スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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新章「謎のプリンス」編、はじまります。




謎のプリンス編
72話 霧のロンドン


 ロンドン トラファルガー広場。

 

「いやね、今日も霧が濃いわ」

「天気予報では晴天だって言ってたのにねぇ」

「最近、外れるわよねー」

 

 どこかのご婦人たちが囁き合う声が、耳に入ってきた。 

 セレネは立ち止まり、頭上に立ち込める霧を一瞥する。せっかくの夏だというのに、薄気味悪く肌寒い霧が立ち込めていた。見ているだけで、嫌な気持ちになる不快な霧である。

 

「……ふん」

 

 セレネは霧から目を背けると、手近なファーストフード店に足を踏み入れる。

 レジ待ちをしている学生たちは「まるで、18世紀末に戻ったみたい」と文句を口にしていた。 

 もちろん、夏場に立ち込める季節外れの霧は、産業革命のときに充満した酸の霧ではない。

 アズカバンを放棄し、いまもはるか上空を漂っているであろう吸魂鬼が創り出す霧だ。いまも少しずつ、人々から生気を吸い上げているのだろう。

 

「本当、最低な生き物ね」

 

 セレネは吐き捨てるように呟くと、注文したハンバーガーに齧り付いた。

 『守護霊の呪文』で全てを払いのけてやりたいが、未成年者の魔法の使用は緊急時以外禁じられている。それに、ロンドンを覆いつくすほどの吸魂鬼を全滅させるほどの守護霊を創り出せる自信もなかった。少なくとも、自分一人では不可能である。

 だから、こうして苦い思いをしながら、見過ごすしかできない。

 

 いまは、まだ。

 

「相席、いいかの?」

 

 セレネがハンバーガーに苛立ちをぶつけていると、前から声をかけられる。それと共に、椅子を引く音も聞こえてきた。

 

「ええ、かまいませ――」

 

 ここまで言いかけ、セレネは眼が点になった。

 長く蓄えた白い髭、半月形の眼鏡の奥には青い瞳、床を掃きそうな長いローブ――アップルパイの包みを開けていたのは、アルバス・ダンブルドアその人だったのだ。

 

「この店に入るのは、初めてでのう。なかなか美味しそうなパイじゃ。君も頼んだかのう、セレネ?」

「い、いえ、私はハンバーガーのセットだけで……」

 

 セレネは困惑しながら、さっと周囲に目を走らせる。

 いかにも魔法使い然とした服装の老人など、周囲の注目の的になる。たとえ、指輪物語のコスプレだと思われても、確実に目を引くこと間違いなしだ。

 ところが、誰もダンブルドアを気にしていない。

 外の霧を不快そうに見つめながら、おしゃべりに花を咲かせている。

 

「……認識を阻害する魔法ですね」

「左様。実は君と話したかったのじゃよ、セレネ。何分、学期中は時間が取れなかったのでのう」

「……ダンブルドア先生、質問をしていいですか?

 魔法省から学校に私を送り届けてくれた時、どのような手段を使ったのか、教えてください」

 

 セレネはダンブルドアの瞳をまっすぐ見つめ、毅然とした態度で尋ねる。

 すると、ダンブルドアは優しそうな笑みを浮かべた。

 

「移動キーじゃよ。ハリーが右で、君が左じゃ。

 わしは本物じゃよ、セレネ。しかし、しっかり確認しようとした点は見事じゃ」

「ありがとうございます。それで、話とは何でしょう? 私、この後に予定が入っていますので」

 

 セレネはダンブルドアの目元を見ながら、しっかり答える。

 嘘ではない。この後、ジャスティンとダイアゴン横丁で買い物の約束をしている。学期末、彼とホグズミード村に行く約束をしていたのだが、当日、セレネは神秘部の戦いで負った怪我で入院していた。その埋め合わせとして、一緒にダイアゴン横丁に行くことになったのである。

 

「ほう、予定?」

「ええ、ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーと買い物の約束を。先日、OWL試験の結果も届きましたし、新しい教科書も買わないといけません」

「君は全ての試験に合格していたのう。実に素晴らしい成績じゃった、おめでとう」

「ありがとうございます、先生」

 

