グスコーに捕まっていた子供達は解放した。子供達にこれで全員かと確認したところ、首を縦に振って頷いたので間違いはない。
これで子供の命を人質にされる恐れもなくなった。後はボスであるグスコーさえ抑えてしまえば、船の制圧は完了である。
クシャトリアと美羽は救出した子供たちと一緒に騒ぎの中心、無敵超人が戦っている貨物室へと向かう。
「うわぁ!」
「しっかりして下さいまし! 絶対に大丈夫ですから」
船の揺れで転びそうになった子供を美羽が支える。
クシャトリアや美羽は武術の修行で体の重心は安定しているため、この程度の揺れでは転ぶことなどないが、普通の一般人には少しきついだろう。
かといって人数が人数だ。五人くらいならクシャトリア一人でおぶることもできるが、子供全員をおぶるのには無理がある。厳しかろうとなんだろうと自分の足で歩いて貰う他ない。
「暴れすぎだ無敵超人に死神……! この船、この分だとそろそろ沈没する……!」
「ですわね」
「くそっ。リアルタイタニックなんて俺は御免だぞ。。よりにもよってこんな錆びた船で。どうせ船諸共海に沈むんなら一兆円の豪華客船じゃないと御免だ」
「そういう問題ですの?」
「沈むくらいなら、の話だよ。自分が明日死ぬのに老後の貯金をする馬鹿はいないだろう。死ぬのなんて地球が爆発しても絶対御免だが、死ぬんならせめて盛大にいきたい」
「成程。私も明日死ぬのならば可愛いにゃんこを思う存分に愛でてから死にたいですわ。あ、あと
「酒池肉林……いや、フルーツジュースの池に果物の林に……あと全世界の美女ハーレムに溺れるというのも捨て難い。地獄を見た分、死ぬほどの贅沢をしなければ割に合わないからな……」
「は、破廉恥ですわ! 人生最後に不健全なことをしては晩節を汚しますわよ。馬さんのように取り返しのつかない方もいますが。
そんなことにお金を使うのではなく、クシャトリアさんも最後にニャンコの楽園を作ってニャンコの可愛いらしさを――――」
「猫? ああ、美味しいよね」
「ニャンコは食用じゃありませんわ!」
「二人とも呑気に話してないで急いでくださいよぉ!」
子供の一人が悲痛な叫びをあげて、クシャトリアと美羽は我に返った。ついつい話がヒートアップして、立ち止まって口論していたらしい。
沈没しそうな船で緊張感のない会話をしたクシャトリアと美羽はコホンと気を取り直す様に咳払いしてから、改めて貨物室に走る。
「そうだな……急がないと」
貨物室へ行く理由が増えた。
外敵を警戒して港から離し沖に停泊させたことといい、混乱の最中でも子供の見張りを欠かさなかったことといい、グスコーという男はかなり慎重な性格をしている。
そのグスコーなら船の沈没という船乗りにとって最悪の凶事を想定し、脱出の術くらいは用意しているだろう。
万が一グスコーに脱出の手段がなかったとしても、無敵超人ならば沈没する船から子供を抱え逃げるくらいはどうということはない。
足手纏いの子供がいなければ、クシャトリアは自分一人でどのようにも出来るのだから。
貨物船へ近づく度に戦いの騒音は大きくなってくる。しかしそれだけではなく拳の交わる音に混じって無数の銃声も響いてきた。
意識を研ぎ澄ませ気配を探ると、ぶつかり合う巨大な気が二つと無数の小さな気を感じ取ることができた。
大きな二つの気が無敵超人とアパチャイ。その周りを囲む無数の小さな気がグスコーとその部下達のものだろう。
幾らクシャトリアでも透視までは出来ないが、気配の揺らぎから大体なにが起こっているっかの予想はできる。
「――――銃弾飛び交う中、銃弾を気にもせず戦うとは流石は達人級」
ある一定のレベルの武術家であれば銃弾を避けるのはそう難しいことではない。クシャトリアも弟子クラスだった時点で弾道と発射タイミングを予想し回避する技術を身に着けていた。
しかし強力な敵と戦いながら、無数の銃弾を回避し続けるとなると難易度は格段に増す。
少なくとも今のクシャトリアには出来ない。だがいずれは最低でもあの領域に立たなければならないのだ。シルクァッド・ジュナザードを殺すために。
ドアを蹴り破り貨物船に侵入する。
「へへっ。遅かったな餓鬼共は連れて……………って、テメエ! なにしてやがる!」
「子供ならしっかり連れてきたとも。ただし人質としてじゃなく脱出のために、だが」
モジャモジャの髪に髭、顔写真で見たグスコーの顔だ。
グスコーは子供達を人質に無敵超人の動きを抑えるつもりでいたのだろう。頼みの綱であった人質が解放されているのを見て露骨に狼狽えた。
「どうやら貴様も年貢の納め時のようじゃのう」
「あ! おにぎりの子とリンゴの子よ!」
