スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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97話 セレネ去る/キングズ・クロス

 静寂。

 誰の声も聞こえなかった。

 風で木の葉が揺れる音すら聞こえない。

 

「……」

 

 セレネはナイフを引き抜き、ゆっくりと立ち上がる。

 不思議なことに、ナイフには血が一滴たりとも付着していない。服にはナイフで貫かれた痕が残っていたが、肉体は無傷のようだ。どうやら、無事、魂のみを壊せたようだ。

 

 ただ、やはりというべきか。

 セレネは、ヴォルデモートだけでなく、ハリーの魂までも壊してしまったらしい。

 ハリーの瞼は閉じたままで、呼吸もしていない。セレネは少しだけ目を細めた。

 

「……さよなら、ハリー・ポッター」

 

 この言葉は、もう二度と彼に届くことはない。

 セレネは彼に背を向けて歩き出した。ここでようやく、時が動き出す。

 

「あ、あああああ!!」

 

 マクゴナガル先生の声が聞こえる。

 普段から冷静沈着で論理的に行動している先生が、あんなに悲痛の声を出すとは思わなかった。わずかに胸が軋む思いがする。

 その声を皮切りに、ハリーの名を呼ぶ声が校庭に響き渡る。

 セレネは振り返らない。

 セレネに見えているのは、前だけだった。校庭から禁じられた森へと通じる石造りの橋を渡り始める。巨人やゴーレムを導入した激しい戦の惨劇の痕が残り、橋の桟が崩れたり、セレネの頭ほどある石の礫がごろごろ落ちていた。非常に歩きにくいので、杖で軽く払いながら進む。払われた瓦礫は、まったく底の見えない谷間へと落ちていった。

 

 そうして、セレネが歩いている時だった。

 

「『ステューピファイ‐麻痺せよ』!!」

 

 憎悪の叫びが背後から聞こえてきた。

 セレネは振り返りざまに盾の呪文を展開し、失神呪文を弾き返す。ハリーの死体のところに、ハーマイオニーとロン、そして、ジニーが立っていた。特にジニーは猛然とすざまじい勢いで、セレネに向かって来ていた。今の一撃も、彼女が放ったものだったのだろう。

 

「ハリーを……ハリーを、よくも!!」

「ジニー・ウィーズリーでしたね。彼は……必要な犠牲でした。より大きな善のために」

 

 セレネは自分に言い聞かすように、淡々と誰かの言葉を真似る。

 すると、ハーマイオニーが泣きはらしたような目で、セレネを睨んできた。微かに手を震わせながらも、杖をまっすぐこちらに向けている。

 

「セレネ。それは、グリンデルバルドの言葉よ」

「……そうかもしれませんね。ですが、どうでもいいでしょう?」

 

 セレネはつまらなそうに答えた。

 

「セレネは……ハリーを殺して、ヴォルデモートに仕えることが良いことだって言うの?」

「まさか! 私がヴォルデモートのことが大っ嫌いなのは重々承知でしょう?」

 

 セレネが言うと、ハーマイオニーは言葉に詰まった。

 

「だったら、どうして……」

「ハリーは最後の分霊箱でした。ハリーを殺さない限り、勝ち目はありません」

 

 事実を提示する。

 ハーマイオニーは愕然と立ちすくんだ。ロンも目を見開く。分霊箱を知らないジニーだけが、疑念と憎悪で燃える視線をセレネに向け続けていた。

 

「ハリーを殺した言い訳に決まってる!!」

 

 ジニーが叫んだ。

 

「必要な犠牲!? そんなこと、あるわけないわ!!」

「……ッ、ハーマイオニー! だから、僕は最初から言ってただろ! こいつを仲間に加えちゃダメだって! ハリーが分霊箱? ありえない!! だいたい、そんな大事なこと、ダンブルドアが伝えないはずはないし、もし、それが本当だったら、ダンブルドアは殺される家畜みたいにハリーを育てて来たっていうのかよ!?

