史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第35話  付き添い

「こじんまりとした部屋じゃのう。とても一影九拳の継承者候補の住む家とは思えぬな」

 

 クシャトリアの潜入しているセーフハウスを突然訪ねてきた美雲が、部屋に入るなり開口一番で言った。

 闇が用意した完璧なまでに作り上げた『極普通の独身男性』は、従者つきの邸宅に住む美雲からしたら馬小屋みたいなサイズでしかないだろう。

 

「一介の教師が豪華絢爛な屋敷に住むわけにもいかないでしょう。潜入するには潜入先に溶け込まなければ。ま、ここが物足りないのは事実ですがね」

 

 なにせこのセーフハウスでは巨大モニターも修行施設もない。修行施設に各種最新機器が完備されているクシャトリアの自宅と比べれば雲泥の差だ。

 かといってクシャトリアもプロ。プロ意識にかけてミッションを手抜きすることはできない。梁山泊が関係しているとなれば猶更だ。

 

「それと、久しぶりだね。千影、会うのは何か月ぶりだっけ?」

 

 クシャトリアは美雲が連れてきた少女に尋ねる。

 美雲の腰にも届かない小柄な背丈と胴着。夜の闇を溶かして流し込んだような黒髪に、どこか浮世離れした雰囲気。ともすれば美雲と親子にも見える少女は、櫛灘美雲の弟子の櫛灘千影だ。長らく不在だった櫛灘流柔術の正当後継者である。

 九拳である美雲の弟子ということから分かるように、まだ十五にも満たぬ年齢でありながらジェイハンと同じくYOMIの幹部に名を連ねる者である。

 

「二か月と二十一日ぶりです、クシャトリア兄」

 

「もうそんなか」

 

 正式な内弟子となったわけではないが、クシャトリアも櫛灘流柔術の教えを受けた者の一人。千影にとってはクシャトリアは一応兄弟子にあたる。

 こうして独り立ちしてからは正式な師匠のジュナザードより、美雲と会うことの方が多いことも手伝い、もう一人の弟弟子のジェイハンより見知った間柄だ。

 

「で、どうして妖拳の女宿殿が直々にこんな場所に足を運ばれたんです? 今は闇も忙しいところでしょう」

 

 梁山泊の一番弟子である白浜兼一と新白連合。〝拳聖〟緒方一神斎の弟子である朝宮龍斗とラグナレク。二つの抗争は決戦の果てに朝宮龍斗の敗北という形で幕を下ろした。

 しかし結果的にこの抗争が梁山泊と闇の全面戦争の引き金にもなってしまった。

 緒方による梁山泊に対しての宣戦布告。更には梁山泊の史上最強の弟子が、少なくとも緒方の弟子を倒せるだけの実力を有している事実。

 これをもって闇はこれから始まるであろう戦争に向かって慌ただしく動き始めた。

 最初は闇の弟子育成機関YOMIから、そしてより深い闇の深淵に。クシャトリアの見立てではそろそろ九拳が招集する会議が開かれることになるだろう。

 緒方と同じく梁山泊との決戦を待っていた節のある美雲も、戦いに向けてやるべきことは多いはずだ。

 ジュナザードは全くやろうとしないので全て代理のクシャトリアがこなしているが、九拳ほどになると戦い以外にデスクワーク染みたことをしなければならないことも多いのである。

 

「それに白昼堂々とセーフハウスに入ってきて、念のために確認しておきますが誰かに見られたりとかは?」

 

「わしがそのような不手際をするとでも? 可愛い弟子に信頼されず悲しいのう」

 

 よよよ、とわざとらしく袖で目を隠す美雲。お年寄りは若者をからかうという若者からしたら傍迷惑な趣味をもっている。

 クシャトリアはそんな嘘丸出しの泣きまねに騙されるほど馬鹿ではないが、このままだと話が進まないので嘆息しつつ口を開いた。

 

「謝りますから泣き真似は止めて下さいよ。それで本題は?」

 

「千影のことでちとお主に頼みたいことがあってのう」

 

 泣き真似を一瞬で止めると、真剣な顔で美雲は自分の弟子を差した。悪戯好きな年寄りとしての側面は消え失せ、冷酷無比な闇の武人としての顔。

 どちらが本当の櫛灘美雲なのかはクシャトリアも分からない。だが欲を言えば前者であって欲しいところだ。

 

「千影がどうかしたんですか。俺の目から見ても千影はその年にして他のYOMIに劣らぬ実力の持ち主。櫛灘美雲が〝一なる継承者〟と推すだけあると思いますが」

 

 今でこそ一なる継承者は〝人越拳神〟本郷晶の弟子である叶翔になっているが、それが決まるまではかなり話が拗れに拗れたものだ。

 半数の九拳たちは自分の武術に対する矜持か、それとも無関心故か一なる継承者そのものに興味がなかったようだが、残りの半数は熱心に一なる継承者に己の弟子を推薦していたため、議題はかなり紛糾したときいている。

 結局はかねてより一なる継承者として育成されてきた叶翔が正式に選ばれることになったわけだが、もしも叶翔という筆頭候補がいなければ議論は更に伸びていたことだろう。

 

「わしの弟子が優れているなど、師であるわしが一番良く知っておる。千影はお主が以前、己の糧とするため壊したわしの弟子候補の数十倍は素養ある弟子なのじゃからのう」

 

「人が好き好んで貴女の弟子候補を殺めたみたいに言わないで下さいよ。壊させたのは一体どこのどなた達ですか」

 

