「魔法薬学?」
セレネは、訝し気に聞き返してしまった。
魔法薬学といえば、スリザリン寮の寮監 セブルス・スネイプが教えていた科目である。
不死鳥の騎士団員であり元死喰い人と言う立場もあり、いろいろと複雑な立場もあるだろうが、日刊預言者新聞を読む限り、彼が死んだとか行方不明になったという記事は掲載されていない。
では、彼はどうなってしまったのだろう?
セレネが少し悩んでいると、スラグホーンはくすくすと笑った。
「ああ、セブルスのことを気にしているのだね? いや、なに心配は無用だ。
彼は『闇の魔術に対する防衛術』の教授に着任した。彼も私の教え子でね、眼をかけていた生徒の一人だよ」
「そう、ですか。安心しました」
セレネは安堵した様子を見せる。そして、ゆっくりと口元に微笑を浮かべた。
「お誘い、ありがとうございます。ただ、まだ見回りがありますので、その後にお伺いしますね」
断ることはできなかった。
むしろ、断る理由が見当たらない。
ダフネたちと昼食をとることができないのは残念だが、魔眼のせいで教授から目を付けられてしまっている。誘いを断って、悪感情を抱かれたり、逆に余計な興味を抱かれても困る。
6年生の学校生活に余計な波風を立てぬためにも、ここは誘いに乗るしかなかった。
「それは何よりだ。ところで、名前を聞いてもいいかね?」
「セレネ・ゴーントです、先生」
「ああ! 君があの『ベラトリックス・レストレンジ』を倒した生徒か! それにしても、ゴーント……もしや、聖28族の――……いや、あの家は廃れたはず……」
「あー……実は、父親のことは詳しく知りません。物心ついた頃から、マグルの義父の下で育ちましたから」
まさか父親は、マールヴォロの骨から創り出されたホムンクルスだと口が裂けても言えない。
しかし、まかり間違って、ヴォルデモートと血縁関係があると思われるのも癪だ。もちろん、ゴーント家とヴォルデモートとの繋がりを知っている者は少ないだろうが、念のためである。
セレネは恥ずかしそうに頬を掻きながら、そっと言葉を続けた。
「ですが、母は魔女です。メアリー・スタインという名前でして――」
「ほっほう! スタイン家の御令嬢か!」
スラグホーンは愉快そうに微笑みながら、口ひげを擦った。
「かの錬金術師、ヴィクター・フランケンシュタインの末裔ではないか! 歓迎するよ、セレネ。では、昼食の席で会おう」
スラグホーンは、大変満足そうな顔をして去っていった。
そのでっぷりとした後姿を微笑みながら見送り、彼の姿が後ろの車両へと完全に消えたとき、顔から微笑みを消した。
「……さてと、どういうことかしら」
セレネは車両の見回りを続けながら、少し考え込む。
『闇の魔術に対する防衛術』の教師は変わり者が多いが、それ以上に呪われた教科とも噂されている。
この教科の教授は、一年より長く続かないのだ。死、記憶喪失、秘密の暴露――多種多様な理由で辞職している。無論、スネイプは長年「闇の魔術に対する防衛術」の職を希望していたという話は聞いていたが、彼とてこの呪いについて無知な訳あるまい。
では、何故、このタイミングで彼は防衛術の教授に就任したのだろう。
ダンブルドアの意図はどこにあるのか。
スネイプに対する「辞職しろ」という通告なのだろうか。
結局、考えはまとまらなかった。
車両の見回りを終え、コンパートメントに戻る。
スラグホーンの昼食会に招待されたことを話すと、ダフネとアステリアは少し寂しそうな顔をしていた。セオドールは不機嫌そうな顔で頬杖をついたまま、何も言わなかった。
セレネは三人に向けて
「なるべく、すぐに戻ります」
とだけ言うと、スラグホーンのコンパートメントに向かった。
昼時が近いこともあり、先程よりも多くの生徒がランチカートを待つために通路に出ていた。多くの生徒がセレネをよく見ようと、すれ違いざまにじろじろ視線を向けてくる。
セレネは沸々と沸き上がって来る苛立ちを隠しながら、静かにコンパートメントの扉を叩いた。
「おお、セレネ。来てくれたか」
スラグホーンが立ち上がった。
