ハロウィンが終われば、冬の足音が聞こえてくる。
例年、ハロウィンは何かしらの事件が起きるので警戒していたが、今年はごく普通に終えることができた。そのことを喜ぶべきなのか、例年との差異に危機感を募らせるべきなのか。セレネは少し頭を悩ませていた。
「……」
だが、そのことに意識を割いている余裕はない。
セレネはスリザリン生たちが2人一組になり、呪文の練習をしている様子に視線を移した。セレネの策通り、試験対策クラブは存続が許可された。最初の数回こそ、アンブリッジが突然視察に来ても良いように、事前の計画書通り進めていたわけだが、その気配がまったくないことを良いことに、やる内容こそカリキュラム通りだが、それに色を加え始めていた。
今回の課題は、妨害呪文。
相手が呪いを放つ直前に妨害呪文を放ち、動きを妨害する訓練である。
妨害する呪文を、それぞれの好きな呪文と限定したからだろう。
盾の呪文を練習させたときとは異なり、呪いを待ちぼうけする生徒が少ない。ミリセントの放つ退去の呪文を受け、ダフネが飛んで行ってしまったり、アステリアの放ったくすぐり呪いのせいでグラハムが笑い続けていたりしている。前者の場合は教室の壁をクッション呪文で柔らかくしているので問題ない。後者の場合は、セレネや気づいた周囲のスリザリン生が終了呪文を放つまで笑い続ける羽目になるが、あまり問題ないだろう。
とはいえ、妨害呪文ができるようになっているのは、まだまだ全体の2割弱といったところだ。
あまりにも数が少ない。
「さてと……そろそろ始めますか」
セレネは杖で手を叩きながら、生徒たちの合間を歩き始める。
何気なく歩きながら、もうこのレベルの魔法をクリアしてそうなペアを探す。そのペアはすぐに見つかった。セオドール・ノットだ。彼はブレーズ・ザビニが呪文を詠唱する前に妨害呪文を放ち、ザビニを壁まで吹き飛ばしていた。実に呪文をかけやすく、正真正銘予告なしの罪悪感が薄い相手である。セレネはノットがザビニを笑っている姿を一瞥すると、こっそり狙いを定めた。
「『タラントアレグラ―踊れ』」
杖から放たれた閃光が、まっすぐ対象の背中に奔る。
「――ッ、『プロテゴ』!!」
だが、非常に惜しかった。間一髪のところで振りかえり、慌てて盾の呪文を展開させた。セレネの放った呪文は丁度、彼の鼻に当たる直前で弾かれてしまう。セレネは小さく舌打ちをした。
「……さすがですね」
「い、いきなり何するんだ!?」
「油断大敵。敵は待ってくれません」
セレネはそう言いながら、図書室の隅で眠っていた寄贈本『油断大敵―暗黒期における闇払い育成理論と実践―』のページを開いた。
「『ペアでの練習は非常に効果がある。しかし、敵は正面から攻撃してくるとは限らない。突如、後ろから割り込んでくる可能性もある。ゆえに巡回しながら時折、前触れもなく訓練生に呪いをかけるようにする。すると、個々の緊張感も高まり、どのような事態においても冷静かつ瞬時に対応できるようになる』と、この本に書いてありました」
「これは試験対策だよな? お前、そうだって言ったよな!? オレは闇払いになるつもりはない!」
ノットは額に筋を浮き立たせながら詰め寄って来る。他の生徒たちも、セレネたちのやりとりに気付いたのだろう。誰もが一度手を止め、こちらに注視していた。
セレネは一度、周囲を見渡した後、ゆっくり息を吐いた。
「テストでは何が出題されるか事前に教えてくれません。どのような緊迫した状況で問題が出題されても、素早く対応できる力が必要になってくるはずです。ほら、ここの記載と変わらないではありませんか」
「違う。絶対に違う。だいたいな――」
「それに、私だって呪文をかける相手は選びます。妨害呪文がおおむね習得できている人しか狙いません」
セレネは彼の話を遮ると、ぱたんと本を閉じた。
「習得できているからこそ、笑っている場合ではありませんよ。油断大敵です。
それに、今までで1番、ムーディの授業が実践的で分かりやすかったでしょ? 参考にするのは悪くないかと。もちろん、私は許されざる呪文だけは使いません。そこは約束します」
「……去年は偽者だろ」
「ダンブルドアを騙すほどムーディ本人に成りきった偽者です。たとえ、本人が受け持っていても、似たような授業展開だったと推察できます」
ノットはまだ何か言いたそうな顔をしていた。だが、彼が口を開く前に、アステリアの質問が部屋を貫いた。
「つまり、この妨害呪文を習得できれば、セレネさんから直々にご指導いただけるということですか?」
アステリアは目をキラキラと輝かせている。
「ええ、まあ、そんなところです」
セレネが答えると、周囲の目が変わった。なにしろ、ここに集ったスリザリン生の大半は親衛隊に所属している。
今までは全体指導が多く、個別指導も行ってはいたが、どうしてもセレネは習得し悩んでいる人のところに多く付いてしまっていた。ヘスティアたち上級者や平均レベルのスリザリン生には、なかなか直接指導することができなかったのである。
しかし、今回は違う。
習得に困難を抱える人のところにも行くが、妨害呪文を使いこなせる人のところにもいく。これは、普段、セレネに直接指導してもらえない者たちの熱意を上げた。
事実、それまで成功者は2割弱だったのが、終わりの時間になる頃には半数以上が妨害呪いを習得していた。セレネは大忙しだったわけだが、嬉しい結果である。セレネは、今後もこの本の指導法を取り入れていくことを心に誓った。
「あの……ゴーント先輩、お伝えしたいことがあります」
セレネが壁にかけたクッションの呪文を解除していると、フローラが話しかけてきた。
