史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

140 / 142
第139話  六欲天

 バーサーカーとオーディーン。クシャトリアと小頃音リミ。

 其々因縁ある者同士が死闘を繰り広げた、この米軍基地は魔王の住まう地獄の城塞とすら呼んで良いだろう。

 そして地獄の蓋が開いた時、これまで五十年以上もの長きに渡って〝闇〟に封じられていた悪意は解き放たれる。嘗てナチスと呼ばれた黒い軍団が闊歩し、禁断の太陽が地上に顕現した人類史上最悪の戦い、それと同じものが再び起こるのだ。

 己の力を存分に奮える場所を求めて止まぬ魔鬼たちにとって、それはなによりも焦がれるものだろう。

 そして魔城の最奥。即ち落日の元凶である親玉のいる場所にて、櫛灘美雲と白浜兼一の戦いは九割方の決着がついていた。

 

「随分と頑丈な肉体をもっておるようじゃが、そろそろ限界じゃろう。詰みじゃのう」

 

「……まだ、まだ。勝手に終わらせないで、くださいよ……。僕はまだ戦える」

 

 半死半生で膝をつきながら敵を見上げるのは白浜兼一。対して櫛灘美雲はまったくの無傷だ。

 白浜兼一は決して女性に手をあげないという信念をもっている。故に負傷がないのは自然なことなのだが、櫛灘美雲には服が乱れた様子すらない。これは二人の実力が隔絶しているということを如実に表していた。

 確かに白浜兼一は達人である。才能の欠片もない身でありながら、一握りの神童ですら到達困難な達人の領域にまで登り詰めた。それはさながらミジンコが龍へ成り天へ昇っていくような奇跡に等しいだろう。

 だが例え特A級という頂きに昇っても、未だに櫛灘美雲は白浜兼一にとって手の届かぬ怪物だった。

 一口に特A級といってもピンキリがある。

 特A級に成りたての兼一では、超人一歩手前の櫛灘美雲には届きはしない。こればっかりは気合いや根性や幸運で埋められるものではないのだ。

 

「やせ我慢をするところがまた彼奴にそっくりじゃな。これで才能も隼人とそっくりであれば、わしを止めることも或は叶ったかもしれんというのに惜しいのう」

 

「……!」

 

「お主のような凡夫を達人に仕上げた隼人の手腕は、わしをしても化物と言う他あるまい。いや、隼人ではなく梁山泊全員の成果というべきじゃのう。

 じゃがだからこそ惜しい。活人拳と殺人拳などの境もなく、純粋に一個の武人としてはこう思わずにはおれぬよ。才能が欠片もない者を達人にするのに費やした労力を、もしも才能ある者にしておればどうなっていたか、とな」

 

 才能のない兼一が達人になれたのであれば、もし才能ある原石に同じだけの労力を注いでいれば、より凄まじい武術家が地上に誕生していたかもしれない。それは仮定に過ぎぬことだが、散々自分と他の者との『才能』の差を目の当たりにしてきた兼一にすれば、決して世迷言と切り捨てられるものではなかった。

 しかし生憎と兼一も今更そんなことでショックを受けるほど子供ではない。

 

「確かに貴女の言う通りかもしれません。もしかしたら世界には僕より才能に溢れていて、僕以上に梁山泊の弟子に相応しかった人がいるのかもしれない。

 けれどそんなことは関係ない。誰がなんと言うと僕は梁山泊の一番弟子。僕が梁山泊の弟子に相応しいかは、僕自身が証明する!」

 

「悪くない気迫じゃな。なるほど――――武術的才能は悲しい限りじゃが、その精神性は一つの才能と言えるかもしれんのう。

 梁山泊の連中に言わせれば『活人拳の信念』というものじゃろうなぁ。ああ認めるとも。心ある武人は、時にその信念によって限界以上の力を発揮することもあろう。お前自身、そうやって数多の強敵を倒してきたのじゃろう?」

 

「――――そうだ。信念(これ)は僕が誇るべきものだ」

 

 朝宮龍斗、叶翔、鍛冶摩里巳、そして数々の強敵たち。鍛冶摩を除けば、彼等全員が兼一より遥かに優れた才能の持ち主だった。中にはあの時点での兼一より強いものも多くいた。