ビロードで覆われた腹が、コンパートメントの空間を全て埋め尽くしているように見える。
「よく来てくれた。さあ、ブレーズの隣に。彼は知っているかね?」
「ええ、まあ」
セレネはそう言うと、背が高い黒人の少年の横に腰を下ろした。
いま、このコンパートメントにいるのは、セレネとブレーズ・ザビニ、そして、ジニー・ウィーズリーだ。ザビニが悠然と腰を下ろしているのに対し、ジニーは居心地悪そうに縮こまっていた。
「まあ、とは酷いな」
セレネがジニーの方を見ていると、ザビニが気取った感じで口を開いた。彼は身振りを付けながら、大げさに項垂れてみせる。
「6年間、同じ寮じゃないか」
「ほほう、つまりセレネ。君もスリザリンなのだね?」
スラグホーンの眼が光った。
彼は口ひげを擦りながら、実に嬉しそうに話し始める。
「いやなに、私は昔、スリザリンの寮監だったのだよ。贔屓するわけではないが、スリザリンのOBには知り合いが多くてね。そうだな、たとえば、ロジエールやノットにエイブリー……そうだ、ノットという名に聞き覚えはないかね? 聖28族の一家だよ。私の教え子でも互いのクリスマスパーティーに招待するほどの仲だったのだが、最近はとんと連絡がなくてね。彼の息子が、ホグワーツに在籍していると思うのだが……」
「ああ、セオドールの父親ですか。確か先日、魔法省で逮捕されましたよ」
ザビニが答えると、スラグホーンの顔から笑みが拭い取られた。途端、スラグホーンはばつの悪そうな顔になり、視線をザビニから逸らす。
「う、うむ。そうか。まあ、そういうこともあるだろう。まあ、他にも卒業生に知っている人はたくさんいてね――」
「ザビニ、意地が悪いですよ」
セレネは気が付くと、スラグホーンの言葉を遮り、ザビニを軽く睨んでいた。
彼の軽薄な発言のせいで、スラグホーンの顔色が変わったのは明白だ。そもそもヴォルデモートが暴れまわっているこの時世、スラグホーンはダンブルドアの下で働くことを決めた――その時点で、ヴォルデモートや死喰い人に忌避感を持っていることは確実である。
セレネも死喰い人に対して悪感情しか持てないが、だからといって、その血縁者まで死喰い人と同類ではない。
ましてや、今話題に上がっていたのは自分の右腕である。セレネとしては、右腕に悪印象を抱かれる瞬間を見過ごせなかった。
「父親はともかく、彼自身は死喰い人と関わりがありません。
むしろ、魔法省の一件では肩を並べて、命がけで戦いました」
「なんと、セレネ。詳しく教えてくれないかね?」
スラグホーンの表情に少しだけ驚きの色が奔った。好奇心を隠せない視線に少し嫌気がさしたが、ここは長年被り慣れた笑顔を張り付ける。
「ええ。セオドールは、迫りくる死喰い人をつかんでは投げ、つかんでは投げ、近づく敵は片っ端から失神させ、敵の中に飛び込むと、迷うことなく爆発呪文を放つ活躍を見せました。
ベラトリックス・レストレンジを倒せたのも、そのおかげです。
それから、私にアバダケダブラが当たりそうになったとき、助けてくれました」
セレネは、スラグホーンの眼をまっすぐ見つめて言い切った。
最後のところ以外は真っ赤な嘘であるが、せっかくの機会だ。事実を多少着色し、彼に花を持たせておこう。
序盤戦、セオドールの活躍はセレネ以外見ていないし、たとえ本人が「事実ではない」と否定したところで、スラグホーンからは「謙遜している」と勘違いされるはずだ。
それに、この噂が上手く広まれば、自分に向けられている過剰なほどの好奇心溢れる視線が彼へと逸れることになる。そうすれば、さしたる理念や覚悟もなく、他寮から軽々しく親衛隊へ入隊する者も減るだろう。
「いやはや、知らなかった! それは、本当かね?」
「本当です。すごく本当です」
スラグホーンは、すっかり感心しきった顔をしている。
ジニーからは疑いの眼差しを、ザビニからは何やら含み笑いを向けられているが、セレネは気にしないことにした。
「そうか! そうなのか! それならば、彼も――」
「失礼します、スラグホーン教授」
