彼女はまるで、宝石箱のような女の子。
ターフタウンの外れに、花丸の実家はある。広い土地には立派に育った作物の成る畑と、ウールーたちの牧場があった。中等教育過程に差し掛かったルビィは花丸の家に遊びに行くついでに、花丸の家の手伝いをするようになった。
繁忙期は春から夏にかけて。その頃兄はジムリーダーとして挑戦者を迎えており、当時花丸には弟が産まれたため母親は育児に専念していた。必然的に家業の担い手は農園主の父と花丸に集中し、卸先に連絡するのは父の役目だったので、収穫や水撒き、ウールーの牧草やり等は花丸が1人で行っていた。
それに対して夏休みの間ならと手伝いを申し出たのはルビィだ。ルビィは家からの縛りが強く、花丸の実家であれば遊びに行く許可が降りた。果南や鞠莉とブラッシータウンではしゃぐダイヤを恨めしく見なくて済む時期だ。
ところで心身共におっとりとした花丸だが、実は力持ちだ。それこそウールーと変わらないサイズの牧草を軽々と持ち上げ、籠一杯の野菜を両手でひょいと持ち歩く。難点があるとすれば鈍臭いのか、ウールーの暴走に巻き込まれやすいことと、走るのが苦手なこと、そしてスタミナの少なさか。幸いベビーシッターの訪問日や卸先との用事がない限り両親は作業を率先してくれるし、兄もシーズン外なら基本的に農作業に集中するので、申し訳なさはあれど困ったことはないと花丸は言う。
「ぴぎっ......!」
牧草をイーブイと運ぶルビィにワンパチが吠える。ルビィはそのまま後ずさり、イーブイは小首を傾げた。ワンパチはルビィを睨みつけている。ほどほどの警戒心こそあれ、人懐こいソニアのワンパチとは異なる態度にルビィは竦み上がった。
「ルビィちゃーん、休憩ずらー。」
ルンパッパが牧草を肩代わりし、花丸が手招きをする。肩の力が抜けたルビィはしばらくワンパチに視線をやりながらも、花丸の方へ歩いていく。そろそろ休憩にしようか、と花丸が目をやった先にはティーカップを乗せたトレーを持ったクサイハナがいた。
「ターフ農園のワンパチって攻撃的なの?」
「うーん、ワンパチってどこもそうだと思うずら。」
「そうなのかなぁ。ルビィの知ってるワンパチは人懐こいから、吠えられてびっくりしちゃった。」
「ルビィちゃん、元々ワンパチはー」
★
「イヌヌワン!」
「あれ?ワンパチ、どうしてここにいるの?」
緑生い茂る農業の町、ターフタウンは冠自治区とは雰囲気は異なるものの穏やかな空気に満ちている。一方でジムチャレンジ最初の関門の町でもある。一見すると相反する要素を含んだ町に足を踏み入れた瞬間、独特な鳴き方のワンパチが坂を降りてきた。しゃがんで頭を撫でると、また坂を駆け上がった。反射的にワンパチを追いかけると、見知った鮮やかな髪とベージュ色のコートが目に入った。
「ソニアお姉ちゃん!ターフタウンにいたんだね」
「ルビィちゃん!?...ワンパチ、呼んできたな?」
ワンパチは胸を張るように鼻を鳴らした。
ソニアが指を刺した先には地上絵があった。草原と石灰のコントラストは大変美しく、目を引く。傍の看板には、かつてターフタウンの領民が領主の命で作成したものと説明されていた。そしてその内容も。
『太古のガラルに、巨大な黒い渦が現れた。ポケモンは巨大化し、我を忘れて殺戮を繰り返した。』
「もしかして、これってブラックナイトのこと?」
「そう思う。黒い渦が空を覆い尽くしたから、ブラックナイトって表現したんじゃないかな。」
太陽のような渦はブラックナイトで、巨人のようなものは巨大化したポケモン。この地上絵は少なくとも3000年も前に作成されたものらしいが、この頃のガラル地方は、ハルモニア家が率いる古代の帝国の傘下にあった。当時はその帝国の思想が他の地方にも蔓延しており、そこにはブラックナイトの記述などなかったはずだ。即ち、ブラックナイトの神話はガラル地方独自の言い伝えということがわかる。
