史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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最終話  神妖なき世界

 櫛灘美雲による核攻撃の失敗と、それによる八煌断罪刃の退却。

 諸行無常、兵どもが夢のあと……という程ではないが、武器組と櫛灘美雲主導による二度目の落日は、世界にとって幸運なことに失敗に終わった。

 アメリカにおける梁山泊と武器組の戦いは若干梁山泊優位なれど、殆ど拮抗状態だったといえる。にも拘らずあっさりと退いたのは、彼等が世界の注意を引きつけるための陽動に過ぎず、本命の美雲が失敗したという報告を受けたからだろう。

 もしも断罪刃が攻撃を続けていても、梁山泊の守りを突破できたか怪しいものであるし、鳳凰武侠連盟や新白連合からも援軍が駆け付けようとしていたので、あのタイミングで退却を選んだ判断は正解だったといえる。

 なにも戦に勝つことだけが名将の条件ではないのだ。むしろ負け戦でこそ、将の本質は問われるものである。風林寺隼人と並び称されるだけあって、世戯煌臥之助の将器もまた並外れたものであることは疑いようがない。彼がいなければ確実に断罪刃の幾人かは、梁山泊の手で捕縛されていたはずだ。

 しかし武器組のダメージも決して少ないものではない。決定的な打撃を受けることはなかったが、満を持して挑んだ二度目の落日失敗という事実は重く響いたはずだ。

 武器組の影響力は衰えざるを得ないだろうし、これで十数年は大々的な攻勢には出れないだろう。無手組の長が一影である間は、そちらも静観を決め込むはずなので、武術界は暫くの間、平和な時代が戻ってくることになるはずだ。

 

「だから存分に修行が出来るわけだ。平和万歳、ラブ&ピース。いやぁ、師匠復活して早々にみっちり修行を見て貰えるなんてラッキーだなリミ。良かったね、お得だね」

 

「いぃぃぃぃぃぃぃぃぃやぁあああああああああああああああああああああああ!! 師匠(グル)。せ、せめて十年間頑張ったご褒美に夏休み的なものを欲しいと切に思うとですよ!」

 

「……嘆かわしい。これがゆとり教育か」

 

「いやいやいやいや! 全然ゆとってないですお! 軍隊の方が遥かに扱いマシですお!」

 

 ジュナザードの呪縛に、櫛灘美雲の邪法。これらに常に縛られ続けていたクシャトリアも、此度の一件で漸くの自由を手に入れた。

 その自由を齎した言うなれば恩人にも等しいリミに報いるため、クシャトリアは早速十年間ほっぽりっぱなしにしていた修行再開を告げたのだが、当のリミは死刑宣告を喰らった被告人のような顔で悲鳴をあげる。

 

「なにが厭なんだ。リミ、お前だって俺に修行を見て貰うことを待ち望んでいたのだろう?」

 

「そ、それはクシャ師匠の修行が懐かしく思うことはありましたけど、一息つくために合間を置いて欲しいというか……」

 

「拳魔邪帝殿」

 

 流石にリミの悲鳴を見かねた龍斗が、神妙な顔で口を開いた。

 

「なんだい、龍斗君?」

 

「リミはこれまでずっとひたすらに貴方を取り戻すため走り続けてきました。そして今、漸く悲願が叶い貴方を取り戻すことができたのです。

 別に甘やかせとは言いませんが、彼女にせめて暫くの間だけでも足を止めて休憩する時間を与えては貰えないでしょうか? 走り続けるだけでは、見えない景色もあるでしょう」

 

「詩的なことを言うようになったな」

 

 真摯な龍斗の言葉に、クシャトリアは笑みを深める。

 

「慌てずとも、ほんの冗談だよ。俺だって誇るべき弟子を労わるくらいの心は残っているさ。ただこういうやり取りが少々懐かしくてね。ちとからかってみたくなっただけだ」

 

「ありがとうございます」

 

「おおっ! さっすが龍斗様! リミには出来ない説得を平然とやってのける! そこに痺れる!憧れるゥ! 龍斗様はリミの婿、異論は認めませんお! 師匠も戻ってきたことだし、ブログで龍斗様との婚約発表して、それから――――」

 

「拳魔邪帝殿、撤回します。かなり元気そうなので、後五年間は走らせ続けても大丈夫でしょう」

 

