スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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70話 神秘部の戦い

 魔法省は異様に静まり返っていた。

 夜勤や残業している職員も、清掃員も、巡回の警備員どころか守衛の姿さえなかった。

 

「……これは、異常ですよね」

 

 空っぽの守衛室を横目で見ながら、セレネはハーマイオニーに囁きかける。

 彼女も強張った顔をしながら微かに頷いた。そのまま、彼女はジニー・ウィーズリーに言葉をかける。

 

「まったく人がいないなんて、ありえないわ。たとえ業務時間外だとしても、せめて施錠はするはずよ。まがりなりにも政府なのだから、いくつも機密情報があるでしょうし……そんなことをするのは、マグルだけ?」

「ううん。魔法省はガードマンが24時間、交代で巡回警備しているはずよ。それに、いくら魔法使いでも、家を留守にする時には鍵をかけるわ」

 

 ジニーもハーマイオニーの意見に同意する。

 もっとも、それをハリーに伝えたところで、彼は足を止めない。むしろ、シリウス・ブラックが捕縛されている確証を深めるだけだろう。

 

「こっちだ! このエレベーターに乗るんだ」

 

 ハリーが金色の門をくぐりながら言う声が聞こえてくる。

 

「……覚悟を決めるしかないわね」

 

 セレネは小さく呟くと、杖を手の中で回した。

 いざというときのために、いつでも眼鏡を取る心づもりだけはしておく。

 全員がエレベーターに乗り込むと、扉は音を立てて閉まり、鎖が重なり合うような音と共に下がっていく。100年ほど前の骨董品のようだと思った。

 

 どれだけ地下に潜っていったのだろうか。

 やがて、エレベーターが停まると、落ち着き払った女性の声がエレベーター内に響いた。

 

「神秘部です」

 

 扉が横に開く。

 廊下に出ると、ここも何の気配もなかった。ただ、松明だけが均等な間隔で燃えている。

 

 

 ハリーが先頭になって歩く。

 彼は取っ手のない黒い扉に向かって、まっすぐ歩いた。黒い扉を押し開けると、そこは大きな円形の部屋だった。床も天井も、何もかもが黒かった。何の印もなく、まったく同一の取っ手のない扉が黒い壁一面に間隔を置いて並んでいる。壁のところどころに蝋燭立てがあり、青い炎が冷たく燃えている。その炎が光る大理石の床に映し出される様子は、まるで足元に暗い湖が広がっているようだった。

 

「ハリー、閉めた方がいいよね」

 

 一番後ろのネビルがそう言いながら、そっと扉を閉める。

 その途端、ゴロゴロと大きな音がして、蝋燭が横に動き始めた。円形の部屋が回転し始めたのだ。ハーマイオニーが小さく悲鳴を上げる声が聞こえてくる。数秒間だけ、壁だけが急速に回転した。やがて、回転を始めたときと同じように突然、音が止まり、すべてが再び動かなくなった。

 

「ごめんね、ハリー」

 

 ネビルがすまなそうに言う声が聞こえてくる。

 

「出口、分からなくなっちゃった」

「いいよ、ネビル。どうせ、僕が閉めてと頼むつもりだった」

 

 ハリーはそう言いながらも、戸惑ったように周りを囲む同じ形の扉を見渡した。

 

「……12の扉ですか」

 

 セレネは腕を組むと、扉を一つずつ睨み付けた。

 

「『ヘラクレスの12の試練』にかけた仕掛けだと、少し厄介ですね」

「ゴーント、それはないだろ」

 

 ノットがすぐさま否定する。

 

「扉分の試練を乗り越えないと、次に進めないなんて、ありえないだろうが」 

「たぶん、たんに侵入者がどの扉から入ったか分からなくするためだと思うわ」

 

 ジニーが声を潜めて続けて答える。

 

「とりあえず、前に進みましょ」

「でも、それじゃあ、ハリー、どっちに行くんだ?」

 

 ロンが聞くと、ハリーは正面の扉へまっすぐ進んだ。

 

「きらきら光っていた部屋だったんだ。正しい方向かどうかは、見ればわかる」

 

 それから、いくつかの扉を開いていった。扉を閉じる前に印をつければ、たとえ壁が回っても確かめた部屋が分かるので問題ない。

 「神秘部」という名の通り、扉の向こうに広がる部屋には摩訶不思議な現象が詰まっていた。

 水槽に脳みそがいっぱい詰まった部屋、小声で囁く声が聞こえるアーチがある部屋、太陽系の惑星が浮かんでいる部屋、開錠呪文でも万能ナイフでも開かない扉、そして次の扉を開いた瞬間、ハリーが叫んだ。

 

「ここだ! この部屋だよ!」

 

 そこは確かにきらきら輝いていた。

 壁いっぱいに照明が踊り、砂時計が所狭しと並んでいる。砂時計の下には、それぞれ「年」や「月」、「時間」そして「分」と刻まれている。セレネは目を丸くして、そっと「年」と刻まれた砂時計を手に取った。

 

「ハーマイオニー。もしかして、これは逆転時計ではありませんか?」

「ええそうよ。引っ繰り返すと、その下に刻まれた時間単位の分だけ巻き戻すことができるらしいわ」

 

 セレネはハーマイオニーの返答を聞き、少しだけ気分が高揚した。そして、こっそりポケットに滑り込ませようとする。しかし、待ったの声をかけられてしまった。

 

「あんた、盗みは良くないよ」

 

 ルーナ・ラグブッドが夢を見ているような声で指摘して来た。

 

「アズカバンに送られちゃうもン」

「……分かってますよ。冗談です」

 

