スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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55話 第三の課題

 

 大広間での夕食が終わると、代表選手たちは一足先にクィディッチ競技場に集められた。

 六メートルほどの高さの生け垣が周囲を囲み、正面に隙間が空いている。あれが、巨大迷路の入り口だろう。覗き込んでみると中の通路は薄暗く、とても気味が悪かった。

 

 

 セレネは軽くストレッチをしながら、その時を待つ。

 持ち込みが許されているのは、杖のみだ。ナイフは持っていないが、いざというときのために偽賢者の石はポケットに入れていた。だが、おそらく使うことはないだろう。迷路内部での対人戦――すなわち、代表選手同士の戦いは推奨されていなかった。理由は簡単。敗れた代表選手の救助に時間がかかるからである。教師でさえ、取り除くのに苦労する障害物が配置されているのだ。教師が戸惑っている間に、尻尾爆発スクリュートのえじきになったら、たまったものではない。

 

「私たちが迷路の外側を巡回しています」

 

 マクゴナガルが言った。傍には、ハグリッドとムーディ、フリットウィックの姿がある。

 

「なにか危険に巻き込まれ、助けを求めたいときは空中に赤い火花を上げなさい」

 

 代表選手たちが頷くと、バグマンが声を張り上げた。

 

「よし、では持ち場について!」

 

 代表選手がそれぞれ別の方向へ散っていく。セレネとハリーは1番なので正面からの入場だ。セレネは少しがっかりした。皆、同じところからエントリーするのであれば、入口の所に落とし穴を設置したのに――その算段がくるってしまった。

 

「まあ、仕方ないですね」

 

 正攻法で課題をクリアしよう。

 セレネはスタンドを埋め始めた人ごみを見渡した。グリフィンドールのライオンが踊る場所の反対側――そこで銀色の蛇の旗が踊っている。小さく義父の姿が見えた。彼の周りには、カロー姉妹やら親衛隊の生徒たちが守護するように囲んでいる。義父はノットと話し込んでいた。ノットは嫌そうな顔をしているが、なにやらクイールはぐいぐいと怒ったように攻めている。そのたびに、ノットは身体を縮こまらせながら、クイールから距離を取ろうとしていた。これは、意外な二人組である。ぜひ、あそこの会話を聞いてみたいものだ。なにをもって、ノットがクイールを怒らせたのか非常に興味がある。

 課題を華々しく解決した暁には、尋ねてみることにしよう。

 

 

「紳士、淑女の皆さん、お待たせいたしました!! 第三の課題、そして最後の課題が始まります!!

 ここで、現在の点数を確認しましょう。

 第一位、ハリー・ポッター君、セレネ・ゴーント嬢、両名ともホグワーツ!!」

 

 大歓声と拍手に驚き、禁じられた森の鳥たちが暮れかかった空に飛び去って行く。

 

「第二位 セドリック・ディゴリー君、ホグワーツ校!

 第三位 ビクトール・クラム君、ダームストラング校!

 そして、第四位はフラー・デラクール嬢、ボーバトン校。以上の結果になっております。

 さて、このまま一位の二人が独走するのか! それとも逆転優勝もありえるのか!? 危険溢れる迷路から優勝杯を手に入れるのは、いったい誰になるのか!!」

 

 バグマンが手を広げると、ひときわ高い歓声が沸き起こる。

 

「では、ホイッスルが鳴ったらハリーとセレネ! いち……に……さん」 

 

 バグマンが笛を鳴らした。

 セレネは地面を蹴ると、ハリーより先に迷路へ侵入する。危険を確かめるために、ハリーを囮に使う作戦もあったが、なによりも時間が惜しい。

 後ろで声を上げるハリーを無視して、セレネは迷路を奥へ奥へと進んで行った。

 

「『ファントム フラム―幻影の炎よ』!」

 

 セレネは歩きながら、杖を軽く一振りする。

 すると、杖先から青白い炎が煌々と燃え上がり、セレネの周囲を守護するように包んだ。呪文の通り、幻の炎である。しかしながら、たいていの動物は火を嫌う。これは、魔法生物も同じことだ。火を焚いているだけで、たいていの魔法生物は近づいてこない。余計な戦いを避けることができるだろう。

 

