梁山泊と闇の戦争の本格化、それによる影響はなにも闇やYOMI幹部ばかりにあるわけではない。
白浜兼一の監視、自分の修行、YOMIのお目付け役……etc……。常人ならば三回は過労死するような過密スケジュールをこなすことが出来ているのは、一重にクシャトリアの非凡さ故であろう。
しかし如何に拳のみで最新の兵器をも超越する強さを身に着けた『達人』といっても、体が一つしかないのは一般人と同じだ。過密スケジュールのせいで犠牲になってしまうものもある。
その犠牲になったことの一つがリミの修行だ。
これまでは比較的ちょくちょくと時間を見つけては、直接修行を見ていたクシャトリアだが、最近では直接指導するのは三日に一回。後は自身の側近のアケビとホムラ、そして送られてくる修行メニューによる自主練に任している。
リミとしては修行の負担が少しだけ減って嬉しいやら、あんまり構ってくれなくて寂しいやらと複雑な心境だ。
そして今日は三日ぶりにクシャトリアが直々に修行を見てくれる日である。しかもクシャトリア曰く、今日は珍しく他に予定がないそうなので一日つきっきりだそうだ。
「ふっ、とぉ! とりゃぁ!」
クシャトリアの厳しい目があることもあり、リミはふざけず真面目にこれまで徹底的に反復練習してきたジュルスを繰り返す。
弟子入りしてまだ半年も経っていないリミだが、意外にもクシャトリアの弟子育成能力が高かったことと極悪な修行の甲斐あって、既に基礎的な動きはマスターしていた。
「うん、俺がいない間もサボってはいなかったようだな」
リミの動きを見終えたクシャトリアは、洋梨を食べながら満足げに頷いた。
「当然ですよ! リミはバリバリ強くなって龍斗様をメロメロにしちゃうんですからね! 絶対にサボったりしませんよぉ~♪ それに――――」
「それに?」
弟子入りしてからこれまで、クシャトリアに心の中で思った事を看破されること37回。心の中で思った事を声に出して自爆すること97回。
ここまでポカを重ねれば幾らリミでも自分には嘘を吐いたり情報を黙っていることが恐ろしく苦手なことくらいは分かる。
そして仮にサボったとして、クシャトリアにそのことがバレでもしたら……。
(これまでの師匠のやり方から見て、ミサイルに括り付けて某国に飛ばすくらいはやりかねないお)
藪を突いて蛇を出すことはない。どれだけ修行が厳しくても、修行の厳しさを減らすために命懸けのサボりを強行するほどリミは命知らずではなかった。
「リミ、流石の俺もミサイルに括り付けて飛ばしたりはしないぞ」
「ま、またリミの心読んだ!?」
「そうだな……。精々腹を空かせた猛獣たちの檻に、全身に松坂牛を括りつけて放り込むくらいだ」
「そしてやっぱり鬼だお!」
ライオンや虎やらが蠢く檻の中に閉じこまれる自分を想像して、リミは長く辛い一か月無人島サバイバル生活を思いだしてしまった。
無人島で猛獣に追い掛け回された時は必死に逃げてどうにかなったが、檻の中ではそうもいかない。ある意味、無人島より最悪である。
「師匠」
「ん?」
「いつもリミの心を読んでますけど、どうやって読んでるんですか? もしかして師匠ってギアス能力者?」
「良く分からないが、別に魔法や超能力を使っている訳じゃない。ある一定の武術家ならある程度は使えるスキルだよ。
よく人の心を知るなら目を見ろ、とか口は笑っていても目は笑っていないだとか言うだろう? 目とは人の心を映し出す鏡。高度な武術家同士の戦いになると、互いの目を見て相手の動きを読み合ったりするんだよ」
「なんか凄そうな技能ですけど、本当にそれで心の中を全部読めちゃったりするんですか?」
「ある程度、観の目を磨けばね。尤も達人級ほどの武術家になると心を閉ざす術くらいは修得しているから、リミにしているように心を完全に見透かすなんて難しいが」
閉心術、読んで字の如く心を閉ざす術。この単語を聞いた瞬間、リミの両目がキラリと輝いた。
これまでクシャトリアの読心術にどれほど赤裸々な思いを見透かされてきたか。この術さえ会得すれば、リミは心の中のプライバシーを確保できるのだ。
