スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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69話 禁じられた森

 ハリーは早口で話し始めた。

 試験中に居眠りをしたとき、ヴォルデモートが神秘部でシリウスを拷問し、なにかを――おそらく、武器を取らせようとしていたと。

 

「最後には、シリウスのことを殺すって……僕、僕は助けに行かなくちゃ!! どうやったら、そこに行けるか教えてくれ?」

「ハリー、それは罠よ!」

 

 ハーマイオニーが真っ先に口を開いた。だが、ハリーに鋭く睨み付けられ、一瞬縮こまる。けれど、勇気を振り絞ったような声で、彼女は先の言葉を続けた。

 

「あのね、ハリー。私、不思議なの。その、どうやってヴォルデモートが神秘部に入ったのかしら?」

「僕が知るわけないだろ!」

 

 ハリーが声を荒げる。

 

「僕たちが、どうやってそこに入るかが問題なんだ!」

「でも、ハリー……」

「きっと、あいつのことだ。透明マントか目くらましの呪文が使えるんだろ。それに、僕が神秘部に行くときは、いつも空っぽだ」

「あなたは一度も神秘部に行ってないわ」

 

 ハーマイオニーが怯えながら、静かに言った。

 

「そこの夢を見た。それだけよ」

「普通の夢とは違うんだよ!! ロンのパパのことはどうなんだ!?」

 

 ハリーは怒りで赤くなった顔でハーマイオニーに詰め寄り、真正面から怒鳴った。

 

「僕が見た夢で、おじさんの身に起きた出来事が分かったじゃないか!」

「……それは言えてるな」

 

 ウィーズリーがハーマイオニーを見ながら静かに言った。

 

「僕のパパが助かったのは、ハリーの夢のおかげだよ」

「でも、今度は――あまりにも、ありえないわ!」

 

 ハーマイオニーが、ほとんど捨て鉢な態度で言い放つ。

 

「だって、シリウスは騎士団の本部にいるのに、どうやって捕まえたの?」

「きっと、シリウスが神経が参っちゃって、ちょっと気分転換に出かけたんじゃないか? 随分前から、あそこを出たくてしょうがなかったから――」

「でもなんで、ヴォルデモートがシリウスを捕まえたの!? シリウスに何をさせたいの!?」

「知るもんか! いま大事なのは、シリウスが捕まってて、助けに行かないといけないってことだよ!

 だって、僕のただ一人の家族なんだ!!」

 

 ハリーが吠えるように叫んだ。ハーマイオニーもすっかり黙り込んでしまった。だが、まだ不満や疑問がたまっているのだろう。口こそ閉ざしているが、頭の中でハリーを説得するための材料を高速で探しているように見えた。

 

「セレネ、君はどうなんだ?」

 

 ハリーの顔がセレネに向けられる。

 セレネは腕を組むと、静かに答えた。

 

「……いったん整理しましょう」

 

 近くのテーブルに軽く腰をかけながら、できる限り冷静になって考察していく。

 

「整理している時間はないよ! こうしている間にも、シリウスが――!!」

「大事なことだからこそ、適切な判断が求められます。現時点でヴォルデモートの不死性を壊せない以上、無策のまま突入したら敵の思う壷です」

 

 今の段階でヴォルデモートと戦うのは、絶対適切ではない。

 そもそも、まだ時刻は5時にもなっていない。ハーマイオニーの言う通り、魔法省は普通に勤務している魔法使いが大勢いるはずである。もしかしたら、魔法省大臣だっているかもしれない。

 そのような中、ヴォルデモートが変身することもなく侵入し、魔法省の最奥でシリウス・ブラックを拷問などするわけがない。

 

 だが、ハリーが夢の中で目撃している。

 しかも、セレネは詳しく知らなかったが、ウィーズリーの反応からして、ハリーは夢を通して他の場所に起きた現実の出来事を目撃した前例があるらしい。

 

「シリウスが捕まっているのは事実かもしれません。ですが、あなたを誘き寄せるための罠だという可能性も捨てきれません。

 シリウス・ブラックと連絡を取る手段はないのですか?」

「ないよ! 騎士団員のマクゴナガルは医務室にいない。聖マンゴに移送されたんだ!」

「スネイプ先生は? 彼も騎士団員だと教えてくれましたよね?」

「あっ――!」

「そうよ、スネイプよ! スネイプに聞けばいいんだわ!」

 

 ハーマイオニーの顔が急に輝いた。

 

「ハーマイオニー、君は正気か? スネイプは――」

「スネイプのことは、ダンブルドアが信用しています! ハリー、まずはスネイプのところへ行きましょう。シリウスが本当に捕まったなら報告しないと!」

 

 ハーマイオニーが全ての言葉を言い終える前に、ハリーが走り出した。彼に続くように、ウィーズリーとハーマイオニーが走り出す。セレネも成り行きを見届けるため、その後を追いかけた。

 スネイプの執務室は地下にある。

 途中、数人のスリザリン生とすれ違った。彼らはどうしてグリフィンドールのハリー・ポッターが周囲の人を突き飛ばしかねない勢いで地下へ急いでいるのか、不思議そうに横目で見ている。

 

「開けてください! 緊急なんです!!」

 

 ハリーが乱暴にスネイプの執務室のドアを叩いた。

 すると、ややあってから扉が開いた。スネイプが気難しそうな顔でハリーを見下す。

 

