史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第16話  Pledge of Blood

 ティダード王国へ戻り、ジュナザードから仮面を貰った次の日。クシャトリアは朝目覚めると、これまで通り鍛錬場へと赴く。

 朝起きて最初に目に飛び込んでくるのが見慣れた天井だという事実を認識して、少しばかり美雲の所が恋しくなったのはジュナザードには秘密だ。

 

「おはようございます、師匠」

 

 自分は礼儀作法など知った事ではないという唯我独尊ぶりだというのに、自分に対して礼を損なうようなことをすれば怒るのがジュナザードだ。

 鍛錬場に着いたクシャトリアはしっかりとティダード式の挨拶をする。

 

「クシャトリア。早速じゃが静の気を練ってみよ。女宿の仕込みに不手際があるとも思えぬが念のためだわいのう」

 

「はい」

 

 美雲から教わったことを頭の中で反芻した。心を水面のように鎮め、闘気や気迫を体の内側に取り込み凝縮する。

 散々美雲のところでやってきたことだ。例え朝一番だったとしても、敵の猛攻に晒されながらでも気を練れないということはない。

 ジュナザードの指示通り、クシャトリアは静の気を練りあげることに難なく成功した。

 

「カッカッカッ! あ奴に預けたのは正解だったわいのう。亀の甲より年の功というやつかいのう。文句のつけようがない仕上がりじゃわい。これで後腐れなく次の修行に移れるというものじゃ」

 

「次の修行、ですか」

 

「なんじゃ、忘れたのかいのう? 静の気と動の気、お前には両方仕込むと前に言っておったろうに」

 

「あ」

 

 不覚にも完全に忘れていた。

 動の気。クシャトリアが美雲との修行により体得した静の気とは対極に位置する武術家としてのタイプ。

 静の気が気を内側に凝縮するのであれば、動の気は寧ろ気を外側に爆発させる。静の気が心を鎮めるのならば、動の気は心のリミッターを外す。

 守勢に優れる静のタイプとは反対に、動のタイプは攻勢に優れる傾向が強いという。

 

「本来武術家のタイプは静と動どちらかに別れるもの。一度静のタイプに進んでしまえば、どのような相手と戦う時も基本的に静の気をもって戦う故に、戦闘時でも感情のリミッターを外すようなことはない。

 もしも万が一外すようなことがあれば、それは静の武術家としては失格。心を荒ぶらせた静の武術家ほど脆いものはない。じゃが予めリミッターを外す術を仕込んでいれば、その限りではない……かもしれんわいのう」

 

「かも、なんですか?」

 

「我も静のタイプと動のタイプを修めたわけではないわいのう。武術家として予想はできるが、完全な予測まではできんわい」

 

 武芸を極め達人という頂きにおいて尚も頂点に君臨するジュナザード。静の気と動の気を完全に同レベルで修得するというのは、ジュナザードをもってして未知の領域だという。

 いうなればクシャトリアはこれからジュナザードという科学者に実験を施されるモルモットというわけだ。

 死んだら惜しいがそこまで。生き残れば大成功。

 

(これほど弟子思いの師匠はいないよ。逆に)

 

「褒めてもなにもでんわいのう」

 

「……………」

 

 もはや心を読まれたくらいで驚きはしない。

 クシャトリアはいつか読心されないように閉心術を会得しようと心に誓った。

 というより会得しなければ、いつか心の中の失言でジュナザードに殺されそうだ。せめて心の中のプライバシーくらいは確保しておきたい。

 

「それで動の気の修行じゃが、我秘伝の秘薬をもって行う」

 

「秘薬……」

 

 そこはかとなく嫌な響きだ。

 ティダード王国は西洋医学ですら未知の薬草の宝庫であり、師匠がそれを使った医術にでも秀でているのは知っている。

 クシャトリアも何度か組手で負傷し師匠に治療されたこともあった。そしてそれ以上に秘薬とやらで肉体改造を施され続けてきている。

 正直秘薬と言われても嫌な予感しかしない。

 

「恐れずとも、秘薬で動の気を解放させるのは他の武術や流派でも行われていることじゃ」

 

「そうなんですか?」

 

「うむ。特にお前の場合、普通に修行させても無意識に静の気を練ってしまう可能性が高いわいのう。秘薬がなければ修行が上手く進まん。ほら、飲め」

 

