史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第2話   地獄の入り口

 次に目覚めた時、そこは別世界だった。

 天井は学校の体育館なんて比べ物にならないほど高く、壁には物々しい彫刻や仮面などが飾られている。全体的に映画で見たローマのコロッセオを屋内に閉じ込めたような印象を覚えた。

 

「起きたようじゃのう。この我の眼下で呑気に眠りこけるとは豪気なわっぱじゃわいのう」

 

「!」

 

 翼がいる闘技場の上の階。さながら観客席とでもいうような場所にある禍々しい玉座。そこに当然のように腰を掛けているのは、翼を連れ去った張本人、拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードだった。

 やはり仮面のせいで表情は読めないが、雰囲気からしてこちらを見下ろし嗤っているように見えた。

 

「あの――――ここは何処ですか?」

 

「ティダード王国……といっても小僧には分からんかいのう」

 

 コクリ、と頷いた。

 ティダード王国――――聞いた事がない国名である。マイナーな国でも大抵の国名なら言われれば「ああ!」となるものだが、ティダード王国に関してはそれすらない。

 きっと日本人で知っている人なんて殆どいない小国中の小国に違いない。もっとも翼が無知なだけかもしれないが。

 

「インドネシアに隣接する100以上もの島々から構成される小国じゃわい。この我の故郷でもあるわいのう。

 そしてここは我の城で、わっぱの立つそこは我の城の闘技場じゃ。そら、どんな阿呆にでも分かるよう説明してやったのじゃ。その小さな脳味噌にしかと叩き込むわいのう」

 

 ジュナザードはリンゴを頬張りながら説明した。

 そこで漸く心が落ち着きを取り戻してきたお蔭で、周囲のものが良く見えるようになる。ジュナザードのインパクトが余りにも強くて気付かなかったが、ここにいるのはジュナザードだけではない。

 浅黒い肌で大柄の明らかに日本人でもカタギの人でもなさそうな強面の男達が見下ろしていて、ジュナザードの玉座に近くには侍女らしい人もいる。

 彼等には肌の色と髪の色くらいしか共通点はない。が、敢えて一つだけあげるとするならば彼等が皆ジュナザードに対して敬意と、それに勝るほどの恐怖を向けていることだろうか。

 なにもかも分からないことだらけだが、少しだけ分かった事がある。

 ここは日本ではなく、自分は眼上にいる仮面の老人によって拉致されたということだ。

 

「カカッ。その年でよく周りを見ておるわいのう。ここに連れてくるまでに軽く調整は施したが、その目は悪くないわいのう。後は身体の素養じゃが」

 

 ジュナザードが鷹のように鋭く、蛇のようにねっとりと翼を見据える。

 まるで心まで丸裸にされたような感覚。心臓の鼓動が純粋な恐怖から激しさを増していく。

 ただ黙っているのに耐え切れず、翼は意を決して自分の正直な感情をぶつけることにした。

 

「す、すみません。その申し上げにくいんですけど、出来たら日本に帰してくれたら嬉しいんですが」

 

「帰る? 何故?」

 

「そりゃ、親も心配してますし。そもそも拉致なんて法律に――――」

 

「知ったことじゃないわいのう」

 

 怒鳴ったわけではない。ただ低く呟いただけなのに、闘技場の気温が一気に氷点下まで下がった様な気がした。

 

「法で縛られるのは人だけじゃ。我は神、邪神だわいのう。我に武術を教えよと頼んだのはわっぱ本人じゃろう。若造といえ男なら、己の発言には責任をもつべきじゃわい」

 

 一瞬で玉座に座っていたジュナザードが目の前に現れる。

 まさかテレポート、と勘繰るがそうではない。床にはなにかが猛スピードで擦ってきたような焼け跡がある。信じ難いことにこの老人はただ物凄く早く動いただけで瞬間移動染みたことを実現しているのだ。

 

(に、人間業じゃない……)

 

 あんぐりと口を開ける。シルクァッド・ジュナザードが自分を神と名乗るのは決して誇張でもなんでもなかったのだ。

 こんなことが出来る人間なんているわけがない。邪神、その二文字が脳裏を過ぎった。

 

(ああ。駄目だ、これ)

 