 だから、狡賢いスリザリン生を信じるのは駄目なんだ!! ましては『例のあの人』の血縁者なんて、信用できないって!!」

 

 ロンが妹に続くように声を荒げた。

 聞き捨てならない言葉に、セレネは瞬間的に杖を振っていた。ロンはセレネの放った失神呪文を真面に喰らい、後ろへと弾き飛ばされる。

 

「あの男の血縁者ではありませんよ。

 ……さてと、時間がありません。おしゃべりはここまでです。『プロテゴ ディアボリカ‐悪魔の護り』」

 

 セレネはロンが飛ばされる様を見ながら、橋の入り口に向かって呪文を放った。

 青黒い炎が壁のように燃え盛り、セレネとの間を遮断する。

 

「先に忠告しましょう。この炎を潜れるのは、私に忠誠を誓う者だけ。少しでも疑念がある者は、炎に触れただけで塵になります」

 

 セレネが静かに言うと、ハーマイオニーの青ざめる表情が炎の向こうに見えた。

 たぶん、彼女は文献でこの呪文を知っているのだろう。しかしながら、ジニー・ウィーズリーは知らなかったらしい。勇敢にも炎に向かって突き進んでくる。

 

「そんな脅し、私に通用しないわ。『アグアメンティ‐水よ』!」

 

 ジニーの杖から水が濁流のように放出された。

 だがしかし、その程度の水が悪霊の火に連なる業火の護りに敵うはずもない。水は炎に触れた瞬間、白く音を立てながら蒸発し、炎はより一層勢いを増した。地獄の業火は蛇のようにうねりながら、ジニーの杖にぶつかった。彼女の杖はたちまち青い炎に包まれ、塵芥と化していく。さすがの彼女も杖を落とし、慌てて後退した。

 

 青い炎はジニーを飲み込もうと襲いかかっていたので、セレネは脅すだけで良いと念じながら杖を振る。これで、ジニーの杖以上の犠牲が出ることはないだろう。

 

 ともあれ、これで、一番襲ってきそうな相手は戦えなくなった。

 まだ、ハーマイオニーが残っているが、彼女はこの炎について知っている。この呪文は単純な終了呪文でも止められない。10人前後の優秀な魔法使いが全力を出して、ようやく止められる業火だ。その準備をしているうちに、セレネは禁じられた森へたどり着くことが出来るだろう。

 

 セレネが彼女たちに背を向け、歩き始めた――……その時だった。

 

 

 

「『フィニート‐終われ』!!!」

 

 鼓膜を貫くような叫び声。

 セレネが弾かれたように振り返ると、青黒い炎はオレンジ色の正常な炎に包まれ、瞬く間に消滅していく。セレネは目を見張ってしまった。

 あの炎は、ミネルバ・マクゴナガルでも消すのに戸惑うはずだ。それを一瞬で、消した人物がいる。

 

「まさか……嘘でしょ……?」

「私の娘に何をする!!」

 

 モリー・ウィーズリーだった。

 こちらに駆け寄りながらマントをかなぐり捨て、両手を自由にする。しゅっと杖をしごきながら、業火の護りが消え失せた橋を渡り始めた。

 セレネはすぐさま応戦する。双方の杖から閃光が噴き出した。セレネとモリーの足元は熟され、亀裂が走った。セレネは感じた。この女性は、本気で自分を殺すつもりだと。

 

「おやめ!!」

 

 ハーマイオニーが応戦しようと駆け寄ったが、モリーは鋭く言い放つ。

 

「下がっていなさい。下がって!! この女は、私がやる!」

「あなたも下がってください、モリー・ウィーズリー。あなたでは、私に勝てない」

 

 セレネは呪いを繰り出しながら、モリーに関する情報を整理する。

 

 彼女は、ウィーズリー家の母親。

 三校対抗試合では、ハリーの観戦に訪れていた心優しそうで家庭的な女性だった。話を聞く限り、ごく普通の主婦で魔女。戦闘能力に秀でている話は聞かないし、彼女の息子や娘の戦闘能力から推察するにしても、そこまで実力者ではないはずだ。

 

 それなのに、なぜ……あの「悪魔の護り」を一撃で消したのか。

 どうして、自分との決闘で拮抗状態を維持することが出来ているのか。

 

 いくらスネイプとの戦いで消耗した上、ニワトコの杖を使用していなかったとしても、彼女程度は簡単に倒せるはずなのに、まったく圧し返すことが出来ない。

 娘を護るために、これほどまでの力を行使しているというのだろうか。

 

「ここで、貴方が私を殺しても……なんの、解決にもならない!」

 

 セレネはモリーの放った呪文を弾き返すと、周囲の瓦礫を数十本もの剣に変身させる。剣はセレネの背後に展開するように浮かび、指示を待つように留まっている。

 

