史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第137話  人越拳神

 黒い戦気の渦が、ここにいる全員の注意を吸い込んでいく。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアに植え付けられたほんの一欠片の邪念。多くの人間を殺め、その死を喰らうことで成長していったそれは、邪気の権化たるジュナザードのものに迫ってきている。

 本郷晶の心臓が、小頃音リミの脳髄が。理解の外にある『脅威』から目を背けようと、必死に眠りにつこうとした。

 だがそんなことは許されない。

 ここで眠ってしまえば死の恐怖からは逃れられるかもしれないが、死そのものからは逃れることは出来ない。狂笑する死の権化を打倒することでのみ、生という未来は切り開かれる。

 本郷とリミは気血を隅々にまで行き渡らせ、クシャトリアの肉体をした邪神が発する殺意の渦を耐え凌ぐ。

 

「ほぉ。空手家のほうは兎も角、そちらの小娘も耐えるとはのう。師がこの様になった後もよく修練しておったとみえる。従順な弟子をもったようじゃわいのう、クシャトリア。カカカカカッ」

 

 聞こえていないのは承知で、ジュナザードは自分の肉体の嘗ての所有者にそう告げた。

 無論クシャトリアが言葉を返すことなどはなかったが、それを聞いたリミはぎりっと歯軋りしてジュナザードを睨みつける。

 シルクァッド・ジュナザード。

 彼の者こそクシャトリアが闇に堕ちた全ての元凶。櫛灘美雲の〝操作〟など、所詮はジュナザードの残した爪痕を利用したこと。そもそもの原因はジュナザードにある。

 クシャトリアの人生を思うが儘にして、遂にはその魂を道連れにしたジュナザード。そんなジュナザードが死後にまでクシャトリアの肉体を乗っ取ってきたのだ。弟子のリミからすれば憎々しい限りだろう。

 櫛灘美雲に向けたものよりも鋭利な殺意が、リミから師の師匠へと注がれた。

 それを受けてジュナザードは、

 

「カカッ。そうじゃわいのう……あのクシャトリアが命を賭して救いに来た己の弟子。その愛弟子を自分の肉体を殺したとあれば――――クシャトリアの奴も、ショックで目を覚ますかもしれんわいのう」

 

「!」

 

「自分の師のためじゃ。喜んで命を差し出せぃ!」

 

 ジュナザードの魔手がリミに迫ってくる。無造作に突き出された掌はしかし、触れればコンクリートだろうと頭蓋骨だろうと握りつぶしてしまうだろう。

 普段ならばリミは驚異的第六感に従いとっくに回避していたはずだ。パワーも技術もなにもかも特A級に満たないリミであるが、ことスピードだけでは特A級の上位クラスに並ぶものがある。中身がジュナザードでも、ポテンシャルがクシャトリアのものならば回避することは決して難易度の高いことではない。

 されどこの一瞬。ジュナザードが適当に放った一言が、リミの足をほんの数秒だけ地面に縫い付けていた。

 

――――自分が死ねば、ショックで師が目覚める。

 

 それはなんの理屈もない、ジュナザードの戯言に過ぎない。ジュナザード自身も特に深い考えがあったわけではなく、軽口として言っただけだろう。

 けれどそれは師匠のことを十年間探し続けたリミにとって、初めて聞く師匠が助かる可能性だったのだ。

 

「――――、あ」

 

 リミがそんな都合の良いことがあるわけない、と我に返った時。もうジュナザードの魔手は直ぐそこにまで接近していた。

 ここまで近づかれてしまえば回避することは出来ない。かといって受けるだけの技量もないのであれば未来は決まったようなものだ。

 

「人越拳ねじり貫手ッ!」

 

 リミの死という未来を、一撃の貫手で粉砕する本郷晶。ジュナザードは後ろに跳びながら軽口を叩く。

 

「カッ? 危ない危ない、人が人を殺そうとしている時に横槍を入れるでないわいのう。ノリの悪い男じゃ」

 

「その娘を惑わせることを言うな……。貴様のような外道には理解できぬだろうが、どんなか細い糸ですら希望に見えてしまう者がいる……」

 