 これでも近づいてくるのは、よほどの馬鹿生物か――火をも恐れない凶悪な魔法生物だけだ。

 

 

 だから、セレネはすっかり油断していた。

 

 まさか、角を曲がった途端、いきなり――セレネの前に火を恐れない凶悪魔法生物「尻尾爆発スクリュート」が現れるとは思っていなかったのである。

 

「……この炎、こいつには役に立たないじゃない」

 

 セレネは、スクリュートを睨みつけた。

 こいつにこそ役に立ってほしかった呪文なのに、とセレネは少し愚痴る。

 なにを隠そう、とにかくでかい。長さだけで三メートルはある。巨大なサソリのように、はさみをかちかちと鳴らしていた。長い棘を背中の方に丸め込み、セレネが幻影の炎で照らし出すと、その光で分厚い甲殻がぎらりと光った。

 

「『ステューピファイ‐麻痺せよ』」

 

 駄目もとでスクリュートを攻撃する。だが、それなりの魔力を込めたはずにも関わらず、失神呪文は殻に当たって跳ね返った。セレネは間一髪、盾の呪文で防いだが、スクリュートは攻撃準備を始めていた。身体を曲げて、尻尾から火を噴き上げている。そして、セレネめがけて飛びかかって来た。

 

「『インカーセラス 縛れ』!」

 

 セレネは杖を鞭のように振るい、杖先から飛び出した分厚い縄でスクリュートに巻いていく。スクリュートの勢いは少し抑えられた。セレネはそのままスクリュートではなく縄に目がけて、ありったけの魔法を込めて攻撃する。

 

「『エクスパルソ‐爆破せよ』!!」

 

 身体を満遍なく覆われた縄が、突如至近距離で爆破されたのだ。これには、怪物もたまったものではない。音と衝撃、そして爆発の光で目を回したのか、スクリュートはことりと倒れて動かなくなった。

 

「……まだ生きてるの、これ?」

 

 セレネはスクリュートの身体が呼吸しているように上下している様子を見て、ぞっとした。これでは、いつまで失神しているかも分からない。セレネは急いで無力化したスクリュートの脇を通り過ぎると、迷路の奥へと急いだ。

 

 他の代表選手は、きっともう迷路に入っている。

 自分がリードしているとは思わないことだ、とセレネは自分に言い聞かせながら先を進んだ。

 すると、今度はトロールがのそのそとやって来る。セレネが1年生の時に対峙した奴より一回りは大きいが、セレネは怖くなかった。

 

「あのときは、棍棒の線を斬ったっけ」

 

 セレネはくすりと微笑んだ。

 トロール程度、いまは魔眼を使わなくても倒せる。トロールの脅威は巨大な身体から生み出させる腕力、そして、棍棒だ。弱い失神呪文程度では倒すことができない強靭な皮膚も、トロールの持ち味だろう。

 無論、トロールを昏倒させる程度の失神呪文を放つことは可能である。だが、こんな序盤に大幅な魔力を使うことは避けたかった。

 

「『デイフォディオ 掘れ』」

 

 トロールの足元に杖を向けると、そこには大きな穴が掘られた。トロール1人くらい、すっぽり入ってしまう穴である。さすがのトロールも「進むと落ちる」ということは理解していたようで、ぶもーと唸りながら躊躇していた。

 

「……その程度は理解できるのね。でも、残念。『ディセンド‐落ちろ』」

 

 トロールの足元に閃光が当たり、そのまま足を崩したように地面に落ちていく。セレネはトロールが肩ほどまで埋まったところで軽く杖を振った。

 

「『レバロ‐直れ』」

 

 この状態で穴に修復呪文をかける。

 穴はトロールを残して、再び埋められた。アホ面のトロールだけが地面に顔を出している。トロールは何が起こったのか分からないのか、ぼんやりと唸りながら周囲を見渡していた。

 

「大人しくしていなさいね」

 

 セレネはトロールに振り返ることなく、先へと進んだ。

 迷路は右に行くとクリアできる。そんなことを教えてくれたのは、いったい誰だっただろうか。セレネは道を曲がりながら、ふとそんなことを思い出した。

 

「な、なにをするのでーすか?」

 

 ふと、近くからフラー・デラクールの声が聞こえてきた。怯えるような声に、思わず足が止まる。

 