「今日、アンブリッジにお茶を誘われまして……その時に妙なことを聞かれました」
「お茶会? アンブリッジに」
セレネは少し浮足立っていた気持ちを引き締め、フローラを真剣に見つめた。
「ええ。闇の魔術に対する防衛術が終わった時、私だけ呼ばれました。その質問が『先日、ホグズミード村で何をしていたか』というものでして」
「それ、本当?」
セレネは聞き返した。
おそらく、ヘスティアの姿を借りてホッグズ・ヘッドにいたことが、アンブリッジの耳に入ってしまったのだろう。無論、セレネがポリジュース薬を使っていることなど知るはずもないので、ヘスティア――もしくは、瓜二つの双子であるフローラが疑われると分かっていたが、尋問された時の対処法をまだ伝えていなかった。すぐに対処するべきだったのに、セレネは後回しにした自分を悔いる。
「……はい」
フローラは少し恥ずかしそうに俯きながら、小さな声でこう答えた。
2人が当日、なにをしていたのか知らないが、どちらもホッグズ・ヘッドにいるはずがない。そのことが、アンブリッジに知られてしまったとき、彼女はいったい誰を疑うのか。報告者を疑うのか、それとも――ヘスティアに変身していた何者かを疑うのか。
セレネであれば、後者だ。
ヘスティアに変身できるほど、彼女に親しい人物――その中でも、特にハリー・ポッターの集会に参加しそうな人を探す。そうなってくると、必然的にセレネ・ゴーントの名前は上がってくるはずだ。
これでは、不味い薬を飲んでまで変身した意味がない。
やはり、ダフネにだけ事情を話し、アステリアに変身するべきだった。もしくは、リータに頼み、ホグワーツに無関係なマグルの少女の髪を手に入れてもらえばよかった。
これは、手っ取り早くすませようとした自分の落ち度である。
「……すんだことは仕方ないわ。それで、どう答えたの?」
セレネは自分に言い聞かせるように、フローラに先を促した。
「私、正直に話すつもりはなかったのに、なぜか口が勝手に動いてしまって……その……『ゴーント先輩を尾行していた』と答えてしまったのです」
「……え?」
セレネは目が点になった。
「私を、尾行?」
「ええ。ヘスティアと二手に分かれて、こっそり尾行していたことを話してしまったのです。ジャスティン・フィンチ-フレッチリーが先輩にふしだらな行為を行わないか、見張るためにと」
「……あー……あの視線、貴方たちだったのね」
セレネは、ホグズミードにいる間、たびたび感じていた視線を思い出した。そう呟くと、フローラは両手で真っ赤になった顔を覆った。
「その後、ガマガエル女から『ゴーントは、おかしな動きをしなかったか?』と聞かれて、私、正直に話してしまったんです。口を止めようとしたんですけど、その……先輩が、なかなかトイレから出てこなかったことを! きっと、先輩がフレッチリーに何か盛られて、トイレで苦しんでいたということを!」
「……フローラ」
セレネは何とも言えない気持ちになった。
「一つ聞くわ。もしかして、トイレからヘスティアが出てきた?」
「え、ええ。きっと、彼女が先輩の容体を確かめに行ったのだと思いました」
「……そう」
セレネは安堵の息を吐いた。
彼女たちが二手に分かれて尾行してくれて、本当に助かった。きっと、ヘスティアの方もフローラがトイレを確認しに行ったと思ったに違いない。念には念を入れて、ホッグズ・ヘッドの会合が終わった後、三本の箒に戻り、変身が解けるまでトイレでじっとしていたことが幸いした。
「ちなみに、ヘスティアの方はお茶に誘われなかったのね?」
「はい。アンブリッジは最後、どこか呆れたように『……同じことをしていたのだから、聞くのは片方でいいわね。もういいわ、帰って』と。それで、終わりです」
「……なるほどね」
これで、セレネにはアリバイができた。
代わりに別の誰かが疑われることになるが、自分が容疑者から外れたことは大きい。……引き換えに、フローラたちとアンブリッジに大きな誤解を生んでしまったが、疑われるよりずっといい。
「申し訳ありません! アンブリッジに先輩の事情を話してしまうなんて……私、幹部失格です! 罰は受けます! どうか、許してください!」
「ええ、別に構いませんよ。ただ、次から気をつけて。……でも、ちょっと変ですね」
セレネは口元に指を添えて考え込む。
「話したくないことが、口から出てしまったのですね?」
「はい、紅茶を飲んでからです。……たぶん、真実薬だと思います」
「……ええ、きっとそうでしょうね」
フローラのおかげで、大切な事実が判明した。
アンブリッジは尋問に真実薬を使ってくる。以前、リータ・スキーターで試したことがあるので、その効果は非常に良く知っている。これは、非常に厄介なことだ。今回はたまたま上手くいったが、下手したら知られたくない情報を引きだされてしまうかもしれない。
「このことをすぐに隊長に報告しなさい。それから、親衛隊全員に『アンブリッジとの茶会は断ること。真実薬入りの飲み物で、なにか情報を抜き取ろうとしてくる』を周知するように頼んできて」
「は、はい! 分かりました!」
フローラは顔を朱に染めたまま、とっくに部屋を出たノットを追いかけていった。まるで、突風魔法を使ったかのような勢いである。話を聞いていなかったヘスティアは事態が理解できず、困惑した表情で姉を追いかけて行った。
「セレネ、フローラさんは何の話をしてたの?」
セレネも出口に向かうと、ダフネが不思議そうに聞いてきた。
「アンブリッジが尋問に真実薬を使う件についてです」
「……え? それって、違法でしょ?」
ダフネが目を見開いている。
「だって、スネイプ先生が先学期、教えてくれたよ?
