史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第116話  天魔の戦い

 流水制空圏とは無敵超人・風林寺隼人が編み出した静の極みが一つ。相手の身となって物事を考える『優しさ』こそが技の真髄であり、相手を抹殺することを旨とする殺人拳では体得することは困難な技だ。

 クシャトリアは自分が死の恐怖に怯え続けてきた経験を活かして、殺す相手の立場になって考えるという荒業で体得したが、兼一のように優しさという強さで覚醒することこそ真の流水制空圏なのだろう。

 しかし流水制空圏が静の極みだというのならば、静動轟一は静と動の境界線を犯す禁忌の術。静動轟一の出力を上回ることなど出来やしない。

 ましてやジュナザードは心の闇を爆発させることで、流水制空圏の『第三段階』たる「相手を自分の流れに乗せて相手の動作を思うままにコントロールする」まで進むことは困難極まるだろう。

 

――――だから風林寺隼人は静動轟一を発動させたジュナザードに及ばないか?

 

 クシャトリアはジュナザードの強さを信じ過ぎているが故に、なんの疑問も感じず是としていた。だがその考えは余りにも無敵超人という伝説を侮った見解であると直ぐに知ることとなる。

 そもそも長きに渡る武術の歴史において、攻略不可能な技などは存在しない。どれだけ完璧にみえる技でも、必ず突破口や弱点があり、攻略法が編み出されてきた。

 静動轟一は確かに武術の常識を破り、武の深遠に近い禁忌である。だが見方を変えれば所詮は静動轟一も一つの技に過ぎないのだ。

 風林寺隼人の流水制空圏が櫛灘美雲やジェームズ志波といった達人に盗まれたように、静動轟一の術理また風林寺隼人に盗まれていた。

 人を思いやることを重視する活人拳だからこそ、誰よりも静動轟一を敵視してきた梁山泊。だが誰よりも敵視するからこそ、誰よりもその技を研究した。

 恐らくは白浜兼一と朝宮龍斗の戦いで、龍斗が静動轟一を発動させた瞬間より。風林寺隼人は静動轟一を攻略するための技を開発してきたのだ。

 そしてその成果がここに現れる。

 

「流水制空圏、第零段階」

 

「カッ? 零、じゃと……?」

 

 自分ですら知らない段階の存在に、ジュナザードが驚きを露わにする。

 静動轟一の邪気によって発生した暴力的なうねり、その流れは流水となって風林寺隼人の体に流れ込んでいく。それは静動轟一に対して静動轟一をもって対抗するということを意味しない。風林寺隼人が己の内に取り込んでいるのは静動轟一の気ではなく、静動轟一の流れのみだ。

 相手の流れを読むのでも、相手の流れと一つとなるのでも、相手を自分の流れに乗せるのではない。

 敢えて自分から相手の流れに乗ることで、その流れを己の流れとして昇華する荒業。静動轟一を発動せずに、静動轟一の力だけを吸収する対静動轟一用に編み出された秘技。

 ここに風林寺隼人はジュナザードと同じく『超人』の壁を踏破した。

 

「粉ッッ!!」

 

「カッ!」

 

 猛虎の気迫をもって吐き出された気焔の大噴火が、嵐のような突風を噴き荒らす。極限を突破するほどに高まった闘気は、触れるだけで火傷するほどに錬磨されていた。

 ふと戦いを見守る全ての人間の視界から、風林寺隼人とジュナザードの姿が掻き消える。それと同時に周囲一帯に無差別的な破壊が撒き散らされた。

 もはやその死闘を達人ですら見ることは叶わない。特A級のクシャトリアですら、もはや朧気だ。

 何もない空間で一秒の間隔を置かずに発生する爆発音。それは神速で大地を駆け巡る隼人とジュナザードが激突した跡だった。

 

「嬉しや……やれ、嬉しや!! 我の期待通りじゃわいのう!! やはりじっさまもこの領域まで辿り着いてくれたかいのう!!」

 

「外法を用いての一時的なものじゃよ。褒められたことではなかろう。お主もわしも、のう」

 

 姿を見ることのできない者達にとって、虚空より響く声だけが二人がそこで戦っているという証拠だった。

 

「――――これが超人を凌駕した、その先の境地、か」

 

 余りにも遠い次元、余りにも途方のない頂きに、クシャトリアは遣る瀬無く目を伏せる。

 ジュナザードに対抗するために、ほんの一時といえど自分を超人の領域へ押し上げる『静動轟一』に目をつけ研究したというのに。よもやそれがジュナザードが超人の壁を超える手助けになってしまうとは。

 つくづく世界というものは皮肉と残酷に満ち満ちている。これこそがシルクァッド・ジュナザードの本気。拳一つで冥府魔道を歩み、邪神となった男の到達点。

 クシャトリアは幽冥に映る風林寺隼人を視線で追いかけながら、嘆息する。もしも自分にジュナザードに匹敵するだけの才覚があったのならば、無敵超人のようにジュナザードと戦えることが出来たのだろうか。そんな仕様のないことを考えてしまう。

 こんな馬鹿げたことを思考してしまうあたり、自分は自分の思っていた以上に消耗しているらしい。肉体ではなく精神が。

 

「う……むにゃむにゃ……龍斗さまぁ………そこ、もうちょっと優しく……」

 