「代表選手同士の戦いは、いま必要ではありーません」

「『クルーシオ‐苦しめ』」

 

 それに対し、低い声が聞こえてきた。それと同時にフラーの悲鳴が響き渡る。セレネは急いで角を曲がった。すると、そこには『磔の呪い』をかけられて息絶え絶えのフラーと、そんな彼女を黙って見下すビクトール・クラムの姿があった。彼の杖はフラーの喉元に向けられ、いまにもトドメを刺しそうな勢いであった。

 

「ビクトール・クラム。人に対する磔呪文は、アズカバンに収監されます。貴方のお国では違いますか?」

「『クルーシオ』!」

 

 クラムはセレネに向けて呪文を放ってくる。

 

「『プロテゴ‐守れ』」

 

 セレネは盾の呪文を展開し、呪いを避けることにした。おかえしとばかりに、歩み寄りながら失神呪文を無言で放つ。詠唱をしていないので、本来の効果よりも半減しているが、クラムを後退させるくらいには役に立った。セレネはフラーとクラムの合間に割って入ると、彼女を背で守るように立った。

 

「残念です。世界的有名なクィディッチ選手がこの程度の器とは――」

 

 セレネが話している間にも、クラムは遠慮なく「磔の呪い」をかけてくる。セレネは盾の呪文を持続し続けた。魔力削減のために、幻影の炎は消しているが、それにしてもかなりの魔力消費量だ。磔の呪いに一撃当たる度に、盾が軋むのが分かった。

 

「……あまり、長くは持ちませんね」

 

 迷路では、人の心も惑わされるという。

 クラムの心も惑わされたのかと思ったが、それにしては行動が異常だ。十中八九、服従の呪文だろう。しかし、いつかけられたのだろうか。彼はいつもカルカロフやファンたちに見られている。一人になる機会などそうないだろうし、カルカロフは闇の魔術の専門家だ。大事な大事な代表選手が服従の呪文にかけられていたら、すぐに見抜く程度のことはできそうだ。

 

 しかし、それができなかった。

 そうなると、彼は迷路に入ってから服従の呪文をかけられたということになる。

 では、誰がかけたのか。

 

 フラーは白だ。今もセレネの背後で本当に虫の息だ。傷つき、白い顔で細い息をしている。もし、彼女が服従の呪文をかけたとしたら、ここまでボコボコにされる意味が分からない。それでは、ただのマゾヒズムだ。

 

 では、ハリー・ポッターかセドリック・ディゴリーとなる。

 しかし、ハリーにここまで高度な魔法が使えるわけがないし、公正なセドリック・ディゴリーが法律をわざわざ破ってまで勝ちに来るだろうか。

 

 となると、外部の人間の仕業になる。

 しかし、まだ赤い花火が打ちあがっていない以上、警備しているマクゴナガルたちが入ってくることは不可能だ。つまり、この迷路内部には代表選手しかない。

 外から中の様子が的確に分かり、魔法をかけることができるなら話は変わってくるが――と、ここまで考えたとき、セレネにはある仮説が浮かんだ。

 

「……まさか、あの人が?」

「『クルーシオ』!!!」

 

 相変わらず、クラムが磔の呪いをかけてくるので、セレネの思考が途切れた。セレネは大っぴらに舌打ちをした。

 

「っ、しつこいですよ。そのようでは、ハーマイオニー・グレンジャーも愛想をつかしますね」

「――ッう」

 

 一人の少女の名前を出すと、クラムの顔が痛そうに歪んだ。

 その隙を逃すわけがない。セレネは盾の呪文を解除すると、まっすぐクラムに杖を向けた。

 

「『エクスペリアームス‐武器よ去れ』!」

 

 クラムの杖がセレネの手の中に納まる。クラムが憤慨したように歯を剥いたが、セレネは気にすることなく彼に杖を向け続けていた。

 

「『ステューピファイ‐麻痺せよ』」

 

 軽く魔力を込めて、失神呪文を放つ。クラムの胸に直撃し、そのまま電池が切れたように倒れ込んだ。

 

「『インカセーラス‐縛れ』」

 

