スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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92話 グリンゴッツ

 グリンゴッツ突入は1か月後に決定した。

 

 本当なら1週間以内に決行する予定だったのだが、ゴブリンの体調が回復していないこと、そして、ハーマイオニーが受けた精神的なダメージが予想以上に大きかったことから先延ばしにすることが決まった。ハーマイオニーはヴォルデモートに服従の呪文をかけられ、味方に襲いかかってしまったショックが大きく、立ち直るのに少し時間が必要だった。

 

 彼女が立ち直るまで、ハリーとロンでマルフォイ邸から救出したゴブリンに協力を要請。セレネがハーマイオニーの代わりにグリンゴッツ突入の作戦を立案することになった。

 

 立案することになった、のだが――……

 

「ゴブリンが首を縦に振らない?」

 

 セレネは小首を傾げると、両面鏡の向こう側にいる人物を見返した。

 鏡の向こうのハリーは疲れたように頷いている。

 

「そうなんだ。助けてくれたことには感謝しているみたいだけど、グリンゴッツへ盗みに入るのは自殺行為だって」

「……まあ、正論ですよね」

 

 セレネは少し頭を抱えた。

 せめて、自分がいれば交渉がもう少し上手くいったかもしれないと思ってしまう。

 だが、「貝殻の家」は大人数向けの家ではない。新婚夫婦向けのこじんまりとした一軒家だ。そこに長らく滞在するわけにもいかず、ましてやベラトリックスの赤子、死喰い人の息子、正体を隠した闇の魔法使いを滞在させるのは、ビル・ウィーズリー夫妻に申し訳ない。無害と分かっていたところで、警戒を解くことはできないだろう。

 だから、セレネは到着して早々、ハリーたちと簡単な打ち合わせと今後の方向性を決めた後は、ひとまず別れることに決めたのである。

 

 とはいえ、作戦の立案や打ち合わせを守護霊の魔法でやり取りするのは時間の無駄だ。

 故に、セレネが以前使っていた両面鏡をハリーに貸すことで、この問題を解消したのである。

 しかし、セレネは貝殻の家を出たのは早計だったかもしれないと思い始めていた。

 

「ゴブリンが欲している報酬などはありますか?」

「それも良く分からなくて……というか、魔法使いのために働きたくないって感じが強いんだ」

「そう、ですか」

 

 これは最悪、ゴブリンなしの作戦を立案するしかないかもしれない。

 セレネはハリーとの通信を切ると、がっくりと肩を落とした。そのままベッドに倒れ込む。

 

「一番手っ取り早いのは服従の呪文を使うこと、だけど……ね」

 

 自分で呟いてみて、その案はないと首を振る。

 服従の呪文を使うには抵抗感がある。理論は知っているのでかけられるとは思うが、相手の意思を剥奪し、意のままに操るなんてぞっとする。なによりも、この呪文はヴォルデモートを連想させた。

 

「ま、なるようにしかならないか」

 

 セレネは諦めるように言うと起き上がり、ベッドの脇に目を向ける。

 サイドテーブルのように置かれたベビーベッドには、毛布に包まれた赤子がすやすやと寝息を立てている。両面鏡で通話を始める前まで、ミルクが欲しいと泣いていたことが嘘のようだ。

 赤子はミルクを欲しがり、おむつが濡れたことを教え、時折、人のぬくもりを欲する。

 

 ヴォルデモートの子とさえ思わなければ、ごくごく普通の赤子である。

 

「……変な感じ」

 

 セレネは呟いてみる。

 自分のベッドとか服とかが置いてある空間に赤子がいるのは、なんだか不思議な感じがする。

 

 グリンデルバルド子飼いの死喰い人が捕まったことにより、セレネ一行は別の住居へ移動していた。それは、セレネがもともと住んでいた家だ。その住居一帯に防犯魔法と「秘密の守り人」の魔法をかけ、潜伏している。

 この家に移動した理由は、簡単に言えば、かくれんぼの理論である。鬼は「そこにはいない」と判断した場所は、もう一度探しに来る確率が低い。実際、ヴォルデモートか死喰い人が家探しした痕跡はあったが、それは何か月か前の様で、他に誰も足を踏み入れた形跡は見当たらなかった。

 よって、セレネは半年以上ぶりに自宅に帰れたのである。

 グリンデルバルドが住処としていた住居や魔眼蒐集列車の部屋に比べると貧相だが、セレネにしてみればホグワーツの寮と同じくらい落ち着く空間だった。

 

「『アクシオ‐来い』」

 

 セレネは軽く杖を振ると、魔法史の教科書を呼び寄せる。教科書をぱらぱらとめくり、お目当てのページで止めた。

 

「ここだ……ゴブリンの闘争」

 

 魔法使いとゴブリンとの間では、騒動が絶えなかった。

 もちろん、グリンゴッツという小鬼が経営する銀行を魔法使いも使っているが、それとは別個にゴブリンとのいさかいは絶えたためしがない。これはゴブリン側に非があることもあるが、魔法使い側にも悪い所がある。

 その騒動の中心となる大半は、ゴブリン製の宝物だ。

 そもそも、ゴブリンは特殊な魔法を扱い、切れ味がよく、汚れを落とす必要のない武器を製造する。特にゴブリン製の銀製品は自身を強化するに値するものを吸収する性質があるのだ。

 

 セレネ的にゴブリンとは邪悪な雑魚モンスターのイメージが強いが、現実のゴブリンはドワーフに近い。

 ゴブリンは不思議な宝や特殊な武器を生産することに長ける反面、守銭奴気味で宝を手放したがらない。特に、魔法使いとの騒動の論点になってくるのは、宝の継承権に関してだ。