「ポッター、試験終了早々やかましいぞ」

「シリウスが捕まったんです! ヴォルデモートに、あの場所で!」

 

 ハリーが早口でまくし立てると、スネイプはまじまじと彼を見つめた。

 

「……4人とも入りたまえ」

 

 ハリーを先頭に、セレネたちは部屋の中に入った。セレネが入ると、何もしていないのに扉が自動的に閉まる。

 

「ここで待ってろ」

 

 スネイプは部屋の奥へと消えてしまう。

 もしかしたら、たった数分だったかもしれない。だが、再びスネイプが現れるまで、随分と長い時間が経過したように思えた。ハリーは途轍もなくイライラし、今にもその辺の机やら椅子を蹴り飛ばしそうな勢いがあった。ウィーズリーとハーマイオニーはそわそわとしている。

 

 セレネとしては、ハリーの気持ちも分からないわけではない。

 もし、義父がヴォルデモートに襲われていると知らされたら、すぐに安否を確かめたくなる。ただ確かめるのではなく、現地に直行して助け出したいという気持ちも強くなるに違いない。こうして、待っている時間すら惜しく感じるだろう。

 

「ブラックは無事だ、ポッター」

 

 スネイプは不機嫌そうな顔のまま、奥の部屋から戻って来た。

 

「嘘だ! だって、僕は――!」

「騎士団員は、君の夢よりも信頼できる連絡方法を持っている。さあ、帰りたまえ。それとも、せっかくの試験終了当日に罰則を受けたいというなら話は変わってくるが」

 

 スネイプに押し出されるように、セレネたちは部屋から出た。

 ハリーは少し消沈したような顔で、ハーマイオニーは少し勝ち誇ったような顔で、ウィーズリーはどっちつかずの顔をしている。

 セレネは少し息を吐いた。

 

「ブラックが無事だとすれば、その夢は罠です。

 それなら、これから私たちがするべき行動は明確です。策に失敗した蛇男の間抜け面を笑い、試験終了を祝って夕食を楽しみましょう。それでは、ハリー。私はこれで」

 

 セレネはハリーたちを残し、少し早めの夕食をとるために大広間へと向かった。

 

 数日前までの緊迫感が嘘のように、どの寮の5年生も浮足立っている。途中の廊下で、アーニー・マクミランとジャスティン・フィンチ―フレッチリーとすれ違った。彼らも浮足立っているようで、いつになく陽気な調子で話しかけてきた。

 以前のアーニー・マクミランはセレネに対して険悪な態度を崩さなかったのだが、DAで活動をしていくうちにだんだんと態度が軟化していき、ハリーの告白を機に、普通に接してくれるようになった。同寮の監督生ハンナ・アボット曰く「ハリー・ポッターが見初めた人物なら、確実に信用が置ける」ということらしい。

 

 そんな彼らは、どうやら夕食後にハッフルパフの談話室で朝まで試験終了のお祝いをするそうだ。

 

「ザカリアスの伝手で、バタービールだけではなく、ファイアー・ウィスキーまで仕入れることができるそうなんだ。まあ、僕のように監督生としては見過ごせない事実な訳だが――……今日くらいは、どの寮も羽目を外していいはずだ。スリザリン寮だって同じだろ?」

 

 アーニーは少し胸を張りながら聞いてきた。だが、心のどこかでは規則を破ることが不安なのだろう。バタービールはともかく、未成年者がファイアー・ウィスキーを飲むことは禁止されている。

 

「さあ。私はそのような企画を担当しないので。ですが、誰かが企画しているかもしれませんね」

「そうだろう、そうだろう」

「グリフィンドールのディーンたちもお祝いするって、僕は聞きましたよ。レイブンクローも同じみたいです」

「まあ、今日は無礼講ということだ。……こほん、ところで、明日はホグズミード村に行く日な訳だが、セレネ。君には、予定があるのかい?」

 

 アーニーは咳払いをすると、話題を変えてきた。

 

「特にありませんね」

「それなら、ジャスティンと行くといい。僕と行く約束をしていたのだが、生憎と用事が入ってしまってね。彼は独りぼっちになってしまったわけなのだよ」

「別に構いませんよ」

 

 セレネが特に悩むことなく了承すると、2人は嬉しそうに去って行った。

 まだ、ファイアー・ウィスキーを飲んでいないというのに、まるで酔っぱらっているような足取りである。正直、明日会うのが心配になって来るレベルだ。

 セレネは苦笑いをしながら、大広間に入るや否や、ミリセントが元気爆発薬でも飲んだような勢いで駆け寄って来た。

 

「セレネー! 今夜のお疲れ様会、あんたも参加するよね! もちろんするわよね!?」

 

 彼女はセレネの肩に手を回しながら、嬉しそうにはしゃいでいる。

 

「OWL試験終了祝いのパーティーよ! ずっと前からブレーズと計画してたんだから! あんたが好きな魔女の大鍋ケーキも用意したのよ! 試験のことなんて忘れて、ぱあっと騒ぎましょう!」

「もうミリセントったら。セレネ、びっくりしてるよ」

 

 ダフネはくすくす笑っている。

 

「そういえば、試験終了してから姿見なかったけど、どこに行ってたの? 図書室?」

「ちょっと野暮用です」

 

 セレネはミリセントのはしゃぎっぷりを横目で見ながら、そっといつもの席に着いた。

 確かに勉強に次ぐ勉強、その合間に様々な策を練りで、いささか疲れていたところだ。ここ辺りで少し、羽目を外して休んでもいいかもしれない。

 