 セレネは渋々、逆転時計を棚に戻す。ロン・ウィーズリーが「なにを企んでいるんだ」とでも言いたげな顔で睨んできたので、セレネは肩をすくめた。

 

「義父と一緒に、ライブエイドを観に行きたかったんです」

「ライブエイドって、チャリティコンサートの?」

 

 ロンたちは顔をしかめていたが、この中で唯一、セレネと同じくマグルで生まれ育ったハーマイオニーだけが反応を返してくれた。

 

「ええ。義父はロックが好きなんですけど、ライブエイドが開催されたのは私が幼い頃でしたから、チケットを買いに並ぶことができず――」

「二人とも立ち止まらないでくれ! 時間がない!」

 

 ハリーが苛立ちを隠せない早口で言ってくる。

 

「……ハリー、分かっていますよ」

 

 セレネは名残惜しそうに逆転時計に視線を向けると、誘惑を振り切るように歩き始めた。

 いまの自分は魔法が使える。あと数年も経てば、成人になり、自由に魔法が使えるようになるのだ。そうしたら、逆転時計で過去に戻り、こっそり魔法を使ってライブ会場に入り、豪華なロックスターたちの夢の祭典に浸ることだってできる。なにせ、ビデオで見るのとライブ会場で見るのとでは迫力が違う。 

 セレネは義父のために、そして自分のためにタイムトラベルをして、世紀のライブを楽しみたかった。

 

 もっとも、それは逆転時計さえあれば、いつでも叶えられる夢だ。

 そして、逆転時計を手に入れる機会は、きっと他にもあるに違いない。

 

 

 

 ハリーが先頭を歩く。

 部屋の奥には、重々しい扉があった。

 

「これだ。これを通るんだ。この奥に、シリウスがいる」

 

 ハリーは振り向いて全員を見渡した。

 セレネは杖を持ち直した。本当にシリウス・ブラックがいるにしろ、罠にしろ、多少の戦闘は避けられないだろう。ここから先は、今まで以上に用心が必要になる。ライブエイドのことなんて、考える余裕はない。セレネは少し唾をのんだ。

 

 

 そこは教会のように高く、ぎっしりそびえたつ棚以外に何もない静かな空間だった。

 棚には小さな埃っぽいガラスの玉がびっしりと置かれている。棚の間に間隔を置いて取り付けられた燭台の灯りで、ガラス玉は鈍い光を放っていた。

 

「97列目の棚なんだ。97……97……」

 

 ハリーが囁きながら、早足で進んで行く。

 

 だが、自分たちの息遣いと足音以外、誰かがいる気配はない。

 少なくとも、何者かが拷問を受けているような音や気配はなかった。いかにも壊れそうなガラス玉が多く鎮座している空間だというのに、争って壊れたような形跡はどこにも見当たらない。

 

 ハリーには悪いが、セレネはほぼ確実に罠だと確信していた。

 延々と伸びる棚の通路を忍び足で歩きながら、セレネは1番冷静に事態を対処できそうなハーマイオニーに囁きかけた。

 

「これは罠です。争った痕跡もありませんし」

「……そうね。とりあえず、一か所に固まっていた方がいいわよね。……ネビル、こっちよ」

 

 ハーマイオニーは囁き返しながら、別の通路に迷い込みそうだったネビルを呼び戻す。ハリー・ポッターが見るからに焦り、ロン・ウィーズリーとジニー・ウィーズリーは不安そうな顔で、ネビル・ロングボトムは少し震え、セオドール・ノットは無表情で、そして、ルーナ・ラグブッドは夢見心地な様子で歩いている。

 

 このメンバーで果たして、この後待ち受けるであろうヴォルデモートたちと戦うことができるのか。

 セレネも不安になった。特に、ルーナ・ラグブッドは事態の深刻さを認識しているかどうか疑わしい。

 これは、かなり早い段階で、眼鏡を外す事態が訪れるかもしれない。セレネは少し呼吸を整えると、覚悟を決めた。

 

「95……96……97……ここだ」

 

 ハリーは呟きながら、目的の場所に到着する。

 もちろん、そこには誰もいない。争ったガラスの破片すらなかった。ハリーは呆然と突っ立ってしまった。

 

「……ハリー、これ。君の名前が書いてある」

 

 ロン・ウィーズリーが、一つのガラスの玉を指さして言った。

 ハリーは訝しそうな顔をしながら、それを手に取る。セレネが少し爪先立ちをし、ハリーの肩越しに覗いてみる。ハリーが手にした埃っぽいガラス玉には、黄色み帯びたラベルが張り付けられていた。およそ16年前の日付が細長い蜘蛛の足のような字で書いてあり、その下にはこう書いてある。

 

「『S.P.TからA.P.W.B.Dへ

 闇の帝王、そして(?)ハリー・ポッター』……なんでしょうか?」

「分からない。僕に関係するものだってことは分かるけど」

 

 ハリーがそう言った瞬間だった。すぐ後ろから、気取った声がした。

 

「よくやった、ポッター。さあ、それを私に渡すのだ」

 

 ルシウス・マルフォイだった。

 彼の言葉を皮切りに、どこからともなく黒い人影が周囲に現れ始める。右手も左手も、自分たちの進路を断つように死喰い人たちが立ちふさがった。フードの裂け目から目をぎらつかせ、十数本もの杖先がまっすぐこちらの心臓を狙っている。

 セレネはそれを見た瞬間、反射的に杖を振るった。

 

「『プロテゴ』!」

 