「ちょ、ちょっと待ってプリーズ! 冗談ぬきでボロボロなんで、せめて三日だけでも御慈悲を!」

 

 昔は正直鬱陶しくも感じたリミの騒がしさも、この二十数年ぶりに自由となった空の下で聞くと愉快な心地になってくる。

 もう故郷というべきものが曖昧になった身であるが、これが「帰ってきた心地」なのだろうか。

 

「そういえばクシャトリアさんは、これからどうするんですか?」

 

 世界の命運をかけた一戦を終えたばかりとは思えぬ喧騒の中、兼一が思いついた疑問を率直に口に出した。

 

「アタランテー……リミさんの師匠に戻るのは分かるんですけど、やはり闇に?」

 

「それは俺の都合だけではどうにも返答できないな。そこはどうなっているんですか、本郷さん。闇に俺の居場所は残ってますか?」

 

 ジュナザードが死んで、美雲の傀儡になってからは一影九拳の座を継承することになったクシャトリアであるが、美雲が無手組と決裂して以来、クシャトリアも無手組と距離を置いてきた。

 そんなクシャトリアが闇に戻るとなれば、政治的問題というのがネックになる可能性がある。そこでクシャトリアは、ここにいる面子の中で最も闇について精通しているであろう人物。現役一影九拳の本郷晶に問いを投げた。

 

「あくまでお前に闇へ戻る意思があるのならば、だが―――――九拳に復帰するのに、特に問題はないだろう。拳魔邪帝の席は未だ残っているし、今のところ九拳を除いた闇人の中にお前以上の適任者(実力者)も存在しない。

 お前が最も気にしているであろう政治的な物事も、さしたる問題にはならん。むしろ」

 

「一影殿からすれば、利になると?」

 

「ああ。お前は一影殿にもそれなりに信用されているからな」

 

 クシャトリアも自分で言うのはこそばゆい限りであるが、クシャトリアは単なる特A級の達人ではない。

 師匠だったジュナザードはプンチャック・シラットという武術界のドンであり、シラットが武器術も内包していることから無手組・武器組の双方に強い影響力をもっていた。

 それらの地盤は『ジュナザードを殺した』ことで、クシャトリアが図らずも全て継承してしまっている。クシャトリアが一影九拳に復帰するということは、一影の影響力を増すことにも直結するのだ。

 十年前の落日以来、どうにも不安定な無手組を鎮めるには、トップの影響力を強めるのは効果的手段である。

 無手組が一影の意志で制御されるということは、第三第四の落日を防ぐことにもなるので、クシャトリアにも相応の利もあった。

 

「分かりました。それじゃあ一影には、俺が後から連絡を入れますよ」

 

 クシャトリアが言うと、龍斗やリミは兎も角として、兼一と美羽は目を丸くした。

 

「宜しいんですの? 聞くところによれば、クシャトリアさんはジュナザードに無理矢理に闇へ入らさせられたと聞きましたが?」

 

 リミの目は今なら闇から抜けて、平和な世界へ戻ることも出来るのではないかと語っていた。

 確かにリミの言う通り闇から抜けることはできる。ジュナザードや美雲もいないのであれば、クシャトリアを闇に縛るものは何もありはしない。

 腹を割って話せば一影もクシャトリアの脱退を認めてくれるだろう。ラグナレクのように脱退リンチなどもないはずだ。

 

「気持ちは嬉しいが、俺も随分と殺してきたからな。今更普通人には戻れん。かといって殺人拳を捨てて、活人拳になる勇気もありはしない。

 まぁ一影九拳という地位はなにかと便利だからな。精々利用させてもらうさ」

 

 そう、クシャトリアは一影九拳なのだ。断じてジュナザードが生きていた頃の中間管理職ポジションではない。

 梁山泊との戦争も終わり落日もないので、任務は適当に配下に丸投げしてゆったり出来るはずだ。

 

「けれど龍斗君も言った通り、俺も少しばかり足を止めてゆっくり景色でも堪能したいので、一週間は間を開けさせてもらいますよ」

 

「構わん」

 

 そう告げると本郷晶はその場で跳躍し、迎えに来たであろうヘリコプターに飛び乗った。

 挨拶もなしにやることを終えたら即座に立ち去るあたり、実に渋い。そのせいでクシャトリアは礼の一つも言うことができなかった。

 