 ゴブリンはゴブリン族の創り出した貴金属は「金を払った者に貸す」だけと考えているため、人間がゴブリン製の貴金属を購入後に承継するしきたりを敵視している。購入者が死んだときは、ゴブリンに返すべきだと考えているのだ。その揉め事のせいで、軽い戦争に発展した事件が歴史上に数多く存在する。

 

「つまり、ゴブリン族の宝ともいえるべきものをゴブリンに返せば……なんとかなる?」

 

 セレネは口元に指を当てながら考え込む。

 もちろん、そんな都合の良い宝物など持っていない。唯一、セレネが持っているゴブリン族の貴金属と言えば、スリザリンのロケットだ。だが、あれも分霊箱を破壊した際、ほぼ二つに割れてしまっている。溶かせば金としての価値はあるかもしれないが、ゴブリンは満足してくれないだろう。

 では、他のゴブリン製の貴金属や武器を用意する必要がある。そこまで考えたとき、セレネは少しだけ口の端を持ち上げた。

 

「そうだ、あの手があるじゃない」

 

 セレネは顔をにやけさせたまま、杖を軽く振った。杖先から大蛇が現れると、するすると動きながら窓の向こうへと消えていく。あとは、待つだけだ。セレネはまだ寝息を立てている赤子に目を向ける。

 

「ちょっと行ってきますね、デルフィーニ」

 

 あまり意味がないだろうが、眠る赤子に断りを入れると、セレネは部屋から出ることにした。

 ちょうど、リビングに降りた時だった。

 玄関の呼び鈴が慣らされる音が聞こえてくる。セレネは杖を構えるのとほぼ同時に、チャリティ・バーベッジが扉の方へ駆け寄るのが見えた。

 この住居には「秘密の守り人」の呪文がかかっている。玄関まで入ることが許されている者は、セレネたち一行の他、先程、守護霊で伝言を送った人物しかいない。

 

「セレネ。貴方が呼んだって言ってるけど……」

 

 玄関に足を向けると、チャリティが困惑した顔を浮かべていた。セレネはチャリティから訪ねてきた人物の名前を確認すると首を縦に振った。

 

「大丈夫です。入れてください」

 

 セレネはそう言いながら、玄関のドアを開けた。

 すると、汚らしい髪をした小男が敷居に転がり込んできた。念のため、セレネは小男に杖を向けると

 

「『レベリオ‐正体を現せ』」

 

 と呪文を唱えてみた。

 変化は何も起きない。セレネは、男の目線まで屈んで見せた。

 

「久しぶりですね、マンダンガス」

「な、なんだよぅ急に俺を呼び出して! 俺にだって商売があるってんだ!」

「実は、その商売に関する話です」

 

 セレネはニッコリと微笑みながら、どこか怯えた小男を見つめた。

 

「以前、私は言いましたよね? ホグワーツの創始者に関する品か、宝物が隠されていそうな神秘的な場所を探してくるように、と」

「あ、ああ、言われたなぁ。でも、ホグワーツ創始者のゆかりの品なんてねぇよ!」

「神秘的な場所は? 何かが隠されていそうな、神秘的な場所はありましたか?」

「あー……まあ、あったにはあったが……」

 

 マンダンガスの歯切れが悪い。

 セレネはますます笑みを深めながら、少し声を弾ませながら探りを入れた。

 

「もしかして……私に教える前に、先に潜り込んでみたとか?」

 

 セレネが言うと、マンダンガスの身体がびくりと震えたのが分かった。少し顔を逸らし、たらたらと汗を流し始めている。どうやら、図星のようだ。 

 

「どこを探し当てたのですか?」

「……コーンウォールの遺跡だ」

「で、なにか見つけましたか」

 

 マンダンガスは押し黙ったまま答えない。だから、セレネは彼の耳元で一言

 

「契約」

 

 と告げた。

 

「け、剣だ! ああ、白銀の剣だ! 値打ちもんだ!」

「現物は?」

「これだよ! ここにある!」

 

 マンダンガスはシミや汚れだらけの肩下げ鞄に手を入れると、清廉な長剣を取り出した。如何なる銀よりも白く輝いており、手で触れるのが申し訳なくなってくるような剣であった。柄は血を滴らせたように赤々しく燃え、輝いている。

 セレネは剣とその出自を踏まえ、自分の知識に照らし合わせ、あっと驚いてしまった。

 

「……まさか……クラレント?」

 

 セレネは仰天する。

 アーサー王伝説に登場する王位継承を現す剣だ。反逆の騎士モードレッドが武器庫から盗み出し、アーサー王との最後の戦いで用いた剣である。カムランの丘とされるコーンウォールの遺跡から発掘されても不思議ではない宝物だ。

 セレネが問い返すと、マンダンガスは重々しく頷いた。

 

「数年前、あの場所でエクスカリバーの鞘が発見されたんでぇ。他の値打ちもんもあるんじゃねぇかと、探したらよぅ、これが出てきたんだ」

「エクスカリバーの鞘!」

 

 そちらもかなり魅力的な品であるが、数年前となると他の者が手に入れた可能性が高い。

 問題は今、マンダンガスの手にある白銀の剣だ。マンダンガスを呼び出したのは、ゴブリン製の宝物を手に入れてないか探るためだったが、これは嬉しい誤算である。クラレントと思わしき剣は、アーサー王の時代から千年以上経過しているというのに、いまだ失せない輝きを放っている。この時点で、ゴブリン製であることは間違いなかった。

 

「これ、譲ってくれませんか?」

「な、なに言ってやがる! 嬢ちゃん、さすがに嬢ちゃんでも無理な話だ!」

 

 マンダンガスは怒ったような顔になると、クラレントを強く抱きしめた。

 

「俺がどんだけ苦労して、こいつを手に入れたと思ってんだよぅ! 安く見積もっても100万ガリオンはするぜ!? うんにゃ、もっともっと値段を吊り上げたとしても、欲しがる連中はたくさんいる!」

「そうでしょうね。でも、忘れたとは言いませんよ?

