史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第1話   邪神との出会い

 後になって振り返れば、人生なんてほんの些細な切欠で大きく変わってしまうものだ。

 例えば一つ電車を乗り遅れるだけで重要な会議に出席できずに会社をクビになったり。或いは事故に巻き込まれ死んでしまったりと。

 そういったなんでもないように見えて実は途轍もない分岐点というのは人生に幾つも潜んでいる。

 極普通の子供だった内藤翼にとってもそうだった。気付かぬうちに致命的な選択ミスを犯し、平々凡々で終わるはずの人生は、まったく想定外の方向に飛んで行ってしまったのだ。

 忘れはすまい。あれは良く晴れた日のことだった。

 天気予報では降水確率80%などと言っていたが、その予報は外れだったらしく、空には雲一つない青空が広がり、太陽は暖かな日差しを干されたワイシャツに当てていた。

 だが良い天気とは裏腹に翼の心は雨模様。というのも学校でうっかりとクラスのガキ大将の足を踏ん付けてしまい、それから紆余曲折あり何故か明日、土手で決闘することとなってしまったのである。

 江戸時代じゃあるまいし、決闘なんて実に古臭いことをガキ大将が言いだしたのは、クラス内でドラマの『宮本武蔵』がブームで、三日前に巌流島の決闘が放送されたのと無関係ではあるまい。

 とはいえそのドラマを見ていない翼としては迷惑千万なことこの上ない。

 

「はぁ。決闘なんてどうしよう?」

 

 自分の家の縁側でゴロゴロ転がりながら、翼は憂鬱に空を仰ぐ。

 自画自賛になるが翼は運動神経は良いほうだ。リレーの選手に選ばれたこともあるし、両親が他の親と比べても通知表を気にするタイプだったので、体育の成績も5以外にとったことはない。

 だがしかし。両親が厳しいことが災いした。これまでの人生で軽い争いくらいは何度か経験したが、殴り合いの喧嘩なんて一度もやったことがないのだ。

 

「ガキ大将の丸山……なんかお兄さんが空手家で色々教わってるらしいし」

 

 素人同士なら単純に体がデカくて運動ができる方が勝つだろう。

 運動神経なら翼はガキ大将に負けてないが、丸山はガキ大将になるだけあって体もデカく喧嘩の経験者。しかも武術の嗜みもあるときている。

 これでは喧嘩未経験者の武術未経験者の翼では勝ち目なんて皆無に等しい。

 だからどうしたものか、と悩んでいるのだ。

 

「逃げてもどうせ学校で会うことになるし、喧嘩せずに謝っても『根性無しー』とか言われて襲い掛かられそうだし。はぁ~~」

 

 深々と溜息を吐く。溜息をつくと幸せが逃げるというが、これでかなりの量の幸せが逃げていっただろう。

 しかしこの時の翼は馬鹿だった。喧嘩慣れしたガキ大将なんて本物の〝恐怖〟と比べればなんら大したことがない存在だったことが分からなかったのだから。

 

「あれ?」

 

 そこで気付いた。家にある柿の木。まだ青く熟していないものばかりだった中に、二つだけ赤々と熟したものがある。

 

「…………よし」

 

 どうせ考えたって解決策が浮かぶわけではないのだ。気分転換に腹ごなしでもしよう、と翼は柿の木に駆け寄ると台の上に立って柿をとる。

 台所へ持って行って包丁で切り分けようか、そのままむしゃぶりつくか。一瞬悩むが、

 

「やっぱり果物は切らずに食べるのが男らしいな、うん」

 

 適当に理由をつけながら一つはこのまま食べ、もう一つは切り分けようと決めると、翼は柿を口の中へ頬張ろうとして、

 

「――――カカ。日本、風林寺のじっさまの国に来たのは初めてじゃが、これがこの国の果物かいのう」

 

「!?」

 

 いきなり背後からかかってきた声にギョッとして振り返り、振り返ってから更にギョッとした。

 翼の背後に立ち、さも自分の庭のように堂々と縁側に座っていたのは未知の生命体だった。いやその者の余りにも現実離れした雰囲気が錯覚させてしまうだけで、恐らくは人間なのだろう。

 浅黒い肌の色と若干の訛りのある日本語から察するに外国人。見た事のない民族衣装のようなもので身を包んでいて、それがその国の習慣なのか別の理由からなのか靴は履いておらず裸足だ。手足に刻まれた皴からして老人だろう。

 だがなによりも異様なのは顔をすっぽりと覆った仮面だ。鬼を模したような造りであるそれは、老人の雰囲気と合わせて神話の動物がそのまま抜け出してきたかのような印象を受ける。

 

「えっと、あの」

 

 どなたですか、と聞きたかったのだが老人の雰囲気に呑まれてしまい声が出せない。

 だが仮面に覆われているせいで表情は分からないが、なんとなくその視線が翼の手にある柿に向けられているのは分かった。

 なんとなく直感で『この人の機嫌を損ねると不味い』と悟った翼はおずおずと片方の柿を差し出して、

 

「良かったらお一つ、どうですか?」

 

「ほう。では頂くかいのう」

 

 ふと気のせいかもしれないが一瞬老人が笑ったような気がした。

 翼から柿を受け取った老人はムシャムシャと「美味美味」と呟きながら果実を頬張る。なんとなく何もしないでいるのが気まずかったので、老人に倣って翼も柿をパクパクと口に運ぶ。