 セレネは弧を描くように、自分たちの周囲に盾の壁を構築する。

 死喰い人たちが発するあまりにも濃厚な殺気に、こちらの肌に電気が奔ったような震えを感じる。だが、不思議なことに、誰も呪文を放ってこなかった。

 

「警戒することはない。おとなしく、それを渡せばな」

 

 ルシウス・マルフォイはハリーに片手を突き出し、掌を見せる。ハリーはじりっと後退しながら、必死にマルフォイを睨みつけた。

 

「シリウスはどこだ? どこにいるんだ!」

「夢と現実の区別がつかない赤ん坊だこと」

 

 マルフォイの左奥から、ゆったりと残忍な笑いを口元に浮かべた女が現れた。

 

「小っちゃくて、おバカなベイビー・ポッター。こわーい夢が本物だと思ってちまいました」

 

 魔女は、ぞっとするような赤ちゃん声で笑う。魔女の骸骨のような顔が見えた瞬間、セレネの左隣に立っていたネビルが一歩前に出た。

 

「ベラトリックス・レストレンジ!」

 

 その声は、普段の穏やかな口調からは想像もできないほど怒りに満ち溢れていた。レストレンジと呼ばれた魔女はネビルを一瞥すると、馬鹿にしたような嘲り声をあげた。

 

「おやおや、お前はロングボトム! 両親は元気?」

「お前のせいで、僕のパパとママは――ッ!!」

「ネビル、待って」

 

 ハリーが待ったをかけるのと、マルフォイがレストレンジを黙って制するのは同時だった。

 もし、両者のどちらかが遅ければ、呪文が宙を奔っていたかもしれない。

 

「我々は君たちを傷つけるつもりはない。ポッターが予言を渡せば、誰も苦しまない」

「嘘ですね」

 

 セレネはルシウス・マルフォイに杖を向けたまま、静かに呟いた。

 

「それを渡した瞬間、私たちを死の呪文で皆殺しにするつもりですよ。苦しむ暇を与えずに」

「それは誤解だ。高潔なる魔法族を傷つけることは、我が君の意志に反する」

「……つまり、ハーマイオニーは殺すってことだろ」

 

 ハリーが言った。

 おそらく、ハーマイオニーだけでない。半人間のセレネや純血主義と仲の悪いウィーズリー兄妹も殺される。生き残る望みがあるのは、高貴なる家柄である28族のネビルとノットくらいだ。むしろ、あの発言は同族のノットを救済するための措置だと考えていいだろう。

 

「なら、僕は渡せない。それに、僕たちの誰かを襲えば、これを壊すことになるぞ!」

 

 ハリーはガラス玉を掲げると、強い口調で言い放つ。

 それを聞きながら、セレネは高速でこの窮地を脱する方法を考える。この場は、ルシウス・マルフォイが仕切っている。つまり、彼がこの現場における最高責任者だ。どこかでヴォルデモートが見ている可能性は捨てきれないが、少なくとも、あのサイコパスは直接指揮ができる場所にいない。

 

 この状況に於いて、それだけが救いだ。

 ならば、策を講じれば逃げ出す算段ができるかもしれない。

 

「これは、何の予言なんだ?」

「冗談だろ、ハリー・ポッター」

「あいつが欲しがるくらいだろ? そんな重要な物には見えない」

「ダンブルドアから聞いていないのか? お前が額に傷痕を持つ理由が、神秘部の奥の予言に隠されていると――」

 

 ハリーとマルフォイが話している。

 セレネは杖を構えたまま、さっと周りに視線を奔らせた。周囲には死喰い人。いつ攻撃に転ずるかは分からない。家具はなく、予言と呼ばれるガラス玉が延々と置かれた棚しかない空間だ。ガラス玉は、ホグワーツの大広間の天井並みの高さまで置かれている。少し振動を加えただけで、あっという間に崩れてしまいそうだ。

 セレネはそれを一瞥すると、右隣のノットに小声で話しかけた。

 

「棚を壊します。私が『いまです』と合図を出したら。……隣に伝えてください」

「……分かった」

 

 セレネはそう言うと、もう片方のネビルに伝える。

 ハリーは自分の背後で何か囁く声が聞こえたのかもしれない。一瞬だけ口の動きを止めたが、こちらに関心がいかないようにするためだろうか。さらに注目を集めるくらい大きな声で、マルフォイに質問を返していた。

 

「それじゃあ、あいつは僕が予言を取りに行くのを望んでいたわけだ。でも、どうしてだ?」

「どうしてだと?」

 

 マルフォイは信じがたいとばかりに喜びの声を上げた。

 

「なぜなら、神秘部から予言を取り出すことを許されるのは、予言に関わる者だけだからだ」

「なら、あいつが直接来ればいいだろ?」

「我が君が魔法省に!?」

 

 レストレンジが高笑いをした。その声は空気を震わせ、ガラス玉が微かに震えた。

 

「我が君の復活を認めない馬鹿な魔法省へ、わざわざ出向くと!? ポッター、お前は我が君を馬鹿にしているのか?」

「そうか。だから、あいつはお前たちに汚い仕事をやらせているわけだ。スタージスを使って盗ませようとしたり、僕を使ったり――」

 

「セレネ、伝わったよ」

 

 ネビルが囁いてくる。

 セレネは少し足を伸ばし、ハリーの足を軽くつついた。それだけで、ハリーも理解したらしい。彼は微かに頷いた。

 

「そこまでして、欲しい予言なのか?」

「ポッター、お前は知りたくないのか?」

 

 マルフォイがゆったりした口調で聞いてくる。

 