『ホグワーツでは、この薬を生徒指導に使うことを禁じている』って。このこと、スネイプ先生に報告した方がいいんじゃない?」
「……そうですね。でも、彼女は今や高等尋問官。下手に訴えたが最後、教育令で『高等尋問官は、真実薬を使うことを許可されている』と出してくるでしょう。そうなったら、もうどうすることもできない」
訴えるためにも、タイミングが重要である。
セレネはそのことを伝えると、寮へ続く階段のところで彼女と別れた。
今日は、月に一度、ハリーと情報を交換する夜である。
この時ばかりは、セレネ一人で手に入れた情報を整理するのが難しいので、一度、秘密の部屋に寄り「両面鏡」を取りに行かなければならない。セレネは両面鏡をポケットにしまうと、すぐに8階の必要の部屋へと急ぐ。
あと1階、登れば8階に辿りつく。
そんなときだった。
「あら、ミス・ゴーント。そんなところで、なにをしているのです?」
背後から、砂糖を砂糖水で煮込んだような甘ったるい声が聞こえてきた。
「……こんばんは、アンブリッジ先生」
セレネは、いやいや後ろを振り返る。6階の扉の脇に、ピンクのガウンを着こんだガマガエルが立っていた。足元には、管理人フィルチの猫が座っている。アンブリッジに懐いているのか、ごろごろ甘えたような声を出していた。
「こんな時間に、いったい何をしているの? そろそろ、就寝時間でしょ?」
「天文学の勉強をするためです」
セレネは用意しておいた言い訳を口にした。
10階には天文学の教室がある。
「私、天文学は少し苦手でして……OWL試験対策で星座表を見返していたのですが、どうしても不安になってきたので、実際に確認をしに行こうとしていました」
変身術や呪文学に比べると、天文学は苦手だ。そこの点数は、ハーマイオニーに抜かされている。過去の試験の結果を高等尋問官の権限で調べれば、すぐにわかることである。
だから、なにも不思議ではない。
「でも、そろそろ霧が出てくるはずよ。夜空は見えないわ」
「そうですか? 良い星読みができると思いますけど」
セレネは窓に視線を向ける。実際、霧が出てくる気配など皆無だ。窓から見える範囲だけでも、雲は一つも浮かんでいない。星がちらちら瞬いている。すると、アンブリッジは短い杖を取り出した。
「『ネビュラス―霧よ』」
アンブリッジが窓に向かって杖を振ると、瞬く間に深い霧がホグワーツ城を包み込む。これでは、星の光など見ることは到底不可能だ。
「さて、これで貴方の用事はなくなったわね。だから、少し付き合って。私、お茶を飲みたいと思ってたの」
「……お茶、ですか」
セレネは背中に汗が伝うのを感じた。
先ほど、フローラから真実薬の話を聞いたばかりだ。そうでなくても、こんな時間からアンブリッジと茶会など御免である。そろそろ、ハリーとの約束の時間も迫っていた。
「アンブリッジ先生、お茶にはカフェインが含まれています」
セレネは、困ったように微笑みながらガマガエルに話しかけた。
「カフェインのせいで眠りが浅くなってしまいますよ。睡眠の質を下げることは美容に良くないです」
目の前のガマガエルは、かなり容姿を気にしている。こんな時間だというのに、髪の毛先まで、きっちりカールしている。化粧だってばっちりだ。目元にアイシャドー、唇にはルージュが引いてある。
だから、美容の話題を出せば引き下がらせる事ができると踏んだ。しかし、アンブリッジもそう簡単に諦めない。彼女は少し驚いたように眉を上げた後、にまっとした笑みを広げた。
「大丈夫よ、ハーブティーを飲めばいいわ。カフェインが入っていないもの」
「……詳しいですね」
「美容については、貴方よりずっと詳しいのよ。
実はね、ずっと前から貴方と話したかったの。でも、貴方、すぐに教室を出て行ってしまうでしょ? なかなか話す機会がなくて、本当にちょうど良かったわ」
アンブリッジは逃げ道を塞いでいく。彼女の笑みには自信が満ち溢れていた。事実、こうなってしまえば断る口実がない。「唐突に眠くなってきたから寮に戻る」なんて言い訳が通じる相手でもなかった。
セレネは観念して、実にありがたくない申し出を受け入れることに決めた。
「分かりました。高等尋問官である先生が直々にお話ししたいなんて、とても光栄です。ですが、本当に少しだけ身だしなみを整えてきてもいいですか? せっかく、アンブリッジ先生とお茶が飲めるのに、ちょっと気になってしまって……」
セレネは黒髪を触りながら、申し訳なさそうに口にした。
事実、秘密の部屋の入口――嘆きのマートルが住まう2階のトイレから7階まで、かなり急いで駆け上がって来た。髪が多少乱れていてもおかしくない。案の定、身なりの厳しいアンブリッジは少し思案した後、許可を出してくれた。セレネは嬉しそうに礼を言うと、近くのトイレへ駆け込んだ。そして、すぐにトイレの入り口に向かって小声で呪文を唱える。
「『マフリアート―耳塞ぎ』。大変です、アンブリッジ先生!!」
音漏れ防止呪文が上手く聞いているかどうか確かめるため、セレネは大声を出してアンブリッジを呼ぶ。しかし、トイレの外にいる彼女は何も反応しない。どうやら、上手く魔法をかけることができたらしい。セレネは素早くポケットから両面鏡を取り出した。
「聞こえてますか?」
『……ああ、小僧のカウンセリングの時間か?』
