「ほう」
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは優雅に名前を告げると、グリンデルバルドは片眉を上げた。セオドールを横目で確認すると、彼も少し驚いたように目を見開いていた。
「あれが、あのエーデルフェルト家の次期当主か」
彼はよほど驚いたのか、小さな声で感想を漏らしている。セレネは「誰それ」と言いたげに彼の横腹を小突くと、ルヴィアゼリッタに聞こえない程度の声で囁き返してくれた。
「北欧の有名な純血一族だよ。世界中の争いごとに好き好んで介入して、魔法の神秘や技術を掠め取る。だから、地上で最も優美なハイエナって呼ばれている一族だ」
「あら、ハイエナとは失礼ですこと」
ルヴィアゼリッタに話し声が聞こえていたらしい。こちらに、ちらっとだけ視線を向けてくる。
「私、ハイエナより狩人の方が好みの響きですの。フランス語のル・シャスールでもよいですわね」
どこか高慢な台詞だったが、まるでかんに障らない。これがドラコ・マルフォイあたりが言っていたら、苛立ちを感じるかもしれないが、むしろ当然と頷いてしまうほどの威厳が少女に宿っている。
彼女の言葉には、純血の貴族にふさわしい威厳が伴っていた。
セレネとセオドールが口を閉ざすと、グリンデルバルドがゆっくり話し始めた。
「だが、見たところ魔眼は必要ないと見受けられるが……いや、貴重な魔眼を狩りに来たのかな?」
グリンデルバルドが目を光らせながら尋ねると、少女は口元を優美に綻ばせた。
「ご想像にお任せしますわ。ですが、そうですね。実は、当代から『狩人としての目を養ってこい』と言われておりますの」
つまるところ、次期当主にふさわしいことを示すために、上物の魔眼を狩りに来たということなのだろう。後ろの大きな従者はお目付け役であり、当代に彼女の立ち振る舞いを報告するための監視役でもあるわけだ。
年齢で判断してはいけないが「はじめてのお使い」に近いのかもしれない。
無論、お使いにしては買い物が少々高過ぎるが、あながち的外れではないのだろう。よくよく耳を傾けていれば、貴族らしい口調の端々に緊張の色が混ざっているのが聞き取れた。本当に小匙一杯にも満たないほどだが、声色が固い。
「グレイブスさん。それは魔眼殺しとお見受けしましたが、もしかして売り手ですの? それとも、そちらのお弟子さんの方かしら?」
「それはご想像にお任せする。さて、レディ。そろそろ列車が到着するようだ。準備した方が良いのではないかね?」
グリンデルバルドの言葉と共に、霧が一段階濃くなった。
絹のように白い霧が駅を包み込むように広がり、遠くから汽笛の音が響いてくる。否、ただの汽笛ではない。まるで歌劇のコーラスのように骨まで深く振動させるような音だ。
やがて、光が霧を割った。
黒々とした車輪が先頭に現れ、その後からもくもくと黒い煙を吐き出す機関部が続き、ついに汽車の全貌が現れた。瞬間、ホグワーツ特急を幻視する。車体の色こそルビーを思わす紅色ではないが、ホグワーツ特急と同じかそれ以上に積み重なった歴史が重厚感と共に滲み出ている。あれはホグワーツ特急同様、時代錯誤で荒唐無稽な保存鉄道。だが、あの列車同様、今も生きていることを肌で感じた。
ただ博物館に展示された古びた汽車でなく、ボランティア団体が維持し続ける記念列車とも異なり、今も現在もなお現役で働き続けている。
「これが、魔眼蒐集列車」
セレネは汽車を見上げ、気が付くとその名を呟いていた。
徐々に速度を緩め、汽笛を鳴らしながらゆっくりと車輪が止まり、一人でに洒落た細工の施された扉が開いた。その扉のひとつにも、汽車の主人の美意識が徹底されているのだろうか。扉が開く様子は、まるで並んだ騎士が一礼するかのようだった。
「さて、乗車するとしようか」
グリンデルバルドは動じることなく足を踏み出し、セレネとセオドールが後に続いた。ちらっと横目で後ろを確認すると、ルヴィアゼリッタと従者も躊躇いなく乗り込んでくるのが見える。
「あ……」
ふと、異国の匂いがした。
イギリスに似つかわしくない香辛料の匂いが車内一杯に広がっている。車両の中央には大きなテーブルが置かれ、大きな男の人がスパイスの香りが強いカレーを味わっていた。
「あら」
