史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第136話  再誕

 確実に成功するはずだった。クシャトリアが心ない『兵器』である限り、心配など有り得ないはずだったのだ。

 しかしながら現実に本郷晶の放った〝陰陽極破貫手〟は受け止められ、クシャトリアを斃すことに失敗している。

 ぎちぎちと骨が軋む音がした。獲物を捕まえた翼竜のように、クシャトリアは両手を本郷晶の腕に食い込ませている。

 だが本郷は自分の腕の痛みなどまったく頭に入ってはこなかった。本郷晶の眼はただひたすらに目の前にいる『クシャトリア』を凝視している。

 其の男はクシャトリアのはずだ。

 浅黒い肌、赤い目、白髪。全てのパーツがそれをクシャトリアであると告げている。けれどパーツはまるで同じなのに、色合いというべきものが180度別物へと変化していた。

 無機質だった肌は、底なし沼の寒々しさを。無感情だった眼は、ザクロのような毒々しさを。無色だった白髪は、あらゆる光を拒絶するかのような否定を。

 

――――世界には同じ顔をした人間が三人はいる。

 

 ふとそんな言葉を思い出した。

 言うまでもなく、この言葉に科学的根拠は何一つとしてありはしない。ただのデマ、或は風聞といった程度のものである。

 だがことシルクァッド・サヤップ・クシャトリアに限っては、最低でも一人は同じ顔をした人間がいたということを本郷晶は知っている。

 シルクァッド・ジュナザード。

 クシャトリアが最も恐れ、最も執着し、最も強いと信仰した邪神。拳魔邪帝の師匠だ。

 有り得ないと本郷の冷静な部分が囁く。ジュナザードはとっくに死んでいる、他ならぬクシャトリアが殺害したではないか、と。そして本郷晶もジュナザードが死ぬ様をこの目で見ている。

 だが本郷晶の直感、または生存本能というべき部分は叫んでいた。コレは〝危険〟だと。

 

「貴様……何だ? なんだ、お前は……?」

 

「カカッ、カーカカカカカカカカカカカカカッ!」

 

 狂ったように笑いながら、クシャトリアの姿をした何者かは本郷を投げ捨てた。

 そして何者かの全身から黒い邪気が噴出する。千年間封じられていた活火山が突如として解放されたかのように、邪気の噴火は留まるところを知らない。

 心の弱い人間であれば吸い込むだけで窒息死するほどの邪気。それが小さなグラウンドほどの広さをもつ部屋を満たした。

 

「一度拳を交えたこともある武人を忘れるなど、意外に薄情な男じゃわいのう……。え? 人越拳神」

 

 クシャトリアの口から発せられたのは、クシャトリアのものではない声だった。

 懐かしさではなく嫌悪感が鎌首をもたげる。これは十年前にも聞いた声色だった。十年前に死んだ男の声そのものだった。

 

「貴様、やはり……ジュナザードッ!」

 

「答えに辿り着くのが遅いわい小童め」

 

 人を小馬鹿にしながら、ジュナザードはニィと笑みを深める。

 

「どういうことだ。その肉体は間違いなくクシャトリアのもののはず。なのに何故だ。十年前の戦いで死んだ貴様が、クシャトリアの体の中にいる?」

 

 シルクァッド・ジュナザードは十年前の戦いで死亡している。これは動かしようのない絶対的な事実だ。何人もの人間がそれを目撃し、ジュナザードの死を観測している。

 ティダードにいるジェイハンしか知らぬという墓所へと赴けば、きっと今もジュナザードの亡骸が眠っていることだろう。

 だが厄介なことにジュナザードはここにもいるのだ。これまで数々の修羅場を潜り抜けてきた本郷晶をもってしても、こんなことは初めてである。

 

「なぁに。こうなってしまったのは我としても計算外、いれぎゅら~というやつじゃわいのう」

 

「イレギュラー、だと?」

 

「クシャトリアは我が唯一己の名前を分け与えた弟子。我の作り上げた最高傑作というべき武人よ。クシャトリアこそは我が継承者、我が現身、我が化身。

 そして彼奴には我が『拳魔邪神』を継ぐために、我自身の邪念を心へ植え込んでおった」

 

「っ!」

 

「十年前の戦い――――クシャトリアが我を殺すという儀をもって、クシャトリアは真実我の継承者となった。我という呪縛から解き放たれたクシャトリアは、王のエンブレムを受け継ぎ新たなる九拳となる。

 じゃが元々クシャトリアは我を殺すために武を磨いておった。故に我が死に、我の呪縛が消えてしまえば、クシャトリアは成長を止める恐れがあった」

 

 否定することはできない。本郷もクシャトリアが多くの武術から奥義を『買い取って』いたことを知っている。それに緒方と一緒に武術の研究に精を出していることも聞いていた。

 それら全てがジュナザードを殺すための努力ならば、目的を果たしたクシャトリアには強くなる理由がなくなってしまう。

 

「まさか、そのために」

 

「そのまさかじゃわい。我の邪悪なる心の中でも一際凶悪なもの――――〝力を求める心〟を奴には植え付けておった。我がクシャトリアに植えた種子は、我の死によって芽吹き、やがて戦いの中で流れる血を啜って花開くじゃろう。じゃが我にも計算違いのことがあった」

 

「…………」

 

「言うまでもないじゃろう。クシャトリアの精神が壊れたことじゃわいのう。邪念とはいえ所詮はただの心の残滓。心の大本であるクシャトリアの魂が砕け散ってしまえば、もう何の役にも立たぬ。我のシラットはクシャトリアの代をもって途切れ、失伝するはずじゃった。じゃがのう。ここで更に我の計算違いのことが起きた」

 

「櫛灘……美雲のこと?」

 

 小頃音リミが立ち上がり、ジュナザードに槍のような視線を向けた。

 だがリミの敵意などあらゆる邪念を受けたジュナザードからすればそよ風のようなもの。顔色一つ変えずに受け止める。

 

「然り。彼奴がクシャトリアに残った魄を邪法で掌握し、己の傀儡としたことで〝運命〟は狂った。永久に眠り続けるはずだったクシャトリアは、眠りながら動き続ける人形に。

 操り人形となったクシャトリアが行った数多の〝殺し〟は、砕け散り空っぽとなった器に残った種子に水を注いだ。

 そして――――」

 

 クシャトリアの魂と混ざり合い、魂のほんの一部となるはずだった邪念は、空っぽの器で何にも交わらずに成長してしまった。

 数少ない必然と、幾多もの偶然。それらが複雑に絡み合って死者蘇生という奇跡が実現してしまったのである。

 拳魔邪神ジュナザードの再誕という形をもって。

 

「もっとも所詮は我など大本の『シルクァッド・ジュナザード』から流れた魂の一欠片。湖に投げ込まれたヘドロの塊。湖を穢すことはできても、湖を満たすことなど出来ん。

 こうして我が意識を目覚めさせられるのも長くても一時間が精々じゃし、人格はシルクァッド・ジュナザードでも肉体はクシャトリアのそれ。嘗ての力を発揮することなぞ夢のまた夢よ。じゃが」

 

 ジュナザードのドロリと濁った眼が本郷晶と小頃音リミの二人を補足した。

 吊り上がるジュナザードの口角。その顔は目を背けたくなるほどの邪悪に満ちていた。

 

「クシャトリアを救いにきたという二人の武人を、縊り殺して愉しむ程度の力はあるわいのう」

 


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