セレネが呼びかけると、骸骨のような顔が映し出される。この時間を楽しみにしていたのか、いつもより目が生き生きとしている。そんな彼に、セレネは残念な知らせを告げた。
「その前に、ガマガエルの楽しいお茶会に行くことになりました。しかも、真実薬入りの特製ハーブティーを御馳走してくれるみたいです」
『それは、実に刺激的だ』
「ええ。なので、少し遅くなってしまうかもしれません。もう少し、待ってくれませんか?」
セレネはアンブリッジの手前、身だしなみを整えながらグリンデルバルドに語りかける。彼は歯のない口で笑いながら、セレネの申し出を了承してくれた。
『分かった。
いい機会だから、その役人を観察しろ』
「観察? ガマガエルを?」
正直、アンブリッジを観察する気はない。
ただの権力欲の強い役人である。その事実だけで十分だ。しかし、グリンデルバルドはそう思わなかったらしい。
『しっかり観察し、生い立ちや背景を推理するといい。そうすれば、女の弱点も見えてくる。弱点さえ見破ることができれば、いざというとき、それは重要なカードになる。
それに、どうせ相手はお前のことを観察してくるのだ。気にすることはない』
「……そういうものでしょうか」
「まだですの、ミス・ゴーント?」
トイレの向こうから、ガマガエルの声が聞こえてくる。
『あとで答え合わせをするとしよう。それでは、フロイライン。健闘を祈るぞ』
「……ぬかりなくいきますよ」
セレネはグリンデルバルドと繋がったままの両面鏡をポケットに滑り込ませる。そして、杖を右袖にしまうと足早にトイレから出た。
「遅くなってしまい、申し訳ありません」
「いいえ、いいのよ。身なりを整えることは、女性として当然のことですものね。どこかの栗毛のグリフィンドール生とは大違い」
アンブリッジは、さりげなく誰かのことを馬鹿にした。そこまで、身だしなみを気にしていない栗毛のグリフィンドール生とは一人しか思い浮かばない。おそらく、ハーマイオニー・グレンジャーのことだろう。クラムと踊った時の彼女はストレートパーマの美少女だったが、普段は天然パーマのせいで美貌が隠れてしまっている。彼女は身だしなみより、もっと別のことを優先しているのだ。
セレネは知り合いが馬鹿にされ、少し不機嫌になった。しかし、それを顔に出すことなく、静々とアンブリッジに続いた。ガマガエルはセレネの反応を確かめようと、こちらを横目で監視している。嫌な女に捕まってしまったと、内心ため息を吐いた。
「さあどうぞ、入って」
「……失礼します」
セレネは以前はムーディが使っていた部屋に入る。
前任者の面影は皆無だった。
なにしろ、壁紙までアンブリッジ好みのピンク色に変わっている。しかも、ご丁寧に壁や机はゆったりとした純白レースのカバーや布で覆われていた。ドライフラワーをたっぷり生けた花瓶が、棚の上に置かれている。その横には、魔法省大臣の写真が大切そうに飾ってあった。なにより印象的なのは、一方の壁を覆いつくす飾り皿のコレクションだ。しかも、すべての皿の中心に色鮮やかな子猫が描かれている。魔法界らしく、子猫は愛おしく動いていたが、あまりセレネには可愛いと思えなかった。なにより、ここまでたくさん目があると見張られているような気分になる。
正直、セレネの趣味とは正反対である。
鏡の向こうのグリンデルバルドにも見せてあげたい。きっと、彼の趣味とも合わないと断言できる。
「座りなさい、ゴーント」
アンブリッジはハート形の椅子を指さした。セレネは素直に座ることにする。
「さてと。私はハーブティーを飲むとして、貴方はどうします? 貴方もハーブティー? それとも、紅茶? コーヒー? 何でも構わないわよ?」
アンブリッジは美味そうな蠅を飲み込もうとするガマガエルのような顔をしていた。飲み物の名前を言うたびに、杖を振りながら机の上にカップやグラスが現れる。
「なんでもですか?」
「ええ、なんでも。かぼちゃジュースだってあるわ」
「では、コーラを」
「ええ、コーラね。……え?」
アンブリッジは一瞬、虚を突かれたように瞬きをする。
魔法界には、マグルの世界的飲料水であるコーラは存在しない。さすがのアンブリッジも用意していないのだろう。セレネの発言に、少し戸惑っている。
「ありませんか?」
「……ちょっとないわね」
「残念です……それでは、紅茶をお願いします」
アンブリッジは立ち上がるとセレネに背中を向け、大げさな身振りで準備をし始めた。
その後姿を見ながら、先ほどまでのやり取りを思い返す。
アンブリッジはセレネが「コーラ」を頼んだとき、一瞬、それを受け入れるような反応を示していた。つまり、コーラが飲み物であると知っている。魔法界の人間はマグルの事情に疎い。普通であれば、そもそもコーラが何であるかすら分からないはずだ。
カフェインに関する知識と合わせて、彼女は意外とマグルの情報を知っている。
これは意外な発見だ。なにしろ、現魔法省大臣は純血主義者である。その側近ともなれば、ほぼ確実に純血主義者だ。事実、今までの露骨な28族贔屓からして、アンブリッジは純血主義者である。
しかし、彼女はマグルの知識を持っている。マルフォイのように、生粋の純血生まれの純血主義者なら知らない情報だ。
つまり、彼女はマグル生まれ、もしくは、半純血ということになる。そんな彼女が、純血主義に走った理由は――