男の人が振り返る。
白髪の角刈りで、同じ色をしたカイゼル髭を生やしている。顔立ちは細身で肌の色も透き通るくらい白いのに、身体つきはがっちりとした筋肉質だ。B級映画でルヴィアゼリッタのモヒカン従者と怪しげな取引をしたり、埠頭で銃撃戦をしそうな男だと思った。
「新しい乗客さん?」
男は立ち上がると、こちらに数歩、近づいてきた。
セレネはさりげなく、グリンデルバルドの背に身体を隠す。目の前の男が死喰い人かそれに類する人間かもしれない。こうした見極めは、歴戦の魔法使いに任せるのが一番だ。セレネはグリンデルバルドの目利きを信じながら、彼の言葉を待った。
「ふむ……君は列車のスタッフではないな。いや、スタッフどころか……吸血鬼、か?」
グリンデルバルドは訝し気に尋ねると、男は驚いたように目を見開きながら頷いた。
「まあ! 初見で見破られたのは、久方ぶりよ。どうして分かったのかしら? 白い肌?」
「異常なまでに白い肌もそうだが、君が口を開けたときに牙が見えた。八重歯にしては大きい牙がね。それに、歩き方が人間の物と微かに異なる」
「凄いわね! 私、歩き方は気にしたことがなかったわ! ご察しの通り、私は吸血鬼。血は吸わないけどね」
吸血鬼だと見破られた男に戸惑いの色はなかった。むしろ、見破られたことに歓喜しているような態度で接してくる。しかも、口調が女言葉ときた。初見でもキャラが濃い気がしたが、さらに濃さが増していく。ホグワーツにも濃い人物はいたが、彼? 彼女? に匹敵する人物はそうそういない。
「あたしのことはカリーとお呼びくださいな、ミスター」
「カリー……?」
セレネは頭を抱える。
カレーを食べているからカリーとは、安易すぎる偽名だ。せめて、同じ食べ物でもペペロンチーノとかでも良い気がする。そもそも、カレーを食べる吸血鬼なんて、どこかの雑誌に書いてあった与太話のようだ。
セレネが何とも言えない顔をしている一方、さすがはグリンデルバルドだ。欧州を恐怖の渦に落とした闇の魔法使いは、全く動じず、微笑を絶やすことなくカリーと向き合っている。
「それで、そちらは?」
グリンデルバルドはカリーの向こう側に座った男性に目を向ける。眼帯が特徴的な男性は、慣れ合うつもりはないのだろう。名を尋ねられても答えることなく、ザ・クィブラー誌に目を落としている。クィブラーの表紙には『例のあの人から身を護る10の方法』と一緒に、ヴォルデモートと思われる下手な似顔絵が書かれてあった。
「ああ、彼ね。彼は名前を名乗らないの。でも、苗字は教えてくれたわ。あのレーマン一族の当主ですって! ほら、あの魔眼の大家。この列車の常連客らしいわ」
眼帯の男性の代わりに、カリーが快く教えてくれた。眼帯の男性、レーマン氏は否定もせず肯定もしない。ただ何も言わずにクィブラーを読み続けている。
「それで、ミスター。あなたの名前は?」
「グレイブスだ。この二人は私の弟子。奥にいるのは――……」
「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトですわ」
ルヴィアゼリッタは吸血鬼を不愉快そうに一瞥した。貴族としては、吸血鬼が汚らわしく思えるのかもしれない。男性なのに女性のように振る舞っていては、なおのことだ。
「ご歓談中、失礼いたします」
ふと、カリーの後ろから声が聞こえた。
視線を向けると、どこか瘦せぎすの車掌が佇んでいる。彼の言葉を皮切りに、自分たちの後ろで扉が閉まった。汽笛と共に、蒸気機関がけたたましく鳴り響く。
最初はゆっくりと、徐々に勢いを増しながら列車は走り出した。
「当車の車掌、ロダンでございます。当車は三泊四日で霧の国を一周し、ロンドンに戻って来る予定です。
その間、皆様にはごゆっくり魔眼のコレクションをご覧いただき、三日目の夜にお待ちかねのオークションを行います。落札された魔眼はすぐに移植されても、お手元で保管いただいてもかまいません。
移植にはたいして時間は頂きませんので、ご安心ください。また、逆に魔眼を出品される方は、明後日、つまり三日目の昼過ぎまでに私どもの元までおいでください。夕刻には摘出させていただきます。声をかけていただくのだは、私、ロダンでもかまいませんし――……」