「私は……私が、ヴォルデモートを倒す」

 

 大量の剣はセレネの宣言を合図に、まるで弾丸のようにモリーへと襲いかかる。

 

「私は大切な人たちを護るために、犠牲を払ってきたんだ!」

 

 グリンデルバルドを助言者に迎え入れるため、大犯罪者の脱獄に手を貸した。

 リータ・スキーターを間接的に死に追いやった。友人だったハリー・ポッターを殺した。そのために、大好きだった先生を城に叩きつけた。

 最愛の義父とセオドールと交わした誓いも破った。

 

「こんなところで、後戻りなんて、絶対に出来ない!! 『エクスパルソ‐爆破』!」

 

 先に飛び出した数本の剣を爆破し、モリーの視界を奪う。

 その煙を突き破るように、剣が矢のように彼女へ襲いかかった。モリーを砕くつもりはないが、足や腕の腱を切らない限り、彼女は迫ってくることは明白。「悪魔の護り」を突破した人物を無視して、ヴォルデモートを殺しに向かったところで、背後から討たれたら意味がない。

 

「そんなことは……分かり切ってるわ!!」

 

 ところが、剣の雨は彼女に傷一つ付けなかった。

 すべての剣がモリーを前にして停止し、石化していたのだ。モリーは腕を突き出すように「粉々呪文」を放った。石化した剣はことごとく粉砕され、その風圧がセレネに襲いかかってくる。セレネは思わず、右腕で顔を覆い隠した。

 

「だけど、その犠牲の上に成り立つ計画に、私の愛する息子たちや、娘を巻き込むなんて――……」

 

 モリーが叫んだ。

 

「絶対に、許さない――ッ!!」

 

 モリーの呪いが炸裂する。

 セレネは弾き飛ばそうと杖を突きだした。だがしかし、セレネの伸ばした片腕の下をかいくぐって躍り上がり、胸を直撃した。

 

「―――ッ!?」

 

 セレネの身体は、橋の外へと放り出される。

 自分の表情が凍りついたのが分かった。

 

「わた、しは……」

 

 なにが起きたのか、一瞬だけ理解する。

 「磔の呪い」に匹敵する失神呪文を受けた心臓が強烈な痛みを訴える。まるで、見えない手で強く握られているかのようだ。

 否、そんな事実はどうでもいい。

 

 大事なことは、なぜ、負けたかだ。

 

 視界の端に、激しく肩で息をする女性を視止める。

 彼女は、彼女の愛する者のために、杖を握った。

 自分も、同じだったはずだ。

 自分も大切な人のために、頑張ってきたはずなのに……。

 

「……ああ、そうか……」

 

 ふと、セレネは悟った。

 もし、いま悟ったことが事実なら、モリーに勝てないのは道理だし、納得がいった。

 

 

 納得がいくと同時に、浮遊状態から落下する。

 

 飛行呪文を唱えるだけの力はなく、瞼はひたすらに重たかった。

 風が轟々と耳元で鳴り響き、ひたすら身体が落下していくのが分かった。

 何もできないので、空を見上げる。

 夜明けが近いのだろう。濃紺の夜空の端から、薄い銀色が広がり始めている。暁の爽やかな薄明りが、夜の微睡みを覚ましていくみたいだ。

 

 明けない夜はない。

 何はともあれ、セレネがヴォルデモートの不死性を断ち切ったことは事実だ。

 

 モリーか、ハーマイオニーか、はたまた、ネビルか。誰か分からない。けれど、きっと誰かが、ヴォルデモートを殺してくれることだろう。

 そして、彼らがセレネの選びたかった未来を紡いでくれるはずだ。

 

 

「……でも、やっぱり、私……」

 

 

 その言葉を最後に、セレネは瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー・ポッターの話をしよう。

 

 目が覚めると、彼は静寂の中にいた。

 明るい靄の中に横たわっている。これまで経験したどんな靄とも様子が違っていた。雲のような水蒸気が周囲を覆い隠しているのではなく、むしろ、靄そのものがこれらの形を作っていくようだった。

 ハリーが横たわっている床は、どうやら白い色のようで、温かくも冷たくもない。

 

「……ここは……?」

 

 ハリーは立ち上がった。

 先ほど、自分は確かに殺された。まっすぐ、胸をナイフで突き刺された。服の上から刺された場所を触ってみたが、まったく痛みは感じなかった。傷跡もなく、血が出た様子もない。