「さあ、どうぞ。熱いうちに召し上がれ」
アンブリッジは不吉に甘い微笑をたたえ、カップを持ってせかせかとやって来た。お茶会と言ったくせに、自分のハーブティーは入れていない。こちらを完全に舐めている。
「アンブリッジ先生の分がありませんよ? 私だけが飲むなんて、申し訳ないです」
「いいのよ。貴方の分が先にできたのだから。さあさあ、飲みなさい。寝る前に、ちょっとおしゃべりしましょう」
「……では、お言葉に甘えて」
セレネは左手でカップをつかんだ。わざと軽く息を吹きかけ冷ますような素振りをしたあと、一口、飲むふりをする。もちろん、唇は固く結んだままだ。カップを傾けながら、純白のテーブルかけの下で右手を動かす。正確に表現するなら、右手の袖に隠し持った杖をカップに向ける。そして、自分が飲んだと見せかける分だけ、無言の消失呪文で消した。
これなら、飲んでいないとバレない。
「……なかなか素敵な味ですね」
セレネは飲んでもないのに、感想を述べた。
「アッサムに近い味でしたけど……あたりでしょうか?」
「ええ、そうよ。貴方、紅茶に造詣が深いの?」
「実は、あてずっぽうです」
セレネは本当のことを口にする。紅茶の種類など、アッサムとダージリンしか知らない。ただ、この時、セレネは不思議そうに小首を傾げてみせた。
以前、リータ・スキーターに真実薬を入れた紅茶を飲ませたとき、彼女は真実の感想を口にしてしまったことに疑問を持った素振りをしていた。実際に服用した人の真似をすることで、真実味が増すに違いない。事実、アンブリッジはすっかりセレネが紅茶を飲んだと信じ込んでいる。彼女の嫌らしい口元が、ますます横に広がった。
「それじゃあ……貴方、ハリー・ポッターとどういう関係なのかしら?」
「ハリー・ポッターですか?」
なるほど、とセレネは考える。
どうやら、アンブリッジはセレネがハリーたちダンブルドア側なのか、それとも、魔法省側なのか決めかけているらしい。確かに、セレネはダフネたち28族と仲が良い。表面上はグリフィンドール生と接する機会が少なく、少なくとも、アンブリッジの見ている範囲内でハリーと話したことはない。
だが、セレネはヴォルデモートの復活を目にした三人の一人である。
声高に復活を掲げないだけで、ダンブルドアの仲間になっている可能性も捨てきれないと疑っているのだろう。現実には、ダンブルドアとの繋がりはなく、その代わりにグリンデルバルドと繋がり、ハリーを利用して蛇男を打倒しようとしている一生徒である。
セレネは紅茶に目を落としながら、あたりさわりのないことを静かに答えた。
「生き残った男の子。代表選手として互いに戦った相手。それくらいですね」
「そう、他にはないの?」
「ええ、ありません。それ以上も、それ以下も。……アンブリッジ先生は、ポッターのことをどのようにお考えなのですか?」
紅茶から視線を上げ、今度はアンブリッジに話題を振ってみる。
「初日から先生に罰則を受けたと聞きました」
「……そうね。手のかかる生徒だと思ってるわ。なかなか本当のことを言ってくれない、可哀そうな子」
アンブリッジはそう口にしているが、顔は醜く歪んでいる。本心から言っているのではないことが、こちらにも丸わかりである。
「意外です。先生は、ポッターが嫌いなのかと思っていました」
「……まさか、嫌いな生徒などいませんわ。あなたはどう、ゴーント? ポッターが嫌い?」
「嫌いではありませんね」
「では、好きなの?」
「さあ、そうとも言い切れません」
セレネは本当のことを答えた。
ハリーのことは嫌いではない。かといって、好きなわけでもない。羨ましいと妬んでいた頃もあったが、優等生に固執しなくなった現在、正直なところどうでもいい。
どちらかといえば好感の持てる人間である。正確に表現するなら、監督・脚本セレネ・ゴーント、脚本協力ゲラード・グリンデルバルドの掌で素直に踊る可愛らしい演者だ。
もちろん、そのままのことは答えられない。
「オスカー・ワイルドの格言をご存知ですか? 人間とは魅力があるか、さもなくば退屈か。そのどちらかだそうです」
「……それで、ポッターはどっちだと思うの?」
セレネが断言を避けたせいか、アンブリッジの口調に苛立ちが混ざってきているのを感じる。
「私は前者だと。少なくとも、彼の言動は私を退屈させません。力がないのに権力に歯向かう姿勢は、思春期ならではの奇行なのか、それとも彼本来の気質なのか。実に興味深い」
セレネは、また紅茶を飲むふりをした。少しぬるくなってきているので、今度は半分くらい紅茶の量を減らす。
「もっとも、おそらく思春期ならではの行動でしょう。きっと、彼は権力に反発することをカッコいいと思い込んでいるのでしょうね」
「つまり、ポッターは思春期が過ぎたら普通になると思っているの?」
「思春期を引きずる可能性もありますけど……そうなってしまったら、現実を直視できない退屈な人になりますね」
セレネは少しだけ微笑んだ。
ちなみに、セレネはアンブリッジに魅力も、かといって退屈も感じない。なにしろ、目の前のピンクの塊はガマガエルだ。人の形をしているが、内面はゲコゲコ鳴いているだけである。それでも、どちらかに定義しろと言われれば、おそらく退屈だ。こうして話しているうちに、だんだんとアンブリッジの底が見えてきたような気がする。