「16年前、なにがあったのか。お前を苦しめ、両親を死に至らしめた予言が、いったいどのようなものなのか。気になるだろう?」

「……僕は、16年も待った。……だから、もう少しくらい待てる!――セレネ!!」

「いまです!」

 

 ハリーが叫ぶ。それに呼応し、セレネも声を上げた。

 自分を含め、6人の叫びが一斉に予言の間に響き渡る。

 

「『レダクト‐粉々』!!」

 

 6本の粉砕呪文が6つの方向に放たれ、狙われた棚が爆発した。

 そびえたつような棚がぐらりと揺れ、ガラス玉が滝のように死喰い人に降り注ぐ。途中、完全に破壊された何百もの玉からは真珠色のゴーストみたいな姿が空中に立ち昇り、煙幕のように宙に浮かび上がる。粉砕されたガラスが雨のように降って来る中、久遠の昔からの予言の声が鳴り響いていた。

 

「走れ!」

 

 辛うじて、ハリーの叫ぶ声が聞こえた。

 セレネたちはいっせいに地面を蹴った。予言者たちの姿が煙幕になり、声が足音を紛らわしてくれる。これを嬉しい誤算とでも言ったらいいのかもしれないが、もたもた逃げるわけにはいかない。

 なにしろ、自分たちにもガラス玉が降ってきている。いつ棚の下敷きになってもおかしくないのだ。セレネは懸命に足を動かし、ハリーの背中を追いかける。

 

 だが、簡単に彼を追わせてくれない。

 予言者の煙幕を突き破り、黒い煙が脇を疾走するのが見えた。その煙の中に、死喰い人特有の銀の仮面が出現する。セレネは走りながら杖先を向けた。

 

「『フリペンド‐撃て』!」

 

 素早く放った呪文は死喰い人に命中し、回転しながらはるか後方へ飛ばされていくのが視界の端に映った。

 一瞬、死喰い人に時間を割いてしまったせいで、ハリーとの距離が少し開いてしまっていた。ハリーの背中が50列目の棚を曲がる。セレネも全速力で通路を駆け抜け、急いで角を曲がった。ところが、そこにはハリーの姿が見当たらない。待ち構えていたのは死喰い人だった。

 

「アバダ―」

「『ペトリフィカス・トタルス‐石になれ』!」

 

 死喰い人が呪文を唱え終わる前に、セレネの石化の呪いが炸裂する。死喰い人は直立不動の姿勢になると、そのまま後ろ向きに倒れた。

 

「邪魔です!」

 

 セレネは固まった死喰い人を軽々跳び越え、ハリーを追いかける。

 遠くに来るとき通った扉が半開きになっているのが見える。ハリーが弾丸のように扉に駆け込み、続いてハーマイオニーとネビルが転がり込む。ところが、ここで彼らも逃げることに精一杯で、自分のことしか考えられなくなってしまっていたのだろう。ネビルが転がり込んだ途端、ハーマイオニーがろくに確認せず、杖を振るって扉を閉めてしまったのだ。

 

「嘘でしょ!?」

 

 セレネが扉に付いたときには、もう取っ手がまったく回らない。完全に鍵が閉められてしまっていた。セレネは開錠呪文を唱えようと、杖先を取っ手に向けた――その時だった。

 

「この馬鹿、止まるな!」

 

 部屋を貫くような声と共に、ノットが自分の腕をつかんで走り出す。顔の横を緑色の閃光が奔っていった。彼が手をつかまなければ、きっと閃光に当たり絶命していたことだろう。セレネは足を動かしながら後ろを振り返り、杖を迫りくる死喰い人に突きつけた。

 

「『ブラキアム・エンメンドー‐骨よ、なくなれ』」

 

 セレネの放った閃光は死喰い人に直撃し、まるで軟体生物のように崩れ落ちた。立つことはもちろんのこと、手の骨も失われたらしく、杖を握る手がだらんと垂れて狙いを定めることすらできない。

 そのまま無言呪文で、その後ろにいた死喰い人ごと後ろへ吹き飛ばした。けれど、これ以上、後ろを気にする余裕はない。ノットと自分の歩幅が違うせいで、走れば走るほど足がもつれそうになる。しばらく走ることだけに神経を割き、開いていた扉に転がり込んだ。

 

「『コロポータス‐扉よ、くっつけ』!」

 

 セレネは息も絶え絶えに唱えると、半開きだった扉は奇妙な音と共に密閉された。そのまま二人して、倒れ込むように座り込む。中央に不思議なアーチのある部屋だった。まるで円形劇場のように、周囲は崖で囲まれている。唯一、上に繋がる階段の先には、出口と思われる扉があった。中央には、石の台座が置かれ、その上には石のアーチが立っている。遠目から見ても相当古く、ひびが入りボロボロだ。アーチの内部には、白いベールのようなものがひらめいている。

 たったそれだけの部屋なのに、どこか薄気味悪く、鳥肌が立ってくる。少なくとも、予言が鎮座した棚に押し潰される心配はない。それだけは、先程よりマシだった。

 

「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」

 

 ノットが荒い呼吸をしながら、閉まったばかりの扉を睨みつけている。ここに逃げる途中、どこかで予言の破片が当たったのだろう。額が裂け、血が流れだしていた。セレネは肩で息をしながら、彼の額に杖を向ける。

 

「止血しましょうか?」

「いや、大丈夫だ。こんなもの、すぐに治る」

 

 扉の向こうからは、足音や怒鳴り声が響いてきていた。セレネは息を潜めると、その声に神経を尖らせた。

 

