スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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62話 ホッグズ・ヘッドと防衛術

「え? ホッグズ・ヘッドについて知りたい?」

 

 朝食の席でセレネが尋ねると、ミリセントはきょとんとした。あまりに驚いたせいだろう。目が点になり、匙からぽたぽたとスクランブルエッグが零れ落ちていることにも気づいていない。

 

「どんな風の吹き回しよ、あんな寂れたパブに」

「寂れたパブ?」

「そうよ。ホグズミードの裏通りにあって、なんというか、とっても胡散臭い所。危ない連中が集まってるって聞いたことがあるけど……ま、まさか、セレネ。あんた、そこに行くんじゃないでしょうね!?」

 

 ミリセントは匙を放り投げると、セレネに額をつきあわせてきた。非常に焦りと怒りが入り混じった顔をしている。

 

「あ、あんた。あんな危険な場所、一人で行く気!? まさか、なにか企んでいるんじゃないでしょうね!?」

「顔が近いですよ」

 

 セレネは淡々と言葉を返した。

 

「私は何も企んでいません」

「……それ、本当?」

「本当ですよ。私、監督生です。規則違反は犯していませんよ、なにもね」

 

 ミリセントがじとっと湿った視線を向けてくる。

 

「……私、前回のクラブであんたに殺されかかったんだけど」

「失神するだけですよ。胸に5本くらい受けなければ、死にはしませんよ」

 

 セレネは受け流すと、クロワッサンに手を伸ばした。

 

 

 セレネが企画した試験対策クラブは、予想通り――親衛隊の大半が所属する一大クラブになっていた。

 下級生たちのカリキュラムは教科書「防衛術の基礎」から一部の記述を拡大解釈をして――たとえば「相手を武装解除させる前に、対話を試みるべきである」という記述から、武装解除の呪文などを練習している。

 特に、武装解除の呪文は非常に効果的だ。

 先学期、同級生のザカリアス・スミスや上級生のコーマック・マクラーゲンですら、この呪文を成功させることができなかった。習得難易度が低そうに見えて、実は意外と難しくセンスが問われる呪文だ。2年生のグラハム・プリチャードなんて顔を真っ赤にさせるまで奮闘してもできなかったが、反対に、1年生のノーマン・ウォルパートは一発でアステリア・グリーングラスの杖を奪い取っていた。

 

 さて、しかしながら、上級生は、武装解除程度の呪文で終わらせるわけにはいかない。

 第一回目のクラブで、なんとか全員が武装解除の呪文をクリアさせた後、すぐに失神呪文と盾の呪文に移った。ペアを作り、片方がしかける失神呪文を盾の呪文で防ぐ……やや荒っぽいやり方だったが、誰もが失神したくない一心で努力する。

 ダフネは一発で盾の呪文を成功させたが、反対に失神呪文がいつまで経っても放つことができず、ペアのミリセントは待ちぼうけしていた。そこで、ダフネが失神呪文をマスターするまで、セレネがミリセントとペアになっていたのである。

 

 その結果――ミリセントが何度気絶してしまったのか、その回数は両手の指では数えきれない。

 

「だからといって、すぐに『エネルベート』で復活させなくてもいいでしょ? あたし、ずいぶん頭がくらくらしたんだけど」

「あなたは、ピュシーのいい練習台になってましたよ。復活呪文はNEWT試験頻出呪文ですから。でも、あんなに失神呪文ができない人が多いとは初めて知りました。ノットは辛うじて形になっていましたが、本来の威力とはほど遠いですし、ダフネやザビニに至っては放つこともままならないなんて……。

 次の課題は盾の呪文より失神呪文ですね」

「いや、盾の呪文の方が頻出問題でしょ。誰を試験で失神させるのよ。試験官? それとも、アンブリッジ?

 って、そんな話は後! どうして、ホッグズ・ヘッドのことなんて聞いてくるのよ? まさか、誰かと行くとか!?」

「……」

 

 セレネはクロワッサンを口の中に押し込むと、もぐもぐと噛みながら返答を思案した。

 まさか、ハーマイオニーに誘われて、防衛術の自習の会合へ出席するとは言いにくい。セレネが企画した内容と根本的には同じだが、彼女の企画はそれを表面に出してしまっている。アンブリッジに目をつけられる可能性が高い企画だ。

 話したら最後、ミリセントは絶対に反対してくるだろう。

 

「そういえば、セレネ。あんた、今日はフレッチリーとホグズミードに行くって言ったわよね」

 

 セレネが黙っていると、ミリセントは勝手に解釈を膨らませていく。顔が青ざめ、恐ろしいものを見るような眼差しを向けてくる。

 