 差し出されたのはコップに並々と注がれた液体。 

 色は緑茶が真っ青になるくらいの緑。ジュナザードの秘薬は腐ったオレンジと腐敗したバレーボールに甲虫をグチャグチャにして煮込んだような、なんともいえない異臭を漂わせていた。

 

「……これ、何をどう調合したんですか?」

 

「知る必要はないわいのう。さぁ飲め」

 

「………………いただきます」

 

 呑み込んだ途端、食道と胃の中が嘗てない吐き気で引き裂かれそうになった。

 口を飛び越えて脳天を突きぬけるほどの酷い味で、味覚という味覚が犯され尽くされる。いっそ殺して欲しい程に苦しさに、クシャトリアは吐き出しそうになるも、吐けばまた同じものを呑まされるという恐怖がそれを抑えていた。

 

「はぁはぁ……うっ」

 

 秘薬の効果は直ぐに現れた。

 感情が高ぶる。気を内側に抑え込み凝縮することができない。原子炉のように稼働する気は内側ではなく、外へ外へとその力を解放しようとしていた。

 冷静な判断力は消え失せ、ただ近くにいるものを殺し尽くせという絶対命令が脳を支配しようとする。

 

「これでお前の感情のリミッターは外れた。後はその気を安定させれば、動のタイプを体得できよう。じゃが気を付けることじゃ。もしも扱いに失敗すれば、感情のリミッターが外れっぱなしになり戦うだけの獣と成り果てる可能性もあるわいのう」

 

「ぐ、師匠! 他の流派でもやってるから危険はないって言ったじゃないですか!」

 

「戯け者。そのようなこと言っておらんわ。我はただ他の武術においてもやられていると言ったまで。危険がないなどとは一言も言っておらんわいのう」

 

 シレッとジュナザードは嘯く。

 ジュナザードは鍛錬場から修行を見下ろすため上の階の玉座まで一っ跳びで移動すると、部下に指示を出してまた檻を持ってこさせる。

 以前は檻に入っていたのは大虎だったが、今日檻にいたのはある意味では虎なんかよりも凄まじいものだった。

 

(あれって――――人、間?)

 

 リミッターが外れ今にも暴れ出しそうな体を押さえつけながら、クシャトリアは檻に閉じ込められた男を見る。

 男の年齢は大体十六か十七ほどだろうか。黄色い肌と黒髪黒目からいってティダード国民ではなく東洋人。だが日本人という感じでもない。あの顔立ちは恐らくは中国系。

 中国人らしき男はしかし、人間でありながら虎よりも理性ない瞳で唸りクシャトリアを檻から威嚇していた。

 

「そやつの名は李進。動の気の解放に失敗し、完全に理性と人間としての人格すら失い、ただの敵を屠るだけの獣と化した男じゃわいのう」

 

「……!」

 

 李進はジュナザードの言葉も聞こえていないのか、大口を開けて叫びながら檻を破壊しようともがいていた。

 動の気の解放に失敗すれば自分も彼と同じようなことになる。自分が辿るかもしれない末路を間近に見てクシャトリアは歯を食いしばった。

 

「中華において鳳凰武侠連盟と勢力を二分する武術組織、黒虎白龍門会から安く買った失敗作じゃわい。遠慮なく壊せ」

 

「人身売買ですか。人権団体が聞けば発狂しますね」

 

「聞かぬふりをすれば発狂などせんわいのう」

 

 クシャトリアの皮肉に対して、ジュナザードも痛烈な皮肉を返す。

 国の中枢にすら手を伸ばしている闇だ。人権団体程度はどうこうできるはずもないし、その人権団体にも闇の力は及んでいるのだろう。

 

「始めよ」

 

 ジュナザードの声と同時に檻が開き、野獣の形相の男は野獣の動きで飛び出してくる。

 

「ッ!?」

 

 野獣の動き――――というのは李進のリミッターが外れ、理性を喪失からの比喩ではない。

 幾らリミッターが外れようと、それはあくまで動のタイプの暴走によるもの。その動きには武術家としての技が残っている。

 そして李進の動きというものがまるで昨日ジュナザードが戦い一方的に屠った大トラと被るのだ。

 