「あたし、オークショナーをつとめさせていだだく、レアンドラでもかまいませんのよ」
隣に現れた毛皮のコートを着た女が一礼した。
毛皮のコートもインパクトがあるが、それ以上に眼を皮で覆っているのが気になる。視界はゼロのはずなのに、動作に不自由は見いだせなかった。
「今から皆さまを客室に案内したく思います。どうぞ、こちらへ」
ロダンと名乗った車掌が、こちらに会釈をしてきた。
客室は思ったより広々としていた。
少なくとも、ホグワーツ特急のコンパートメントとは比べ物にならないくらい広い。もっとも、あちらは半日の旅用で、こちらは三泊四日の旅用といえば、広さに違いが出るのは当然かもしれない。
しかも、贅沢なことに1つの車両につき3つしか客室をつくらないときた。もちろん、車両自体の横幅に限度はあるものの、縦幅は可能な限り広く、シンプルな調度品の配置も狭苦しさを感じさせなかった。セレネ、セオドール、そしてグリンデルバルドと3人分のベッドが詰めているのに、ちょっとした決闘ができそうなくらいのスペースがあった。
「おそらく、これで乗客は全員だ」
グリンデルバルドはグレイブスの恰好のまま、高級そうなソファーに座った。
「死喰い人らしき人物も繋がっていそうな者もいない」
「この人数でオークションをやると?」
セレネは反対側にゆっくり腰を下ろしながら尋ねてみる。
北欧の魔女 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトとその従者。
血を吸わない吸血鬼 カリー。
そして、魔眼の大家なるレーマン氏。
物見遊山な自分たちを含めないと、参加者はわずか4人しかいない。オークションの開催自体が危ぶまれるのではないかと疑問を抱いていると、グリンデルバルドはやれやれと首を横に振った。
「君は占い学を受講していないのかな?」
「……数占いでしたら学びました」
「NEWT試験レベルになるが、占い学で遠見の魔法を学ぶことが出来る。使い魔の目で見たことを水晶玉に投影する魔法だ。誰でもできるわけではなく、ある種の適性が必要になって来るが……魔眼オークションに来るような連中は身に付けている。
三日目の夜、フクロウやカラスの使い魔を放ち、自らは遠くから悠々と参加するのだろう。注意すべきは、そこくらいだ」
もっとも、死喰い人が魔眼を欲しがるとは思えない、とグリンデルバルドは言葉を続けた。
セレネも同感だった。死喰い人やヴォルデモートが魔眼を欲しがっているなんて話を聞いたことがない。例外として、セレネの魔眼を摘出するつもりらしい話は耳にしたことがあるが、わざわざオークションに参加するほど魔眼に飢えているわけではないだろう。
「……」
窓の外を見つめる。
ミルクよりも濃い霧に満たされ、何も見えない。時折、街の灯りかと思われる光が遠く滲み、現れては流され、消えていく。ホグワーツ特急よりも振動が少なく、蒸気機関のたくましい音が心地よく響いていた。
あまりにもホグワーツ特急と比較しすぎたせいだろう。
ホグワーツのことを思い出した。ダフネやアステリアとの約束を守れずじまいになった申し訳なさ、カロー姉妹を筆頭に親衛隊が過激に行動していないかという不安感が渦巻いてくる。それから、マグル生まれのジャスティンは、無事に逃げられただろうか。彼のことだから、親に頼んで海外へ高飛びできそうなものだが、実際のところ、どうしているのかは定かではない。
そして、ハリー・ポッター。
ハリーは自分と同じく「お尋ね者」なので、ホグワーツに行っているわけがない。きっと、マグル生まれのハーマイオニーと一緒に隠れているのだろう。
もしかしたら、分霊箱の在りかを探し求めながら、旅をしているかもしれない。
「遠見の魔法、といえば」
セレネはぽつり、と呟いた。
「ハリーはどうして、蛇男の考えが読めるのでしょう」
ハリーは蛇男の考えに潜入し、「蛇男がグレゴロビッチを探している」という情報を盗み取っていた。
それ以前にも、ヴォルデモートの現在の様子を盗み見たり、逆にそれを利用されて欺瞞映像を見せられたりしていた。
グリンデルバルドは水晶玉を通して、使い魔の視ている光景を見ることは可能だと述べていた。