「セレネ、あんた騙されてるわ! フレッチリーに、絶対騙されている! 今からでも遅くないわ、断ってくるのよ! 一人が無理なら、あたしが言ってきてあげる! ほら、ダフネも一緒に行くわよ!……ダフネ?」

 

 ここで初めて、セレネたちはダフネ・グリーングラスが気配を消すように縮こまっていることに気づいた。どこかそっぽを向きながら、キドニーパイを食べるのに必死なふりをしている。

 

「……ダフネ、まさか……あんたも行くんじゃないでしょうね?」

「あー、うん」

 

 ダフネはパイを食べる手を止めると、ばつの悪そうな顔になる。

 

「あのね……私も……アンソニーに誘われたの。デートの途中でホッグズ・ヘッドに行こうって」

「なんで!? あんたの彼氏はレイブンクローの監督生でしょうが!! どうして、ホッグズ・ヘッドになんて危ないパブに行くのよ!?」

「うーん……その……ハリー・ポッターから第三の課題について直接、真実の話が聞けるからって……彼、とっても気になってて……」

「……あんたね……その話なら、隣に座ってる監督生も知ってるじゃない。当事者なんだから」

 

 ミリセントは呆れたようにセレネを指さしてきた。

 

「うん。私はセレネから話を聞いてるし、真実だって知ってるけど、アンソニーは直接自分の耳で聞きたいんだって。でも、セレネは……アンソニーに頼まれても話さないでしょ?」

「はい。もちろん、状況にもよりますが」

 

 セレネが即答すると、ダフネは「ほらね」という顔をした。

 一方のミリセントは頭を抱えていた。仲の良い友人が、そろって怪しげなパブへ行こうとしている。彼女はぶつぶつと「あたしも行った方がいいかしら」と自問自答していた。

 

「それでは、ミリセントとダフネ。私は先に行きますね」

 

 セレネは2人を置いて、先に朝食の席を立った。

 

 一応、これでホッグズ・ヘッドに関する情報は手に入った。

 それと同時に、ハーマイオニーの意図を測りかねていた。

 

 人気の少ないところなんて、密談に不向き過ぎる。

 せめて個室で話すなら機密性が高まるが、外から盗み聞きされる可能性もある。

 セレネは以前、ハリーと会ったときも話が聞かれにくいファーストフード店を選んだ。ハリーがその時のことを覚えていればよかったのだが、考えてみれば食事場所選びの真意まで伝えていなかったのを思い出す。ハリーにそこまで察しろというのは無謀である。

 

「……仕方ない。あまり使いたくなかったけど……」

 

 ジャスティンとの待ち合わせは昼前だ。まだまだ時間がある。だから、セレネは一度――秘密の部屋へ行き、身支度を整える。その時、とある薬を一瓶、ポケットの中へ滑り込ませた。

 セレネは他に秘密の部屋に異常がないか調べ、昨日のうちに用意しておいた巾着袋の中身を確認する。

 

「さてと、これでひとまず完了ね」

 

 セレネは巾着袋を袖口に忍び込ませると、ホグズミード村へ向かった。

 城の出口では、フィルチがホグズミード村行きが許されている生徒の長いリストと照らし合わせている。その列に並び、ホグズミード村に着く頃には、太陽はすっかり頂点まで昇っていた。

 

「あ、こっちです。セレネ、こっち!」

 

 ジャスティンは村の入り口で待っていた。

 セレネを見つけると、息を弾ませながら近づいてきた。やや食生活を気にするようになったのか、頬が膨らみ始めていた。

 

「こんにちは、ジャスティン。以前よりも調子が良くなったようで安心しました」

「そ、そうですか」

「ええ、健康的でいいと思います。前よりずっといいです」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ジャスティンは照れくさそうに頬を掻いた。

 

「三本の箒でいいですよね」

「え……あ、はい。構いませんよ」

 

 セレネが言うと、ジャスティンはやや間を空けてから了承する。その様子に、セレネは少し首を傾げた。

 

「どうかしましたか?」

「いや、ハンナから『女性を誘うときは、マダム・パディフットの店だ』と聞いたのですが……うん、セレネはたぶん苦手な店だと思うので、三本の箒で構いません」

「……その店でも構いませんけど?」

「いいえ、今日はセレネに詫びる日ですから。セレネの好きな店に行きましょう」

 

 ジャスティンはそう言うと、にこやかに微笑んだ。

 セレネは彼と一緒に大通りを歩き始め、ふと首の後ろに視線を感じる。一度だけ足を止めて振り返る。だが、そこはいつもと同じホグワーツ生で賑わう大通りだ。特に変わりはない。また透明マントだろうかと眼鏡をずらしかけたとき、ジャスティンが不思議そうに言葉をかけてきた。