「だけどこれだけだと、ブラックナイトとダイマックスの因果関係はわからないよね。」
ソニアは頭を抱えた。確かにブラックナイト下の現象と、ガラルリーグに適用されているダイマックスは非常に似ている。だが仮にブラックナイトとダイマックスに因果関係が実際に存在するなら、それらを関連付ける明確な証拠が必要だ。地上絵だけでは限界がある。
「そうなんだよなぁ...おばあさまの宿題は重いよぉ。」
「えっと...余計なこと言っちゃったね。」
「まさか!批判的な目線は研究者に必要だよ。」
★
引き止めてしまったお詫びとして、ソニアからキズぐすりなどの物資を貰ったルビィはポケモンセンターに立ち寄った。怪我をしたイーブイを預けるためだ。職員に言伝をして3つのボールを預け、その内リーフィアとアオガラスは間も無く返ってきた。案の定イーブイは重症であり、特に左前脚は形成不全を起こしていて完全には戻らないと言う。このまま専門のブリーダーに預けるか否かを問われたルビィは、くさバッジをもらったらすぐ迎えに来ると伝えてポケモンセンターを後にした。
「ルビィ!丁度いいところに!」
自動ドアが開いた瞬間、これまた見知った藍色の髪の幼馴染が立っていた。頬を紅く染めたホップは右手でポーチを弄ると、バッジフレームを突きつけた。開会式の後配布されたフレームには、草の意匠を模ったバッジが1つ。
「すごい!おめでとう!!」
「ウールーを扱わせたら俺は最強だからな!」
胸を張るホップの表情が冷め、間も無く両手で口を押さえた。はて、とルビィは小首をかしげるも、ポケモンセンターに身を寄せているトレーナーたちは2人を睨みつけていた。
「ルビィも勝てる!じゃあ俺は先に行くから!」
ホップはルビィの肩を叩いて走り去った。ルビィも手を振って見送る。途端にポケモンセンターから囁き声が聞こえ始める。
「ねぇ、あの子ジムミッションのねたばらししようとしたよね。」
「マジで迷惑。ルール違反だって説明聞いてなかったのかな。」
「どうせダンデの弟だから許されるでしょ。それよりもー」
それは真っ当なようで、無意識の悪意のこもった囁き。その続きはきっと、ルビィの尊厳を潰すようなもの。ルビィはその先を振り払うように頭を振り、一目散に走った。
★
兄ちゃんは弱いものいじめが嫌い。
そう言ったのは花丸だ。ヤローは自分より弱いトレーナーに対して全力を出すことを嫌う。プレミアリーグに組み込まれている以上その実力は確かだ。事実、ホップと予習した歴代試合は余程相性が不利でない限り上位に食い込むほど。しかしその美点か、悪癖か、それが原因で最初の関門として組み込まれている。あまりにも実力がないと、ダイマックスすら発動してくれないとも聞く。
あの子にはダイマックスすら必要ないよね、という心の底からの憐れみを他の挑戦者たちから投げかけられる。ヤローは確かに優しい。妹が世話になっているとはいえ、定期的に差し入れをくれ、農作業を手伝えば自家製の紅茶を提供して労ってくれる。だがもし自分が今日、憐れみをかけられたらどうだろう?最初から弱者認定されるなんてごめんだ。ルビィは膝の上で拳を握った。
自分の番号を呼ばれ、ルビィはレセプションに向かう。幸い今日は挑戦者が少なく、間もなくミッション入りできるとのことだった。ジムトレーナーはゲートを開け、ルビィを促した。
ミッションフィールドにはレフェリーが一人立っている。彼がミッションの説明を行うだけでなく、試合結果の報告も兼ねている。くさジムのジムミッションは、牧草ロールまでウールーを追い込み道を作ること。