「らしいのう。か細いどころか、絵にかいた糸にすら足を止めるなどとはのう。才能はピカイチじゃが心が弱い。生温い心があるから、土壇場で殺意が鈍る。窮地で足が止まる。あの王子と同じじゃわいのう。

 やはり我が弟子は弟子育成能力にかけては難があるわい。我ならばこやつを弟子にとって直ぐに、まずは弱い心から矯正したじゃろうに」

 

「――――笑止。武とは心・技・体の三つ揃ってのもの。心を捨て去った先に未来なぞありはしない」

 

「あるわいのう。この我こそがその証明じゃわい! 消し去った弱き心は、邪心にて埋めるまで。違うというのなら人越拳神よ。お主の温い殺人拳で我が邪拳を受け止めてみせるがいい――――ッ!!

 

「望むところだ!」

 

 人越拳神と拳魔邪神。共に神の渾名を授かりながら、対極の思想をもつ二人の武人。

 全く相容れない二人が十年前に殺し合うことなく同じ組織に属していられたのは、不可侵条約と一影の威光があったからだ。ジュナザードは一影の威光などはまるで意に介さないだろうが、本郷晶はそうではない。一影九拳でも比較的穏健派である本郷は、一影の方針には自分の主義を曲げない範囲で従っていた。

 しかしこの場には一影の威光もなければ、一影九拳の不可侵条約すら存在しない。であれば二人の対決は必然であり必定だ。

 人を超えた拳神と、魔拳をもつ邪神。ほぼ同時に繰り出された突きの衝突は、その余波だけで床に敷かれていたタイルを粗方吹き飛ばした。

 

「はぁ――――」

 

「カカカッ!」

 

 むちのようにしなる本郷の腕が、ジュナザードを弾き飛ばした。その機を逃さぬとばかりに本郷はそれを追撃。猛雨の如き突きの連打を繰り出す。

 ジュナザードはそれを防ぐばかりで、まるで攻撃を返してこない。その様子はまるで〝しない〟のではなく〝出来ない〟かのようで。

 本郷の違和感に応えるかのように、ジュナザードが嬉々としながら言う。

 

「カ、カカカカカカカカカカカカッ。何度か女宿の目の届かぬところで〝出てきた〟ことはあったが、やはり動かすのと戦わせるのは要領がちと異なるわいのう」

 

 嘗て闇の研究者は人には精神を司る魂と、肉体を動かすための魄があると言った。それをより細かくすれば人には精神たる魂、情報たる脳味噌、肉体がある。

 十年前に死亡したジュナザードは魂、脳、肉体の三つ全てが消滅している。今現世に残るのは精々が遺骨くらいだろう。だがその魂の欠片というべきものは、魂だけが砕け散ったクシャトリアに宿っている。

 そうしてジュナザードの魂が動かしているクシャトリアの肉体であるが、そこにジュナザードの『記憶』は存在しないのだ。

 魂はジュナザードでも、肉体も脳もクシャトリアのもの。つまり本郷の目の前にいるジュナザードは、クシャトリアの記憶と肉体から再現されているジュナザードということだ。

 例えるのならばスポーツカーを運転していた途中で、突然に普通の乗用車に乗りかわってしまったようなもの。混乱するのは無理のないことだ。

 もしかしたらこの混乱のうちに押し切れば倒せるかもしれない。

 

「――――じゃが概ね理解したわいのう」

 

 本郷の脳裏によぎりかけた甘い思考を、ジュナザードの規格外の魂はあっさりと追い抜いていく。

 たった一度の交錯。それでクシャトリアの肉体の動かし方を理解しきったジュナザードは、完全に調子を取り戻した。

 

「なんという出鱈目……」

 

 本郷晶をしてそう戦慄させるだけの異様なポテンシャル。

 こんなものが自分と同じように人間の女の胎内(ハラ)から生まれたというのが到底信じられない。或はジュナザードは地獄の生まれで、閻魔の気まぐれで地上に棄てられたのではないか。そんな荒唐無稽な想像が浮かぶほどにジュナザードは異常だった。