貨物船で褐色肌の男と対峙している老人。いや年は確実に八十歳以上だと思えるのに、その全身を覆い尽くす闘気が老人という弱々しいイメージを吹き飛ばしていた。
2mほどの巨体をもち、両手両足には鋼鉄の手甲と足甲背中。美羽と同じ金色の髪を戦いの邪魔にならぬよう後ろで結った出で立ちは老人というよりは老将という表現が正しい。地獄の閻魔ですらこの男を前にしては跪くしかあるまい。
彼こそが無敵超人・風林寺隼人。クシャトリアの師、シルクァッド・ジュナザードと並びうる最高位の達人が一人。
無敵超人はグスコーを睨みながら、もう片方の目はクシャトリアに向いている。
その目に殺意はなかったが、クシャトリアは自分の心が見透かされているような錯覚を覚えた。
ジュナザードや美雲に心を読まれながら必死で身に着けた閉心術で、クシャトリアは己の心を覆い隠す。
暫し無敵超人は片目でクシャトリアを注視していたが、やがて両目を完全にグスコーへ向け直した。
「く、くそっ! この妖怪爺めぇ。だが侮ったな。この距離なら人質としては十分だぜ。おい爺、餓鬼を殺されたくなけりゃ……あれ? 俺の拳銃がねえ」
「お探しのものはこれかな?」
「!」
クシャトリアはグスコーが狼狽しているうちに掏り取った拳銃を指でつまんでぶら下げる。
今度こそグスコーの顔が蒼白になった。
「う、おおおおおおお! もう自棄だ! おい、アパチャイ! 船をぶっ壊してもいいから、こいつら全員やっちまえ!」
「グスコーさん、それよりその子供達はなによ」
「じゃっかしいんだよ! テメエが腹を空かせて死にかけている時に飯を恵んでやった恩を忘れたんじゃねえだろうな! テメエは俺様の命令通りに動いていりゃいいんだよ!」
「アパチャイさん! この人達は悪い人たちですわ! 子供達を攫って売り捌こうとしてましたの!」
「て、テメエ!」
美羽に己の悪行を暴露されたグスコーは怒りに顔を真っ赤にした。
子供を売りさばこうとしている、そう聞いた途端にアパチャイの表情が変わる。アパチャイは純粋な怒りをこれまで守っていたグスコーに向けていた。
「ゲームセットだな、グスコーさん」
「や、やかましい!」
クシャトリアがそう言うと、激昂したグスコーがヤケクソになって掴みかかってくる。
だがグスコーがクシャトリアに触れるよりも早く、グスコーの体が宙に浮いた。
「あれ? 走っても進まない? な、なななななななななんで俺、宙に浮いてるのぉ!?」
「それはわしがお主の頭を持ち上げておるからじゃよ」
「ひぃぃぃいいいいいいいいいい!」
「だから言ったじゃないか。ゲームセットだって」
無敵超人に頭を持ち上げられたグスコーは、子供のようにもがき暴れまわるが、そんなことで無敵超人の手から逃れられるわけがない。
グスコーは部下達に助けを求めようとするが、部下達は部下達でアパチャイ一人にのされていた。
「では、いよいよお主には消えて貰うかの。根まで腐った男じゃ、残りの人生全て費やしても真人間には戻れまい……」
「え!?」
「駄目だよ! 死んだら生きられないよ!」
グスコーを殺す旨の発言をした無敵超人をアパチャイが止める。
「良く分からんが優しいのう、お主」
アパチャイの嘆願を受けてか無敵超人がその手を放した。
解放されたグスコーは地面に着地するや否やキッと睨むと、懐からナイフを取り出して襲い掛かる。
「ふ、はははははは! この距離なら避けされまい!」
それでもはやグスコーの運命は決まったも同じだ。
例え密着していようとたかがマフィアが奪えるほど無敵超人の命は安くはない。
「忘心波衝撃!」
グスコーの頭を無敵超人の手が左右から叩く。
無敵超人百八秘技が一つ、忘心波衝撃。グスコーの頭部に繰り出された衝撃波はグスコーの命ではなく、その脳回路に侵入し記憶そのものを消し飛ばした。
「話には聞いていたが、使えるのか」
嘗て無敵超人・風林寺隼人が拳魔邪神ジュナザードより伝授された彼の秘術。記憶を消すという冗談のような技だ。心を支配することに関しては右に出る者のいないジュナザードの秘術だけあってその力は確か。もうグスコーは何の記憶ももたない真っ新な状態に戻された。
命を奪うのではなく罪に汚れた人生を奪う。これが活人拳的な天誅というものか。
「ぐ、グスコーさんが死んだ!」
「一味もこれまでだ! 逃げるぞ、船が沈む!」
ボスが死ぬと部下達は一目散に逃げ出していく。
「浮きそうなものに子供をつめるのじゃ」
「アパ! 気絶している人も皆よ!」
しかし船の沈没にも慣れている達人とクシャトリアに美羽は慌てず木箱や樽を貨物室から探した。
揺れていた船がとうとう致命的な一線を超えて沈んでいく。そして、