「ゴイルは放っておけ。放っておけと言っている!! 闇の帝王にしてみれば、ゴイルの怪我など、どうでもいいことだ。

 いいか、忘れるな。予言を手に入れるまでは、ポッターに手荒な真似をするな。他の奴らは、必要なら殺せ。ホムンクルスの頭部も傷つけるな。帝王はあれの魔眼に興味がおありだ。――黙れ、ノット。闇の帝王にとっては、お前の倅より予言を失うことの方が問題だ。二人組になって探すぞ! ベラトリックスとロドルファスは――」

「……ぐずぐずしてられねぇな。早く脱出しないと」

 

 ノットは微かに震えた声で言うと、素早く立ち上がった。

 

「ええ、そうですね」

 

 セレネも、ふらつきながら立ち上がる。一瞬、アーチの内側からひそひそと話し声が聞こえてきた気がしたが、人の気配はない。それに、死喰い人が隠れている様子もない。セレネはアーチを無視すると、腕まくりをした。

 

「ここに入って来る敵は、ここで叩きましょう。幸い、どこから入ってくるのかは分かっているのですから」

 

 セレネは閉めたばかりの扉に杖先を向ける。

 

「なに言ってんだ、ゴーント。逆の扉から逃げた方がいいだろ」

「敵の方が数が多いです。それに、向こうの方が実戦経験も豊富。まともにやり合っても勝ち目どころか、逃げ目すらありません」

「……なるほどな。だから、わざわざ二人一組で来てくれている内に数を減らそうっていうのか」

 

 ノットは口の端を上げると、扉に杖先を向ける。

 

「いいぜ、乗った」

「そう来ると思っていましたよ。……でも、あなたは逃げてもいいのですよ?」

「ルシウスさんの声を聞いただろ。逃げたところで、オレも殺害リストの仲間入りしているらしいからな。逃げて死ぬのと、お前と戦って死ぬのなら、絶対的に後者だろ」

 

 セレネは横目で軽く自分より高い背の少年を見上げる。

 わずかに震えてはいるが、眼は据わっていた。覚悟を決めたように、まっすぐ扉を睨み付けている。

 

「ノット。少し間違っていますよ」

 

 セレネは、視線を扉に戻した。呪文で封じたばかりの扉に、なにか大きなものが衝突する音が聞こえる。死喰い人たちが入ろうとしているのだろう。この空間には壁となる障害物が一つもない。扉が開いた直後から、いきなり戦闘状態に突入だ。セレネは軽く唇を舐めた。

 

「あなたは死にません。私が敵を倒し尽すのですから」

 

 それに対する彼の返事は聞き取れなかった。

 荒々しい「アロホモーラ」の呪文と共に、扉が一気に開いたからだ。

 

「「『ステューピファイ‐麻痺せよ』!!」」

 

 セレネたちの杖先から赤い閃光が、死喰い人の心臓を狙って宙を奔る。片方の死喰い人は真面に喰らい、そのまま仰け反り床に倒れ込む。しかし、もう一人の死喰い人は辛うじて避けることに成功した。仮面越しにも分かるほどの殺気を飛ばしてくる。セレネは素早く杖を振るった。

 

「『サーペンソーティア‐蛇よ』!」

「『インカーセラス‐縛れ』!!」

 

 セレネの作り出した蛇を死喰い人は杖を軽く一振りしただけで弾き返し、杖先から太い荒縄を出した。縄は蛇のように唸りながら、セレネに迫る。セレネは無言で盾の呪文を構築しようとしたが、当たる直前で進路を変える。縄はまっすぐノットに向かって行った。

 

「『プロテゴ‐守れ』!」

 

 けれど、ノットも簡単にはやられない。

 素早く盾の呪文を展開し、縄を弾き返した。少し得意げな笑みを浮かべている姿を、セレネは横目で確認する。そのままノットは貫くような動作で杖を振るった。

 

「『ステュービファイ』!」

「『ブラキアビンド‐腕縛り』」

 

 死喰い人は彼の放った失神呪文を退けると、杖を鞭のように振った。床に落ちていた太い縄が蛇のように動くと、ノットの胴体にきつく巻き付き、両腕を捉えた。

 

「っくそ!」

 

 ノットが縄を振りほどこうともがいているが、かなり頑丈に縛り付けられているのだろう。まったくビクともしない。

 

「再教育が必要のようだな、セオドール」

 

 死喰い人がしわがれ声で言うと、ノットは驚愕したように目を見開いて動きを止める。

 

「半人間ごときに騙されおって。高貴なる純血の恥さらしが!」

 

 死喰い人は声を荒げながら、邪魔そうに仮面とフードをかなぐり捨てた。若干頬がこけ、皺の目立つ顔――ノットの父親だった。以前、リドルの館で出会ったときのような優しそうな雰囲気は全くない。怒りで血走った両眼をセレネにまっすぐ向けていた。

 

「『クルーシオ‐苦しめ』!!」

 

 今まで見た中でも一位二位を争うほどの速度で、磔の閃光が宙を奔った。盾の呪文を構築する暇もない。セレネは眼鏡を投げ捨てると、そのまま横に転がるように飛び退いた。セレネは、体勢を立て直すのもそこそこに呪文を叫ぶ。

 

「『エクスペリアームズ‐武器よ去れ』!」

「効かん!」

 

 ノットの父は軽々と盾の呪文を構築する。武装解除の呪文はあっけなく弾き返されてしまった。

 

「『クルーシオ』!!」

 