 正確に言えば、10科目中優秀が8科目、期待以上が魔法生物飼育学、平均が天文学だった。なかなか満足のいく出来栄えで、試験結果が届いた日は、義父と一緒にお祝いをしたものだ。

 

「この成績なら、どこも引く手数多じゃ。進路は決めたかのう?」

「実は、まだ悩んでいます。選択肢が多いのは非常に幸せですが、少し困りものですね」

 

 セレネはにこやかな微笑みを作ると、ハンバーガーの包み紙を折り畳み始めた。

 

「……そろそろ、本題に入られたらどうです?」

「うむ、そうじゃのう」

 

 ダンブルドアはアップルパイをテーブルに置くと、じっとこちらを見据えてくる。

 

「Mと名乗った少年のことじゃ」

「ああ、彼のことですか」

 

 セレネは手元に目を移す。

 いつか聞かれるだろうと、予想していた話題だった。

 

「私も詳しいことは知りませんよ?」

「知っていることだけで構わん」

「……リータ・スキーターに紹介された人物です」

 

 セレネはコーラをストローで掻きまわしながら答えた。

 

「ダンブルドア先生のことです。私が蛇男を倒したがっていること、ご存知ですよね?

 私があのサイコパスを倒す方法を探している時、リータが紹介してくれたのです。『あんたの協力者になりたがっている少年がいる』とね」

「ふむ、リータ・スキーターの紹介でのう?」

 

 ダンブルドアの訝し気な視線を感じる。だが、それを逸らすように、セレネは話を続けた。まさか、あの少年の正体がグリンデルバルドだと知られるわけにはいかない。ただ、そうでないとなると、どうやって知り合ったのか不明瞭になってしまう。

 なので、ここはリータ・スキーターを言い訳に使うことにした。あの腐った新聞記者はそれなりの人脈を持っている。たとえ、彼女がダンブルドアに糾弾されたとしても、なんとか躱すことくらいできるだろう。むしろ、躱してくれないと困る。

 

「ええ。ただ、彼女自身も少年のことを詳しく知らないみたいでした。

 私の前でも『マーチン・ヒューイット』と名乗っていましたが、きっと偽名でしょう。注意して接しないといけないと思っています」

「ほう、なぜ偽名と?」

「マーチン・ヒューイットといえば、推理小説の主人公ですよ。ホームズが一度、完結した時に連載されていた作品でして、たしか……変装によって、ありとあらゆる人物と仲良くなれる探偵です。もし、お読みになりたいのであれば、お貸ししますが……」

 

 それを聞いて、ダンブルドアはしばし考え込んでいるようだった。

 セレネもこの肌を刺すような沈黙の中、自分の返答が間違っていなかったかどうかを考える。

 

 グリンデルバルドは変装を得意としていた。

 今回はポリジュース薬を使ったようだが、アメリカの魔法省に潜入した時など通常の変身術で大臣までも欺いていたと聞いたことがある。

 ダンブルドアがそのことを感づく可能性はあったが、彼が偽名に用いた人物はマグル小説の主人公だ。どちらかといえば、反マグル主義だったグリンデルバルドが探偵小説など読むわけない。

 今でこそ、探偵小説を好んで読んでいるらしいが、投獄される前に嗜むわけがなかった。

 

 そもそも、グリンデルバルドは公式に死んでいる。

 普通に考えれば、そのつながりを疑われるわけがない。

 

「ところで、先生。シリウス・ブラックのことですが――」

 

 だがしかし、用心に越したわけではあるまい。

 セレネはダンブルドアの思考を遮るように、声をかけた。

 

「彼はその後、どうなったのでしょう?」

「生きておるよ。じゃが、戦線に戻れるかどうかというと難しい所じゃ」

 

 ダンブルドアは静かに答える。セレネは首を傾げた。

 

「首の骨が折れてしまっておる。もちろん、骨は治せるが神経の治療となると、現代癒術では極めて困難じゃ。

 それでも、戦線に戻れなくはないが――以前のように戦うのは不可能じゃろうよ。しばらくは、入院生活じゃ」

「そうですか……悲しいですね」

「話が変わるが、セレネや。わしも君にもう一つ、聞きたいことがあってのう。君はゴーントの家を訪ねたことがあるかの?」

 

