「梁山泊の豪傑と闇の豪傑。相容れない両者が並び立てばこうなるのか」
果たしてそれは誰が漏らした言葉だったのだろう。ロナ姫に味方するバトゥアンか。もしくはヌチャルドに味方する兵士か傭兵、もしくは誰とも知らない第三勢力か。
戦いは数だよ兄貴――――日本において屈指の知名度を誇るアニメ作品の中において、とある人物が発言した言葉だ。その言葉はあながち的外れではなく、戦いにおいて重要視されるのは物量である。
親父と兄貴と違って某ドS並みに戦下手の癖して、やたらと自分で戦争したくなる中坊……もとい仲謀率いる呉軍10万を、800人で突撃してフルボッコにした挙句に、仲謀と孫呉の皆さんに一生忘れられない
こういった少数が多数を撃破するという物事が脚光を浴びるのは、それが滅多に起きないことだからだ。ただし滅多に起きないこれらのことは、決してただの偶然で起こるわけではない。
少数をもって大兵力を撃破したという戦果の背後には、必ず幾つもの要因がある。日本の桶狭間の合戦では雨天、地の利、奇襲を選択した信長の采配、幸運など諸々の要因があって信長は今川義元を撃破した。
そう、大戦果の影には必ず幸運と鬼謀の二つがあるのだ。
え? 合肥の戦い? 知らん。それは歴史家の管轄外だ。
ともあれ、である。戦争というのは基本的に数で勝る側が圧倒的に有利。科学技術が発達して、兵器の質が有り得ないほどに向上している先進国同士の戦争であればまた異なってくるのだが、少なくともティダードの内戦において兵器の差は然程ではない。
ここで戦力比を整理すると、まずヌチャルドの側には正規兵・傭兵合わせて1000人を超える兵隊がいた。その中には金で雇い入れた達人級すら存在する。対してロナ姫の戦力は7人である。更に言えばまともに武装しているのは雇った傭兵(しかも雑魚)だけだ。途中、闇から二人ほど援軍が駆け付けたが、それでも合計数は9人。勢力というよりは単なる集団にも等しい。
常識的に考えて勝利云々以前の問題だ。
だがロナ姫にとっては幸運なことに、今回のこれは合肥と同じく歴史家の管轄外の戦争だった。
「今回は闇の過失だ。今だけはお前の流儀に合わせてやる」
「はっ! すかしている暇があるんなら手ェ動かせ!」
戦場を蹂躙するは最新兵器でもなければ、大兵力でもない。たった二人の空手家だった。マシンガンの掃射も戦車の徹甲弾も、人類が生み出した兵器の悉くが空手の技によって破壊されていく。
それはもはや戦争というよりは、怪獣に挑む人類の図そのものだった。言うまでもなく人類側がヌチャルドの勢力で、怪獣が二人の空手家である。
しかも驚くべきことに、二人の達人は戦場を容赦なく蹂躙しているようでいて、その実、唯の一人も殺していない。死んでいるように気絶している者はいるが、死んでいる人間は皆無だった。
二人の空手家に襲い掛かるのは第三勢力、ジュナザードに飼われているシラットの達人達。
達人である彼等は等しく無限の努力を積み重ね、人を逸脱した力を獲得した怪物達。拳のみで戦場を闊歩することを許された怪物達である。
しかしながら怪物如きで怪獣の進撃が止められるだろうか。狼人間や吸血鬼は人間にとっては太刀打ちのできない怪物そのものだろう。されど狼人間に吸血鬼が、果たして暴れ狂うゴジラを止めることができるかと言われれば、答えはNOだ。
「胴回十字蹴り」
「上段回し蹴り」
二十人ほどいた達人達が怪獣たちに蹴り飛ばされ宙を舞う。
逆鬼至緒と本郷晶。嘗ては共に歩む好敵手同士でありながら、信念の違い故に異なる道を歩んだ両者。殺人拳と活人拳において最強の空手家と謳われた豪傑たち。
その二人が組んだ時、それ即ち無敵。既にヌチャルドの兵士達も、ジュナザードに組する達人すらも、圧倒的過ぎる強さに心を折られていた。
二人の進軍を阻める人間など、もうこのティダードには存在しない。
故に二人は悠々と砦まで歩を進め、
「カッカッカッ。嬉しいのう、そちらから我の下へ出向いてくれるとわのう。こちらから行く手間が省けたわい」
ピタリと足を止めた。
二人の豪傑の進軍を阻める〝人間〟などティダードには存在しない。よって二人の前に現れたのは人間ではなかった。
「ジュナザード……俺と本郷の決闘に横槍を入れた件……」
「俺達をダシにして梁山泊の娘を攫ったことの……」
『落とし前をつけにきた』
