組手のため叶翔と正面から対峙したリミだが、早速動けなくなっていた。
別にいきなり両足をやられて自慢のスピードを封じられただとか、そういうわけではない。走ろうと思えば走ることはできるだろう。ただし後ろ向きに全速力で。
(ど、どうしよう……。どう攻めても効く気が全然しない)
格上と戦うのはこれが最初ではない。達人のクシャトリアは例外なので除くにしても、元ティターンのリーダーだったクロノスだって『速度』という一点を除けばリミよりあらゆる面で勝っていただろう。
だが自分より強い相手でも、これまでは自慢のスピードを駆使して翻弄し、動きを崩したところに猛攻をかけ勝利を収めてきた。だというのに叶翔相手にはスピードでどうにかなるような気がまったくしない。
無人島に置き去りにされた時、猛獣に睨まれ『絶対に勝てない、逃げろ』と否応なく悟ったことがあるが、リミが今抱いているのはそれとまったく同じである。いや知恵ある人間が相手の分、より酷いとすらいえるかもしれない。
「来ないのかい? ならこっちから仕掛けさせてもらうけど」
強者の余裕故か叶翔はリミの動向を観察するだけで、自分から動こうとはしない。けれどそれとていつまでも続きはしないだろう。ずっとリミが停止していれば、いずれ痺れをきらして仕掛けてくるはずだ。
これで余裕が長じて油断もしてくれればラッキーなのだが、翔は余裕風を吹かしてはいてもリミの息遣いまで注意を払っており、付け入る隙らしいものは全くなかった。
(リミちゃん、ピンチですよ~。これは)
クシャトリアの言っていたリミより数段上というのは、翔への贔屓でもおべっかでもなんでもない。純然たる事実だ。
才能だけならばリミもダイヤの原石とすらいっていい逸材だが、叶翔は才においてもリミの上をいく。武術家としての経験も含めればその差は歴然だ。
「リミ、相手を観察するのは大切なことだが観察するばかりでも勝てはしない」
「で、でも師匠!」
「何度も言うがこれは実戦ではなく組手……修行だ。実戦なら失敗とは死だが、修行や練習は寧ろ失敗するためにある。深く考えず取り敢えず自分の力をぶつけてみるといい」
「自分の力を?」
「もっともビビッて小便ちびりそうになるチキン女なんて、朝宮龍斗は好きになってくれないだろうけどね」
「むっ! 今のはミニマムカチンときましたとですよ。リミの愛の力、見せてやるお!」
「それでいい」
気を入れなおす。
弟子入りしてからリミは遊んでいたわけではないのだ。ティターン時代の自主練習が飯事に思えるくらい恐ろしい地獄に叩き落されこれまで生きてきた。シラットの型も教わっている。
それに昔から才能やら暴力は愛の前に破れると相場が決まっているのだ。
「とぅ!」
先手必勝だ。始め、の合図すらなくリミは全速力で駆ける。
スポーツの試合であれば咎められる行いだが、闇の武人同士の戦いにそんな優しいルールなんてない。負ければ死、死にたくなければ負けるなの世界だ。
故にクシャトリアと、そして組手相手の翔も特に驚くことはなかった。
「第一のジュルス!」
ジュナザードの流派にある十八ジュルスの一番目。
戦いにおいて初撃ほど重要な意味をもつものはない。上手い具合に先手をとれれば戦いの流れを味方につけることもできるし、逆に初撃を貰えばこちらの士気も落ちて不利になる。
だからこそリミは最初に教わり一番自信をもって行える技に全神経を集中して繰り出した。
「なーるほど。拳魔邪帝殿の弟子だけある。綺麗な……羽のある鳥のような動きをする。うん、俺の好きな動きだ。地を這う虫けらは嫌いだけど鳥は好きだし。さしずめ燕かな、君は」
「っ!」