 最後の一言を耳にしたとき、セレネのストローを掻き混ぜる手が止まった。

 

「……ええ。一昨年の夏に」

「その時、なにか不思議なものを見つけなかったかの?」

 

 セレネは問いかけの返答に悩んだ。

 なんとなく、あの指輪のことを聞かれているのだと分かった。分霊箱だった指輪は、今もセレネの鞄の奥底に眠っている。だが――別に廃屋に行ったことは危険な行為だったかもしれないが、分霊箱を壊す際には、魔法も使わず、直死の魔眼で片付けた。校則や法律に違反しているわけではない。

 

「はい。指輪を一つ見つけました。不思議な魔法がかけられていたので、魔眼を使って壊しました」

 

 だから、セレネは正直に答えた。

 問題はその後、ダンブルドアがどう切り返してくるかだ。

 

「その指輪を見せてもらえないかの?」

「……はい、どうぞ」

 

 セレネは鞄から指輪を取り出すと、ダンブルドアの手に乗せる。彼の青い瞳が指輪に嵌められた石を見ると、興味深そうに光った。

 

「この指輪、しばし預かってもいいかの?」

「……理由をお聞きしても構いませんか?」

 

 セレネが聞き返すと、ダンブルドアは指輪の石に目を向けたまま口を開いた。

 

「この指輪には、ヴォルデモートが闇の魔法をかけておった。他にもかけていないか、調べる必要があるのでの」

 

 確かに、ダンブルドアの言う通り、この指輪にかけられた呪いをすべて壊したわけではない。

 なにしろ、この指輪を心構えも何もなく魔眼で視ると、吐き気がするほど多種多様な魔法が込められていた。もっとも際立って邪悪な存在は切り殺したが、他の魔法まで殺すとなると気が遠くなる作業である。

 それに、すべての魔法が悪い魔法とも限らない。セレネの魔眼が映し出す「死の線」は、良い魔法も悪い魔法も区別なく現れる。だから、分別がつきがたいのだ。

  

 それでも、今まで持ち歩いていたのは、指輪の中央――ペベレル家の紋章が刻まれた黒い石に「死の線」が奔っていなかったからだ。万物の死を表すはずの線が奔っていない存在は、極めて珍しく興味深い。

 いずれ、機会があった時に解明したいと思い、持ち歩いているが――別に今すぐ解明できるわけではない。

 

「分かりました。ですが、いずれ返してくださいね」

 

 セレネがすんなり了承すると、ダンブルドアは嬉しそうに微笑んだ。彼は指輪を大事そうにつまむと、ローブのポケットの中に滑り込ませた。

 

「さて、セレネ。君にはあと2,3ほど伝えなければならないことがある。これ以上、君の友人を待たせるわけにはいかないのでのう」

 

 ダンブルドアはそう言いながら、ちらりと窓の外へ目を走らせた。セレネもそちらに視線を向けると、ジャスティンがうろうろしている姿が見えた。そわそわと通りを行ったり来たりしている。

 

「君は、すでに自分の出生の真実を知っているのう?」

「……はい」

 

 セレネは頷いた。

 あまり聞かれたいことではないし、進んで話したいことでもない。

 

「私は人間ですよ」

「左様。君の在り方は、間違いなく人間じゃ。だが、怒らないで聞いて欲しい。これが、寿命の問題になると、心持ちではどうにもならない」

「……そう、ですよね」

 

 セレネは少しだけ俯いた。

 稼働期間が定められたホムンクルスの精と人間の卵子。そこから生まれた存在が、そう長く生きられるはずがない。第一、人造的に生み出された動物は、総じて寿命が短く、なにかしらの欠陥を抱えていることが多いと聞く。頭のどこかで覚悟していたことだが、実際に指摘されると心苦しくなった。

 

「それで、ダンブルドア先生の見立てだと、私の寿命はどれくらいなのでしょう?」

 

 セレネは少し明るく、おどけたような聞き方をする。ダンブルドアの顔は、酷く悲しそうな色をしていた。

 