スラグホーンが何か言いかけたとき、コンパートメントの扉が開いた。
がたいのいいグリフィンドールの七年生と、その陰に隠れるように、神経質そうなレイブンクロー生が立っていた。
「招待にあずかりました、コーマック・マクラーゲンです。ちょうど、マーカス・ベルビィと会ったので、一緒に来ました」
マクラーゲンがやけに丁寧に礼をし、ベルビィが無理やり微笑みを浮かべる。
「ああ、君たちか! さあ入りなさい」
スラグホーンは新たな客人を歓迎する。
それからしばらくは、スラグホーンの関心がマクラーゲン達に逸れた。セレネの記憶が正しければ、マクラーゲンもベルビィもミリセント・ブルストロードが付き合おうとしていた人物である。もっとも二人とも、紆余曲折あり、実際に付き合うことにはならなかったわけだが、彼女が目を付けたからには、それなりの家柄出身だ。
事実、スラグホーンの話によると、マクラーゲンは政府高官と付き合いがあり、ベルビィの叔父は魔法薬の開発に貢献したらしい。
「ほっほう、マクラーゲン。君はルーファスとも知り合いなのか!」
「はい。もちろん、あの人が大臣になる前でしたが、一緒にノグテイル狩りに出かけました」
スラグホーンとマクラーゲンが楽し気に会話をしている様子を、セレネは冷ややかに観察する。
どうやら、ここに招かれた客人は、有名人か有力者とのつながりがある人物らしい――自分とジニーを除いて、全員がそうである。
その推測を裏付けするように、ハリーとネビルが来室した。
ネビルは聖28族のロングボトム家出身で、しかも両親ともに優秀な闇払いだった。
当然、ハリーはこの中でも飛びぬけて有名人だ。魔法世界において、彼のことを知らない者など存在しない。
「そうか、そうか。君は、クィディッチにも興味があるんだね。ああ、ハリーとジニーもそうか。では、君たちはグウェノグ・ジョーンズを知っているかい? ホリヘッド・ハーピーズのキャプテンだよ。彼女は私が頼まなくても、特別席のチケットを無料でくれる。それから――……」
いつの間にか、スラグホーンは過去の生徒に関する自慢話を語り始めた。
セレネは真剣に耳を傾けているふりをしながら、自分の推測を確信に深めていく。
つまるところ、この老教授は人材の蒐集家だ。
こうやって生徒を――それも、自分で選んだお気に入りの生徒を集め、囲うことに快適さを求めているのだろう。彼らが巣立つ時に有力な人脈を紹介し、成功した暁には報酬を――例えば、彼の好物や欲するもの、役職を推薦する機会などを送る。それの繰り返しだ。
ギブ&テイクの関係だと割り切ればいいのかもしれない。
しかしながら、はたして教師として利益を期待するのはどうなのだろうか。
スラグホーンは、自分の教えた著名な魔法使いたちの逸話を語り続ける。
彼の教え子たちは、全員が喜んでスラグホーン主催の「スラグ・クラブ」に属したらしい。新教授の性格をだいたい見極めることができたので、セレネはその場を離れたくなってきたが、なかなか失礼にならずに出る方法が思いつかない。その間にも列車が何度目かの長い霧の中を通り過ぎ、真っ赤な西日が見え始めた頃、スラグホーンはやっと薄明りの中で瞬きをし、周囲を見渡した。
「なんと、もう暗くなってきた! ランプが灯ったのに気付かなかった! みんな、もう帰って制服に着替えた方がいい。コーマック、そのうちノグテイルに関する本を借りに来なさい。ハリー、ブレーズ、セレネ、いつでもおいで。ミス、あなたもどうぞ」
スラグホーンはジニーに向かって、にこやかに目をきらめかせる。
「さあ、お帰り、お帰り」
セレネは暗い通路に出た。すっかり人通りはなく、天井のランプが汽車に合わせるように揺れていた。
「そうだ、セレネ。ちょっと話したいことがあるんだ」
セレネがコンパートメントに戻ろうとしたとき、ハリーが肩を軽く叩いてきた。
先学期末、彼はヴォルデモートに身体の主導権を奪われ、セレネに攻撃をしたことがある。もちろん、回復後に謝ってくれたのだが、負い目があったのだろう。廊下ですれ違っても、話しかけてこなかった。
そんな彼が、どこか切羽詰まった表情で自分を見てくる。