 磔呪いの閃光が弾丸のような速さで迫って来る。セレネは呪文を注視すると、そこに奔る禍々しい線を切り裂いた。

 杖の使い方一つで、彼がそこらの死喰い人とは一線を画く実力者だと分かる。しかも、彼はセレネに明確な殺意と怒りを向けて来ていた。魔眼なしで勝てる相手ではない。セレネは小さく舌打ちをした。眼鏡を外したことで、案の定、ずきずきと眼の奥から脳が軋むように痛み始めている。以前より線はハッキリと見えるようになっていたが、その分、不快感も倍増だ。

 

「それ、人に使ってはいけない呪文ですよ」

 

 セレネは不敵に笑いながらも、焦りを感じていた。

 いつか魔眼を使わなければならないと感じていたが、こんなにも早くに使う羽目になるとは思ってもいなかったのである。

 

「お前は人ではない。『クルーシオ』!」

 

 三度、磔呪いが襲ってくる。そこには迷いの色など毛頭ない。セレネは呪いを注視し、見定めた線を杖先で切り捨てる。だが、彼が放ったのは磔呪いだけではなかった。磔呪いの閃光に隠すように、合わせて無言呪文も放っていたのだ。セレネは避けることもできず、閃光に当たってしまう。途端、腕が見えない縄で縛られたように括り付けられてしまった。

 

「腕を封じれば、厄介な魔眼も使えまい」

 

 ノットの父親は鼻で笑った。そのまま杖を軽く振ると、セレネの腕は意思に関係なく持ち上げられる。足も少し宙に浮き、逃げることすら敵わない。

 

「さて、大事な倅を誑かした罰を受けてもらおうか。『クルーシオ‐苦しめ』!!」

 

 それは、想像を絶する痛みだった。

 胸の内側から無理やり引き裂かれるような、正気のままナイフで肉を剥ぎ取られていくようだ。痛みのあまり息すらできず、眼を見開いてしまう。その痛みは、闇の魔術でグリンデルバルドを若返らせたときの痛みに匹敵する。

 

 だが、逆に言えばその程度だ。

 

 セレネは苦悶に顔を歪めながらも、なんとか悲鳴だけは無理やり飲み込んだ。呼吸することすら敵わず、したら最後、際限なく悲鳴が口から零れてしまう。セレネは苦痛にひくひくと身体を引きつらせながらも奥歯を噛み砕く勢いで食いしばり、ひたすら拷問の痛みに耐える。少しでも痛みを紛らわせるように、わずかながら前後に両足を揺らした。

 

「セレネッ! くそ、この縄め!!」

「お前はそこで黙ってみていろ! そして、よく見ておけ。お前が真に忠義を向けるのは闇の帝王だ。この程度の痛みに屈する半人間ではない!!」

 

 ノットの苦しそうな声が遠くで聞こえた気がする。しかし、それを遮るように父親が叫んだ。

 

「殺しはしない。帝王はこいつの魔眼に興味を抱いている。だが、この半人間の在り方に価値を見出していない。ならば、その器が壊れても問題あるまい。いや、むしろ壊してしまおう。純血を、スリザリンを冒とくした罪を味わうがいい! 『クルーシオ』!!」

 

 閃光が煌めいた。

 セレネは激痛を堪えながら、思いっきり宙を蹴り上げた。逆上がりをする時のように、勢いよく足を振り上げる。そして、そのまま閃光が胸に当たる直前で、死の線を切り落とすように呪文に足を振り落ろした。

 

 死の線は、切れば死に至る過程を無視して死を与える線だ。

 ナイフでも切れるし、杖先でも、指でもなぞれば切ることができる。要は触れればいい。ならば、足で蹴っても同じことだ。

 

 その予想は的中した。磔の呪いは、対象を目前にして四散する。

 

「なんと!?」

 

 彼は驚愕で目を見開く。そこに、わずかな隙ができた。これを逃したら、もう勝機はない。セレネは声を張り上げて叫んだ。

 

『襲え!』

 

 全霊を込める勢いで蛇語を叫ぶ。

 すると、先ほど創り出し、弾かれてしまった蛇が鎌首を上げた。金色の目を輝かせながら、背後からノットの父親に襲いかかる。彼にとって、それは想定外の奇襲だったのだろう。対応することができず、思いっきり首元を噛まれてしまった。彼は激高とも悲鳴とも取れる声を上げる。蛇がそのまま身体を縛り上げると、枝のように節のある指から杖が零れ落ちたのが見えた。

 セレネは胸の奥にまだ残る痛みを感じながら、数度、呼吸をしながら気持ちを整える。

 

「『エマンシパレ‐解け』」

 

 自分自身に向かって告げると、拘束が解かれてそのまま床に落下する。そのまま地面に崩れ落ちそうになるところを辛うじて持ち直し、杖を掲げた。

 

「『ステュービファイ‐麻痺せよ』」

 

 セレネはノットの父親に失神呪文をかける。蛇に襲われた男は、そのまま白目をむいて意識を失った。

 

『ありがとう。もういいですよ』

 

 蛇はするするとノットの父親から離れる。セレネは彼の杖を二つに折ると、血を流して倒れる男に杖を向ける。

 

「『インカーセラス』、『エピスキー‐癒えよ』」

 

 縄で縛り、軽く止血する。

 それを見届けると、床に転がった息子の方に杖を向けた。

 

「『エマンシパレ』。縄抜けの呪文は、習得しておいた方がいいですよ」

「……なんで、殺さなかったんだ?」

 

 ノットは呆然と立ち上がりながら尋ねてくる。

 

「お前、殺されかけてたじゃないか」

「……人は一生に一人しか殺せないんです」

 

 セレネは床に落ちた眼鏡を拾いながら、義父の言葉を告げる。

 