リミが師匠に閉心術を教えてくれるよう頼みこもうとした時だった。
「カッカッカッ。ようやっているようだわいのう」
『!?』
普段まったく心の読めないクシャトリアが、傍目にも分かるほどに顔を歪めるのをリミは見た。クシャトリアの視線の先を辿ると、いつからそこに居たのか。クシャトリアが稀につける仮面と同じ意匠の仮面をつけた老人が、周囲の景色と溶け込むように存在していた。
人間の形をしているのに人間ではないもの。まるで神話に登場する動物のような現実離れした気配を感じる。
だがそれ以上にあのクシャトリアが殺意すら滲ませ、その人物を睨んでいるのがリミにとっては驚きだった。
「……師匠」
「師匠って、まさかこの人が?」
リミにとって唯一無二の師匠であるクシャトリア、そのクシャトリアの師匠である人物。一影九拳の一人にして、あのクシャトリアが自分より強いと断言するほどの武術家。
拳魔邪神シルクァッド・ジュナザード、比喩ではなく世界最強の人間の一人である。
「これはこれは。九拳会議やその他諸々を弟子に押し付け御多忙な師匠が、こんな所に一体なんの御用ですか?」
驚きから一転、喜怒哀楽の一切が読み取れない能面めいた顔でクシャトリアが口を開く。
「カッカッ。弟子をとったと聞いたが……この娘がお前がとった弟子かいのう」
「っ! リミ、今直ぐ外へ出て行きなさい」
「へ、でも修行は……」
「早くしろ! 横浜の中華街の関帝廟までマラソンだ! 行って来い! 行かなければ北海道まで行かせるぞ!」
「ら、ラジャーだお!」
北海道までマラソンなんて冗談ではない。
普段怒鳴ることのないクシャトリアの剣幕に圧され、リミは慌てて飛び出していった。
「それで、どんな御用です? まさか自分の弟子がしっかりと教え子に修行をつけられているか心配になって来たなんて感動的なことを仰ったりはしないでしょう」
つい少し前に自分の手で自分の『弟子』を殺めた――――実はまだ死んでないが――――ジュナザードに皮肉げに問うた。
嘗てのクシャトリアなら師匠を相手に皮肉を言う度胸すらなかっただろう。しかし特A級の達人という一つの頂きに上り詰めたクシャトリアである。いつまでもそんな弱腰ではいられない。
「我相手に皮肉とはのう。ちと見ぬ間に偉くなったものじゃわい。その様子だと弟弟子の末路についても知っておるか」
「ええ。雪崩で押し潰したんでしょう」
「そう恐い顔で見るでないわい。素養は悪くなかったが、心が弱かったし邪魔な存在になりつつあったからわいのう」
「…………」
ジュナザードには自分の弟子を殺めた罪悪感は悔恨は欠片も見受けられない。
闇とは殺人拳を掲げる集団、この太平の世にあって悪と呼ばれて当然の存在である。だが一影九拳に名を連ねる武人たちには彼等なりの信念があり誇りがあり、そして武術家として超えてはならぬ一線は守っている。
しかしこのジュナザードは違う。活人道でも殺人道でもない、真正の外道だ。
「じゃがのう。あの程度の弟子は我ならば幾らでも作れるが、それなりの素材を見つけるのはちと面倒じゃ。そこでクシャトリア。主の弟子、小頃音リミと言ったかいのう。あれ我にくれんかいのう」
「……渡せと言われて渡すとお思いで?」
「ほほう。我に逆らうのかいのう」
それでも良いぞ、と挑発するようにジュナザードは指をくいと動かす。
クシャトリアはその挑発に乗る事など出来る筈もなかった。挑発にのって戦ったところで勝機など万に一つしかない。億に一つくらいならあるかもしれないが、そんな分が悪いといった次元ではないギャンブルに命を懸けることはできなかった。
涙を呑んで従うしかない。今までもそうしてきた。クシャトリアがやるべきなのは例え恥知らずと笑われようと、ジュナザードを殺す力を得るまで生き延びること。
クシャトリアが首を縦に振る。直前、リミの顔が脳裏を過ぎった。
「いいでしょう」
「カッ?」
「勝負を受けましょう、師匠。貴方が勝てばリミを弟子にでもなんでもするといい。ただし貴方が負ければリミのことは諦めて貰う」
ジュナザードの目が怪しく光ったような気がした。