「ハリー、どうしたのですか?」
「あのさ、セレネはマルフォイがどこにいるか知ってる?」
「いえ、知りませんけど……マルフォイを探しているのですか?」
ハリーが小声で尋ねてきたので、セレネも囁き返す。
「うん、実はマルフォイの奴が死喰い人になったんだ。それで……ッ、詳しくは学校で話すから、また必要の部屋で会おう!」
ハリーはザビニの後頭部を睨みつけると、セレネが止める間もなく追いかけて行ってしまった。
「マルフォイが死喰い人?」
セレネは腕を組みながら、自分のコンパートメントへ歩き始めた。
ハリーは断言していたが、ヴォルデモートが16歳の少年を死喰い人にさせるだろうか。闇の魔術に傾倒していて実力も抜群にあるならともかく、マルフォイといえば平均より少しできる程度で、プライドは人一倍高く、少し臆病な気質のある少年だ。決闘したら、セレネはもちろん、親衛隊幹部なら楽に倒すことができるに違いない。
普通に考えれば、死喰い人に迎え入れるわけがない。
だがしかし、ハリーは随分と言い切っていた。
きっと、確証があるのだろう。ならば、セレネとしてもマルフォイの動きを注意する必要が出てくる。彼の父は逮捕され、アズカバンにいるのだ。マルフォイが死喰い人になっていなくても、心が荒れて突拍子もない行動に出る可能性もある。
「はぁ……やることは多いわ」
セレネは軽く伸びをすると、コンパートメントの扉を開いた。
セオドールは既に着替えていたが、ダフネとアステリアは着替えを待っていてくれたらしい。
「おかえり、セレネ。どうだった、スラグホーン先生は?」
「有名人や有力者と繋がろうとしているみたいでした」
セレネはセオドールの隣に腰を下ろすと、やっと肩の力を抜いた。
「ずっと教え子の自慢話です。正直、食事も喉を通りませんでした。夕食の宴が楽しみです。
ところで……」
セレネはもう一度、コンパートメントを見渡した。
むすっとした表情で文庫本を読んでいるセオドール、昼食会の様子を聞きたそうにうずうずしているグリーングラス姉妹……このコンパートメントには、やはり三人しかいない。
「ミリセントはどうしたのです? もしかして、ザビニやマルフォイのところですか?」
「あー……うん。実は彼女、今年は学校に来ないの」
セレネが不思議そうに尋ねると、ダフネは寂しそうに言った。
「来ない? 何故です?」
ミリセント・ブルストロードは確かに成績が良いとは言えない。かといって、OWL試験全科目落第するほど馬鹿ではない。少なくとも、セレネは彼女にも試験対策クラブで「闇の魔術に対する防衛術」の基礎基本は叩き込み、OWL試験で最高――とまでは言えないが、余裕を持ってパスできるレベルにまで育て上げたはずだ。せめて、その一科目でも合格できているはずである。
「うーんとね、彼女の御両親がホグワーツに戻させたくないって言っているらしいの。家から一歩も出させてくれないんだって」
「まさか! ホグワーツは家より安全ですよ? 安全対策だって追加されたと聞きますし、ダンブルドアだっています」
「そのダンブルドアは、かなりの年齢だろ」
セレネが反論すると、セオドールが音を立てながら本を閉じた。
「いつぽっくり逝ったって、おかしくない」
「ダンブルドアは、まだまだ若いですよ」
セレネは、老人時代のグリンデルバルドを脳裏に思い浮かべながら言った。
「若いって何歳だよ?」
「そうですね……200歳くらいですか?」
セレネが冗談っぽく言うと、セオドールは軽く笑いながら席を立った。
「お前たち、さっさと着替えろよ。もうじき、駅に到着するぜ」
セオドールの言う通り、汽車は十分も経たないうちに速度を落とし、懐かしのホグズミード駅に到着した。
ロンドン中どころかイギリスの大部分を覆いつくしていた霧も、ホグワーツ周辺にはまったく感じられなかった。吸魂鬼が入ってこれないように、安全対策の保護魔法を施しているのかもしれない。
そこから先は、例年通りつつがなく進んだ。