 私、貴方の代わりにポッター作戦に協力したせいで、蛇男とその配下に殺されかけたんですから」

 

 セレネは声のトーンを落とした。

 

「もし、私が代わりを申し出ていなければ……貴方はサイコパスと戦う羽目になっていたんですよ? 後ろから放たれる死の呪いを絶えず躱し、1時間以上飛行する……貴方にそれができますか?」

「う、うぐぅ……そんとき、俺だったら『姿くらまし』を――……」

「『姿くらまし』をしたら、作戦がバレてしまいますよね。もしかしたら『姿くらまし』をしようとした貴方を止めようとしたムーディに死の呪いが当たってしまうかもしれません」

 

 マンダンガスはますます縮こまった。その様子がありありと想像できたのだろう。

 

「でもよぅ、それは全部『もし』の話だ!」

「……ですが、私との契約がなければ……コーンウォールの遺跡に入ろうとも思わなかったのでは?」

「それは……そうだけどよぅ」

「ただで引き取るとは言いませんよ」

 

 セレネは財布を取り出すと、金貨を取り出した。

 

「10ガリオンでいいですよね?」

「じ、10ガリオン!? そんな馬鹿な!! かなり桁が足りねぇよぅ!」

「いいですよね? それとも、契約をお忘れですか? 絶・対・服・従」

 

 マンダンガスは、セレネに服従しなければヒキガエルに早変わりだ。

 彼はかなり不服そうなしかめ面をしたが、カエルに変わるのは嫌だったのだろう。セレネから10ガリオンを受け取ると、しぶしぶクラレントを渡してきた。

 

「ありがとうございます。今度は、私から儲け話を提示しますね。

 あ……それからもう一つだけ、お願いしてもよろしいでしょうか」

 

 セレネが満面の笑みでクラレントを抱きかかえると、さらに声を潜めて話しかける。

 

「お尋ね者ではない魔法使いの髪と、その人物のグリンゴッツの鍵を手に入れてくれませんか?」

「お尋ね者ではない魔法使い?」

「ええ。今月末に持ってきてください。そうしたら報酬として、20ガリオン払います」

 

 セレネが金貨を提示すると、マンダンガスは悪態をつきながら帰っていった。

 

「おーい、なんか悪徳な取引をしてなかったか?」

「気のせいです。それでは、貝殻の家へ行ってきます」

 

 いつの間にか後ろにいたセオドールからじとっと湿った視線を向けられる。けれど、セレネは気にすることなく貝殻の家へ向かった。

 

 

 

 

 結果は良好。

 セレネがゴブリンの前でクラレントを提示し、「これをゴブリン族に返還する代わりに、協力してほしい」と協力要請を出したところ、喜んで食いついてきた。

 ゴブリンは悩んでいるふりをしていたが、クラレントを見た瞬間、がらりと様子が変わった。意地悪そうな目が爛々と輝き、クラレントに釘付けになっていたのである。

 ゴブリンが、この剣を喉から手が出るほど欲しいのは一目瞭然だった。

 事実、その日の午後にはゴブリンから、今回の取引を受け入れるとの回答を手に入れることができた。

 ところが、ゴブリンは『ハッフルパフのカップを手に入れた後に、クラレントを渡す』という交換条件を疑っているらしい。セレネがクラレントと一緒に家を去った後、ハリーたちは「小鬼に監視されているみたいだ」と両面鏡越しに教えてくれた。

 

 

 そして、運命の日が訪れた。

 

「1番楽な方法は不可能と分かったので、2番目の方法を実行します」

 

 セレネは集った全員に告げた。

 1番楽な方法とは先日助けてくれた屋敷しもべ妖精の力を借り、レストレンジ家の金庫の前まで『姿くらまし』をしてもらう案である。だがしかしゴブリン曰く、グリンゴッツの最深部はしもべ妖精の魔法ですら太刀打ちできない防衛措置が施されているらしい。

 そうなると、取るべき方法は限られてくる。

 

「正攻法でグリンゴッツに入ります。正面突破です」

 

 セレネは、ポリジュース薬を掲げた。

 貝殻の家の前には、セレネの他にハリー、ロン、ハーマイオニーの三人組が勢ぞろいしている。1月の真冬の明け方ということもあり、まるで心の隙間まで凍えさせるような風が吹き荒れていた。防寒魔法をかけてもなお、風は鋭く吹きつけている。ただし、ハリーの足元に佇むゴブリンだけ寒さを感じていないらしい。吹きすさぶ風を特に気にすることなく佇んでいた。

 

「ポリジュース薬で変身できるのは1人です。ですので、私と誰か1人は目くらましの魔法で姿を消すことになります。ハリーとゴブリンの彼は――……」

「僕の透明マントを被る。でも、誰に変身するの?」

 

 ハリーが尋ねてきた。

 セレネは髪の毛が飛ばされないように気を付けながら、薬に入れ込んだ。

 