「でも、パーティーは楽しそうですね。私、参加します」

「そうこなくっちゃ!!」

 

 ミリセントが楽しそうに背中を叩いた。

 セレネは少し笑いながらミリセントを叩き返し、ふと――教職員のテーブルに目を向ける。そして、違和感に気付いてしまった。前列に並んだ教師用のテーブル、その中央の校長席が空いている。いつもなら、夕食の初めから終わりまで、アンブリッジは嬉しそうに威張り腐った態度で座っている。それが、今日はいない。それから、マルフォイを始めとする尋問官親衛隊に所属しているスリザリン生の姿も見当たらなかった。

 

「……ミリセント、どうしてアンブリッジがいないのでしょうか?」 

「そんなこと、どうでもいいでしょ? どうせ、執務室にいるんじゃないの?」

「うーん、それは違うと思うよ」

 

 ミリセントが投げやりな態度で答えたが、それをダフネが否定する。

 

「だって、アンブリッジの部屋がある階には『首絞めガス』が撒かれているって聞いたよ」

 

 ダフネは糖蜜パイを幸せそうに頬張りながら教えてくれた。

 

「首絞めガス……?」

「うん。ジニー・ウィーズリーとルーナ・ラグブッドが見張りで立ってたよ」

「……そうですか」

 

 少し浮き始めていた思考が、冷や水を浴びせられたように落ち着き始める。

 グリフィンドールのテーブルに視線を向けてみれば、ハリー・ポッターたち三人組の姿が見当たらない。

 

「もしかして」

 

 セレネは立ち上がると、急ぎ足でグリフィンドールのテーブルに向かった。

 本当は一番話しやすそうなネビル・ロングボトムに聞きたかったところだが、彼の姿も見えない。仕方なしに、DAに所属していたディーン・トーマスに話しかける。

 

「すみませんが、ハーマイオニーたちを知りませんか?」

「知らないよ」

 

 トーマスは首を横に振る。

 

「でも、ハリーならさっき談話室から出て行ったよ。それも凄い速さで」

「あー、確かにそうだった。なんか、マントみたいなもの持ってたよな」

 

 トーマスの言葉に付け加えるように、シェーマス・フィネガンが口を開いた。

 セレネはお礼の言葉もそこそこに大広間を飛び出す。

 

「あの馬鹿!」

 

 セレネは誰もいない玄関ホールで立ちどまった。

 

 きっと、ハリーは寮に透明マントを取りに戻ったのだ。彼はスネイプの言った内容を信用せず、シリウス・ブラックがまだ神秘部にいると考えている。助けに行くため、アンブリッジの部屋の暖炉から魔法省に向かおうと考えたに違いない。ホグワーツの暖炉はすべて見張られていると聞いたことがあるが、アンブリッジの暖炉だけは別だという噂もある。

 首絞めガスを流したという嘘を広め、アンブリッジの部屋から皆を遠ざけて、こっそり透明マントで忍び込むつもりに違いない。

 

 だが、アンブリッジも尋問官親衛隊も大広間にいないとなると、たくらみが露見して捕まっている可能性がある。

 

 

 ここは、アンブリッジの部屋に乗り込んで救出するべきか。

 それとも、見捨てるべきか。

 はたまた、自分の考え過ぎなのか。

 

 

「ゴーント、どうしたんだ?」

 

 セレネが悶々と悩んでいると、セオドール・ノットが大広間から出てきた。

 

「さっきはポッターに拉致されてたし、また何かあったのか?」

「あったといえば、そうですけど」

 

 セレネは彼に話していい内容なのか、少し悩んでしまった。

 まず第一に、説明が面倒くさい。事の成り行きを話すには、シリウス・ブラックとハリー・ポッターの関係を説明するところから始まる。

 ある意味で一分一秒が惜しいこの時に、あまり長々と話すのは賢明な判断ではない。

 

 ところが、セレネが悩んでいる間に、その本人が姿を見せた。

 

 

 ハーマイオニーを先頭に、階段を降りてくる。

 彼女の半歩後ろをハリーが歩き、その後ろをアンブリッジが悦にひたったような顔で歩いていた。アンブリッジの杖は、まっすぐハリーたちの背中に向けられている。

 あれは、校長の生徒に対する態度ではない。看守が囚人を連行するときの態度だ。

 

「アンブリッジ先生、その二人はどうしたのですか?」

 

 セレネは一歩前に出た。ノットが制する囁き声が聞こえたような気がしたが、きっぱりと無視する。

 

「ええ、彼らは私の部屋に忍び込んで、悪事を働こうとしていたのよ」

「そんなっ?」

 

 セレネが驚いたように目を見開くと、ハリーたちはばつの悪そうな顔になった。

 

「それで……その二人をどうするのですか?」

「どうやら、ダンブルドアが魔法省に歯向かうための武器を、禁じられた森に用意していたみたいなの。いまから、案内してもらうところなのよ」

「では、私が護衛します」

 

 セレネはすっと杖を構えた。

 

「ポッターとは三校対抗試合で戦った間柄です。彼の技の癖はすべて知っています。それに、こっちの彼も――」

 

 セレネは一瞬、後ろの少年に目を向けた。

 

「私に匹敵する腕前です。先生のお役に立てるかと」

 

 本当なら自分一人でついていけばいいかもしれないが、進路指導の一件以後、アンブリッジからの評価は若干下がっている。確実にハリーの動向を辿るためには、アンブリッジの覚えが良い純血の子息を巻き込む必要があった。

