史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第11話  領域侵犯

 いきなり師匠の武術的興味本位七割で櫛灘美雲に暫く預けられることになったクシャトリアだったが、なんだかんだでここの生活に馴染んでいた。

 幾ら見た目の年齢が二十代だからといって実年齢はジュナザードを超えるほどの婆――――もとい御年を召されている女性。

 人間の体の構造なんて熟知しきっている上に、どこをどうすれば人間を壊さず苦痛だけを与えられるかについても知り尽くしている。

 連日の組手は量と質、両方において濃いもので、組手が終わる頃には指先一つ動かせなくなるのが日常だった。

 しかし死ぬかもしれない修行をする美雲の方が、死ぬような修行をさせるジュナザードからすれば幾分かマシというものだ。

 それに美雲がクシャトリアにやらせたのは武術の修行だけではない。

 

「勉強、ですか」

 

「そうじゃ。武術家といえど、ただ武のみを極めれば良いというわけではない。歴史に名を残すほどの武術家は学問にもそれなりに心得があったもの。

 九拳の中には侮るものもいるがの。わしも最新のスポーツ科学を取り入れて櫛灘流をより発展させたもの。武術家としても人間としても、学問はつけて損するということはない。

 それに我が櫛灘流を学ぶ以上、戦うだけしか能のない愚か者を出しては門派の恥。学問の方もそれなりのものを叩き込む。なにか異論があるのかえ」

 

「いえ是非やりましょう! まったくノープロブレムです。勉学最高です! 俺は勉強をするために生まれてきた男なんですから」

 

「やけにやる気じゃのう」

 

 そう。武術だけではなく、美雲は勉強の時間までしっかり用意してくれていたのだ。

 修行の合間合間に周囲の人々の会話に聞き耳をたてて、どうにかインドネシア語をマスターしたクシャトリアにとっては勉強の時間をくれるだけでも天国である。

 ジュナザードと出会う前。ただの日本人の子供でしかなかった頃には面倒だと思った勉強が、武術地獄に堕ちた今となっては黄金のように輝く時間だった。

 勉強においても美雲はそれなりに厳しい師だったので、決して心休まる時間というわけではなかったが、取り敢えず肉体の方は休める。

 それに美雲の場合、マスタークラスなのは武術だけではないようで。勉強を教えるのも達人だった美雲の授業は厳しいが非常に分かりやすく、クシャトリアの脳味噌はスポンジのように教えられたことを吸収していった。

 

(美雲さんは武術家をやめても、予備校の講師としてやっていけるな)

 

 きっと彼女が講師になった予備校は嘗てない程の東大合格者を量産することだろう。

 誉め過ぎと思うかもしれないが、これはクシャトリアの嘘偽りない本心からの感想だった。

 

「ご飯も美味しいし」

 

 櫛灘流の永年益寿法の一貫なのか、ここで出される食事は和食ばかりだ。

 洋食党やパン党からすれば悪夢のような環境。かくいうクシャトリアも特別和食が好きだったわけではない。というよりそもそも食事に対して深い拘りなんてなかった。

 だが長いこと日本から離れていたクシャトリアにとって和食は郷愁を覚える味。師匠の出鱈目さを知った今となっては、家族の所へ戻ることは半ば諦めている。だからこそ久しぶりに食べれるのは嬉しいものだった。

 そして短いような長いような勉強の時間を終えると、今日もいつも通り美雲との組手の時間となる。

 

「第一のジュルス!」

 

 殺気を込めながらクシャトリアは棒立ちする美雲に攻撃を仕掛けた。

 師匠からの強要や相手が殺気を向けてこない限り、誰かを殺す気で攻撃するのは主義に反する行為だが、どうせ一万回殺す気で攻撃して一万回防がれるのが分かりきった相手。

 それに師匠に死合いをやらせられ続けた弊害だろうか。殺意を込めなければ、どうにも技のキレが落ちる。

 

「殺意を発しつつも、気は完全に内側へと閉じ込めておる。静の気の扱い方はそれなりに覚えたようじゃのう。じゃが」

 

 突きが美雲の肌に触れたと思った時だった。

 クシャトリアは自分の体が無重力地帯に投げ出されたかのような気分を味わう。体重をなくしたクシャトリアは、くるくると空中を回転しながら投げ飛ばされる。

 

「――――!」

 

 足が地面についていなかったとしても決して慌てない。明鏡止水。いついかなる時も心を静め冷静さを保つ。それが静の極意だ。

 飛ばされながらクシャトリアは天井を蹴ると、投げられた勢いを殺して畳に着地する。

 

「力を限界まで抑えたわしから一本とるのにはまだまだ全然じゃな。じゃが静の気を体得したばかりの弟子クラスにしては上々よ」

 

