史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第133話  届かぬ頂き

 小頃音リミはずっと師であるクシャトリアの再会を焦がれてきた。

 焦がれたといっても、それはリミが龍斗に向けているような異性への恋愛感情ではない。それと似ているようで、まったく性質の違う親愛の情だ。

 想い人が理想とする女性に近付くために、馬鹿正直なまでに力を求めていた頃。最初に自分の才能を認め、教えを授けてくれた恩人。

 本格的に弟子入りしてからの地獄の修行には嫌な思い出が詰まっているが、その経験は今この瞬間も小頃音リミの血肉として生きている。

 リミは世界で一番大切な人が誰かと問われれば『朝宮龍斗』と断言する自信があるが、その次に大切な人は誰かと問われれば『師匠』と断言するだろう。

 第三者の視点で見ればリミの師――――シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが良い師であったとは断言できない。

 緒方一神斎ほど外道ではなかったのは確かだし、ジュナザードほど邪悪でも、美雲ほど非道でもなかったが、師として未熟な点は多くあっただろう。

 だが小頃音リミにとってはそのようなことは関係のないことである。小頃音リミにとってクシャトリアが良い師匠かどうかは分からないが、リミにとってクシャトリアは間違いなく好きな師匠だったのだから。

 そんな小頃音リミが一心に探し続けていた愛すべき師は、弟子の献身をまったく眼中に入れることなく、磨き上げた殺人拳を振るった。

 

「躱した、か」

 

 なんの躊躇いもなく、なんの予兆もなく無造作に繰り出された一撃。それは紛れもなくクシャトリアが独自に練り上げた奥義の一つだった。

 機械であるが故に戦いに駆け引きはなく。機械であるが故に必殺を放つことを躊躇わず。そして機械であるが故に、クシャトリアはいつ如何なる状況でも最高のコンディションを維持している。初撃にしていきなり奥義を放ってきたのがその証拠だ。

 この凶悪な初撃を回避できたのは運が良かったのだろう。クシャトリアの腹心だったアケビとホムラ、二人によって教えられたクシャトリアの戦い方。そして屋敷に残っていたクシャトリア自身の戦闘データ。それを念入りに研究し、自分のものとしてきたからこそ、いきなりの奥義にも対応できた。もしもそれがなければ、小頃音リミは戦闘開始十秒にも満たず、その命を散らしていたことだろう。

 

「あは、は。覚悟はしてたけどやっぱり辛いなぁ。こうして師匠に殺されそうになるのって。修行の時は何度も蹴り飛ばされたりしてたけど、ちゃんと手加減してくれてたし」

 

「…………」

 

「でも、リミは良かったですよ。ちゃんと止むを得ない理由があるのを知っているから」

 

 あのジェイハンやクシャトリアのように、止むを得ない理由もなく師から生身の殺意をぶつけられれば、リミの心は折れていた。良くも悪くも純粋なリミの心は、世界からの悪意には耐えられても、大切な人からの悪意には耐えられない。

 しかしクシャトリアがリミに殺意を向けるのは、あくまでも櫛灘美雲がクシャトリアのことを操っているからだ。殺意を発しているのはクシャトリアだが、殺意の発生源はクシャトリアではない。

 だから耐えることができる。逆に倒してやろうと気合いを入れることも出来る。

 

師匠(グル)は、取り返す……! 櫛灘美雲っ!」

 

 対峙しているクシャトリアにではなく、ここにはいない美雲に戦意をぶつけると、リミの姿がその場から掻き消えた。

 幻夜の燕。リミが最も得意とする技で、縮地術の一種だ。

 武術家としてのキャリアに大きな差のあるリミは、クシャトリアにあらゆる面で劣っている。そのリミが唯一クシャトリアに勝り得るのが速度だ。

 完全に特A級でも上位クラスに届く速さに、クシャトリアはリミを見失う――――ようなことは、残念ながらなかった。

 

「…………」

 

