「闘忠丸が負傷し…た。見てやってく…れ」
梁山泊に戻るなり、しぐれはクシャトリアの技に巻き込まれて負傷した闘忠丸を見せた。
武を極めた達人の中には武のみならず他の分野においても優れた才の持ち主がいる。梁山泊の豪傑たる秋雨と馬剣星が正にそれで、両名とも武を極めた達人でありながら医術にも秀でいる。
もっとも秋雨に至っては武術や医術どころではすまない才気煥発ぶりなのだが今はおいておく。
普段はエロの概念が呼吸して歩いているような剣星も闘忠丸が負傷しているとみるや、秋雨と一緒に真剣な表情となって診察を行う。
「ふむ。傷は浅いものではないが、幸い致命傷はないしこの分なら後遺症もないだろう」
「念のため、おいちゃん特性の漢方を処方しておくね」
「ん。ありが…と」
闘忠丸の無事が分かり、普段表情を変えることの滅多にないしぐれが心から安堵を浮かべた。
「しぐれや。随分と……手強い相手と戦ったようじゃのう」
負傷したのは闘忠丸だけではない。しぐれもまた、強烈な一撃を貰っていた。
秋雨と剣星がしぐれの安堵を我が事のように喜ぶ中、梁山泊の長老である風林寺隼人は目敏くそれを見抜く。
「お主ほどの者に一撃を与え、闘忠丸にも傷を負わせる。とても並みの達人に出来ることではないのう。まさか闇がお主の首を狙ってきたのかね」
「たぶん…ボクの首を狙ってきたわけじゃないと思…う。刀の取り合いになっただけだ…し。だけど気になったことが一つあ…る」
「気になることとな」
「うん。ボクと戦った白髪頭、兼一の幼馴染が使った静の気と動の気を同時発動する技を使って…た」
「!」
黙って話を聞いていた秋雨と剣星も目をむいた。
兼一の幼馴染である朝宮龍斗、彼の師匠とは一影九拳が一人、拳聖に他ならない。その朝宮龍斗と同じ技を使ったということは、当然相手は闇の関係者ということになる。
「あとクシャトリアって名乗って兼一より小さい弟子を連れて…た」
「クシャトリアじゃと!?」
「知っている…の?」
「わしの旧い知り合いの弟子じゃよ。そうか、彼がのう。時間が進むのは早いものじゃ」
遠くを見据える風林寺隼人の目に浮かぶのは過去への回帰か、それとも好敵手の変貌を惜しんでか。或いは。
太平洋を航行するタイタニック号を思わせる豪華客船。
船内ではさぞや各国を代表する富豪や著名人が楽しくやっているのだろうと、庶民ならば嫉妬心を灯すような船だが、この船が客船ではなく個人の所有物であることを知れば腰が抜けてしまうかもしれない。
この船の持ち主は拳聖・緒方一神斎。若輩とはいえ押しも押されぬ一影九拳の一角を担う武人であれば、この程度の船を一隻や二隻所有するのも大したことではない。一影九拳の中には船どころか、一国で神として崇められているような怪物もいるのだから。
珍しく弟子の育成に熱を入れているのか、最近まったく顔を合わせていない己の師匠のことを考えながらクシャトリアは船内を進む。
「やぁ。待ってたよ、クシャトリア」
配下の案内で何台ものモニターが設置されている部屋に入ると、緒方がフランクに手をあげ挨拶してきた。周囲を見渡すが闇の通常構成員がいるだけで、緒方以外に達人級の武術家はいない。
「……直接の参加は君だけか?」
今日は梁山泊に対しての宣戦布告に伴い今後どうするかについて話し合う一影九拳会議だというのに、会議場にいるのが会場の主の緒方だけというのは、一影九拳の面々の自分勝手さを如実に表しているだろう。