逆鬼と本郷がピッタリと同じことを言い放つと、ジュナザードは喜悦を滲み出しながら大笑いした。
「若造二人が我を前によくぞ吠えた。ビンビンと殺気と敵意が伝わってくるわいのう。それに大事な娘を攫われていながら、ケンカ百段からは〝殺意〟は感じぬ。風林寺のじっさまが認め梁山泊に迎え入れただけあって、筋金入りの活人拳ということじゃな。
逆に人越拳神の方には我に対する殺意が溢れておるわいのう。根本が同質の癖して対極に進む、人間というのは愉快なものじゃわい。
じゃがのう、若造ども。互いに万全とはいえ二人掛かりでも我には――――」
拳魔邪神が言い終えるよりも早く、逆鬼と本郷の突きと蹴りがジュナザードに襲い掛かった。
「若造はせっかちでいかん。人の話は最後まで聞けと、お主等は教えられなかったのかいのう」
特A級の本気の同時攻撃をいともあっさりと回避したジュナザードは、無重力地帯を泳ぐかのような動きで木の上に着地する。
「はっ! 生憎と俺ン家は言葉より先に手が出る家系でね。ンなもん口で教えられてねぇよ」
「それに貴様こそ他人の死闘に横槍を入れるなど師から教わらなかったのか?」
逆鬼と本郷に皮肉を返され、ジュナザードはより笑い声を大きくした。
武術家として強さの頂点に君臨した拳魔邪神ジュナザード。人の身で邪神にまでなり果てた彼の望むものは唯一つ、死闘のみ。
最強の空手家二人というのはジュナザードにとって絶好の遊び道具だった。
「カッカカカカカカカカッ。良かろう良かろう、最近は我が弟子インダー・ブルーの育成が愉しくてそちらばかりに精を出しておったが、稀には息抜きも必要じゃわいのう。
来るがいい、小僧共。ちっとばかし武術の極みというものを垣間見せてやるわいのう。冥土で悪鬼どもに語って聞かせるが良い」
ジュナザードより殺気が噴出する。余りにも強烈過ぎる殺意の奔流は、ティダードの空を覆い尽くすほどのものだった。
そしてその殺気はティダードにて気を伺う一人の男にも伝わり、ニヤリと怪しい笑みを浮かべた。
ヌチャルドのいる部屋に入った兼一の目に飛び込んできたのは、今にもヌチャルドを締め殺そうとする仮面の少女だった。
ジュナザードの『邪神』を模した仮面、クシャトリアの騎士を模した仮面、それらと意匠を同じくする鳥を模した仮面。
顔で見えているのは口元だけだったが、それは間違いなく美羽だった。なによりもはち切れんばかりの胸を見間違える筈がない。
「やめろ!」
咄嗟に兼一は鋭く言い放っていた。
未知の人物が現れたことに、美羽はヌチャルドを締め殺すのを止めて、目を兼一へ向ける。
ゾクリと氷柱が背中に突き刺さったような悪寒を味わう。仮面の奥にある美羽の瞳は暗く、とてもではないが大丈夫には見えなかった。
「…………」
美羽はヌチャルドを締めたまま動かない。ただ視線だけが兼一に突き刺さっていた。
余りにも美羽が止まったまま動かないせいで、よもや時間が停止しているのではないかという錯覚を覚えてしまう。しかしゆらゆらと揺れる炎がそれを否定していた。
時間は今この瞬間もしっかりと流れている。止まっていたり、遅れたりしているということはない。
「美羽、さん?」
「…………」
黙っているのが耐えられず、兼一は恐る恐る美羽に語り掛ける。だが名を呼ばれても美羽はピクリとも反応しない。
「美羽さん!」
今度はより強く。闇に反響するほど大きな声で、彼女の名を叫ぶ。すると初めて美羽に反応があった。
「兼一さん?」
「っ! 気づきましたか!」
ヌチャルドを放り捨て、美羽が躊躇いがちに近寄ってくる。兼一は安心させるよう微笑みを浮かべて、美羽に手を伸ばし、
「兼一さん?」
「ぼぎゃぁっ!?」
いきなり美羽に思いっきり顔面を蹴り飛ばされた。
まったく容赦も手加減もない、それどころか殺気すら込められた蹴りを受け、兼一はゴロゴロと転がり壁に叩き付けられる。
「い、いきなりなにを!? まさか出会い頭に胸を見たことを怒って……いいや、そうじゃなくて僕の事が分からないんですか!?」
「兼一さん?」
「っ!」
声だけは普通に名前を聞き返すように、なのに殺意だけはそのままに。美羽が機械的に襲い掛かってきた。
助けに来た女性に襲われる、まったく予想もしていなかった事態に兼一は狼狽する。
「くっ! 一体なにがどうなってるんだ……?」
兼一の問いに美羽が答えてくれることはなかった。