 

「どうしましたか?」

「……いいえ、なにも」

 

 セレネはもう一度、視線を感じた方を睨みつけたが、怪しい人影はどこにもない。

 もっとも、今日はやましいことなど――あまりしない予定だ。一般人が見れば、ただジャスティンと仲良く普通のおしゃべりを楽しみ、ホグワーツへと帰るだけである。

 セレネは視線を無視することに決めた。ジャスティンと三本の箒に入ると、バタービールとシェパードパイを注文する。ジャスティンもしっかり食べるか不安だったが、彼はしっかりローストビーフを頼んでいた。見た目からも分かるが、ちゃんと食べるようになったようで安心である。

 

「あ、僕が持ちますよ」

 

 ジャスティンがセレネから皿を受け取ると、先に席を探しに歩き始めた。

 

「それにしても、いつ来ても混んでますよね」

 

 セレネも彼の後について歩くと、何人ものホグワーツ生とすれ違った。もちろん、ホグワーツ生以外の魔法使いもたくさん集っている。今も前からすらりと背の高く、しっかりコートを着込み、深く帽子を被った魔女が近づいてくる。その魔女がすれ違いざま、ぶつかって来た。セレネはややよろめいて転んでしまう。ジャスティンに皿を持ってもらわなければ、ちょっとした惨事になっていたことだろう。

 

「セレネ!?」

「大丈夫ざん、ですか?」

 

 魔女がこちらに右手を差し出してくる。

 これは、また嫌がらせのつもりだろうか。セレネは魔女を一瞬だけ軽く睨みつけると、差し出された右手を握りしめて立ち上がる。ややぬめりのある右手に、先程の巾着袋を握り込ませるように。

 

「ええ、問題ありません。私も前を見ていなくてすみませんでした。あなたこそ、お怪我はありませんでしたか?」

「いいえ」

 

 それだけ言うと、魔女は去って行ってしまった。

 

「大丈夫ですか、セレネ?」

 

 ジャスティンは何も気づいていない。これだけ近くに居ながらも、いま起きた出来事には気づいていなかった。

 

「ええ、問題ありません」

 

 セレネは晴れやかな笑顔で立ち上がると、近くの席に腰を下ろした。

 

「ただ、最近ちょっと寝不足でして。OWL試験対策やマグルの勉強が忙しくて」

「……やっぱり、セレネは凄いですね。もしかして、マグルの義務教育修了試験を受けるつもりですか?」

 

 ジャスティンも前に腰を下ろすと、話に乗って来た。

 

「ええ。受けておいて損はないはずですから」

「実は僕も両親に勧められているのですが、なかなか両立が難しくて……でも、セレネ。夜更かしはいけませんよ。身体に悪いです」

「それ、貴方に言われたくありません」

「はは、そうですね」

 

 それからしばらく、マグル世界の話で盛り上がった。

 義務教育修了試験から始まり、現在のマグル首相の政治についてなど堅い話題から、ロックや流行しているゲームについてなど多岐にわたる。

 スリザリンにはマグルの話ができる人がいないので、ジャスティンのような存在は貴重だ。特に、音楽の話題に明るい。彼の母親が無名のミュージシャンを応援するのが趣味だったらしく、セレネの比にならないくらい音楽について詳しかった。

 セレネが好きなバンド名を言えば、その話題に合わせてくれ、他にも興味を惹きそうなバンドをいくつか紹介してくれた。

 

 こういう会話は今までしたことがなかったので、かなり新鮮だ。

 だから、ジャスティンが時計を見て、申し訳なさそうな顔になった時、少しだけ惜しい気がした。

 

「すみません、セレネ。実は、その……この後、用事が入っていまして。あ、でも、もしよければ、セレネも一緒に行きませんか?」

 

 ジャスティンがおずおずと尋ねてくる。

 

「どこに行くのですか?」

「アーニーに誘われて、その、ホッグズ・ヘッドに」

「あー……」

 

 セレネは腕を組んだ。

 ハーマイオニーはここにも声をかけていたらしい。だが、考えられる人選だ。アーニー・マクミランは監督生だ。同じ監督生つながりで、比較的話しやすい相手である。無論、セレネとはいまだに口をきいてくれないが。

 ジャスティンは、マクミランと同じ寮の友人だ。彼から誘われていても不思議ではない。

 

 だが、行き場所はホッグズ・ヘッドである。

 

「ごめんなさい。私、このあと予定がありまして……」

 

 セレネは、少しだけ肩を落とすと申し訳なさそうに答える。

 