「それ以前に、敵対した人物を片っ端から殺していたら、蛇男と同じになってしまうではありませんか。

 ……この男の杖は折りました。無力化すれば、もう襲ってきません」

 

 そう言いながらも、セレネの心には少し気まずい思いが残った。

 彼の父親は、はっきりとセレネを敵視していた。大事な息子を弄んでいる非人間だと。事実、その通りだ。セオドール・ノットの意外と義理堅い性格に付け込み、これまで色々と無理をさせてきている。その結果が、この始末だ。見事、親子の関係にヒビを入れてしまった。

 そんな考えが、表情に出てしまっていたのだろうか。ノットはセレネの肩を軽く叩くと、白目をむいている父を一瞥した。

 

「……オレのことは気にするな。だいたい、最初は父上が『ゴーントの末裔に忠義を尽くせ』とか言ってきたんだ。お前の出生を知った途端、ころっと手を返した父上が悪い。

 それより、少し休んだ方がいいんじゃないか?」

「このくらい平気です。それより、そろそろハリーを探さないと……」

「いや、平気じゃない。休むのが嫌なら、肩くらいかすぜ。腕の方がいいか?」

「平気と言っているでしょ」

「だからな、お前は磔呪いを――ッ!?」

 

 彼が何か言いかけたのと同時に、扉が開いた。セレネたちはすぐに杖を向けるが、現れたのはハリーとネビルだった。二人とも血だらけで傷がない場所がない。ネビルに至っては、鼻から絶えず血を流している。

 

「ゼレネ、ぞれがら、ぎみも無事だっだんだね」

「……ごめんなさい、ネビル。聞き取りにくいです。『エピスキー‐癒えよ』」

 

 セレネがネビルに杖を向けると、ネビルの鼻血が止まった。

 

「ありがとう、セレネ」

「礼は後でです。それよりも、予言はどうしましたか?」 

「ここにある」

 

 ハリーの右手には、しっかりガラス玉が握られていた。まだ割れていない。セレネは、ほっと一息ついた。

 

「いいですか、ハリー。これは絶対に渡してはいけません」

「分かってるよ、セレネ」

「果たしてそうかな、ポッター」

 

 頭上から声が降って来る。

 階段の上の扉が開き、10人を超す死喰い人が飛び込んできた。黒い煙のように襲いかかってくる。

 

「『プロテゴ』!」

 

 セレネが前に杖を突き出し、透明な盾を出した。

 煙が晴れるとき、自分の隣には、ハリーしかいなかった。

 

「ここまでだ、お前たちはよくやった」

 

 ルシウス・マルフォイがせせら笑う。

 部屋を取り囲むように、死喰い人たちが並んでいた。ノットとネビルは捕らえられていた。否、彼らだけではない。意識を失ったハーマイオニーとルーナ、踵から血を流しているジニー、なにやら不可解な笑みを浮かべて遠くを見ているロンを腕で押さえ、頭に杖を突きつけていた。

 

「さあ、予言を渡せ。そうすれば、みんな助けてやろう。お前たちの死闘に免じてな」

「ハリー、渡しちゃだめだ!!」

 

 ネビルが叫ぶが、すぐに彼を取り押さえている死喰い人が首に杖を突きつける。

 

「ハリー、その通りです」

 

 セレネはハリーに囁きかけた。

 

「これは騎士団の言っていた武器です。絶対に渡してはいけません」

「だけど、どうすればいい?」

「こそこそ話し合う時間はないぞ」

 

 ルシウス・マルフォイはジニー・ウィーズリーに杖を向けた。

 

「お前たちには選ぶ権利はない」

 

 セレネは唇を噛みしめる。

 この予言こそ、武器だ。それは間違いない。このガラス玉に、ヴォルデモートを打ち負かす手段が吹き込まれている可能性が高い。その逆だってありえる。

 だから、絶対に渡してはいけない。それに、渡した瞬間、こちらが持っている唯一、敵に対して有効な切り札が失われてしまう。 

 

「不安なら『破れぬ誓い』を結ぼうか? 絶対に違えることができない魔法契約だ」

「……駄目、それはしません」

 

 ハリーが何か言う前に、セレネが口を開いた。

 死喰い人たちは契約の隙間をついて、殺しにかかって来る。たとえば、「予言と引き換えに、全員を見逃す」という契約を結ばせ、予言を渡した直後、実際に契約を結んでいないベラトリックス・レストレンジがアバダケダブラを放ってくるとか、非常に現実味のある話だ。

 

「3つ数える」

 

 ルシウス・マルフォイが優雅な仕草で杖をこちらに向けてくる。

 

「その間に、答えを出せ」

 

 ハリーはじりじりと後退する。

 

「3――」

「どうしよう、セレネ」

 

 ハリーの戸惑いの眼差しを感じる。

 セレネも必死で策を考えるが、良い案が一つも思い浮かばない。

 

「――2――」

 

 いっそのこと、予言を壊してしまおうか。

 しかし、それは最悪手だ。こちらに唯一残された切り札を失うだけでなく、敵を激高させてしまう。無論、予言を壊された動揺に付け込み、自分とハリーは逃げ出すことができるだろう。他にあと二三人は助け出せるかもしれない。でも、そこまでだ。半数はその場で殺される。少なくとも、気を失っているハーマイオニーとルーナを助けることができない。

 

「――1――」

 

 ルシウス・マルフォイの口が愉快気に曲がる。

 ベラトリックスたち死喰い人の低い笑い声がやけに大きく聞こえた気がする。

 