セストラルが引く馬車も、板石が敷き詰められた広大な玄関ホールも、夜空を模した天井が広がる大広間も、すべていつも通りだ。セレネはいつもの席に座った時、「ああ、帰ってきた」と感慨に浸る。
「お久しぶりです、ゴーント様」
親衛隊幹部のウルクハートが話しかけてきた。
彼の胸元には、真新しいバッジが輝いている。
「クィディッチのキャプテンに選ばれたのですね、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます! 今年こそ、スリザリンを優勝に導けるよう、粉骨砕身の覚悟で挑みたいと思います!」
ウルクハートはびしっと背筋を伸ばし敬礼する。
ここ数年、クィディッチのチームの入れ替えも激しい。セレネが入学当初は純血至上主義者の集まりだったが、今では大多数を親衛隊のメンバーが占めている。得点王のベイジーなんて、ウルクハートと同じく親衛隊の幹部だ。
「無茶しない程度にお願いしますね」
「はいっ! ちなみに、今年は新しいチェイサー1人、ビーター2人、そして、シーカーを募集しています。ゴーント様も挑戦されてみてはいかがです?」
「いや、私は遠慮……シーカー?」
セレネは眉間に皺を寄せる。
「シーカーはマルフォイでは?」
2年生の時、マルフォイが最新鋭の箒をチーム人数分寄付する代わりに、自分をシーカーにさせたという話は有名だ。セレネの記憶が正しければ、ビーターはマルフォイの腰巾着のクラッブとゴイルだったはずである。
マルフォイはわざわざ高価な箒を貢いでまで、シーカーになりたいと願ったはずだった。それなのに、なぜクィディッチのシーカーを降りてしまうのだろうか。
「見たところ……彼は怪我などしてないようですし」
「そこは、オレも不思議なんですよね」
ウルクハートも首をひねりながら言った。
「ホグワーツ特急でマルフォイに会ったとき、『今年こそ優勝杯を手に入れるから、明日の早朝から訓練を始めるぞ』と言ったのですが、あいつは『僕には、優勝杯を取るより大切な役目があるんでね。参加しないでおくよ。まあ、僕は練習に参加しなくても、試合当日はいいプレイをしてみせるから安心しろ』と、小馬鹿にしたように笑いながら言ったんですよ。本当、むかつきますよね!!
あんな態度の奴、試合当日も無断欠席します!
だから、今年度は年功序列や派閥やチーム歴を問わず、公平に実力のあるメンバーを決めたいと思いまして、オレとベイジー以外のメンバーを新たに選抜し直そうと考えたのです」
「そう、ですか」
セレネもマルフォイに視線を向けた。
すっかり数を減らした純血派の生徒たちの中央で、なにやら鼻に関わるパフォーマンスをしている。パンジーからはうっとりとした視線を向けられ、まさにご満悦な様子だ。
「……私、クィディッチについては詳しくないのですが、マルフォイの実力はどの程度なのですか?」
ウルクハートにこっそり尋ねると、彼はいい顔をしなかった。
「中の下、といったところですね。
グリフィンドールのポッターにはもちろん、レイブンクローのチャンの足元にも及びません。ハッフルパフの新シーカーが誰になるのか分かりませんが……マルフォイより下はないでしょう」
「つまり、シーカーから落とされるかもしれない事態、ということですか」
セレネは楽しそうなマルフォイを見続ける。
クィディッチ生命の危機的状況だというのに、彼は気にも留めていない。それは、いったいどうしてなのだろうか。
まさか、ハリーが言っていた通り、本当に死喰い人になり、ヴォルデモートから「大いなる使命」を与えられ、はしゃいでいるのだろうか。
「……いや、それはないか」
「ゴーント様?」
「選抜、私も見に行くわ。スリザリンが優勝するため、技量のある人を選びなさい」
セレネはそう言うと、好物の大鍋ケーキに齧り付いた。
ちょうどその時、教職員テーブルのダンブルドアが立ち上がった。大広間に響いていた話声や笑い声が、あっという間に消えた。
「すばらしい夜じゃ!!」
ダンブルドアがニッコリ笑い、大広間の全員を抱きしめるかのように両手を広げた。
「ねぇ、セレネ。あの手……!」
ダフネが息をのんだ。