 やがて種まで残さずに柿を食べ終えた老人は、

 

「水分の摂取には果物が一番じゃわいのう。うむ、程よい渋さも良い味じゃ。小僧、この果物はなんて名前かいのう」

 

「か、柿です」

 

「柿か……柿……覚えたぞ。小僧、礼を言おう」

 

「い、いえ大したことはしてません」

 

「カカカカカ。我が礼を言うなど滅多にないこと。もう少し嬉しそうにしたらどうかいのう」

 

「はぁ、そうなんですか」

 

 滅多に礼を言わないとは、この人は余程偉そうというか傲慢なのだろう。

 これはなんとなくのイメージでしかないが、明日決闘することになっているガキ大将の百万倍くらい偉そうだ。

 

「ま、とは言っても『闇』どころか、武の道に入ってすらいない小童では知らぬが道理というものか。だがこれもなにかの縁。

 風林寺のじっさまではないがのう。気紛れに世直しの真似事でもしてみるか。……わっぱ!」

 

「は、はい!」

 

 まじまじと見つめられると筋肉が萎縮してしまう。

 唾を呑み込んだ。

 老人はなにもしていない。ただ内藤翼を真っ直ぐに見据えているだけだ。なにかこちらに敵意なんて向けてはなく、寧ろ敵意より好意すら向けられているだろう。

 だというのにこれほどまでに心臓が五月蠅いまでに鳴り、緊張の糸が全身を縛り付けるのは自分という存在が、この老人と比べてどれほどチッポケなのか本当的に知ったからだ。

 臓の足の裏を眺める、踏み潰される寸前の蟻はこういう気分を味わうのかもしれない。

 

「果物の礼じゃ。なにか願いを一つ言ってみよ。拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードが大抵の願いなら一つ叶えてやるわいのう」

 

「願い!?」

 

 いきなりのことに思わずオウム返しに聞き返してしまった。

 

「あの。願いって……なんでもですか? なんでも叶えてくれるんですか、本当に」

 

 ランプをこすったら魔人が出てきた、みたいな荒唐無稽な展開に目を白黒させながらも、どうにか翼は口を開くことに成功する。

 

「心配せずとも我は神じゃからのう。〝大抵〟は叶えてやるわい。とはいえ何某かを甦らせよ、などとは言うなよ。だが何某かを殺せなら歓迎じゃがのう」

 

「……………」

 

 冷や汗が流れる。

 老人は本気だ。もしも翼が『ならガキ大将殺してくれ』と言ったら本気でこの老人はガキ大将を殺すだろう。そう感じさせるだけの迫力がジュナザードと名乗った老人にはある。

 

「な、なら」

 

 ガキ大将を殺して、なんて願いは論外だ。勿論ガキ大将には腹が立っているが、流石に殺すのはやり過ぎだ。それにガキ大将が殺されたら、自分も殺人教唆だとかなんとかで逮捕されてしまうかもしれない。この年で前科者になるのは御免だ。

 かといって殺さない程度に痛めつけてくれ、なんて頼んでも本当に死なないだけで半死半生とかにされてしまうかもしれない。

 暫く悩んだ後、翼は。

 

「そうだ!」

 

「決まったかいのう」

 

「はい。えーと、ジュナザードさんは武術家……なんですよね? やっぱり達人とかなんですか?」

 

「カカカ。それはそうじゃ。我は神、拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードじゃわいのう。亡き師匠曰く、我を超える武術家は現れぬそうじゃわい。現に未だ我を超える強さを我は見た事がないわいのう」

 

「……………」

 

 余りにもスケールのデカい話に面食らったが、パンと軽く両頬を叩いて気を入れ直す。

 

「それでなんですけど、実は色々あって武術を習う必要がありまして。身近に武術家がいないので教えてくれれば嬉しいな、と」

 

「我の武術を?」

 

「駄目ですか」

 

 武術について門外漢の翼は良く知らないが、口振りからしてこの人がかなりの武術家なのは間違いない。

 そんな武術家に自分のような子供が武術を教えてくれ、と言っても断われるのが精々だろう。そう思っていたのだが、

 

「カッカカカカカカカカカカカカカカカカ!! 我に武術を教えよと言うか! 世間知らずのわっぱというのは恐ろしいのう。地獄を知らぬが故に、微塵も恐れず地獄に飛び込むのじゃから」

 

「は? 地獄?」

 

「良いだろう。拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードがお前の願いを叶えてやるわいのう。

 まさかこの極東で我に弟子入りを志願してくる者がいるとは予想もせんかったわい。これだから人生というのは面白い。永年益寿するものじゃわいのう」

 

 そうジュナザードと名乗った老人は言うと、重力などないように軽々と翼の体を持ち上げてしまった。

 

「な、なにを――――!?」

 

「暴れるでない。我に弟子入りを志願したのはお前自身じゃろう。久々に我が常夏の故郷へ戻るとするかいのう」

 

「いや俺は」

 

 ただガキ大将との決闘に勝つ為、喧嘩のコツのような物を教えて欲しかった。

 だが翼がその本音を言う間もなく、

 

「逝くぞわっぱ」

 

 なにか後頭部に軽い衝撃が奔ったかと思うと、ライトがOFFになったように意識がブラックアウトする。

 この日この時。極普通の子供でしかなかった内藤翼の人生は死んだ。そしてかわりに最凶最悪の師匠の弟子としての人生が新たに始まってしまったのだ。

 

 


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