「……美雲さん。これまで師匠(グル)に対しては、殺されるのが恐くてどんな修行をさせられても不用意に質問なんて出来なかったんですけど。

 美雲さんが我が師匠より遥かに人格者であることに期待して、一つだけ質問したいことがあるのですが良いですか?」

 

「なんじゃ。永年益寿の術以外なら教えてやって良いが」

 

「――――――」

 

 どうやら自分が師匠から櫛灘流の『永年益寿』の秘伝を探るよう言われてきたことなどは彼女にはお見通しらしい。

 ジュナザードもどうせ彼女にばれていることなど承知の上でクシャトリアにスパイさせているのだろうが。

 

「毎日毎日、基礎練習はそこそこに組手ばっかりしてますけど。基礎を疎かにして良いんですか?」

 

 クシャトリアも子供の身故に偉そうな事を言えるわけではない。

 しかし武術にせよスポーツにせよ技術的なものばかりではなく、マラソンや筋トレなどの基礎トレーニングにも重点を置くものだ。

 だというのにクシャトリアはジュナザードの下でも、美雲の下でも余り基礎トレーニングを重点的にされたことはなかった。

 

「基礎を疎かにしているわけではない。じゃが基礎トレーニングに重点を置いていないだけじゃ」

 

「どういうことですか?」

 

「そもそも今の武術家と違い、昔の武術家など基礎トレーニングなどあまりしなかったもの。嘗ての武術家は基礎トレーニングが要らぬほどに組手をやったのじゃ。

 組手で筋肉をつければ、筋トレで筋肉をつけるのと違い純粋に武術に必要な筋肉だけがつくからのう」

 

「……だったら今の武術家はどうして筋トレとかするんですか?」

 

「基礎トレーニングが不要なほどの組手をするとなると、必然的に組手の比重が大きくなる。じゃがこれは相応に危険性が伴うことでな。肉体の故障や死の危険性が常に付き纏う」

 

「ああ。納得です」

 

 恐ろしく効率的だが危ない修行と、やや不効率だが安全な修行。弟子の命をなんとも思っていないジュナザードなら、確実に前者を選ぶだろう。

 もしかしたら自分が五体満足で生きているのは宝くじで一等賞を当てるほどの幸運なのかもしれない。

 

「質問は終わりか。なら組手の続きじゃ。突いて来い」

 

「……はい」

 

 再び正眼で櫛灘美雲という武術家を捉える。

 両手をだらんと下げた姿は、一見すると隙だらけだ。だが彼女の防御が城壁のそれだというのは、これまで何百回何千回と攻撃して見事に防ぎきられたクシャトリアは良く知っている。

 これこそが武術を極めた真の達人の制空圏。まだ制空圏を体得したばかりのクシャトリアとは雲泥……否、砂粒と太陽の差だ。

 

(相手の制空圏を破る為には、自分自身の制空圏で相手の領域を犯す……つまりは囲碁と同じ陣取り合戦!)

 

 自分も制空圏を張って、美雲に突進していく。美雲の制空圏に踏み入ったクシャトリアは、猛攻をぎりぎりで防ぎながら制空圏を維持しながら突き進んでいく。

 例え制空圏を突破され、当て身が体を霞めても怯まない。内側に凝縮した気を乱されることなく、一歩一歩近づいて行った。

 

「今だ!」

 

 一瞬美雲の制空圏が乱れる。そこへクシャトリアは全力の突きを繰り出した。

 

「良い仕上がりじゃ。これだけ打たれながら制空圏を崩さなかったのは誉めよう。じゃが」

 

 クシャトリアの腕が掴まれた。ぐるん、とクシャトリアの体が一回転する。

 どんな投げ技でも技3の力7でやるものだ。しかし櫛灘流に限ってはその常識は通用しない。

 

「櫛灘流は技10にして……力ゼロじゃ」

 

 技十にして力は要らず。それこそがあらゆる柔術において櫛灘流が異端とされる真髄。

 クシャトリアはまるで自分から転んだように、まったく力を掛けられずに投げ飛ばされた。

 

「まだまだ精進が足らんのう、クシャトリア」

 

「いつ、つ……」

 

「とはいえ制空圏の修行はこの辺りで一段落じゃな」

 

「じゃ、じゃあ」

 

「次は限界ギリギリの命懸けの死合いの中で極意を垣間見せるとしよう」

 

「いやぁああああああああああああああ!!」

 

 修行が楽になるのでは、という希望は一瞬にして泡沫の夢と消える。

 幾らジュナザードよりマシとはいえ、やはり達人なんて皆同じ穴のムジナなのだとクシャトリアは再確認した。

 

 


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