リミの目からは叶翔が忽然とその場から瞬間移動したように見えた。しかしお伽噺ではあるまいし、どれだけ武術を極めようと人間がテレポートなんて出来る訳がない。
翔がやったのは単にリミの拳がヒットする寸前に、風を切る羽のように宙に舞いリミの背後をとっただけだ。
「だけど残念。君は探していた俺の片翼じゃないみたいだ」
「まずっ!」
「
叶翔が虎に擬態した動きで飛びかかってくる。明らかに空手とは異なる、その動きは紛れもなくプンチャック・シラットのもの。
瞬間、リミの魂に刷り込まれてきた経験がその技の内容をフラッシュバックさせ回避行動をとらせる。
ジャングルで本物の虎に襲われた体験が活きた。リミはぎりぎりで翔の技を躱すことに成功する。
「惜しい惜しい。シラットの使い手にシラットで戦うのはちょっと不味かったかな? シラットの先生の前だからシラットをメインでいこうかな、とか思ったんだけど。ああ、どうでした先生。俺の動き?」
「悪くない。我が師匠に教えを受けない時もしっかり自分でよく復習してきたのが一目で分かるよ。本郷晶殿も良い弟子をもって鼻が高いだろう」
「光栄です、先生」
「あー! 組手中に仲良くやるの禁止ー!」
本当の師弟より師弟みたいに仲良く話しているクシャトリアと翔。リミはその会話を強引に中断させる。
シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの弟子は小頃音リミの筈だ。そのために無人島で一か月を生き延びたのだから。
だというのにクシャトリアはさっきから翔のことを誉めてばかり。
負けたくない、その気持ちが心の中で膨れる。
(こうなったら絶対に勝って一泡吹かせてやるお!)
先日クシャトリアから教わったばかりの技。早くもそれを試す時がきた。
自分の中で膨れ上がった感情を全力で外側へ放出して、リミは叶翔を倒すべく飛びかかる。
「
「決死の一撃か。だったらこちらも最近思いついた新技で対抗してみよう。先生、見ててください」
そういって翔は両肘を後ろに下げ前屈みになる。自分の体を一つの砲弾へと変えた翔は、両足で地面を爆発させることで一気に発射した。
リミのアクロバティックな回転蹴りを身を捻らせていなすと、翔は気を練り上げた両腕を解き放つ。
「双派双手数え抜き手!」
右腕には緒方流のもの、左腕にはシラットのもの。無敵超人が編み出し、異なる武術で独自発展した抜き手が同時に発動する。
全力の蹴りをいなされたリミにそれを回避する術はない。
「八、六、四、二ィィィ!!」
「が、はっ……!」
メインが空手だけあって翔は手を鉄のように固く研ぎ澄ませている。八、六、四、二と合計八度の抜き手を同時に喰らったリミは肺の中の空気を全て吐き出した。
リミは飛びそうになる意識を、ぎりぎりで繋ぎとめながら叶翔を見る。
「――――!」
刹那、視線が交錯した。
数え抜き手。無敵超人が秘技にして嘗て緒方が伝授された技であり、嘗てジュナザードが盗んだ技でもある。
一なる継承者である叶翔が、二人の師匠から教わった同種異質の同じ技。
普通の数え抜き手は四、三、二、一の四度目で終わりだが、この荒業にはまだ最後の一撃が残っている。翔は両掌を合わせると、全霊をこめた最後の抜き手を繰り出す。
「そこまで。勝負はついた」
直前。クシャトリアが翔の腕を掴んで止めの一撃を止める。懸命な判断だったといえるだろう。もしもクシャトリアが止めず最後の一撃を許していたら、冗談ぬきでリミは死にかねないダメージを負っていたところだ。
組手で相手を殺すような攻撃を繰り出すのは厳禁。であれば活人拳的には翔の負けなのだが、闇が掲げるはあくまで殺人拳。加減を守る云々など関係なく、無事に立っていた方が勝利者だ。
つまり――――この組手、小頃音リミは叶翔に完敗したのだ。