「でも、もし、どうしてもというのでしたら」

「い、いいえ。いいんです。セレネにも予定がありますし、なにしろ、ホッグズ・ヘッドですからね。女性には、ちょっとハードルが高いパブですよね」

 

 ジャスティンが慌てて口を開いた。彼は首を横に振りながら、セレネの申し出を断る。セレネはバタービールを飲み干すと、にっこりと口の端を上げた。

 

「ごちそうさま。今日は、とても楽しかったです。それでは、またホグワーツで」

「あ、うん。じゃあ、その、またね」

 

 ジャスティンが、またどこかぎこちない調子で手を振ってくる。

 セレネは彼に手を振り返すと、そのまま出口に向かわず、トイレへ向かった。店内が賑わっているだけあり、女子トイレもそれなりに混んでいた。だが、個室が空いていないわけではない。セレネは適当な個室に入ると、例の小瓶を取り出した。

 

 小瓶の中の液体は、黒っぽい泥のようだ。

 その液体に、試験対策クラブ中に手に入れたヘスティア・カローの髪の毛を投入する。すると、液体の色は瞬く間に薄い水色へと変化した。

 

 これは、飲んでから1時間、変身したい人になることができる薬――ポリジュース薬だ。

 ある目的のため調合したのだが、まさか自分で使うことになるとは思わなかった。なにしろ、本には「ゴブリンの小便と同じ味がする」と書いてある。そんなもの、好んで飲みたくない。

 だが、セレネ・ゴーントとして会合に参加したくなかった。なにしろ、監督生であり学年随一の優等生としての体面がある。この会合のためだけに、それを崩すのはもったいない。

 

「……よし」

 

 セレネは目を瞑って薬を飲み干した。

 途端、身体が震えあがる。全身がねじれて溶けそうになる感覚が、味と同じくらい気持ちが悪い。ちょうどここがトイレで助かったとさえ思えてしまうほど、胸の奥から酸っぱい味が込み上げてくる。少なくとも、食事の後に飲む薬では断じてない。

 

 ……だが、奇跡的に抑え込むことができた。

 変身術の手間を惜しんでポリジュース薬を飲んだが、もう絶対に使うものかと誓う。

 荒い息をしながら、自分の身体を見下してみる。身長が一回り伸び、白い足がすらりとスカートから伸びていた。心なしか、胸の辺りが苦しい気がする。個室から出て、鏡を確認すれば、ヘスティア・カローの端正な顔が見返していた。

 

 つまり、成功である。

 

 セレネは監督生バッジと眼鏡を外した。眼鏡を外すと、死の線が周囲を覆いつくした。変身しても、魔眼だけは変わってくれないらしい。セレネは小さなため息を吐くと、ヘスティアの身体でトイレを出る。店内には、すでにジャスティンの姿はなかった。

 そのまま外に出て、セレネもホッグズ・ヘッドに向かう。

 一瞬、視線を感じたが、後ろを振り返っても不審な人物は誰もいない。歩き始めてみると、もう視線を感じることもなかった。気のせいだったのかもしれない。

 セレネは何食わぬ顔で大通りを歩き、裏路地の方に入っていくと、ボロボロの看板がかかっている店があった。猪の首の絵が描いてある。たしか、セレネの記憶が正しければ、昨年度、シリウス・ブラックが犬の状態で入って行った店だ。シリウスをかくまっていた店なら、危ないのは見た目だけで、本当は特に問題ない店なのかもしれないとも思った。

 

 しかし、店に入ってみてから後悔する。

 そこは、三本の箒とはまるで違っていた。小さくてみすぼらしく、ひどく汚らしい。なぜか、山羊のような臭いがする。床も日本の土間のように土を固めた床なのかと思ったが、ただ埃が積み重なっているだけだった。出窓はべっとりすすけて、太陽の光がほとんど差し込まない。

 

 ハリーたちの周りにホグワーツ生が多く集まっていたが、それ以外は包帯をぐるぐる巻きにしている男やいかにも怪しげな魔女、怪しげな取引に夢中の黒ずくめの魔法使い――いかにも胡散臭い。完全にアウトである。無論、二人っきりの密談程度ならなんとかなるかもしれないが、こんな大多数の会合など、「魔法省に知らせてください」と主張しているようなものだ。

 

 セレネは心の中でヘスティアに謝った。

 きっと、彼女なら身体を借りても怒らないだろう。だが、下手したら、ポッターの会合に参加したと保護者に伝わり、保護者から死喰い人の従兄に伝わってしまうかもしれない。

 セレネは「やっぱり、アステリアの髪にすればよかった」と思いながら、一番端っこの席に座る。だが、集まった人の中にダフネ・グリーングラスの姿を見つけて、やっぱりヘスティアで良かったと思い直す。ここに、2年生でホグズミード行きが許されていない妹が現れたら、必ずダフネは混乱するに違いない。