 そんな彼等と戦い兼一が勝利してこれたのは、誰にも譲れぬ信念があったからに他ならない。

 

「じゃが無用なものよ。心なぞ武の足を引く邪魔者に過ぎぬ。心あれば時に強くなれるかもしれぬが、逆に心が乱れれば実力を発揮できなくなる。

 事実としてわしの弟子だった小娘も、貴様に影響を受けたせいでとんだ無様を晒しおった。兵器と同じじゃよ――――常に一定以上の性能を発揮できぬ武など、欠陥品じゃ」

 

「違う! 心なき武術などただの暴力。それと千影ちゃんは断じて無様なんかじゃない! 彼女はあの落日でも、貴女の呪縛を打ち破り門派の誇りを守るため戦った! それを笑うことは、例え彼女の師でも許さない!」

 

「敗者ほどよく吼えるわ。だがもはやお前に打つ手なぞありはせぬ。自らの信念に従い死ぬが良い」

 

「――――っ!」

 

 迫って来る櫛灘美雲の手。あれに捕まれれば死ぬと分かっているのに、兼一には躱すだけの力が残っていない。

 だから兼一が死から逃れることができたのは、彼自身ではなく、第三者の介入故だった。

 

「見つけたぞ、櫛灘美雲」

 

「相も変わらずに鬱陶しい面構えをした男じゃな。にしてもいきなり出てきて女の顔面を殴りにくるとは、色男台無しじゃのう」

 

「俺はそんなものになった覚えはないな。加えて言うならば、俺はもはや貴様を女などとは見做してはいない。いい加減に時代を後進に委ねるということを覚えたらどうだ? 自分で幕を下ろせぬというのなら、俺が手伝ってやろう」

 

「そこの隼人の弟子と同じで、随分と吼えよるわ。碌に戦えぬ体で、口ばかりは勇ましいものよのう」

 

 裾で上品に口を抑えながら、櫛灘美雲は性格に本郷晶のコンディションを言い当てた。

 ポーカーフェイスの本郷の顔に変化はないが、どれだけ顔に出してもダメージを隠しきることはできない。

 

「関係のないことだ。俺の全霊にかけても〝落日〟は阻止する――――! 構えろ、妖拳の女宿」

 

「これだから男子(おのこ)は愚昧じゃのう。勝ち目の見えぬ戦いに態々挑み、その命を散らせることを誉れとでも思っておるのか。

 実に馬鹿馬鹿しい限りよ。死を望むほどの屈辱を味わおうと、勝ち目のない戦いからは速やかに退き再起を伺う。それが戦というものじゃろうに」

 

「なるほど、戦場の理屈だな。だが武人である俺が望むのは死合いだ。戦争ではない」

 

「詭弁じゃな。死合いと戦争のどこに違いがある。個人同士の闘争と、軍団同士の闘争。規模は異なれど、ざっくばらんに言ってしまえば要するにただの殺し合いよ。

 死合いも戦争も、人間にとって唯一無二の掛け替えのない命を奪い合うが故に、最もいと生々しき生命の営みに他ならぬ。

 活人拳の微温湯に浸かった者共がわしを否定するのは納得はせぬが理解しよう。じゃがわしと同じく殺人拳という修羅道に生きる者が、このわしを否定するとはどういうことじゃ。

 まったく貴様といい他の連中といい、いつから『闇』はこれほどまでに温くなってしまったのか。拳聖以外の連中は、まるで修羅の覚悟を解しておらん」

 

「俺が修羅道――――人でなしであることなど貴様に言われるまでもない。殺人道を歩む者という点で、俺とお前は紛れもない同類だろう」

 

 本郷晶は親友の願いを聞き届けて親友を殺め、そして好敵手(逆鬼至緒)はそれでも生きていて欲しかったと叫んだ。

 友の意を汲んで殺めた本郷晶と、友の意を振り払ってでも生きていてくれることを望んだ逆鬼至緒。

 本郷晶は殺人拳故に逆鬼至緒の決断を全否定するが、どちらが正しかったのかなど神ならぬ人には――――そう、武の極みにある風林寺隼人ですら答えは出せないだろう。

 だが掛け替えのない親友を殺すことで、初めて殺人を行ったその瞬間より、本郷晶は殺人拳であることを決めたのだ。

 それを否定することは、己の奪った掛け替えのない命までも否定することに他ならない故に。

 