「現代癒術でも寿命を図ることはできんが、おそらく60年は生きられるじゃろう」

「60年、ですか…………って、は?」

 

 セレネは一瞬、きょとんとした。

 

「60年?」

「左様。残念ながら、君の母体は魔女ではない。マグルの女性じゃからのう。マグルの平均寿命分は生きることができるじゃろうが、その先は蓋を開けてみなければ分からない話じゃ」

「……いや、その、もっと短いかと思っていました」

 

 むしろ、魔法使いが長生き過ぎるのだ。

 ダンブルドアにしろ、グリンデルバルドにしろ、100歳越えても現役の人物がいる時点でおかしい。

 あと60年もあれば、それこそ、就職して、いずれ結婚して、義父に孫の顔を見せることだってできる。少なくとも、普通に生きてさえいれば、最愛の義父より先に死ぬことはないだろう。

 

 もっとも、いまだにセレネは死が怖い。

 できるだけ先延ばしにしたい事象だが、想像していたよりも遥かに先のことで、恐怖より驚きの方が勝っていた。

 

 

「うむ。普通に生きるには十分にある。何分、君は生まれるにあたって大して調整は受けていないようじゃからのう。

 だからの、セレネ。君は生き急がなくていいのじゃよ」

 

 ダンブルドアは立ち上がると、セレネの頭を軽くポンと叩いた。

 

「君は生き急ぎ過ぎておる。

 ヴォルデモートのことも、義父君のことも――。君が一人で抱え込む必要はないのじゃよ」

「先生、なにを――?」

「困った時は、周りの大人に頼ればいいのじゃ。君が義父君を守りたいなら、わしは喜んで手を貸そう」

 

 ダンブルドアは問いかけてくる。

 彼の言い分は、確かに正しい。

 グリンデルバルドやリータ・スキーターといった怪しげな大人に頼るのではなく、もっと身近で信頼できる大人を頼りにすればいい。その方が、ずっと楽だし、きっと効果的だ。

 

「そうですね、ありがとうございます」

 

 セレネは、ダンブルドアの手を退けながら立ち上がる。

 

「必要な時が来たら、お願いします」

 

 だが、いまはいい。

 それに、ダンブルドアが義父を守護する方法は予想できる。騎士団のメンバーを護衛に付かせるくらいならいいが、おそらくは「忠誠の術」の方だろう。

 この魔法は、生きた人間に秘密を封じ『秘密の守人』とすることにより、秘密を持つ当人か、守人が漏らさない限り、封じた秘密が外部に漏れることはない。つまり、守人が秘密を洩らさない限り、ヴォルデモートが義父の目と鼻の先にいたとしても、存在を感知することすらできないのだ。

 

 

 実に素晴らしい最高の守護呪文だろう。

 ところが――これをすると、義父は仕事を辞めなければならなくなってしまう。仕事だけではない。友だち付き合いや近所を出歩くことすらできなくなってしまうのだ。

 

 

 セレネとしては、最愛の彼を守りたい。だが、彼の自由を剥奪するのは違う気がした。

 おこがましいことかもしれないが、彼には何も知らせず、感づかせず、いままで通りの日常を送ってもらいたいのだ。

 そのなかで一番いいのは自分が傍に居続けることなのであるが、ホグワーツに在籍している現状、不可能である。それこそ、不死鳥の騎士団に義父の護衛を要請してもいいのかもしれないが、悲しいことに、マグル生活に馴染め、溶け込める魔法使いは滅多にいない。そう考えると、いまからマグルに不慣れな騎士団に頼むより、1年以上もマグルの生活を続けたリータ・スキーターの方が、義父は違和感を持つことなく、日常を送ることができるだろう。

 

「それでは、先生。学校で会いましょう」

「……そうじゃの。何かあったら、すぐに来るとよい。だから、自分一人でヴォルデモートを倒そうと考えるでないぞ?」

「まさか!」

 

 セレネは最後にとびっきりの笑みをダンブルドアに向けた。

 

「一人で立ち向かおうなんて、さすがに無謀ですよ。私、まだ死にたくないので」

 

 もっとも、グリンデルバルドの手を借りて立ち向かうつもりだが。

 セレネはダンブルドアの眼差しを背中に感じながら、出口へ歩みを向けた。

 