 理解を超えた恐怖と遭遇した時、人間に出来るのは諦めだけだ。

 最低最悪なことにシルクァッド・ジュナザードという老人は本物の神……邪神だった。警察や軍隊なんて治安維持だとかなんだと言いつつ所詮は人を相手にするためのものに過ぎない。

 警察や軍隊は人を捕まえ、殺せるかもしれないが〝神〟を殺すことはできない。昔から神を倒すのは同じ〝神〟か〝英雄〟だと決まっているのだから。

 

「してどうするのじゃ、わっぱ。武術か、それともあくまで家に帰りたいと言うか?」

 

 人間の道を捨てて邪神の教えを受けるか。それとも家に帰るという意志を曲げずに貫くか。

 だがこれだけは確信をもって分かる。仮に翼が「家に帰りたい」と言えば、この老人は微塵の容赦もなく内藤翼の命を摘み取るだろう。殺意すらなく、さながら蟻を踏み潰すような気軽さで。

 かといってこの人物から武術の教えを受けるのもまた死の道だろう。邪神と怖れられたこの人物がまともな修行をつけてくれるとは思えない。

 彼に学ぶということは99.9%の死か、0.1%の到達かの二者択一だ。

 究極どころではない。これは最悪の二択である。即ち死ぬか、それとも限りなく死ぬ可能性の高い地獄へ逝くか。

 

「答えろワッパ。我は気が長いほうじゃないわいのう。はよう答えんと痺れを切らして、手が滑ってしまうかもしれんわい。

 いや日本よりわざわざ連れてきてただ殺すのも勿体ない。他の有望な弟子候補を堕とすのに使う道具として磔に――――」

 

「やります。武術を教えて下さい」

 

 磔、という不穏な単語が出た瞬間に即答していた。

 こんな怪物に武術を教わるなんて狂気の沙汰なのは百も承知だ。だがどっちを選んでも死ぬなら、生き残る可能性が僅かでもある方を選んだ方が良い。

 

「決まりじゃわいのう。ほれ」

 

 ジュナザードが合図をすると、いつのまにか大柄な男が二人なにか重りを持って現れる。

 瞬間移動というほどではないが、動きを見ることはできなかった。どうやらジュナザードが飛び抜けているだけで、彼等も相当な化物らしい。

 もし自分も生き延びる事が出来れば、これくらいの領域に立てるのだろうか。そんな荒唐無稽なことが思い浮かんで消える。

 

「武術を教えるといっても、基盤がなってなければ話にならんわいのう。じゃから先ずはお前が我の修行に耐えうる素材なのか試そうかいのう」

 

「た、試すって……なんです、これ?」

 

 カチャカチャと体中に装着される重りという重り。自分の体が重くなっていくのを如実に感じた。

 

「これから一週間、その重りをつけたまま一日この闘技場を100周くらいやっとこうかのう。我ながら生易しすぎるが、闇に浸かってもいないド素人なのじゃから手加減せねばのう!」

 

「ど、どこが手加減なんですか!」

 

 見まわした限りこの闘技場をぐるっと周ればざっと250mくらいあるだろう。そんな所を100周となると25㎞だ。一日25㎞だと一週間で175㎞。

 しかも歩くことすら厳しいような重りをつけて走るなんて正気の沙汰ではない。

 だが邪神ジュナザードはそんなこと気にも留めない。

 

「嫌ならやらなくても構わんわいのう。出来なかったら単に廃棄する弟子候補が一人増えるだけじゃわい」

 

「ッ!」

 

 やらなければジュナザードによって、自分の命はあっさり奪われる。

 どれほど理不尽だと思っても、死にたくないならやるしかないのだ。やってクリアするしかない。この邪神のテストを。

 

「我は他の弟子候補の所へ行くが……これは我なりの気遣いからの忠告じゃがのう。くれぐれもサボるでないぞ。サボればお前の監視役が我の言いつけを破ったお前を殺してしまうかもしれんわいのう」

 

「……はい」

 

 そう言うとジュナザードは今度は懐からバナナを取り出し食べながら去っていった。

 

「―――――――」

 

 何人かの部下がジュナザードに着いて行ったが、さっきまでジュナザードに果物を運んだりしていた侍女や、翼に重りをつけた達人数名は残っている。彼等がジュナザードのいう監視役といったところか。