「ナイトバスの運転手、アーニー・プラングの髪です」

「そいつなら、僕がやるよ」

 

 ロンがセレネからポリジュース薬の瓶を受け取った。

 

「ナイトバスなら乗ったことがあるんだ。運転手とも話したことがあるよ……乗り心地は最悪だったけど」

「では、私とハーマイオニーは『目くらまし』で問題ないですね」

 

 セレネが言うと、ゴブリン以外の全員が頷いた。セレネが唯一首を縦に振らなかったゴブリンに視線を向ければ、こちらに少し疑った眼差しを向け返してきた。

 

「お嬢さん、クラレントはありますよね?」

 

 ゴブリンが少し棘のある口調で尋ねてくる。セレネは鞄の中からクラレントを取り出すと、ゴブリンの前でかざして見せた。

 

「すべて終わってから渡します。迅速に。それでいいですね?」

「……かしこまりました。その約束さえ守ってくだされば問題ありません。協力しましょう」

「ありがとうございます。では、計画の全体を話します」

 

 セレネは少し声を潜めると、ロンに鍵を渡した。

 

「まず、ウィーズリー。貴方はアーニー・プラングのふりをしてください。この鍵を使って、自身の金庫を開けるように請求するのです。

 その後は貴方――……名前は……」

「グリップフック」

「グリップフックさんの出番です。トロッコを運転して、レストレンジ家の金庫まで案内してください」

「最下層の金庫を守っているのは魔法ではありません。ドラゴンです」

 

 ゴブリンのグリップフックは言った。

 

「グリンゴッツのドラゴンを避けるためには、鳴子が必要です」

「そこは問題ありません。私が何とかします。ですので、私がドラゴンの相手をしている間、貴方たち4人はレストレンジ家の金庫に侵入し、カップを手に入れてください」

「でも、どうやって脱出するの?」

 

 ハーマイオニーが尋ねてくる。

 

「運が良ければ、アーニー・プラングとして堂々と外に出れます」

「運が悪ければ?」

「強行突破です。全力で押し通ります」

 

 随分と頭の悪い言い方だが、それ以外に言い様がない。

 金庫破りだとバレたが最後、敵と戦うのは目に見えている。下手に策をこうするよりも、強行突破した方が分かりやすい。

 

「それに、強行突破した方が、あの蛇男に伝わると思いません?」

「まあ、そうだけどさ」

 

 ロンとハーマイオニーは不安そうな色を隠せなかった。代わりに口を開いたのは、ハリーだった。

 

「セレネ。君は……一人で大丈夫かい?」

「一人?」

「グレイブスって人やノットはいなくて大丈夫?」

「……ああ、そのことですか」

 

 セレネは問いかけに対し、さらっと答える。

 

「あまり大人数で金庫破りするのは大変でしょう? グレイブスには自宅待機、セオドールには睡眠薬を盛ってきました」

 

 もちろん、セオドールが新しく手に入れた「静止の魔眼」があれば、ドラゴン封じに良いかとも思ったが、人数が多くなりすぎる。

 セレネはグリンゴッツにはマグルの紙幣との両替に訪れた程度で、金庫まで降りるトロッコに乗ったことはない。だが、ハリーからの情報によると、ハグリッドと自身が乗ったら一杯になったらしい。ちなみに、ハグリッド一人で成人魔法使い3人分の横幅がある。そう考えると、これ以上の人数で作戦を決行するのは困難に思えた。

 

 無論、セオドールはそのような事実を伝えて引き下がる人物ではない。ということで、セレネは睡眠薬を盛ることにしたのである。

 彼を失神させることも考えたが、それは優雅ではない。それに、睡眠薬を盛ることは、魔眼蒐集列車で騙してきた仕返しでもあった。

 

 夕食に睡眠薬を盛る作戦は功を奏し、セレネが出立するときには、まだ彼は自室で眠りこけていた。

 

 セレネは軽く目を瞑った後、全員を再度見渡した。

 

「では、ぬかりなく行きますか」

「その前に、クラレントをポッターかそちらの二人にお渡しください」

 

 グリップフックが付け加えるように言った。

 

「カップを手に入れた後、クラレントを渡してほしいのです。そのためには、こちらの三人が持っていた方が良いと思います」

「カップを手に入れ、グリンゴッツを出た後に渡します。ですが、不安なのであれば、彼らに預けましょう」

 

 セレネはクラレントをハーマイオニーに渡した。

 ハーマイオニーが自身のビーズバックにクラレントを仕舞い込む様子を、グリップフックは少し陰険な目で見ていた。

 その後、ハリーがグリップフックを背に乗せると透明マントを被り、ロンはポリジュース薬を飲んだ。ロン・ウィーズリー特有の赤毛はふさふさの白髪へ変わり、そばかすは皺へと変わった。

 

「どう、僕?」

 

 ロンは声まで老人のようにしゃがれていた。

 

「いい感じ。貴方だとは思わないわ」

 

 ハーマイオニーがそういうと、ロンは嬉しそうな、しかし、どこか不満そうな顔をした。

 セレネはハーマイオニーと顔を見合わせると、互いに「目くらまし」の魔法をかける。こうして、貝殻の家の前に立っているのは、疲れ果てた老人一人になった。

 

「じゃあ行くよ、3つ数えたら漏れ鍋に出発だ。3……2……1!」

 