 リミの速度にもクシャトリアは眉一つ動かすことはない。

 それはクシャトリアから心が失われていることが理由であるが、仮にクシャトリアに『精神』があったとしても、それを揺らすことはなかったはずだ。

 なにせクシャトリアは仮にも一影九拳の一席に座ることを許された者。リミ以上の速度の持ち主にも、その生涯で何度か出逢っている。

 

「〝静動轟双〟」

 

 クシャトリアが奥義の一つである静動轟双を発動した。

 山火事のように燃え盛っているというのに、まったく熱の感じられない動の気。大雪原のように猛吹雪が吹き荒れているのに、まったく冷たさのない静の気。

 巨大でありながら無温の気は、交わらずに完全に一つの器に同居した。

 幻夜の燕で地面を縮めて地面を駆けるリミに、クシャトリアも同質の縮地術で追いすがって来る。

 

台風鈎(トパン・カイト)

 

「っ! 第六のジュルス!」

 

 日本刀の居合切り染みた回転蹴りを、リミはクシャトリアから教わったジュルスで受け流す。

 だが回避しながらも決して両足を止めることはない。速度以外のあらゆる面で勝っているクシャトリア相手に立ち止まった時。それが自分の敗北の瞬間であるとリミは本能的に悟っていた。

 

「だぁあああああッ!」

 

 動の気を全開にして懸命にクシャトリアの猛攻を掻い潜り、彼の周囲を飛び回る。そして気を練り込んだ蹴りを、クシャトリアに放った。

 クシャトリアにとっての死角を縫うようにして放たれた蹴り。それをクシャトリアは気当たりを感知することで、あっさりと回避する。

 死角からの攻撃をあっさり回避されたリミはしかし、さしたる残念さを浮かべることなく高速移動を再開した。

 

「…………」

 

「秘技〝燕の舞〟――――なんて、前の師匠だったら『馬鹿なこと言ってる暇があったら修行しろ』って言うんだろうな」

 

 ノーリアクションの師匠への寂しさを心の奥へ封じ込めると、リミは高速でクシャトリアの周囲を走り回りながら、隙を見ては蹴りを放つを繰り返す。

 足の力は手の三倍。厳密に三倍であるかどうかは個人差があるが、足の力が手よりも強いのは人類共通のことだ。そのため蹴り技は、あらゆる武術で重宝されてきたし、足技主体の武術もかなりの数がある。

 スピードは兎も角、腕力と耐久力に関してリミは特A級には届いていない。そのリミがまともにクシャトリアと殴り合いなどすれば、確実にリミが先に力尽きるのは明らかだ。

 そのリミがクシャトリアに勝とうとするのならば、あらゆる攻撃を回避しながら、一方的にダメージを与え続ける以外に方法などありはしなかった。そう考えたリミが考え出したのがこの戦術である。 

 燕の舞というのは、リミがその場のノリで適当に思いついた技名だが、決して的外れなものでもないだろう。

 幻夜の燕による超高速移動から繰り出される蹴り技の数々。それは確かに舞いと評するだけの美しさをもっていた。

 

渦を巻く落雷(プサラン・ハリリンタル)

 

 落雷のような蹴りが襲い掛かる。クシャトリアの蹴りは、命中すればリミの全身の骨という骨を砕いて余りある破壊力をもっていたが、当たらなければ必殺の破壊力もナマクラに等しい。超高速移動を武器に回避したリミは、逆にクシャトリアに突きをおみまいした。

 

「…………」

 

 クシャトリアにとっては画鋲が刺さった程度に過ぎないであろう些細な負傷。だがダメージはダメージだ。例え画鋲の針でも、何度も何度も突き刺せばいずれは心臓にも届くだろう。

 超高速で機敏に動き続けるリミを補足するのは困難。そう判断したからか、クシャトリアは体の内側でドロリと濁った、生物的に悪寒を感じずにはいられない『邪気』を練り始めた。

 

「狂鬼・阿修羅道」

 

 捕捉するのが面倒ならば、周囲一帯全てを呑み込むまで。クシャトリアの内側で練られていた『邪気』が360度の全方位へと解放された。

 それはさながら殺気の爆発。クシャトリアを爆心地にして、逃れ得ぬ殺気が周囲の生命全てに突き刺さる。当然クシャトリアの周囲を高速移動していたリミも例外ではない。常人ならば即死しかねないほどの殺意を浴びて、リミはほんの一瞬だけ足を止めてしまった。

