久しぶりの九拳会議は結局のところ特に何事もなく終わった。
対史上最強の弟子に備えてYOMIを全員召集し、YOMIのリーダーの叶翔の指揮下に置く。対梁山泊の豪傑については一先ず静観。本格的な全面戦争に突入するタイミングは情勢を伺いながら対応する。
日本に拠点を置く緒方はYOMIの目付け役を務め、潜入ミッション中のクシャトリアは時間がある時には緒方の補佐をすることになる。
要するにYOMIの招集以外は行き当たりばったりという方針だ。だが一影九拳たちの気位の高さを思えば、纏め役の一影が不在でYOMIだけでも集結が決定しただけでも十分かもしれない。
「やれやれ、モニター越しとはいえあのお歴々を相手にするのは疲れるねぇ」
クシャトリアの心中を代弁するように、緒方はわざとらしく伸びをして体をほぐした。
闇の一影九拳ともなればその権力は大国の大臣にも勝る。緒方も新入りということで苦労しているのかもしれない。
「それにしてもクシャトリア。ちょっと意外だったよ」
「俺が九拳会議で積極的に発言したことか、それとも白浜兼一を高評価していることについてか」
「うーん。両方、かな」
クシャトリアがジュナザードの代理で会議に参加するのは一度や二度ではない。ジュナザードはクシャトリアに免許皆伝のお墨付きを与えて以来、会議などの面倒なことをクシャトリアに丸投げしているため、ここ最近ではジュナザード以上に会議に出席している。
しかしクシャトリアはあくまでも代理に過ぎず、また魯慈正ほどの権威を黙らせるほどのキャリアがあるわけでもない。そのため九拳の会議であってもある程度は分を弁え、率先的に発言するということは少なかった。
緒方もそれは知っているので不思議に思ったのだろう。
「差支えが無ければ理由を教えてくれないかい?」
「……大したことはない。ただ今回は俺が白浜兼一の調査を一影直々に命じられていて、白浜兼一の情報についてはあの中で誰よりも知っていたから発言したまでのこと。
発言するべき時に発言をしないのは、分を弁えて慎むのとは違う。物事は臨機応変にいかなければならないだろう。それに毎度毎度、あの面々相手に堂々と自分の言いたいことを言う君と比べたら俺の発言なんて大した事ないだろう」
「はははは。折角の一影九拳の名前だ。利用し尽くさなければ損じゃないか」
「君らしい」
殺人拳側に属する武術家であれば誰もが目指す一影九拳という地位。緒方はそれを自分の目的のために利用できるものとしか考えていない。
その考えはジュナザードの継承者という立場を利用して、多くの秘伝を買収しているクシャトリアと非常に似ていた。
武術平等論という己の思想に従い、どこまでも武術を発展しようとする緒方と、ジュナザードを殺すために武術を高めようとするクシャトリア。
まったく目的の違う二人だが、あらゆるものを利用して武術を高めようとするという共通項があるが故に、クシャトリアと緒方は利害の一致という名の友人関係を構築できているのだろおう。
「クシャトリア」
「なんですか、人越拳神殿?」
クシャトリアが緒方と話していると、本郷が声をかけてきた。
「一週間前。お前の師、拳魔邪神が翔の修行をつけることになっていた。知っているか?」
「いえ。聞いていませんが」
「そうか」
一なる継承者の叶翔に修行をつけるのは一影九拳全員の義務だ。
もしも万が一クシャトリアが九拳を継承すれば、ジュナザードの代わりに叶翔に修行をつけることになるだろうが、まだ九拳の代理人に過ぎないクシャトリアが知るはずがない。
だが次の言葉でクシャトリアは関係ないと決め込むことが出来なくなった。
「ならば一週間前、拳魔邪神が翔の修行をすっぽかしたのも知らんだろうな」
「……え? すっぽかしたって修行を、ですか?」
「そうだ」
チラリと本郷の隣りにいる翔を見ると、少しだけ悪戯げに頷いた。
自分の師匠が激しく唯我独尊かつ自分勝手極まる人間だということは、クシャトリアが一番よく知っている。
しかし一影九拳にとってなによりも大切な一なる継承者の育成を完全にすっぽかすとは、流石に思いもしなかった。放浪癖で九拳を友人に丸投げしている馬槍月も、95%放任することはあっても完全にすっぽかすことはなかったというのに。
自分の弟子の修行をすっぽかされた本郷にしては、己の顔に泥を塗られたも同然。おまけに本郷晶は九拳でも特に一本筋の入った御仁だ。約束をすっぽかすなんて不義理は一番嫌いだろう。
クシャトリアを見る本郷から底知れない威圧が発せられているのは決して勘違いではないだろう。