 不思議に思いながら、もう一度、あたりを見渡した。

 眺めているうちに、だんだん目に入るものが増えてきたのだ。

 頭上には大きなドーム型のガラス天井が、陽光の中で輝いている。誰もいないドームを歩きながら、ふと、ハリーは長いベンチの存在に気付いた。そのベンチを覗き込み、びくっと身を引いてしまう。

 

 そこには、小さな裸の子どもの形をしたものが、丸まっていたのだ。

 肌は皮を剥がれでもしたかのように、赤くざらざらとして生々しく、誰からも望まれずに押し込まれ、必死に息をしながら震えている。

 

 ハリーはそれが怖いと思った。

 小さくて弱弱しく、傷ついて怯えているのに、ハリーは近寄りたくなかった。慰めてやらなければと思いながらも、それを見ると虫唾が走るのだ。

 

「君には、どうしてやることもできん」

 

 ハリーはくるりと振り向いた。

 アルバス・ダンブルドアが、ハリーに向かって歩いてくる。流れるような濃紺のローブを纏い、背筋を伸ばして、軽快な足取りでやってくる。

 

「先生?」

「あれは、我々の救いの及ばぬものじゃよ。

 ハリー、君はなんとも勇敢で素晴らしい子じゃ。さあ、一緒に歩こうぞ」

 

 ダンブルドアは両腕を広げた。

 手は両方とも白く、完全に無傷だった。ハリーが呆然としていると、ダンブルドアは悠々と歩き去る。ハリーは慌てて後を追いかけた。

 

「先生は、死んでいる?」

 

 ダンブルドアは生前の姿だった。

 右手こそ黒ずんでいないが、長い銀色の髪や顎髭、ブルーの瞳に折れ曲がった鼻。すべてが、覚えているままの姿で微笑んでいる。

 

「おおそうじゃよ」

「それなら……僕も、死んでる?」

「ああ。君は『それが問題だ』、というわけじゃろう?

 全体として見れば、ハリーよ、わしは違うと思うぞ?」

「でも、僕は死んだはずだ。僕は、防げなかった! あいつに殺されるつもりだったのに、セレネに殺された!!」

「そうじゃよ」

 

 ダンブルドアの顔から光のように、炎のように、喜びが溢れ出ているようだった。

 

「分かっているかもしれないが、ハリー。君が、最後の分霊箱じゃった」

「それで、僕の中にあったヴォルデモートの魂は……なくなった?」

「まさしく、その通りじゃ!」

 

 ダンブルドアはますます熱く頷き、晴々と励ますような笑顔を向けてきた。

 

「だけど、僕は……ここにいる。つまり、その、死んでる」

「死んだのは、あの者の魂だけじゃ。いまや君の魂は完全無欠で、君だけのものじゃよ」

 

 ダンブルドアの優しい言葉に、ますます疑問符が浮かび上がってきた。

 彼の言葉が正しければ、自分は生きている。殺されたけど、生きているというなんとも不可思議な状態だ。

 

「でも、どうして?」

「直死の魔眼は、その者が『殺したい』と思ったところを的確に殺す。あの者は、君に寄生する魂のみを破壊することに成功したのじゃよ」

「……それなら、どうして、最初からセレネに頼まなかったのですか?」

 

 ハリーは質問した。

 ダンブルドアは、スネイプに「ヴォルデモート自身の手によって殺されなければならない」と言伝を頼んでいた。スネイプは分霊箱について知らず、この命令を苦々しく受け取っていた。

 もし、ダンブルドアがセレネに「すべての分霊箱を壊したら、最後にハリーの中にあるヴォルデモートの魂を壊して欲しい」と言えば済んだことだ。

 

 ハリーがそんなことを考えていると、ダンブルドアは静かに言った。

 

「それを説明する前に、ハリー。1つ、振り返ってみて欲しい。

 ヴォルデモートが無知の故に、欲望と残酷さの故に、何をしたのかを思い出すのじゃ」

 

 ハリーは考え込む。

 椅子の下にいる発育不良の生き物が、すすり泣く声だけがホールに木霊していた。

 

「……あいつは、僕の血を入れた?」

「まさにそうじゃ!」

 

 ダンブルドアが言った。

 

「あの者は君の血を採り、それで自分の生身の身体を再生させた。あの者の血管に流れる君の血が、リリー・ポッターの守りが、2人の中にあるのじゃ。 

 あの者が生きている限り、あの者は君の命を繋ぎ止めておる!