 クラムを拘束し、フラーの隣に安置する。

 この分だと、フラーもクラムも課題に復帰するのは困難だろう。セレネはクラムの杖で赤い花火を上げた。ご丁寧に、救助はマクゴナガルに頼むというメッセージを添えて。その作業が終われば、もう彼らに用はない。ただ、また復活して襲ってこられては困るので、杖だけは取り上げたままにすることにした。セレネは自分のローブの中にクラムの杖をしまうと、先を急いだ。

 

「……もし、あの人がスパイなら……」

 

 いままでのことが納得がいく。

 しかし、いくつか腑に落ちないこともあった。

 

 どうして、自分を助けるようなことを言ったのだろうか。先生という役に徹していたとしても、意味が分からなかった。

 

「……あっ!」

 

 角を曲がると、遠くで青白い光が輝くのを見つけた。優勝杯だ。セレネは地面を蹴ったが、前方に誰かが走っていることに気づく。

 セドリック・ディゴリーだ。彼も優勝杯を目指して、一心不乱に走っている。体格でも体力でも、セレネが17歳の男子生徒に敵うわけがない。セレネは走りながら、セドリックに狙いを定めた。

 

「『イモビラス‐動くな』!」

 

 杖から走る閃光がセドリックに直撃した。途端、セドリックは動きが徐々に動きが止まり、スロー映像のように緩慢になった。それで十分だった。セレネは軽々と彼を追い越し、そのまま優勝杯に向かって一歩を踏み出そうとしたとき――

 

 自分の左側で、八つの目が怪しげに輝いている。

 巨大蜘蛛だ。カミソリのような歯をかちかちと鳴らしながら、こちらへ近づいてくる。セレネはこのまま無視して走れば問題ない。しかし、問題はセドリック・ディゴリーだ。呪文の影響のせいで、彼は思うように動けない。セレネは悩んだ末に歩みを止め、蜘蛛に狙いを定めた。

 

「『アラーニア・エグズメイ‐蜘蛛よ、去れ』!」

 

 杖先から閃光が奔る。蜘蛛が嫌がるように顔を背けた。蜘蛛除去魔法は通常サイズの蜘蛛には効果的だが、自分の身体より三倍は巨大な蜘蛛には効きが弱いらしい。セレネは次の呪文を思案していると、別の方向から閃光が奔った。

 

「『エクスペリアームス‐武器よ去れ』!」

 

 ハリーだった。彼の武装解除の呪文のおかげで蜘蛛のはさみが飛ばされる。そのとき、蜘蛛の下腹部が無防備にさらされた。

 

「『フリペンド‐撃て』『ステューピファイ‐麻痺せよ』!」

 

 セレネは蜘蛛の下腹部目がけて二つの魔法を打ち込んだ。蜘蛛がぐらりと揺れて二三歩、こちらへ近づいてきたが目を回したように生垣を押し倒した。そして、そのまま動かなくなった。

 

「……やった」

 

 ぴくりとも動かない蜘蛛の足を睨みつけながら、ハリーたちが近づいてくるのを待った。セドリックは終了呪文「フィニート」を使い、地力で魔法を解いたらしい。こきこきと肩を鳴らしながら、ゆっくりとセレネに近づいてきた。

 

「さてと、これで障害はなくなったね。……行きなよ、2人とも」

 

 セドリックは静かに言った。

 

「僕に取る資格はない。そもそも、僕は第一の課題で脱落していた人間なんだ。ハリーがいなければね」

「それ、正気で言ってます?」

 

 セレネは愕然とした。セドリックは優勝杯が欲しそうに睨みつけている。しかし、彼は動く気配を見せなかった。

 

「優勝杯を取らないと?」

「……ああ。セレネが僕の行動を遅くしてくれなかったら、そのまま蜘蛛の餌食になっていた。僕は負けていたよ、君にね」

「いや、私はそういうつもりで遅くしたのでは――」

「あの、だったら僕も駄目だ。僕も優勝杯を取れないよ」

 

 ハリーが戸惑うように口を開いた。彼は杖をいじりながら、ゆっくりと口を開く。

 

「第二の課題は、セドリックとセレネが助けてくれなかったら……きっと、0点だった。あの蜘蛛だって、僕一人だと倒せなかったんだ。だから、僕に取る資格はない」

「……待ってください、ちょっと待ってくださいよ」

 