「あっ、セレネ!!」

 

 店の外に出ると、ジャスティンが嬉しそうに近寄ってきた。とても小綺麗な服装をしている。彼の羽織っている上着だけでも、義父のシャツとズボンを合わせた以上の金額がする気がした。もしかしたら、ホグワーツの制服より高いかもしれない。それだけ、質のよさそうな服装をしていた。

 セレネは、ありふれたシャツにスカート姿で来たことを少し後悔する。今の服装で彼の隣で歩くと、ややみすぼらしく感じるだろう。

 

「どうしました? なんだか、表情が暗いですけど……?」

「いえ、この天気が嫌なだけです。

 ダイアゴン横丁に行くというのに、この天気はないですよね」

 

 セレネは嘘をつきながら、空を嫌そうに見上げた。

 

「大方、吸魂鬼のせいだとは思いますが」

「そうですよね。この気候は、僕も嫌な感じがします」 

 

 ジャスティンも納得したように答えてくれた。

 正直、ダンブルドアとの問答より彼と話していた方が気楽だ。彼の考えていることなど、だいたいが手に取るように分かるし、思考を誘導することなど容易である。

 そのやり過ぎは、ハリー・ポッターのような結果を生み出すわけだが、ジャスティンに限ってそれはないだろう。

 

 セレネたちはトラファルガー広場を出て、チャリング・クロス通りへ向かう。

 その間、セレネたちはマグルのバンドが出した新曲の話とか、ホグワーツにいる間に話題になっていた最新の怪獣映画についてなど、他愛のない話で盛り上がった。

 セレネは頭上の吸魂鬼のことなど、すっかり忘れて話し込んでしまう。

 

「復活のシーンは『さすが!』と思いました。まさか、放射能を吸収して復活するなんて!」

「私も同意見です。設定が活きていますよね。今回の敵も強かったですよね。能力もそうですけど、進化したり分裂したり飛翔したりと、本当にしぶとくて――」

 

 

 ――しかし、それは「漏れ鍋」の扉を開けるまでだった。

 セレネは扉を開けながら「見入ってしまった」と続けようとして、言葉を止める。

 

 いつもは魔法使いの活気で溢れているパブが、しんと静まり返っているのだ。バーテンの老人だけが、寂しそうに背中を丸めて座っている。

 バーテンはセレネたちが入ってくると、期待顔で見てきた。

 

「坊ちゃん、嬢ちゃん、なにか頼みますか?」 

「えっと……セレネ、どうします? 何か食べますか?」

 

 ジャスティンが困った顔で見てきたので、セレネは申し訳なさそうな顔をした。

 

「まず、買い物をしてからにしましょう。その後、時間があれば……」

 

 セレネが答えると、バーテンは陰気に頷き、グラスを磨き始めた。

 そのままパブを通り抜けて、肌寒い裏庭に出る。セレネは杖を取り出すと、壁の煉瓦の一つを軽く叩いた。すると、たちまち壁がアーチ型に開き、その向こうに曲がりくねった石畳の道が延びていた。

 

「……漏れ鍋、様子がおかしかったですね」

 

 ジャスティンが後ろを振り返りながら、怪訝そうに呟いた。セレネは小さく息を吐いた。

 

「大方、あいつの復活が認知されたからでしょう」

 

 ダイアゴン横丁も様変わりしていた。

 きらきらと色鮮やかに飾りつけされていたショーウィンドウの、呪文の本も魔法薬の材料も大鍋も、その上に張り付けられた魔法省の陰気なポスターに覆われて見えない。ポスターのほとんどは魔法省が配布している保安上の注意事項を拡大したものだが、まだ捕まっていない「死喰い人」の手配写真もあった。

 

「……酷い有様」

 

 セレネはアイスクリーム・パーラーに板が打ち付けられている様子を一瞥した。

 ヴォルデモートの復活が知れたというだけで、ここまで横丁が陰気に落ちぶれてしまうのだ。これでは、経済効果も何もあったものではない。

 ヴォルデモートは自分が魔法界の頂点に立った後、経済がどうやって回っていくのか、考えたことがあるのだろうか。おそらく、そこまで頭が回らないのだろう。なにしろ、ホグワーツで経営・経済学は教えてくれない。