 つまり、ハリー。リリーが君を護るために命を捨ててかけた魔法が、ヴォルデモートに僅かながら取り込まれた。母君の犠牲の力を、あの者が生かしておる。

 そして、その魔法が生き続けている限り、君も生き続け、ヴォルデモートも生き続ける」

「待ってください!」

 

 ハリーはここで、一つ重要な欠陥を見つけてしまった。

 

「僕の中にいたヴォルデモートは死んだ」

「さよう。殺された」

「だけど、まだあいつの身体の中には、僕の母さんの血が流れてる? だから、つまり……」

「守りの力は、ヴォルデモートの中で生きていると言いたいのじゃな?」

 

 ダンブルドアの言葉に、ハリーは頷いた。

 

 最後の分霊箱を破壊しても、まだヴォルデモートに「リリーの魔法」が流れている限り、ハリーも死なないし、ヴォルデモートも死なない。

 それなのに、ダンブルドアはくすくすと笑っていた。

 

「これが、直死の魔眼の面白い所じゃ。

 あの目は強力での。二重存在であれ、魂の欠片であれ、殺してしまえば、その崩壊は本体へたどり着く。これまでは、他の分霊箱のおかげで本体は護られておったが、既にそれはなくなった。

 直死の力はあやつに流れるリリーの魔法を殺し、いずれ、ヴォルデモートも死に至るじゃろう」

「なら……」

「ただ、君の中にいたヴォルデモートが殺されたことで、繋がりは断ち切れ、リリーの魔法の効果も消えたとも考えられる。

 セブルスに頼んだ通り、ヴォルデモート自らの手で君を殺し、繋がりを断ち切るにせよ、セレネが君を殺すにせよ、結果は同じじゃ。

 しかし、わしは、セレネではなくセブルスに頼んだ。

 端的に言えば、あの娘の魂を引き裂かせたくなかった」

 

 ダンブルドアの目に、一瞬、悲し気な色が映った。

 

「友人を殺す選択をしたとき、あの者の魂は傷つくじゃろう。

 老人の苦痛と屈辱を回避するための殺人と、かなり毛色が異なる」

「……だから、先生は……スネイプに頼んだ?」

「左様。

 セブルスがわしを殺し、周り廻って、ヴォルデモート自身の手によって、君を殺すことで、自ら分霊箱とその間の繋がりを断ち切り、不死性を剥奪するつもりじゃった」

 

 ダンブルドアは話を続けた。

 

「この一年あまり、あの者が求め続けていた品が何か知っておろう?」

「……ニワトコの杖、ですか」

「ニワトコの杖、最強の杖じゃ。つまり、わしの杖のことじゃよ。

 あの杖に纏わる血に塗れた伝説は知っておろう? あの杖は、殺人によって、持ち主を継承していくとされている。

 セブルスがわしを殺すことで、ニワトコの杖の所有権を継承させ、ヴォルデモートに継承されないようにする。

 そうすれば、あの者がわしの墓を暴いたとしても杖は真の力を発揮しない。

 わしの杖で、君を殺し損ねることができるのじゃよ」

 

 ハリーは長いこと考え込んだ。

 いや、数秒だったかもしれない。ここでは、時間などをはっきり認識するのが、とても難しかった。

 

「……でも、先生の杖は……墓にない」

 

 ダンブルドアの杖は、セレネに継承された。

 そのことは本人からも聞いたし、最期の戦いで使いこなしていた。

 

「もし、ヴォルデモートの手に杖が渡らなければ、僕は……完全に……」

「間違いなく、本当に死んでおった」

 

 ハリーが言い淀んでいると、ダンブルドアが言葉を明るみに出した。

 

「あの者の杖から放たれた『死の呪い』は持ち主の力を満足に引き出し、あの者の魂だけでなく、君の魂も殺しておったじゃろう。

 だから、当初の遺言には『セレネ・マールヴォラ・ゴーント』の名は書かれておらんだ」

「杖は、先生の墓に眠る予定だったと?」

 

 ハリーは混乱した。

 ならば、何故、遺言が書き変えられたのか。

 なにかが起きた時、遺言が書き直されるような魔法をかけていたのか。それが出来るのであれば、事前のうちに、スネイプへ直死の魔眼を使う計画を伝えておけばよかったのに。

 