「…………………はぁ」

 

 人が一世一代の賭けに出て師匠に挑み、そしてこうして圧倒的な力の差に打ちのめされている中、こうなることになった原因たる『弟子』はなんとも幸せそうな顔で寝言を漏らしていた。きっと夢の中で想い人である朝宮龍斗と宜しくやっているに違いない。

 なんとなく腹が立ったのでクシャトリアは、リミの脳天に拳骨を落とすことにした。

 

「ほぎゃっ!? 龍斗様、いきなりSMプレイとか大胆――――ってアレ? クシャ師匠が何故にここにいるとですか? ハッ! 駄目ですお! 師匠を交えた禁断の3Pとかお断りです! リミは龍斗様だけの」

 

「いつまで寝ぼけている阿呆。周りを良く見ろ」

 

「周り……? ほへ。ここ何処ですか? また無人島? ちょ、待ってください師匠! リミには三日に龍斗様とデートに誘うという大切な予定が!」

 

「心配しなくても、お前の言う日付はとっくに過ぎている」

 

「なん……だと……?」

 

 無敵超人と拳魔邪神の一騎打ちという歴史的な戦いに、こんなにも一人で呑気している愛弟子を見ていると、自分の悩みが酷く馬鹿らしく思えてくるのだから不思議だ。

 そしてこんなお頭の足りていない弟子のために、十年以上も守り続けた己の命を懸けるあたり、自分はかなり馬鹿なことをしでかしたのだろう。これではリミのことを怒れない。

 

「細かい話は後だ。それよりも――――」

 

 半径100㎞をすっぽり覆い隠していた闘気のドームが、臨界を超え、遂に爆ぜた。

 瞬間、風林寺隼人とジュナザードの二人が姿を現す。激戦の後を物語るように二人は衣服も引き千切れ、全身からは血を流し、満身創痍という有様だった。

 

「今は何も考えず見ておけ」

 

 満身創痍のジュナザードを始めて目の当たりにしたクシャトリアは、驚きと憧憬の入り混じった瞳で二人の豪傑を見る。

 神速で動く二人の戦いを一部始終捉えることができたわけではないが、隼人とジュナザードの消耗やダメージの度合いは殆ど同等のように思える。だがよく観察すると僅かに風林寺隼人の方が受けているダメージは大きいようだった。

 これは単純に風林寺隼人がジュナザードよりも実力的に劣っていたのか、それとも別の原因があるのか。

 

「やはり……か」

 

 クシャトリアの疑問に答えるように、ジェイハンが冷や汗を流しながら呟く。心なしか彼の唇が微かに震えていた。

 

「なにがやはりなんだい、ジェイハン君」

 

「兄弟子殿は日本からティダードに来るのになにを使いましたか?」

 

「普通に飛行機だが、それがどうか――――まさか」

 

「そのまさかです。風林寺殿は日本からティダードまで走ってきたのです! 太平洋を横断して!!」

 

「なっ!?」

 

 特A級ともなれば水面を走る術を体得しているのはおかしなことではない。他ならぬクシャトリアもそれが出来る一人だ。だがしかし日本からティダードまでの距離を、海面を走って横断するなど狂気の沙汰以外のなにものでもない。

 それをジェイハンを背負いやってのけ、しかも碌に休まないままにジュナザードに挑むなど無茶苦茶だ。どういう体力があれば、そんな無茶ができるのだと。一度肉体の構造を知るために解剖したいくらいだ。

 けれどここで問題となるのはそこではない。

 

「不味いな。いくら爺とはいえ太平洋横断は体力的にきつい筈だ。持久戦にでもなりゃ爺の圧倒的な不利だぞ」

 

 逆鬼の言う事は正鵠をついていた。

 片や前日に小競り合いした程度で万全のコンディションのジュナザード、片や美羽捜索のために世界中を走り回り碌な休息もしていない隼人。長丁場になってどちらの体力が先に底をつくかなど子供でも分かることだ。そして如何な超人といえど決して体力は無限ではない。

 風林寺隼人と直接拳を交えているジュナザードは、そんなことくらいとうにお見通しだろう。もしジュナザードが勝ちを急がずに、持久戦を挑んでくれば、風林寺隼人の勝率は限りなく低くなる。

 だが誰よりもシルクァッド・ジュナザードを知り尽くすクシャトリアは平然としていた。

 

「大丈夫だよ」

 

「なにが大丈夫なんだよ?」

 

師匠(グル)が俺や美雲さんみたいな性格だったら大問題だっただろう。だがあそこにいるのはシルクァッド・ジュナザードだ。血湧き肉躍る死合いが大好物で、退屈極まる戦いを嫌う邪神だ。

 あの師匠に限って持久戦で体力切れを狙うだなんて、そんなつまらない戦法をとるはずがない。それどころか師匠ならば恐らく、本気の風林寺隼人と戦いきるために超短期決戦を挑んでくる。例えば」

 

 奥義の打ち合いのような、とクシャトリアが言った時だった。風林寺隼人とジュナザードの気当たりが無限大にまで増幅していく。

 天を轟かせ、地を震わせ、人を慄かせ。神域の豪傑は己の奥義を繰り出した。

 

「真拳・涅槃滅界」

 

「邪拳・無間界塵」

 

 其の日、ティダードに天地創造の景色が具象化した。

 


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