龍斗とリミとの組手を終えたクシャトリアは、完全に変装を解いてコロシアムの外に出ていた。
背後からコロシアムの殺意と歓喜とが溶け合った熱気が伝わってくる。以前まだ自分がクシャトリアではなく、ただの普通の少年だった頃に親に連れられJリーグの試合を観戦しに行ったことがあったが、この熱気はそれとは比べものにならないほどの密度と熱さをもっている。
やはり生身の体で、剥き出しの生命をかけて殺しあう大会はスポーツとはまるで異なる雰囲気をもつものなのだろう。
コロシアムを見上げながらクシャトリアはそんなことを考えた。
「クシャトリア様」
「む。アケビか?」
クシャトリアの側近であるアケビが音もなく前に現れた。アケビはクシャトリアが命じていたデスパー島の調査で得た情報について報告する。
アケビの集めた情報によれば、やはりデスパー島内部で不穏な動きがあるそうだ。まだ派手なことはなにも起きていないが、既に警備兵の一部が謎の昏倒を遂げたり、謎の行方不明になっているらしい。
「この島にはフォルトナが金で集めた達人級が何人か守りについている。そういう連中まで失踪しているとなると、やはり梁山泊も一枚噛んでいるな」
「……恐らくは。少なくとも私とホムラを含めた並の達人に、達人級を騒ぎを起こさず倒すことは難しいでしょう。であればやはり梁山泊の豪傑たちが絡んでいる可能性は高いかと」
「だろうな。彼等からすればこんな世界中の悪党見本市みたいなところに乗り込んできて、なにもせずに帰るなんて活人道から外れる行いだろうし。義を見てせざるは勇なきなり……ということか」
それに梁山泊の達人たちなら、並の達人の十人や五十人は音もなく鎮圧することも不可能ではない。
若輩ながら彼等と同じ領域に立っているクシャトリアだから、彼らの実力については正しく把握していた。
「それとクシャトリア様。もう一つ気になる情報が」
「なんだ?」
「実はフォルトナが世界中から集めた雇った達人の中に、魯慈正様に仕事を押し付けて放浪されていた拳豪鬼神・馬槍月殿がいると」
「槍月殿が?」
古の豪傑のように立派な虎髭をたくわえた武人を思い返す。梁山泊が豪傑が一人、馬剣星の実兄にして共に中華最強の武人とされる達人の中の達人だ。
友人に月のエンブレムを押し付けて何処へ行っているのかと思っていたが、よもやこんな場所にいるとは。
これはクシャトリアにとっても誤算だった。しかし一影九拳の一人がここにいるのに、嬉しい誤算とは言えないのが悲しいところだ。
「どうなさいますか? 会われますか?」
「いいや。やめておこう。下手に会ったら戦いを挑まれそうだ。せめて俺が一影九拳なら不可侵を盾にも出来たんだがな。俺はまだ九拳じゃないし」
「一影九拳ではありませんが、同じ闇の同志ではありませんか。杞憂では?」
アケビが真っ当な進言をする。普段ならクシャトリアも信用している部下の進言を容れていたが、今回ばかりは首を横に振った。
「お前もまだまだ一影九拳について理解が足りていないな。天が崩れ落ちることを心配しなきゃならないのが一影九拳なんだよ」
「そうなのですか?」
「ああ。尤もこれは梁山泊のお歴々にも言えることだが」
優れた体には優れた心が宿るもの。であれば常識外れの肉体には常識外れの精神が宿るもの。
そんな常識外れの二大勢力、一影九拳と梁山泊が一つの島に集まっているのだ。例え呉学人だってなにかあると分かるだろう。
「師匠ー!」
アケビと話していると少し怒った様子のリミと、疲れ切ったように後ろからついてくる龍斗がやってきた。
「なんだリミか」
「なんだじゃないですお! どういうことなんですか! 折角リミと龍斗様の愛の力で師匠の極悪なノルマをクリアして三回戦まで進んだのに、ここでリミたちは棄権なんて!? あと二回勝てば優勝なんですよ優勝!」