 セレネは左手で頭を押さえた。

 

 ハリーもセドリックも優勝杯が欲しくてたまらないのに、妙な意地を張って所有権を放棄している。

 この場で明確な意思を示していないのはただ一人――セレネだけだ。

 

 セレネは欲しい。しかも、彼らに対する負い目など皆無だ。第一の課題も第二の課題も自力で解決した。先ほどの蜘蛛のみ、ハリーと共同戦線だ。それ以外、ここまで一人で成し遂げてきたのである。このまま二人の好意を受け取り、堂々と優勝杯を取ればいい。

 

 だがしかし、この後味の悪さは何だろう。

 

「……あの……とても、取りづらいのですが」

 

 セレネが言うと、また二人が互いに譲り始める。優勝杯の青白い光が二人の横顔を照らし出している。二人とも優勝杯を欲しいと表情が語っていた。だが、妙な意地の張り合いをしている。セレネには理解できないことだったが、このまま二人の言い合いを横目で見ながら「では、お先に」と優勝杯を取れるほど、セレネは空気が読めない人間ではなかった。

 

 セレネは優勝したい。

 ハリーに勝ち、すべてに勝ち、一人優勝台に上がりたい。栄光などには興味はないが、とにかく勝ったことを証明したい。この思いが心の奥から湧きあがって来る。

 セレネは大きく息を吐いた。

 

 

「……はあ、分かりました。分かりましたよ。三人同時はどうです?」

 

 セレネが投げやりな声で提案すると、セドリックは虚を突かれたような表情になり、ハリーは名案だと顔を輝かせた。

 

「そうだよ、さすがセレネ! 三人一緒にとればいいんだ。ホグワーツの優勝には変わりない。それは……一位は僕とセレネの引き分けだけど、ホグワーツが三人同時に優勝するんだ。一位、二位、三位、表彰台に上がるのは、みんなホグワーツだよ!」

「だけど――君たちはそれでいいのかい?」

「しかたないですよ。二人が意地を張るから」

「僕は良いよ。それに、僕たちは助け合ってここに来たんだ。三人とも辿り着いたから、一緒に取ろう」

 

 ハリーが手を広げて言うと、セドリックは一瞬、耳を疑うような顔をした。それから、にっこりと笑った。

 

「分かった、そうしようか」

 

 三人は優勝杯の傍に近づいた。青白い光を放ちながら、三人の代表選手に灯りを浴びせている。三人は優勝杯の輝く取っ手にそれぞれ片手を伸ばした。

 

「三つ数えてね」

 

 ハリーが囁くように言った。

 

「一、二……三!」

 

 セレネとハリーとセドリックは同時に取っ手をつかんだ。

 途端、セレネはへその裏側辺りが引っ張られるように感じた。両足が地面から離れ、風が唸る。優勝杯の取ってから手が離れない。色の渦の中を、優勝杯はセレネたちを引っ張っていく。

 

「これってっ!!」

 

 移動キーだと思い至ったときには、すでに遅い。

 セレネは地面に投げ出された時、受け身を取りながら立ち上がった。

 

「優勝杯が移動キーだなんて……知ってましたか?」

 

 セレネは、一番近くにいたセドリックに尋ねる。周囲は迷路の内部ではなく、見知らぬ墓地だった。右手に櫟の大木があり、その向こうに小さな教会の黒い輪郭が見える。セドリックは首を横に振った。

 

「いいや、知らない。これも課題の続きなのか?」

「まさか、ありえません。こんな不気味なところに連れてくるなんて……」

「そうだよね。一応、杖の準備はした方がいいだろうな」

 

 セドリックは不安そうな声を出すと、杖を握りしめた。セレネは少し感心した。誰も言わなければ、自分が杖の提案をしようと思っていた。それだけ、彼は危機管理意識が高い。親衛隊に勧誘しようか、と今さらながら考える。

 そして、周囲をぐるりと見わたしたとき――セレネは見覚えのある建物に気付いた。

 

「あれは……リドルの館!」

「リドルって、もしかして、ヴォルデモートのこと!?」

 

 セドリックは分からないようだが、ハリーにはすぐに誰のことか伝わったらしい。

 