 

「……オリバンダーもいなくなったのですね」

 

 閑散とした老舗杖メーカーの前を通り過ぎるとき、ジャスティンが悲しそうに呟いた。

 

「新聞では、拉致されたと書いてありましたよね」

「杖職人を拉致なんて、ぞっとしますね。死喰い人たちの杖が壊されても、また製造されてしまいますから」

 

 セレネの脳裏に、ベラトリックス・レストレンジの顔が浮かんだ。

 彼女を捕らえた際、確かに硬い杖を二つに裂いた。あれでしばらくは無力化できると思っていたが、ヴォルデモート側がオリバンダーを手中に収めた以上、ベラトリックスも再び杖を手に入れている可能性が高い。

 

「とりあえず、さっさと買い物を済ませましょうか」

 

 この通りを歩いても、暗い気持ちになるばかりである。

 通りだけでなく、薬問屋もマダム・マルキンの洋裁店も店内には暗い空気が漂っている。書店ですら普段とは異なる陰鬱な空気で、ジャスティンが早く出ようと促してくる始末だ。

 

「……これなら、マグルの店を回った方が、楽しいかもしれませんね」

 

 セレネが購入した本を抱えて書店から出ると、彼は寂しそうに笑っていた。

 

「暗すぎますよ。ノクターン横丁みたいです」

 

 ジャスティンはそう言いながら、冴えない店頭を見渡した。

 おまけに閉店した店の前では、いかにも怪しげな露天商が歯のない口で笑っている。彼の言う通り、いまやダイアゴン横丁は、健全な青少年が来る場所ではなくなってしまっていた。

 

「ジャスティン。帰る前に、双子のウィーズリーの悪戯専門店に寄ってもいいですか?」

 

 セレネは口を開いた。

 

「この辺りにあると聞いているので」

「ええ、かまいませんよ。ちょっぴり、僕も興味があります――って、うわっ!!」

 

 ジャスティンが道の真ん中で立ち止まった。

 この陰鬱極まる横丁に於いて、フレッドとジョージの悪戯専門店だけが異彩を放っている。巨大なピエロ人形がマジックを繰り出していたり、ウィンドウに張り出された広告一つ一つが花火大会のような華やかさを放っていたりしている。ウィンドウに陳列された何かが、常に跳んだり光ったり弾んだり叫んだりしていて、見ているだけで目がちかちかしてくる。

 

「ここ、凄いですね」

 

 セレネとジャスティンは引き込まれるように、店の中に入った。

 この場所だけが、以前のダイアゴン横丁の活気に近い。否、それ以上の賑わいを見せていた。お客は満員で、誰もが目を光らせて商品棚に群がっている。

 マルフォイたち尋問官親衛隊を苦しめた「ゲーゲートローチ」など大人気らしく、空箱が押し潰されていた。ぽんっと音を立てながら姿を変える「だまし杖」、自動綴り修正機能付きの特殊羽ペンや食べると吐き気がする「闇の印キャンディー」など、興味深い悪戯グッズで溢れている。

 

「お嬢さん、我が特製の『ワンダーウィッチ』はご覧になったかな?」

 

 セレネの背後で声がした。

 振り返ると、フレッド・ウィーズリーが、ニッコリ笑って立っていた。赤紫色のローブが、燃えるような赤毛と見事に反発しあっている。

 

「セレネ、ジャスティン、元気か?」

「ええ。とても繁盛していますね。ところで、ワンダーウィッチとは?」

「ああ、あれのことさ」

   

 フレッドは窓の傍を指さした。

 その一角は思いっきりピンク色の商品が並べてあり、女の子たちがくすくすと笑い合っている。

 

「どこにもない最高峰の『惚れ薬』さ。

 もっとも、君には必要ないかもしれないがね」

 

 フレッドはそう言いながら、ジャスティンを愉快そうに一瞥した。彼は惚れ薬のパッケージと同じくらい頬をピンク色に染まっている。セレネは少し怒ったような口調で聞き返した。

 