「……そう。では、次の質問ね。私かポッター、あなたはどっちにつくの?」
「またまた難しい問題ですね」
セレネは苦笑いを浮かべた。
きっと、アンブリッジはセレネが真実薬をかなり飲み干したのを見て、かなり切り込んだ質問をしてきた。セレネは少しだけ悩むふりをした。
「正直、ポッターの仲間にはなりたくありません。いろいろと気苦労が多そうですから」
「では、私側ね。貴方は頭がいいもの。きっと、こっちを選んでくれると思っていたわ。魔法省に就職してからも、私が面倒を見てあげるから安心しなさい」
「あー、先生。私は魔法省に就職するつもりはありません」
セレネが正直に答えると、アンブリッジは驚いたように目を丸くした。数度瞬きをして、ようやくセレネが何を言ったのか理解したらしい。
「あら、どうして? 貴方は成績もいいし、ポッターと違って犯罪歴もない。問題ないと思うわよ?」
「先生、私に政治が向いているかどうか分かりません。
それに、私の生い立ちがふさわしいものではありません」
「馬鹿なことを言わない!」
アンブリッジはきびきびと言った。
「貴方の生い立ちは、すでに調べてあります。母親はメアリー・スタイン。由緒正しきフランケンシュタイン一族の末裔ですわ」
「しかし、おそらく……私の父は……。それに、私はマグルに育てられました」
セレネは少し目を伏せた。寂しそうな表情で、残った紅茶を見下す。
「いまは優しい友だちのおかげで、楽しく学校生活を送ることができています。後輩たちも慕ってくれて、先輩方にも恵まれて……でも、私生児であること、そして、成育歴は変えられません。きっと、いまは大丈夫でも、純血育ちを尊ぶ魔法省では……私なんて……」
「今から弱気になっていたのでは駄目よ、セレネ・ゴーント!!」
アンブリッジは強い口調で言ってきた。セレネがこわごわ目を上げると、アンブリッジの顔から嫌らしい笑みが消えていた。いつになく真剣かつ真面目な表情を向けられている。
「マグルの血がなに? 成育歴がなに? 貧富の差がなに? そんなものは、ねじ伏せればいいの!」
アンブリッジは授業では見せたことがないほど、熱意溢れる目をしていた。だが、ふと我に返ったのだろう。アンブリッジは少し身を乗り出していたことに気づき、慌てて椅子に座り直した。その様子を見て、セレネは柔らかい微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。なんだか……先生には本音で話しやすいです。私、これからも頑張ります」
セレネは紅茶を最後の一滴まで飲み干すふりをすると、元気よく立ち上がった。
「お茶、美味しかったです。ありがとうございました! 先生のおかげで、少し気持ちがすっきりしました」
「え……ええ、良かったわ」
アンブリッジは少し戸惑っている。だが、すぐに普段の調子を取り戻し、嫌らしいガマガエルにふさわしい笑顔を張り付けていた。
「また何か不安なことがあれば来なさい。相談に乗ってあげるから」
「ありがとうございます、それでは失礼しました」
セレネは一礼すると、にこやかに退室した。
しばらく地下に続く道を歩いていたが、猫一匹も後をつけていないことを確認すると、近くの通路に飛び込んだ。もうこれ以上、誰かに見つかるわけにはいかない。再び、アンブリッジに見つかるなどもってのほかだ。セレネは目くらましの呪文を自らにかけた。そして、8階に一番近い道を駆け上がる。
『最後のアレは演技だろ?』
「もちろんです」
ポケットから響く声に、小さく答えた。
「トップが変わらない限り、就職はありえません」
『あのガマガエルの見立てはどうだ? 少しは評価が変わったか?』
「いいえ」
セレネはきっぱりと言い放つ。だが、ちょうど目の前をグリフィンドール付きのゴースト 首無しニックが通り過ぎていく。セレネは足を止めると、さらに声を潜めた。
「スリザリン寮出身のマグル生まれか半純血。少なくとも、両親のどちらかはマグルですね。ただ、コーラやカフェインは知っていてもオスカー・ワイルドは知らず、貧しい生活を強いられ生きてきた。大方、生い立ちはそんなところでしょう」
『付け足すなら、マグルの生活は完全に切り捨てている。家族の付き合いは皆無だ。部屋に家族の写真は一枚もなかっただろ?』
「……あまり内装を思い出したくありませんが、そうですね。魔法省大臣の写真はありましたけど、他の写真は一つもありませんでした」
『家族とのつながりは完全に断ち切り、権力のある男を崇拝しているふりをしながら、自分が少しでも頂点に立とうと企んでいる。ただの野心家だ』
首無しニックの姿が完全に消えたのを見計らって、セレネは階段を駆け上がった。
『あれは、お前に自分を重ねてたぞ。自分の生い立ちをな。
底は見えた、実に退屈だ』
「私も同感です」
『ああいう女は、気をつけろ。平然と部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任にしてくる。もし、お前があの女の下について手柄を上げたとしても、それはすべて彼女のモノになる。
……まあ、あの女に仕える気などないと思うが』
「当然です。ガマガエルの御機嫌取りなんて反吐が出ます。それだけに、権力とは恐ろしいと思いますね」
人間的にも退屈過ぎるガマガエルに仕えるつもりはない。