「はぁ。そんなことで怒っていたのか」
リミにとって武術とは愛を掴むための手段。だというのに意外にもこういう勝負事に執着したりもする。
若者の心とは達人をもってしても完全に分からぬもの…………と天を仰ぐシルクァッド・サヤップ・クシャトリア年齢不詳。推定年齢十代後半から二十代前半。言うまでもなく世間からすればクシャトリアも十分若者に入る年齢である。
「もうリミも龍斗くんもこの大会でやるべきことは終わったからな。リミは動の気解放の足掛かりを得たし、龍斗くんも静動轟一のコントロール法を体得した。既に十分すぎる成果は得ている。これ以上の戦いは無意味だ」
「で、でも」
「それに幾ら静動轟一のコントロールをマスターしたといっても龍斗くんは足が動くようになったばかり。無理して戦ってまた体を壊しちゃ元の子もないだろう」
「龍斗様のお体が第一ですよね。ラジャーです。納得しました」
「………………」
龍斗と顔を見合わせ心の中で二人して溜息をつく。リミの一途っぷりは良く分かったし、一人の人間をここまで想えるのは得難い美徳だが、龍斗の名前を出せばあっさり頷く単純さは問題だ。
師匠としては矯正するべきなのかもしれないが、こればかりは何を言っても曲げられる気がしない。
いっそ忘心波衝撃でも喰らわせて新たな人格でも植えつけてやれば、クシャトリアの思うが儘の弟子を作り上げられるだろうが、流石に師匠と違ってクシャトリアはそこまで外道ではない。
そうやって自分の弟子について頭を悩ませていると、懐のケータイのバイブが振動した。ケータイを開いてみれば、そこにあるのは非通知の三文字。
「もしもし」
嫌な予感を感じながらも電話に出る。
『……私だ、クシャトリア。無事なようで安心した』
声の質で一発で分かった。電話をかけてきた相手は闇の一影、風林寺砕牙。
一影九拳の誰かだろうと当たりをつけていたが、一影直々からの連絡というのは少し驚きだった。
「一影殿。一介の闇人にどのような御用ですか?」
『国連軍が動いた。デスパー島を制圧し、集まっている裏社会の要人たちを一網打尽にする算段だろう』
「――――!」
一影は徹底した合理主義者らしく単刀直入に事実を告げる。
なにかあると確信していたが、国連軍とはこれまた大物が出てきたものだ。
『国連軍だけならデスパー島の戦力で如何様にも料理できるが、そこに梁山泊の豪傑たちが集結しているなら今日でもデスパー島の主の名前は摩り替るだろう。
我々闇としてはフォルトナ氏は有数の出資者であるし、DオブDは裏社会でも名の通った大会。その会場が落ちれば闇にも波紋が広がる。
命令だ。クシャトリア、デスパー島の陥落を阻止しろ』
「……やれと仰られるならやるしかありませんが、作戦成功は期待しないで下さい。俺とディエゴ殿で梁山泊の達人を二人、デスパー島の戦力で二人と仮定しても、残り二人を抑えることができません。特に貴方の父君を。
もし本気で作戦成功を祈って下さるなら最低でも本郷殿、アレクサンドル殿、ラフマン殿、アーガード殿、緒方と美雲さんを増援に連れてきて下さい」
戦力的には一影九拳最強だが師匠のジュナザードはいらない。
下手にジュナザードなんてくれば、余計に事態がややこしいことになる。
『一影九拳のほぼ全戦力だな。当然その要望は却下だ。君が阻止は不可能だと判断したのなら、こちらの被害を最小限にするよう動いてくれ』
「どのように?」
『それは――――――』
一影からの指示を言われ、クシャトリアは頷いた。
梁山泊の豪傑たちと戦うのではなく、これならばデスパー島の戦力でもどうにかできそうだ。
「分かりました。努力します」
『武運を祈る』
電話が切れる。コロシアムでは丁度試合が終わったのか爆発的な歓声が轟いたところだった。
クシャトリアはケータイをしまい、一影からの命令をこなすために立ち回り始めた。