セレネも目を見開いた。ダンブルドアの右手は、死んだように黒い手だった。囁き声が広間中を駆け巡った。ダンブルドアはその反応を正確に受け止めたが、単に微笑んだだけで、詳しい説明もなしに紫色の袖を振り下ろして傷を覆った。
「さて、新入生よ。歓迎いたしますぞ。上級生はお帰りなさいじゃ。今年もまた、魔法教育がびっしり皆を待ち受けておる――……」
「どうしたのかしら、あの手?」
ダフネが不安そうに囁いてくる。
セレネも小さく頷いた。
「夏休みは、ああではありませんでした」
「えっ、セレネ。夏休みに会ったの? ダンブルドアと?」
「ロンドンでハンバーガーを食べていたら、相席することになりまして」
セレネはダフネの問いに答えながら、黒くなった右手の理由を考える。
魔法事故の傷なのか、それとも、なにかの呪いか――……
「……まさか、あの指輪が……?」
セレネはそこまで考えたとき、あの金の指輪が脳裏に横切る。
あれには、まだ幾重にも呪いが掛けられていた。もしかして、あの指輪の呪いのせいだろうか。いささか考えが飛躍しすぎかもしれないが、時期的には合っている。
「指輪?」
「……何でもありません。きっと思い過ごしです」
セレネは首を横に振る。
自分はしっかり「これには呪いがかかっている」と説明した。ダンブルドアも承知で指輪を受け取ったはずだ。何も対策しないで嵌めるなど、愚かな行為をするはずがない。
ところで、あの指輪はいつ返してもらえるのだろうか。
※
結局のところ、ダンブルドアは、右手に関して何も語らなかった。
何事もなかったかのように歓迎会は終わり、次の日になった。
6年生からは、将来にかかわる科目だけ続けることができる。
セレネは「天文学」と「魔法生物飼育学」以外の科目を続けることに決めた。魔法生物飼育学辺りは続けてもいいかと思ったが、教師はあのハグリッドだ。人としては好い人だが、正直、尻尾爆発スクリュートを育てる授業はこりごりである。
「魔法生物飼育学は、続ける人がいなそうだよね」
ダフネがセレネの時間割を覗き込むと、疲れ切った声で言った。
「もふもふな魔法生物と触れ合えるなら、まだ続けてもいいけど……うん、たぶんなさそうだし」
「そうですよね……」
セレネも乾いた笑いを浮かべた。
下手したら、罪悪感の欠片もない笑顔で「一大プロジェクトだ! 巨人の弟に靴紐の結ばせ方を教えるぞ!!」とか言い出しそうである。
セレネたちは歩きながら、今年最初の授業――魔法薬学の教室に向かった。
教室の前に進んで見回すと、この学科を履修できる生徒はわずか13人しかいなかった。クラッブとゴイルが合格点を取れなかったのは確実として、スリザリンはセレネを含めて5人、レイブンクローからは4人、グリフィンドールはハリーたち3人組、そして、ハッフルパフはアーニー・マクミランただ一人だけだった。
「やあやあ、そろったね。どうぞ、入りなさい」
スラグホーンが腹を先にして教室から出てきた。
生徒たちが列をなして教室に入るのを迎え入れながら、スラグホーンはニッコリと笑い、巨大なセイウチ髭もそのうえでニッコリの形になっていた。そのうえで、彼はセレネとハリー、ザビニ、そして、セオドールに対しては特別に熱い挨拶をした。
「ほっほう、君がセオドールか。セレネから聞いているよ。魔法省の戦いでは、素晴らしい奮闘を見せたそうではないか!」
「い、いえ。オレは特に何も……」
「謙虚だね。実にいい。あとでたっぷり、話を聞かせておくれ」
スラグホーンから解放された彼が、なにやら文句を言いたそうな目を向けてくる。セレネは素知らぬ顔をすることにした。
それに、セレネは彼の恨みがましい視線より、地下牢の空気が変わったことに注意を奪われていた。
四つの大鍋がぐつぐつと煮えている。そのうち、金色の大鍋の傍を横切った時、いままで嗅いだ中でも最も蠱惑的な香りの一つを発散している。なぜか、その香りは大鍋ケーキや淹れたばかりの紅茶、図書館の匂いなどを同時に思い起こさせた。香りを嗅いでいるだけで、自宅のリビングにいるような気持ちが広がっていく。