  

 やがて、ハーマイオニーが皆の前に立った。

 

「えっと――それでは――」

「ちょっと待て、ハーマイオニー。スリザリン生がいるぞ! 大丈夫なのか!?」

 

 ハーマイオニーが話し始める前に、ロン・ウィーズリーが声を荒げた。

 

「アンブリッジに告げ口するんじゃないだろうな?」

「彼女は大丈夫だ。僕が保証する」

 

 アンソニー・ゴールドスタインがすっと立ち上がり、ダフネを庇うように前に立つ。ゴールドスタインは普段から氷のように冷ややかな表情をしているが、眼鏡の奥の目が更に細くなり、ウィーズリーを睨み付けていた。ダフネの顔が後ろからでも赤く染まっていることが分かった。

 

「彼女が裏切るような行為をしたときは、僕も一緒に罰を受けよう」

「……そうかい」

 

 ウィーズリーは苦い物でも噛んだような顔になると、次にセレネへ視線を移した。セレネはつんっとヘスティアらしくすました顔のまま、考えておいた台詞を口にする。

 

「偉大なる騎士王を導いたマーリンは、我がスリザリン出身です。スリザリンだからといって敵扱いされたのでは、たまったものではありません」

 

 一説では夢魔とされるマーリンが、なぜホグワーツに入学できたのか疑問なのだが、公式な記録で残っている。その事実に疑う余地はない。

 

「それとも、ここはスリザリン差別主義者の会合なのしょうか? それでしたら、私は邪魔ですね。帰らせていただきます。グリーングラス先輩、一緒に帰りましょう」

「あっ、待って。そんなつもりじゃないのよ」

 

 ハーマイオニーが呼び止めてくる。

 

「貴方が来たのは、アンブリッジの授業だけでは防衛術を学べないと思っているからでしょ? ここに集まった人たちも、みんながそう思っているはずよ」

 

 ウィーズリーが何か言いたそうな顔をしていたが、ハーマイオニーが睨みつけると黙り込んだ。

 

「では、この会合の目的だけど――」

 

 そのまま、しばらくハーマイオニーが会合の趣旨を説明する時間が続いた。

  

 その間に、セレネは集まったメンバーを目で把握する。小さなパブに20人ほど集まっていたが、ほとんどが5年生だった。少なくとも、スリザリン以外の監督生がそれぞれ友だちを連れて全員参加している。グリフィンドールなんて、クィディッチチームメンバーが全員参加していた。

 それ以外の上級生は、セドリック・ディゴリーとその彼女と友だちしかいない。彼女のチョウ・チャンはうっとりとディゴリーを見つめていたが、その友だちは嫌々な顔をしていた。

 下級生はもっと少なく、グリフィンドールの4年生が2人、レイブンクローの4年生が1人だ。2年生のグリフィンドール生が2人紛れ込んでいたが、なぜ彼らはホグズミード村にいるのだろう。

 

「――と、いうことね。要するに、ハリーたちから習いたいということで、みんな賛成したのね?」

 

 セレネが考え込んでいる間に、話は進んでいたらしい。

 がやがやと同意を示す声が上がった。

 

「いいわ。それじゃあ、次に何回集まるかだけど――分かってるわ、アンジェリーナ。クィディッチの練習でしょ。被らないようにするわ。えっ、チャンも? セドリックもスミスも? わ、分かったわよ。ちゃんと都合の良い夜が見つかるようにするから」

 

 ハーマイオニーはホッと胸を落としたのもつかの間、クィディッチチームに所属する者たちからの質問にイライラしながら言った。

 

「だけど、これは大切なことなのよ。アンブリッジが教えてくれない、ヴォ、ヴォルデモートの『死喰い人』から身を守ることを学ぶんですからね!

 それじゃあ、どこか場所も探しておくから――帰る前に、全員が名前を書いて欲しいの。誰が来たのか、わかるように」

 

 ハーマイオニーは鞄を探って、羊皮紙と羽ペンを取り出した。少し歯切れが悪いのは、なにかを躊躇っているようだ。だが、決意したような目で皆を見つめている。

 

「私たちのしていることを言いふらさないように、全員が約束するべきだわ。名前を書けば、私たちの考えていることをアンブリッジにも、誰にも知らせないと約束したことになります」

 

 最初に羽ペンを手にしたのは、フレッド・ウィーズリーだった。嬉々として名前を書き、双子のジョージに渡す。しかし、何人かは乗り気ではない。特に、ジョージから羊皮紙を受け取ったザカリアス・スミスはしばし躊躇っていた。