(中国拳法には動物を模した拳法があるって聞いたが、これがそれか!? 確か形意拳だかなんとかいう……)

 

 李進の猛攻を捌こうと制空圏を張ろうとする。だが感情が高ぶって、どうしても目の前の敵を抹殺しろという強迫観念に押されてしまい、上手く制空圏を維持することができない。

 いっそ感情に流されるままに身を委ねてしまえば楽になれるのだろうが、それをすれば待つのは李進と同じ理性なき狂戦士へ堕ちる末路だ。

 

「ウガァアアアアアアアアアアアアアッッ!」

 

 虎の爪――――を模した腕が地面を抉り取る。

 自分と同じ弟子クラスでありながらこの破壊力。動の気の暴走が齎す力はこれほどのものか。こんなものをまともに喰らえば肋骨が折れるどころではすまない。内臓ごともっていかれてしまう。

 今にも暴走し敵に向かってしまいそうな心を必死に押しこめつつ、クシャトリアは見っとも無くも李進から逃げる。

 

「くそっ」

 

 だが何処へ逃げるというのか。

 ジュナザードの弟子となった時点で、クシャトリアにこの地球上のどこにも逃げる場所などはない。

 

「やるしか、ない……」

 

 活路は――――生き残る道は、敵の屍の向こう側にしかないのだ。

 これまでと同じように、此度も敵を殺し生を掴み取るしかクシャトリアが生き残る術はない。

 

「クシャトリア」

 

 大声を出したわけでもないのに、鍛錬場に響き渡るジュナザードの声。

 

「我が秘薬で強引に気を内側から外側へ発散しているお前は……そうさな。言うなればビルの角に立たされ、背中を押されている人間だわいのう。

 そして今のお前はビルから突き落とされまいと、必死になってビルの内側に戻ろうと両足に力を入れてふんばっているといったところか」

 

 だが戻ることはできない。

 ジュナザードの秘薬は気合や根性だけで無効化できるほど生易しいものではないのだ。

 猛毒を呑んだ人間に死という末路しか残っていないのと同じ。ジュナザードの秘薬を呑んだ以上は秘薬の効果が切れるまで、ビルから突き落とされるのを拒むしかないのだ。

 

「それはどうかいのう。ビルから飛んだ時、本当に地面に落下するだけか? そうではない。ビルから突き落とされても助かる道はある。

 無傷で、そう……下手に留まろうとするから落ちる。下手に恐怖で足が竦むから中途半端になる。助かるには寧ろ押されるがままに全力で飛び、向こう側のビルに着地すれば良い!!」

 

「――――ッ!」

 

 ジュナザードは史上最凶最悪の師匠だが、同時に世界最高峰の武術を極めた達人でもある。

 だからこれだけは断言できる。認めたくはない事だが、武術家としてのジュナザードのアドバイスは恐ろしく的確だ。下手すれば櫛灘美雲を凌ぐほどに。

 

(どうせこのままではじり貧。ならば)

 

 真綿で首を絞められながらの死よりも、ギロチンで一気にスッパリの方が良い。後者の方が助かる確率が高いのならば猶更。

 覚悟を決める。

 これまで外側に出て行こうとするのを必死に抑えていた闘気。これを思いっきり外側へ爆発させるように放出した。

 

「     」

 

 声を失う。ある領域を超えた爆発は安定し、視界が開け脳は外側に無限大に拡大していく。

 外側に飛び出そうとする力と、それを抑えつけようとする精神に閉ざされ鉛のように重かったからだが今では羽のように軽い。

 いける、と確信した。

 

「ふっ!」

 

 背中に翼が生えているように、クシャトリアは宙を舞うと素早く李進の背後に降り立つ。

 そして李進の両足を払い転ばすと、その首根っこを踏みつけて首の骨を折った。

 

「ハァハァ……ハァ……………」

 

 戦いは終わった。だというのに解放された動の気が収まらない。

 思いっきりビルから飛んで向かい側のビルに着地したというのに、本能はまたビルから飛ぶことを欲している。

 しかし敵はいない。だが本能が敵を欲している。

 二つの命題がエンドレスで回り続け遂に、

 

「うっ、ぐぁぅああああああああああああ!」

 