 透明マントの下のハリーが掛け声をかけた。

 セレネは漏れ鍋に意識を集中させると、ハリーの合図とともに回転した。数秒後、セレネの足が歩道を打ち、視界にはチャリングクロス通りが広がっていた。朝ということもあるのだろう。マグルたちが眠そうな顔で出勤していくのが見えた。当然ながら誰も、漏れ鍋の存在に気付かずに慌ただしく通り過ぎていく。

 

 アーニー・プラングの変身したロンが漏れ鍋の扉を開いた。

 

 セレネが初めて訪れた時、漏れ鍋はローブ姿の魔法使いで満ちていたが、悲しいまでに誰もいなかった。

 朝という時間帯もあるのだろうが、なんとなく陰気な感じが立ち込めている。腰の曲がった歯抜けの亭主がグラスを磨く手を止め、ロンに話しかけた。

 

「アーン、一杯飲んでいくかい」

「悪いトム。用事があるんだ」

 

 ロンが答えると、亭主は寂しそうに腰を曲げたまま、グラスを磨く作業に戻った。

 

 

 ダイアゴン横丁も静まり返っていた。

 開店の時間には少し早く、買い物客の姿はほとんどいない。それを考慮するにせよ、最初に訪れた時と比べて寂しいくらい様変わりしていた。これまでになく多くの店が閉じられ、窓には板が打ち付けられている一方、前回来た時にはなかった店が数軒あった。そのすべてが闇の魔術専門店で「問題分子」と説明書きの付いたハリーやセレネの顔が睨んでいる。自分に睨まれるのはあまり良くない気分である。

 ぼろを着た人たちが何人も店の前で蹲っていた。

 金銭をせびったり、自分は本当に魔法使いなのだと訴える声が虚しく響いる。

 

 これが、ヴォルデモートの望む世界なのだろうか。

 

 セレネは片目を包帯で覆い、足を引きずりながらまばらな通行人に「私は魔法使いだ! 半純血なんだ! 助けてくれ」と訴える男を横目で見ながら、暗い気持ちになった。

 明るく賑やかで彩り豊かなダイアゴン横丁の面影は一切ない。

 きっと、ヴォルデモートがトム・リドルだった頃、訪れた横丁は賑わいに満ちていただろう。それを見たリドル少年は、心を弾ませなかったのだろうか。それとも、あの頃から、このように暗い世界を望んでいたのだろうか。

 

 その横丁で、唯一変わらない建物があった。

 曲がりくねった石畳の道を、小さな店舗の上に一際高くそびえる雪のように白いグリンゴッツだ。セレネはひっそりとロンの後ろを歩いた。大理石の階段の下に着くと、扉の両側には細長い金属の棒を持った魔法使いが立っている。

 門番の魔法使いたちはロンが上がってくることに気付くと、金の棒を掲げて近づいてきた。

 たぶん、あまり良い目的ではない。

 

「『コンファンド‐錯乱せよ』」

 

 セレネは金の棒がロンの身体に触れる直前、門番2人に錯乱呪文をかけた。ロンはその隙によぼよぼよと階段を上っていく。グリンゴッツの敷居をまたいでから振り返ると、門番たちは眩暈がしたかのように、額をなぞっていた。

 

 細長いカウンターの向こう側で、脚高い椅子に座ったゴブリンたちが業務に没頭している。

 ロンは広々とした大理石のホールを少し怖気ついたように歩きながら、カウンターに近づいた。

 

「アーニー・プラングだ。自分の金庫に入りたい」

「鍵はお持ちですか?」

「これだ」

 

 ゴブリンはロンから鍵を受け取ると、若いゴブリンが現れた。

 セレネたちは若いゴブリンに案内されるままトロッコに辿りついた。朝が早いからだろう。周囲には他の客の人影はもちろん、ゴブリンすら見当たらない。

 

「『ソムーヌ‐眠れ』」

 

 セレネの呪文は若いゴブリンに当たると、ゴブリンはこてんと眠り始めた。

 

「さあ、早く!」

 

 グリップフックは透明マントの下から現れると、トロッコの御者台に乗った。ハリーも透明マントをしまい、ハーマイオニーも呪文を解く。セレネも目くらましを解くと、念のために眠りこけた若いゴブリンを抱え、トロッコに飛び乗った。

 ここまでは上手くいった。

 ここからが本番である。

 トロッコはがたんと音を立てると発車した。どんどんと速度を上げ、くねくね曲がる坂道の迷路を下へ下へと進んで行く。セレネはまるでジェットコースターのようだと感じた。天井から下がる鍾乳石の合間を飛ぶように縫いながら、地の底へと深く潜っていく。

 セレネは念のため道を覚えようと努力したが、右、右、左、三叉路を直進しての右、左と目まぐるしく動いていくので、とてもではないが覚えきれなかった。

 

「この先にドラゴンがいます」

 

 グリップフックが叫んだ。

 

「対処方法は本当にあるのですね?」

「ありますのでご安心を――……ッ」

 

 次の瞬間、火の玉がトロッコを掠めた。

 巨大なドラゴンが行く先の地面に繋がれ、最も奥深くにある5つの金庫に誰も近づけないように立ちはだかっていた。長い間、地下に閉じ込められていたのだろう。色の薄れた鱗は剥がれ落ちやすくなり、両眼は白濁したピンク色だった。両方の後ろ脚には足かせが嵌められ、巨大な杭に鎖でつながれていた。

 

「私が動きを止めます。その隙に金庫へ!」

 

 セレネはトロッコから到着する前に飛び降りると、今まさに火を噴こうとするドラゴンの鱗の剥がれた場所に狙いを定め、鋭く呪文を唱えた。

 

「『アレスト・モメンタム‐動くな』!」

 