「そこの鍋、いい香りだね」
ダフネが蕩けたような顔で囁いてきた。
「ミントやシトラスかな。なんだか、とっても素敵」
「ミント?」
セレネは一瞬、首を傾げたが、すぐに目の前の魔法薬の特性を理解した。
「さて、さて、さてーと!」
スラグホーンが鍋の前に立った。
「みんなに見せようと思って、いくつか魔法薬を煎じておいた。この学科を終えた後には、こういうものを煎じることができるようになっているはずだ。さて、まだ煎じたことがなくても、名前ぐらいは聞いたことがあるはずだ。これがなんだか、分かるものはおるかね?」
スラグホーンはセレネたちのテーブルに一番近い大鍋を出した。
単純に湯が沸いているように見える。セレネは内心笑いながら、すっと手を挙げた。これは調合してあるし、いまもセレネの鞄の奥底に瓶が残っている。
セレネが挙手するのとほぼ同時に、ハーマイオニーの手が天を突く。
スラグホーンは少し迷ったようだが、セレネを指名した。
「真実薬です。無色無臭で飲んだ者に無理やり真実を吐かせます」
「うむ、大変よろしい。さて、それでは――これは、どうかね?」
次はわずかにハーマイオニーの方が早かった。
二番目の大鍋でゆっくりとぐつぐつ煮えている。泥のような液体が何であるのか、セレネには分かっていたし、きっとハリーたちも分かっていることだろう。ハーマイオニーは自信あふれる声で正解を口にする。
「はい、先生。ポリジュース薬です。変身したい者の一部を入れて飲むことで、一定時間、変身することができます」
「よろしい、よろしい! では、次の薬だが――おやおや!」
ハーマイオニーの手がまた天を突いたので、スラグホーンはちょっと面を喰らったような顔をした。
「魅惑万能薬です。世界一強力な愛の妙薬です。湯気が独特の螺旋を描いていますし、何に惹かれるかによって、一人一人、違った匂いがします。私には、刈ったばかりの芝生や新しい羊皮紙や……」
しかし、ハーマイオニーはちょっと頬を染め、最後まで言わなかった。
「うむうむ。見事だ。
さて、魅惑万能薬はもちろん、実際に愛を創り出すわけではない。愛を創ったり模倣したりすることは不可能だ。この薬は単に強烈な執着心、または強迫観念を引き起こす。この教室にある魔法薬の中では、おそらく一番危険で強力な薬だろう。
――ああ、そうだろうとも」
スラグホーンは、小ばかにしたようにせせら笑っているマルフォイとセオドールに向かって重々しく頷いた。
「わたしぐらい長い人生を見てくれば、妄執的な愛の恐ろしさを侮らないものだ。
さて、最後の薬だが――……これが、なんだか、分かるかね?」
スラグホーンはハーマイオニーに笑いかける。
「幸運の液体です。人に幸運をもたらします!!」
最後の小さな黒い鍋は、楽し気にぴちゃぴちゃ跳ねていた。金を溶かしたような色で、表面からトビウオが跳ねるように飛沫が撥ねているのに、一滴も零れていなかった。
「これを一滴飲めば、十二時間――何をやっても幸運にめぐまれる。
私も一度、飲んだことがあるが……ああ、あれは素晴らしい一日だった」
スラグホーンの顔がとろんと蕩ける。
たとえ、夢を見るように遠くを見つめる演技をしているにしても、効果は抜群だった。すべての眼が、馬鹿にしたようなマルフォイですら、スラグホーンに視線を集中させていた。
「さて、この小瓶を今回の授業の褒美として提供する。
『上級魔法薬』の十ページ。時間内に『生ける屍の水薬』を調合する。完璧に調合することは望んでいないが、一番よくできた者が、この愛すべきフェリックスを獲得する!! さあ、はじめ!!」
それぞれが大鍋を手元に引き寄せる音がして、はかりに錘を載せる音が聞こえる。
誰も口を利かなかった。部屋中が固く集中する気配は、手で触れるかと思うほどであった。
セレネとしても、幸運の瓶は欲しい。
是が非でも欲しい。ヴォルデモートとの対決に挑む日に、義父が命を狙われたその時に、幸運を招き寄せる薬を飲むことができれば、ああそれはなんて良いことなのだろうか。