だが、ハリーは水晶玉を通さずに見ている。それどころか、ヴォルデモートはハリーの使い魔ではない。無論、逆も同じである。
「なぜか蛇語も使えますし……呪いの傷による後遺症なのでしょうか。ヴォル……蛇男と互いに使い魔の契約を結んだようになってしまったとか?」
「アバダケダブラを受けて、生還した者は彼しかいない」
セレネの問いに、グリンデルバルドは静かに答えた。
「前例がないので確証はない。だが……1つだけ、思い当たる節はある。推測に過ぎないが」
「かまいません」
「……そもそも、ハリー・ポッターは何故、死の呪いを受けて生きていたのか」
グリンデルバルドは杖を振るうと、ファイアーウィスキーのボトルとグラスを取り出した。二人分のグラスしか取り出さなかったのは、セレネが酒を嗜まないことを知っていたのだろう。グリンデルバルドはもう一つのグラスをセオドールに向けたが、彼は首を横に振った。
「それは、母親の愛の魔法、だったかと」
セレネが答える。
4年生の時、復活したヴォルデモートが解説していた。ハリーの母親が残した「愛の魔法」が盾になり、ハリーを救ったのだとか。
「そうだ、愛の魔法……古の守護魔法だ。失われつつある魔法であり、相当の力量の魔法使いでないと使うことができない。しかも、リドルに襲われるという非現実的かつ一刻を争う状況下で使うとなると、ほとんど不可能だろう。それだけ、リリー・ポッターの素質が高く、ハリー・ポッターは運が良かった」
「つまり、その常識的に考えて不可能な呪文の副作用?」
セレネは口にしてみてから、自分の考えの甘さに気付いた。
愛の守護魔法の副作用が、敵の脳内を視るなんてありえない。
「フロイライン、リドルは復活の時、何を取り込んだ?」
「父親の骨、しもべの肉、そして、敵であるハリーの血です」
「そうだ。そこがポイントだ」
グリンデルバルドは片方のグラスをファイアウィスキーで、もう片方のグラスを水で満たした。列車のかすかな振動に合わせるように、琥珀色の波紋が浮かんではグラスの淵にぶつかって消えていた。
「あいつはハリーの血を取り込んだ。ハリー・ポッターの体内に宿る母親の守護の血を――……」
数滴分のウィスキーが空に浮かび上がる。そして、そのままシャボンのように宙を漂いながら、水で満たされたグラスの真上で静止した。
「このように取り入れた」
グリンデルバルドの言葉と共に、ウィスキーの滴はとぷんっと水の中に落ちた。水の上に波紋を創ると、ゆっくりと水中に琥珀色の煙のようにウィスキーが広がっていく。そして、元からあった水に溶け込むように消えていく。一見するとただの水だが、これでウィスキーの成分を含んだ水になった。
「分かったぞ!」
セオドールが指を鳴らした。
「その水みたいに、『あの人』の中にはポッターの血……つまり、ポッターにかけられていた守護の呪文が流れているんだ! そのつながりで、ポッターは『あの人』の考えが読めるってことだろ」
「それ、違いますよ」
しかし、セレネは口元に指を添えながら、セオドールの考えを否定した。
「たぶん、繋がりを深めただけです。ハリーはその前から蛇男と繋がっています。ほら、2年生の時には既に蛇語を使っていたではありませんか?」
「それはポッターが蛇語を使える家系……いや、それはないな。スリザリンの血筋でもなければ、蛇語は使えない」
セオドールはセレネの隣に深く座り込むと、考え込むように腕を組んだ。
「ポッター家がスリザリンの血を引いているわけがない」
「スリザリンの血縁者でないなら、やはり、ハリーはサイコパスとの繋がりで蛇語を使えるのだと思います。つまりは、復活する前から……あいつとハリーは繋がっていた?」
「いい線だ、フロイライン」
グリンデルバルドはグラスを煽った。いつの間にか入っていた氷が、からからと涼やかな音を立てる。
「あくまで推測に過ぎない。話半分に聞くといい。
リドルはポッターにアバダケダブラを撃った。しかし、それは愛の守護魔法によって防がれた。だが、防がれただけでは、リドルは敗北しない。呪いは守護魔法に当たり、跳ね返ったのだ」
「アバダケダブラが術者に跳ね返ったから、術者である蛇男は塵以下の存在になった?」
「そこが肝だ」
グリンデルバルドはグラスを置いた。ウィスキーは半分ほど残っていた。