「……何を言っているのか分かりませんが、これって本当に効くんですか? 下手したら、騒動の元になりますよ?」

「もちろん効くさ。一回で最大四十八時間――」

「――投薬する相手の体重にもよるがな」

 

 フレッドの声にかぶせるように、人を落ち着かせるような男性の声が降って来る。

 セレネとジャスティンが顔を上げると、そこには優雅な服をまとった壮年の男性が立っていた。黒々とした髪をオールバックにした彼は、ひどく面白そうに微笑んでいた。

 

「ああ、この旦那が薬の調合を手伝ってくれたんだ」

「八割方の調合は、君たち兄弟がやったものだろう? 私は、その仕上げを担当しただけだ」

「いやいや、謙遜するなって。旦那のおかげで効能が延びたじゃないか。

 紹介するぜ、セレネ、ジャスティン。この人は、パーシバル・グレイブス。俺たち悪戯仕掛人の支援者だ」

「……パーシバル……」

 

 セレネは男性に訝しむような眼差しを向ける。

 何故だか、非常に嫌な予感がする。だが、自分が思い描く人物ならば、間違っても惚れ薬を作る手助けなどするわけがない。というか、イメージ的にして欲しくない。

 そんな思いを込めて睨んでいると、パーシバルと紹介された男性はふっと笑った。

 

「君のように才能あふれた若者を支援するのは、年長者として当然のことだ。それに、私としても勉強になる部分も多い」

「……惚れ薬の調合がですか?」

「いままで関わったことのない分野に挑戦するのも、最近の楽しみの一つでね。もっとも―――」

 

 パーシバル・グレイブスは瓶を手に取ると、急に声を潜めた。少し身をかがめ、セレネとジャスティンにしか聞こえないくらいの声で話し始める。

 

「――この薬で手に入る愛は、偽りの愛だ。最初から愛のない相手に投薬するよりは、最後の最後で踏み切れない相手に投薬することをお勧めする。

 今なら、わずか5ガリオンだ。購入するかね、フロイライン? そこにいる彼氏のために使うか?」

「友達です」

 

 セレネは、きっぱり否定した。

 そして、パーシバルの袖を力強くつかむ。 

 

「すみません、ジャスティン。私、ちょっとこの人と話があるので」

 

 そのまま、セレネはジャスティンの返事も待たず、パーシバルの袖を引っ張りながら店の端っこに来る。本当なら外に出て話をしたいところだが、今のダイアゴン横丁で内緒話をするのは、ホッグスヘッドで秘密の会議を開くのと同じくらい危険極まりない。

 それをするくらいなら、まだ賑やかな店内で話し合う方がマシだ。

 

「……どういうつもりですか?」

 

 ジャスティンたちから随分離れた場所まで来ると、セレネは腰に手を当てて問いただした。

 

「双子のウィーズリー兄弟の手助けをするなんて……何を企んでいるのですか?」

「半分は君のためだ、フロイライン」

 

 そう言いながら、彼は棚に陳列された黒い球体を手にした。足が生えており、いそいそと彼の手の中から逃げようとしている。

 

「おとり爆弾だ。どこかへ潜入するときに役に立つ。この爆弾の作成を依頼したのは、この私だ。あちらの棚にあるペルー産のインスタント煙幕もそうだ。あれも死喰い人との戦闘で役に立つだろう」 

「分かりました。それで、もう半分は?」

「私の趣味だ」

 

 パーシバル・グレイブス――もとい、グリンデルバルドは悪びれることなく、きっぱりと言い放った。

 

「第二の人生を歩む、私の趣味だよ。

 それに、先程も話したが、才能あふれる若者を支援するのは、年長者としての務めだ。あの若者たちがどこまで成長するのか……実に興味深い」

 

 彼は楽しそうに言いながら、おとり爆弾を棚に戻した。爆弾は棚の暗がりに向かって、いそいそと走り去っていく。

 

「……本当に、それだけですか?」

 

 セレネが疑ってかかると、グリンデルバルドは心外そうに首を縦に振った。

 

「君を騙すわけないだろう、フロイライン。契約のありなしにかかわらず、私は嘘はつかない」

「言葉で紛らわすことはありますよね?」

 