 ジュナザードの部下である彼等に泣きついても助けてくれるとは思えない。

 意を決して翼は175㎞の地獄の第一歩を踏み出した。

 

 

 

「さーて。あのワッパはどういう具合に壊れておるかいのう」

 

 翼を拉致してここティダード王国に連れてきた張本人、シルクァッド・ジュナザードは一週間ぶりに島の外れにある居城を訪れた。

 ジュナザードが来た事を察知するとプンチャック・シラットを〝極めた〟とされる達人たちが一斉に跪いて迎える。

 常識を超越し達人となった彼等が跪くという異常。だがそれも無理もないこと。

 富国強兵、帝国主義、植民地主義を掲げ大国同士が争っていた戦時下。

 武力をもたないアジアの小国でしかなかったティダード王国は西洋列強国にとって恰好の獲物に過ぎなかった。

 滅びを待つのみだったティダードを救ったのが、当時シラットゲリラ部隊の指導者だったシルクァッド・ジュナザードである。

 あくまで無手を貫き遂には侵略の野望を打ち砕いたジュナザードはティダードにおいては救国の英雄。武の狂気に憑りつかれ、邪神と化して尚も彼はティダード国民中から慕われている。

 

「お帰りなさいませ、ジュナザード様」

 

 侍女の一人がジュナザードを迎え入れる。ジュナザードは侍女からリンゴを受け取りながら、

 

「ワッパはどうじゃ? 監視役に殺されたか?」

 

「いいえ。今は気絶して闘技場で倒れています」

 

「そうかいのう。ま、それも無理なきこと。ティダードで幼い頃から武を刻んだ童でも出来ないテストが、武門とは程遠い国で生を受けた小僧に出来るわけないわいのう」

 

 ジュナザードは最初から自分が連れてきた子供が与えた課題をこなせないのなど承知していた。

 さぼって監視役に始末されるならそこまで。精根尽き果て死んでいるのもそれで良し。

 始末されず愚直に課題をこなそうと足掻いていたなら、たっぷりと恐怖を味わわせて、それに耐えうるようなら更なる地獄を体験させる予定だった。

 

「それでわっぱは何周で力尽きた?」

 

「恐れながら邪神様。彼は見事一週間700周を完走いたしました」

 

「なんじゃと?」

 

 闘技場に着く。そこにあったのは精根どころか魂まで尽き果て、半死半生で倒れている子供だった。

 だがどこか安らいだ表情に見えるのは地獄を乗り切ったという達成感と安堵か。

 

「カカッ」

 

 この子供を日本から連れてきたのは、ジュナザードからしたらただの気紛れに過ぎなかった。

 達人を潰すのにも飽きたから、弟子の育成にでも力を入れようかと思った矢先に「武術を教えろ」などと請われたが故の暇潰し。

 だが――――

 

(あのわっぱの体力じゃ、我の与えた課題をこなすなど無理じゃった。限界を超えたとて同じこと。つまりあの小僧は限界を超えた上で更に超えて、これを乗り切りおったということわいのう。

 わっぱにそんな精神力を与えたのは、さしずめ死の恐怖。人を真に突き動かすは恐怖と女宿は言っておったが、こやつ……)

 

 常人が抱く死の恐怖と死への恐れだけではここまでできない。この少年は生への執着心が人並み外れている。

 それによく観察すれば筋肉のつきかたや体格もシラットを極めるのには理想的だ。

 或いはこの少年が百の地獄を乗り越えれば、シラットの至高へ至ることもできるかもしれない。

 

「わっぱを医務室へ運べぃ! 予定変更だわいのう。我もちっとばかし本腰を入れて仕込むとするかいのう」

 

 ティダートには西洋医学でも解明できていない未知の薬草が多くある。それにジュナザードの居城には最新の医学も導入されていた。ここの設備なら半死人も三日で生者に戻るだろう。

 いつものジュナザードなら弟子に心を壊す秘薬を使って、心をもたぬ武の塊にしようとした。だが心を壊せば、生への強烈な執着という素養を潰すことになる。

 投与する秘薬は肉体改造と、永年益寿の実験用のものだけでいい。

 自分の連れてきた少年を見下ろして、ニィと邪悪に邪神と畏怖された男は嗤った。


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