「それは申し訳ありません。師にかわって謝罪します」
「お前が謝ることではない。弟子の不始末はそれを育てた師の責任だが、師の不始末を弟子に押し付けることはできん。謝るべき者がいるとすれば、それは拳魔邪神以外にはいない」
「……ならやはり代わりに謝罪しておきます。私の師匠が誰かに頭を下げるなんて地球が三度滅んでも有り得ませんから」
ジュナザードも生物学的にはホモサピエンスに分類される存在だ。永年益寿でどれだけ死を遠ざけようと、形あるものはやがて滅びる。それはジュナザードも例外ではなく、いずれ邪神にも死ぬ時が訪れるだろう。
けれどジュナザードが死ぬことはあっても、誰かに頭を下げるなんてことは絶対にない。これだけはジュナザードの弟子として断言できる。
「いいと言っているのに律儀なものだ。お前の爪の垢を煎じて奴に飲ませたいものだな」
「飲んで変わるような性根じゃありませんよ」
「まぁそれはいい。……クシャトリア、これはあくまでも頼み。断ってくれても構わん。が、もしお前の都合が合うのであれば奴の代わりにお前が翔に修行をつけてくれ」
「私が?」
「奴の不義理のせいで翔の修行に遅れが出た。一日の遅れは二日の修行によってしか挽回できん。かといって空手家の俺ではシラットを教えることはできんからな。お前ならば実力的にも申し分はないだろう」
頼みという形をとっているが、ジュナザードが不義理をした手前、クシャトリアとしては断るなんてことはできない。
相手が我の強い九拳たちからも一目置かれ、一影からも信頼されている人越拳神・本郷晶とくれば猶更だ。
「分かりました。そちらが構わないのであればお受けします」
「助かる。翔、お前も分かったな」
「はい先生。高名なる拳魔邪帝殿が弟子をとったと聞いて、ちょっと興味もありましたから」
個人的に一なる継承者という存在に一人の武術家として興味がある。梁山泊の白浜兼一が史上最強の弟子ならば、彼は正に史上最凶の弟子。未来の武術界を二分する武人となりうる一人だ。
それに叶翔という同年代でありながら格上の武術家は、リミにとっても良い刺激となるだろう。マンツーマンにはマンツーマンのメリットがあるが、集団で学ぶのはマンツーマンにはないメリットがあるものだ。
「宜しく翔くん」
「こちらこそ、クシャトリア先生」
あくまでジュナザードの代役とはいえ、修行をつける以上は師弟は師弟。挨拶も込めて握手をする。
一影九拳全員の教え、十の武術を教わっているというのは伊達ではないだろう。手の感触一つにも異なる複数の武術の痕があった。
「――――待て。妖拳の女宿から伝言がある」
クシャトリアが翔を伴って船外から出ようとすると、本郷が背を向けたまま呼び止めた。
「美雲さんから?」
「修行をつけるなら、ついでに櫛灘流柔術についても教えておいてくれ、だそうだ」
「は?」
「確かに伝えたぞ」
本郷は一方的に用件を伝えるとさったと一人どこかに立ち去ってしまう。柔術でもかなり特殊な櫛灘流柔術を教えられるのは美雲を除けば、直々の修行を受けたクシャトリアくらいだろう。
強かな美雲のことだ。どこからか本郷が翔の修行をクシャトリアに頼むことを知り、ついでにクシャトリアを使って櫛灘流の稽古をさせようとしたに違いない。
「シラットに柔術に大変だね、クシャトリア」
「緒方……」
ポン、と手を置いた緒方は慰めの言葉でもかけてくれるのかと思いきや、
「ついでに緒方流についても教えておいてくれ。私はちょっとYOMI関連で忙しいから」
慰めどころか、ここぞとばかりに更なる要件を押し付けてきた。
シラットや櫛灘流柔術ほどではないにしても、武術の共同研究のため緒方から緒方流古武術についても教わっている。本格的なものとなると流石に無理だが、基礎的な動きや技を教えるくらいは問題ない。
そこまで知っていて緒方はクシャトリアに頼んできたのだろう。
「お、俺は便利屋じゃないんだが……」
「任せたよ」
断りたいのは山々だが、悲しいかな。緒方とは研究仲間という関係を崩さないためにも仲良くしていかなければならないし、本郷には負い目があるし、美雲には返し切れぬ恩がある。
他の九拳ならいざしれず、この三人からの頼みでは断ることは出来ない。
「なんていうか大変ですね、クシャトリア先生」
「俺の味方は君だけだ。もし修行中に死んだら特注の葬儀をあげてあげよう」
「それはお断ります。修行で死んだら、先生に殺されますから」
「違いない」
冷たい風が吹きすさぶ。一影九拳は今日も平常運転だ。