 セレネは目を伏せながらお茶を入れた。

 

「でも、まさかあんたが取材OKしてくれるとは……正直、思わなかったざんす」

「それはもちろん、貴方が素晴らしい記者だからです。

 新聞を読みました。ハリーの内面をあそこまで取材するなんて、そう簡単にできることではありませんよ……あ、ミルクは入りますよね?」

 

 セレネはリータに渡すカップにミルクを注ぎ込みながら、困ったように笑った。

 

「どうぞ」

 

 リータがカップに口をつけて飲んだ。ごくりと喉が動く。

 

「どうです、お味は?」

「……普通ざんす。そこらの小娘が淹れたお茶にしては、まあまあの合格点ざんしょ。もちろん、あたしが飲むには下の下ざんすが……?」

 

 リータはそこまで言ったとき、わずかに眉をひそめた。その反応に、セレネは少し驚いて片方の眉を上げる。だが、すぐに元の優等生スマイルに戻すと、セレネはリータに伺いを立てるような声色で話しかけた。

 

「あの……もう一口飲んでいただけませんか? 一口ごとに味が変わるようにしたのですけど」

「そんなことができるざんすか?」

「私は魔女ですよ。しかも、代表選手です。そのくらいの魔法をかけるのは簡単なんですよ。それに――」

 

 セレネも自分のカップに注いだストレートティーを飲みながら、嬉しそうに微笑みかける。

 

「今日のゲストはリータさん、あなたです。だから、楽しんでもらわないと」

 

 セレネが無邪気に微笑みながら言うと、リータはもう一口、二口と。ミルクティーを口にした。

 

「味が変わらないざんすけど?」

「それは、おかしいですね」

 

 セレネはきょとんと首を傾げた。

 

「リータさん、一つ質問をしますね。 紅茶を飲むときに砂糖を入れましたか?」

「入れてないざんすよ?」

「そうですか。……では、リータさん。次の質問です。もしかして、貴方――――――――――人に言えない秘密がありますよね? それ、今ここで話してもらえませんか?」

 

 セレネはにこやかな笑顔を浮かべたまま、リータに本題を切り出した。「今日の天気は晴れですか?」と尋ねるような、ごくごく自然な口調で。

 すると、リータは怒ったように眉間に思いっきり皺を寄せた。紅茶の感想を聞かれるのかと思ったら、いきなりプライベートど真ん中の質問を聞いてきたのだ。いきなり土足でずかずかと家に入り、その家の金庫の開け方を聞いているようなものである。

 リータでなくても怒るに決まっている。事実、リータの口調はかなり荒々しい物だった。

 

「あんた、なに聞いてるざんしょ!? 人に言えない秘密ぅ? そんなもの、あたしは未登録の動物もどきでコガネムシになれることに決まってるざんしょ!! ……ッ!!」

 

 リータは慌てて自分の口に手を当てたが、もう後の祭りである。

 セレネはしっかり聞いてしまった。セレネは自分のカップをことりとテーブルに置くと、リータに悠々と微笑みかける。

 

「そうですか、そうですか。あのリータ・スキーターが未登録の動物もどき。しかも、コガネムシということは……もしかして、無断でホグワーツの校舎内に入ったこともあったのでは?」

「あたりまえざんしょ、クリスマス・ダンスパーティーの夜や休み時間に入って、いい話がないか探して飛び回ったざんすよ――ッ、この口!!」

 

 リータはぺらぺらと話しながら、自分の口を押えようと格闘する。彼女はセレネを睨みつけると、冷たく言い放った。

 

「小娘ぇ……このあたしに真実薬を盛ったわねぇ」

「真実薬?」

 

 セレネはとぼけてみせる。

 

「それは、たしかに真実薬を個人的興味の一環で作ったことはありましたが……まあ、大変っ! 真実薬をミルクの中に落としてしまったことを忘れてしました。ごめんなさい、リータさん。真実薬は無色無臭なので、すぐに気づけませんでした」

 

 セレネはリータにしらじらしく謝って見せる。

 