「通常、アバダケダブラを受けた人間は間違いなく死ぬ。ところが、奴には分霊箱がある。塵以下の存在になったが、分霊箱の効果で生き残ることができた。
ただ、考えてみて欲しい。奴の魂がどんな状態なのか」
セレネが知っている時点で、ヴォルデモートは自分の魂を5回分けている。5分割ではない。5回だ。すなわち、5回分けた時点でヴォルデモートの魂は本来の0.03125。3/100しかない。もし、魔法数字で最も強い数、7回も分けるなんて愚かな行為に出ていたら、もう目も当てられない。
ヴォルデモート自身に宿る本来の魂はボロボロだ。
「いいかね、アバダケダブラは禁じられた魔法だ。なにしろ、自然の摂理に逆らい、一撃で相手を殺すのだ。剣で心臓を一刺しするより呆気なく殺すことができる。さて、そのような呪文がボロボロの魂に跳ね返って来たら、本当に魂が塵になってもおかしくない。塵となり空中に飛散し、バラバラになる。一番大きな塵にのみ意志が残り、あとは静かに消えていく……だが、もし……」
グリンデルバルドは杖でグラスの淵をとんっと叩いた。すると、みるみる間にウィスキーは蒸発し、空気中にアルコールの香りが漂い始める。
「気体と化したアルコールが他者の体内に吸収されて行くように、塵の一部が生き残った魂に付着したら?」
「それって!」
セレネは愕然とした。
物質、生き物に魂を宿す。それは、紛れもなく――……
「ハリーが、分霊箱?」
「あくまで推測だ。確証はないが、これで蛇語などリドルが使っていた才能の一部が使え、元の魂であるリドルの考えが読めることへの説明がつく」
「バカバカしい」
セオドールが一蹴した。
「ポッターを殺さない限り、『あの人』は殺せないってことじゃないか。ダンブルドアはそれを見逃していたってことか?」
「少年よ、君はアルバス・ダンブルドアを分かっていない」
グリンデルバルドは愉快そうに口元を歪めた。それが、セオドールには不愉快なのだろう。少し噛みつくような口調で話し始める。
「ダンブルドアはポッターがお気に入りだった。そのことは、ホグワーツの誰もが知っている。そのダンブルドアが分霊箱の入学を許可するか? もし、分霊箱と分かっていながら入学を許可し、育て上げてきたなら、それは、まるで――……」
「屠殺されるべき豚を育てているようなものですよ」
「そうだな。だが、あいつはそう言う男なのだ」
グリンデルバルドはかつての親友を嘲笑うように口端を上げたまま、長い足を組み直した。
リータ・スキーターの遺作「ダンブルドアの白い人生と真っ赤な嘘」。
そこには、グリンデルバルドとの関係も記載されていた。グリンデルバルドが退学し、ゴドリックの谷に引っ越してきてからは、何をするにも一緒に行動していた。それは、ホグワーツで一緒に学んだ親友よりも親友に近く、同志であり、好敵手であり、兄弟以上に親密だった。
もちろん、それはダンブルドアの主観だ。しかも、ゴシップ大好きリータ・スキーターの色眼鏡を通したものである。
グリンデルバルド自身がダンブルドアのことをどのように想っていたのかは定かではない。セレネが彼を利用しているように、彼がダンブルドアの心の隙をついて利用していたのかもしれないし、彼も同じ思いを抱いていたのかもしれない。
あえてそのことを尋ねてみたいとは思わないが、一つだけ確かなことがある。
「あなたは、実の兄弟以上にダンブルドアのことを知っているのかもしれませんね」
グリンデルバルドはセレネの問いに答えなかった。
グラスの奥にわずかに残ったファイアーウィスキーを揺らしながら、ただ優美に微笑んでいるだけだった。
次の日。
朝食をとるため、部屋を出る。
窓の外は代わり映えのしない霧で覆われていた。もしかしたら、汽車の蒸気が魔霧に変身させ、マグルたちの眼を誤魔化しているのかもしれない。
ロビーを通り過ぎ、食堂車に近づくと、トーストの良い香りが鼻孔をくすぐった。
「グレイブスのお弟子ちゃん! やっと来たわね」
食堂車の扉を開けると、カリーが駆け寄ってきた。こうして近くで見ると、服の上からでも健康的な肉付きの良さを感じさせる。吸血鬼と聞かなければ、プロレスラーかラグビー選手を連想していただろう。
「せっかくの食事時だから、女子会しようと思うのよ! こちらにいらっしゃい」