豪傑たちが一致団結し友情という絆で結ばれた梁山泊と闇は、その組織の性格がまるで異なる。梁山泊が仲間ならば、闇はあくまでも同盟。達人たちが集まった連合に過ぎない。故に任務がぶつかれば闇人同士が潰しあうというのも珍しくもないことだ。クシャトリアも以前、闇の武器組とミッションがバッティングしてしまい争いになったことがある。
以前に自分がジュナザードから免許皆伝というお墨付きを貰った時は一影九拳が八人も参加していたが、あれはレア中のレアなことだ。
「いや、実はもう一人来る予定だ」
「ほう」
緒方に誰かと尋ねる前に、クシャトリアもその気配に気づいた。
抑え込んでも抑えきれぬ静かだか熱い闘気。岩すらバターのように斬る刃をもちながら、完全に鞘に収まったこの気配の持ち主をクシャトリアは一人しか知らない。
「お久しぶりです、本郷晶殿」
クシャトリアは礼儀正しく背筋を伸ばし、その人物を出迎えた。
長髪を背中にまでかかるほど伸び、びっしりコートを着込んだ出で立ちが生真面目な性分を現している。猛獣すら射抜く鋭い眼光を隠す様に、黒いサングラスをつけた姿は、一見すると悪魔的でもあった。
だが余り恐怖を感じないのは、その圧倒的なる力が本人により完全に制御されているからだろう。
この人物こそケンカ百段の異名をとる逆鬼至緒と並び最強の空手家と称される武人、人越拳神・本郷晶だ。
「拳聖だけではなくお前もいたのか、拳魔邪帝。久しいな」
「ひゅー。ハイテク~」
本郷の横からひょっこりと青い長髪を後ろで結った少年が顔を出した。
「おや。叶くんも来ていたのか」
「どうも~、拳魔邪帝殿」
空を自由に飛ぶ鳥のような奔放さをもった少年は叶翔。本郷晶の一番弟子にして、やがては一影九拳全ての武術を伝承することになる一なる継承者だ。
飄々としているがその実力はクシャトリアが弟子にとったリミをも大きく上回り、目算だが現時点では風林寺隼人の孫娘・風林寺美羽よりも強いだろう。
一影九拳全ての弟子でもある彼は当然ながらジュナザードの弟子でもあり、一応クシャトリアにとって三人目の弟弟子ともいうべき存在である。
「人越拳神・本郷晶殿。それに叶翔くんも息災そうでなにより。他の六人の準備も整っています。待たせると機嫌を損ねてボイコットしてしまうかもしれませんので、早速会議を始めましょう」
少し待たされたくらいで重要な会議をボイコットするなど常識的に有り得ないが、世界屈指の非常識人の集いに常識を当て嵌めることの愚かさはこの場にいる全員が知っている。
緒方の促し通りクシャトリアと本郷は自分に宛がわれた席についた。それを確認した緒方が手をあげて部下に合図すると、六つのモニターがパっと起動し、六つのモニターに世界各国に散らばる一影九拳を映し出した。
「便利なものですな。こうして世界各国に散らばる闇の同志たちとこうも簡単に会うことができるのですから」
『全くだ。しかしずっと山籠もりしていた拳聖君は最新のIT技術にはついていけないんじゃあないかね』
「いえいえ。山籠もり中も最新技術には何度かお世話になりましたよ。都会にいる同志と伝書鳩でやり取りしていたんじゃ、この何事も高速化する現代でついていけませんからね」
からかうような魯慈正の言葉に緒方は柔和に答えた。魯慈正はあくまで剣豪鬼神・馬槍月の席を預かる代理に過ぎないが、武術家としての年季と実力は九拳に名を連ねても申し分ないものであり、彼が年長で闇でも先輩にあたることから、正真正銘の九拳である緒方よりも高い扱いを受けている。
緒方がこれに対して文句を言わないのが彼の社交性が高いことも理由の一つだが、一番には魯慈正という武術家としての先達に敬意をもっているからだろう。