 ドラゴンは火を吐く姿勢のまま固まった。その隙をついてハリーたちが1つの金庫に向かって駆けだす。その足音が天井高くまで響き渡っていた。もしかしたら、あの足音で気づかれるかもしれない。セレネは危惧したが、自分は自分のするべきことに専念する。

 セレネはドラゴンの眼に照準を合わせると次の魔法をかけた。

 

「『ソムーヌ‐眠れ』!」

 

 セレネは出来る限りの魔力を練り込み、眠りの魔法を放つ。

 眠りの魔法がドラゴンにも有効だということは、4年生の時の三校対抗試合「第一の試験」でフラー・デラクールが実証している。彼女は獰猛なドラゴンを眠らせ、その隙に金の卵をとったのだ。もちろん、ドラゴンの大部分は魔法を弾き返す鱗に覆われているため、普通の呪文は効果がない。

 しかし、ドラゴンの急所である眼なら話は変わってくる。

 唯一、鱗に覆われていない両眼に眠りの魔法をかければ、意外と効果があるのだ。

 セレネの呪文を受けたドラゴンは、白濁した眼をとろんとさせ、瞼を降ろし始めた。

 

「……これで、ドラゴンは無効化できた。あとは、ハリーたちに託すしかありませんね」

 

 セレネはハリーたちが消えていった金庫に視線を向けた。

 1分……5分……10分経っても出てこない。いったい、何をぐずぐずしているのだろうか。セレネが金庫の方に近づこうとした、その瞬間だった。セレネは貫くような殺気を感じた。弾かれたように振り返った途端、頬のすぐ傍を閃光が掠めた。

 

「侵入者だ! 金庫破りだ!」

 

 その数、100人を超すゴブリンたちが警備の魔法使いを連れて、わらわらわらと降りてくる。

 ゴブリンたちの手には短刀が握られ、その表情は鬼気迫るものがあった。

 もしかしたら、予定外の金庫が開けられたことがゴブリンたちに伝わり、金庫破りが発覚したのかもしれない……なんてことを頭のどこかで考えながら、セレネは盾の呪文を展開した。魔法使いたちの放つ呪文を弾き返しながら、金庫に目を向ける。ハリーたちはまだ出てこない。

 

「盗人だ! まだ中にいるぞ!」

 

 ゴブリンの大半はセレネではなく、金庫の方へと駆けだしていった。

 やはり、ゴブリンは金庫に誰かがいることを知るシステムでもあるのかもしれない。とはいえ、セレネも危ない状況であることには変わらない。魔法使いたちが放つ魔法のせいで天井が揺れ、ドラゴンが眠りから覚めようとしている。

 

「『ステューピファイ‐麻痺せよ』」

 

 セレネは赤い閃光を放ちながら、一人、また一人と撃破していく。

 ドラゴンは薄らと瞼を開けると、低い声で唸り始めた。

 

 そのうちに、ゴブリンたちが金庫の前に辿りついた。

 一人のゴブリンが金庫に指を通し、重々しい扉を開ける。その次の瞬間、扉の向こうから眩いばかりの金銀財宝が津波のように押し寄せてきた。これには、体の小さいゴブリンたちは、足どころか体の自由を奪われてしまう。短剣を手にしたまま、全員が金の洪水に埋もれ、波に流されていった。

 その波の上を滑るように、ハリーたちが姿を現した。

 

「やったよ!!」

 

 ハリーがカップを掲げている。

 セレネはそれを見届けると、すぐさま自身の鞄から箒を取り出した。

 

「ハリーとウィーズリーで乗ってください! ハーマイオニー、こちらへ!」

「君、正気か!?」

 

 ロンが呪文の合間を縫い、息を切らしながら言った。

 

「どこに飛ぶんだ? ここは地の底だぞ!?」

「だから、上に行けばいいんじゃないですか!」

 

 セレネはハーマイオニーの手を取った。

 

「とにかく上を目指せば、出口ですよ」

 

 自分たちは地の底へ、底へと進んできた。

 ならば、逆の行いをすれば外に出ることができる。つまり、ひたすら上へ登ればいい。

 

「『ヴォラート‐飛べ』!」

 

 セレネはハーマイオニーの手を握りしめると、地面を蹴り飛ばした。

 身体が浮き上がり、天井へ向かって一直線で飛び始める。下方のハーマイオニーが悲鳴を上げる声が聞こえてきた。

 

「飛べってどこに!? トンネルに向かって!?」

「最初は考えましたが、あれは自殺行為です」

 

 トンネルの中に戻るのは無謀である。

 当初の脱出計画だと、来た道をひたすら飛んで戻るつもりだったが、あそこまで入り組んでいたのだ。きっと、上へ逃げる泥棒への対策として、通行止めになっている道もあるのだろう。むしろ、侵入者が現れたのだから、ほとんどの道を通行止めにしている可能性が高い。

 

「だから、別の方法で地上に戻ればいいんです」

 

 一番いいのは、自分たちで天井を掘り進めることだ。

 ここにはスプーンもシャベルもないが、もっと便利な穴掘り魔法がある。もちろん、ちんたら掘っている暇など存在しない。ならば、この場で最も破壊力を秘めた存在に助けてもらえば良いだけの話だ。

 セレネは杖を下に向けた。すっかり目を覚ましたドラゴンは、魔法使いへ向けて火を吐き散らしている。

 セレネは空に浮かんだまま、まずはドラゴンの鎖に向かって

 

「『レラシオ‐放せ』」

 