「えっと……」
「いいからいらっしゃいな! お借りするわよ、ミスター」
セレネの許可はもちろん、グレイブスの許可もとらずに、カリーはセレネの手を引きずって自分の席へと連行する。
そもそも、女子会をやるだけの人数が集まるのか微妙だ。
セレネは間違いなく女性だが、目の前の主催者はどう考えても男性である。もっとも、心の性別と肉体の性別が違うのはありえることなので、女子会には変わらないかもしれないが……
「さあさあ、これでみんな揃ったわ」
カリーに案内された席には、すでにルヴィアゼリッタが上品そうに腰を下ろしていた。厳ついモヒカン従者がいないところを見ると、カリーに「女子会に相応しくないから」とつまみ出されたのかもしれない。
だが、意外である。彼女のような純血貴族が吸血鬼主催の女子会に参加するとは到底思えなかった。列車でカリーを見たときの態度を思い返すと、なおのことである。
セレネが疑問に思っていると、ルヴィアゼリッタは疑問を見透かしたように答えてくれた。
「食事会に誘われたのに断るなんて、淑女の行為ではなくってよ」
彼女は優雅に紅茶を飲み始める。その姿だけでも、絵画になりそうだった。ところが……
「あれは……?」
彼女の真横、すなわち、食堂車の中央に物騒な代物が鎮座していなければの話だ。透明な筒があり、その内側で溶液に浸された一対の眼球が浮いていたのだ。
「こちらがノウブルカラーの『静止の魔眼』でございます」
オークショナーの女性が筒の傍で説明し始めた。
「石化の魔眼の亜種にして、視界に入った対象の動きを静止させる魔眼でございます。状態も良く、質も上々でございます。詳細な情報や落札予想価格につきましては、お手元のカタログをご覧くださいませ」
セレネはテーブルを見下した。
焼き立てのトーストやジャムといった一般的な朝食と一緒に、硬質の冊子が載せられていた。つまり、ただの食事ではなく、本番の下見も兼ねているのだろう。ただまあ、眼球を見ながらの食事というのは、いささか気分が悪い。セレネはできるだけ見ないようにしながら、トーストを手に取った。
「今回のオークションで出品される魔眼から本日は2点、明日も2点から4点ほどお披露目する予定となっております。
続きましては、こちら。『掠取の魔眼』でございます」
新たな魔眼の登場に、少し周囲の空気がどよめいた。
セレネは気味悪い魔眼を見る気になれなかったので、説明を聞き流しながら食事に専念する。
「名の通り、視界に入った物の生命力を直接奪う魔眼です。クラスとしては『黄金』に位置します。いささか古い物ですが保存状態は申し分ありません。ですが、魔眼の性質上、宿主に牙をむく可能性があります。過去の移植者が瀕死に至り、当スタッフの手で摘出されておりますので、入札される方は契約書の責任制限条項を確認くださいませ」
オークショナーが説明を続ける声が通り過ぎていく。
「残り出品される4つの魔眼は、明日の朝食でお披露目させていただきます」
「……さすがは、魔眼蒐集列車だこと」
ルヴィアゼリッタが呟いた。狩人らしく、黄色の瞳が興味深そうに爛々と輝いている。
「黄金ランクの魔眼は珍しいのよ。なにしろ、先程のノウブルカラーよりもさらに上位のランクだもの」
カリーが解説をしてくれた。
「一つ間違えれば、時計塔の奥底でずっと保管されるレベルの魔眼よ」
「そうですか」
「ところで、よろしいかしら?」
ルヴィアゼリッタは唐突に声を上げると、オークショナーを挑戦的に一睨みする。
「虹の魔眼が出ると風の便りで聞きましたが?」
オークショナーは何も答えない。ルヴィアゼリッタはもう一度、同じ言葉を繰り返した。
訂正、さらに一文、言葉を追加させて繰り返した。
「伝説の『虹の魔眼』が出るとお聞きしましたの。なんでも、イギリスに現れた『直死の魔眼』が出品されるとか」
最後の言葉を聞いた瞬間、セレネは背筋が凍る思いがした。
イギリスに現れた直死の魔眼。どう考えても自分しかありえない。こんな恐ろしい魔眼、自分以外にぽんぽん現れていたら、世界のパワーバランスが簡単に崩れてしまう。
「本日、この場ではお答えしかねます」
オークショナーは口にした。