 ここは、もう、予言を捨てて、逃げるしかない。

 

 

「『アクシオ‐来い』!」

「ハリー!!」

 

 セレネの叫びもむなしく、ハリーの手から予言が飛び上がる。ルシウスは勝利の笑みを浮かべた。

 

 

 ところが、それは一瞬だった。

 優美な眉が不可解に歪む。ルシウスは確かに呼び寄せ呪文を使った。事実、呼び寄せ呪文で予言はハリーの手から離れた。だがしかし、予言はルシウスの手に行かず、そのまま向きを不自然に変えて階段の方へと昇っていく。

 

 

 

「まったく、世話が焼ける」

 

 ぱしっと音を立て、予言は階段上に佇む少年の手に収まった。

 どこにでもいそうな金髪の少年だった。よれよれになったホグワーツの制服に身を纏っているが、すれ違っても忘れてしまいそうなほど平凡な顔立ちをしている。髪の色以外、他に特徴がない。

 

「満身創痍だな、フロイライン」

 

 だが、セレネは新しく現れた少年が誰だか分かった気がした。セレネは悪びれもなく立っている少年を思いっきり睨みつけた。

 

「救援を頼んでから、どれだけの時間がたったと思っているのですか」

「支度が必要なのだ。それとも、わざと私が遅れたと? ひょっとしたら来ないのかと勘繰ったか?」

「……まさか」

 

 セレネが吐き捨てるように言うと、新参者は不敵な笑みを浮かべた。

 

「さて、ハリー・ポッター。これは私が預かるとしよう。なに、安心したまえ。A.P.W.B.D……つまり、アルバス・ダンブルドアが聞いた予言だ。ダンブルドアに聞けば全容を知ることができるだろう」

「予言をよこせ、小僧!」

 

 ルシウス・マルフォイの杖が新参者の少年に向けられる。

 彼はふっと口元を緩ませると、指揮棒を振るように軽々杖を動かす。すると、死喰い人たちの杖が向きを変え、それぞれの首を脅すようにつついた。ルシウスとベラトリックスだけが、まだ杖を握っている。

 少年はやれやれと頭を横に振った。

 

「抗えたのは2人だけか」

「貴様……何者だ!?」

「さて、フロイライン。どうすればいいか、分かるな」

 

 彼はベラトリックスの質問を無視し、セレネに話しかける。まるで、変身術の問題の解き方を説明しろと問うているような聞き方だった。この緊迫した状況下で、彼はセレネを試そうとしている。セレネはむすっとした表情のまま、流れるような杖運びで呪文を唱えた。

 

「『エバネスコ‐消えろ』」

 

 死喰い人たちの杖が火花を立てながら消失していく。

 彼らは恐怖と驚きの声を上げる。自分の杖が制御を失い、消失したのだ。もはや、未成年の魔法使いを捕まえておくことに気を向けてはいられない。

 ノットとネビルがまず抜け出した。ノットは近くにいたルーナとジニーを担ぎ、ネビルはハーマイオニーを抱え、ロンを引きずりながら駆け寄ってくる。

 

「この――ッ、よくも!!」

 

 ベラトリックスが金切り声を上げ、新参者に緑の閃光を放ってきた。もちろん、彼には届かない。軽く杖を振るっただけで、部屋の隅にいた蛇を大蛇に成長させ、死の呪いの盾にする。呪いを全身で浴びた蛇は、力なく階段を転がり落ちた。

 

「ベラトリックス・レストレンジ、ルシウス・マルフォイ。それに他の死喰い人たちよ、私は君たちと敵対するつもりはない。むしろ、君たちには敬意すら覚える」

 

 彼は死喰い人たちを迎え入れるように両腕を広げた。

 

「各々が抱く誇りのために、主人のために闘い抜こうとする意志――ああ、それは蔑まれるものではない。むしろ、尊ばれるものなのだ」 

 

 セレネはジニー・ウィーズリーの踵に応急処置の呪文を施しながら、自分の助言者を見上げる。

 

 

 

「だが、君たちの尊ぶべき忠義を向ける相手は、果たして本当にその人物か?」

 

 

欧州を恐怖に陥れた闇の魔法使い――グリンデルバルドは長年の友に語り掛けるように話し始めた。

 

 

 

 




呪文解説
『ブラキアム・エンメンド‐骨よ、なくなれ(骨よ、治れ)』:原作ではギルデロイ・ロックハートがハリーの腕を治そうとして、骨を消し去ってしまった呪文。誤った呪文例として、セレネは記憶していた。


久しぶりに活躍した直死の魔眼。
ごめんよ、不死鳥の騎士団前半は戦闘が少ないんだ……。次章では、前半部でも活躍させるから許してください。
そして、グリンデルバルド(ポリジュース薬で変身中)が参戦。
現在、彼らしい戦い方を書くのに苦戦中です。グリンデルバルドの資料がファンタビ1,2くらいしかないのが辛い……早く3の公開してくれー!!

なお、今のポッター陣営は以下の通りです。

〇ハリー (負傷。だが、まだまだ動ける)
〇セレネ (磔呪いと魔眼の副作用で速度低下中)
〇ネビル (負傷。鼻血は止まったが、杖がない)
〇ノット (一番軽症。しかし、心はズタズタ)
〇ロン  (原作通り、謎の呪文で正気を失ってる)
〇ジニー (負傷。踵を砕かれ、戦闘どころか歩行も不可能)
〇ハーマイオニー、ルーナ (気絶中)

〇グリンデルバルド(少年に変身した助言者。きっと、扉の前でスタンバってたに違いない)

次回もお楽しみに!


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