「さすがのわしも、自分の死んでからのことは推測することしかできん。

 だから、まずは教えて欲しい。わしの死に方について、誰かに話したかね?」

「それは……はい」

 

 ハリーは正直に頷いた。

 

「ロンやハーマイオニー。ハグリッドやウィーズリー一家に騎士団の人たち」

 

 一人一人、話した順番に思い返していく。

 

「スクリムジョールには、話しませんでした。マダム・ポンフリーに、マクゴナガル先生。セレネやバチルダ・バグショットにも話しました」

「……なるほど………察するに、バチルダと出会ったのは、わしの葬儀じゃな?」

「はい。どうして、分かるのですか?」

「これらすべての謎を解き明かす根幹に、葬儀に出席したバチルダが絡んでおる。そうじゃのう……わしが殺される間際、マルフォイ少年に武装解除されたと聞き、バチルダは衝撃を受けていたはずじゃ。少々、気が動転していたかもしれん」

「ええ、まあ」

 

 ハリーが事実を伝えた時、明らかに様子が一変していた。

 それまでは死を悼むような雰囲気だったのが、いきなり、ぶつぶつと呟き、鬼気迫る顔で唸り始めたのだ。あの老婆はダンブルドアが子供に杖を盗られた事実を突きつけられた衝撃で、頭がおかしくなってしまったのかとさえ思ったものだ。

 

「……先生のことを『最期まで失敗だらけの人生だったな』と言ってました」

「……彼の言う通りじゃな。

 つまりじゃ、ハリー。わしの失敗でズレた軌道を修正したのが、あの男だったというわけじゃよ」

「男? バチルダ・バグショットは女性ですよ?」

「もちろん、バチルダは女性じゃ。わしが話しているのは、その時、バチルダの皮を被っていた男のことよ」

 

 ダンブルドアは笑いの消えた真面目な表情で、語り始めた。

 

「これは、わしの推測に過ぎんが……わしがセブルスに殺されたと聞いた時点で、あの男はわしが立てた計画に気付いておった。じゃが、ニワトコの杖の継承権が、マルフォイ少年に移ったと聞き、その計画が破綻したことを察したのじゃ。

 ヴォルデモート卿が、杖の継承者が最後にわしを武装解除した者……すなわち、マルフォイ少年に移ったと知ったら、間違いなく、あの子を殺すじゃろう。

 あの子を殺せば、ニワトコの杖の継承者は、ヴォルデモートになってしまう。それだけは、避けねばならない」

「では、その……バチルダの偽物が、遺言書を書き変えた?」

 

 遺言書について、ハリーは詳しく知らない。

 ただ、筆跡を鑑定するだろうし、魔法で本当の遺言書かどうか、必ず調べるであろうことくらいは分かった。その目を潜り抜け、誤魔化し切ることが出来るのだろうか。

 ハリーが悩んでいると、ダンブルドアは考えを見透かしたように頷いた。

 

「あの男は……わしの兄弟、アバーフォース以上に親しかった。わしの字の癖を真似るくらい造作もないし、魔法省の目を誤魔化すなど朝飯前じゃ。

 これも、あくまで推測にすぎんが、あの者は、どこかのタイミングで、……それも、ヴォルデモートの目の前で、マルフォイ少年から杖を奪い、自らに継承権を移動させた。マルフォイ少年は純血じゃ。継承権が移動した以上、ヴォルデモートは純血の少年を殺さない。その程度の分別は持ち合わせておる。

 その後、時機を見て、セレネに真の意味で杖を継承させたのじゃ」

 

 ハリーはダンブルドアの話を黙って聞いていた。

 ダンブルドアの話を聞いているうちに、ふと、ある男の名前が浮かび上がってきた。ダンブルドアが口を閉ざしたとき、ハリーは恐る恐る尋ねてみる。

 

「もしかして……その男は、グリンデルバルド?」

 

 ハリーは口に出してみて、自分の考えが飛躍しているかもしれないと思った。

 ダンブルドアと兄弟以上に親しい人なんて他にもいるだろうし、何より、この人物はとうに死んでいる。

 

 だけど、ハリーはこの考えに不思議と確信を持っていた。

 グリンデルバルド以上に、この答えに相応しい人物はいない。しかしながら、ダンブルドアとグリンデルバルドが繋がっているとも思いたくなかった。

 