ない、とは言わなかった。あくまで「本日この場では」だ。周囲の魔法使いたちは全員、一様にして硬直していた。否、全員ではない。グリンデルバルドとカリーを除く全員だ。グリンデルバルドは素知らぬ顔でトーストにジャムを塗り、カリーは紅茶に何かスパイスのようなものを振りかけている。
「そう……それなら、よくってよ」
ルヴィアゼリッタはそれだけ言うと、用件は済んだのだろう。バターを塗ったトーストを小さな口で食べ始める。
「エーデルフェルトさんは、直死の魔眼が欲しいのですか?」
セレネが下手に出て尋ねると、彼女は当然と胸を張った。
「一睨みで死を確定させる魔眼ですことよ。ぜひとも、我がコレクションの末端に加えたい宝ですわ」
「一睨みで死を確定、ですか」
セレネは力なく笑った。
確かに死を視ることができるが、視るだけだ。視た対象をアバダケダブラするわけではない。そこが伝説のバロールの魔眼と違う。
……なんて、解説をしようものなら、自身が直死の魔眼を持っていると露見しかねない。ここはあくまで、無知の振りを通した。
「本当にありえるのでしょうか」
「お弟子ちゃんの言う通り。直死の魔眼は、伝説の魔眼よ。私も噂は聞いたことがあるけれど、実存が疑われる眉唾物だもの。真祖だって見たことがないんじゃないかしら?」
カリーはスパイス入りの紅茶を飲みながら言った。
「そういう吸血鬼は、どのような魔眼を欲していらして?」
ルヴィアゼリッタは優雅に細い腕を組んだ。
「吸血鬼らしく、魅了の魔眼かしら?」
「うーん、そうね。教えてあげてもいいわ」
カリーは紅茶のカップをことんっと置いた。両肘をテーブルに着き、両手の上に顎を乗せる。その様は凄く威圧感があり、視線の先がルヴィアゼリッタに向けられているのに、セレネまで緊張してしまう。
「実はね、宝石ランクの魔眼が出るって聞いたのよ。
『視界に入った物の味を変える魔眼』がね!」
「……味?」
「そう、それがあれば、私の悲願が達成できる日が近づくかもしれないのよ」
カリーは鋭い二本の牙を見せつけるように笑った。この時、彼が人間ではなく、吸血鬼であることを再確認する。吸血鬼の野望といえば、あまり良い想像はできない。セレネは隣のルヴィアゼリッタが少し強張った気配を感じ取った。きっと、彼女も理由が気になっているのだろう。
セレネは、何も聞かない彼女の代わりに尋ねることにした。
「悲願、とは?」
「それは当然! 血を美味いカレー味に変えて、たくさん血を飲んで、強い吸血鬼になるという悲願よ!!」
セレネとルヴィアゼリッタは言葉を失くした。
おそらく、似たような思いを抱いているに違いない。セレネは代表して、今も子どものように目を輝かせている吸血鬼に質問することにした。
「えっと、普通に血を飲めばいいのでは? というか、なぜ、カレー味?」
「あら、言っていなかったかしら? 私、血が飲めないの。血の味が大っ嫌いなのよ」
「それは聞きました。ですが、なぜ、カレーなのです?」
「私、カレーしか食べられないの」
セレネの脳裏に、ずっと昔――……といっても1年ほど前、ハリーとした会話が蘇ってくる。
カレーしか食べられない吸血鬼がいると。自分はそれを嘘だと思いながら、彼に話したところ、彼は真実だと受け取ってしまい、少しばかり焦った記憶がある。
そう、あれは嘘だと思っていた。
だが、違った。正しかったのだ。なにしろ、その吸血鬼本人が目の前にいる。
「それは、なにかの呪いでしょうか?」
「呪いではないわ。もっと、単純な話。
それはね……カレーの味を知ってしまったからよっ!!」
カリーは頬に手を当てながら、うっとりと断言した。
カリーは背後に花を散らせる勢いで盛り上がっているが、セレネとルヴィアゼリッタの周囲の温度は絶賛、降下中だった。
「……えっと……」
「ええ、私は弱いわ。弱い吸血鬼。特技は触れた物の味を変えるだけ。このおかげで、一応は血をカレー味に変えられる。でもね、何度も何度も研究しても、まっずいカレーしかできないの。
だから、今回出品されるらしい魔眼を手に入れて、さらなるカレー研究に励むのよ!!」
セレネは話についていけなかった。
カレーは確かにうまい。セレネも嫌いではない。だが、そこまで情熱を向けるほどではなかった。
「あなたも美味しいカレーを食べてみなさい。インドに来たら、ぜひ案内してあげるわ!
