史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第118話  神速の三叉戟

 殺意、揺らめいて。闘気、渦巻いて。戦いの始まりを、否、再開を告げるように雷鳴が轟く。

 大きく息を吸い、周囲を流れる神域の戦いの残滓を呑み込んだ。ここにシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは今一度、遥か遠く険しい頂きに君臨する神へと挑む。

 つい先程の戦いを――――師弟対決の顛末を見ていた者には『無謀』とすら映る行為だろう。なにせクシャトリアはジュナザードにまるで歯が立たなかったのだ。

 善戦はしていただろう。静動轟双と静動轟一、長い研究によって遂には我が物とした奥義と禁忌を駆使して、格上の神相手に喰らいついた。

 だがジュナザードが静動轟一を使用するという、なんとも不条理で残酷な出来事で、クシャトリアが十年以上も研ぎ続けてきた刃は無駄になった。

 人智を超えた神に、人智の極みの武技が通用する道理はない。超人を凌駕する神域に、クシャトリアは成す術もなく敗北し――――無敵超人が駆け付けなければ、確実に命はなかったはずだ。これほど力の差が開いているのなら、もう一度チャンスを得たところで結果は同じ。再戦して結果が変わるのは、実力が拮抗している者同士だけだ。クシャトリアとジュナザードはこれに当てはまらない。

 

「我が弟子ながら愚かな真似をしたものじゃわい」

 

 嘲り、どこか残念がりながらジュナザードは言う。最初と違い今度のジュナザードに遊びはない。

 白浜兼一が生来の性格からくる天然のスロースターターならば、ジュナザードは生来の性格からくる作為的なスロースターターである。

 ジュナザードが本気を出せば特A級といえども三分とは保たない。だからわざと手を抜き『遊ぶ』ことで戦いを長引かせ、その武人の全てを引き出そうとする。ジュナザードが皮や種まで丸のみするのと同じだ。相手の全てを引き出すことで、ジュナザードは武人の全生涯を喰らうのだ。

 しかし既にジュナザードはクシャトリアの全てを引き出してしまっている。その上、クシャトリアの背後には極上の空手家二人がいるときた。

 御馳走を前にして、待ち惚けすることこそ辛いものはない。

 故にジュナザードは油断も慢心もなく、初手より全力でクシャトリアを殺しにかかる。そう、

 

「静動轟一」

 

 禁忌の技を駆使することで。

 だがジュナザードがそれを使うのを見て、クシャトリアは恐れ戦くどころか、激烈に笑った。

 異常は直ぐに現れ――――なかった。

 そう、なにも起こらなかったのだ。

 異常が起こることが異常なのではなく、なんの異常も起こらないことこそが異常。

 武術における最大の禁忌の技、静動轟一。ジュナザードは間違いなくそれを発動した。ジュナザードに限って技を失敗するなどは万に一つも有り得ない。

 なのに現実としてジュナザードの体にはなんの変化もなかった。ジュナザードの体内に凝縮しているのは静の気だけ。動の気は発動すらしない。

 

師匠(グル)、俺は馬鹿なことをしている。だが勝ち目がない戦いをするほど、俺は馬鹿じゃない……」

 

「……じっさまめ、やってくれるわいのう」

 

 ジュナザードが喰らった無敵超人の奥義〝涅槃滅界〟。それに込められた意、心、技、活、闘、勇、拳の念が、静動轟一の邪気を妨害しているのだ。

 あの念が消えぬうち、恐らく数日の間は、例えジュナザードほどの怪物だとしても静動轟一を発動させるのは難しい。無理に発動させようとすれば、七つの念が精神を蝕み逆に弱体化するだけだ。

 ジュナザードの静動轟一発動不可。

 風林寺隼人との戦いでの消耗あり。

 これらの条件があったからこそクシャトリアも命を賭した。ジュナザードを殺すのは自分と定めはしたが、だからといって勝ち目のない戦いをするほど、クシャトリアは馬鹿になりきれない。

 そして当然のことだが静動轟一を使えないのはジュナザードだけであって、クシャトリアはそうではない。ジュナザードが出来ないことを、クシャトリアは身を削って発動する。

 