「だが櫛灘美雲。お前が死合いと戦争を同じものと捉えているのであれば、そこが俺と貴様の差異だ。以前の落日で無手組と武器組が決裂したのも、俺とお前が戦う理由も、つまるところはそれだけだ。それだけで十分だ」

 

「阿呆が……」

 

「それともう一つ。どうやら俺よりも相応しい者が来たようだぞ」

 

「なに?」

 

 その時だった。分厚い鉄壁に覆われ、正面の扉以外は一切の侵入を拒んだ部屋。その鉄壁が許容量を遥かに超える衝撃を受けて、轟音と共に巨大な穴が開いた。

 穴から飛び出してくるのは金砂の髪をもつ少女を抱えた――――というよりは、持っている男。

 

「ハハ、ははははははっはははははははははははははははははははははは、ハーハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! 正気の状態でご尊顔を仰ぐのは久方ぶりですねぇ、美雲さぁんッ!!」

 

「ちょ、師匠(グル)! タンマタンマ! ヒロインの足掴んで全力疾走とかなにしとるとですか!? お姫様だっこは龍斗様専用なんで、せめてノーマルにおぶるのプリーズ!!」

 

 ネジの外れたテンションで喧しく大笑いしながら、邪神の継承者たる邪帝が戦場に乱入する。クシャトリアに足首を掴まれているリミの絶叫が、切実な悲壮感を漂わせていた。

 予想外、想定外、意外、常識外、埒外――――あらゆる全てを裏切る出来事に、さしもの櫛灘美雲も思考が一瞬ショートする。

 だが目を擦って両目を見開こうと、目の前の現実は不動。変わることはない。

 

「なにを舐め腐ったことを言っている? アホ? 変態サディスト? 彼女いない歴=年齢? 人が寝ているのを良いことに、随分と好き勝手に言ってくれたじゃないか?」

 

「い、いやだなぁ~。師匠を起こす為にちょこっと挑発しただけじゃないですかぁ。愛情表現ですよ」

 

「はははは、愛情表見か。そうか、なら仕方ない」

 

「で、でしょう!」

 

「だったら『変態サディスト』らしい愛情表現をたっぷり味わって来いッ!」

 

「ぎゃぁああああああああああああ!! 足が、千切れる~~~っ!」

 

 ぶんぶんとタオルのようにリミのことを風車のように振り回すクシャトリア。

 強烈な旋回音に、リミの悲鳴に混ざって風が唸るように鳴っていた。ニィと口端を釣り上げたクシャトリアは、自身にとってもう一人の史上最凶最悪の師匠目掛けて、それを投げつける。

 

「お目覚めの挨拶代わりに受け取って下さい、無敵超人のジュルスからの人手裏剣ッ!」

 

「いぃぃぃぃぃぃぃやぁぁああああああああああああああああっ!」

 

「――――ぬっ!」

 

 高速回転しながら突撃していったリミは、櫛灘美雲が呆気に囚われていたことも手伝って見事に命中する。

 

「あ~。やはりこうして自分の意識で体動かしていると生きているって感じがするなぁ。こんな開放感は生まれて初めてだ」

 

 いきなり愛弟子を投げつけて、師匠を攻撃するという非道をやらかしたクシャトリアは、周囲の人間全てが唖然とする中で、一人だけ平然と一息ついた。

 先の一撃で美雲が撃破できていれば、これほど楽な話もないのだが、当然ながら彼女はそんな軟な人間ではない。リミのことをほっぽり投げると、驚愕を露わに立ち上がった。

 

「……クシャトリア。何故、目覚めた? お主の魂は完全に砕け散り、意識の暗闇に散らばり修復不可能だったはずじゃが」

 

「ご機嫌麗しく。親愛なる第二の師、美雲さん。いやなに。我が師匠(グル)が脳味噌で爆弾が爆発して痴呆になったのか、初めて真っ当なことをしましてね。その恩恵を授かったわけですよ。

 とはいえ我が師匠(グル)が生涯最大の乱心をしたのも、うちの弟子が俺みたいなロクデナシのために十年間も棒に振った成果なわけで。そういう意味でリミは俺の恩人だ」

 