だが、彼女には権力がある。
策を練らなければクラブを続けられないほど、権力の力とは面倒なものだ。体罰に近い罰則を行っているのに、権力を盾に辞めさせることはできない。権力さえあれば、生徒の面談に真実薬を使わせることだって合法にできる。
ガマガエルの顔色をうかがいながら、策を考え、行動をする。非常に面倒である。
「ガマガエルや小心者ではなく、もっと人間的に魅力的な人が権力を握って欲しいです」
『だったら、お前が権力を握ればいい』
グリンデルバルドの言葉に、セレネは一瞬、足を止めた。
「……私が?」
グリンデルバルドの声は非常に愉快そうだった。その声は、蛇のように心の隙間に入ってこようとする。
『権力はいいぞ。蜜の味がする。すべてが自分の思い通りに動く。誰の顔も気にすることなく、思い通りに駒を動かすことができる』
「その分、失敗はすべて自分の責任になる」
『部下に押し付ければいい』
「ガマガエルと同じ思考はごめんです。話はここまでです。もう着きますので」
セレネはグリンデルバルドの提案を一蹴すると、ようやく8階に辿りついた。
必要の部屋の前に立つと、するするとただの壁から扉が現れた。きっと、ハリーがもう中にいるに違いない。
セレネは重たい扉を押し開けた。
「セレネ、遅いよ」
案の定、怒った顔のハリー・ポッターが待っていた。茶の準備は一人でしたのだろう。テーブルの上には2人分の茶菓子と紅茶がセッティングされていた。
「ごめんなさい、アンブリッジにつかまっていたので……」
「もしかして、罰則?」
ハリーの視線がセレネの手の甲に向けられる。セレネは問題ないと手を振りながら、ハリーの前の席に腰を下ろした。
「茶会に誘われただけです。お茶に真実薬が入ってましたけど……まさか、これには入ってませんよね?」
「入っているわけないよ! だいたい、作り方なんて知らない。君は、僕の魔法薬学の成績を知ってるだろ?」
「あれはスネイプ先生の影響だと思いますよ。先生が変われば、もう少し成績が上がるかと」
セレネはそう言いながら、ハリーの淹れた紅茶を飲んだ。もとより、ハリーが真実薬を盛るとは思っていない。
「……美味しい」
セレネは思わず、本音を呟いてしまった。茶葉の質もあるだろうが、セレネが自分で淹れるよりも美味い。セレネが少し目を見開いているのを見て、ハリーは少し照れた顔で話し始めた。
「ダーズリー家で特訓されたんだ。ペチュニアおばさんがお茶の淹れ方にうるさくて」
「なるほど、理解しました」
「でも、真実薬を生徒に使うのは違法だって……セレネは大丈夫だった?」
「もちろんです。対策はありますし、素直に飲んでいたら……それこそ、今頃は罰則を受けていますよ」
セレネが悪戯っぽく笑った。
「ところで、前回の傷痕が痛んだ件ですけど……」
セレネは鞄から折り畳んだ新聞を取り出した。
「これが、8月31日に傷が痛んだ原因として考えられる事件です」
セレネはとある三面記事を指さした。8月31日の午前1時、魔法省にスタージス・ポドモアという魔女が侵入したという記事だ。しかも、最高機密の部屋に侵入しようとしたらしい。
「この魔女は、弁明を拒んでいます。普通なら弁明の一つくらいするはずなのに、容認も否認もしていません。これって、おかしいと思いませんか?
きっと、この魔女はヴォルデモートの配下で最高機密の部屋から何かを盗み出そうとした。しかし、それが失敗に終わって、ヴォルデモートが怒り狂った。それが起因し、あなたの傷痕が痛んだのだと推察できます」
「うん、僕もこの事件は知ってるよ。でも、スタージスはヴォルデモートの配下じゃない」
セレネの説明を受け、ハリーは断言した。
「だって、スタージスは騎士団員だ」
「騎士団?」
「あ、セレネには言っていなかったっけ……ごめん」
ハリーの顔に罰の悪そうな色が一瞬過る。
「騎士団は、ダンブルドアがヴォルデモートに対抗するレジスタンスのことだよ。『不死鳥の騎士団』って言うんだ。スタージスは騎士団の一人で、前回の戦いから参加している。絶対にヴォルデモート側ではないよ」
「……つまり、彼女はヴォルデモートに操られ、最高機密を盗み出そうとしたということになりますね」
セレネは指を口元に添えながら、頭の中で今手に入ったばかりの情報を整理した。
「きっと、服従の呪文でしょう。だから、彼女は正気に戻った時、なんのことだか分からず、容認も否認もできなかった」
「うん、その方が僕もしっくりくると思う。
ハーマイオニーやロンは、スタージスが魔法省に嵌められたって思っているんだ。スタージスを捕まえるために、でっちあげたって」
「……グリフィンドール生は、魔法省に敵愾心を持ちすぎですね。その気持ちは理解しますけど」
セレネは再び紅茶を口に運んだ。ハリーも疑問が解けて安心したのだろう。先ほどよりやわらかい表情で紅茶を飲み、茶菓子に手を伸ばしていた。
「でも、セレネ。この最高機密ってなんだろう?」
「……それが、武器なのかもしれませんね」
セレネはカップを置くと、テーブルに肘をついた。
「ヴォルデモートが手に入らずに怒り狂うほどのものです。可能性としては考えられます。
スタージスは騎士団員として、その最高機密を守ろうとしたが、逆に服従の呪文をかけられてしまったと」
「それはおかしいよ、セレネ」
ハリーもカップを置いた。