 

「……護衛ね」

 

 アンブリッジは少し考えていたようだったが、しばらくすると首を縦に振った。

 

「ええ、そうね。ミス・ゴーント、それから、後ろのミスター・ノット。2人に私を護衛する栄誉を与えるわ。ポッターたちが攻撃してきそうになったら、私を守りなさい」

 

 そう言うと、アンブリッジはハーマイオニーたちに先を急ぐように命令する。

 セレネはアンブリッジの少し前を歩いた。

 

「……お前のせいで巻き込まれたじゃないか」

 

 隣を歩くノットが苛立ちを隠せない様子で囁いてくる。

 

「一蓮托生でしょ」

「だから、それとこれとは話が違うっての。ったく、あとで説明してもらうからな」

「もちろんです」

 

 セレネは杖を取り出すと、ハリーたちの背中に向けた。

 

 ハーマイオニーの考えが、あまり理解できない。

 

 シリウス・ブラックを救出するために、アンブリッジの部屋の暖炉を使おうと考えたところまでは分かる。きっと、アンブリッジの部屋から出るための手段として、ダンブルドアの武器の話をでっち上げたのだろう。

 だが、どうして「禁じられた森」へ向かおうとしているのか。その一点だけが、あまり推理できない。

 

 まさかとは思うが、2人して森でアンブリッジを無力化し、何かしらの方法で魔法省に乗り組む算段ではないだろうか。

 そうなったら最後、確実にハリー・ポッターは死ぬ。

 ここで、ヴォルデモート対抗の旗印になるかもしれない少年を失うのは惜しい。むしろ、ハリー・ポッターの死はヴォルデモートの動きをさらに活性化させる恐れがある。

 

 ヴォルデモートの魔の手から生き残り、一度は倒した男の子が、あっけなくヴォルデモート自身の手によって死んだ。

 

 それはきっと、復活の事実を知っている抵抗者たちを絶望に陥らせるに違いない。

 

 

 

 

 セレネとしては、まずはハリーたちの無謀すぎるブラック救出作戦を止める必要があった。

 

 

「もうすぐなの?」

 

 アンブリッジがハーマイオニーに尋ねる。

 アンブリッジは禁じられた森の茨のせいで、ショッキングピンクのローブが破れ始めていた。 

 

「ええ、そうです」

 

 ハーマイオニーは確かな足取りで森の奥へ、奥へと進んで行く。

 アンブリッジが倒れた若木に躓いて転んだが、誰も助け起こそうとしなかった。

 

「あの、ハーマイオニー。道はこれで間違いないかい?」

 

 ハリーがはっきりと指摘するような聞き方をする。

 

「ええ、大丈夫」

 

 しかし、ハーマイオニーは不自然なほど大きな音を立てて下草を踏みつけながら、冷たく硬い声で答えた。

 ハリーの話し方から考えるに、この計画はハーマイオニーが咄嗟に機転を利かせたものなのだろう。

 

 次第に密生する林冠で一切の光がさえぎられていく。どことなく、見えない何者かの目がじっと注がれているような気がしてきた。ふと――以前、日本で聞いた言葉が蘇る。

 あのベールを被った占い師が「森には入らない方がいい」と言っていたような気がした。今の自分は、森に足を踏み入れてしまっている。

 

「……ハーマイオニー・グレンジャー。あなたは、この森のことをよく知っているのですか?」

 

 気が付くと、セレネは前を歩く彼女に言葉をかけていた。

 

「ええ、あなたよりずっとね」

 

 ハーマイオニーは再び冷たい声で答える。

 だが、やがて――足を止める。彼女の視線の先には、無理やり千切られたような太い縄が転がっている。これ以上、ハーマイオニーが進むような気配はなかった。

 

「……騙したのね、貴方たち」

 

 アンブリッジの声が怒りで震えている。

 誰も何も答えない。アンブリッジは再び杖を取り出し、ハーマイオニーたちに先を向けた。

 

「だから、子どもって嫌いよ」

 

 アンブリッジの唇は、今まさにハリーたちへ「磔呪い」をかけそうな勢いがあった。

 セレネはそれとなく前に出て、彼らを守ろうか考え始めた矢先――空を切って一本の矢が飛んできた。それはドスっと恐ろし気な音を立てて、自分の頭上の大木に突き刺さる。あたりの空気が蹄の音で満ち、森の底が揺れているように感じた。

 アンブリッジは小さく悲鳴を上げると、セレネの後ろに隠れた。

 

「あれって……」

「ケンタウルス、か?」

 

 ノットも予測していなかった事態に怯えているのか、隣でわずかに杖を握る手が震えるのが見える。

 四方八方から五十頭あまりのケンタウルスが、セレネたちを囲んでいる。矢をつがえ、弓を構え、セレネたち全員を狙っている。

 5人は誰が示し合わせることもなく、じりじりと平地の中央に後ずさりした。

 アンブリッジは恐怖で小さく奇妙な声を上げている――が、周囲に自分の盾になる子どもが4人もいるからだろう。彼女は杖をまっすぐ一頭のケンタウルスに向けると、どこか威圧的な声色を出した。

 

「私はドローレス・アンブリッジ! 魔法大臣上級次官、ホグワーツ校長、ならびにホグワーツ高等尋問官よ!