「恩人を手裏剣にして投げたのか、お主は?」

 

「だから愛情表現ですよ。それに言い訳させて貰えば漸くの『開放』に気が高ぶってましてね。少々の不作法は許して下さると有難い」

 

 ジュナザードの弟子にされて十数年。魂が崩壊し櫛灘美雲の走狗にされて十年間。

 合計すれば二十年間もの年月をずっと牢屋で閉じ込められていたようなものだ。それがいきなり無罪放免になって、娑婆に出られたとなれば気が高ぶってハイテンションになるのも無理はないことだろう。

 クシャトリアは紆余曲折あって手にした『自由』に隠し切れぬ喜悦を浮かべながら、舞台役者のように仰々しく両手を広げる。

 

「さて。美雲さんは傷ついた本郷さんと、兼一君相手には余裕そうでしたが、今この状況でも同じような事を言えますか?」

 

「…………お主とその弟子とて消耗しておろう」

 

「それはどうでしょう。リミ!」

 

「は、はい!」

 

「まだ十分戦えるな? いや闘え」

 

「命令に言い直した!? ぐ、師匠が言うなら勿論ダイジョーブですけど……本音を言えば、ちょっと休憩を挟みたいとかなんとか……」

 

「と、このようにリミのコンディションは万全だ。そう育てた」

 

 追い詰められた状況からのファイティングスピリットを学ばせるため、組手でボロボロにしてから猛獣蠢くジャングルに放り込んだ成果は、確実に実を結んでいた。

 リミは不平をぼそぼそと言っているが、実際のところまだ戦闘は可能だろう。

 

「これで合計四人だ。もしも龍斗君がここへやって来れば更に五人になる。しかも俺には静動轟一を発動するだけの気力もそれなりに残っている。

 月並みな表現ではあるが、これは詰みというものじゃないですかね。降伏をお勧めしますよ」

 

「舐めた口を聞くものじゃ」

 

 櫛灘美雲の全身から心臓を鷲掴みにするような殺気が溢れだす。

 百年を超える生涯でぐつぐつと熟成されてきた殺意は、あのジュナザードにも匹敵する鬼気だった。

 全員が咄嗟に構えるが、瞬間、全ての殺意が雲散する。

 

「ふっ、用意周到なお主のことじゃ。予め核も発射できぬよう手をうってから来たのじゃろうな」

 

「良くお分かりで」

 

「何年お前のことを見てきたと思っておる。それくらいは分かるわ」

 

「では、」

 

「うむ。口惜しいが退くとしよう」

 

 勝てる見込みがなく降伏もしないのであれば、出来ることなど逃げるか玉砕しか道はない。櫛灘美雲は前者を選んだ。

 戦いを戦争と捉え、どこまでも合理的な美雲らしい決断にクシャトリアは苦笑する。

 実のところクシャトリアは、十年間走狗として操られたことに関して美雲のことを恨んではいない。これが赤の他人なら百度殺しても飽き足らないが、櫛灘美雲であれば話は別である。

 しかしクシャトリアを走狗としたことは、結果的に弟子である小頃音リミを悲しませることとなった。クシャトリア自身のことはどうでも良いが、それは師として許容できない。

 このことは櫛灘美雲の野心を砕いてやることで清算としよう――――と、思ってきたわけなので、美雲が計画を放棄して逃げに入れば、もはやクシャトリアに追う大義はないのだ。

 

「残念だ。貴女を倒してから強引に組み伏せるのを愉しみにしていたのに」

 

「〝解放〟されたことで、閉じ込められていた我欲も溢れてきたようじゃのう。弟子の指摘そのままではないか。

 ではな、クシャトリア。そして再び我が落日を阻止した怨敵等よ。またいずれ、次の機会にはわしも相応の準備をしてこよう」

 

 気当たりの応用技なのか。それとも真に神仙の奥義でも披露したのか。櫛灘美雲の姿がその場で忽然と掻き消える。

 外から響いてくるのは、二代目キジムナーに襲われている罪のない米軍兵士たちの悲鳴。

 櫛灘美雲を黒幕とした再びの落日は、こうして幕を閉じた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。