「静動轟一ッ!」

 

 赤色と青色が混ざり合って、生み出されるのは紫色の邪気。

 心眼が開き、第六感は覚醒する。紫色の気を宿した肉体に、澄み切った流水を纏って、クシャトリアはジュナザードに向かっていった。

 彼の命を自らの手で終わらす、そのために。

 

「「台風鈎!」」

 

 まったく同じモーションで、まったく同じ技が繰り出される。

 速度はクシャトリアが勝り、技の練度はジュナザードが勝り、破壊力は互角。同規模の衝撃を浴びて、二人は同程度の距離を離した。

 やはり戦えた。静動轟一のないジュナザード相手ならば、静動轟一のあるクシャトリアは戦うことが出来る。

 ジュナザードは風林寺隼人との戦いで文字通りの全力を出し尽くしており、表には出さないが消耗があった。諸人を騙せても、誰よりもジュナザードを見てきたクシャトリアの目は誤魔化せない。いつもなら例え静動轟一を発動していない状態でも、同じ技を繰り出して威力が同じになるなんてことはなかったはずだ。ほんの僅か、紙一重の差でジュナザードが上をいっていた。

 それが互角だということが、ジュナザードが消耗しているという証左。

 クシャトリアにも消耗はある。ダメージもある。ティダードの薬草で幾分かは回復したが、完治には程遠い。

 なのに不思議と肉体は重さを感じない。痛みはあるのに、痛みを感じていない。奇妙な全能感が今のクシャトリアにはあった。

 

師匠(グル)――――ッ!」

 

「カッ、カッカッカッカッ! 長い間、お主を作り上げていて我も何を勘違いしたか。そうじゃわいのう。そうじゃわいのう! 我が弟子達の中で誰よりも賢しく才能に溢れて居ったお前が、なんの勝算もなしに我に挑むなど有り得んかったのう! 一番弟子の考えを見誤るとは、我の目も抜けておるわいのう! カーカッカッカッカッ!」

 

 静動轟一を使えず、格下である自分の弟子相手に互角に戦われている――――そんな状況にも拘らずジュナザードは酷く愉し気だった。その笑い声には狂気すら、否、狂気しか感じられなかった。

 

――――もしかしたら……シルクァッド・サヤップ・クシャトリアならば、自分を殺してのけるかもしれない。殺しにきている相手は手塩にかけて作り上げた自分の弟子。だとすれば一体全体どうやって自分を殺しにくるのだろうか?

 

 ジュナザードは自分が殺されるかもしれないという危機を、嬉々として愉しんでいる。クシャトリアにはそう見えた。

 まったくもって厭な師匠である。こんなにも師匠がべらぼうに強くなければ、もしかしたらこうはならなかったかもしれないというのに。

 

猛獣跳撃(スラガン・ハリマウ)!」

 

 虎に擬態して、クシャトリアはジュナザードの喉笛を食いちぎりにいく。比喩ではなく五体で殺せなければ、牙をもって噛み殺す気で迫った。

 弾丸めいた拳打が猛虎となったクシャトリアを妨害する。しかしクシャトリアを守護する流水は、ほんの紙一重で拳打を回避していっていた。それでも風圧だけで肉が千切れそうになるが、その程度の痛みは慣れている。大したものではない。

 クシャトリアの手がジュナザードの肩の肉を剥ぎ取る。その代償はクシャトリアの左腕だった。

 左腕に五本の指が釘のように突き刺さる。気血で鋼鉄とした腕を、ジュナザードの指はいとも容易く穿ってきた。

 だがまだ大丈夫だ。左腕が千切れ飛んだ訳ではない。牽制と盾代わりには使える。

 

「我相手によくやるわい。じゃがどこまで続くかいのう。我と違いお主の肉体ではソレに耐え切れまい」

 

「が、ぬぅぅ……ッ!」

 

 前の戦いと今回の戦い、二つの戦いを合わせて既に静動轟一の限界発動時間が近づいている。残り限界時間は三十秒。

 