 ダンブルドアは黙したままだったが、やがて、苦しそうに話し始めた。

 

「……わしは、愚かな過ちを犯した」

 

 ダンブルドアは、ぽつり、ぽつりと言葉を呟いた。彼は泣いているように見えた。

 

「愚かな過ちじゃ。あの男と知り合い、彼と一緒に、自分たちの描いた未来を到達することに夢中になった。

 死の秘宝を3つ集め、死を克服し、魔法界の秩序を正そうとしたのじゃ……あの者たちと同様、死を克服しようとしたのじゃよ」

「先生は、ヴォルデモートとも、グリンデルバルドと違います」

 

 ハリーはすぐさま答えた。

 

「先生はヴォルデモートみたいに分霊箱を求めなかったし、グリンデルバルドみたいに、クラムのおじいさんや関係ない人たちを犠牲にすることはなかった」

「……そうじゃ……そうじゃな」

 

 ダンブルドアはため息をついた。

 

「だが、はたして、わしは正しかったのだろうか。今でも思うのじゃよ、ハリー。

 わしは……怖かったのじゃ。グリンデルバルドと戦うことが……。君も知っているはずじゃ。わしとアバーフォース、そして、グリンデルバルドの戦いを……そこに巻き込まれた哀れな妹の最期を……。

 わしは、怖かった。グリンデルバルドと決闘することではない。その決闘の最中、あの者に『お前が妹を殺したのだ』と指摘されるのが怖かったのじゃ……」

 

 二人は長い間、黙ったままだった。

 背後の泣き声は、ハリーにはもうほとんど気にならなかった。

 

「……グリンデルバルドは、ヴォルデモートを倒すため力を貸してくれました」

 

 しばらくして、ハリーが言った。

 

「先生の計画を正してくれました。おかげで、僕はここにいます。ヴォルデモートの不死性はなくなりました」

 

 ダンブルドアは、膝に目を落として頷いた。

 まがった鼻に、涙がまだ光っていた。

 

「……風の便りに、孤独なヌルメンガードの独房で、あの者が悔悟の念を示したと聞いていた。そうであって、欲しいと思う。自分がしたことを恥じ、恐ろしく思ったと考えたい。

 わしに協力してくれたのは……その償いをしようとしたからであろう。ヴォルデモートが秘宝を手に入れるのを、阻止しようとしたのであろう……」

「……それとも、先生の墓を暴くのを阻止しようとしたのでは?」

 

 ハリーが思ったままを言うと、ダンブルドアは目を拭った。

 

「先生、僕は……帰らなければならないのですね?」

「君次第じゃ。ところで、ここはどこだと思う?」

「……僕は……」

 

 ここで、もう一度、ハリーは周囲を見渡した。

 

「キングズ・クロス駅に見えます。列車はないけど、なんとなく……」

「キングズ・クロス! 

 では、もし、君が帰らぬと決めた場合には、たぶん……そうじゃな。乗車できるじゃろう」

「それで、汽車はどこに連れていくんですか?」

「先へ」

 

 ダンブルドアは、それだけしか言わなかった。

 

「僕は……」

「もし、君が帰ることを選ぶなら、ヴォルデモートの息の根を完全に止める可能性はある。約束はできぬがの。

 しかし、ハリー。わしには、これだけは分かっておる。君が再びここに戻るときは、ヴォルデモートほどここを恐れる理由はない」

 

 ハリーは頷いた。

 この場を去ることは、禁じられた森へ向かい始めたときに比べれば、難しいとは言えない。

 しかし、ここは温かく、明るく、平和なのに、これから戻っていく先には痛みがあり、さらに多くの命が失われるおそれがあると分かっている。

 

 それでも、戻らないといけない。

 

「最後に一つだけ教えてください」

 

 ハリーが言った。

 

「これは、現実のことなのですか? それとも、全部、僕の頭の中で起きていることなのですか?」

 

 ダンブルドアは晴れやかに笑いかけた。

 明るい靄は再び濃くなり、ダンブルドアの姿をおぼろげにしていたが、その声は、ハリーの耳に不思議と大きく響いていた。

 

「もちろん、君の頭の中で起こっていることじゃよ。しかし、だからと言って、それが現実ではないと言えるじゃろうか?」

 

 

 

 

 

 





セレネの物語が完結まで残り3話。
最後まで、よろしくお願いします。


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