史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第117話  決死

 武の深遠に立つ両雄の奥義の交錯は、天雷にも等しい衝撃を地上へ齎した。

 風林寺隼人の真拳とジュナザードの邪拳。善なる念と悪なる怨の激突は、大地の揺れが収まると同時に終わり、ここに一つの決着がつく。

 夕焼けで朱色に塗られた大地に一人の豪傑が膝をつき、もう一人の豪傑は大の字に倒れる。

 膝をついた豪傑は、腹から夥しい血を流し、明らかに半死半生の有様だ。ほんの少し、あとほんの僅かでも〝深く〟傷ついていれば致命傷は免れなかっただろう。だがそのギリギリの所で堪えた彼の瞳には、確かな命の輝きがある。心臓は生命の脈動を告げるかのように鼓動を続けていた。

 

――――あとほんの少しで死ぬところだった。

 

 その事実が示すことは唯一つ。彼を傷つけたのは殺人拳の使い手だったということだ。殺人拳の使い手たるシルクァッド・ジュナザードであるということだ。

 この地上の誰よりも、或は史上誰よりも多くの死闘を繰り広げた武人、風林寺隼人。だがしかし彼の拳は未だに唯一人の人間も殺めてはいない。此度の死合いにおいても、その手は血濡れてはいなかった。

 息は荒々しく、両の足で立つことも叶わず。されど風林寺隼人は生きている。

 そしてシルクァッド・ジュナザードは意識を完全に失い、大の字に倒れていた。だが意識はなくとも、その肉体には一つの致命傷もない。命を傷つけず、肉体に後遺症が残る痛手を負わせず、本当に綺麗に意識を刈り取られている。

 受けた痛手は風林寺隼人の方が大きいだろう。だが風林寺隼人は活人拳。人を活かした上で負かすことこそが勝利条件。対するジュナザードは人を殺して勝利することこそが勝利条件。

 であれば痛手の大小関わらず風林寺隼人こそが勝利者で、ジュナザードこそが敗北者なのだろう。

 白浜兼一が、逆鬼至緒が風林寺隼人に駆け寄る。彼の勝利を称える為に。

 ジェイハンが傅く。ティダード人達が涙を流す。ジュナザードの敗北を悼むように。

 本郷晶と叶翔は勝利者を祝うことも、敗者を悼むこともなく、喜怒哀楽の定まらぬ感情のまま、ただ死闘の余韻に身を任す。

 小頃音リミは……クシャトリアの弟子は、一人だけ状況が良く分からずに心を迷わせていた。

 この景色、この揺らめき。

 シルクァッド・ジュナザードは負けたのだ。敗れ、倒れてしまったのだ。

 実に認めたくないことに。

 

(認めたくない……どうしてだ?)

 

 自分で思考し、クシャトリアは自分で自問する。

 クシャトリアにとってジュナザードが敗れたことは喜ばしいことのはずだ。

 ジュナザードを廃除し、真の自由を勝ち取る。ジュナザードという恐怖に怯えずに済む輝かしい未来、それを手に入れたということなのだ。

 だというのにシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの魂は納得していない。受け入れることが出来ていなかった。ジュナザードが敗れ、目的が遂げられてしまったということに。

 心が、渇く。魂が、疼く。理性と本能は歓喜しているというのに、どちらでもない〝何かが〟叫び声をあげていた。

 

――――何に対して?

 

 クシャトリアは自答する。自問し思考し、導き出した答え。

 けれどそれを脳裏に描き、心に容れるよりも早く〝異常〟は訪れた。

 

「カ、カカカカカ、カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ…………」

 

 笑っている声が聞こえてきた。

 無間地獄の底から響いてくるように。地獄から這い上がってきた邪鬼の嗤いが、戦いの終わりに酔いしれていた者達の心を凍り付かせた。

 ドクンッとクシャトリアの心臓が跳ね上がる。

 その声を知っていた。その声は師匠が弟子を地獄へ突き落す時にする、とても意地の悪い笑いだ。

 

「たまげた、わいのう」

 

 誰も声を発せない。悲鳴も、驚きも、叫びも。ありとあらゆる心の動きは凍結し、炎がゆらめくように邪悪なる人がむくり、と起き上がった。

 起きてはいけないのに、あっさりと起き上がってしまった邪神。邪悪なる神。拳魔邪神ジュナザード。

 ジュナザードは風林寺隼人を見てニィと笑い、他の者を見回してニヤァと嗤った。

 

「初めてじゃわいのう。この我が……1分と11秒とコンマ1秒ほど……意識を、落とされた。カカカカッ」

 

「意識を、回帰させた……。戻ってきたのか、ジュナザードよ。こんなにも早くに」

 

「十時間ほど眠らせておくつもりじゃったのじゃろうが、あてが外れたようじゃわいのう。クシャトリアを通して櫛灘の永年益寿をちょちょいとばかし取り入れてのう。この老いた五臓六腑を弄っておったが、それが功を成したようじゃわい。こうして早起きできたのじゃからのう」

 