しかしながら、「生ける屍の水薬」はさすがに複雑かつ難しい魔法薬だった。
理想的な中間段階「滑らかなクロスグリ色の液体」にまでは煎じることができたのだが、その後のライラック色になかなかならない。催眠豆の汁が足りなかったのかもしれないが、いくら切っても萎びた豆から適量の汁が出てこない。
セレネはひたすら催眠豆を刻み続けた。そしてやっと、ライラック色になるまで催眠豆の汁を入れることができたとき、もう残り時間は5分と残されていなかった。
とはいえ、同じテーブルの他の生徒たちに比べたら、自分は出来ている方である。
ダフネの大鍋は水薬ではなく、濃紺のスライムになっていたし、セオドールとザビニは焦げた石みたいになっていたし、マルフォイはタール状の物質になっていた。
まともな液体は、セレネだけであった。
スラグホーンの止めの合図があった後、セレネの水薬は結局――ライラック色のままで薄い水色にはなっていなかったが、かなり上位の成績になった自覚があった。
上位争いの好敵手であるハーマイオニーの出来栄え次第で、自分が幸運の小瓶を手に入れることができるかもしれない。
事実、スラグホーンはセレネの鍋を覗き込んだとき、よしよしと満足そうに頷いてくれた。
ところが、である。
「まぎれもない勝利者だ!!」
スラグホーンがハリーの鍋を覗き込んだときだ。
信じられないという喜びの表情が、スラグホーンの顔に広がった。
「すばらしい!! すばらしい!! 君は明らかに母親の才能を受け継いでいる! 彼女は魔法薬の名人だった。あのリリーは!! さあさあさあ、これを!! 約束の小瓶だよ。上手に使いなさい!!」
スラグホーンは紺色の液体が入った小瓶をハリーに手渡した。
セレネは唖然としてハリーを見つめた。
ハリーは魔法薬の授業に残れるだけの成績がある。
だが、それにしても、ハーマイオニーや自分より調合が上手かった試しがない。スネイプという意地悪い脅威が近くにあったとしても、ありえない話だ。
「ラッキーだったんだろ」
ハリーは周りの友だちに言っていたが、絶対にたんなる幸運で調合できるはずがない。
新たな教授、スラグホーン。
防衛術の教授に就任した、セブルス・スネイプ。
死喰い人のような不穏な行動をする、ドラコ・マルフォイ。
いきなり魔法薬の達人になり、自分やハーマイオニーを抜いたハリー・ポッター。
そして、ダンブルドアの死んだように黒い右手。
「新学期早々、事件の匂いか」
セレネはポケットに入れた偽物のロケットを握りしめながら、小さな声で呟いた。
「事件?」
ダフネが鞄を抱えながら、不思議そうに尋ねてくる。セレネは苦笑いを浮かべると、ふと――思い出したようにポケットからロケットを取り出した。
「いいえ、なんでも。……そういえば、ダフネ。このロケットに見覚えはありませんか?」
「ロケット?……ううん、ごめんね。私は分からないや」
ダフネはロケットを見ると、申し訳なさそうに首を横に振った。
かなり高価なロケットなので、純血の名家出身の彼女なら分かるかもしれないと思ったが、なかなかうまくいかないものだ。だいたい、こういう時こそ、純血の名家で宝飾関係に興味があるミリセント・ブルストロードの力が必要なのに、どうして今年に限っていないのだろうか。
「そうですか」
とはいえ、いない者に怒りをぶつけても仕方あるまい。
セレネは肩を落とすと、再びロケットをポケットに沈めた。
「次、なんでしたっけ?」
「闇の魔術に対する防衛術だよ。スネイプ先生がどんな授業をするか、楽しみだね!」
「……そうですね」
セレネたちは他愛もない話に花を咲かせながら、次の授業へ足を進めるのだった。
「……あのロケットは……」
柱の陰から、何者かがロケットを凝視する。
その視線に、セレネはまだ気が付いていなかった。
愛は求める心、そして恋は夢見る心。
恋は現実の前に折れ、現実は愛の前に歪み、愛は恋の前では無力になる。
……CCC復刻イベント、終わらない……
キアラを期間内に倒せるか不安だし、それ以前にBB再臨素材が集めきれるか超心配。
せめて、あと一週間あれば……!!