 私に矢を向けることは、魔法省に矢を向けたことと同じであり――」

「魔法省の者だと!?」

「ええ、そうです!」

 

 ケンタウルスが落ち着かない様子でざわついているのに対し、アンブリッジはますます高圧的な声で言葉を続けた。話しているうちに自信が出てきたのか、少しだけ前に歩み出てくる。

 

「いいこと!? 魔法生物規制管理部の法令により、おまえたちのような半獣がヒトに攻撃すれば――ひぃっ!」

 

 一本の矢がアンブリッジの頭すれすれに飛んできて、くすんだ茶色の髪に当たって抜けた。アンブリッジは耳をつんざく悲鳴を上げ、両手でぱっと顔を覆った。ケンタウルスの忍び笑う声が森に木霊する。気のせいではなく、ハリー、ハーマイオニー、それからノットも声を出さずに笑っていた。

 

「なんという! お前たちは、魔法省がある一定の区画に住むことを許しているというのに!! このけだもの! 汚らわしい半獣め!!」

「黙って!」

 

 ハーマイオニーが叫んだが、それは遅すぎた。

 アンブリッジは一頭のケンタウルスに向けて、金切り声で唱えた。

 

「『インカーセラス‐縛れ』!」

 

 縄が太い蛇のように空中に飛び出してケンタウルスの胴体をきつく巻き付き、弓を持つ両腕を捉えた。ケンタウルスは激怒して叫びながら、地面に転がる。

 

「やめて!」

 

 ハーマイオニーがケンタウルスを庇うように前に飛び出した。ハリーも続けて駆け寄る。ついでに、セレネもさりげなくハリーたちの方に付いた。アンブリッジの方にいては、ほぼ100%ケンタウルスに狙われてしまう。急いでノットに目配せすると、彼も同じことを考えていたのだろう。そっと隣に寄って来た。

 

 だが、アンブリッジはそのことに気づいていない。

 

「お願い! 彼らは悪くないの!」

「黙りなさい、穢れた血!」

 

 ハーマイオニーの叫びも気にしていない。

 アンブリッジの怯えた目は、ケンタウルスたちに向けられていた。

 

「私の命令は、絶対です!!――ひゃあっ!」

 

 アンブリッジが情けない声を上げると、急に空へ持ち上げられる。

 セレネは唖然とした。そこにいたのは、余裕に3m以上もある巨人だったのだ。巨人はアンブリッジを目線まで持ち上げると、ハグリッドの小屋が丸々入りそうな口を開いた。

 

「ハガー!? ハガー、どこ!?」

 

 巨人は何かを問いかける。だが、アンブリッジの声からは悲鳴しか出てこない。 

 

「た、助けなさい!! ゴーント!! 護衛でしょ!!?」

「ごめんなさい、先生」

 

 セレネは巨人を見上げながら、小さく首を横に振る。

 

「先生から受けた命令は、ポッターから先生を護ることだけです。巨人から護るのは、契約外になります」

 

 アンブリッジの質問に普段通りの調子で答えながらも、セレネはかなり混乱していた。

 ケンタウルスが禁じられた森に生息していると聞いたことはある。事実、占い学の新教師は禁じられた森に住んでいたケンタウルスだ。

 

 だが、巨人は別だ。

 

 なにせ、イギリスの巨人は絶滅したと本に書いてあった。それがどうして、子どもの学び舎に隣接する森で生き残っているのか。まったくもって意味が分からない。

 第一、彼が発する「ハガー」の意味すら分からない。もしかして、Hungryのことなのだろうか。巨人は、アンブリッジをガマガエルか巨大な豚だと間違えて、喰おうとしているのだろうか。

 

「この、裏切り者!」

 

 アンブリッジは怒りと恐怖で震えながらも、こちらに杖を向けてきた。

 

「『インペリオ‐服従せよ』!」

 

 杖先から閃光が炸裂する。さすがは、魔法省の上級次官まで上り詰めた魔女だ。足場もなく不安定な状況下でも狙いだけは外さない。セレネが半歩横によけても、閃光が捻じれるように曲がり、背中を狙ってくる。なんとか身体を逸らしたが、顔すれすれのところを横切っていく。

 

「『インペリオ』!『インペリオ』!『インペリオ』!!」

 

 続いて三本の閃光が、残りのホグワーツ生に向かって奔り出す。

 セレネは舌打ちをすると、頭上に半円を描くように杖を振るった。

 

「『プロテゴ・トタラム‐万全の護りよ』!」

 

 大量の魔力を練り込み、自分にできる限りの盾の呪文を自分たちの周囲に展開する。さすがに、服従の呪文でも盾は貫けなかった。四本の閃光は透明な盾に激突し、あっさりと四散する。

 

「服従の呪文をかけるなんて、人として失格ですよ。やっぱり、ガマガエルですね。『エクスペリアームズ‐武器よ去れ』!」

 

 赤い閃光がアンブリッジの手を直撃する。

 短い杖はあっさりと抜け落ち、巨人の足元に落ちた。巨人は小枝以下のサイズの杖に当然気付くことなく、そのまま踏み潰してしまう。アンブリッジは悲鳴を上げながら見下していた。

 

 一方、ケンタウルスも動き始めていた。

 

「立ち去れ、巨人よ!!」

 

 ケンタウルスたちが弓を引き絞り、矢を放ち始める。巨人目がけて、五十本もの矢がセレネたちの頭上を飛ぶ。数本の矢はセレネの顔を掠めるように地面に落ちたが、幾本もの矢が見事巨人の身体に突き刺さり、血飛沫が飛び散った。