 

「うーん……まあ、アーニーが、いつ集まるか教えてくれるはずだから」

「いや、僕は――僕たちは監督生だ」

 

 スミスがのろのろと名前を書いた後、アーニー・マクミランも渋っていた。

 

「このリストがバレたら、つまり、その、アンブリッジに見つかったら――」

「アーニー、私がこのリストをその辺に置きっぱなしにすると思ってるの?」

「いや、違う。もちろん、違うさ」

 

 ハーマイオニーが苛立ちを隠せない声で言うと、アーニーは少し安心したように名前を書いた。

 その後は、誰も特に異議を唱えなかった。チョウ・チャンの友人が名前を書くときに、少し恨みがましい顔を友人に向けていた。ダフネ・グリーングラスは少し悩んでいたが、ゴールドスタインから羽ペンを渡されると名前を書いていた。

 

「あのー、ミス・グレンジャー」

 

 ジャスティンが名前を書く直前、思い出したように質問した。

 

「その、セドリックがいて、ハリーがいるのは分かったけど、どうしてセレネは来ていないんですか?」

「セレネにも声をかけたんだけど……今日は来れなかったみたいね」

 

 ハーマイオニーが悲しそうに言った。それに反応したのがダフネだった。

 

「あれ? フレッチリー。今日、セレネと一緒じゃなかったの?」

「お昼だけだよ。その後は用事があるって……僕からも誘ったんだけど」

 

 ジャスティンはそう言いながら名前を書くと、マクミラン達と一緒にホッグズ・ヘッドを出て行った。

 最後まで残っていたのは、ハリーたち3人組とヘスティアに変身したセレネだけだった。

 

「さあ、貴方も名前を書いて」

「……はぁ」

 

 セレネは羊皮紙を見下した。何の変哲もない羊皮紙だ。だが、羊皮紙を覆いつくす死の線の数が尋常ではない。確実に、なにか魔法がかけられている。

 このように密談に不向きな場所を選んだにしては、用心深い配慮だ。

 

「これ、どんな呪いをかけたんですか?」

「えっ、呪い? な、なんのことかしら?」

 

 ハーマイオニーの目が泳ぐ。どんぴしゃり、自分の考えが当たった。

 

「……変なところで用心深いのですね。大方、告げ口をしたメンバーが一発で分かる類の呪いなのでしょうけど」

 

 そう言いながら、セレネは自分の本名を書き記した。そのすぐ下に、とあるルーンを書き刻んだ。ハーマイオニーはそれを覗き込み、ぎょっとした顔になる。

 

「これって、ソウェルのルーン? いや、待って。ちょっと形が違う? そもそも、この名前は――!?」

「何事にも用心ということです。分かっているとは思いますが、その羊皮紙をポケットに入れない方がいいですよ。

 それでは、また学校で」

 

 セレネは唇の前で人差し指を立てると、そのまま外へ出た。新鮮な空気が肺一杯に広がり、生き返ったような心地になる。

 必要最低限の処置は取った。あとは、今回参加したメンバーの誰かが秘密を告げ口しないか、それか、周りで見ていた客たちが魔法省に連絡しないかが懸念される。だが、これはもう手を打つこともできない。

 

 

 案の定、3日後に新たな教育令が施行された。

 

 

『学生による組織、クラブ、チームなど3人以上が集う団体は、すべて解散とする。再結成の際には、高等尋問官の承認を必要とする』

 

「……こう来たか」

 

 セレネは掲示板に張り出された教育令を見上げ、小さく息を吐いた。

 

「セレネ、どうしよう!」

 

 朝食が終わる頃、ダフネ・グリーングラスが血相を変えて駆け寄って来た。

 

「対策クラブも解散されちゃうの!? 私、試験で必要な魔法が勉強できないよ!」

「……そうですね。残念ですが」

 

 セレネはわざと湿っぽい声で言った。

 

「一応、この計画書と申請書は書いてみましたけど……アンブリッジの好むようなクラブではありませんし、あのガマガエルは防衛術の実践を嫌っています。いくら部員がスリザリン生だけだとしても、はたして許可されるかどうか……」

「せ、セレネ……」

 

 セレネが顔を俯かせ、ため息を吐く。友人の暗い雰囲気に、ダフネも対策クラブ解散の危機に恐怖を覚えたのだろう。彼女の顔は青ざめ、カタカタと震えていた。

 

「私はこれから用事があるので、ミリセントと貴方で提出してきてもらえますか。……たぶん、許可はかなり難しいと思いますけど」

「……うん、わかった。駄目もとで出してくるよ……はぁ」

 