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおーーーーッ!」

 

 静動轟一で一時的にとはいえ『超人』の領域に達していたからだろう。十三人もの分身が現れて、それがまったく別々の動きでジュナザードに殺到する。

 

「――――十三連。転げ回る幽鬼(ハントウ・グルンドゥン・プリンイス)

 

 クシャトリアが十三人の分身で襲えば、ジュナザードは十三倍の速度で迎撃する。

 十三人のクシャトリアはジュナザードの『奥義』が一つの前に、次から次へ殺されていく。しかしジュナザードが最後の一人、即ち本体を殺しにきた瞬間、

 

「我流〝玄武爆〟」

 

 玄武の気が宿った鉄拳が、ジュナザードを弾き飛ばした。

 闇の一影、風林寺砕牙の奥義は邪神相手にも有効だったということだろう。クシャトリアは吹っ飛ばされたジュナザードを疾風のように追撃していき、

 

(―――――――ぬっ、こんな……ところで……)

 

 静動轟一の限界時間が訪れた。

 始まる。静動轟一の最大のリスク、精神と肉体の崩壊が始まっていく。静動轟一の気をコントロールすることに成功した者は、静動轟一をノーリスクで使用することができる。だがそれは制限時間付きだ。ジュナザードのような『超人』の体をもっていない限り、限界時間を超えれば朝宮龍斗や叶翔と同じように『崩壊』が始まってしまう。

静動轟一を止めなければならない。誰よりも静動轟一を研究してきたクシャトリアは、誰よりも静動轟一のリスクを熟知していた。だが、

 

(まだ、だ……ッ!)

 

まだ静動轟一を解除する訳にはいかない。肉代が崩壊しようと、精神が崩壊しようと、死ななければどうにかなる。まだ大丈夫なはずだ。

 

「あ、ああああああああああああああああーーーーーーーーッ!」

 

 自分でも意味の分からぬ絶叫をあげ、ジュナザードに突貫する。

 瞳から紅の涙を流しながら。内側から肉体ががらがらと壊れていく音を聞きながら。それでもクシャトリアはジュナザードから1㎜も目を離しはしない。目を離せば最後、全て終わる。

 

「このくらいは、予測済みだ!」

 

 大丈夫だ。万が一限界時間を超えてしまった時の対応策も、念のためにクシャトリアは開発していた。

 精神と肉体の崩壊を止めることは出来ない。しかし負荷を片方に回すことくらいならば、達人級の気のコントロールをもってすれば可能だ。

 

――――やれやれ。師が師なら弟子も弟子じゃのう。女を婆呼ばわりとは、主は日頃どういう教育を弟子にしているのかえ。

 

 パリンッ、と音をたてて何かが壊れる。それはクシャトリアの精神に保存されていたモノ。脳と精神に記録されたモノだ。それが脆くも砕け散る。

 果たしてそれは思い出か、それとも思い出ならぬ情報か。或は根源的な人格か。

 

(まだ問題は、ない)

 

 精神は、心は、脳味噌は。未だ武の記憶を宿している。そもそも精神ではなく肉体に焼き付けた武は、例え心が完全に滅び去ろうと失われることはない。だから大丈夫だ。戦闘に支障はなく、戦闘の続行は可能である。

 

――――ようこそお出でになられた、拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリア殿。我が兄弟子。

 

 失われていく精神/心の断片。

 急がなくては。心が完全に木端微塵に砕けてしまえば、流石に肉体を動かすことも難しくなる。そうなるよりも早く拳魔邪神ジュナザードを屠らなければ、己の心が自壊してしまう。

 自爆などというつまらない結末だけは、御免だった。折角この世界で何よりも価値あるものを賭しているというのに、それではまるで救いがない。

 

「カーカッカカカカッカカカカカカカカカカカカカカッ! 手塩にかけた弟子に殺意を向けられ、命を奪われる窮地を味わう! 一度体験すると病みつきになりそうじゃわい。

 この分だとまた達人を仕上げても、同じように喰らってしまうわいのう。我ながら業の深いものじゃわい」

 

「無用な心配だ、貴方に未来はない。貴様の人生はここが終着駅だ」

 

 鞭のような手刀がクシャトリアを抉る。抉って、肉を抉り取った。

 全身に激痛が駆け巡る――――はずである。肉を抉られたのならば当然。なのにクシャトリアは痛みを感じることはなかった。きっともう痛みを感じる精神が、砕けてしまっているのだろう。

 

――――拳聖様の友達っていうことは、ずばりクシャトリアさんも武術の達人なんですよね!