 巨人は唐突な痛みに怒り狂った。手にしたアンブリッジをぶんぶん振り回しながら、巨大な足を踏み鳴らし、ケンタウルス目がけて走り出す。

 

 もちろん、その進行上にはセレネたちがいる。

 

「避けろ!!」

 

 ハリーが叫んだ。

 無論、彼に言われるまでもない。巨人の足に踏み潰される前に、間一髪、転がるように避けた。誰もが巨人の小石ほどもある血飛沫を頭から被ってしまったが、そのことを気にする余裕はない。まずは木の陰に隠れようと全速力で走る。巨人は闇雲にケンタウルスを捕まえようとしていた。アンブリッジは、あまりにも振り回しすぎたのだろう。途中で指から抜け、地面に落ちていた。自慢の整った髪の毛はぐしゃぐしゃになり、眼もくらくら回っているようだった。

 

 しばらく、ケンタウルスは巨人に応戦していたが、勝ち目が薄いことを悟ったのかもしれない。

 こぞって退却し始める。だが、さすがは森の賢者と呼ばれるだけある。賢い彼らは、地面に座り込む不届きガマガエルの存在を忘れていなかったようだ。十頭あまりのケンタウルスがアンブリッジに走り寄り、つかみ上げてくる。アンブリッジの顔が再び恐怖に染まった。

 

「ポッター!! ポッター!!」

 

 アンブリッジは一番近くにいたハリーに手を伸ばす。

 

「助けて! 私は、悪者じゃないと言って!!」

「すみません、先生。……僕は嘘をついてはいけない」

 

 アンブリッジの顔が絶望に染まる。

 ケンタウルスはアンブリッジを担ぎ上げると、蹄を鳴らして木立の奥へと疾駆していた。

 

「わ、私の命令を聞きなさいー! わた、わたくしは、ドローレス・アンブリッジ、上級次官ですのよ――! 離しなさい――ッ!!」

 

 アンブリッジの声が蹄の音と共に遠ざかっていく。巨人もケンタウルスの群れを追いかけて行った。

 

「こ、怖かった……」

 

 ハーマイオニーは激しい震えで膝が抜けてしまっていた。

 

「グロウプは皆殺しにしてしまうかも」

「正直言って、そんなことは気にしないな」

 

 ハリーが苦々しく答える。セレネは目が点になった。

 

「あのグロウプって……ハリーは、あの巨人と知り合いだったのですか?」

「あれは、ハグリッドの弟だよ。それで、これからどうするんだ?」

「私たち、お城に帰らなくちゃ」

 

 ハーマイオニーが座り込んだまま、消え入るような声で言った。

 

「そのころには、シリウスはきっと死んでるよ!」

 

 ハリーは癇癪を起して、近くの大木を蹴り飛ばした。セレネはため息を吐いた。

 

「ハリー、彼は捕まってないと分かったではありませんか。あなたが試験中に見たのは、ただの夢であり罠です」

「違うんだ! スネイプは嘘をついていたんだよ!」

 

 ハリーはセレネに詰め寄って来た。

 

「あの後、やっぱり不安で、僕たちはアンブリッジの暖炉から騎士団の本部を確認したんだ。そしたら、クリーチャーが――……シリウスの屋敷しもべ妖精が『ヴォルデモートが押し入って来て、シリウスを連れ去った』って!!」

「……その後、アンブリッジに見つかって、こんな事態になっていたのですね」

 

 セレネは肩を落とす。

 嫌な予感が的中してしまっていた。やはり、ハリーはスネイプを信用することができなかったのだ。唯一の救いは、そのまま魔法省に無策のまま突撃しなかったことくらいだ。

 

「止めないでくれ、セレネ。止めるなら、君だって容赦しない」

「……杖もないのに、ずいぶんと強気ですね」

 

 セレネは力なく両手を挙げた。

 こうなったが最後、彼を止めることはできそうにない。

 

「私も――たった一人の家族が拉致されたら、死に物狂いで救出に行きます。止めませんよ」

 

 ただ、真偽は限りなく怪しい。

 スネイプとしもべ妖精、どちらが嘘をついているのか、セレネには判断しかねた。

 

「ただこれだけは約束してください。ヴォルデモートとまともに戦っても勝ち目はゼロです。

 シリウス・ブラックを救出する、もしくは罠だと気づいたら、すぐに撤退すること。武器には目もくれず、すみやかに撤退です。それだけ約束してくれるのなら、私は協力します」

「ありがとう、セレネ。それで、どうやってロンドンに行けばいいと思う?」

「まずは、森から出ることが先決かと」

「だから、その頃には、きっとシリウスは殺されてるよ!」

 

 ハリーが声を荒げる。

 

「ロンドンへの足の確保も最優先ですが、まずは、彼らを森から出す必要があります。彼らの安全を確保してから、私たちはロンドンへ行きましょう。そのくらいの時間はあるはずです」

 

 セレネは、呆然と突っ立っているノットと未だに座り込んでいるハーマイオニーに視線を奔らせた。

 

「ば、馬鹿言うな、ゴーント!」

 

 ノットが一瞬、我に返ったような顔になると、すぐに怒ったように口を開いた。

 

「ここまで巻き込まれたんだ。最後までついていくに決まってるだろ!」

「あなたは駄目です。あなた、お父様と戦う可能性もあるのですよ!?」

「親父は関係ないだろ!!」

 