(ま、なまじ武術に対しての執着心を除けば比較的常識人なせいで、隠しても隠し切れない非常識の塊のお歴々に顎で使われているんだろうが)
クシャトリアも自分が同じ境遇だけに、緒方がどうして扱き使われているかが良く分かる。
誰もが一影九拳のパシリになれるわけではない。一流の剣士が一流の剣をもつように、一流の達人はパシリにも一流を求める。そして緒方もクシャトリアも一流のパシリになれるだけの高い能力を不幸なことに備えてしまっていた。
お陰でこうして一影九拳に貧乏くじばかり引かせられ扱き使われている。
緒方は自分の立場を利用して、梁山泊との戦争をコントロールしている節もあるが、戦争の矢面に立ちたくないクシャトリアにはいい迷惑でしかない。
能力とは必ずしも持つ者を幸福にしないものだと改めて実感する。
『しかし。また一影殿は留守か』
笑う鋼拳の異名をとるマスクをした武術家が、真っ黒のままのモニターを見つめながら言う。
闇の一影、無手組の長を務める実力者は今回の会議も欠席だった。前にクシャトリアが一影の拠点の一つに赴いた時、書類の三連スカイツリーが聳え立っていたので仕事が忙しい故だろう。
これでは一影九拳が勢ぞろいするのはいつになることか。
『そういえば拳魔邪帝殿。ジュナザード殿はどうなされたので?』
「昨日私のところに自分の代理で会議に参加しろと連絡がかかってきましたが、何分なにかに縛られるのが嫌いな人ですので、今どこで何をしているかはさっぱりです」
セロ・ラフマンは年齢が近いこともあり、ジュナザードと比較的友好な関係を築き上げているある意味奇跡的な人物である。
敵には冷酷だが、ジュナザードと友好的関係を築ける菩薩ぶりからクシャトリアも自分勝手な九拳たちの中では信用している方だ。
『ふっ。己の弟子に自分の務めを押し付けて自分は好き勝手とはのう。あ奴もさっさと弟子に九拳の座を譲り渡して隠居すれば良かろうに。わしとしてもその方が都合がよいのじゃがのう』
『妖拳の女宿殿。我等九拳には不可侵が定められているのです。他の九拳の師弟問題に口だしするものじゃありませんぞ』
『そうじゃな。今の発言は忘れてくれ、セロ・ラフマン殿』
美雲が危ない発言をしかけたが、セロ・ラフマンの取り成しもあって何も起こらずに終わる。
こうしてクシャトリアが代理で九拳会議に出る度に美雲はこういう発言をするので、クシャトリアにとっては毎回冷や汗ものだ。
万が一ジュナザードに自分が九拳の座を狙ってジュナザードを排斥しようとしている、なんてありもしない話が伝われば一貫の終わりである。ジュナザードを倒す為に努力を続けているクシャトリアだが、残念ながら未だ邪神を殺す目途はたっていない。クシャトリアはまだ時間が欲しいのだ。
対梁山泊のため集まったのに、いつまでも他愛ない話をしていても仕方ない。本題に入るため緒方が代表して口を開いた。
「魯慈正殿。御命令通り地躺拳の弟子をぶつけましたが、まぁ、私の言った通りの結果に終わりました。少々慎重過ぎるのでは?」
先だって白浜兼一の実力調査の名目で、YOMIの一人を白浜兼一と戦わせたが、返って来たのは敗北の報だった。
だが緒方に慎重さを指摘された魯慈正は顔色一つ変えず淡々と反論する。
『分かっていないな。一影九拳が求めるのは梁山泊の弟子の首級ではない。あくまで梁山泊が育てる史上最強の弟子の首級だ』
『その通り。白浜兼一の首級はいずれ我々のいずれかの弟子が獲るだろう。だが世間が彼を最強の弟子と認める前に殺してしまっては意味がない』