 頭が割れる。

 脳髄が頭という小さな殻を突き破り、外側に出てこようとしているようだ。血液が沸騰し、血管は浮き出て、瞳は血のように滲んでいく。

 

「いかん。効能を増した分、ちと刺激を増し過ぎたようじゃ。リミッターを解除し、動の気を安定ラインまで飛ばしたというのに尚も暴走しようとしているわいのう。次からは気をつけねばならんな」

 

 弟子の生命の危機に呑気にキウイを食べながら、ジュナザードはクシャトリアは素早くクシャトリアの肩に手刀を喰らわせる。

 

「う、」

 

「じゃが50%のギャンブルに興じてみた甲斐はあったわいのう。動の気の解放については大成功じゃわい」

 

 意識が遠のいていく。

 ジュナザードの笑い声と、沸き立つような脳の不快感を最後にクシャトリアは意識を手放した。

 

 

 

 

 次にクシャトリアの意識が戻ると、クシャトリアはどこかに寝かされていた。

 体の茹だりや熱気は収まっている。ジュナザードに呑まされた秘薬の効果が切れたのだろう。しかし秘薬の副作用からか。未だに体は思うように動いてくれない。

 美雲にTの字で重りを持たされた時も似たような疲労感を味わったが、今度はそれが全身にある。

 

(ここは……?)

 

 鼻孔を擽る薬品の臭い。どうやら自分は城にある治療室のベッドにいるらしい。

 修行中に死にかけ運ばれることが多いのでクシャトリアには直ぐに分かった。

 

「意識が戻ったかいのう、クシャトリア」

 

 クシャトリアを見下ろすジュナザードが珍しく労わる様な声を出す。

 返事をしようとしたが、口を開けても上手く声が出ない。ジュナザードもそれを知ってか返事をしないことを咎めることはなかった。

 

「それでいい。こんな下らんことで死なれては興覚めというもの。生きて生きて……生き抜くが良い。立ち塞がる全てを屠ってのう」

 

 ジュナザードが初めてクシャトリアの前で、その顔を覆い隠す仮面を外す。

 中から出てきたのは年老いた老人の顔――――などではなかった。

 浅黒くも艶のある肌、色素のない白髪。若く美しい青年というより少年とすらいっていい顔だ。だがその美しさを、喜悦に染まった目が台無しにしていた。

 

(これが師匠の素顔)

 

 櫛灘流の永年益寿の秘法をあれほど知りたがっていた理由が分かった。

 ジュナザードの顔こそ若い少年のものだが、手足や肌は老いた老人のもの。顔だけではなく全身や、もしかしたら内蔵まで若く保つ櫛灘流の永年益寿を知りたがるのも当然といえるだろう。

 

(師匠は俺のように、ただ生きたいなんて理由で長寿を望むほど……生易しい怪物じゃない)

 

 だとすれば師が長き生を求めるのは、己自身の武術的狂気から。

 より強い相手と死合うため。凄惨な殺し合いをするため。戦火に身を投じ続けるため。狂気の形は様々だろう。

 その狂気がジュナザードを生へと駆り立てる。自分自身を殺すほどの武人と巡り合うまで。

 

「我の立つ場所まで這い上がってこいクシャトリア……。覚えておけ、お前が武術家としての成長を止めた時。それがお前の死ぬ時だわいのう」

 

「……………………」

 

 ジュナザードは敵を欲している。強い敵を、より強い敵を。

 シルクァッド・ジュナザードは育て搾取する者である。クシャトリアという若い芽を育てられるだけ育て上げ、そして才能を開花させ武術家としての絶頂を迎えた時、ジュナザードは自分の手で育て上げたそれを喰らうのだ。

 

(師匠のもとで技を磨き達人になっても、俺が武術家として登り切れば俺は死ぬ)

 

 修行の中で死ぬか、修行の果てに死ぬか。

 そんなものはどちらも嫌に決まっている。ならば道は一つしかない。

 

〝シルクァッド・ジュナザードを殺す〟

 

 ジュナザードが搾取者だというのならば、搾取者を倒してしまえばいい。

 そうすればもうジュナザードに恐怖する必要はなくなる。自由を手にすることができるのだ。

 この日。クシャトリアは静かに、自分の師匠をどんな手を使っても殺すと心に誓った。 

 


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