 ノットが額の筋を引きつらせながら、こちらに詰め寄って来る。だが、セレネもここで簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

 ここまで巻き込んでおいて虫の良い話かもしれないが、これ以上巻き込むわけにいかない。なによりも、彼が家族と敵対するようなことをさせてはいけないと本能が叫んでいた。

 

「お父様はたった一人の家族ですよね? 絶対に戦っては駄目です!」

「それはお前の考えだろ! それに、お前は放っておいたら、いつも傷だらけで帰って来るじゃないか! 第二の課題も、第三の課題だって!!」

「私の心配より自分の心配を――!」

「二人とも黙って!」

 

 ハーマイオニーが立ち上がり、口元に指を持ってきた。

 

「誰かが近づいてくる」

 

 背後の木立が揺れ、下草を踏みつける音が聞こえてくる。

 セレネとノットは杖を構え、木立に狙いを定めた。そして、姿を見せたのは――

 

「おい、ハリー。どうして、その二人もいるんだ!?」

 

 ロン・ウィーズリーだった。

 彼の後に続くように、ジニー・ウィーズリー、ネビル・ロングボトム、ルーナ・ラグブッドが姿を見せる。彼らの服は多少汚れていたが、身体に傷は負っていない。

 彼らを見ると、ハリーの顔が一瞬綻ぶように輝いた。

 

「君たちこそ、どうしてここに!? それよりも、どうやって、マルフォイたちから逃げ出したんだ?」

「簡単だったよ」

 

 ロンはハリーとハーマイオニーに杖を投げ渡しながら、得意げに笑った。

 

「ゲーゲートローチさ。

 お菓子食べていい?って取り出したら、あいつら横取りして食べたんだ。きっと、まだゲーゲーやってるはずだぜ。

 君たちが森に向かうのが窓から見えたから、後を追いかけたのさ」

「……あなた、冴えてるわね」

 

 ハーマイオニーは杖を受け取りながら、まじまじと彼を見つめ返した。

 

「それで、その二人はどうして? アンブリッジは?」

「セレネたちは途中でいろいろあってね。アンブリッジはケンタウルスの群れに連れて行かれたよ。

 それよりも、今はどうやってロンドンに行くかが問題だ」

 

 しん、と黙り込む。

 ハリーの言う通り、ここからロンドンまで行ける方法がない。

 未成年の姿くらましは禁止されている。また、アンブリッジの暖炉に戻るには時間がかかり過ぎた。しもべ妖精に付き添い姿くらましを頼むという手もあるが、ハーマイオニーが了承しないだろうし、彼らが承諾してくれるとも限らない。

 

「もちろん、飛ぶんだよ」

 

 ルーナがまっすぐ冷静な声で言った。

 

「オーケー」

 

 ハリーはかなり焦っているのだろう。いらいらして、ルーナに食ってかかっていった。

 

「まず言っておくけど、自分のことも含めて言っているつもりなら『全員』が何かするわけじゃないんだ。

 第二に没収されていない箒は、ロンのだけだ。僕のは、随分前にアンブリッジに盗られてしまったし、城の箒だと速度が――」

「私も箒を持ってるわ!」

 

 ジニーが口を開いた。彼女の兄は、顔を髪の色と同じくらい真っ赤にして怒り始める。

 

「ああ、でも、お前は来ないんだ!」

「お言葉ですけど、私もシリウスのことを心配しているのよ!

 それから、私はハリーたちが『賢者の石』のことで『例のあの人』と戦った歳より3歳も年上よ!」

「それに、僕たちはDAで一緒だったよ」

 

 ネビルが静かに言った。

 

「何もかも、『例のあの人』と戦うためじゃなかったの? 僕たちも手伝いたい!」

「そうよ。私も手伝いたい」

 

 ルーナも嬉しそうに微笑んだ。

 

「それに、箒で飛ぶんじゃないよ。彼らの力を借りるんだよ」

 

 ルーナは木立を指さした。

 二本の木の間で、白い目が気味悪く光っている。ホグワーツの馬車を運ぶ馬――セストラルだ。死を目撃した人にしか見えない馬は、爬虫類のような頭を振りながら近寄って来る。セレネに近寄ると、セストラルは短い舌を出して、ちろちろとローブに付いた血を舐め始めた。

 

「確かに。セストラルは、乗り手の探している場所を見つけるのが上手いと聞いたことがあります。

 グリンデルバルドもアメリカからヨーロッパに逃亡する際、セストラルを奪ったと……」

「名案だ! ……それで、どこにいるんだ?」

 

 セレネが呟くと、ハリーは嬉しそうに笑った。

 

「今いるのは、一頭だけですね」

「二頭だ」

 

 ノットが腕を組みながら、木立の間を睨みつける。

 

「それなら、あと二頭必要ね」

 

 ハーマイオニーは覚悟を決めたように言った。それに対し、ジニーがしかめっ面をした。

 

「あと三頭よ、ハーマイオニー」 

「ほんとは、全部で七人分いると思うよ」

 

 ルーナが数えながら平然と言った。

 

「馬鹿なことを言うなよ。全員は行けない!」

 

 ハリーは再び怒り始めた。

 

「特に君たち四人は、関係ないんだ!」

 

 四人が一斉に、また激しく抗議してくる。

 もっとも、そのうち一名はセレネに対してだが。ハリーも諦めたのだろう。ハリーは痛そうに額の傷を抑えると、どこかぶっきらぼうに言った。

 