 もちろん、大嘘だ。

 最初から彼女をはめるために、真実薬を作ったのである。薬を作るのには一か月もかかるので、秘密の部屋をなかなか離れることができずに大変だったが、どうやら満足のいく出来栄えだったようだ。リータ・スキータの反応がそれを証明している。

 セレネの顔はますます笑みが深くなっていった。

 

「ということは、いまのはすべて真実ということ。まさか……人の不幸を餌にして生活しているリータ・スキーターが、未登録の動物もどきで、しかも不法侵入を繰り返していたなんて、これは大スクープです。 良かったですね、リータ・スキーター。貴方のことは新聞の一面になるはずですよ!」

「調子に乗るなよ、小娘ごときが」

 

 いまや、リータは甘い顔を一切脱ぎ捨てていた。おそらく、こちらが本性なのだろう。めらめらと憎悪に燃える目でセレネを睨み付けてくる。

 

「私が実際に変身している時ならまだしも、14歳の小娘の言い分なんて、誰も信じるわけないざんすよ」

「そうかもしれませんね――聞いたのが私、一人だけなら、ですけど」

 

 セレネは杖を一振りした。

 誰もいなかったはずの空間に数人の人が浮かび上がってくる。

 

 フローラ・カローにヘスティア・カロー、エイドリアン・ピュシー、ガウェイン・ウルクハート。

 

 親衛隊の幹部たちである。

 

「私の友だちです。私がリータと二人っきりで会うのが不安だと心配してくれまして、こうして『目くらましの呪文』をかけてついてきてくれたのです」

 

 これには、さすがのリータの顔にも恐れの色が滲み始めた。聞いた人間がピュシーとウルクハートだけなら、まだリータは強がることができたかもしれない。しかし、この場所には政治界にも発言力の強い聖28族の一角――カロー一族の跡継ぎがいるのだ。彼女たちの父親を通して、しかるべき場所にこの情報を持っていかれた暁には、リータの記者生命が失われるどころか、アズカバンに送り込まれてしまう。

 

「もちろん、貴方の声は録音させていただいています」

 

 セレネは録音機を片手で放りながら、リータの方に歩み寄って行った。

 

「でも、私――貴方とは仲良くしたいと思っているのですよ」

「仲良く?」

「ええ。だって、貴方は新聞記者。それも、動物もどきにもなれる優秀な魔女です。その能力を活かして色々な取材もできますし、なにより――ここで、貴方を殺したら、どこぞの塵以下のサイコパスと同じになってしまいますから」

 

 セレネは余裕を持って微笑みかけた。

 本当ならここで、治癒魔法を併用して死なないように加減しながら、呪いという呪いをかけたあと、八つ裂きにして大通りに晒したいところなのだが、そこまでしたら、完全にサイコパスだ。そもそも、憎らしいことをされたぐらいで人を殺していたら、ヴォルデモートと同じになってしまう。

 

 すでに、彼女の弱みは握っている。

 あとは、完全に自分の支配下に置くだけだ。

 

「リータさん、貴方は私の下僕になってくださいね」

 

 純粋な暴力で、リータを屈服させることも考えた。

 現在、「三本の箒」の個室はすべて親衛隊で押さえている。リータが悲鳴を上げても、同じ階からは誰も助けに来ない。この女に呪いをかけたり殴ったり蹴ったりするのだ。セレネはもちろん、今日連れて来たメンバーは相手が大人であろうと手加減をしない。セレネの命令通り、忠実にリータを痛めつけるだろう。そんなことを三十分程度もすれば、きっと屈服し、許しを請うに違いない。

 

 しかし、それでは美しくない。

 痛みでの支配なんて、自分にふさわしくない。なによりも、片付けるのが面倒である。

 

 だから、セレネは丁寧にお願いした。

 

「私の言うことには絶対服従。逆らったら罰を受けます。いいですね?」

「下僕っ!?」

 

 リータは目を剥いた。

 

「冗談じゃないざんす! いくら動物もどきのことを知られたからって、誰が下僕になんか――」

「ところで、リータ。これはご存知ですか?」

 