 ジュナザードが風林寺隼人に近付く。するとそれを遮るように逆鬼至緒が前に立った。

 

「おい、ジュナザード。爺は殺されずに、お前を1分気絶させた。武術家としちゃ決着はついてるわけだが、それでもまだ戦うのかよ」

 

 逆鬼は視線で訴えていた。これより先を続けようとするのであれば、もうそれは武術家としての戦いではないと。

 

「カカッ。心配するな小僧よ。我とて武人、じっさまを殺すつもりはないわいのう。じゃが――――」

 

 ジュナザードから殺気の暴風が吹き荒れる。突風めいたそれに、達人に届かぬ弟子クラスは吹き飛ばされてしまった。

 

「じっさま以外は別じゃわい。梁山泊に闇に。良い感じの敵意と殺意をもった達人がこうも雁首を揃えておるのじゃ。こんな御馳走を見逃すほど、我の腹は満腹ではないわいのう」

 

 これがジュナザードの行動倫理だった。

 武術的に風林寺隼人に敗れたことは認める。だから風林寺隼人を殺めることはしない。彼にはいずれ互いが五分の状態で再戦を挑む。

 だが風林寺隼人には敗れても、他の誰にも負けた訳ではない。逆鬼至緒とは、本郷晶とは戦っていない。そしてまだ戦いを欲しているから、戦う。

 そして恐らくは風林寺美羽や、もしかしたら小頃音リミも、或はクシャトリアも。しっかりと奪い、取り返し、盗っていく。

 当然それを風林寺隼人が認める筈がない。彼は致命傷一歩手前の体を押して立ち上がり、逆鬼至緒や本郷晶がそれを庇うように前へと出る。

 

「その傷で戦うのは爺でもやべえだろ」

 

 それが逆鬼至緒の意見だった。

 正しい見解である。もしも風林寺隼人が無理してジュナザードと戦えば、致命傷一歩手前の傷は真実致命傷そのものとなるだろう。

 そうはさせないために逆鬼至緒と本郷晶は肩を並べてジュナザードと相対する。

 

――――改めて自答した解答を、心に描き出す。

 

 風林寺隼人の横を通り過ぎて、闘気を漲らせる空手家二人を押しのけて。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアは一人、シルクァッド・ジュナザードの正面へと立った。

 

「ぐ、師匠。どうしちゃったんですか……?」

 

 震える唇で出された声は震えていた。

 

「お前という弟子のせいで一度馬鹿になった俺は、今度は目の前にいる師匠のせいでもう一度馬鹿になるらしい」

 

 両手を広げる、翼のように。

 敵を見据える、騎士の如く。

 翼もつ騎士、サヤップ・クシャトリア。その名の通りに。

 

「本郷さん。叶翔くんの命を助けた借り、まだ有効ですか?」

 

「……なにをするつもりだ?」

 

「隣にいるライバルを抑えておいて下さい。事が終わるまで。一つの命が終わるまで」

 

 これまでずっと殺せればいいと思っていた。ジュナザードを殺し、呪縛さえ解ければいいと。自分の命が最も大切で、それのためならば全てのものは塵芥に等しいと考えていた。

 なのにどうも実に馬鹿らしいことであるが、この十年間の中でクシャトリアにも武人の魂というやつが根付いてしまっていたらしい。

 別段ありとあらゆる死闘に固執しているわけではないのだ。これは、というライバルなど一人もいない。

 だがジュナザードに、師匠の生涯に終止符をうつのは自分でありたかった。ジュナザードを倒すのも、殺すのも自分でありたかった。それ以外では納得できない。そうでなければ解放されない。

 地獄の日々に積もりに積もった、憎悪も悲哀も――――ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになった何か。それを解消する方法は唯一つ、ジュナザードを自らの手で倒すことだけだ。

 そうしなければならない。そうせねば、きっとこの感情は納得して消えてはくれないだろう。

 ジュナザードが他の誰かによって殺されれば、行き場を失った感情はきっとクシャトリアの心を埋め尽くす。其れはきっと第二の邪神の誕生となる。

 

「それがお主の出した結論かいのう」

 

「どうもそうらしいですね。土壇場になって気付くあたり、俺は救いようのない大マヌケだ。最後の最後で主義を曲げるなど、非難囂々だろうきっと。

 嗚呼、美雲さんならきっと逆鬼至緒に本郷さんを利用して、なんでもいいからジュナザードを殺せ――と、仰るんだろうな。だけどやっぱりこればっかりは、駄目だ。自分から危ない橋を渡っても、これだけは自分でやりたい。貴方は自分で殺りたい。殺してやりたい」

 

 奇妙だった。後ろで誰かが、誰か達がなにかを叫んでいるのだが、まったく耳に入ってこない。

 世界には自分とジュナザードしかいなかった。これなら邪魔者は入らない。入っても気づかないのだから入らないのと同じだ。

 

「殺してやる、ジュナザード」

 

 死ね、とは言わない。殺す、と言う。

 有言が実行されなかったのならば、きっと言霊は己へ降り注いだということなのだろう。

 


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