「はて。年をとると物忘れが激しくてのう……」

 

「都合の良い時だけ年寄りにならないで下さい。貴女は外面も内臓も二十歳そこそこで停止しているでしょうに」

 

「ふふふ。なぁに内臓が若く止まったままでも、長く生きればそれだけ多くの記憶が脳に収まることとなる。そうなれば如何に若い脳のままでも忘れるものじゃよ。お主もいずれ分かる」

 

 美雲と同じくクシャトリアの肉体にも永年益寿の法が施されている。今は本当に若いためその実感はないが、十年や二十年も経てばその成果が如実に表れることになるだろう。

 もっともクシャトリアの永年益寿は櫛灘流のものと完全に同一のものではなく、櫛灘流の永年益寿を四苦八苦の末に暴きだしたジュナザードが自分流の永年益寿も組み合わせたものだ。

 櫛灘流の永年益寿は甘いもの厳禁の食事制限がついていたが、ジュナザードはそれを克服することに成功した。恐ろしきはただそれをフルーツを食べるのを止めたくないだけに成功させたジュナザードの執念であろう。

 実験的に施された永年益寿のせいで今ではクシャトリアの髪色もこんなに真っ白だ。

 

「話を戻すが、きたるべき戦いに備え千影にも対武器戦を学ばせようと思ってのう」

 

「……梁山泊に武器使いの達人はいても、武器使いの弟子はいませんが?」

 

 白浜兼一は動きの節々から対武器戦の心得を持っているように見えたが、武器を使う者特有の臭いは彼から感じ取れなかった。

 もしこれから白浜兼一がいきなり武器術の特訓をし始めるなんてことがない限り、YOMIの弟子たちが梁山泊との戦いにおいて対武器戦をすることはないのである。

 

「なぁに。梁山泊の弟子だけではなく、その先を見越してのことじゃよ」

 

「武術家である以上、いずれ武器を持つ相手と戦うことになる。その時のための予習ということですか?」

 

「ふむ。そういうことにしておこうかのう」

 

 思わせぶりな発言だが、藪を突いて蛇を出しそうな気配がしたので敢えて追求はしない。

 美雲は懐から写真を取り出しテーブルの上に置く。覗き込んでみると、写真に写っていたのは一振りの日本刀だった。

 それなりに武器術についても精通しているクシャトリアには、それが名刀であると一目で分かった。

 

「関の孫六兼元。白石なんたらとかいう男の持っておる刀じゃ。千影にこれを狩りにいかせる故、お主はその付き添いをやって貰いたい。わしは他にやることがあるのでのう」

 

「へぇ。刀狩ですか、なんだか懐かしいですね。……しかしどうして刀を?」

 

「そろそろ武器組と交流を深くしておくべき時がくる予感がするのでのう。その一貫でもある。武器組は名刀をなによりも欲しておるからのう。お主も八煌断罪刃と仲直りでもしたらどうじゃ」

 

「ははははは。品性のない相手と仲良くする趣味はありませんよ」

 

「で、引き受けてくれるのか?」

 

「………………」

 

 ただの付き添いならば別に断るような理由はない。美雲はジュナザードほど加減を知らなくもないし、弟子クラスの千影を行かせるということは、その場所には弟子クラスの実力の者ばかりしかいないのだろう。

 ならばクシャトリアにとっては危険性など皆無に等しい。だがなんとなく嫌な予感がするのだ。それがクシャトリアに即答を躊躇わせる。

 

「はぁ。分かりましたよ」

 

 だが結局のところクシャトリアに選択肢などあってないようなものだ。

 他の者ならばいざしれず、櫛灘美雲の頼みを断ることはできないのだから。

 

「決まりじゃな。千影や、よく学んでくるのだぞ」

 

「はい、先生。――――宜しくお願いします、クシャトリア兄」

 

「こちらこそ」

 

 平和な一日はこうして過ぎていく。

 

 

 

 

 一方その頃。クシャトリアによって無人島に置き去りにされたリミはなにをしているのかといえば。

 

「うぎゃぁぁあああああああ!」

 

 全力で虎から逃げていた。

 その虎は明らかにインドネシアの無人島にいるような類ではなかったが、そこは嘗てのジュナザードの私有地。なにがあってもおかしくはない。

 

「リミは食べても美味しくないお! 喰らえ、林檎アタック!」

 

 自分から興味を逸らそうとリミはジャングルで入手した林檎を投げつけるも、それは虎の嗜虐心を煽る効果しかなかった。

 リンゴを鼻先にぶつけられた虎は一層獰猛にリミを追う。縦横無尽にジャングルを走り回るリミと、大地を滑るように走る大虎。

 腹を空かせた虎は小頃音リミという肉を喰らうため涎を垂らしながら追ってくる。

 

「こんな所でリミは死なないんだから! さっくり生き残って龍斗様のハートをゲットだぜ!」

 

 ジャングルという足場の不安定な場所ながら、天性のバランス感覚でクシャトリアから教わった走り方を実践するリミは、木と木の間を縫うように走り跳び回りながら虎を引き離していく。

 小頃音リミ。彼女はクシャトリアが呑気にお茶を飲んでいる時も逞しく生き残っていた。

 




 このペースで投稿し続けると降伏する前に孔明みたく死ぬので、恒例の三日に一回ペースに切り替えます。なので読者様におかれましては……お願いでございます。命だけは、命だけはお助け下され。

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