 その一瞬でクシャトリアには十分。動きを止めたリミ目掛けて、容赦なく殺人拳を振るい、

 

「触れ、させるかぁああああああああああああああああああっ!」

 

 瞬間。リミの思考回路にあるリミッターが完全に飛んだ。動の気を意図的に暴走状態にさせることによる、苦痛と恐怖の麻痺。こうなってしまっては、例えジュナザードの殺意でもびくともしない。なにせ生命ならば等しくもつ恐怖が、働くのを止めているのだから。実に緒方の好みそうな技である。

 

「どぉですかクシャ師匠ォ! 拳聖様直伝のシュライバーもどき戦法は!!」

 

「…………」

 

 リミの叫びはクシャトリアにまったく届かずに、クシャトリアは粛々と現在の小頃音リミの『考察』を行う。

 今のリミは動の気の暴走により、痛みと恐怖が麻痺している。つまり例え片手が吹っ飛ぼうと内臓を垂れ流そうと、足を潰すか絶命させない限り高速移動は止まることがない。

 

「……成程。もう分かった」

 

 小頃音リミが幻夜に飛ぶ燕だというのならば、クシャトリアの渾名は翼もつ騎士。夜空に飛ぶ燕なぞ、たちどころに背の翼で追いついて、手にもつ刃で両断してみせるだろう。

 それを証明するように燕の舞の観察を終えたクシャトリアが行動に出た。

 

「……静動轟一なぞ、使うまでもない」

 

 瞬間。クシャトリアが気当たりを用いて六人に分身する。分身したクシャトリア達はリミの行く場所を塞ぐように展開し、夜を舞う燕を捕えにかかった。

 リミが分身に驚愕したのも束の間。クシャトリアはリミを〝捉えて〟いた。

 

(――――やられる!?)

 

 明確な死が迫った悪寒が、急激に動の気の暴走状態からまともな精神へと回帰させる。

 

「静動轟一!」

 

 静動轟一は絶対に使うな、というクシャトリアの言葉が脳裏を過ぎったが、リミが発動を躊躇うことはなかった。

 何故ならばリミには確信がある。もしもクシャトリアに意識があったのならばこう言うだろう。自分の命を守るためなら迷わず使え、と。

 

「う、りゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 リミの体から信じられないような力が溢れる。

 今ならば誰でも倒せるという、麻薬にも似た全能感。だが麻薬と違って、それは決して幻覚ではない。ほんの一時の仮初の力ではあるが、ここに小頃音リミはクシャトリアに比肩しうるだけの力を得た。

 そう、比肩だ。凌駕ではない。

 

「…………」

 

 静動轟一を発動したリミの連撃を、クシャトリアは淡々と捌いていく。

 これが拳魔邪帝クシャトリア。静と動の気を束ねし豪傑。十年の時を武術に捧げ、静動轟一を発動しても――――追い越すことの出来ない頂き。

 

「こ、のぉぉぉおおおおおおおお!!」

 

 だがそんなことは認められない。

 クシャトリアを取り戻すために、ただそれだけのために生きてきたのだ。なのに静動轟一という禁忌を使ってすら、師を凌駕できなかったなんて、そんな現実を許すことは出来なかった。

 

地転蹴り(トゥンダンアン・グリンタナ)

 

 クシャトリアから教わった技で、リミが最も得意としてきたもの。それに小頃音リミの全てをのせて放つ。

 しかしリミの全てを賭した一撃にも、クシャトリアが自分の全てを出すことはなかった。

 クシャトリアは左腕でリミの蹴りを受けると、クシャトリアは自分の体に刻み込んだ秘奥の一つを解放する。

 

「我流〝玄武爆〟」

 

 小頃音リミの全てを乗せた蹴りに返ってきたもの。それはクシャトリアの奥義ではなく、他人の奥義だった。

 




本日のリミの敗因:シリアスに徹さずにパロ台詞を言ったこと。

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