牧場を象ったフィールドには20頭のウールーが思い思いに過ごしており、一定間隔で牧草ロールが束になって置かれている。何故ホップが「ウールーなら一人前」と言ったのか、そして他のトレーナーから睨まれたのか漸くわかった。ホップの発言は所謂ネタバレだ。シーズン外なら兎も角、シーズン中、それもシーズン開始後間もなくなら不快に思うだろう。ルビィは頷いた。ミッション開始のホイッスルが鳴る。目の前にいるウールーに近づくと、向こう側へと転がる。端からウールーを一か所に固めて、牧草ロールへ向かって走っていく。まるでサッカーをするように20頭も集められたウールーは見事に牧草ロールをぶち抜いた。幼い頃にホップの実家のウールーを2人で追いかけまわしたことを思い出し、自然と笑顔になった。
しかしそうは問屋が卸さなかった。2フィールド目の牧草ロールの前にいるワンパチに吠えられるとウールーは道を逸らしてしまった。しまった、とルビィは呟く。
『ワンパチって元々牧畜ポケモンずら。だからあんなに小さいんだよ。』
農園のワンパチに吠えられたとき、花丸はワンパチが元々牧畜ポケモンであることを説明してくれた。ウールーやミルタンクが牧場から逃げないよう、誘導するために適応したポケモンであると。であればワンパチの気を引いて上手くウールーを誘導するのが理想だが、ただでさえ広いフィールドを駆け回ったルビィは膝に手をついて息を整えつつ頭を整理する。急に立ち止まったルビィに試合放棄だとブーイングが発生する。
「あれ?」
ルビィはワンパチに視線だけを向けた。彼がいるのはジムトレーナーの足元だ。つまりワンパチを管理しているのは彼に違いない。もしかしたら彼を倒せばワンパチは大人しくなるのだろうか。ルビィは姿勢を整えると、アオガラスのボールを手に取った。
「あの、ルビィと、戦ってください!」
3フィールド目のワンパチは2匹もいた。だが2度目はルビィに通用しない。このワンパチたちもまたジムトレーナーに実力を示せばたちまち大人しくなった。やがてすべての牧草ロールがぶち抜かれた。呼吸を整えながら階段を上っていく。ミッションコンプリートのホイッスルに、ルビィは大きく息を吐いた。
★
決して明るくないトンネルの先には眩いバトルフィールドが広がっている。目どころか体すら焼いてしまうだろう。だがそうはならない。ここで最初のバッジを手に入れなければ、何も始まらない。
「逃げない。」
ルビィの足取りは重く、軽やかだった。
ターフタウンスタジアムは最初の関門。他のスタジアムと比較して挑戦者数も多い。ヤローの特性の関係上、ジムチャレンジは簡単にクリアできないよう、体力と閃きを必要とするやや厳しいものだ。
「流石だわぁ、ルビィちゃん。」
ヤローは大きく頷きながらルビィを称賛し、降り注がれる好奇の目線を和らげるように微笑んだ。しかし柔和な顔つきは一変して、凛々しいものへと変化する。
「ルビィちゃんはポケモンへの理解がとても深いんだな。きっと手強い勝負になる。」
ルビィは再び大きく息を吸い込んだ。花丸曰く、ヤローは確かに弱者には手加減してしまうかもしれない。だが挑戦者を見抜く目は決して侮れないと。
互いに背を向けて歩き出す。その鼓動は緊張か、高揚か。そのまま振り返ると、スタジアムの中央に光が舞った。
「アオガラス、ついばむ!」
勝負は順調。アオガラスはヒメンカの頭を嘴で咥えて放り投げた。フィールドに叩きつけられたヒメンカは目を回して倒れ、戦闘不能を確認した。ヤローは凛々しい顔つきのまま頷き、ボールを掲げる。
「さあダイマックスだ!根こそぎ刈り取ってやる!!」
ダイマックスバンドから赤いエネルギーが注がれ、ボールが巨大化する。ヤローはそのボールを愛おし気に撫でた後、片手で放り投げた。ダイマックスしたポケモンはワタシラガ、ヒメンカの進化体だった。
「やったねアオガラス、行くよ!ダイマックス!!」