 人智の及ばぬ凶悪なる邪気。魂が肉体に引きずられるというのは聞いたことはあるが、これはその逆だ。

 ジュナザードという魂に、肉体の方が引きずられている。その肉体を神に宿すに相応しい龍体へと変容させていっているのだ。

 変容が完全に完了してしまえば、アレは正真正銘のジュナザードとなる。そうなっては勝機は彼方へと消え去ってしまうだろう。

 防ぐ手段は一つのみ。

 

「己の弟子の体を我が物にしようなど。無粋だぞ、ジュナザード。死者は黙したまま、地獄で寝ているがいい――――っ!」

 

 活人の道に背を向けて、殺人道を歩んだ者であるのならば、死とは絶対のものでなければならないのだ。

 死んでから蘇るなど、まったくもって殺人拳ではない。人を活かすのは、活人拳の領分であろう。故に殺人道を歩んできた本郷晶は、全身全霊をもってジュナザードを否定する。

 

「貴様が変容しきる前に、黄泉路へ叩き返してやる!」

 

「面白いわいのう。やってみるがいい」

 

「無論のこと」

 

「〝静動轟一〟」

 

「流水制空圏〝第零段階〟」

 

 変容が完了してしまえば、ジュナザードは正真正銘の神となる。

 人間ではどうあっても神は殺せない。神殺しの槍(ロンギヌス)でもあれば話は別なのかもしれないが、そんな都合の良い武器、本郷晶は所持していない。本郷が信じるのは己の五体と精神のみだ。

 ならばジュナザードが神に至る前に、ジュナザードをクシャトリアの肉体から叩き出す他ないだろう。静動轟一とジュナザードの邪気も、無敵超人が編み出した流水であれば祓うことも出来るかもしれない。

 

「邪拳・無間界塵」

 

 解き放たれるのは邪神が編み出した究極の奥義。遍く人類全てが膝を屈する邪拳の極地。

 世界を犯す猛毒、邪、神、技、殺、闘、魔、拳の怨念が本郷晶の命を奪い尽くすために落下してくる。

 

「――――、!」

 

 瞬間。本郷晶は自分の死を覚悟した。これは勝てない。こればかりはどうあっても打倒など不可能だ。

 クシャトリアがジュナザードを殺すために『王波界天殺(神殺しの槍)』を鍛え上げた理由を完全に理解する。彼は知っていたのだ。コレと真っ向勝負などしては万に一つの勝ち目もない。一秒の拮抗も出来ないままに死ぬのみだろう、と。だからクシャトリアは防御も回避も捨て、殺される前に殺すという剥き出しの殺人拳をもって応戦したのだ。

 だがこれより本郷晶が放とうとしているのは殺人拳ではない。ジュナザードを祓うための活人の業。これではジュナザードから勝ちを掴むことは出来ない。

 なればこそ、

 

台風鈎(トパン・カイト)

 

 小頃音リミが激突に割って入るのは必定だったのか。

 静動轟一を用いての神速。本郷晶にすら追いつくことの叶わぬ速度そのままに突進し、ジュナザードの邪拳を横合いから蹴りつけた。

 そんなことをしてもジュナザードにさしたる負傷はない。しかし本郷晶は戦いの中で初めて朗らかに笑ってみせた。

 

「良い弟子をもったな、クシャトリア」

 

 邪拳の威力そのものは欠片も衰えていない。人智を凌駕し、あらゆる命を奪う呪いを孕んだままだ。

 しかしリミの蹴りは威力を落とさないまでも向きを変えた。時速300㎞を超える新幹線に、石ころを投げつけたところで何の意味もないだろう。けれどそれが石ではなく岩であれば、岩でなく巨岩であれば。その直撃は新幹線を『脱線』させるには十分すぎるだけの威力となるだろう。

 そして本郷晶はほんの左へ体を逸らすだけで、まったく予定外の場所へ飛んでいった邪拳を躱すことに成功する。

 

「人越拳・流水ねじり貫手――――ッ!!」

 

 流水によって、邪悪は雲散する。ここに雌雄は決した。

 

 


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