「ええ、あれはリドルの――つまり、ヴォルデモートの父親が暮らしていた屋敷です」

「『例のあの人』の父親? ちょっと待って、意味が分からない。どうして、僕たちはここに連れてこられたんだ?」

 

 セドリックが困惑しているが、セレネは直感した。

 間違いなく、これはヴォルデモート絡みの一件に巻き込まれた。この移動キーを使い、ヴォルデモートはハリーとセレネを招待したのだ。何をするのかは分からないが、少なくとも、セドリック・ディゴリーはお呼びではない。セレネは少し悩んだ末に、セドリックに偽賢者の石を投げて渡した。

 

「いざというときは、これを使ってください。魔法を吸収します……限度はありますけど」

「どういうこと?」

「説明は後です。急いで駅へ行きましょう。誰かが来る前に、逃げないと。……こちらです」

「待って、セレネ。移動キーを使えばいいんだよ」

 

 セレネが歩きだそうとすると、ハリーが制した。

 

「ハリー、移動キーは使用済みです。二回目は……」

「二回目も使えるよ。行きと帰りの分があるんだ、知らなかった?」

「それを早く言ってください!」

 

 ここにきて、セレネの知識の抜けが仇になった。

 まさか、移動キーは何度も使えるものだとは知らなかったのである。本にも、そのことは記載されていなかった。

 

「なら、もう一度、移動キーを!」

「そう――あ、痛ッ――!!」

 

 ハリーは額を抑えて倒れ込んだ。頭を掻きむしりながら、のたうち回っている。セドリックは駆け寄り、ハリーの名前を叫ぶ。セレネも近づこうとしたが、前方から来る影を見て足を止めた。小太りな影が二つ、こちらに近づいてくる。セレネはハリーを庇うように前に出ると、杖をまっすぐ向けた。

 タイムオーバー。ヴォルデモートの関係者が来てしまった。こうなったが最後、戦うしかない。

 

「それ以上、近づかないでください。容赦はしません」

 

 セレネは低い声で言い放った。

 セレネの隣で、セドリックも杖を構えている。二対二だが、相手は赤子のようなものを抱えている。その赤子が冷たい声で叫んだ。

 

「よけいなやつは殺せ」

「はい、ご主人様。『アバダ ケダブラ』!」

 

 緑色の閃光が光る。セドリックは盾の呪文を構築しようとしたが、間に合わない。だが、セレネが渡した偽の賢者の石が胸元で光輝いた。賢者の石は緑の閃光を吸収していく。そして――破裂した。

 

「うわっ!」

 

 セドリックは石の鋭い破片を額に受け、そのまま地面に倒れ込んだ。見方を変えれば、それは「死の呪文」を受けて死んだように見えたかもしれない。少なくとも、敵はそう思ったようだ。嬉しそうにガッツポーズなんてしている。

 これで、戦える人材はセレネだけになってしまった。

 

「『ステューピファイ‐麻痺せよ』!」

 

 セレネはまっすぐ敵の一人に失神呪文を放つ。セドリックに死の呪いをかけた敵は、すっかり油断していたのだろう。あっさりセレネの失神呪文を受け、飛ばされてしまった。

 

「アレクト!!」

「アレクト?」

 

 聞いたことのある名前である。セレネが少し考えるために気を逸らした、その瞬間だった。セレネは背後から近づいていた大蛇に気付かなかったのである。大蛇はセレネを締めあげていく。さすがに、バジリスクのアルケミーほど巨大ではないが、今まで見た蛇の中ではかなり巨大な分類に入る。胴体だけでも、セレネの腰回りほどの太さがあった。

 

『やめ、ろ』

 

 なんとか蛇語で話しかけてみるが、無視されてしまう。

 肺が酸素を求めているのが分かる。息ができなくて苦しい。あまりの苦しさに手足の感覚がなくなってしまった。辛うじて杖だけは握りしめているが、いまにも落ちそうである。そして、ついに力尽きて杖が指の先から零れ落ちてしまったとき、冷たい声が聞こえた。

 

「よし、いまだ」

 

 声と同時に、セレネの身体は解放された。しかしその代わりに、縄で身体を巻かれてしまう。セレネは抵抗できなかった。酸素を求めるので背一杯だったのだ。横目で見ると、ハリーは墓地の石像にくくりつけられていた。セドリックは死んだものとみなされているのか、地面に転がったままである。ぴくりとも動かない。