 と唱える。そのすぐ後に、ドラゴンの頭の辺りに向かって軽い衝撃魔法を放った。

 ドラゴンからすれば小石をぶつけられたような感じだろうが、頭上に敵がいることを察したことに他ならない。ドラゴンは身体を上に浮かすように持ち上げ、火を噴こうとした。そのとき、ドラゴンは気づいたようだ。足がどこまでも持ち上がる。つまり、がっしりとした足枷が外れ、自分が自由になったことを悟ったのだ。

 

 自由と敵を比べたら、当然、自由の方に手が伸びる。

 ドラゴンは両方の翼を開くと、金の波に埋もれて悲鳴を上げるゴブリンたちを薙ぎ倒しながら、ぐんっと舞い上がった。すぐにセレネたちが飛んでいる辺りまで到達し、その先の天井に頭をぶつける。ドラゴンからすれば、自分の行く手を塞ぐ邪魔な天井だ。ドラゴンは迷うことなく炎を吹くと、トンネルを吹き飛ばした。

 ドラゴンが行く手を破壊するたびに、岩と煙、そして熱が押し寄せてくる。

 

「『プロテゴ‐守れ!』『プロテゴ!』」

 

 セレネは、自分たちと少し離れたところを飛んでいるハリーたちに盾の魔法をかける。

 このおかげで、随分と視界がはっきりした。少なくとも巨石の落下を恐れ、避ける手間が省ける。 

 

「『ディフォディオ‐掘れ』!」

 

 セレネの後ろで、セレネの意図を組んだハーマイオニーがドラゴンを手助けし始めた。ハリーやロンもハーマイオニーに倣い、穴掘り魔法を連発して天井を吹き飛ばしにかかる。セレネも助けたいが、飛行魔法と盾の呪文を継続させることに全神経を集中させているので、長々と穴掘り魔法を連発することが難しい。ハリーたちとドラゴンが天へ天へと進みゆくさまを黙って見届けるしかなかった。

 ゴブリンたちが何かをがらがらと鳴らす音が聞こえたが、その音もだんだんくぐもり、前方にはドラゴンの吐く炎で、着々と道が開けた。

 

 呪文の力とドラゴンの怪力、炎の力が重なり、ついに大理石のホールを吹き飛ばした。

 これにはゴブリンたちや一般客たちも悲鳴を上げ、身を隠す場所を求めて逃げ惑い始める。とうとう翼を広げられる空間に到達したドラゴンは、入り口の向こうに爽やかな空気を嗅ぎ分け、角の生えた頭をその方向へ向けて飛び立った。金属の扉も力尽くで突き破り、捻じれた蝶番がぶら下がった扉をしり目に、ドラゴンはよろめきながらダイアゴン横丁に進み出ると、そこから高らかに大空に舞い上がった。

 

「僕たちはどうするの!?」

 

 ハリーがドラゴンのすぐ脇を飛びながら尋ねてくる。

 

「『貝殻の家』に戻るわけにはいきませんので、ひとまず私の家へ!」

 

 セレネは自宅の住所を告げると、ハーマイオニーと手をつないだまま、その場で回転した。

 義父と育った自宅の前に現れると、セレネはほっと安心した。わずか1,2時間程度の時間だったが、安全地帯に戻ってくることができると、どれだけ引き締めた心も緩むものである。

 

「ごめんなさい、セレネ」

 

 ハリーたちが到着するのを待っていると、ハーマイオニーが口早に話しかけてきた。

 

「クラレント、グリップフックに渡し損ねたの」

「あとで落ち着いてから渡しに行けば、特に問題ありませんよ」

 

 セレネが答えた時、ちょうどハリーとロンがよろめきながら現れた。

 

「うへー、箒に乗りながら『姿くらまし』なんてするもんじゃないや」

 

 ロンが気持ち悪そうな顔をしていた。ハリーの顔色も良くないが、2人とも五体満足らしい。セレネは彼らの無事を確認すると、玄関の扉を開いた。

 

「戻りました」

 

 セレネが入ると、グリンデルバルドが近づいてきた。

 

「その様子だと上手くいったようだな」

「ええ、まあなんとか」

「離れて、セレネ!!」

 

 セレネが会話していると、ハーマイオニーが鋭く叫んだ。彼女は眼に恐怖を浮かばせながら、両手で杖を構えている。ハリーとロンは彼女の変化に戸惑っているようで、杖を構えるか悩んでいるように見えた。

 

「その人から離れて、セレネ!」

「……あー……そういうことですか」

 

 セレネは自分のミスを悟った。

 今までグリンデルバルドは彼らに「パーシバル・グレイブス」として接していた。ところが、今の彼はどう見てもグリンデルバルドに他ならない。ハリーたちは分からないらしいが、しっかり魔法史を勉強している女性には正体が露見してしまったようだ。

 セレネは疲れたように息を吐くと、杖を取り出した。

 

「ハーマイオニー、この人はからかうのが好きなんです。それでも不安なのでしたら……『エクスペリアームス‐武器よ去れ』」

 

 セレネは軽く杖を振るい、グリンデルバルドから杖を取り上げる。

 

「私が彼の杖を持っていますので、ご安心ください」

 

 グリンデルバルドの持っていた節の多いダンブルドアの杖を振りながら、セレネはこの杖の持ち主と化していた人物を見上げた。その男は何かを考え込むように、杖を持っていた手を握ったり離したりしていた。

 

「グレイブス、変身を解いてください。それ、本当に心臓に悪いですよ」

「……フロイライン、それが君の望みならばそうしよう」

 