「だって、魔法省に武器があるなら、なにもスタージスに服従の呪文をかける必要ないよ。魔法省に務めている死喰い人だっているし、ルシウス・マルフォイなんて自由に動き回っている。尋問の日、あいつを魔法省で見た」
「尋問?」
「あ……これも言ってなかったっけ。僕、夏休みに尋問を受けたんだ」
ハリーはすまなそうに教えてくれた。
ハリーは夏休みに吸魂鬼に襲われ、従兄を助けるために守護霊の呪文を使ったせいで退学処分になりかけたらしい。マグルの前で魔法を使ったため、魔法省の大法廷で尋問にかけられたそうだ。ダンブルドアが弁護に入ってくれたおかげで、無罪を勝ち取ったらしい。
「……未成年の魔法使用で大法廷……」
セレネは呆れ果てしまった。
きっと、グリンデルバルドも同じ気持ちだろう。守護霊の呪文はマグルに効果がなく、人を傷つける類の魔法でもない。その程度、ちょっと説教されるくらいで十分だ。大法廷で重罪人のように裁かれる問題ではない。それだけ、魔法省大臣はヴォルデモートの復活を認めたくないのだろう。
「愚か者が権力を持つと、本当にめんどくさい」
セレネは、ハリーに聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「セレネ、何か言った?」
「いいえ、なにも。ところで、ルシウス・マルフォイは魔法省で何をしていたんですか?」
「ファッジと話してたよ。ファッジに寄付をしに来たんだって。でも、ウィーズリーおじさんは『きっと、こっそり大法廷に入り込もうとしていたんだろう』って言ってたよ」
「ちなみに、その場所は? ファッジの執務室の前ですか?」
「違う。えっと、どこだっけ……」
セレネが問いかけると、ハリーは腕を組んで考え始める。
「あー、たしか神秘部の前。大法廷のある階までエレベーターはないから、神秘部の横の階段から降りていくんだ」
「神秘部ですか」
セレネは魔法省の役職について、詳しく知らなかった。
ただ、字面をみれば何をする場所かだいたい予想がつく。たとえば『魔法事故惨事部』なら、魔法の事故を処理したり、マグルの記憶を操作したりする部署に違いない。だが、神秘部は別だ。何をするところなのか、さっぱり想像がつかない。
「私は魔法省の部署について詳しくないので分かりませんが、神秘部とは何をするところでしょう?」
「僕も知らない。無言者が務めてて、なにか研究しているって、ウィーズリーおじさんが教えてくれた」
「なにかを研究している部署、ですか」
セレネは言葉を繰り返しながら、ルシウス・マルフォイがそこにいた理由を考え込む。
第一、ダンブルドアが弁護に立っている時点で、ハリーの無罪は決まったも同然だ。愚か者大臣と賢者が互いに競い合ったとき、どう考えても前者が負ける結果しか見えない。それをルシウス・マルフォイが見物しに来るとは思えなかった。
そうなると、神秘部に用があったと考えるのが妥当だ。
神秘部で研究している何かが武器であり、それをマルフォイは見ようとした。
しかし、自分で取り出すには危険過ぎる。そこで、スタージス・ポドモアに服従の呪文をかけて代わりに取りに行かせようとした。
その仮説は、十分にありえる。
だが、ただファッジに寄付をしに来たというだけの可能性も捨てきれない。
セレネはそのことをハリーに話すと、彼は納得したように頷いていた。
「きっと、それだよ。神秘部に武器があるんだ。
そうだ、たしかトンクス……えっと、騎士団員の闇払いが尋問の日に言ってたんだ。『ダンブルドアに言わなくちゃ、夜勤はできない』って。それを聞いたウィーズリーおじさんは『私が代わってあげよう。どうせ報告書を仕上げないといけない』って言ってた。
他にも、なにかを護衛する任務があるらしい。僕の見張りかと思ったけど、もしかしたら、神秘部にある武器の見張り?」
最後の方の言葉は声を潜めるようにして話してきた。セレネは静かにうなずいた。
「十分にありえる話です。闇払いや魔法省職員なら、神秘部を見張りやすいでしょうから。
もっとも、これは仮説です。根拠も薄く、妄想に近いかもしれません」
「妄想は大げさだよ。……でも、武器は何だろう? 神秘部で何を研究しているんだ?」
「さあ……私にはなんとも。
それよりも、騎士団には他に誰が所属しているのでしょう?」
セレネは話題を切り替えた。現時点でダンブルドアに味方している魔法使いを知りたかった。
「えっと、シリウスおじさんにルーピン先生。ムーディ先生も騎士団員で、あとはウィーズリーおじさんとおばさん。ホグワーツでは、マクゴナガルやハグリッド、それからスネイプも騎士団員。セレネが知っている人では、そんな感じかな」
「なるほど、そうですか」
セレネは紅茶を飲みながら思考を深めていく。
「ハグリッドの姿を今学期、一度も見ていないのは騎士団の任務ですか?」
「たぶん……そうだと思う。詳しく知らないけど」
あまり頭が良いとはいえないハグリッドに数か月もかかる任務をさせるとは、ダンブルドアも大胆なことを考えるものだ。それとも、ハグリッドでないとできない任務だったのだろうか。たとえば、狂暴な魔法生物を手懐けて自陣に引き入れるとか。
「そういえば、防衛術の自習の話はどうなりましたか?」
セレネが新しく話を振ると、ハリーは少し嬉しそうな表情になった。
「うん、実は――」