 セレネはリータが使っていたカップを指さした。

 古代ルーン文字が刻まれている以外、何の変哲もないカップだ。リータも困惑したのか、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。セレネは朗らかに微笑んだまま、説明をした。

 

「古代ルーン文字……もちろん、古代に使用されていた魔法文字ですが、たんなる文字としての使用以外にも使われていたことをご存知でしょうか?」

「そのくらいは知ってるざんす」

 

 リータはちょっと憤慨したような声で言った。

 

「文字を書くだけで発動できる太古の魔法ざんしょ? でも、ほとんどは失われて意味をなさないざんすけど、それが、どうして――……まさか」

 

 リータは何か感づいたのだろう。彼女は慌てたようにカップを凝視し始めた。その様子を見て、カロー姉妹がくすくす笑っている声が聞こえてくる。セレネもその声に合わせるように笑った。

 

「ええ、その通りです。でも、私はちょっと失われたルーンを復活させることができまして」

 

 秘密の部屋で見つけたのは、なにも錬金術の書物だけではない。

 サラザール・スリザリンの時代ですら、すでに失われつつあったルーン文字が大量に残されていたのである。

 セレネは今回、その中の一つをカップに刻んでいた。

 

「そのルーンの効能は、実に簡単です。

 そのカップで紅茶を飲んだ者に、こんな魔法をかけるんです。

 そう……『セレネ・ゴーントに服従しなければ、ヒキガエルになる』。ね、簡単でしょう?」

 

 リータは呆気にとられたように口を開いた。そこには自信に満ち溢れ、人を陥れることを楽しむ女の姿はなかった。セレネはその姿を楽しみながら、言葉を続ける。

 

「動物もどきの変身は意識を保てるそうですが、変身術――それも、ルーンを用いた変身術の場合、意識を保つことはできません。だって、無理やり肉体を再構成して、カエルに変えてしまうのですから」

 

 そう、たとえるなら、針山にされたハリネズミが、ハリネズミであったことを忘れるように。 

 ヒキガエルにされた人間は、自分が人間だと思い出すこともなく、ヒキガエルとして一生を終えるのだ。

 

 

「そんな……!?」

「楽しそうですね、カエルになった貴方に蝿を食べさせてみるのは。蛇の餌にするのもいいかもしれません。蛇に食べられている最中にルーンが解けたら……きっと、見物でしょうね」

「馬鹿な。たった14歳の小娘に、そんな高度なルーンが使えるわけがない!! ありえるわけがないっ!! 絶対に服従なんてするものか!」

 

 リータは悲鳴に近い叫びを上げる、

 

「ありえない?」

 

 セレネは笑みを引っ込めた。かつ、かつとブーツの音を立てながら、今にも崩れ落ちそうなリータ・スキーターに近寄っていく。

 

「まさか……。ありえないことなんて、ありえない」

 

 セレネが呟くのと、リータの左腕がぶくぶくと膨れだすのはほぼ同時だった。リータの左掌にみずがきができたかと思うと、みるみる間に肌は茶色に変色し、膨れ上がっていく。そう、それは、完全にヒキガエルの左腕だ。リータは甲高い悲鳴を上げた。

 

「あ、あたしの、手‐――ッ!!」

「服従すると誓いなさい。そうすれば、呪いが止まるわ」

「わ、分かりました。誓います。あんた、あなたさまの下僕になるから!!」

 

 リータが泣き叫びながら宣言して、ようやく呪いが止まった。彼女の腕は、その半分がヒキガエルのものになってしまっている。呪いの進行が止まっても、元の腕に戻る気配はなかった。

 

「あ、あたしの、あたしの腕が――!!」

 

 リータは絶叫する。

 毎日欠かさず手入れをしていた爪も、ペンを握るための指も、ほどよく太った白い腕も、そのすべてが醜いカエルのモノになってしまっていた。

 

「最初から、ゴーント様に従っていればよかったんだよ」

 

 ウルクハートが塵を見るかのように、リータを見下した。

 

「そうすれば、腕を失わずにすんだんだ」

「でも、片方だけですんで良かったですね」

 