 グリンデルバルドは自身の身体に手をかざすと、パーシバル・グレイブスの姿に変身した。まるで変身が解けるかのように変身術をかけるのは、やはり見事としか言いようがない。それも、杖なしでやって遂げるのだから、この男の能力は異常だった。

 ハーマイオニーはまだ訝しむような視線を向けていたが、ハリーとロンはすっかり信じ切っているように見えた。

 

「さあ、お茶を淹れましょうか。疲れたでしょう?」

 

 チャリティー・バーベッジが優しそうに微笑むと、茶の準備を始めた。 

 紅茶とスコーンを食べると、心も落ち着き始めた。肩の荷が下りたような安らかさがある。セレネはスコーンを食べ終えると、かぼちゃジュースを飲み始めたハリーに言葉をかけた。

 

「それで、ハリー。分霊箱は?」

「ここにあるよ」

 

 ハリーはポケットの中から純金のカップを取り出した。穴熊の刻印が押されている。セレネは魔眼殺しを外すと、カップに目を落とした。

 

「……さてと、行きますか」

 

 カップには、またとない程の死の線がこびりついている。

 セレネが狙いを定めていると、カップに宿ったリドルの欠片は死の危機が迫っていることを察知したのだろう。カップはカタカタと揺れると、カップの底に赤い目玉が一つ現れた。後ろから見ていたバーベッジとハーマイオニーが、小さく悲鳴を上げる声が聞こえてくる。

 

「『お前は――』」

「ごめんなさい、話している暇はありません」

 

 せっかくなので、セレネはダンブルドアの杖で線をなぞった。

 不思議なことに、いつもの沙羅の木の杖よりも手に馴染み、力を込めずに死の線を絶ち切ることができた。あっという間に赤い目玉は二つに分かれ、断末魔のような悲鳴を上げる暇もなく粉々にされる。

 

 これまでの内、最も呆気ない分霊箱の最後であった。

 

「この杖……?」

「これで残る分霊箱は1つだ」

 

 グリンデルバルドが言うと、ロンが嬉しそうにガッツポーズをとるのが分かった。

 

「あとは『例のあの人』が分霊箱の場所を思い浮かべるだけ――……ハリー?」

 

 ロンがハリーの方を向くと、ハリーが額を抑えて床に蹲るところだった。苦しそうに呻きながら、荒い息を吐いている。

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーが気づかわしそうにハリーの背中を撫でる。ハリーの目の焦点が定まっていない。ただ、ゆっくりと焦点が定まっていく。ハリーはどこか長旅をしてきたかの後のようなこえで、ぽつりと呟いた。

 

「……あの人は、知った。僕たちが、分霊箱を破壊して回っていることを」

「それで、最後の一個の場所は分かった」

「うん……最後の一個はホグワーツにある。ホグワーツに隠されたレイブンクローに関する品だ!」

 

 ハリーの声が静まり返った部屋に響き渡った。

 

「ホグワーツ」

 

 セレネは呟き返す。

 

 魔法使い トム・リドルにとって始まりの場所。

 セレネにとっても魔法使いとして歩み始めた最初の場所だ。そして、セレネたちが7年間過ごした神秘と魔法の城でもある。

 

 そこに、最後の分霊箱が眠っている。

 まるで何かの因果のようだ、とセレネは感じた。

 

「あいつはすぐにホグワーツに行かない。他の隠し場所を確かめてから、ホグワーツを確かめに向かうみたいだ。最初はゴーントの小屋、次は洞窟だ」

「では、まだ時間はありますね」

「でも、どうやって忍び込むつもり?」

 

 ハーマイオニーが不安そうに尋ねる。

 

「ホグズミードに行こう」

 

 ハリーが言った。

 

「学校の周囲の防衛がどんなものか見てから策を考えよう。時間はあるけど、あまりないんだ! すぐに行動しないと!」

 

 ハリーは透明マントを広げた。

 

「これに隠れて行こう」

「でも、私たち全員は入りきらないわ!」

「シリウスが隠れていた洞穴に『姿現し』すれば問題ないよ」

 

 ハリーが急かしてくる。

 無理もない。今この瞬間にも、ヴォルデモートはゴーントの小屋に向かい、分霊箱がないことに気付くはずだ。

 

「焦りは禁物ですよ、ハリー」

「セレネ、時間はないんだ! とにかく、ホグズミードから侵入しなくちゃ!」

「だから、そんな危ない真似をしなくても問題ありません。

 だって、私たちには内通者がいるではありませんか」

 

 セレネは口元に弧を描いてみせた。

 

 

 

 




グリンゴッツの脱出は、もっとダイナミックにしても良かったかなと反省中です。
次回更新は6月13日0時を予定しています。

〇クラレント
モードレッドが盗み出した王位継承の剣。
コーンウォールの遺跡から発掘され、マンダンガスが盗み出しました。
現所持者はハーマイオニー。切れ味は抜群。
先に出土したエクスカリバーの鞘がどこにいったって? ご想像にお任せします。

〇グリンゴッツのドラゴン
原作同様、自然に帰りました。
魔法省の役人がマグルの記憶からもみ消すのに苦労したでしょう。
たぶん、ガス会社のせいにしたんだ。

〇グリップフック
今頃、帝王様に殺されてる。

〇ニワトコの杖
さらっと保持者が更新されました。

〇内通者
原作とは異なり、まだ死んでいない人物。

〇ソムーヌ‐眠れ
睡眠魔法。4巻でフラーがドラゴンを出し抜くときに使った。
しかし、呪文がなかったので勝手に創りました。




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