 

 とても大切なモノが失われてしまったような気がした。

 だけどまだ大丈夫だ。まだまだ大丈夫だ。まだ後少しくらいは保つ。

 

(だ か ら)

 

 早く撃ってこい、ジュナザード。生涯をかけて辿り着いた奥義を、生涯最期となる一撃を。

 そうでなければ張り合いがない。そうでなければこちらも使えない。そちらが全身全霊を一撃に込めてくれなければ、こちらも技の出し甲斐がないというものだ。

 クシャトリアの祈りが届いたのか、遂にジュナザードがあの構えをとる。

 その構えを、そこから繰り出される技をクシャトリアは知っていた。

 

――――邪拳・無間界塵。

 

 嘗て無敵超人・風林寺隼人と交戦した折、彼の奥義を見たジュナザードがそれと真っ向から対抗するために編み出した邪悪なる拳。

 無敵超人・風林寺隼人が意、心、技、活、闘、勇、拳の念力を真拳に宿すのならば。

 拳魔邪神ジュナザードは邪、神、技、殺、闘、魔、拳の怨念を邪拳に宿す。

 ジュナザードに免許皆伝を与えられたということは、彼より全ての奥義を伝授されたという証。

 言うまでもなくクシャトリアがジュナザードから伝授された技の中にこの『邪拳』は存在する。実際に放つことも出来るだろう。

 ジュナザードの最大最凶の奥義だけあってその威力は強力無比。凡百の達人の奥義とは隔絶した破壊力をもっている。相手が己と同格の特A級であれば、この奥義は最高に頼もしい必殺となりうるだろう。

 だが相手がジュナザードであれば駄目だ。余りにも頼りない。

 静動轟一で一時的に超人の位階に昇ろうとも、技の破壊力で並び立とうとも、この技でジュナザードと打ち合うことは不可能だ。致命的に『念力』で劣ってしまう。

 

(だから俺はずぅっと考えてきた。どうすればジュナザードを殺せるか、どうやったらジュナザードを殺せるのか。この十数年それだけをひたすら考えてきた)

 

 奥義と奥義のぶつかり合いでは勝てない。かといって静動轟一で超人の力を獲得しようと、ジュナザードの守りを突破して何度も攻撃を直撃させるのは並大抵のことではないだろう。

 静動轟一の発動中に当てられて二、三発。邪神を殺すには余りにも頼りない数字だ。

 しかし戦いというのは受けた攻撃の回数が勝敗を分ける訳ではない。

 半死半生となりながら死にもの狂いで放った〝一発〟が、無傷の敵を打ち抜くことがある。

 ただの一撃、ただの一撃で相手を殺すに足る技――――即ち、必殺技を命中させること。それがクシャトリアが見出した唯一の勝機だった。

 かといって奥義と奥義の応酬で勝てないのは知っての通り。

 ならば、どうするか。

 

(必要となるのは――――)

 

――――疾さだ。

 

 早く、速く、疾く。音よりも風よりも光よりも速く、殺される前に敵を殺す。

 相手が攻撃に全神経を集中させる刹那、神速の貫手をもって命を粉砕する。

 打ち合って勝てないのならば、相手に打たれるよりも早く敵を殺してしまえばいい。そうすれば敵の奥義は届きはしないだろう。例え神であろうと、死者に生者を殺すことは出来ないのだから。