 フローラが口元を扇子で押さえながら言い捨てる。

 

「片方だけなら、もう片方で杖もペンも握れますから」

「ええ、姉様。この人の記者生命が絶たれずにすんでよかったですね」

 

 ヘスティアもフローラに寄り添いながら、リータを一瞥する。ピュシーはリータに興味の欠片もないのだろう。何も言わずに、セレネが次に下す命令を待っていた。

 

「まあ皆さん、リータ・スキーターの過ちを責めるのはそこまでです。本人も反省しているでしょうし」

 

 セレネは軽く手を叩いた。そして、そのまま杖を軽く一振りする。杖先から溢れ出た金色の粉が、リータの腕に降り注いでいだ。

 

「これから一時間、その腕が他人からは普通の腕に見えるようになります。その魔法が解ける前までに、ホグズミード村を出て行ってくださいね」

「は、はい」

「もちろん、この呪いのことを誰かに伝えるのも駄目です。どのような手段であっても伝えた瞬間、呪いの進行が再開されます。

 これからも、私の不利になることはせず、有利になるように動きなさい。いいですね、下僕?」

 

 セレネはリータの青白くなった頬に杖で触れながら、そっと耳元で問いかける。そして、じっと黙り込んだリータを杖先で軽く叩き、言葉を促した。

 

「……はい、了解したざんす」

 

 リータは下を向きながら、苦しそうに言った。

 

「それでは、さようなら。節度のある行動を心がけなさい」

 

 セレネは杖をしまった。そのまま制服のスカートを翻すと、リータに背を向けて歩き出した。フローラたち親衛隊幹部もその後に続く。

 セレネたちはリータよりも先に階段を降りていく。セレネは最後尾のピュシーがティーセット一式を持っていることを目で確認すると、彼らに声をかけた。

 

「ありがとうございます、みなさん。でも……ごめんなさいね、野暮用につきあわせてしまって。せっかくの休日なのに」

「いいえ、むしろ光栄ですわ!」

 

 ヘスティアが真っ先に口を開いた。彼女に続けとばかりに、残りの隊員も話し始める。

 

「ゴーント先輩から頼られることなんて、滅多にないですから」

「隊長ではなく、僕たちにリータ・スキーターへの制裁を手伝わせてくれるなんて、思ってもいませんでした」

「これからも何か問題があった時は、オレ、喜んで力になります!」

 

 四人とも目をギラギラと輝かせていた。

 

「それにしても、やりましたね、ゴーント先輩!」

「最後のリータの顔見ましたか?」

「いい気味だったよな、本当に」

 

 そして、手近なテーブルに着くとはしゃぎ始めた。

 セレネは四人に向かって

 

「それでは、私はこれで。行く場所があるので」

 

 そう言って、三本の箒から抜け出した。

 湖に潜るため、水着を買いに行かなければならない。

 途中、ハリーたち三人組とすれ違った。ふと、ハリーが第一の課題について教えてくれたことが脳裏を横切る。あのとき、すでにセレネは第一の課題について知っていた。なので、ハリーの行動は意味のないものになってしまったわけだが、表面上は知らなかったことになっている。つまり、ハリーに借りがある状態だ。

 

 ならば、いま――第二の課題について教えてあげた方がいいのではないだろうか。

 

 

 セレネはハリーに声をかけようとして、口を閉じた。

 ハリーは現在、1位だ。

 もし、課題の内容を教えて、また1位になるようなことがあれば、第三の課題で引きずり下ろすのは至難の業だろう。教えない方が、ハリーが1位を獲得する可能性を消すことができるかもしれない。

 セレネはもう二度と、誰にも負けたくなかった。当然、ハリーにもである。しかし、普段演じている優等生の自分なら、絶対に余裕をもって教えていることだろう。

 

 セレネは悩んでしまった。

 そして、この一瞬の躊躇の間にも、彼らの姿は人並みの向こうへ消えて行ってしまう。

 

「……嫌な女」

 

 

 セレネは自分に向かって呟くと、ハリーの歩いて行った方向に背を向けた。

 

 

 


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