 

「……アレクトは失神したか。なさけない。アミカス、先に進めろ」

「は、はい。ご主人様っ!」

 

 アミカスと呼ばれた人が忙しなく動き始める。

 大鍋に火をつける。何か水のような液体が、なみなみと満たされていた。ピシャピシャっと液体が跳ねる音が聞こえる。液体の表面が、すぐにマグマみたいにゴボゴボと沸騰し始めた。紫色の湯気が空に昇っていく。

 

「準備ができました、ご主人様」

 

 アミカスはそう言うと、持っていた包みを丁寧に開いた。赤子でも入っているのかと思ったが、それよりも惨い者が包まれている。醜いべっとりとしたものだった。縮こまった人間の子どものようにも見えるが、その数百倍は醜い。髪の毛はなく、鱗でおおわれたようなどす黒いものだ。のっぺりと蛇のような顔で、赤い目がぎらぎら力強く輝いていた。

 

 

 アミカスは、それを容赦なく鍋に落とした。

 

 あれが溺れてしまえばいいのに、と祈ったが、そうならないだろうと冷静な部分が言っていた。

 ハリーの悲鳴はますます強まり、額の稲妻型の傷が赤く染まっている。セドリックはまだ起きない。

 

「父親の骨、知らぬ間に与えられん」

 

 ハリーの足元の墓の表面がぱっくりと割れた。アミカスの命ずるままに、細かい塵芥が空を飛び、静かに鍋の中に降り注ぐのを見つめる。セレネには、見つめることしかできなかった。

 

「しもべの、肉。よ、よ、喜んで、差し出されん!!」

 

 アミカスは右手を前に出した。そして、震える口で呟くと、思いっきりナイフで切り落とす。その途端、夜を切り裂くような悲鳴が墓地に木霊した。アミカスは苦しみ嘆きながら、魔法で止血をする。そして、ゆらゆらと呻きながら、ハリーへ近づいていった。

 

「敵の、血。力ずくで、奪われん!」

 

 アミカスは、無抵抗のハリーに銀に短剣を突き立てた。しかし、殺すつもりはないのだろう。右腕を表層だけ貫き、そこから滲み出た鮮血を塗りたくった。アミカスは鮮血のついた短剣を大鍋に持ち帰ると、その上に掲げる。

 

「闇の帝王よ、生きて舞い戻れ、再び、この世界に」

 

 そう言いながら、一滴、二滴と血を落としていく。

 鍋の液体はたちまち目も眩むような白に変わった。任務を終えたアミカスは、がっくりと鍋の傍に膝をつき、手首を切り落とされて血を流している腕を抱えて地面に転がった。彼女は、すすり泣きをしている。

 

 その間にも、大鍋はぐつぐつと煮え立っていた。

 

 四方八方にダイヤモンドのような閃光を放っている。その目も眩むような明るさに、周りのものすべてが真っ黒なビロードで覆われてしまったように見えた。

 

「なにも、起こるなよ」

 

 セレネは呟く。

 しかし、その祈りとは虚しく、大鍋から出ていた火花が消えた。白い蒸気がうねりながら立ち昇っていく。濃い蒸気がセレネの目の前のものをすべて隠し、それが一気に大鍋に集約されていく。そう、まるで――人の形を作るように。

 

 

「ローブを着せろ、アミカス」

 

 アミカスが泣きながら立ち上がると、黒いローブを着せた。

 

 痩せた男は、こちらをじっと見つめながら大鍋を跨いだ。

 13年前より昔の新聞を賑わせていた顔だ。骸骨よりも白い顔、細長い真っ赤で不気味な両眼、蛇のように平らな鼻、そして切れ込みを入れたような鼻の穴――。

 

 

 ヴォルデモート卿は、復活した。

 

 

 

 





オリジナル魔法

○ファントム・フレム
幻影の炎を出す魔法。他にもファントム○○といった亜種魔法がある。


……もっとオリジナル魔法を出したかったのですが、今回はこれだけです。あまり便利になり過ぎるような魔法は出しませんが、たまには出していきたいです。

ヴォルデモート卿復活。次回はお辞儀のターンです。



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