一方のルビィはにやりと笑う。ダイマックスを使ってきたということは、実力を認められた証だ。高らかに鳴くアオガラスをボールに収め、ダイマックスバンドからエネルギーを注入する。巨大化したボールを抱き留め、片手で投げ飛ばした。ダイマックスしたアオガラスはワタシラガと睨み合いを続けている。
「驚けよ!これがダイソウゲンじゃあ!!」
「アオガラス、ダイジェット!ダイソウゲンを吹き飛ばすよ!」
ワタシラガの綿毛から種が噴き出た。アオガラスは大きく羽ばたき竜巻を起こす。風は種を押し返し、ワタシラガに激突した。吹き飛ばされたワタシラガのダイマックスは解除され、そのまま倒れ伏した。ルビィの勝利を宣告するアナウンスが流れ、悲鳴のような声がスタジアム中に響き渡った。
「君にとって、実りある勝負になったら嬉しいわぁ。」
肩に下げていたタオルで汗を拭いたヤローは納得したかのようにルビィを讃えた。バッジフレームに草の文様が描かれたバッジが嵌め込まれる。差し出された大きな手に、ルビィも手を伸ばした。
「あの、ありがとうございます。」
「あと7つのジムを突破できるよう、心から祈っているよ。」
★
「あの子凄かったね。」
「スクールアイドルやってる子でしょ?でも今だけだと思うよ。」
「芸能人の飯事やってるから中途半端に体力あっただけだよねー。ジムチャレンジはそんなに甘くないっつの。」
皆何もわかってない!花丸はそう叫びたい気持ちを抑えてレセプションのソファに座り込んでいた。何を隠そう、兄を迎えるためだ。
きっと兄は評価書と申し送り事項を作成していることだろう。兄は何て書いているのだろうか。秘匿事項だから家族である花丸にさえ教えてくれないだろうが、何となく察しはつく。
ヤローはダイマックスまで使った。ダイマックスすら使わない挑戦者もいるというのに。ルビィは認められたのだ。きっと高評価に違いない。なのに。
「ルビィちゃん、きっとバッジを全部制覇するずら。」
スタジアムの観衆たちの噂話はこれでもかと耳にする。ルビィはジムチャレンジエントリーまでまともなバトルは未経験だった。それを抜きにしてもポテンシャルそのものは決して馬鹿にできない。ウールーがワンパチの鳴き声を嫌がることをきちんと判断し、彼らを放ったトレーナーたちに勝負を挑んで大人しくさせる方法をとった。それに彼女のアオガラスはよく鍛えられている。実際ルビィはアオガラスの戦い方についてホップと議論できるのだ。ポケモン図鑑をきちんと利用してポケモンの理解に努めているだろう。
「いくらなんだって、みんな酷いよ。」
どうせ最初のジムなんだから当たり前だよねという嘲笑は、ターフタウンではよく耳にする。温厚な花丸さえこればかりは我慢ならなかった。ひょっとすると嘲るなんて思っていないんだろう。それが不快の元だった。ルビィが挑戦者としてエントリーしたという事実は、確かにリーグ関係者にとってセンセーショナルなニュースだったらしい。妹である花丸の友人であるから喜ばしかったし、実力を試してみたいとヤローは意気込んですらいた。そもそも挑戦者がバトルビギナーなどちっとも珍しくはない。寧ろ現チャンピオンはその状態でジムチャレンジを突破し、先代チャンピオンを打ち負かしたではないか。
そんな花丸のいら立ちは、自分の名を呼ぶ声に掻き消される。
「花丸ちゃん、お迎えありがとう。」
「兄ちゃんお疲れ様!」
花丸はヤローに駆け寄ると、手を握って労った。ヤローは一つも疲れを見せず、花丸に温かい笑顔を返す。あ、とヤローは目線を天に向けた後、花丸に質問した。
「ねぇ花丸ちゃん、ルビィちゃんってどんな子?」
花丸は考えた末に、百点満点の笑顔で返した。
「とても優しくて、気にしいで。でも胸の中にはカラフルな夢を宝石箱みたいに詰め込んだ女の子!」
2022.12.18.大幅に修正