 だからそれをこの十数年間磨き続けた。移動の速さではなく、必殺の速さだけを。その成果、今こそ披露すべき時。

 静動轟一の気を右手に集中。防御の一切合財を放棄し、あらゆる意識を一撃のみに傾ける。気血を送り込まれ、紫色の闘気に活性化させられた右腕はもはや鉄槍と化していた。

 ジュナザードの戦いの〝流れ〟が今正に最大の奥義の解放へと向かってゆく。

 それでいい。流れが攻撃に最大限集中する瞬間にこそ、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの槍は真価を発揮するのだから。

 

「邪拳・無間界塵――――ッ!」

 

 七つの怨念が禍々しい拳へと宿り、それがクシャトリアへと殺到する。だがそれとほぼ同時に、クシャトリアの神槍もまた放たれていた。

 

「――――王波界天殺(ブラフマラー・トリシューラ)ッ!」

 

 津波のように押し寄せる黒い怨念に、投擲された槍が一筋の光となって突き進む。

 十数年間、磨き続けたクシャトリアの槍。それは神域に踏み込んだ神速をもって、ジュナザードの奥義など気にもとめず、真っ直ぐ邪神の心臓へと吸い込まれていった。

 しかしそれでも間に合わない。

 クシャトリアは気付いてしまった。ジュナザードの心臓を貫いても、それとほぼ同時にジュナザードの奥義は自分を粉砕する。

 防御と回避を全て放棄したクシャトリアに、それを防ぐ術はない。殺される前に殺すことを基本理念とした、剥き出しの殺人拳。死中に活を見出すことこそが、クシャトリアの奥義の本質であるが故に。

 恐らくはジュナザードも気づいただろう。

 確定した未来。それはジュナザードとクシャトリアの死。師弟相討ちという結末だ。

 

 

 

 〝王波界天殺《ブラフマラー・トリシューラ》〟

 それがシルクァッド・サヤップ・クシャトリアが生涯をかけて作り上げた、彼だけの奥義の真名だ。クシャトリアの師匠であるジュナザードも、この技を見るのは初めてのことである。

 優れた芸術家が作り上げた絵画や彫刻に、作った者の魂が宿るのと同じ。武人が生涯をかけて作り上げた奥義にも、作り上げた武人の魂が宿る。クシャトリアが放った『奥義』にもまたクシャトリアの魂が宿っていた。

 超人であるジュナザードは眼力もまた人並み外れている。だから『王波界天殺』という技の全てをジュナザードは一瞬で理解してしまった。

 相手が攻撃に全神経を集中させた瞬間、神速の貫手をもって殺される前に殺す。

 言ってみればこれだけのこと。しかし実現させるのは困難極まる。

 この技はその性質上シビアなタイミングを要求される。コンマ0.1秒でも遅れれば技が間に合わずに殺されるだけであるし、コンマ0.1秒速すぎても敵にカウンターを予見され失敗に終わる。息をつく間もない一瞬、それを激しい攻防の中で見出すのだ。戦いの中だけではなく、普段からその敵を観察し、武術的癖に至る全てを知り尽くさなければ、この技は成立することはない。

 故にクシャトリアにとってこの技が成立する相手は唯一人、シルクァッド・ジュナザードだけだ。

 技に込められた理念が伝わってくる。これはシルクァッド・ジュナザードを殺すための技。神を殺すただそれだけの為に鍛え上げられた神槍だ。言うなればシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの武人としての『執念』が生み上げた結晶というべきもの。

 

(……美しい)

 

 他人の技に見事と思うことはあった。他人の奥義に感嘆したこともあった。だがジュナザードの生涯で他人の技を美しいと思い、目を奪われたのは初めての経験だった。

 そこでジュナザードは自分の過ちに気付く。

 ジュナザードがクシャトリアの奥義に目を奪われたことで、ほんのコンマ0.1秒だけ拳が遅れた。これまで戦いの中で意図的に手を抜くことはあったが、無意識に手を遅らせたのは初めてのことだった。

 今日は本当に初めて尽くしである。ジュナザードはそんなことを思いながら、初めての死が迫ってくるのを柔和な笑みで迎え入れた。

 

 

 

「あれから半世紀。我も、老いるはずじゃわいのう……」

 