美味しいカレーはね、パスタなんて眼じゃなくなるほど美味しいの!」
「いや、パスタも美味しいかと」
「パスタは駄目よ! カレーなの! も・ち・ろ・ん、麺の上にカレーをかければ別だけど」
もはや何も言うまい。
セレネはトーストにバターを塗り、ぱくりと食べた。
「ところで、あなたの名前を聞いていなかったわね」
「私は……ダフネです。ダフネ・ウォルパート」
セレネ・ゴーントと名乗るわけにはいかない。
だから、ダフネの名前とノーマンの家名を貸してもらった。
「ダフネちゃん、どうして部屋の中でもフードを被っているの?」
「……グレイブスの命令です。魔法の関係で、フードを被っていた方がいいと」
セレネは事前に考えておいた理由を説明する。
魔法、といえば詳しく突っ込んでこない。突っ込んで来たら「秘匿されている魔法だから」という言い訳で押し通すつもりだった。実際、カリーはそれ以上、尋ねてこなかった。
ただ、一言。
「そのフードをとった方が、きっと可愛く見えるわよ」
とだけ。まるで助言のように口にする。
セレネは小さく礼を言った。
結局、女子会はカリーによる「この素晴らしきカレー講話」で終わった。
カレーのスパイスについて、詳しくなった気がする。カリーの持参した特製レトルトカレーは本当に美味しく、何杯でもお代わりできてしまいそうだった。確かに、パスタなんて眼に入らなくなる、かもしれない。
ただ、もう食事をとりながら魔眼を見るのは御免である。
もちろん、出品される魔眼の中で「直死の魔眼」がないか確かめたかったが、それを差し引いても、セレネは少し明日の朝食に行く気分が重くなった。
ところが、これは杞憂に終わる。
理由は、とても簡単。
セレネが二日目の朝食に行けなくなったからだった。
魔眼蒐集列車編は型月キャラが多く絡んでくるので、整合性をとるのが大変です。でも、書いていて楽しい!(特にカリー)
列車が舞台になる話は今話含めて3話しかないので、遠足気分で執筆していきたいです。
次回更新予定は、5月10日金曜日の0時を予定しています。
今後もよろしくお願いします!
〇カリー
最弱吸血鬼。こんな死徒いねぇよ(笑
本名キルシュタイン。通称カリー・ド・マルシェ。
今回、書いていて一番楽しかった人。もっと出したい!
なお、原作?では褐色の肌ですが、今回は吸血鬼らしく白い肌にさせていただきました。
ところで、この人とペペロンチーノって本当に同一人物なのでしょうか?
インド異聞帯よ、早く来い!
〇ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト
直死の魔眼の噂を聞きつけて、コレクションの末端に加えようとした純血魔法使い。
直死だけでなく、今回出品された魔眼を全部狩り尽す予定。
……なお、前話投稿反映後、ガチャを回したら5回目で来てくれました。
やったぜ! あとは、ライネスちゃんだけだ!!
〇レーマン氏
イヴェットの父。娘も物語に絡んでこない。
〇ハリー=分霊箱説
あくまで仮説。
実物を見るまでは確証がない。