 ダフネは暗い顔のまま書類を受け取る。セレネは落ち込んだ表情のまま大広間を出ると、ミリセントを見つけた。

 

「あっ、セレネ! 新しい教育令見た?」

 

 ミリセントも不安そうな顔で近づいてくる。セレネはダフネに見せた顔とは正反対の明るい笑顔を向けた。

 

「ねぇ、セレネ。あれって、試験対策クラブも解散ってこと?」

「ええ、見ました。ですが、大丈夫ですよ。問題ないです」

 

 セレネは力強く断言する。そして、きわめて明るい口調で話しを続けた。

 

「最初にも言いましたよね。このクラブに法律違反は一つもありません。指導要領に準じた活動内容もしっかり計画されています。なにより、構成員はスリザリン生だけです。しかも、魔法省への寄付金も多い28族が何人も参加しています。アンブリッジが許可しない理由はありませんよ」

「そうよね! やっぱりそうよね! あー、安心した!」

 

 ミリセントの顔から不安の色はぬぐい取られ、嬉しそうに笑っていた。

 

「実はミリセント。私、これから用事がありまして……ダフネに申請書を渡してあるのですが、一緒に提出してきてもらえませんか? 頼りにしてますよ、ミリセント。私の代わりにお願いします」

「ええ、いいわよ。セレネ、大船に乗ったつもりで待ってなさい!」

 

 ミリセントは明るく了承すると、ちょうど鬱々とした表情で大広間から出てきたダフネの元へ駆け寄っていく。彼女たちの声は聞き取れない。しかし、ミリセントがいけいけどんどんとアンブリッジの執務室へ突き進むのに対し、それをダフネが必死で引き留める姿を見ただけで、会話の内容が分かるというものだ。

 

「……あれ、どういう作戦だ?」

 

 セレネが友だち二人のやり取りを遠目で見ていると、ノットが話しかけてきた。なにやら丸めた羊皮紙で自分の肩をとんとんと叩いている。

 

「グリーングラスとブルストロードに何をさせてるんだよ」

「試験対策クラブを受理させるための作戦ですよ」

 

 セレネはミリセントたちが廊下の向こうへ消えて行ったことを見届けると、錬金術の本を取り出した。

 

「私が申請書を出しに行ったのでは、怪しまれてしまうかもしれません。内容を見ずに却下されてしまう可能性もあります」

「まあ、お前もポッターやディゴリーと一緒に帝王の復活を目撃してるからな」

「だから、ダフネとミリセントに頼みました」

 

 本のページに目を落としたまま、セレネは歩き続ける。

 

「ダフネは本気で許可されないと思い込んでいますし、ミリセントは完全にいけると信じています。

 想像してみてください。アンブリッジの目の前で、2人が意見の齟齬により混乱し、言い合いになっています。しかも、2人とも聖28族出身者です。しかも、これまで、特に目立った問題を起こしてこなかった2人です。

 アンブリッジはどうすると思いますか? ちなみに、そろそろ次の授業が差し迫っているものとします」

「……収集をつけるのが面倒になるだろうな」

 

 ノットは、セレネの隣を歩きながら考え込む。

 

「とりあえず、その場を収めようと意見を飲むとか?」

「ええ。実際、ただの試験対策クラブですし、許可されない道理はありません。良く読めば、ちょっと実践的だということに気づくと思いますけど」

「本当、お前って腹黒だよな。……ほらよ」

 

 ノットは呆れ果てた声で言いながら、丸めた羊皮紙をバトンみたいに手渡してきた。

 

「なんですか、これ」

「許可書だよ。お前の親衛隊の許可書。朝一番で申請を出して、許可してもらった」

「……え、許可されたんですか?」

 

 セレネは親衛隊も解散させられていたことを、すっかり忘れていた。

 確かに生徒の有志が集まる団体である。いつの間にか自然発生し、気が付いたらノットが取りまとめて、何か条もの規則が徹底された団体にまで成長していた。言われてみれば、セレネの親衛隊は、団体である。

 

「ドラコあたりが、挙げ足をとってくるかもしれないだろ。親衛隊は団体なのに、許可されていない非合法な集まりだとかなんとか。備えあれば憂いなしだ」

「いや、それはありがたいのですが、よくアンブリッジが認めましたね」

 

 正直、試験対策クラブより申請が通るハードルがずっと高い。これが「アンブリッジ親衛隊」であれば、すんなり書類の確認もせずに通るだろうが、一介の生徒、しかも、セレネ・ゴーントの親衛隊だ。ハリー・ポッター親衛隊よりは通る確率はあるだろうが、それにしても無謀である。