 セレネはまっすぐ彼を睨み付けた。

 

「たとえば、あの双子たちを助長させて、破滅させるつもりとか?」

「ああ、フロイライン。君は勘違いをしている」

 

 今度は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「君がマスターで、私はサーヴァント――つまり従者だ。マスターの意に沿わないことはしないさ。表でも、裏でもね」

 

 そう言いながら、彼はセレネの手の中に羊皮紙を握らせた。

 

「これは……?」

「そこに書いてある時間は空けておくように。君を迎えに行こう」

 

 グリンデルバルドは長い足を動かし、セレネの横に立った。少し背を屈め、そっとセレネの耳元で囁く。

 

「分霊箱が隠された場所が見つかった。私では破壊できない、君の力が必要だ。……では、フロイライン」

 

 それだけ言うと、グリンデルバルドは立ち去っていった。

 セレネは慌てて振り返り、後を追いかけようとするが、すでに姿をくらませている。店内のどこを見渡しても、育ちのよさそうな紳士の姿は見当たらなかった。

 

「……本当に読めない人」

 

 セレネは呟くと、羊皮紙に目を落とす。

 

《7月28日 19時。 裏手の森》

 

「……いつのまに、住所を調べたのよ」

 

 しかも、指定された日時は今夜だ。

 今日、会えなければどうするつもりだったのだろうか。それとも、彼の未来視で今日の光景を予見していたのだろうか。

 

「ま、どっちでもいいけど」

 

 セレネは紙を丸めると、ポケットの中に押し込んだ。

 出口の方に目を向ければ、ジャスティンが何やらそわそわとしている。フレッドもこちらの様子が気になるのか、ジャスティンと話しながら、ちらちら視線を向けてきていた。早く戻って、彼らを安心させた方がよさそうだ。

 セレネは肩をすくめると、おとり爆弾やインスタント煙幕を数個抱え、彼らの元へと歩き出した。

 

 

 

 分霊箱がどこに隠されているにしろ、万が一に備えて戦闘の準備は整えた方がいい。

 

 

 

 セレネは帰宅すると、双子の店で買ったばかりの品を検知不可能拡大呪文をかけたウェストポーチに詰め込んだ。すぐに動きやすい服装に着替え、愛用の杖をポケットに差し込む。

 幸いなことに、義父は飲み会で出かけている。リータが護衛で付いていっているので、特に外出を誤魔化す必要はない。しかも、行く先は自宅の裏手にある森だ。

 セレネが庭の柵を乗り越え、森の奥へと進むと、遠くから青白い灯りが近づいてくるのが分かった。「ルーモス」の呪文が作り出す灯りである。セレネは杖を握りしめ、近づいてくる人影を睨みつけた。

 

「……それで、どこに行くのですか?」 

「ヴォルデモートが子供の頃、訪れた海岸だ」

 

 静かに告げた彼は、いつも両面鏡越しに見る彼本来の姿だった。淡いブロンドの髪を逆立たせ、白くて薄い口髭を蓄えている。

 

「私の手を握るといい、フロイライン。私が君を導こう」

 

 彼は、そっと右手を差し出してくる。

 セレネは小さく息を吐くと、彼の手を軽く握った。

 途端、セレネは回転した。

 身体が圧縮されるような気持ち悪さを感じる。ただの「付き添い姿くらまし」だとは分かっていたが、吐きたくなるような不快感であることには変わりない。セレネは思わず目を瞑った。

 

「さあ、ここだ」

 

 グリンデルバルドの声が聞こえる。 

 セレネがそっと瞼を開けると、冷たい暗闇の中に立ち、胸いっぱいに新鮮な潮風を吸い込んでいた。

 

 

 

 

 





ー注意事項ー

原作でも暗い描写の多い章ですが、本作でも一部暗く、きわめて鬱っぽい展開が入ってきます。お読みになって、嫌な気持ちになられる方もいるかもしれません。
ですが、本作はハッピーエンド予定の作品です。
本作はもちろん、この章も最後まで読んだとき、どこか暖かな気持ちになることができるよう描いていきます。

それでは、「謎のプリンス編」をよろしくお願いします!!



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