「やれやれ。あの人には敵わないな…………ん? なんだリミ。俺の服の裾を引っ張って」

 

「言質はとりましたからねっ!」

 

「なんの?」

 

「だから一週間は間を開けるって!」

 

「あぁ」

 

 切実に休みが欲しいのか、そう詰め寄るリミの勢いには鬼気迫るものがあった。

 これで『俺は休むがお前は修行だ』と言ったらどういう反応するか見てみたいという邪な衝動にかられるが、流石にそれは酷いので頷く。

 

「お前のことだから、どうせアホみたいに真っ直ぐ全力疾走してきたんだろう。一週間は武術から離れゆっくり静養しろよ。なんなら龍斗君とデートでもしてくるといい」

 

「や、やったーーーー! 式には呼びますからね、{師匠《グル》!」

 

「最高品質のフルーツはあるんだろうな?」

 

 はち切れんばかりの喜びを表現するように、リミは兎のようにピョンピョンと跳ねる。

 以前なら兎も角、あれから十年が経っているわけでリミの年齢も二十代後半。少しは年を考えろ、というツッコミが喉元まできたが呑み込む。

 人間、なにかから自由になった瞬間はテンションがおかしくなるものだ。クシャトリアも今現在それを経験しているので良く分かる。

 ただ飴だけ与えるのもなんなので、しっかり鞭を一つ入れておかねばなるまい。

 

「ただし一週間後には修行再開だ。弟子クラス時代よりかは遥かに進歩していたが、まだまだ免許皆伝には程遠い。みっちり鍛え直してやる。

 スピードだけ特A級で、他が軒並み特A級未満では、一影九拳や梁山泊クラスの相手にもならん。まずはこれらを特A級ラインにまで引き上げて…………いや、待て。今の言葉は忘れろ」

 

「ほぇ?」

 

「スピード特化、大いに結構じゃないか。いっそ吸収力の高い二十代のうちに、スピードだけ超人クラスにまで押し上げてみるか。

 特A級のトップクラスではスピードだけで勝負など夢のまた夢だが、スピードだけでも超人級になれば、それを武器に面白く立ち回れるかもしれない。

 まぁ修行の過酷さと危険度は五割ほど跳ね上がるが、これまでもなんだかんだで生き延びてきたんだし、今度も生還するだろう」

 

「しませんってば! 普通の修行で、普通の修行でオネシャス!」

 

「却下」

 

「相変わらずの鬼っぷりに全リミが泣いたお……」

 

「それとリミ、龍斗君とのハネムーンは何処が希望だ?」

 

「へ? リミは龍斗様と二人っきりなら南極でも宇宙でもバッチコーイですけど、好きなところ行っていいなら秋葉原――――おほんっ! イタリアとか素敵だと思いますお」

 

「分かった。一週間後、足腰を人外にするため軽くイタリアへ走って行こう」

 

「…………………はい?」

 

 リミの顔が奈良の大仏のようになる。だらだらと流れる汗は滝のようで、段々と指が痙攣してきた。

 恐る恐るリミは慎重に口を開く。

 

「走ってって、海はどうするんですか?」

 

「海渡の秘術。まさか会得していないだとか言うんじゃあないだろうな? だったら海は泳ぐことになるぞ。俺はそれでも構わんが」

 

「そりゃ会得してますけど、あれ凄く体力使うんですよ! 地上歩くのと比べものにならないくらい!」

 

「だから修行になるんじゃないか」

 

 彼の無敵超人・風林寺隼人は娘の美羽がジュナザードに連れ去られた際、世界中の海面を走り回って大捜索を行ったという。

 一影九拳クラス相手にスピード特化でいこうというのならば、せめてその三分の二程度の足腰の強さがなければならない。

 

「さぁ。それじゃあ一週間の休みを、どうかエンジョイしてくれ」

 

「い、やぁああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 リミの絶叫は、心地よい調べとなって蒼天に響き渡る。

 だけれど長い長い戦いを終えて、漸く元の日常を取り戻したリミの声は少しだけ弾んで聞こえた。

 

 




 というわけで最終話ですが、近いうちに設定資料的なものを公開するかもしれません。

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