 

「馬鹿、そのまま出すわけないだろ。セレネ親衛隊の頭文字をとって『SG』。

 それを『スリザリン寮の安全と秩序を守護する隊』に変えただけだ」

「……なるほど、スリザリンのSと守護のGね。かなり無理やりでは?」

「ああ、こじつけだ。だがまあ、大して意味は変わらないだろ? 暴走しないように秩序を守っているのには、変わりない」

「暴走するのは、グラハム達一部の生徒だけですけどね」

「まあな。それに、申請書を出しに行ったのは隊長のオレだ。これでも父上が魔法省に多額の資金援助をしている。たいして確認もせずに、許可してくれた」

「持つべきものは、やはり人脈ですか」

 

 セレネはそう言いながら許可書を一瞥すると、鞄の中にしまった。

 

 自分の考えている通りに進むなら、ほぼ100パーセント、試験対策クラブは受理されるはずだ。

 しかし、ハリーやハーマイオニーが考えている防衛術の会合は違う。おそらく、あれはいくら密に計画書を立案したところで、アンブリッジが通すわけがない。提出しに行く人間が、レイブンクローのアンソニー・ゴールドスタインやハッフルパフのアーニー・マクミラン辺りだったら、まだ通るかもしれない。しかし、それでも、スリザリン生が提出しに行くより厳しくチェックされるはずだし、下手すれば構成員にケチをつけて「ポッターとディゴリー抜きでやりなさい」など元も子もないことを言われそうだ。

 

「だけどよ、たかが防衛術の練習をするためだけに手続きを踏まないといけないなんて……本当に面倒だよな。オレたちは、アンブリッジの御機嫌取りかっての」

「1つ、策がないわけではありませんけどね」

「……どうせ、ろくでもない案だろ」

「ええ、ろくでもない案です。だから実行しません」

 

 アンブリッジの横暴を訴えようにも、イギリス魔法界に司法機関は存在しない。否、存在はするが、三権分立ができていないので無意味である。アンブリッジの意向は魔法省大臣の意向であり、イギリス魔法省に訴えたところで変わらない。

 ならば、取るべき方法は簡単だ。

 

 海外の魔法省へ働きかければいい。もちろん、イギリスのお国事情など他国にとってはどうでもいいことだ。なので、ここは世界で活躍している魔法使い――ビクトール・クラム辺りに働きかける。至極実直な彼のことだ。ハーマイオニーあたりが今の現状を訴えれば、防衛術を真面に習わせてくれないホグワーツの状況に心を痛めて、世界に発信してくれるだろう。

 クラムは、普段は大人しいダフネまでも熱中するほど素晴らしいクィディッチ選手だ。イギリス魔法界の一般家庭にも、魔法省の不信感が強まるに違いない。そのまま延長戦で畳みかけ、アンブリッジを高等尋問官の座から引きずり落せなくもないだろう。

 だが、あくまですべて希望的観測だ。

 

 おそらく、クラムが発信した段階で、魔法省は彼に情報をリークした人物……ハーマイオニー・グレンジャーを槍玉に上げる。ただでさえ昨年度、彼女は週刊誌に「有名人狙いのあばずれグレンジャー」と叩かれていた。それを利用し、新聞は「あばずれ彼女の伝手で世界的有名選手を篭絡。ポッターはクラムをも利用して、さらに有名人になろうとしている」なんて書きそうだ。

 

 これでは、策を講じた意味がない。

 事態が余計悪化してしまう。だから、セレネはしばらく静観することにした。どうせ、アンブリッジが暴れまわるのは学校内だけだ。学校外ではなく、義父に危害が加えられるわけでもない。

 

 セレネは錬金術の本から顔を上げると、ゆっくりと口を開いた。

 

「ですが、とりあえず、ありがとうございます。あなたのおかげで、今後も親衛隊が活動することができますね」

「別に仕事だからな。礼なんていらない」

 

 ノットはそれだけ言うと、さっさと数占いの教室に入ってしまった。顔はいつもの不機嫌そうな表情だったが、耳だけ異様に赤く染まっている。きっと、礼を言われて嬉しいに違いない。セレネはくすりと微笑んだ。

 

 

 試験対策クラブも親衛隊も、アンブリッジの許可が通った。

 

 つまり、残すのはハリーたちが企画している防衛術の訓練だけだ。その動向がいささか気にはなったが、早晩にハリーとの茶会もとい情報共有の場がある。そこで今後の展望について話し合えばいい。

 

「まあ、なんとかなるわ」

 

 セレネは緩んだ表情を引き締めると、ノットの後を追うように数占いの教室へと入って行った。

 

 

 

 

 


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