「オーケー、いいよ。勝手にしてくれ。

 だけど、セストラルがもっと見つからないと、君たちは行くことができ――」

「それは問題ないぞ、ポッター」

 

 ノットが自信たっぷりに言った。

 

「オレたちは血だらけだ。セストラルは生肉で誘き寄せることができる。きっと、こいつらもそれで来たんだ。それに、もう数はそろってる」

 

 事実、次々に木立の奥からセストラルが現れ始めている。

 ハリーは気づいていないが、小さいセストラルが彼の血の付いたローブをしきりに舐めていた。

 

「だけど、ハリー。ゴーントはともかく、そいつも連れて行くのか?」

 

 ロンが訝し気に口を開いた。

 

「そいつの父親は死喰い人だぞ?」

「大丈夫ですよ、ウィーズリー」

 

 セレネは近くのセストラルにまたがりながら、努めて静かな声色で言い放った。

 

「彼が裏切る素振りを見せたら、私が倒しますから」

 

 セレネ個人としては、彼の力量を信用している。

 ここまで頑なに同行すると言っているのだから、無下にする理由がない。だが、彼が実際に父親と敵対した時――どんな反応を示すのか、想像できなかった。

 

 もし、彼が父親に付いたら、少し心が痛むが敵として倒すしかない。

 もし、彼が父親と敵対したら、代わりに自分が倒せばいい。

 

 どちらの選択もできれば取りたくないが、セオドール・ノットがついてくる意志は確固としたものだ。ここで振り払い、失神させたところで、意識が戻り次第、追いかけてくる可能性が大である。

 

 ならば、目の届くところに置いておいた方が都合が良い。

 

「部下の不始末は上司の責任です。彼のせいで、みなさんが危険に陥るような事態にだけは決してさせません」

「……セレネ、彼とは友達じゃないの」

 

 ハーマイオニーがルーナの手を借りながらセストラルに乗ると、不安そうに尋ねてくる。

 

「友だちというより……心強い右腕ですね」

 

 セレネがノットを横目で見ると、彼は「まあ、そんなところだろう」とでも言いたそうな顔をしていた。

 

「よし、みんな乗ったか」

 

 ハリーがセストラルの鬣を握りしめ、全員を見渡した。

 6人の目がハリーに集まる。ハリーはそれを確認すると、ロンドンと思われる方向に目を向ける。セレネ以外の皆の視線が、ハリーの背中に注目していた。

 セレネは全員の目を盗むように、こっそり杖を取り出すと呪文を唱える。

 

「『エクスペクトパトローナム―守護霊よ来たれ』」

 

 杖先から現れた銀色の大蛇は、木立の中へと消えていった。

 ここに集まったのは、セレネを含めて16歳以下の子どもたちだ。ヴォルデモートが万が一、まだ神秘部にとどまっていた場合、そして、敵対する場合、このまま突貫しても全員の命は保証できない。

 

 万が一に備え、助言者を召喚する手は打っておく。

 

 彼が魔法省まで来るか、来ないかは別として。

 

 

「えっと、ロンドンの魔法省入り口。そこに、連れて行って欲しいん、だけど」

 

 ハリーはどこか半信半疑で言った。

 すると、セストラルは落馬しそうになるほど素早い動きで両翼をさっと伸ばす。馬はゆっくりと屈みこみ、それからロケットのように急上昇した。

 あまりの速さで急角度に昇ったので、セレネは骨ばった馬の尻から滑り落ちないように、両腕両足でがっちりと胴体にしがみついた。

 セストラルは高い木々の梢を突き抜け、血のように赤い夕焼けに向かって飛翔する。

 広い翼は殆ど羽ばたかず、涼しい空気が顔を心地よい具合で打ち付けた。

 

 ホグワーツの校庭を越え、ホグズミードも通り過ぎる。

 眼下に広がる山々や峡谷が見えた。日がかげり始めると、街の灯りがチラつき始めた。車がテールランプをつけ、高速道路で渋滞している様子も見える。

 

 太陽はすっかり落ち、街の灯りが眼下に見え始める。

 耳元で唸るごうごうたる風の音で、なにも聞こえない。会話は疎か、呟きさえ拾うことができない。

 

 

 どれだけ長時間、乗っていたことだろう。

 

 セレネは、ロンドンの時計塔の灯りに気付いた。

 目を凝らすと、ビックベンの針は10時を指している。

 

 

 きっと、今頃はミリセントとダフネ、それからザビニが、セレネたちが戻ってこないことを気にしながら、宴会をしているかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、セレネの胃袋がぐらっとした。

 セストラルの頭が急に地上を向き、着陸態勢に移行したのである。

 

 

 セレネは馬の首に強く腕を巻き付けると、着陸の衝撃に目を閉じた。

 

 

 

 

 




Q.セレネが守護霊でシリウスの安否を確かめればいいじゃん。

A.シリウスは、蛇寮かつ自身の利き腕を奪ったセレネのことを(完全には)信用していない。故にシリウスの元にセレネの守護霊が来たら、逆に罠を疑い返事を出さない可能性が高く、ハリーに「返事が来ないから、つかまっているんだ!」と誤解されてしまうため。


なにはともあれ、次回は魔法省突入です。
不死鳥の騎士団編は、あと多くて3話で終わりになります。
リメイク前とは遥かに異なる結末です。ぜひ、楽しみに待っていてくださると嬉しいです。



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