 ふと、そんな声を聞いた。ぶすり、という何かが潰れたような音がする。

 刹那の後、クシャトリアが我に戻った時には、もう全て終わってしまっていた。

 静動轟一を解除し、クシャトリアは自分の意識がまだあることを確認する。心臓は鼓動を続けており、視界はしっかりとしていた。即ちシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは生きている。

 次いでジュナザードを見る。ジュナザードは……世界最強の男は……人の身で神域に到達した邪神は……息をしていなかった。

 

「勝った……まさか、そんなはずは……ない……」

 

 勝てるわけはなかった。どちらかが負けるわけがなかった。あの瞬間に確定した未来は両者相討ち、引き分けという結末だったはずである。

 そう、例えば片方が寸前になって意図的に攻撃速度を遅くでもしない限り、どちらか一方が勝利することなど有り得ないのだ。

 

「まさか……貴方が、馬鹿な……」

 

 それだけは有り得ないと断言できる。あのジュナザードが誰かに情けをかけるなど、それこそ絶対に有り得ぬことだ。

 だがもしもジュナザードがそうしたのだとすれば、一体どうして。

 

「師匠……」

 

 ジュナザードは死んでしまった。心臓を跡形もなく潰されて。クシャトリアの手にはジュナザードの心臓だったものが、返り血と一緒にこびり付いている。

 だからもう何を問いかけてもジュナザードは応えてくれはしない。ジュナザードは死んだのだ。

 

「――――」

 

 クシャトリアを縛っていた鎖が、音を立てて千切れ飛んでいく。

 漸く実感が湧いて来る。もうジュナザードはいない。ということはジュナザードに殺される恐怖に眠れぬ夜を過ごすことも、ジュナザードを殺す算段に一日を費やすこともない。

 それは命の危険はどこにでも転がっているものだが、少なくともジュナザードという人生を拘束していたものはなくなったのだ。

 クシャトリアの道を強いるものも、生き方を縛るものはない。

 

「これが『自由』か」

 

 清々しい。まるで心に真っ青な蒼穹が吸い込まれているようだ。

 圧政から解放された市民というのは、こんな気持ちを抱いたのだろうか。

 

「師匠ー!」

 

 調子のよい声を響かせて誰かが駆け寄って来る。果たしてそれは誰だったか。壊れゆく精神と共に消えてしまった少女。けれど思い出は砕けていても、名前だけは記憶野に残っていた。

 小頃音リミ。シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの弟子である少女だ。

 いつもなデコピンの一つでも喰らわせるところだが、今日ばかりはそんな気分になれない。抱きしめてオデコにキスでもしてやりたいくらいだ。

 こんな気分になったのはいつ以来だろうか。いや人生初めてのことかもしれない。

 クシャトリアは気を抜いて、振り返り――――また音を聞いた。

 

「――――あ、」

 

 これまでで一番大きい音。嫌いな部類の厭な音が、脳味噌の裏側にぐわんぐわんと反響する。

 世界が、視界に映る景色がぐにゃりと歪んだ。

 音はどんどん大きくなる。精神が、心が、魂がガラガラと響き、バラバラと崩れていった。

 

「――――、――――っ! ――――、―――――ッ!!」

 

 駆け寄ってきたリミが、涙声になって何かを叫んでいる。周囲は一転して慌ただしくなっていた。

 壊れ消えゆく意識の中、クシャトリアは漸く自分の身に起きたことを理解する。

 

「ああ、なんだ。大丈夫だと思っていたが、限界を超えていたのか」

 

 静動轟一の過負荷でクシャトリアの精神は耐えられないほどに皹が入っていた。それがジュナザードを殺して気を抜いたことで、一気に崩壊を始めたのだろう。

 およそ47秒。クシャトリアが『自由』を手にした時間である。クシャトリアの自由は文字通り泡沫の夢と消えたわけだ。

 

「嫌、だなぁ……死にたくないなぁ……」

 

 情けなくも、心の声を素直に吐き出して。最後にパリンッという音を聞く。

 それでおしまい。クシャトリアの魂は粉々に砕け散った。

 


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