魯慈正にアーガード・ジャム・サイが追従する。だがしかし緒方が言いたいのはそんなことではなかった。
「分かっておりますとも。ただ私が言いたいのはもし今貴方達のYOMIが白浜少年と戦おうと、案外彼は良い死合いをしてくれるんじゃないかということです」
『君の弟子が敗れたからといって、我々の弟子まで一括りにして貰っては困るよ拳聖』
「いえ」
初めてクシャトリアが会議に口を挟む。
緒方を含め九拳たちの視線がクシャトリアに集中する。九拳たちに睨まれれば並みの人間なら白目を向いてしそうなプレッシャーだが、ジュナザードの殺意を浴び慣れたクシャトリアが今更モニター越しの視線に憶するはずもない。
まるで動じずにクシャトリアはジュナザードの代理として自分の私見を語る。
「彼の弟子の朝宮龍斗は客観的に評価して、貴方達のYOMIに勝るとも劣らない実力の持ち主です。残念ながら彼は技の後遺症で半身不随となってしまいましたが、五体満足の彼を連れてきて他のYOMIと勝負させれば互角の戦いをしてくれたでしょう。
そして白浜兼一……。これも私見ですが、私の目から見て、彼の現段階の実力は〝朝宮龍斗〟と比べて劣っている。にも拘らず彼は実力で勝る相手である朝宮龍斗を下し勝利した……。つまり彼は実力差を別のなにかで補った。一影殿風に言うならば心の力でしょうか。
まぁ兎も角。白浜兼一はYOMIと肩を並べる強さをもつ朝宮龍斗に勝利した。なら他のYOMIと戦っても良い勝負をするという拳聖の発言は的外れなものじゃないでしょう」
「質問いいですか、クシャトリア殿ー」
はいはーい、と本郷の後ろで会議を聞いていた叶翔が学校でするように手をあげる。
本郷が注意をする様子がないということは、翔が質問することを許しているのだろう。
「なんだい、翔くん」
「随分と高く白浜兼一を買っているようですけど、拳魔邪帝殿の目から見て俺とそいつが戦えばどちらが勝ちますか?」
「君だよ」
きっぱりと断言する。
確かに白浜兼一は梁山泊の師匠たちに地獄の修行を課せられている甲斐あって短期間に如実に強くなった。こうしている間にも彼は修行を続け一歩ずつ強くなっているだろう。
だが叶翔には敵わない。なにせ翔は暗鶚から闇が買い取った純粋培養の殺人拳の申し子。武術に浸かって来た年季も才能もなにもかもが違う。
彼に対抗できる同年代となると、一影の弟子である鍛冶摩か風林寺美羽くらいしか思いつかない。
『そういえば主は一影に命じられ最強の弟子の調査をしていたのだったな』
「はい、美雲さん」
『丁度良い。白浜兼一についての調査内容、ここで教えてくれんかのう』
「……そう報告すべきことはありません。特別な血統もなければ、なにか優れた素養があるわけでもない。白浜兼一は梁山泊の弟子になったことを除けば、どこにでもいる在り来たりな高校生に過ぎないでしょう。ただ個人的には緒方と同じで興味深いと思いますが」
『ほう。どうしてじゃ?』
「努力だけではどうにもならない頂きがある、持たぬ者は持つ者には敵わない、分を弁えろ、才能がないからこれ以上は成長しない……一体どれほどの達人が、こういった言葉で才能の欠片もない凡人を切り捨ててきたことか。
それが悪いとは言いません。私も最近弟子をとりましたが、貴方達のお弟子と同じく才能溢れた将来有望な子です。対して白浜兼一には才能が欠片もない。凡人、凡夫、凡愚。呼び方は色々とあるでしょう。
もしもそんな才能の欠片もない白浜兼一が我々達人の領域にまで上り詰めたとしたら、それは闇と梁山泊の戦争などよりも重大な事件になるとは思いませんか?」