依頼をやり遂げグスコーの一味を壊滅させ、子供達を取り戻した美羽と祖父である隼人は村へ戻ると村人たちからの熱烈な歓迎を受けた。
親子の再会に美羽は目頭を熱くし、隼人も「親子の再会はいつ見ても良いものじゃ」と目を細め言う。
とはいえ二人は世直しの旅をする身。やることをやり終えたらまた流れなければならない。
「このたびは誠に……ありがとうございますっ! 本当にありがとうございますっ!」
「そう畏まらんで良い。アパチャイ君」
「アパ」
村人のお礼をニコニコと受け取ると、隼人は背後に立っていたアパチャイに声をかける。
アパチャイは分かったと頷くと、子供が三人は入りそうな大きさの箱を持ってきて置いた。
「キャ、す、凄い……」
村人たちが驚き口元を覆い隠すが、それも無理もないことだろう。
木箱に入っていたのは目がくらむような金銀財宝。グスコーが貨物船に溜めこみ、船と一緒に海に沈んだ財宝だったのだから。
「アパチャイと三日かけてさるべーじしたんじゃ。同じものが港に20箱隠してある。武器もじゃ。その金で傭兵を雇って、もう二度と襲われないようにしなさい」
「なにからなにまでありがたい!」
隼人は信用できる知り合いの傭兵の連絡先を教えると、
「では報酬を頂こうかのう」
村人たちが村中から集めた全財産。今回の世直しの報酬を掴んだ。
それを見てギョッとしたのは村人たちである。村の全財産など高が知れている。そんなものに手を出さずとも、グスコーの財宝を持てるだけ持っていった方が遥かに金になるだろう。
だが村人がそれを尋ねると、無敵超人と謳われた武術家はあっさり答えた。
「いや……皆の思いの詰まったこの金こそ、その財宝の千倍の価値がある!」
風林寺隼人は孫娘の手を引いて村を後にする。
手を振って別れを惜しむ村人たちの姿が完全に見えなくなってから、美羽が口を開いた。
「お爺様」
「なんじゃ?」
「クシャトリアさんはどうなさったんですの? 助けて頂いたお礼を言いたかったですのに、船が沈んでから姿を見ていませんの」
「彼ならば連中に奪われた〝ぺんだんと〟を取り返したら一足先に帰ったよ。もしも次に会う時があれば、お礼はその時に言いなさい」
「はいですわ」
美羽はそれで納得して歩き出す。だが隼人は孫娘には決して悟られないよう、遥かな過去に思いを馳せた。
なんとなく美羽は頭上を見上げる。そこには日が落ちて黒く染まった闇が広がっていた。
「お疲れ様です、クシャトリアさん」
「ああ。お疲れだ」
二日前降りたのと同じ場所で、クシャトリアは黒い車に乗り込む。場所が同じなら自動車も運転手も二日前とまるで同じだ。
違うのは時間くらいだろう。二日前は昼だったが、今は夜だ。
「これ。依頼にあったペンダント」
クシャトリアは無敵超人とアパチャイがサルベージした財宝から探し当てたペンダントを黒服に渡す。
黒服はペンダントを舐め回す様に見つめ、写真と見比べると「確かに」と頷いた。
紆余曲折あったがこれで任務完了。胸を張って〝闇〟に戻ることができる。
果たして胸を張って帰れる場所なのかどうかは自信がないが。
「貴方ともあろう御方が随分とお疲れですね。たかがマフィアからペンダント一つ盗んでくる、貴方からすれば難易度の低い仕事だったじゃあないですか」
「イレギュラーが一つあるだけで簡単な任務が極悪な任務に早変わりすることもある」
例えば敵に特A級の達人の用心棒がいたり、無敵超人が第三勢力で存在したりという。
事前にイレギュラーを知っていればこの任務は破棄されるか、実力に覚えのある達人級預かりとなっていただろう。本来なら妙手のクシャトリアがやるようなことではない。
よくもこうして五体満足でいるものだとクシャトリアは自分で感心する。
「アパチャイ・ホパチャイに風林寺隼人、か」
『お主はわしの古い知り合いと瓜二つじゃ。さしずめお主は彼奴の弟子かのう?』
一目で自分をシルクァッド・ジュナザードの弟子だと看破したその眼力は流石と言う他ない。
いやそうでもないか。日々の肉体改造のせいかクシャトリアの容姿は師匠の素顔と見間違うほど近いものとなっている。
ジュナザードの素顔を知る者なら、そこに関係性があると見抜くのは難しいことではない。
「まぁ。もう二度と会わないことを祈っておくか」
無敵超人・風林寺隼人が長老を務める梁山泊はスポーツ化した現代武術に馴染めない豪傑たちの集う場所。
殺人拳こそ真の武術と掲げる闇とは対極に位置する活人拳を掲げる場所だ。
闇と梁山泊は暗黙の了解で不可侵が定められており、今のところは冷戦中といったところである。
だからクシャトリアと彼等が再会するということは、闇と梁山泊が全面戦争に踏み込もうとしているということに他ならないのだ。